日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

日々のアクセントにスイッチを入れて……

2012年05月27日 | Weblog


 こんにちは。
 連休を楽しみにしていたと思ったら、5月も終わりです。今月は、どんな1か月だったのでしょうか。

 今月、とくに印象に残っている出来事は「日食」「スカイツリーオープン」「登山者の事故相次ぐ」(私もその一人)などが思い出されます。

 私にいちばんの出来事は、今でも事故をひきずっている登山の事故でした。
 やはり、人はだいたい他人事が多いなかで、自分の身に起こったことは強烈です。当たり前でしょうが自に痛みがあることで残るのでしょう。

 最近、朝の通勤の形を変えてみました。おかげで、自宅のローカル線から会社の最寄りの地下鉄の終点まで4回も乗り換えていくようになってしまいました。しかし、これで、うまくいけば全工程で座っていくことが可能になる確立が高くなってきましたので、少しは楽になりましたよ…。

 毎日、自分のとっていちばんいい形をつくりこと「生活にアクセント」が大事だなと考えます。それには、日々の生活のなかでよく観察し、空いた時間をうまくみつけて、自分にとってやさしい、気をつかうところを見つけることも大事なんだと思いました…。

※還暦野球チームが元気な一枚
 休日の朝、散歩をする多摩川の土手。今年も例年どおり、グランドでは、老若男女がスポーツを楽しんでいます。そんななかでも、還暦でも野球を楽しむ人たちの野球の試合。
 みんな、体の動きはいまいちなのですが、それをカバーする技術はすばらしいものを見せてくれます。「いぶし銀」の輝きをみせるプレーヤーもいます。
 これは、知識ではなく、これまでの練習や試合出のプレーのなかで得とくした技術が体にしみついたのでしょう。
 誰でにでも、そんなところはあるのでしょう。それが、自分にとっていちばん負担のかからない、楽しいものになっているのが大事かな…と思えます。


 季節は、少しずつ梅雨にむかっていくのでしょう。私は雨はきらいですが、自然との付き合い方の好きな日本人らしく、今年は一工夫で楽しめたらいいと思います。



「小指のけが」は順調に回復見込み中……毎日、ギブスをはずし、取り替えるのが大変(約10分程度)ですが。もう少しです。あとは、リハビリとか。




        

 5月の読書
今月、連休などもあり、読書はあまりしていませんでした。天気がよければ、ほとんど外にでて遊んでいましたし…。
正直、サラリーマンでありながら、ほとんど仕事の本は読んでいないことに気がつきます。別に、会社をささえる幹部になろうとも思わないし、まして取締役などという野望は皆無です。むしろ、会社は生活するためにひとつの手段(道具)のように考えています。

でも、人間関係でいちばん多く持つのは会社の中ですから、楽し頑張れる職場がいい…というのはあります。生きて、お互いが生身の関係のなかで、向上心があり、励まされたり、悩まされたり…と、これが社会ということなのでしょう。それは、それで大事な側面です。日々の仕事をうまくやる…ことは、むしろ技術的なことより、人間関係が大事なことだと考えます。そんなことを思うと、いろんな「人生」にめぐりあう意味で読書はひとつの手助けになっていてくれるのでしょう。

さて、今月はそんなこともあり、会社に関する本も読んでみました。また、自然が大好きな姪っ子に紹介されたレイチェル・カーソンの本も読んでみました。とくに、原発事故がおきたことがスイッチになっているのだと思います。いまだに解決の方向も、模索されているなかカーソンの警告は大きいでしょう。

■私、社長ではなくなりました。ワイキューブ7435日/安田佳生/プレレジデント社

【内容】
 若者が自分の思いをもち起業した会社のはじめから終わりまで、経営のありかた、社員への思い、銀行とのやりとり…となまなましく語った一冊。会社はどういうふうに成り立っているのか、さらに、社長となって自分の手腕がどこまで通用したかの反省も踏まえて書かれている一冊です。いずれにせよ、会社経営をして著者がいちばんいいたいのはきっと「本当にやりたいことと、できることの違いを会社という組織のなかで経営のありかたから反省」だったと読める。そらに「会社とは」ということへのテーゼだったのかもしれない。

