日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

5月も終わりです。

2017年05月28日 | Weblog

 こんにちは。
 新緑の季節を満喫できたでしょうか。
 この季節は命の芽吹きとでもいうのでしょうか、寒さになかに耐えていたものが一気にでてきて、目にふれさせてくれてます。それが、誰彼にほめられることなく、ただひたすら自然のひとつのできごとしてわたしたちの身近になっていく季節でもあります。

 さて、5月はどんな一か月げつでしたか。
 ぼくのところは、職場の移動、人事の異動と日々がかけあしですぎていったように思えました。そして、また一からの仕事がはじまりました。
 そこで見たものは、これまで一人の職場から大勢でのなかにあってのメリット、デメリットを考えたひと月でもあったように思えます。


 5月になり、さわやかな季節。読書にもってこいという季節は感じてはいたものの、職場の引っ越し後の態勢づくりや、週2度の出向とあわただしい出来事に翻弄された一か月もありました。
 ついでの本もたくさん捨てた月でもあります。家でも会社でも併せてたくさんの本を片づけていました。そんななか、今まで読んできた本、これから読みたい本などのことを考えた月でもありました。
 原則として、新書はできるだけ読むようにこころがける一方、再読したい本も多くあります。

 今回、紹介する澤地久枝さんの本は再読の部類にはいるのでしょう。
 それは、昭和という歴史のなかで知らされていない人々の声や生きざまが多く書かれた作家であるかだと思えます。
 「いったい、戦争があった昭和とい日々はどんな生き方や声があったなのか」ということに熱心の取り組んだ作家でもあります。
 そんな中で、とりわけ多くの人が犠牲になった「戦争」という出来事に翻弄された人々にスポットをあてています。それは、名もなき多くの若者が、市井の人々の生きざまをすべて強制的に折ってしまう時代を掘り越した作家ということもいえます。

 新書では髙村薫さんを読んでみました。
 いまこそ、作家が声をあげるときはないのではないかと思います。こちらは、今を生きる時間に合わせた作家の発言になっています。日々、時の為政者に翻弄され、強引に生き方さえも変えさせられようとしている時代だからこそこういう作家も大切な指針を与えてくれるものです。
 これまでの出来事のなかで、ふと足をとめて考えてみるとき、同じ目線に立ちその方向を指しているような気もします。



■崩壊するような山の斜面でもなく、溢れるような河川もない恵まれた住宅地だが、それでも十分すぎる恐怖を味わい、いまさらながらに自然と比べて人間の存在の小ささを思った。大雨の水があふれ、山が崩れ、家や道路が押し流されるのを、まさに見ているほかないのが人間の身の丈というものだとすれば、私たちはもっと自然を恐れて生きるべきだろう・(大雨に思う・p49)

■一口に国民と言っても、価値観は多様である。今回の衆院選の自民党の得票数は、全有権者数の二五%に過ぎない。二五%の有権者の価値観が、残り七五%の生活を牽引していくのだが、このことに違和感を覚えない人はいないだろう。理由が何であれ、全有権者の半数近くが選挙に行かなかった結末がこれである(有権者の「諦め」未来はp63)

■一般の日本人は、二十一世紀のいまなお国連で戦時中の慰安婦問題を非難されるようなことに不本意な無力感を募らせており、それはリベラルを目標としてきた人びとも例外ではない。一方で、たとえばオリンピックやワールドカップの日の丸に熱狂する心象の、ほんの一歩先にはナショナリズムの熱狂狩り、それが生活の安定や希望を失った日本人のこころを埋め合わせるものになる。こうしてとくに政治的というわけではない浮動票が安倍政権に流れ、野党ももはや代わりの選択肢を示せないでいるのである。(二分される社会p73)

■書き手も読み手も、自分自身や身辺の暮らしには大いに関心があり、それについては多弁ですらあるが、一方で、自身が生きている社会や時代を言語化する必要を感じなくなったのかもしれない。そうなった理由は、ウィンドウ95に始まった情報化社会の爆発的発達であり、ネット世界に溢れだした膨大な情報ですべて間に合うような幻想がもたらされたことだろう。…とまれ、人間と社会のことを書き尽くさんとしたかつての社会派小説や全体小説が消えたいま、世界は個々人がネットからつまみ食いした情報の継ぎはぎによって捉えられるようになった。全体が消え、全体がもっている複雑さが消え、全体があってこそ常識や社会性が消え、国のありかたを問う視線が消え、政治や歴史への関心も大きく損なわれた。(宗教と市民社会p75-76)

