日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

まだまだ…油断できぬ7月も終わり…

2011年07月31日 | Weblog


暑中お見舞い申し上げます

 7月も終わりですね…。週があけると8月です。
 7月…なにかおもしろいことに遭遇しましたか、それとも悲しい出来事におれてしまった月であったでしょうか…。
 
 ここに至っても余震はあり、福島第一原発事故の影響はいっこうに解消されないまま日々が過ぎていきます。時が経つにつれ、原発の放射能は日々、拡大し、海から土地、さらには食肉牛まで影響を及ぼし始めています。

 また、最近になって、原発に関する問題が出てきました。それは、原発の問題以前の問題で、「やらせ」の問題なども噴出してきています。企業と国の機関でもある「保安院」にで、原発誘致での世論誘導です。(おそらくこれは、内部告発で、でてきたものでしょう)

原発の修理に頑張っている人達の努力にもかかわらず、改修はすすんでないようです。 
それは、そのはずで、いっこうに改善されなければ、その分だけ放射能は拡散するわけで、悪循環の連続であるということが判明しています。

 夏休みになっても、福島の「警戒区域」の子どもたちにとっては、部屋ですごす、窮屈な夏休みになっていることが放映されていました。

 通常なら、子どもたちは、海に山に遊んでいるのに、今年はそういう状況にないということです。
 解決時期も不明のまま、時だけが過ぎていきます。なんとも、口おしいことか。

 ゆいいつ、救いなのは日本中の人たちが「脱原発」に向き始めているいうニュースでした。これ以上、被害を大きくする意味があるのか…。本当に他の原発も同じように、事故が起きたら今度こそ日本が駄目になってしまうのではないかと思います。小さな島国ですから…日本は。

 いまさらのように、人類にとって、原発との共存は不可能なことが確信できるように思えた7月でもありました。
 さて、8月はどんな月にしたいでしょうか…。
 そして、余震はいまだに続いています。

 今週、わたしも一日だけ夏休みをとりました。その一日をつかって、観たかった映画を久しぶりに行ってきました。
 「WORKINGスポット」にのせています。そちらをご覧ください。とてもいい映画でした。映画は「百聞は一見にしかず」です。もし、時間があったら行ってみてください。







◎子供たちの時間/橋口譲二/小学館

・意識の仕方に、個々の差はあれ、自分の中に他人とは異なる何か(自我)が存在していることに、彼らが気づき始めている……そのことに気づいた時、様々な場所で生きる彼らを訪ねて歩いてみたい、という思いが湧きあがってきた。
「子供の時間」…日本と日本人を知るための、新たな旅の始まりである。(p211)


【内容】

 写真に何ができるのか?…という疑問に応えているような写真集です。
 全国津々浦々の人々の棲む土地には、きっと、その土地特有の子どもたちがいるにちがいありません。今は小さな夢、大人のはざまに、もまれつつ生きています。
 その子どもたちにスポットをあて、写真で思いや環境を表現しています。誰と、好きな場所、おこづかい、どんな大人になりたいかと尋ねて、ポートレートを撮ります。
 写真が語るのは、今の少年少女たちです。彼らは、これから一歩ずつ踏み出す力をたくわえているシーズンでもあるのです。そして、社会という大海原に航海にでる準備段階でもあります。そんな、日常のひとコマを写真で表現しています。
…………………………………………………
著者紹介
[橋口譲二 はしぐち・じょうじ]
1949年、鹿児島県生まれ。19歳の時上京、日本各地を放浪の後、写真家となる。1981年、路上に集まる若者をとらえた「視線」でデビュー、以来一貫して人間の存在を見つめるドキュメントを発表し続けている。1988年より、意識的に日本の現・風景と、日本の様々な場所で生きる人々のポートレートを撮ると同時に、その人たちの言葉を記録するという作業を始め(『17歳』『Father』『Couple』『職 1991~1995』『夢』『子供たちの時間』『17歳の軌跡』)、現在も日本人を訪ねる旅は続いている。また作家活動と並行して2000年より、カメラという身近な道具を使って自分の感情を発見し、表現する喜びを共有するワークショップや、ポートレート写真と朗読を合わせた試み「スチルムービー」を国内外で行うなど、社会を意識した活動を続けている。ワークショップ活動を継続させるため、2003年にはNGO組織「APOCC」を創設した。


《感想》
 写真のことさら重要ものだと思ったことはなかったのですが、3月に起きた「東日本大震災」の津波で、なにもかもさらわれてしまった後に、写真の修復をしているボランティアを目にしたとき「写真は、人の思い出でもあるんだ…」と考えさせられました。
 思えば、亡くなった人を思い出すのは、自分のこころと写真くらいだろうと思います。そう考えると、撮影されている写真は自分の生きた証の1ページのでしょう。

 そういえば、私の携帯電話の待ち受け画面は「娘の卒業の家族写真」だな…と思いまだします。と。
写真は、自分への限りない情報がつまっているのではないかと思います。その、情報を時に忘れていきているのも現実です。そんなとき、写真に(1)今、一緒に暮している人、(2)今朝の朝食、(3)好きな音楽、(4)最近読んだ本、(5)最近買ったもの、(6)1か月のおこづかい、(7)今、一番の楽しみ、(8)今まで行った一番遠い所、(9)行ってみたい所、(10)リラックスできる場所、(11)どんな大人になりたいのか…という自問自答をしてもいいかもしれません。

 きっと、今の自分がわかるのではないかと思います。そして、これから、自分がやりたいことも見つかるかもしれません。
 橋口譲二の写真はどんなまなざしで、撮っていたのかという楽しみも浮かんできます。

