こんにちは。
連休を楽しみにしていたと思ったら、5月も終わりです。今月は、どんな1か月だったのでしょうか。
今月、とくに印象に残っている出来事は「日食」「スカイツリーオープン」「登山者の事故相次ぐ」(私もその一人)などが思い出されます。
私にいちばんの出来事は、今でも事故をひきずっている登山の事故でした。
やはり、人はだいたい他人事が多いなかで、自分の身に起こったことは強烈です。当たり前でしょうが自に痛みがあることで残るのでしょう。
最近、朝の通勤の形を変えてみました。おかげで、自宅のローカル線から会社の最寄りの地下鉄の終点まで4回も乗り換えていくようになってしまいました。しかし、これで、うまくいけば全工程で座っていくことが可能になる確立が高くなってきましたので、少しは楽になりましたよ…。
毎日、自分のとっていちばんいい形をつくりこと「生活にアクセント」が大事だなと考えます。それには、日々の生活のなかでよく観察し、空いた時間をうまくみつけて、自分にとってやさしい、気をつかうところを見つけることも大事なんだと思いました…。
※還暦野球チームが元気な一枚
休日の朝、散歩をする多摩川の土手。今年も例年どおり、グランドでは、老若男女がスポーツを楽しんでいます。そんななかでも、還暦でも野球を楽しむ人たちの野球の試合。
みんな、体の動きはいまいちなのですが、それをカバーする技術はすばらしいものを見せてくれます。「いぶし銀」の輝きをみせるプレーヤーもいます。
これは、知識ではなく、これまでの練習や試合出のプレーのなかで得とくした技術が体にしみついたのでしょう。
誰でにでも、そんなところはあるのでしょう。それが、自分にとっていちばん負担のかからない、楽しいものになっているのが大事かな…と思えます。
季節は、少しずつ梅雨にむかっていくのでしょう。私は雨はきらいですが、自然との付き合い方の好きな日本人らしく、今年は一工夫で楽しめたらいいと思います。
「小指のけが」は順調に回復見込み中……毎日、ギブスをはずし、取り替えるのが大変(約10分程度)ですが。もう少しです。あとは、リハビリとか。
5月の読書
今月、連休などもあり、読書はあまりしていませんでした。天気がよければ、ほとんど外にでて遊んでいましたし…。
正直、サラリーマンでありながら、ほとんど仕事の本は読んでいないことに気がつきます。別に、会社をささえる幹部になろうとも思わないし、まして取締役などという野望は皆無です。むしろ、会社は生活するためにひとつの手段(道具)のように考えています。
でも、人間関係でいちばん多く持つのは会社の中ですから、楽し頑張れる職場がいい…というのはあります。生きて、お互いが生身の関係のなかで、向上心があり、励まされたり、悩まされたり…と、これが社会ということなのでしょう。それは、それで大事な側面です。日々の仕事をうまくやる…ことは、むしろ技術的なことより、人間関係が大事なことだと考えます。そんなことを思うと、いろんな「人生」にめぐりあう意味で読書はひとつの手助けになっていてくれるのでしょう。
さて、今月はそんなこともあり、会社に関する本も読んでみました。また、自然が大好きな姪っ子に紹介されたレイチェル・カーソンの本も読んでみました。とくに、原発事故がおきたことがスイッチになっているのだと思います。いまだに解決の方向も、模索されているなかカーソンの警告は大きいでしょう。
■私、社長ではなくなりました。ワイキューブ7435日/安田佳生/プレレジデント社
【内容】
若者が自分の思いをもち起業した会社のはじめから終わりまで、経営のありかた、社員への思い、銀行とのやりとり…となまなましく語った一冊。会社はどういうふうに成り立っているのか、さらに、社長となって自分の手腕がどこまで通用したかの反省も踏まえて書かれている一冊です。いずれにせよ、会社経営をして著者がいちばんいいたいのはきっと「本当にやりたいことと、できることの違いを会社という組織のなかで経営のありかたから反省」だったと読める。そらに「会社とは」ということへのテーゼだったのかもしれない。
・私、私利私欲の塊だった。なぜ、私たちが会社をつくったのか。そして、破綻させなくてはならなかったのか(p7)
・それを真面目に考えて生きている人のほうが、やりたくないことに不満を並べながら流されて生きている人よりも、よほど真剣に生きていると思う(p40)