■というものの、年齢とともに生き方や価値観はもちろん、日常生活の一つ一つを変更すするのが難しくなり、判でも押したような平板な人生を送っているのを感じるからである。長年こうだと信じてきたものが揺るがされたり、更新を迫られたりする不快感を覚え、それならいっそ背を向けていた方が楽だとばかりに世事に関心をもたなくなる。それでも内心はそういう自分に違和感もあり、少し無理をしてでも新しいことに挑戦したり、さまざまな社会問題に眼を、向けたりして、あえて自分に負荷をかけることもする。これは個人がボケ防止策というより、少し大げさに言えば、人間としてこの社会に生きる義務のようなものだと思う。(真面目に生きるp98-99)

■一方、かくも不真面目な国会議員を目のあたりにしながら、怒りの声を上げない有権者もまた真面目に生きていいないと言うほかないが、自衛隊員の戦死や非正規雇用の貧困を想像するぐらいのことがなぜ出来ないのだろうか(同、p99)




 髙村薫という作家は気になっていた人。ときおり、新聞のコラムなどに自分の発言を書いていた記事を読んだこともあった。小説の方は一つも読んでいない。ときおり新刊が紹介されている広告をみると、小説も読んでみるかと思う。時代のかおりをぷんぷんさせるような小説があることだろうと思う。

 『作家的覚書』は、きっとその屋台骨みたいな時評であるのだろう。
 日々、たうさんの情報にふれるがその本質は読者まかせであるかのようになっている。でも、事実は「そいなるようにつくられているかマインドコントロールされている」かのような判断になっていることに気づかされる。
 その多さにたてうちできなくなり、挙げ句の果てに本当にその「本質」や「原則」のようなものが捨て去れていく日々を感じさせてくれる一冊だと思えた。例えば、安倍首相の支持率が何を強行して、横暴なと思っていても下がらない…、という数字のトリックはどこにあるのだろとか思うことさえめんどうになっている。余裕もなくなっている。

 そんななかで「憲法改正」という大事なものが東京五輪という最大級のイベントの一緒の中に組まれている。さらには「共謀罪」とても同じ中に組み込まれている。憲法改正という大変なテーマが東京五輪のなかに小さく見えるような錯覚をつくっている。五輪が終われば、とんでもないほど重要なことに気がつくときは「あとのまつり」状態だ。そう思う。

 と、まあそんなふうに気がつかせる一冊だと思う。
 「ものを言うこと、それもまたまた行動である」と帯に書かれていたがまさにそのことを言っている作家なのだろう。
 小説は、人のすきまをうめてくれる物語でもある。読んで「こんなこともあるだろうな」と気がつかさせてくれる。それは、読んだ人の気持ちが小説の一部と重なる何かがあるからだろう。それだけではなく、社会のなかに目をむけるとこんな「時評」もその背景だと思えることが気がつのではないのだろうか。



■沈黙し耐えている人間の内側にある感情――。嘆き、痛み、憤りを他人事ではなく感じるような人生遍路がわたしにもある。(歴史の裏方p33)

■苦労させた子供がやっとその境涯を抜け出る――それを見守る親のような気持もあるかもしれない(軍衣の男たちp51)

■人生とはいわば出会いのことで、人々と出会いもあればあるいは難病との出会いもあります。出会いたくない出会いは避けたいと思っていて、選択の余地なく向こうからやってきます。どんな非凡な人生であろうとも、また、平凡な人生であろうとも、そえぞれに余儀ない出会いの連続のなかを生きることで人生の暦はのこされてゆき、その暦はひとつの異なった顔をもちながら、どこかでよく似ています。(女たちの暦p62)

■おんなは一人前の人間として扱われなかった旧民法下の社会。教育勅語があり、徴兵制とそれを支える軍人勅諭が生きた時代。治安維持法によって「国体」が守られていた時代。そして戦争の時代。(時代の浮島p107)

■人生は旅であるとよく言われることである。その旅は、どんな試練にさらされているときでも、かならずどこかから見守っていてくれる視線があり、さしのべられる手のぬくもりのある旅だった。だから生きてこられたのだと思う。(五十歳の断章p114)

■ある人間の物語は、連鎖のはじまりにすぎない。「昭和史のおんな」は昭和を生きたおんなたちの歴史であり、男たちの歴史であり、いまなお生きつづけていることを思う。(愛すること生きることp152)

■仕事もひとつの旅に似ている。どんな旅にも終わりがあるように、やっと「あとがき」を書くところに辿りついた。(敵・味を超えるp168)

■わたしたちは死者たちによって生かされている。別れの余韻を心で聞きながら、やっぱり明るく笑って生きていたい。(ひそかな慕情ひそかな鎮魂p182)