 そういえば、太宰治の「人間失格」という小説の始まりが3葉の写真をみてから始まったような気がします。一葉の写真がかたる物語でしたネ…。

◎大人の友情/河合隼雄/朝日新聞

・人間の生き方は、何らかの意味でどこか一面的なところがある。そのとき、自分が無視ししてきた半面を生きてきた人を見ると、「虫が好かぬ」と思う時があるようだ。ここに、わざわざ「ときがあるようだ」などという表現をしているのは、いつもそうだとは限らないかからだである(p16)

・このように、「自分が合う」もただ安易に、馬の相乗りをしているだけでは駄目だ。そして、どんな馬に乗っているのか点検する必要がある。そして、やはり必要とあれば、それぞれが別の馬に見出すこともいいであろうし、新しい相乗りもいいだろう(p20)

・「幼なじみの友人が強いところはここである。世間評価とか、利害とか関係なく、お互いに存在を認め合っている」しかも、このことを確かめるために、会うと昔話をすることが特徴である(p30)

・人間が社会で生きてゆくためには、それ相応の「衣服」をまとってなくてはならない。衣服というよりも鎧と言うべきだと思うことがある。それぞれの地位や役割があって、それにふさわしい行動をとらなくてはならない…。しかし、友人の間では「鎧を脱いで」も大丈夫だ。そんなことで守れなくとも、お互いに共有するものが支えとなり安心できる(p31)

・友情を支える互いに共有するものが、目的や理想でないとすると、それは「生きていること」てでも言いたくなってくる(p32)

・人生は予想不能なことが多くて、未来にいったい何事が起こるか、まったくわからないが「人間は死ぬこと」だけは確実である。

・多様性を楽しむことができるようになるためには、それぞれのつきあいの距離を上手にとってゆく必要がある。それらのなかで、お互いの距離や操作にそれほど気をつかうことなく、相手と共に生きる(p102)

・どんな立派な人、人格高潔な人も心のどこかに陰がある。ただ、それとどのような形で生きてゆくか、というところに難しい問題がある。陰があるのは残念だし、それによってひちを全面拒否するのはおかしい。人生の、友情の味には、ほろ苦さが混ざっている(p118)

・「茶飲み友だち」の夫婦が存在している。「茶飲み」は特別な関係ではなく、それは日常茶飯事によって支えられている(p159)

・友人を一個人として尊敬するのだったら、その人が自分の対して何らかの秘密を持つことを許すことができなければならない(p179)

・科学技術が発展し、われわれは極めて快適で便利な生活をしているが、下手をすると、何でも思うままに支配し、操作できると錯覚し、その結果、大変な孤独や閉塞感んあどに悩まされることになる(p196)


【内容】

 「友情」について考えた一冊です。人生をながく生きていると、それぞれ夢をもって生きて者同士が、どこかで分かれていく。そのなかで、そんなあいてを、うらやんだり、妬んだりするのが人のつねである。
 いままで、なんの「利害」もなく、楽しく語り合っていた友も、そこからくずれていってしまうことが多いという。そのことによって、ますます、人は孤独になっていき、自信を失ってしまう。

 自信を失ってしまった人間関係もつらいものはない。人はお互いがどこかで、相手の何かに尊敬をもってつきあっていく。
 そのことを、も一度ふりかえってみて、考えてみようというのが、この本のよさである。友だち……さてどんな、友をもちたいのか、考えさせる一冊でもあります。
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河合 隼雄(カワイ ハヤオ)
1928年兵庫県生まれ。臨床心理学者・心理療法家。京都大学理学部卒業。62~65年スイスのユング研究所に留学、日本人初のユング派精神分析家の資格を取得。京都大学教授、国際日本文化研究センター教授を歴任、2002年文化庁長官に就任。82年『昔話と日本人の心』で大佛次郎賞、88年『明恵夢を生きる』で新潮学芸賞受賞、95年紫綬褒章受章。07年7月逝去


《感想》
 「友情って何だ」とゆっくり考えたことはなかった。
 その疑問は、今より、多くの友だちにもまれた、若い青春時代に考えることが多いのではないかと思う。

 半世紀も生きていると、友達…云??。わかっているようでわかっていない人間関係を、ふと立ち止まってしまう疑問である。
 この本を読んで、わかったことは、「人は確実に死ぬ」ということを、どれだけ人間関係のなかで理解し、だからどう生きるのかわかりあえる友がいるだろうか…と思った。

 森田芳光監督の「家族ゲーム」という映画を思い出した。
 この作品で登場する。主人公の竹馬の友、中学生2人。おさななじみでもある。受験勉強に頑張るなか、お互いの進路についてはなす。できれば、おさななじみとは絶対に同じ高校にはいきたくない。なぜなら、二人の友だちは、これまで、お互い(二人がかかわった恥ずかしい事件の数々)のいい面も、失敗した面も知り尽くしているからだ。だから、あうと、いつもライバルとしてケンカをしてしまう。

 映画では、二人とも今、受験で苦しんでいることを理解する。そんななかで、「お前もガンバレヨ」と励ましあっていく。
 また、どこかで会えば、お互いが多くの人間と付き合っていく中で、自分の生き方を模索して悩んでいても、きっとケンカをするであろう二人と思えたがこの関係がいいと思った。

 うらを返せば「そんな友だちいる……」ということなのだろう。
 男であれ、女であれお互いが何らかの形で尊敬し、生きていかなければ友達はできないのかな、と思った。
 ところで、そんな人いる…。そう「メロスとセリヌンティウス」のなかの友情のような人いますか。

◎かばん屋の相続/池井戸 潤/文春文庫

・中小企業のとっては、それなりの規模だがバブル以前のピークには30億円以上の売上げがあった中堅企業だった。売上が減少した主な背景は、主要取引先が相次いで決定した製造拠点を中国移設だ。より安い賃金、豊富な労働力を求め、日本のものつくりは台湾やマレーシア、さらには中国へと拠点を移す動きが激しくなってきたのである(p14-十年目のクリスマス)