・私、私利私欲の塊だった。なぜ、私たちが会社をつくったのか。そして、破綻させなくてはならなかったのか(p7)

・それを真面目に考えて生きている人のほうが、やりたくないことに不満を並べながら流されて生きている人よりも、よほど真剣に生きていると思う(p40)

・社員がやる気を出して働ける職場にするにはどうすればいいか、リクルートのようにモチベーションの高い会社にするにはどうすればいいのか(p45)

・みんな責任をとるということは、誰も責任をとらないのと同じである。みんなの問題だ捉えているうちは誰も本気で考えないからだ(p99)

・大きな会社と互角に戦うにはゲリラ的なことも必要だった。常識に反抗し、挑戦して、常識を超える。そのことが私にとって、自分らしく生きることだった(p112)

・年収アップを実施したとはいえ、その分の原資が自分たちにあったわけではなかった。給料のすべて、借り入れ資金だった(p149)

・社員が共有すべき価値観や行動指針を明示することで、社員がひとつの目標を共有したり、自社の魅力を顧客に伝えていくことができる(p156)

・景気のいいときに「借りてください」と銀行のほうからやってきた……。借金して称賛されるのには驚いた。当時はワイキューブの業績もよかったから、銀行からしれば上得意だったかもしれません(p160)

・私にとって会社はたんに仕事をする場ではなかった。人生を共有する場であり、生きていく場であるような気がした(p196)

・そして、何よりも、自分はこう考えている、こう生きているという想いを表現する場だった…会社というのは仕事をする場である。利益を上げていくことが会社の存続していくための前提条件なのだ。会社を経営していくには技術がいる。その技術が、私には足りなかった。伝えたい想いだけが先行していた。文章の下手な小説家のようなものだった(p197)

・会社を大きくするためには投資をすれば、その分リスクはあるし、投資をしなければ、また別のリスクがある。つまり、どちらをとるのか選択なのだ。結果的に会社をつぶしてしまうことになったが、投資したこと自体間違っていたとは思わない(p201)


【感想】
 世に出ている経営者の本は多い。
 そして、その多くは成功のことである。失敗談はすくない。
 そのなかで「私は、社長でなくなりました」は稀有な一冊だ。

 自分の生い立ちから、経営理念をちくり「ワイキューブ」という会社をたちあげた。
 当初は、経営実績も、銀行の借金をしていてもやっていける会社だった。その時代、社長業も経営理念も合致して突き進んだ。それも、会社の経営も独断で決める日々だった。
 理念と経営実績のギャップが少しずつでてくると、理念ばかり先行して借金の苦しくなっていく。

 さて、ワイキューブはなぜ破綻してしまったのか?
 社長いわく「利益をあげるためには多くの投資が必要。その投資を社員に…これでいいと思った」
 しかし、破綻してしまうとなんでも裏目にでていってしまう。それは、理想と現実はちがう…ということだろう。

 自分の理念に近づけていく努力(創意・工夫)は大事ことだと思う。そして現実としては他社との競争。弱肉強食の資本主義社会。
 自分の会社の弱点をできるだけ小さいリスクに変え、利益をあげ、会社を存続させていくのかがあってよかったと思う。
 しかし、結果、民事再生法にゆだねる結果となってしまう。

 読み終えて、世界はリーマンショック、円高ドル安、粉飾決算など関係が利益をあげる会社ほど強くなっていく。しかし、大企業は損も大きいが利益も大きい。
 会社は生きて呼吸しているようなものだ、血液中に酸素をおくることがなくなれば終わる。それが、投資(借金)であったり利益であったりする。そう考えると、社長は存続を必死で食い止めようとねばったように思う。

 当初、読み終えて、「ざまあみろ!」と思った反面、少なくとも自分の主張を社員に実践してきたことはすごい…と思う。そして、自分の失敗を正直に語っているところは、次につながる一歩だと思う。
 また、会社のあるべき姿のようなものを、この失敗は破綻だけに終わらせていないように思う。ライブドアよりまだいい。次を期待したい人だ思った。