■人のいのちの重さについて、そのいのちのちがいに軽く扱われるかということについてわたしはの思いは、敗戦後の満州生活からはじまったのかもしれない。~かつて日本の社会は、個人の命の重さなど問題にしなかった。兵役法という強権で軍隊に召集はしても、どこでどのように死んだかを確認する仕事は国家の義務ではないようだ。(祈り・記録ミッドウェー海戦p191)

■いのちの重さにわたしがこだわるのは、「昭和の歴史」の内実、とくに無名の生と死を忘れがたいからであり、わたしの心をとらえているのは国家を超えてすべてのいのちの明日なのであす。(いのちに国境なしp231)




 再読した本。
 1994年5月に購入した記録があるところをみると、23年前に一度は読んだ本ということになる。23年前となるとおよそ40歳の時である。仕事もおおよそ覚えて、職場ではバリバリ仕事をしているころでしょうか(?)。
 どんな思いで読んでいたのだろうか…。

 今回手に取って読んだのはたまたま本の整理をして見つけた本だ。
 最近、澤地久枝さんの名前をきくようになった…という記憶があったためであろうか。どこで聞いたのかと記憶をたどってみたら、去年の国会デモのときに聞いたし、最近では憲法改変をめざす与党に対して反対をしている作家ということを改めて思い出しからだったのだろう。

 そして世は、共謀罪という法律が今まさに反対を押し切って強行しようとしている。そんななかで、二度と戦争のやらない日本をめざそうとしている自公与党政治。そんな中、今の日本がどんな歴史のなかで気づかれたのかを説いた作家でもある。戦争を一人ひとりの人間に視点をおいて書かれた作品が多い。
 その歴史をひきずって今がある。その歴史は「美しい国」などではなかった。そのことを全国を歩き聞き書いた作品群は貴重なものだと思う。

 さて『苦い蜜』(わたしの人生地図)は、これまでのノンフィクションを書き上げたきたなかでの苦労話やその作品とかかわるのなかで考えたエッセー。
 書き上げていく中で厳しい現実を突きつけられてくじけそうになるなかでも、もういちど考えを原点にもどし作品として世に送ってきた物語でもあるように思う。それは、作家だけではなく、わたしにも気づかせてくれるものがある。そして、世の中はずっとつながって今があるとうことを気づかせてくれることもあった。
 もう少し、澤地久枝さんを追いかけてよんでいきたいと思った。
 とはいえ、絶版が多くて残念なきがする。いまこそ必要な作家だと思うが。復刻を期待しつつ…。



 ぼくにとっての5月は、駆け足ですぎていったように思える。
 本社への異動を受け、週2度の出向、さらに本社での仕事と落ち着くことも許されないほどの忙しさだった。
 ぼくとしては、本社でゆっくり仕事をやりたかった。へんな感じのまま5月が終わろうとしている、というところである。これが「再雇用」という形なのだろうかとも思っている。
 6月には、もうちょっと自分のペースをつくっていきたいと考えている。いまさら、他人の目をきにしながら仕事する年でもない。
 それに、他人の合わせるほど体力もないことは、いちばん自分がしっている。

 そろそろ梅雨がきそうである。
 雨も余裕があればいいのだが…。

 ちなみに、「共謀罪」という法律が参議院に審議が舞台が替わるそうだ。
 なにがなんでも、五輪やテロを最大限に活かして、人のこころの不安ばかりあおって、成立をもくろむ与党に対して野党はどうしていくのだろうか。さらに、不安なのは先の審議会では、答弁にしどろもどろの与党の答弁でなか、「共謀罪」の成立かという疑問が払しょくされていない。とんでもないことだといっても「聞く耳がないのか」「見解が違う」のか。だから納得する議会だろうと思う。

 では今週はこのへんで。
 読んでくれた人、ありがとうございました。


暑さも、陽射しもつよくなってきました。

2017年05月21日 | Weblog

 こんちには。
 日の出ははやいです。午前4時半ごろには太陽が昇ってきています。よく晴れた日は気持ちがいい朝になっています。この辺ではめずらしいカッコーが遠くから聴こえてきますよ。
 多摩川を散歩していても、普段きけない鳥の鳴き声があります。キジもこの時期、遠くの草むらから聴こえてきます。ほんとうに暑くなりました。冬の寒さも忘れるくらい暑さがもどってきました。今年も、「熱中症」という言葉をたくさん季節がやってきたということですかね。日陰と水の補給はこまめに摂ってくださいという…という季節。ぼくの好きな季節がやってきました。

 さて今週はどんなニュースがあったのでしょうか。


 いちばん新しく読んだのは、「共謀罪」という法律。犯罪を計画段階から処罰する「共謀罪」の趣旨を含む組織的犯罪処罰法の改正をめぐり、自民、公明党の与党は野党が反対する中、日本維新の会も賛成にまわって3党可決した。