・お前はこのたび、立派な金貸しになった。いいか、金貸しっていうのは、商売だ。ときに非情に徹することを求められる(p147-芥のごとく)


【内容】
 作品は「十年目のクリスマス」~「かばん屋の相続」の6篇の短編小説。バブル経済以後の物語。
 主人公は全篇に中堅銀行の行員が登場し、つぶれそうな中堅企業との関係を通して、お金の貸し借りだけではなく、そのなかで人間(経営者)の人生が描かれています。銀行員として付き合えばどうしても、お金が間に入り割り切れてしまうが、実際はそれだけでなくお金を通して、人間のしたたかさや弱さが全篇に描かれています。

 なぜ、会社がつぶれてしまったのか。そのなかで働く人間を登場させ、仕事と人間をも描き出さています。
 「かばん屋の相続」では、創業者の父親が死んだあと、遺言にそって兄弟に遺産が相続されます。しかし、最後にはその遺言に大きな意味があることが二人に気づかせます。

 仕事とはいったい何か、人間とはいったいどういう動物なのか…。企業小説にもこんなにいろいろある人間模様…。好きになりました。

《感想》
 この小説を読んでいたら、余談になるが懐かしい地名があった。北馬込あたりの「中原街道」「夫婦坂」「環七」…と。「夫婦坂」は環七からちょいと曲がって、坂を上り詰めたところに看板「夫婦坂」があり、その路地を先に行くと銭湯がある。
 そういえば、あのあたり小さな会社(電気関係)があった…。

 わたしは20代にこの土地で住んで働いていた…と思い出した。
いつも私の無理を聞いて食事をつくってくれた、アバタ顔の愛相のいい、定食屋オヤジさん、奥さん。きっちり、固そうな性格の肉屋さん。そんな路地沿いの小さな喫茶店…。夜はアイスホッケーを楽しんでいた、ヒゲをそるのだけが上手かった床屋さん…。

 そんななかにきっと、この小説家の舞台があったのだろうと思った。
 そして、小さな町工場を毎日、モノつくりに頑張っていた人々がいたのだろう。その会社と銀行員とのつきあいの物語。

お金がはいると、人間が冷たくなるのだが、主人公の行員が、お金(銀行)と中小のオヤジさんとのはざまで悩み、すこしでもいい条件で…と必死に働いている姿が印象に残る小説でもありました。そのことが、いかにもどろくさくて、人間らしくて、弱くて…と市井の人々の姿が好きになりました。
 時代小説でいえば、藤沢周平だと思いがわいてきたように思えした。

 ジャンルで区切ってしまえば「経済小説」だそうで、わたしはこの小説はちょっとちがうと思いました。経済小説といえば、城山三郎や高杉良などとはちょっと違った思いをもたせてくれたといえます。

 読んでいた途中で、池井戸潤という作家が第145回直木賞をとったニュースが流れました。題名は「下町ロケット」という小説。これも、大田区のある町工場の経営者が、国産ロケットの重要部品の受注をとるつけるために奮闘する物語だそうです。まだ、読んでいませんが…。
 やっぱり池井戸潤氏らしい物語だな思いました。受賞騒ぎが、落ち着いたら読んでみたいと思います。
 
◎シゴトのココロ/松永真里/小学館

・それぞれのストレスの正体を突き止めるようにする。…解消の方法はおのずと見えてくる。正体をあいまいにしたままエステに行って、気を紛らわしてもいつまでたっても解決にならない(p24)

・人間にミスはつきもので、失敗したこと自体問題なのではない。失敗しないにこしたことはないが、失敗した時、どう対処するかが一番問われる。そこから、何を学んでどう改善するかである(p41)

・人が失敗を認めたがらないのは、自分の嫌いな面が見えてしまうから。また、失敗したくないというのは自分が傷つきたくないだけのこと。傲慢だ…(p43)

・生涯の収支決算がどうなるか。死ぬときまでのお楽しみにとっておく…。それくらいの気楽さがちょうどいい(p66)

・上司は父でもなければ恋人でもない。職場に仕事にきているのであって、親子の情を持ち込んではならない(p75)

・自分が部下で、上司をただ一方的に批判しているときにできなかったことが、管理職になると相手の立場に立ち、相手の気持ちになるという「立場交換」ができるようになる(p99)

・ひとりで仕事するのもいいけれど、個人の才能が無尽蔵な人ではない限り、人として限界は早々やってくる(p108)


【内容】
ストレス、上司、初めての部下、転職、セクハラ、子育てとの両立など、仕事周りの迷いと悩みが吹き飛ぶ女性向け仕事エッセイです。シゴトの本質と仕組を明らかにし、成功へと導く「シゴトのココロ」を具体的に説きます。ピリッと心に響くアドバイスがシンプルかつコンパクトに語られています。仕事とどうつきあったらいいの?―に答える、“世界で一番みじかいシゴトのトリセツ(取扱説明書)”。男女雇用機会均等法施行から約20年の今、仕事も人生も楽しみたい女性、待望のバイブル。男性にも、一度読んで欲しい一冊でしょうか。
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>松永 真理(マツナガ マリ)
1977年、大学卒業後リクルートに入社。『就職ジャーナル』『とらばーゆ』の編集長をつとめる。’97年にNTTドコモへ移り、iモードの開発に従事する。「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2000」(日経ウーマン誌)、「Most Powerful Woman in Business」(米フォーチュン誌)のアジア第1位に選ばれる。2000年に退社して、松永真理事務所を設立。’02年からはバンダイの社外取締役に就任する。また、政府税調委員のほか、’04年4月からは明治大学情報コミュニケーション学部の特別招聘教授をつとめる