■失敗の本質/戸部良一他/中公文庫


【内容】
 戦争でいちばん大事なことは、どうやって終結させるかということだとういわれる。負けた勝ったは結果で、その間、多くの人の生命が犠牲にさらされ、負けた方は多くの賠償金や領土や資源までもとられていく。
 そして、戦争首謀者の責任問題となり、つくずく苦しむのは戦闘にもいかず、その恐ろしさに日々苦しむ市民だ。

 おおよそ、戦争そのものがいいわけがないのだが、ここであえておこしてしまった戦争、大東亜戦争(太平洋戦争)について、日本軍はなぜアメリカ(連合軍)に負けてしまったのか。資源の有無もあるだろうが、ここでは戦略・戦術の面から、日本がとった行動を分析し総括したのが「失敗の本質」である。

 本書では1:ノモハン事件、2:ミッドウェー作戦、3:ガダルカナル作戦、4:インパール作戦、5:レイテ作戦、6:沖縄戦の6つの戦争から日本がアメリカとの戦争でとった行動を分析し、その失敗を分析している。
 最後に、失敗の本質も分析し紹介している一冊。

・より明確にいえば、大東亜戦争における諸作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗ととらえ、これを現代の組織にとっての教訓、あるいは反面教師として活用することが、本書の最も大きなねらいである(p23)

・ノモハン事件は日本軍の近代戦の実態を余すところなく示したが、大兵力、大火力、大物質量主義をとる敵に対して、日本軍はなすすべを知らず、敵情不明のまま用兵規模の測定を誤り、いたずらに後手に回って兵力遂次使用の誤りを繰り返した。情報機関の欠陥と過度の精神主義により、敵を知らず、己を知らず……中央と現地の意思疎通を欠き、意見が対立すると、つねに積極策を主張する幕僚が向こう意気荒く慎重論を押し切り、上司もこれを許したことが失敗の大きな原因であった(p68)



・後日更新……つづく


■失われた森/レイチェル・カーソン/集英社文庫


後日更新……つづく




 通常定年は60歳。
 とはいうものの、65歳の定年制は時間の問題。それが、証拠に60歳定年では退職金を得ても生活できないのが現実……となる。それで、「再雇用」ということが出てきた。

 私の勤める会社でも毎年、一人か二人のずつこの60歳定年で「再雇用」を受け入れて働いている人も多くなってきた。

 私の友達も今年、この定年なる人がいる。しかし、彼は「再雇用」は受けていれていない…と聞く。
 理由は「想像におもかせ……」とか。
 でも、私にはわかるような気がする。
 お客からクレームを言われ、現場からも言われ、挙句の果てに上司からの理不尽なことも言われ、息をする場所もなくなってしまっているようなことがあるのでしょう。さらに、会社も二店舗になり、いっしょに愚痴をいう時間もなくなり、呼吸さえつらくなったのではないのでしょうか。

 そして個人的な理由。
 「家のローンもないし、子どもはそれなりに大きくなったし、これからは自分のためにのんびり、近くでできる程度で仕事をして、農業でもやるよ……」と。

 条件があれば、それはいいことだと思う。
 それを聞いて、私の場合はいったい、どうなるの……と、不安に思った。
 これからは「自分にかかわる」ことになる。職場も大変なのに、と思った。
 いずれにせよ、わたしも時間の問題であとにつづくことになるだろう。そのとき、いったい、自分が何をやってきたのか、何をしたかったのか…といことが問われるのだろうと思う。

 今は自分のいるところで、いかに快適に仕事やっていくるうのか、ということが大事だと考えている。息をぬくところ、力をいれるところ、と日々の生活のなかでアクセントをつけつつ、がんばるしなないようだ。
 誰のためにじゃなくて、自分のために。客の励ましも時々、聞き入れてやっていくしかないのだろう。理不尽な上司もいるが、それは、それでやっていくしかない。それが、自分なのだということを確認しつつやっていくだろう。