 法律も納期があるようなスピードでの可決のようでした。野党や反対派の人たちは審議が不十分だいうことも納得できます。この法案を、国会にもっていって、きっとここでも強行採決をやってしまうような勢いがみえるのが怖いです。

 正直なところ「共謀罪」というこの時期いちばんの政治テーマになっているようですがよく理解していません。事実、ニュースや新聞でもまだ本当に国民の話題にはなっていないようです。こうみえる「共謀罪」は一般の人には関係なような法律に見えます。でも、「内心の自由」を脅かし、多くの作家や法律家団体が反対するものです。審議時間30時間余りとは粗末な審議時間です。それでも、可決させてしまうのが中身よりも、与党の勢いがなによりも目につくものがあります。

 そして何よりもおかしく思えるのは、審議の内容もあります。法務員会で金田法相も法務省幹部も野党の質問に明確な答弁ができていないともおかしい点です。今回も、反対意見は「無視」をきめるこむようにみえるようです。
 こんなやりかたがいつまで続くのでしょうか。
 審議をすればするほど、強行採決を持ち出す与党は何を目指しているのでしょうか…。
 ぼくにもわかることは「共謀罪=監視社会」ということになるということぐらいでしょうか。それも、権力が市民を監視する。それも、法案を盾に監視ということになれば、自由に表現し、楽しい作品を多くだしてきた作家やジャーナリストなどもっとも監視され、本当のことが伝えられなくなってしまうようになっていきます。さらには、オカシイと思うことに反対もできなくなってしまいように思えます。
 …ということは、ここでこうして政権に対して考えることがいえなくなってしまうのではいかという危惧もあります。さらにスマホなどでのSNSなどでも社会に疑問を書けなくなってしまいかもしれません。
 
 まさに戦前の「治安維持法」という議員もいます。
 事実、与党の公明党の支持母体でもある創価学会の会員のなかにも「反対」を訴えるニュース記事もありました。これは、今の公明党のやっていることが矛盾していることの現れなのでしょうか。反対する理由に、過去の歴史のなかで、会長が治安維持法によって弾圧されたという歴史もあります。今は少数派ですが今後の活動がどうなっていくのか…。自分で自分の首をしめている状態であるように見えますが、こちらが本当のように見えます。
 「物言えば唇(くちびる)寒し秋の風」という後味の悪い法案がそこまできているように見えた週でした。


 今週19日厚生労働省はパワハラ防止の有識者会議の結果を公表しました。
 調査は全国の企業で働く20~64歳の男女を対象に、昨年7月インターネットで実施し、1万人からの回答。
※過去3年間にパワハラを受けた(32.5%):前回2012年より7.2ポイント増
 年代別では30代:34.1% 20代:33.1% 全世代でも前回よりも5ポイント増。内容は暴言、脅迫、侮辱「精神的な攻撃」54.9%。不要な仕事や不可能な業務を強制する「過大な要求」29.9%。無視や仲間外れ 24.8%と続いた。(朝日5月20日付)


 先月まで「一人職場」でしたので、直接パワハラを感じたことはありませんしした。異動によって、今は大勢の若者のなかで働くようになっています。その若い人たちは、数年前は一緒に働いていた人たちでしたのであまり違和感はありません。でも、こんななかでもパワハラもあるのでしょう。
 それも、表に出てこない形であるのでしょうと思います。とくに、利害関係がある縦社会であればあるのでしょうか。

 それは、ある意味「弱い者いじめ」に似ています。力があるもの(権力者)が部下が自分の思うように仕事が進まない時そのやり場のない感情を部下にぶつけるという形があるだと思えます。その背景をちゃんと分析すれば、その原因は上司の説明不足や準備不足などがいちばんの原因だと思えます。
 反省をすればきりがないのですが、以前にも年下の人を思いっきり怒ったことがあります。いま思うと、きっとそうとう傷ついたことだろうと思います。
 よよくよく考えなおせば非がどちらにあるかわかることなのですが、その瞬間は気持ちに余裕もなく怒りを誰彼にぶつけていたように思えます。
 へとへとになっていると、何が正しいのかわからなくなってしまいます。