《感想》
 女性の多い職場で一度は読んでみたかった一冊でした。
 正直、男性より、女性の方が説明を詳しくしてお願いすると本当にまじめにやってくれるように思います。また、いつでも「真剣勝負」って感じで取り組む姿勢は、とても尊敬できます。ただ、無理をさせる勇気がないため仕事任せるのに、とまどう時があります。
 それでも、頑張りは絶対、後々に自分が上に立つ立場になったとき、有利な条件で応援してしまいます。
 とにかく「男女平等」と文字に書いただけでは無意味です。具体的にすすめていく行動が必要だと思います。そんなとき読む一冊だと思いました。

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◎時が滲む朝/楊逸/文春文庫

◎新・原発を考える50話//岩波

……………………後日時間があったら次回に続けていきたいと思います。
ご期待ください………………………………………………………………






◎おじいさんと草原の小学校
ジャスティン・チャドウィック監督(2010年イギリス)

【物語あらすじ】
 ケニア政府がすべての人に無償教育をがスタートしたいうラジオ放送から始まる。

 ニュースを聴いた84歳のマルゲ(主人公)は手元にある一通の手紙を自分で読みたいと思い、小学校に通いたいと決意する。
 しかし、小学校では老人を受け入れる余裕がないと断られる…。それでも、マルゲはどうしても勉強したいという思いは断ち切れず、ノートと鉛筆、さらには制服まで準備して、また学校へ入学を許可してくれるよう、くいさがる。

 校長のジェーンはマルゲの「学びたい」という強い気持ちに根負けして、入学を許可する。

 80歳も離れた同級生たちと学びながら、初めての体験を楽しんだ。
 しかし、マルゲには、若い時代、ケニアの独立運動に参加したときマウロ団戦士としてのトラウマがときどきこころをよぎる。

 このとき受けた、時の政府の虐待がオーバーラップしてさらにマルゲを悩ます。妻も子もこの運動で、目前で虐殺されていることを思うとき悲しさがよみがえってくる。この経験がマルゲを一層、学ぶ大切さを強くしていく。そして、自由という言葉の意味を子供たちに身を持っておしえるようになる。字の読めない過去の自分ができることを感じていく。

 時がたつにつれ、マルゲが小学生と勉強いしていることが、マスコミに注目されはじめる。そのニュースが世界中に流され、とうとう「有名人」にまでなってしまう。

 世間はこの有名になったマルゲの行動について、周囲に反対者が現れくる。この事実に、学校の調査官の目にはいり、マルゲを成人向け教育センターに移す事を校長のジェーンに進言する。マルゲはその校長に説き伏せられて教育センターに行ってみるが、そこは学ぶ意欲のない若者たちに悲観してしまう。そして、ここでは学べない事を実感し、再び小学で勉強させるようジェーン校長に頼む。

 しかし、依然として周囲は一緒に学ぶことに対しての風当たりは強い。
 そこで、とうとうジェーン校長は、マルゲを生徒としてではなく、助手として学ぶようにする。
 今度はマルゲとともにジェーン校長にも周囲は非難を強くなっていく。

 この非難に屈して、調査官はジェーンを500キロも離れた異動を命ずる。ジェーンは異動するため別れを悲しむ。
新任の先生がくるが、生徒達によって反対される。マルゲも、自分ができる行動をとる。

首都ナイロビにいって、直接、教育長の議長に抗議する。これまで、拷問に耐えてきた自分の身体を見せ、「過去から学ぶべきだ。忘れてならないが前進しなくてならない」と訴える。未来のために、良い教師が必要だと訴える。

その後、ジェーンは元の学校にもどりマルゲも助手として勉強できるようになる。それでも、気になっていた一通の手紙はまだ読めなかった。それを、読んでもらいながら、物語は終わる…。(拍手)

《感想》
 私の住む国にも教育を無償で受ける権利が憲法26条がある。
「第26条  すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」と……。

 この法律は、今の人たちは身の一部となって、考えたこともなく、当然だと思っているのだと思う。なぜなら、自分が生まれたときからすでにあったものだから…。

 では、この法律以前に生まれた人たちはどうか…。きっと、この映画の主人公のマルゲと同じだろう。違うのは、マルゲのように、法律が施行された後、歳をとってしまってからも「学ぶこと」をあきらめなかったか、どうかであろう。

 私の母は、恥ずかしながら簡単な字は読めるが、漢字がかけなかった。それでも、生活には何ら支障がでていなかったし、不便を感じなかったからだろう。まして、農家であれば、字を読むことよりも、いい作物、おいしい作物をつくることのほうが、ずっと大切なことだと思える。

 では、そんななかで「本当に知りたいと思うことがあったら…」どうか。そうなると、字が読めないといけないし、書けないと、本当は見えてこないのではないかと思う。
 マルゲが解放戦士として、国の独立に頑張ったとしても、それに参加していない人々(子供たち)はその意味を知らない。さらには、マルゲの偉大さ、本当のことは知らない。知ろうとすれば、教育は絶対必要な手段になってくるだろう。

 映画のなかでジェーン校長がマルゲに自分が教師になった理由をいうシーンがある。亡くなった母に「教育には終わりはない。土に埋まるまでは」という言葉を話す。

 まさに、自分や周囲を本当に知ろうとすれば教育はぜったい必要な手段である。そして、終わりはないと思う。そして、まさに、死ぬまで自分が楽しみたければ必要不可欠なアイテムなのだろうと思った。

 今はまさに「情報が氾濫」しているほど多い。だからこそ、その中で、いま一番必要なものを選ぶ目をもつための、教育が大切なのではないかと思う。
 自分がいちばん楽しめる(人生に有意義な)教育…が本当の教育なのだろうと思った。

 「おじいさんと草原の小学校」を観て、思うのは一生勉強だな…と思った。
 それが、どんなものであれ、人生を楽しむために、一番必要なものを探すための勉強なのだと思えた。

 久しぶりに、涙できた映画だった。ゆったりとした、時間を送れた。
 こんなときも、必要だな…と、つくづく思う時間でした。

 もし、、観たくなったら「岩波ホール」でホームページを開いてみて下さい。単館上映なので、地方の人は大変ですが…。

「映画って…いいものんですね」こんな映画をまた、探して、観にいきたいですね…。ほんじゃ

 いい8月になるように…がんばるべ…か。

 大変ながながとなりました。

 あきたら、ときどき「休憩」を入れて読んで下さい。
 つまらなければ、読まずにとばして下さいな…。

※読んでくださった方、ありがとうございました。


台風6号が去って…7月も終わり!