・社員がやる気を出して働ける職場にするにはどうすればいいか、リクルートのようにモチベーションの高い会社にするにはどうすればいいのか(p45)
・みんな責任をとるということは、誰も責任をとらないのと同じである。みんなの問題だ捉えているうちは誰も本気で考えないからだ(p99)
・大きな会社と互角に戦うにはゲリラ的なことも必要だった。常識に反抗し、挑戦して、常識を超える。そのことが私にとって、自分らしく生きることだった(p112)
・年収アップを実施したとはいえ、その分の原資が自分たちにあったわけではなかった。給料のすべて、借り入れ資金だった(p149)
・社員が共有すべき価値観や行動指針を明示することで、社員がひとつの目標を共有したり、自社の魅力を顧客に伝えていくことができる(p156)
・景気のいいときに「借りてください」と銀行のほうからやってきた……。借金して称賛されるのには驚いた。当時はワイキューブの業績もよかったから、銀行からしれば上得意だったかもしれません(p160)
・私にとって会社はたんに仕事をする場ではなかった。人生を共有する場であり、生きていく場であるような気がした(p196)
・そして、何よりも、自分はこう考えている、こう生きているという想いを表現する場だった…会社というのは仕事をする場である。利益を上げていくことが会社の存続していくための前提条件なのだ。会社を経営していくには技術がいる。その技術が、私には足りなかった。伝えたい想いだけが先行していた。文章の下手な小説家のようなものだった(p197)
・会社を大きくするためには投資をすれば、その分リスクはあるし、投資をしなければ、また別のリスクがある。つまり、どちらをとるのか選択なのだ。結果的に会社をつぶしてしまうことになったが、投資したこと自体間違っていたとは思わない(p201)
【感想】
世に出ている経営者の本は多い。
そして、その多くは成功のことである。失敗談はすくない。
そのなかで「私は、社長でなくなりました」は稀有な一冊だ。
自分の生い立ちから、経営理念をちくり「ワイキューブ」という会社をたちあげた。
当初は、経営実績も、銀行の借金をしていてもやっていける会社だった。その時代、社長業も経営理念も合致して突き進んだ。それも、会社の経営も独断で決める日々だった。
理念と経営実績のギャップが少しずつでてくると、理念ばかり先行して借金の苦しくなっていく。
さて、ワイキューブはなぜ破綻してしまったのか?
社長いわく「利益をあげるためには多くの投資が必要。その投資を社員に…これでいいと思った」
しかし、破綻してしまうとなんでも裏目にでていってしまう。それは、理想と現実はちがう…ということだろう。
自分の理念に近づけていく努力(創意・工夫)は大事ことだと思う。そして現実としては他社との競争。弱肉強食の資本主義社会。
自分の会社の弱点をできるだけ小さいリスクに変え、利益をあげ、会社を存続させていくのかがあってよかったと思う。
しかし、結果、民事再生法にゆだねる結果となってしまう。
読み終えて、世界はリーマンショック、円高ドル安、粉飾決算など関係が利益をあげる会社ほど強くなっていく。しかし、大企業は損も大きいが利益も大きい。
会社は生きて呼吸しているようなものだ、血液中に酸素をおくることがなくなれば終わる。それが、投資(借金)であったり利益であったりする。そう考えると、社長は存続を必死で食い止めようとねばったように思う。
当初、読み終えて、「ざまあみろ!」と思った反面、少なくとも自分の主張を社員に実践してきたことはすごい…と思う。そして、自分の失敗を正直に語っているところは、次につながる一歩だと思う。
また、会社のあるべき姿のようなものを、この失敗は破綻だけに終わらせていないように思う。ライブドアよりまだいい。次を期待したい人だ思った。
■失敗の本質/戸部良一他/中公文庫
【内容】
戦争でいちばん大事なことは、どうやって終結させるかということだとういわれる。負けた勝ったは結果で、その間、多くの人の生命が犠牲にさらされ、負けた方は多くの賠償金や領土や資源までもとられていく。
そして、戦争首謀者の責任問題となり、つくずく苦しむのは戦闘にもいかず、その恐ろしさに日々苦しむ市民だ。
おおよそ、戦争そのものがいいわけがないのだが、ここであえておこしてしまった戦争、大東亜戦争(太平洋戦争)について、日本軍はなぜアメリカ(連合軍)に負けてしまったのか。資源の有無もあるだろうが、ここでは戦略・戦術の面から、日本がとった行動を分析し総括したのが「失敗の本質」である。