 こうした繰り返しをしたきた元上司の人たちはおそらく、再雇用になっても同じ職場にいることさえ困難になってしうまうのでしょう。行くところもなく…という結果になります。
 そんな元上司はけっこう多いのではないのでしょうか。
 一日中、録音機をもって上司を発言を記録してみると、「パワハラ」にあたる言葉もきっとあるのでしょう。でも、それが、「本人とってですから」。どう受け止めているかがの関係が大事なことだと思います。
 「働く」ということは、ほとんどの人が集団生活のなかにいます。集団で働くことになると、仕事の遅くて不器用な人、速い人、また丁寧な人、適当な人とさまざまです。そんななかで、それらを助け合ってやるのが仕事だと思います。それでも、余裕がなくなると相手の欠点がめについて侮辱してしまうこともあります。それでも、同じテーブルについている意味をもっと考えてみると、それぞれの個性を認め合ってうまく動いていくしかありません。

 こんな関係がわるくなると、侮辱しあう同士が一人の人をいじめるのに派閥をつくるようになる。野合になっていくと、一人の意思より集団の意思が優先されていく。それがいちばん危険な状況だと思います。排除が暴力をつくり、沈黙を強制していく…。これが何よりもヤバイ状況。
 戦前の日本です。(これを調査して勉強するのが学者でしょうか)。
 など、とだんだん話が大きくなってきます。でも社会ってこうやってつくられていくのではと思います。
 前月まで「一人職場」ではこんなことはなかった分、今はこんなことも考えていかなくてはと思います。
 大事なことは、敵対関係をつくってしまう関係が問題でしょうか。時間に余裕がないことももっとも原因になります。
 日々のコミュニケーションがいかに大事か考えさせる数字です。





 異動から3週間が過ぎました。
 ほとんどが定時退社の日々です。さらに、バスでの通勤は久しぶりです。
 バスは電車ほど神経質に時間通りに来ません。都心よりはにんびりしている様子です。さらに、人にぶつかる心配もなくなりました。
 仕事は、ここでも独立していてパソコンもなく机と辞書だけの職場です。新聞の内校をする職場でした。
 そして、週2回の出向。異動前にいた職場の手伝に行くようになりました。ここでも、同じようなしごとと、今いる職場の連絡係りのようなもです。
 これがすこしややこしくて、一度本社にきて午前中、本社の仕事。午後はバスと地下鉄を乗り換えていきます。正直なところ、今度はちょっとは体が軽くなるかと思っていたのですが、同じでした。
 まあ、知らない人達のところへ行くわけでもないのでのんびりはじめています。

 とはいうものの、今本社に戻ってきて話す人もいるだろうかた精神的に軽くなるのかという期待もあったのですが、おかしなことに「一人職場」の人たちといたほうが軽かったように思えるのでした。なぜでしょうかね。
 世代が違うということでもないようなのですが、その辺もわかってくるでしょう。

 今回はこのへんで失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。





それぞれの5月…異動先での仕事

2017年05月14日 | Weblog

 こんにちは。
 連休明けの疲れはいかがですか。そして、仕事ははかどりましたか。
 はやいものです。連休が終わったと思ったとたん一週間がすぎていきました。ぼくにとっては、新異動先での初めての生活がはじまったところです。

 さて今週はどんなことがったのでしょうか。
 福島の原発事故の森林除染で下請け業者が一部が工事を終えたかのように偽装した写真をつけ過剰請求をしていたという記事がありました。
 なんとも、単純な偽装で何千万もの除染費用が騙されていることに税金の無駄遣いがわかります。それを写真だけで判断してしまって、実際現地に見にいかないというのがわかりません。他人のお金でやっている意識があるように思えた記事でした。けっきょく騙されたということでしょうか。請負業者も困りものですがそれを確認しない職員も困りものです。そのために働いている人が違うことで働いて利益を得ていることでしょう。

 要は働いていなくて利益をあげようとする人、それを無視している人。当人だけの問題だけではなく、これは、私たちの税金への意識もあるように思えます。最近、つくづく感じることは、「年金」のことです。
 さんざん給料から差し引いておいて、請求をしなかれば受け取れないということに怒りを覚えます。それも、とても複雑な書式で何度も確認するほどです。以前みた「わたしは、ダニエル・ブレイク」という映画を思い出します。役所は本当に私たちの味方なのかという気持ちになってきます。

 




 今週、あらためて「辞令」が出ました。異動先は、2年前にいた元の職場でした。今回戻ってきての感想は「世代が変われば空気も変わる」ものだということでした。上司が替わって、平均年齢が20年もの差がある職場となっていました。とはいえ、元いた職場です。知らない人達でもありませんが…。話もできるだろうと思っていました。