2011年07月24日 | Weblog


 今週は、関東地方に台風6号がやってきた。「大型で強い記録的大雨の恐れ…」という前評判に、怖れおののいていた一週間でした。
 なんと、中心気圧960ヘクトパスカル、最大瞬間風速55mというしろもの…。さて、どんなものか、心配していたものの、関東地方では、一部交通機関が不通になったくらいで、私の生活においては、支障がありませんでした。

 さて…、不安な日々であったわりには、曇り空、時おり降る雨、日中は寒い…という日々。いつの間にか、太平洋沖に去っていました。そのあとは、秋を思わせるほどさわやかな日々…。湿気もなく、暑さもなく、まるで高原にいるような気分にさせていました。

 台風が去った後、いつものように多摩川を散歩していたら、セミの幼虫が木にしがみついていました。セミのぬけがらかと思い、触ってみたら、ぬけがらではなく「凍死状態」で死んでいました。きっと、この涼しさで、土のなかから出てきたものの寒さのため、体温が下がり、脱皮に失敗したのだろうとおもいます。

 何年ものあいだ、土のなかで、この日をもっていた虫たちにも、気づかないところで災害を及ぼしているのだと思いました。自然が自然の災害をうむ…。人間なら、毛布でもだして、暖をとるところ、自然界でいきている生物たちは、自分の小さな生命をかけ、身を持って私たちに自然の厳しさを証明してくれんたんだな…と思えました。
 厳しいことを知らせる台風であったことは事実…と思いました。



 そういえば、セミの鳴き声をきく時期が遅い…なと思っていますが…。

 今週に、私の好きな俳優と一人でもある原田芳雄さんが71歳でなくなった。歳をとって、また若いころの野性的でギラギラした輝きはなくなったものの、人間の哀楽がへたくそで、てれやでうまくできないところが、ますます人間的な男の魅力を、演技によって表現してくれた俳優…。これからも、見たかったなあ…と思う。残念です。
…………………………………………………合掌






◎FIFA女子ワールドカップで日本が初優勝

 とうとうやった!!。苦節30年。女子サッカーの金字塔。ワールドカップ優勝。世界基準であった、フィジカルの弱さを克服し、小さな身体というハンディをパスサッカーという、新しい世界基準をつくった女性たちはえらい…ぞ。

今、サッカーをやっている少女たちにとっては、彼女たちの活躍は、確実に目標になったと思う。そして、ワールドカップで優勝も決して夢ではなく、実現できるものだということを、身をもって、証明してくれた。そのためには、どうしたらいいか教えてくれたように思う。とくに、澤選手の活躍はうれしかった。なんの、縁かもしれないが、同じ市民の一員として感激してしまうのだ。

これまで、日本サッカーはメキシコ五輪の3位にはじまり、今回のワールドカップ優勝まで、世界レベルの試合では、4回のメダルを獲得している。
 男子では、2011のAFC選手権では決勝でオーストラリア戦を征して優勝…と、まだ記憶に新しいところである。

 一方、女子というと2010年のU-17女子ワールドカップで準優勝。2008年の北京五輪の3位決定戦で、ドイツに負けて4位が最高だった。

 そもそも、日本の女子サッカーの歴史はどこから始まったのか。

※日本女子サッカー誕生の地は神戸市。
 1966年に福住小に女子少年団チームが発足し、神戸女学院中にサッカー部が誕生した。1980年に開催された初の全日本選手権は8人制、少年用のボール使用で胸トラップ禁止。

 日本代表は1981年の第4回アジア選手権(香港)で編成。初戦の台湾戦は0対1で敗れた。

 1991年のアジア選手権で準優勝し、第1回世界選手権の出場権を獲得した。1996年アトランタ五輪で正式種目に採用され、3連敗で敗退。世界選手権に出場するものの、欧米勢との力の差は大きかった。

 世界選手権から名称を1999年女子W杯でも1次リーグで敗退。2000年シドニー五輪への出場権を逃すと、景気の低迷によって企業チームが撤退し、冬の時代に入る。

 1994年アテネ五輪で「なでしこジャパン」の愛称ができ注目。強化も進み、2008年北京五輪で4位となる。
 2011年FIFA女子ワールドカップドイツ大会で優勝。(2001年7/19・サンケイスポーツより抜粋)


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【観戦記1】予選:対ニュージーランド戦(2-1)

 東日本大震災にうちのめされた日本代表の初戦だった。どこの、国も同じだが、初戦は固さがあり、はやく1点を取りたいと思っていた。その1点をとってくれたのは、FWの長里選手の見事なループシュートだった。やった!。これで、安心と思いきや、ニュジーランドに1点をもぎとられた。これで、同点。このまま、引き分けで勝ち点「1」でもいいやと思っていたら、後半にMFの宮里がフリーキックでゴールのスミをねらった見事な追加点。ニュージーランドのキーパーも一歩も動けず、芸術的なフリーキックだった。これで、初戦を勝ち点「3」で飾った。
 この勢いを最後まで続けて欲しかった。


【観戦記2】予選:対メキシコ戦(4-0)


 これは圧巻だった。なぜなら、MFの澤選手がハットトリック(3点)のゴール。さらには、FWの大野が相手をかわした見事な猛烈なスピードのあるシュートで4点目。
 この瞬間、決勝トーナメント進出を手元に近づけた瞬間だった。
 この日、宮間と澤選手との間でのコーナーキックが決勝でも生きてくる予感を感じさてた。