 政治に期待はなくなったような気もする。消費税と社会保障の一体化……などといっているが、結局は税金をあげることだろう。それが、本当に保障させるかは別問題。なぜなら、政権はすぐ変わるのだ。変わる過ぎるくらい変わる…であれば、自分の生きているときはいい思いがしたい……となるだろう。そんな政治は原発でも同じ、永久不変な政治改革を約束するものを追求する政治ができていないなあ……と思う。


 来週、送別会でもっと話しておこうと思う。
 


 季節は、いまがいちばんいいのかもしれない。もう少したったら、毎日雨の梅雨がやってくる。
 そして、まだ、完全に地震の心配がなくなったわけでもない。さらには、原発の事故後、少しずつは明らかになってきた、あまりにもいいかげんなこれまでの原子力行政の内幕。これが、「日本の安全」かと。
 報道されるたびにやりきれない気がした。こんなことに、税金が浪費され、挙句のはてに放射能汚染、ではやりきれない。しかし、これが現実なのだろう。

 人生一度だけ……替えはないのだからね。
5月もおわり……6月へ。一ヶ月、お疲れさんでした。
また、がんばってやっていくしかないか。
*読んでくださった方、ありがとうございました。




小指の思い出…長期戦です

2012年05月20日 | Weblog


 こんにちは。
今月も終わりに近づいています。
 散歩をしていると、日々初夏の様子が身近になってきています。電車も冷房がはいり、遠くに見える富士山の頂も日々、雪が溶けていく様子がみえます。

 病院で治療をまっていたら、突然地震がありました。7階にある診察室では、高齢者が多いせいか気長に停まるのをまっている人たちに感心してしまいました。まだ、地震はありますね。

 土曜日の午後、利根川水系の浄水場で処理した水から有害物質のホルムアルデヒトが出て、埼玉、千葉、群馬で部分的に取水停止というニュースがありました。
 停止された市では、給水車が出動して市民に水を供給していました。
 原因は翌日になっても不明のようです。

 生活の根幹にかかわる「水」。
 原因をつきとめ、誰でもわかる説明が必要に思います。

 来週早々(21日)北陸、北海道、東北など日本全国で天候がよければ、「金環日食」見られるそうです。全国でみられるのは、920年ぶりとのこと。

 この日を待ちにまって人たちもいるのでしょうね。それが、証拠にこの日、太陽をみるグッズが売れているそうです。
 時間をみたら、私は通勤電車の途上です。
 太陽、月、地球が一直線上に並んで結果、太陽が欠けたように見える、これこそ千載一遇の瞬間、みなさんはどこで、何をしているのでしょうか。
 
 東京で次にみえる「金環日食」が見られるのは300年先だそうです。私は、骨になっています……ね。
 このことを考えていたら小説の『金環蝕』(石川達三著)と一冊を思い出しました。こちらは、政治の世界を舞台にした中身。
 総裁選にむけた政治家たちの暗躍を描いた小説です。多くの金が動いた金権政治の時代を描いた本です。いまだに、ある政治の世界ではないかと思います。「原子力村」もその利害で動いている政治……ともいわれています。
 
 と話しが横道地にそれましたが、思いだすままに…。
 いまだに天災、人災の復旧もままらない日々。
 そんな日常の、ヒトコマ。私には正直いってどうでもいいことです。
 むしろ、放射能が心配の日々です。そして、昨日の水質のこともあります。
 さらには、明日からの仕事のこと…。これが現実です。

※写真はいつも利用しているローカル線のスナップ。
 毎日乗って一日が始まっていく……。
 1時間に4本、午後10時過ぎには3本。平時、通勤に利用していると「不便だ!」と一人怒っている自分がいる。休日にはそんな思いも消え、のんびり電車を待っている。怒りも消え、小さなローカル線だが、かわいく見えるから不思議だ。

 ちょっと不便なローカル線だが、唯一の自慢は利用して15年あまり、「人身事故」ということでを聞いたことがない。そして、車両の不具合で停まったためしがない。不便だが確実だ。必ず時間にはきてくれるという安心感がある。