本書では1:ノモハン事件、2:ミッドウェー作戦、3:ガダルカナル作戦、4:インパール作戦、5:レイテ作戦、6:沖縄戦の6つの戦争から日本がアメリカとの戦争でとった行動を分析し、その失敗を分析している。
最後に、失敗の本質も分析し紹介している一冊。
・より明確にいえば、大東亜戦争における諸作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗ととらえ、これを現代の組織にとっての教訓、あるいは反面教師として活用することが、本書の最も大きなねらいである(p23)
・ノモハン事件は日本軍の近代戦の実態を余すところなく示したが、大兵力、大火力、大物質量主義をとる敵に対して、日本軍はなすすべを知らず、敵情不明のまま用兵規模の測定を誤り、いたずらに後手に回って兵力遂次使用の誤りを繰り返した。情報機関の欠陥と過度の精神主義により、敵を知らず、己を知らず……中央と現地の意思疎通を欠き、意見が対立すると、つねに積極策を主張する幕僚が向こう意気荒く慎重論を押し切り、上司もこれを許したことが失敗の大きな原因であった(p68)
・
・後日更新……つづく
■失われた森/レイチェル・カーソン/集英社文庫
後日更新……つづく
通常定年は60歳。
とはいうものの、65歳の定年制は時間の問題。それが、証拠に60歳定年では退職金を得ても生活できないのが現実……となる。それで、「再雇用」ということが出てきた。
私の勤める会社でも毎年、一人か二人のずつこの60歳定年で「再雇用」を受け入れて働いている人も多くなってきた。
私の友達も今年、この定年なる人がいる。しかし、彼は「再雇用」は受けていれていない…と聞く。
理由は「想像におもかせ……」とか。
でも、私にはわかるような気がする。
お客からクレームを言われ、現場からも言われ、挙句の果てに上司からの理不尽なことも言われ、息をする場所もなくなってしまっているようなことがあるのでしょう。さらに、会社も二店舗になり、いっしょに愚痴をいう時間もなくなり、呼吸さえつらくなったのではないのでしょうか。
そして個人的な理由。
「家のローンもないし、子どもはそれなりに大きくなったし、これからは自分のためにのんびり、近くでできる程度で仕事をして、農業でもやるよ……」と。
条件があれば、それはいいことだと思う。
それを聞いて、私の場合はいったい、どうなるの……と、不安に思った。
これからは「自分にかかわる」ことになる。職場も大変なのに、と思った。
いずれにせよ、わたしも時間の問題であとにつづくことになるだろう。そのとき、いったい、自分が何をやってきたのか、何をしたかったのか…といことが問われるのだろうと思う。
今は自分のいるところで、いかに快適に仕事やっていくるうのか、ということが大事だと考えている。息をぬくところ、力をいれるところ、と日々の生活のなかでアクセントをつけつつ、がんばるしなないようだ。
誰のためにじゃなくて、自分のために。客の励ましも時々、聞き入れてやっていくしかないのだろう。理不尽な上司もいるが、それは、それでやっていくしかない。それが、自分なのだということを確認しつつやっていくだろう。
政治に期待はなくなったような気もする。消費税と社会保障の一体化……などといっているが、結局は税金をあげることだろう。それが、本当に保障させるかは別問題。なぜなら、政権はすぐ変わるのだ。変わる過ぎるくらい変わる…であれば、自分の生きているときはいい思いがしたい……となるだろう。そんな政治は原発でも同じ、永久不変な政治改革を約束するものを追求する政治ができていないなあ……と思う。
来週、送別会でもっと話しておこうと思う。
季節は、いまがいちばんいいのかもしれない。もう少したったら、毎日雨の梅雨がやってくる。
そして、まだ、完全に地震の心配がなくなったわけでもない。さらには、原発の事故後、少しずつは明らかになってきた、あまりにもいいかげんなこれまでの原子力行政の内幕。これが、「日本の安全」かと。
報道されるたびにやりきれない気がした。こんなことに、税金が浪費され、挙句のはてに放射能汚染、ではやりきれない。しかし、これが現実なのだろう。
人生一度だけ……替えはないのだからね。
5月もおわり……6月へ。一ヶ月、お疲れさんでした。
また、がんばってやっていくしかないか。
*読んでくださった方、ありがとうございました。