【観戦記3】予選:対イングランド戦(2-0)

 この日は、なでしこジャパンの昔のスタイル戻ってしまったのか、それとも、コンディションがわるかったのかイングランドのパワーとスピードに負けてしまったいた。
 キーパーの海堀のディフェンスがうまく機能できていなかった。疲れていたんだと思う。
 この負けによって、日本はさらに良くなったような気がする。そのことは、決勝トーナメントのドイツ戦に見えてくる。徹底的に守り、隙を見つける勉強ができたと思う。

 最後に、思うのはとことん好きなサッカーを少女時代から今まで、よくぞあきらめずに続け、そして、ワールドカップまで多くの人に支えられ頑張った女性の力をみたように思う。夢もあきらめないで、その思いを多くの人に熱く語り、それを支えて来てくれた人達の偉大さを思った。やりたいことは、自分の技術だけでは、生かしきれない、出し切れない、それがチームプレーのよさだと思う。


【観戦記4】準々決勝:対ドイツ戦(延長1-0)


 イングランド戦で学んだことを実践できた試合。ドイツの高いボールへの対応でいっぱいでシュートを何本もあびていた。前・後半戦を持ちこたえて、延長に入り一瞬の隙を見つけ、FWの丸山が澤のパスを角度のないところから見事にゴール。それからは、全員で必死守った。この1勝は、延長戦での体力の使い方を学び、相手の隙を見つける事を学んだと思う。


【観戦記5】準決勝:対スウェーデン戦(3-1)


 スェーデン戦では先制点を取られてしまうが、選手があわてず逆転に成功する。選手の試合に対する自信がついていた。競り合いでの得点もできるようになった。一瞬のすきをパスを通し、点をとる技術と全員の意志が統一されてきた。
 逆境にも耐えうるチームができあったように思う。


【観戦記6】決勝:対アメリカ戦(2-2)引き分け:PK戦で3対1で初優勝


 この試合は一進一退の様相だ。先制されても日本はあわてず、得点シーンをじっくり作るあげることに成功している。圧巻は、2対1にされ、これで終わりかと思った、延長の後半戦、宮間のコーナーキックを澤がピンポイントで合わせて同点においつき、とうとうPK戦までもっていってしまた。
 この日の、アメリカはいつものアメリカのチームではなかったような気がした。
 PK戦でも、誰がみてもわかるようにアメリカにはプレッシャーがあったように思えた。それは、アメリカの予算と国民の期待をいっしんにかかえてしまった選手達のキックにも反映されていた。キーパーのソロ選手にもあわてていたようなところもあった。

 いずれにせよ、追うものと、追われるものの差がはっきり出てしまったような結果だった。それにしても、なでしこジャパンは小さな体格でよく動くことで、それを克服して優勝したと思う。要は、ハンディを克服する動きを最後までやれれば、勝てるということを証明してくれた試合であった。まあ、大変であったと思う。
 お疲れさん。

 私は男なので、どうしても贔屓目にほめてしまう。それは、仕方のないことだと思う。

 最後に、ここまでくるまでには、彼女たちの間で多くの熱き思いが語られたと思う。それが、なにか。不遇な次代を乗り越え、花咲かせた「なでしこジャパン」チームの真実がいつか語られる日が待ちとおしい。

 現実、日本の女子サッカーのすそ野はせまい。義務教育機関でもクラブになっていないところが圧倒的に多い。

 日本もこれを機会に女子サッカーに力をいれてもいいと思う。
これだけの感動を、大震災の今、素直に喜べる時間であったように思える。
 しかし、実際には、未だに収束が見えない「福島第一原発事故」の処理や余震への安心は、払拭されていないのは現実なんだと、いまさらに思う。

 そんな中で「なでしこジャパン」は彼女達ができるせいいっぱいの貢献に拍手おくっても、足りないくらいだといえるのではないか。
 ワールドカップが終了したから、それぞれの「人生」にまた戻っていく。できれば、また、彼女達全員が同じフィールド立って、同じ目標にむかって戦っている姿を見られたら最高かもしれない。
 ぜひ、そうであって欲しいと思う。その時が、またくることを期待しつつ、頑張っていこうと思う。
 私ができることを探していきたい…。




 今日から、アナログからデジタル放送に、宮城、岩手、福島の三県をのぞいて変るそうです。
 こんなときに、何がデジタルだー、と思いますが企業がデジタル化進んでいる以上、政治もそれに引きずられていくのでしょう。デジタルで多くの予算をかけたわけで、いまさら後戻りにはできない状態であったのでしょう。

 私は、モノクロテレビで育った世代で、テレビは映ればそれでいいのではないかと思いますが…。デジタルになると、多くの機能(?)が使えるそうです。よく考えてみると、携帯も多くの機能が使えるために「新製品」が次々に発売されるのはいいが、結局のところ消費者が、買うようにできているのでしょう。

 例えばカメラ。
 いままで35ミリ一眼レフをフィルムを入れて使っていたカメラ。
 商店からフィルムが少しずつ減り、希少価値となり値があがり、じょじょに使わなくなっていく…。安いデジカメに変わっていく……。これって、結局、消費者が無駄なお金を使っているように思えてしまう。
 便利はそれにはリスクをともなっているのか。こんな繰り返しをいつまで続くのか?。きっと一生、続くのでしょう。

 こんな発想は「ながいものは巻かれろ」って発想でしょうか。
 安易に受け入れた消費者がいつか痛い目にあっているような気がしてならないのですが…。
 来年あたりから「復興財源5年計画」が出されてきている。
 震災での「復興財源」はガマンするが、東京電力の原発事故は承服しがたい気もします。なぜなら、事故は起きない、安全としていたはずなのに、いいかげんすぎると思います。これは、東京電力でどうにしてほしいと思います。出すのであれば、原発停止に向けた財源にしてほしいと思います。