 さて、異動先での現実は。
 前任者がつかっていた材料がまだ残っていました。眺めてみれば、机の上には余計なものが多くて少しずつ片づけておこうと考えています。
 けっきょくのところ、ぼくにとっては2年前にいた職場であり、やりやすいと思っていました。ところが2年も職場を離れていると、何か違う空気があるように思えました。何がいちばん違ったといえるのかといえば、上司がちがっていました。職場を見渡せばこの上司の色に染まっているのでしょうかねえ…。
 のんびりやっていけたらと思っていますどんな文章にめぐりあえるのか楽しみのある一方、職場の人たちとは距離があるようです。
 それは何か…。
 
 2年前と同じ窓際の机に座っての仕事が始まりました。ぼくの仕事はすべての雑誌、新聞の「内校」が中心です。多く人の文章を読みながら、間違っている字や使い方についてチェックをいれる場所でもあります。
 だんだん以前の仕事の記憶がよみがってくる日々でもありました。
 一人職場の時は、一人で決め一日の仕事を終わらせていった日々でした。ここでは、誰かの工程を追いかけて仕事をしていくというやりかたで気を使う職場でした。

 世の中うまくできています。一人の職場のときは仕事は大変でしたが、誰に気を使うこともあまりなく過ごしてきました。ここでは、何をやるにも他人の流れの中での仕事です。
 これが疲れます。それでも、その分、ここにきたメリットを最大限いかすことにしていきたいと思います。それは、休暇をとれることでしょうか。これが最大のメリットでしょう。ほかはいまのところ何もないように見えます。

 ここでいちばんやりたいことは、文章の言葉について考えていきたいと考えています。2年前もそうであったように思いますが、ここではそれがメインでしょうか。
 さて、それを許す環境ができているか、これから眺めていこうと思います。

 「生活上の多くの悲劇は、距離を置いてみているとしばしば喜劇となります」(折々の言葉・斎藤環=4月23日/朝日新聞)

 ぼくの職場「一人職場」はここに来ても同じです。窓際に座って仕事をしながら眺めていく中でさまざまな出来事がどれだけ自分という人間をつくっていくのだろうかと思います。とくに、以前ここへいた時の上司が替わったということもあって、一人の人を眺めているだけでもその職場の形ができていくのでしょう。それがどんなものなのか眺めていきたいと思います。なぜなら、彼らはこれから、ぼくにとって大きくのしかかってくる問題な人であったり、助けてくれる救世主になったりするでしょうから…。

 「再雇用2年目」の日々が始まりました。
 ここでもできるだけ、ペースを守っていきたいものです。それは今の自分の身の丈にあった仕事をするということです。



「最後に」
誰かが私を笑っている
こっちでも向うでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃない
「最後に笑うものが最もよく笑う者だ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れず微笑みたいものだ
樺美智子(1956年)


※日々の生活に疲れたとき、自分に言い聞かせる一つの指針となるような「詩」だと思います。十人いれば十人の意見や価値観があります。それが自分にとっては、とてもいやなものに思えてもさけることができないのが現実です。それが生活でしょう。新しい職場にうつって一週間、誰もが理解してくれないことも自分にとっては必要なものなら大事なことだと思います。大事なことは、他人の価値観ではなくて、自分が成長できる価値観をもつことでしょう。他人のいうことにブレることないものをつくる毎日を送っていきたいと思います。今、自分のできることしかできない現実を励ましてくれる詩だと思います。



 今月と来月、いままで地方から東京に来て一緒に働いていた人、二人があいついで東京での生活をただんで故郷に帰る知らせを聞きました。
 ぼくも東京にきたころはよくお世話になった人たちです。考えてみれば、お世話になるだけだったような気がします。ちょうどNHKの朝の連続ドラマの「ひよっこ」のような生活でした。見るもの食べるものが面白くて、都会の満喫した時代でした。この都会で半世紀以上住んだことになります。
 東京を去る両人はどんなお思いでいたのでしょうか。
 6月送別会をやる予定です。そんなことも聞いてみようと思います。

■「女三界(さんがい)に家なし」という言葉あります。意味は「三界」は仏語で,欲界・色界・無色界,つまり全世界のこと。女性はは「三従」といって,幼い時は親に従い,嫁に行っては夫に従い,老いては子に従わなければならないとされるから,一生の間,広い世界のどこにも安住の場所がない。女に定まる家なしという意味だそうです。
 ぼくは、この言葉を現代風に言えば、女性だけにいえる言葉ではないのではと思います。けっきょく「根なし草」という言葉がうかんできます。都会に住む地方出身者にとっては、都会では会社に従い「過労死」、町では金銭に従い「低賃金」、老いては若者の勢いに押されて従い「一緒に歩けない」…、と行き場を失って最後は「孤独死」と。日本はますますこの方向に向かっているように思えてしまう。