 便利さを追求するあまり、その便利さや速さを自慢に、あげくの果てに「何分遅れ」などということをよく聞く他の路線とも違うようだ。
 本当は、私は、忙しさをで便利さや速さを享受するほど忙しく生きているような存在でもない。
 この路線は、速さに振り回されて、競合して、人を楽しませてくれる路線でもないようだ。ただ、時間に一直線出で約束を守ってきてくれる人のような安心感だけはあるローカル線。
 発車オーライと今日もワンマンがきてくれる。
 ちょっと不便だが、怒りもするが、よくよく考えてみるとこの路線の魅力は愚直に安心感を運んでいるのかもしれない。
 ほめすぎかなー……。





 散歩途中、バラがきれいにさいていました。神代植物園に来週あたりに行ってみましょうか。こんなに美しく育てるには手間がかかる。
 (経験者は語る)



◎ワタミ不正残業(5/17東京:2335)
 新入社員の森美菜さんが過労自殺したワタミフードサービスでは、違法な手続きで、従業員に時間外労働をさせていた。会社から一方的に提示された労働条件を受け入れるしかない従業員の弱みに残業させ、労使対等とは名ばかりという。


■残業をやるときは、自分の都合ではなくすべて会社の都合でやるわけだから、何か従業員に不利益なことがあってはならないはず。まして、そのことで健康が害された…となれば、直属の上司が管理責任が問われるはず。現実は、しかし、うまくいっているところはないと思う。下請け、孫請けは大企業から仕事回してもらっているということで、請け負う方はどうしても残業になって期日までに納品しなくては契約を切られてしまう……という弱味がある。さらに、つねに人員不足となれば、さらに時間外労働を強いられる。これが現実。
こういうニュースを聞くと、いつも泣かされるのは下請け、という構図。

◎大飯原発の再稼働反対の後援会拒否(5/19朝日:2344)
 関西電力大飯原発がある福井県あおい町ホールが、再稼働に反対する市民団体からの講演会の予約を断っていた。


■ホールを貸すことを断った理由が、その日に違う会議がはいっていたため断ったという。本当にそうかは不明だが、さて、違う日であれば貸すのだろうか思った。いま、大事なのは、「稼働するかいなか」より、原発の放射能の危険性や実際の福島の事故を全国に知らせることだろう。それは、稼働するにせよ、停止にせよ、その真実を伝えて初めて選択のあるのだろう思うだが…。

◎裁判員制度が実施されて今月3年をむかえる(5/19東京:2346)
 裁判員制度によって、いままでに裁判員経験者:28,074人。判決を言い渡された人:3,690人。死刑:14人。無期懲役:76人。無罪:17人という結果が現在までに出された。その体験は参加者さまざまだった。


■裁判員制度になっていろいろあったが、体験者は自分の人生まで変わった…という人までいた。死刑の判決はあまりにも過酷だと思う。そこまで、立ち入ることができるのか……、賛成多数(全員一致)とはいえ、判決をだした人まで事件に一生かかえこむほど日本は考えたり、討論したりする時間を保障してるのか、という疑問が残る。証拠がでても、それが本当かどうか、検察の事件もあったりして信じられないこともあるのに……。

◎ケータイ一人1台時代(5/19朝日:2341)
 総務省は18日、携帯電話の普及率が今年3月に末時点で一人1台を超えたと発表した。


■この便利さが本当に人間の暮らしを便利しているのか。では、携帯が使えなくなった人生、考えたことがあるのか……。普及はいいが、弊害はあまり語られない。最近、下ばかりみている人たちが危険だ思うのだ。どうにかしてくれ!。下ばかり向いて歩いていて、いつかけがするだろうなあ。



 ゴーレデンウィークでの小指のけがはいまだひきずっている生活を送っています。
 一週間後、また病院にいってきました。
 いつ行っても、整形外科は混んでいますね。
 突然、落語の「中川家の人々」を思いだしてしまいました。まあ、お年よりの多いことには驚いています。いまさら、思うのですがちょっと、気をつければけがはなかったのに…と思うものが多いようです。また、体に電気をかけてマッサージをする人も多いようです。