 水も土地も家族も奪われた、福島の放射能の影響を考えてみると、もうこんなことは二度とゴメンだと思います。
 なにがデジタル化だ…。それより、やることがあるだろう。

*ながながと、読んでくださった方、ありがとうございました。

FIFAサッカー女子ワールドカップ、日本奇跡の優勝

2011年07月18日 | Weblog


 東日本大震災4か月が過ぎました。はやいものですね…。
 今でも、余震があります。
 今週、夜に久しぶりに地震がありました。東京23区震度4、多摩3でした。そして、ながい揺れでもありました。

 その時、心の中で「来たか!」と思いました。今度来たら、東京もけっこう被害があるだろうとあきらめてもいました。
 今回ばかりは、自然の猛威に脱帽…状態です。人間の力など自然の前ではしれているという現実をまざまざと見せつけられています。

 大震災から、4か月が経ったけれでも、余震は各地に分散して揺れをつくっているようです。3月11日の揺れに比べれば小さいのですが、安心できる状態ではないのは確かなようです。

 それにしても恐ろしいのは福島第一原発事故後の放射能汚染。日夜、汗だくになって修復作業にもかかわらず、あざけ笑っているように放射能汚染の被害は大きくなるばかりです。
 最近では福島の放射能地区から出荷された食肉にセシウムが入っているというニュースが流れました。まだまだ、放射能対応にしっかりした指針が出されていない状況なのでしょう。それにしれも、放射能という怪物は目に見えない透明人間のようですから始末におえない、と思います。




◎今週は吉野弘さんの紹介をします。
「夕焼け」
いつものことだが 電車は満員だった。
そして いつものごとだが
若者ろ娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさとしよりが坐った。
礼もいわずとしよりは次の駅で娘は坐った。
※   ※
別のとしよりが娘の前に横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし 又立って 席を
その年よりにゆずった。
といよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
※   ※
二度あることは…と言う通り
別のとしよりが娘の前に押し出された。
可愛そうに 娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅でも 次の駅も
下唇をキュと噛んで
身体をこわばらせて。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
※   ※
やさしい心の持ち主は
いつまでもどこまでも
われにもあらず受難者となる
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように感じるから
やさしい心に責められながら
娘はどこまでもゆけるだろう
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで
(現代詩文庫「吉野弘詩集」より・思潮社)

…………………………………………
 今週は「詩」を紹介します。私自身、詩はめったに読まないのですが、日々の生活をジーと見ているといろんな光景に出くわすころがあります。とくに、吉野弘さんの詩には「仕事と暮らし」の中から生まれた詩が多いことに気づかされます。

 毎日、仕事でくたくたにくたびれて帰ってくる電車の中で、ホットする光景や見たくもない光景を目にするものです。
 私は、このごろでは、会社帰りに、はめったに夕焼けに出くわしたことはなくなってしまいました。

 でも、夏に一回くらいは、日照時間のながい夕方、美しいと思う夕焼けにでくわすことがあります。
 今回は、偶然でしょうか「夕焼け」という詩を寝床で読んでいました。
 会社帰りに忙しく、家路に急いでいる光景のなか、電車内では一日の仕事が終えた安堵感からでしょう、居眠りをしている人、趣味の本を熱心に読んでいる人と、自分の世界にしたっているものです。

 電車内では「シルバーシート」という、お年より、妊婦、ケガをしている人が優先的にすわる座席があります。わたしも、あいていれば坐っている席でもあります。本来は、こんな名前の席などいらないのはずだと思いますが、こうにでもしないと席があかないのでしょうか。(いらぬおせっかいの気もしますが…)

 ときどき、その席だけでなくおじいさん、おばあさんと見受けられる人が目の前にきた時などは、眠った(?)ままの状態で気づかずにいることも多いようです。(わたしも多々ありますが…)

 なぜでしょうか?
 自分のいるところではなく、ななめ席におじいさんが来た時、あわてて席を譲ってくれる人のいる光景を見たりすると、自分までうれしくなります。
 詩のなかの娘さんは、なぜ私だけが…とつくずく思ったにちがいありません。そして、今度は席をたたず、怒っているように思えます。誠意が人をこれほどまでにひくつにしてしまう社会は、へんだなと思える場面です。
 そんなことを感じとった詩でした。





 3連休の真っ只中…。なにをしようと思い立った「山へいこう」と…。
 前回、5月に行ったときは、自分では中途半端な気がしました。いつも歩いている行程をまた、歩き始めようと思ったわけです。
 楽しいことにちがいないが、自分の納得いく歩き方いいと思った。

 で、夏目漱石の「草枕」の中の一文を思い出しました。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」という文章。

 山を歩いていて、ここ一週間の出来事が、浮かんでは消え、他人の声も思い出すたびにこの文章のもつ意味が深いなあ…と思えた一文でした。
 あくせくして、登ったあとは、嫌なことはすべて頂上の風といっしょに流したいと思って歩いているのかもしれないとも思いました。

 山を歩いていると、基本の行動はシンプルだ。歩く、食べる、休む、排泄、歩く、食べる…の繰り返し、時より同じ登山者の自慢話…と。

 余計な事を忘れていく山あるきだな…思います。
 いっそ、人の世じゃなく、山の世にずーと歩いていたいと思う。
 

◎祝・2011年FIFA女子ワールドカップ初優勝!
 18日の朝方、眠かったが起きて、観たかいがあった。すごいことをやってしまったものだ。
なでしこニッポン…と思った。小さな選手達が最後まで、自分たちのサッカーをつらぬきとおした勝利だなと思う。
逆に、決勝対戦者のアメリカが自分たちのリズムをプレッシャーとあせり自滅していまったように思う。日本選手のコンディションが最高の大会であったように思えた。(詳細は次週「スクラップ」に…)

