日々徒然に

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3月、花粉症が気になります

2017年03月05日 | Weblog

 こんにちは。
 今日(5日)は「啓蟄」だそうで、少しずつ温かくなっていく様子が生き物たちから感じる日でもあるようです。多摩川でも足元には小さな花が咲きはじめています。朝の暗いうちから、小さな生き物たちは自然の温度を感じて、自分らしく生命を見せてくれます。
 温かくなると、花粉症の季節もやってきます。鼻先がムズムズしてきました。クシャミに出始めました…。今年の花粉症は昨年より強い思える日々です。目もかゆく、今年は強いのでしょうか。


 今週の話題は「森友学園(大阪)」のニュースが連日流れていました。問題の一つは国の土地がひどく安く学園側に売られたということで、政治家の関与があったのではないかということでした。それも、首相の妻の安倍昭恵氏が関係者が関わっていたということでした・国会でもどういう経過で学園側に関わっていたのか追及していました。
 さらに問題はこの学園の教育方針が、政治の分野まで関与していたいうこともありました。運動会での選手宣誓では、園児に「日本を悪者に扱っている中国、韓国が心改め、歴史でうそを教えないようお願いします」「安保法制国会通過よかってです」などと言わせていたことが発覚しました。これでは、選手宣誓ではなく、集会の政治スローガンに近いです。まさに、ヘイトスピーチの教育をやっているようなものです。これは、学校よいうより政治結社でしょう。
これはとても怖いニュースです。学校でいわば「思想教育」をしているようなものです。これは問題ありとなっています。


 

 今週、久しぶりに有給休暇を取得してみました。本来なら、1ヵ月に一度月末に使う予定でいるのですがなかなかうまく調整が出来ずに3月に入ってからの取得となってしまいました。日本の会社の有給休暇の取得率の悪さは身をもって体感する日々です。

 月に一度の「山歩き」の目標を実行すべくいってきました。コースは高尾山を中心にした周辺を歩きます。今回も「陣馬高原から景信山~小仏」までの工程です。(毎回同じです)。ゆっくり歩ければどこでもいいのです。
 …とはいうものの慣れたところがいちばん安心なのでしょう。

 この日、バス乗り場は団体のシルバー登山者でいっぱいでした。数十人はいました。バスは一台で満杯です。臨時バスも運行したほでした。ぼくは、その一代目に乗り合わせていたのでした。まあ、これだけの人数のお大人が乗るとバスはすぐに一杯になるものです。さらに、大人も子どもと同様におしゃべりがはな盛りです。よく子供に「うるさい」といっている大人でもこれだけ集まればうるさいですね。(久しぶりの再会。こうなるのも無理のないことかもしれませんが…)。

 ぼくはこんなに多い団体の山歩きは好きではありません。多すぎますね。これでは、早い人に引っぱられるような歩き方になってしまうよう気がしますし、のんびりした歩き方より、全員の歩き方に合わせるようになってしまうでしょうね。それも合わせていくのでしょうが…。
 途中のバス停で彼らが降りた後の閑散としたバスの中に寒さももどってきたようでした。



 

 この時期の山道は、霜が降りて陽ざしで溶けてきて山道がぬかるんでいいることが多いようです。この日も、部分的なところは泥が靴に吸いついて重く感じていました。それでも、まだ寒さのほうが強いのでしょう。道は固くなっています。あとひと月もすれば、道がゆるんで泥がもっと足につようになることが多くなると思います。(ショートスパッツがあるといい)。



 当日は、まだ冬ですからよほど好きな人でなければ山には入って来ないのでしょうか人が少ないように見えました。季節がよくなってくると、山道も渋滞になるようです。人のお尻をみながら登るのは遠慮したいものです。
 当日は、それはなくて遠くに歩く姿を見える程度で、自分の歩調で歩くことができました。カゼもなく日向ぼっこもできていい一日でした。
 昼食時の景信山でも人が少なくて静かなものでした。人を避けて歩きたいものです。

 この日いちばん感じたのは花粉の量が多かったせいでしょうか。クシャミばかりしていやようです。温かさもあるのでしょう。
 そろそろ花粉が多く季節がやってきたようです。以前は、なぜか山の花粉にはたじろがなかったのですが、今年はクシャミ、鼻水が多く出た日でした。抵抗力がなくなったのでしょうか。齢を重ねて少しずつ、以前よりも弱くなった抵抗力を感じた一日でした。
 それでも、体全体からみれば体にいいことをしていると自負していると思います。最近、周りの人たちが病院通いが多い中、ぼくは山に通っているほうがましだと思います。病院で手術をして命を感じているよりは、山でけがをして命を感じていたように思います。


 ぼくが時おり、山歩きを計画しボケーと山を歩いてくる。ときどき、登っているとき思うことがある。「どうしてこんなに苦しいことをしているんだ」と…。思えば、休日くらいゆっくり家でした方がいいのではないのだろうかと反面思うこともある。まして、老体にムチを入れて、あげくの果てに翌日はどこかが痛くなっているありさまだ。そう思うと、翌日に体も痛くならなくて、ましてこの時期である。花粉症を求めているようなことはやめた方がいいのではないのかと思うこともある。

 ならば、違うこととはなにかあるのだろうかと自問自答する。だが浮かばない。いまさら、どこかのグループに「お願いしまーす」というところも浮かばない。趣味といっても、人に教えるほどの中身のある話をできるわけでもない。ならば、単独登山で独り言をいいつつ苦しんでいたほうがいいと。それに、他人を苦しめるわけでもない。苦しむのは自分だけだからいいだろうと山歩きを始めたのだった。

 思えば、山るきは若い時には職場の人も参加して楽しかったものだった。誰かが計画を立てれば、僕が食料をそろえる、てな感じで楽しかった。
 山小屋宿泊や冬の真っ暗な山行も楽しかった。そのころは、どんなに道に迷ってもどうにか楽しくことが済んだ。若さだろうかなあ…。

 いま見渡せば、昔いた人たちは途中で他の会社にいったり、故郷に還ったりと今の職場を去った。唯一、いまでも行けそうだった人も病気のために療養中となった。ふりかえれば僕だけが山歩きをしていた。
 もう、ふり返ってもだれもいない。そんなあきらめもあり一人が多いのだろう。それも、最近は命を確かめるように、自問自答をしながらになった。
 これからも続くだろう。
 最近は、何かをやろうと思う時一人でいくことにしている。自問自答をするために…。たまたま、住んでいる路線に低くて静かな山があってよかったと思っている。自然のありがたみを感じることも山歩きの楽しさである。

 


 町をあるいていると、桜のきに小さな花が咲き始めていました。
 「もうすぐ春」という季節がめぐってくるのでしょう。やっと温かくなってきたとおもいうれしいと思いますが、今月は、東日本大震災があった月でもあります。それから、6年目です。いまだ、福島第一原発事故の避難者たちは故郷に還れないまま暮らしています。今月、一部避難解除が出るそうですが、放射能は目に見えないし、フレコンバックに詰めた奉書能汚染物質は安全ではないようです。いまの強引な解除になにが得られるのでしょうか。
 これこそ、豊洲市場問題のように移転を延期して調べることがいっぱいあるようにおもえるのですが…。今月は「年度末」。なにもかも「年度末」で終わってしまうのでしょうか。

 今週はこのへんで失礼します。
 ああー、来週からまた月刊誌4月号がはじまる。きついなあ。
 読み返したら、誤字脱字がけっこうあるでしょうが、ご容赦を…。
 読んでくれた人、ありがとうございました。


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