 いずれにせよ、高齢で体の調子もあちこち痛みがでてくるのは仕方がないことです。生活に支障が出るようであれば、病院で治療をするしかないのでしょう。

 私の毎日、固定ギブスに包帯をまいて仕事もやっています。これで、一番困ってしまうのが手を洗うときの小指の部分がぬれてしまうこと。ぬれてしまうと、ギュッとしめつけられるようで痛みがましてきます。
 診断の結果、いまだ、けが部分が腫れているようです。

 その後の様子は、2週間おきにまた診療にいくという生活です。先生いわく「とにかく、固定した部分を6週間ガマンで頑張るしかない」との診察。ガマンができない場合は「ドロップオウトで小指の第一関節部分は曲がった部分になります…」とのこと。
 いまだ、治療途上……。
 一日の終わりには、一人ではどうしても包帯がまけないため、妻に手伝ってもらっています。これが、終わると今日一日が終わったという日々です。

 こんな思いでも、いつかいい経験になっていくのだと思います。そして、さらに山歩きの下山には、いままで以上に注意していくことでしょう。こんなことがない限り、学習をしない人間のおろかさを感じています。



 最近はへんな雲がでます。気象庁も、雨、風、雷、竜巻に注意してください……、と。なんでもいえばいいってことじゃないのに。
 当分は、こんな天気予報がつづくのでしょうか。

*読んでくださった方、ありがとうございました。



 
 

初夏に向けて…原発は停まっても

2012年05月13日 | Weblog


 連休も終わり…また、仕事が始まりました。
 今週の月曜日は、なんと憂鬱だったこと…。いつもの通勤電車内でもなにか、みんさん頭が重そうな始まりでした。これは「サザエさん症候群」でしょうか。
 私も今週の始まりが少し、気持が重い週でもありました。

 とは、いうもの、散歩途中で今年もツバメが無心に、巣づくりをはじめているのを見ると、夏も本番なのか…という様子です。ツバメのいとも軽々と飛ぶ姿を見ていると、きっと気持がいいのだろうな、と思います。だんだん気持も軽くなっていくような気がします。

 また。今週は天気が異常でしたね。
 先週に茨城、栃木を竜巻が襲いました。竜巻が通過したあとはガレキの山…。また津波が襲ったのかという様子が、今回の竜巻の大きさをものがたっています。
 「竜巻注意情報」と、気象庁が「F2」(風速50~69メートル)となれない言葉がでてきました。
 気象がなにか異常です。こんな光景はよくアメリカからのニュース映像がみられたのですが、日本でも身近になってきたのは驚きです。どうなっているのでしょうか?
 気象庁の詳細のコメントもまだでていませんよね……。

 さらに、今週、福島第一原発事故以来、東京電力が料金値上げの申請を提出しました。企業むけの電力料金もさることながら家庭まで料金があがることについて、疑問に思います。企業努力もしているなかで、その途中で値上げはないでしょう。大飯原発の再稼働も上げられていますが、値上げと再稼働のどっち取る?のような仕組み、オカシイと思います。
 今月は、沖縄問題、消費税、原発再稼働、電気料金値上げが話題になりそうです。
 日本はまだ、地震が起きている状況。なのに、原発再稼働はないのではないでしょう。だいたい、福島の原発被災住民の問題も解決していないのに、再稼働はないでしょう??。経済優先の日本はどうカジをとっていくのでしょう。




 連休が終わって残ったものは、山歩きでころんだとき手の小指のけが(筋の断絶)。休日をつかって、近所の整形外科に診療にいってきました。
 レントゲンの結果、骨折はまぬがれたものの、小指の第一関節の筋が切れている…診察となりました。
 結果として、小指にギブスで固定して6週間、たたないとつかないそうです。途中、この固定に断念してしまえば、関節は曲がったまま…とのことです、生命に別状はないそうですが、生活に不便が少しあるくらいだそうです……、と。診断の結果でした。いまは、ギブス固定でがんばっています。