 今週は異動してやっとまともな仕事ができるように落ち着いてきました。後は、同じ引っ越しをしたこれまで一緒にやってきた新聞と月刊誌がうまく動いていくサポートです。バタバタとしていましたがどうにか動き始めたようです。おそらく、これが落ち着いたら反省会でもやってみる必要があると予定しています。それにしても、こんなことをどうして、やるべき人が提案してこないのか…、やりずらいですわ。
 それでは今週はこの辺で失礼します。
 来週は、月刊誌の責了日。うまくいくといいのですがこちらが非常に心配です。初めてなのでサポートに行く予定です。

 それにしても毎回同じであきているでしょうか?すいません。
 では、読んでくれた人、ありがとうございました。

連休明けはきびしい…

2017年05月07日 | Weblog

 こんにちは…。
 5月の連休も終わりですね。今年はどんな休みでしたでしょうか。
 天候にもめぐまれ、新緑の季節を楽しめたのはないのでしょうか。
 終わってしまえば、早いものです。誰しも、スケジュールがあるとは限りませんが、そえれでも始まりと終わりはいつかきますが…。

 毎年、「あれも、これも」と休み中にやっておきたいことが頭をよぎったわりには、終わってしまえば毎年同じということが多いです。
 ぼくは、これまで両親が健在な時は田舎に帰っていました。とくにこの時期はどんなに混雑していようとそれを楽しむかのようにしていました。それが、この連休の楽しみでもありました。
 高速道路の渋滞であれ、新幹線の満員であれ、その混雑さのなかを楽しんでいたように思えました。若さもあり、馬力もあったのでしょうかね。
 今では、田舎に帰る事もなく5月のゴーレデンウィークとやらを聞きながら送っています。
 そして今年も、5月連休恒例の「一日山歩き」もやりました。それでも、毎年会う人や景色は違います。
 今年は、ちょっと経験できないことに遭遇した年でもありました。
 年々増え続くける登山者。まして都心から近い高尾山では、連休ともなれば多くの老若男女の人が山歩きを楽しんでいます。この日は、一年に一回の人も、毎週の人も、この日は同じ登山者です。



 今年はこれまでの経験でない遭遇がありました。
 これまで何度も歩いている登山道でのことでした。上空を消防庁のヘリコプターが転回していました。「事故かなー」と思いつつ歩き続けると、細い登山道に救助隊らしきオレンジのユニホームをきた人たちが固まっていました。その中心には、救急タンカの横になっている人。そして、その友人たちが心配そうにしていました。
 登山中、心肺停止の状態になったようです。いつもはなにもない、目の前の登山道で。人口マッサージをしてもまだ起きないようでした。
 こんなこともあるんだなーと思いました。

 これまで高尾山を歩いていてこんな経験は初めてでした。登山は、普段平地で歩くより心臓の鼓動は多くなります。まして、自分のペースで歩かないとますます、体への負担は大きくなります。
 ぼくは、山歩きのとくに注意していることは通常ではなくなる体への負担をできるだけいつものように軽くすることです。思いリュックを背負い、足腰に負担をかけ、さらに体をささえる心臓の動きにはとくに注意が必要だと思っています。できるだけ、体に平地でいるような動きにしていく。ハーハーと息がきれるほどにならないように急がないことや水分補給をこまめにする。また、こまめに食物を食べておく。そしてゆっくり、できるだけゆっくりと歩くように気を使うようになっています。



 今回は天候にめぐまれ、涼しい風がとても気持ちがいい一日になったように思います。さらに、リュックの荷物を軽くしました。いつもは、ガスコンロをもっていくのですが今回はやめました。荷物が軽いということがこれほど楽なこととは思いませんでした。次回からは、これもいいと思います。(これだと、残念なことに好きなコーヒーはあきらめなくてなりませんが…)

 ※ちなみにこの日歩いた距離は20㎞でした。帰りは小仏から高尾まで歩きました。道路わきに咲いている花を見るのも楽しいものです。うんがよければ、カジカカエルの声も聞こえます。今回は聞けませんした。
 連休中の登山者のけがや事故が多く多発しています。
 6日の朝日新聞には「山の事故6人死亡」という記事が載っていました。小学生(9歳)がトレッキング中足を滑らせて約30メートル下に転落して亡くなっています。さらに、北アルプスの岩壁をを登っていた男性(73歳)の男性が転落。雪崩にも巻きこまれた方もいました
 登山中の事故は注意していても起きる時は置きます。
 楽しいはずの山歩きが一転して、事故に遭遇して自然のきびしさに生命の危険を身をもって体験してしまいます。自然の厳しさを謙虚に受け止めなければなりません。いっぽうで、厳しいからこそ私たちに与えてくれる感動も大きいのだと思います。自然の対して人間のできることは何か、自分と向き合わせてくれる時間のなかでゆっくり考えてみることも大切なときだと思います。