 今月、私の誕生日なのにさんざんな、誕生日。
 で……、山はやめる気はありません。
 よくよく考えてみれば、山でのけがでこれで済んでよかったと思っています。骨折でもしていたら、動けなくなっていた可能性もあるなかで、ちゃんと帰って、病院にまで自分の足でいけたのですから…、と思うしかありません。
 とは、いうものの次回からは、雨上がりはとくに油断せず、下山しなけば。
 事故がもっとも多いのは、登りではなく、下山のときだそうです(納得…)。



 連休明け……。会社に出勤したら「ミス」で印刷の冊子でてんやわんや……。
 いつになっても発展しないこの「ミス問題」。
 どうしても、現場の「犯人さがし」がはにまる。これでは、「ミス」も次回に教訓としていかせないと知っていても「犯人さがし」。
 犯人がみつかれば「事故報告」と暗黙のルールにのって始末されていく。本当の原因はおきざりされたまま、とにかく「犯人」なのである。
 最終的には、管理職がお客に謝罪。

 こんな「空気」が職場に、永遠と蔓延している。
 なぜ、ゆっくり話せないのか……と思うことがある。
 なぜ、犯人探しで終わってしうまうのか。
 なぜ、個人に置き換えて終わりなのか。
 仕事には「入り口」から「出口」あで多くの人の過程を経て、ひとつの商品になっていく。これは、当たり前まこと。
 では、そのひとつ、ひとつの過程のなかで、商品になるまで指示、作業をしてきたのか……。それが問われなくしてまた、おきるだろうなあ……と思う。

 ひとつの仕事をもつ「頭」のなかを整理して流れをみないと本当の意味で防止はできない、と思うのだ。
 沈うつな「空気」では、解決できない。本当の「失敗の本質」がでてこないおではないか……、と考えている。
 と、仕事の永遠な課題がまた、連休あけから始まった。
 まだ、これからも続くであろうことを思うと気が重くなるが、これは仕方のないことだろう……と思える。
 とにも、かくにも、少しずつ頭の整理をはじめとしていかなかればと思った週でもあった。



 と……、仕事をして給料を得て、生活をしている以上宿目的な問題はあるように思う。それを片付けるのも仕事なのだと思う。ただ、いろいろな問題があっても、自分がその問題で成長し、新しいものを発見できれば問題があっても進歩できるのだあろう。むやみに、問題を嫌がってもしかたのないことだと思える。

 さて、今週はどん難題が待ち構えているのか、予測しつつ解決の糸口をさがしていきたいものだ。
 それと、小指の治療に専念していければと思う。

*読んでくださった方、ありがとうございました。


5月…特集:新緑のなかで

2012年05月06日 | Weblog


 こんにちは…。
 5月がはじまりました…。
 今年の連休はいかがお過ごしでした。
 せっかくの連休が始まったと思ったらなかなか天気がわるく、行動範囲もせまくなった今年の休みでした。

思えば、いつもなら家族で四国に帰省するのですが、両親も亡くなり、寂しいことに年々、帰省する理由がなくなっていくように思います。帰りたい…、あってみたいな…とか思う反面、現実はきびしいようです。(四国はいいですよ)

 それでも、せっかくの休み。どうにか、天気の日をみつけて行動した週でした。休みの前半は写真美術館へ、後半は高尾に山歩きとできるだけ体を動かしていました。

 ふだんはなかなかできないことをやった週でもありました。
読者のみなさんはいかがだったでしょうか。
自分が生活していて、自然をゆっくり見つめる日をつくっているでしょうか。そして、この自然に感謝したいほどの日を探しあてたでしょうか。

 日々、仕事などで全部、流され時間に追われているようになって自然も人も流れるのなかで見つめてしまっているような自分がいるように思えた連休でした。
 「いったい、自分はどれだけ歩けるのだろうか…」とか「どれ楽しんでいるのだろうか」など、私自身を振り返る休日であった思います。

 連休もおわり、また忙しい日々がまっているにのでしょう…。それでも、つかの間の楽しさをみつけるヒントになったような連休であったと思います。
 さてさて、みなさんはいかがだったでしょうかね。

※今回は、ほとんど連休のことが中心。休みの後半は、ゆっくり新緑の高尾山歩きに行ってきました。低山でゆっくり歩き、新鮮な空気を満喫できた一日でした。




 連休も最終の前日、久しぶりに快晴になったので、新緑を見に「裏高尾」に行ってきました。
 コースは、陣場高原下~和田峠~陣場高原~明王峠~景信山~小仏峠~JR高尾でした。全工程を徒歩で歩きました。
 この時期、山は広葉樹と落葉樹の緑がグラデーションになっていてとてもきれいな景色をつくってけれます。前日、雨がふったため、山道はところどころぬかるんでいたのには大変でした。それでも、風がここちよかったのには救われました。

 


 陣場高原から富士山を眺める。冬は空気がすんでいるのでもっときれいに見えるのですが、この時期は、富士山を囲む緑も美しかったです。
 帰りは、前日の雨の影響で下山する山道が滑りやすく、小仏で滑ってしまって、小指をおもいっきりうってしまって、いまはれています。

 こんなときこそ、気をつけねばと思いつつ帰ってきました。
 おりしも、長野県北アルプスの白馬岳(2932m)、爺ケ岳(2670m)、岐阜県かわさわ岳(3110m)で計8人がなくなったそうです。いずれも「低体温症」とのこと。天気に対応できずに、寒さによって体力が失われた結果だそうです。それも、人生経験豊かな60歳~70歳台の人たちでした。



※再読が必要に思える一冊です。

 事故がおきてからでは遅いことはよくわかります。できるだけ、準備に時間をかけ、装備などには万全を期することが大事なのでしょう。
 山が好きだけでは楽しめない……ということなのでしょう。
 スポーツでも試合より練習が大事ように、山は体力も大事です、さらには楽しむためには装備で、人間をカバーしなければならないということなのでしょう。決して他人事ではないような気がしました。指の打撲くらいですまされないリスクをかかえているのが、自然とむきあ大事な心かまえのように思います。(今も小指ははれていますが…)
 まして、単独登山でよくでかける私によってはなおさらです。




 さてさて、今年のGW(連休)はいかがだったでしょうか?
 いまひとつ、天気にめぐまれなかった連休でもありました。
 この、天候によって、行動計画も変更を余儀なくされた人も多いと思います。わたしも、同じでした。
 天候さえよかったら、ころぶこともなく小指ははれずに済んだのに…とも思います。(仕方がないか)

 地元のおまつりの「くらやみ祭り」も一年ぶりに行われました。そんなに有名なお祭りではないと思うのですが、地元にとっては、この連休中の年中行事です。昨年は東日本大震災もあって「中止」でしたので、久しぶり…。
 これが終わると、夏がきたなか…と思います。
 ご近所のおじさんも、おばさんも、子供も、楽しみにしていたお祭りでもあります。



 過ぎてしまえば、みんないい思い出です。
 自然が相手では仕方のないことです。天気が悪くても仕方がないと思います。むしろ、それを、うまく付き合っていくのが日本人のように思います。

 と、思っていたら、国の全原発が停止したようです。
 さて、これからどんな生活がまっているのでしょうか。停止中に世論も政治も模索があるでしょう。原発は日本の電力の29.2%(経済産業省)にあたるそうです。およそ3割が原発で電力が供給されいたということです。
 これからは、その分を何によって補うかがテーマとなるのでしょう。もちろん、火力、水力、プラス……となるのでしょう。そして、電気のムダをどれだけ出さないようにするか、市民につきつけられたテーマでもあると思います。

●…………………………………………………………………●


 さて、また明日から仕事が持っています。うんざりするか、また新しい発見があるか。日々の工夫が求められるのも仕事です。
 ひところ「五月病」なる言葉が、連休あけには聞かれました。
 大丈夫でしょうか…と自分自身に言い聞かせて、またやっていくしかありませんか……。また、楽しいことをみつけて、そのために必死に働ける自分であればよいと思います。

 お疲れ様でした。
*読んでくださった方、ありがとうございました。