 もう一つの連休中の大イベント「憲法集会」にも参加してきました。
 「国際展示場」前のロータリーではさっそく、ぼくの好きな弱小政党の演説もやっていましたので聞いていました。内容は、憲法から共謀罪まで政治の話題満載でした。そして、その隣の機動隊柵前では右翼でしょうか、ヘイトスピーチそのものの暴言が飛びかっていました。まったく「うるさい!」そのものでした。あきらかに意見をいっているのではなく、演説を妨害している形に見えました。
 こんな中でも負けじと演説をする社民党応援はけなげに見えました。今年の都議選の候補もいました。都議会議員にこの政党の存在は大事でしょう。国会でも同じですが…。
 どうしてこうなってしまうのでしょうかね。
 そんなに言いたいことがあれば、政党でも起ち上げて意見を言えばいいのではと思えます。フランスで極右政党があるように、日本でも意見を述べる政党をつくればよいのです。それしても、こんなにうるさい集団をなぜ排除しないのでしょうか。この辺もよくわかりません。
 憲法施行70年の今、もういちど憲法の意味を問う70年でしょうか。

 6日付朝日新聞に憲法70年について作家の半藤一利さんがおもしろいことを書いていました。「軍隊による安全」から「軍隊から安全」という言葉でした。憲法9条で書かれている「戦争放棄」で重要な平和主義に関することをいっているのだろう思います。自衛隊を軍隊としようとする今の安倍政権の主張を考える大事な言葉だと思います。戦争をしていた時代、軍隊によって危険を回避された一方で、軍隊によって亡くなった人もたくさんいました。要は軍隊によっての安全はあり得ないということだと思います。

 憲法70年。人の一生では「古希」にたります。だからといって「古い」ということではないでしょう。大事なのはこの憲法があったからこそ、日本は他国の戦争にも巻きこまれずにきたということではないかと思います。
 憲法は時の政治権力者を縛る法律でもあります。
 その時代の政治家の行動は本当に人々が「平和に」「人権が尊重され」「労働者が安心して働ける」「教育が平等に」という約束事を守っているか、検証すための時代の「鏡」でもあるのだと思います。
 これを変えるということは、その時代の為政者の政治が問われなくてはならないと思えます。
 ……などなど、考えた日でした・


 早いものですね。
 若い時には連休といえば、何人かが集まっていろいろとスケジュールをつくり行動していたように思います。そこには、ワイワイガヤガヤという混雑さがあっても楽しい休みがありました。今ではみんなそれぞれの生活があり、病気をかかえる人もふえました。自分の体と相談しながらの連休になってきました。
 働いていれば休みはないよりもうれしいものです。何をすれでもない一日になってしまうかもしれませんが、労働という拘束から離れて心も体も休日になります。リフレッシュできる時間でもあるのでしょう。
 元気なひとも病気の人も心身をゆっくりできるのが休日でしょう。自分の好きなことを考え、時間を自分のために使うことのできる休日は多ければ多いほど大賛成です。

 「明日もう一日ある…」と思って過ごした連休も終わりは必ずあります。
 この連休にどんな経験や思いを持ったのでしょうか。
 そんな経験や思いはまたはじまる日々の仕事のなかできっと生かされることを期待しています。



 また明日から仕事です。
 明日は本社異動2日めになります。まだ、仕事らしいことはしていません。少しずつ、自分の守備範囲を広げて、さらにそこで出会う人々…。そんなことを期待しつつ始まりそうです。
 今週、二人の知人が故郷へ帰る連絡がありました。それぞれ、東北と中国地方へ帰るそうです。東京にきて半世紀以上。とうとう定年して、年金も満額でることになってのことでした。
 友達としてながい間、励ましてくれた人でもありました。
 自分の最期の場所は自分で決めることも大事な選択でしょう。
 では、ぼくはどこにいるのでしょうか。
 寂しいかぎりです。同年代の知人がだんだんすくなくなっていくのは加齢で仕方がないことですが、帰ってからも元気で過ごしてほしいものです。ときどき便りなどもしようと思います。

 さあ、明日から新任地で心機一転!!がんばろうかなあ。
 まあ、ここでボチボチ始めます。今度は一人ではありませんから結構、休みも取りたいものです。正直なところ、自分のやりたいことをやっていきたい職場にしたいですね。
 この休み中にやり残したことは、本の整理でした。もうたくさん読めそうにもありません。再読したい本を残して整理していこうと思案中…。
 それでは今回はこのへんで。
 読んでくれた人、ありがとうございました。