 暑い日は続きます。そして、台風6号…、放射能、余震と身のまわりはまだまだ、困難が続きます。ガンバンベー、と思います。

*読んでくださった方、ありがとうございました。




関東も梅雨明けで、夏を思う

2011年07月10日 | Weblog


 関東地方も梅雨明けだそうです。
 いよいよ、今年の夏が始まった…同時に節電と広がる放射能被害で原発事故の重さを考える夏が始まったと思います。
自然は、夏の高気圧でまっさおの空もいいけれど、したたりおちる汗にはまいってしまうというリスクもある。

 近所の公園のベンチで昼寝をしていたら、ニイニせみが鳴いていた。本当に夏なんだと実感できる音を聞いた気がした。姿は見えませんが確かに、あの小さな土色をしたセミだと思った。

 夏を三つの鳴き声が季節をつくっていく。ひとつはニイニイせみ、中間にはアブラせみ、クマせみ、終わりは、ヒグラシ、さらにはツクツクホウシと変わっていく。
 その三つの音のなか、初秋がやってくるのだと思う。

 さて、今週は節電でなお一層の暑さが身に染みます。そんななか、福島第一原発事故の収拾にむけてもっと暑い場所で修復に向けて働いて、頑張って労働者に敬意を感じるこのごろでもあります。
 一方では、修復にもかかわらず、いっこうに進まない放射能の被害は広がりを見せています。8日、東京都は、福島県相馬市内(緊急時避難準備区域)の酪農家から出荷された牛から放射性セシウムが発見されたと発表しました。(9日/朝日)

 また、福島県内の保護者でつくる「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」によると、福島在住の6歳~16歳の男女10人の尿検査を実施したところ、全員から放射性セシウムが検出されたと発表した。(7日/毎日)

 放射能は最終的には人間の身体に影響するという「最悪」の事態も身近になってきたニュースが多くなってきました。

 ますます原発が人間社会と共存できるしろものではないなあ…という思いを強くした一週間でもありました。
 放射能廃棄物の完全処理はまだ当分、未解決。完全になくなるのは、試算しても、私の生きているあいだは到底無理とのこと…。とんでもない怪物でした。あとは「野となれ山となれ…」では困るのです。





◎安全性評価(ストレステスト)

 6月末、各電力会社の株主総会が終了した。今回の株主総会には、脱原発議案も出されたという異例事態が起きた。これも、福島原発事故による影響だある。投資家も、いよいよ原発を再度、考えた経営がいいと提出した議案もあった。しかし、いずれも否決…という結果。今後も、原発再稼働のメドがみえない状況のなかでは、株もゴミ同然になるのも時間の問題かもしれないと思った。

こうした動きにいち早く動いたのが、玄海原発再稼働に向けた、海江田経済産業相の訪問だったのだろう。そこで、「再稼働にゴーサイン」を出したのつかの間、菅首相がストレステストの方針を打ち出した。なんとも、チグハグな見解が日本中を駆け回った週でもあった。

結果として、原発の「再稼働」は当分見送りになった。
 しかし、これで終わらなかった。
 九州電力が原発の安全生を説明する番組をめぐって、関連会社の社員に玄海原発の安全生を強調し稼働賛成のメールを送るように指摘(やらせ)していたことが、内部告発で発覚した。
 またしても、原発の問題を「隠蔽」して進む企業の論理が垣間見えた一週間だった。
 これもまた経済優先、生命軽視の原発方針も見えたように思えた。

 土曜日(9日)の夜、NHKスペシャル「徹底討論どうする原発」という放送を観ていたらこれまでの原子力のあり方、そらに今後(原発事故)の電気エネルギーのあり方が討論されていた。

 原発推進の立場(奈良林直・北海道大教授・原子炉工学)からの意見では「この事故を機会により一層の安全を強固なものにしていく必要がある…」。反対派からは「福島原発の安全はこれまで、安全といわれてきたことは一体なんであったのか。そして、わかったことは、原発には安全はない、ということ。すでに、安全以前のことが置き去りされてきた…」等など、討論さていた。また、吉永みち子(作家)では「安全基準法があるのに、現実には機能していない。国の方針が不明確…」などという意見があった。

 見終わった後、原発は「ストレステスト」をやったところで、一度事故で暴走すると歯止めのきかない怪物だということには変りはないと思う。大事なことは、ドイツの例でもあるように、私たちは「子孫に何を残せるか」というテーマを討論する必要があるだろうと思った。一時の、営利の為に、この土地に二度と住めなくしてしまうほどの被害を、後世に残していっていいのだろうか…という思いがわき出てきた。

 日本の原発は今、ほとんどが老朽化していて危険度もあるということで点検にはいっている(全国54基中17基の稼働)という。1基であれ、動いているということはそのリスクは大きい。

 翌日、福島第一原発を修復し、「廃炉にするまで数十年」(10日・朝日)が出ていた。本当に、そんなにかかるのであれば、いったいその影響を受けている、福島の子供たちはいったい、どこで生活していけばいいのだろうと…と思った。これが、お父さん達の時代に残したまさに「負の遺産」である。そして、子供は思うだろう。「父親はなぜ、反対しなかったのか…」と。

いま、若者を中心に反対運動が、いろいろな形で起きている。音楽であったり、デモであったり、と。いま、できることをやっている。そんなことを形にしているのだろう。

 とりあえず、首相は「原発を停める」ための方針を出していってほしいと思う。それから、必要かどうか、議論の場をつくって合意が必要なのだと思う。
 少々の暑さは、子々孫々に残したい生活のためにガマンも仕方がないと思えてきた。



 いまさらいうのも気がひけるが「仕事は一人では完結できない」なとつくずく思った一週間でもあった。
 そんな中、人間だから調子の悪い時も出てくる。それは、仕方のないことだろうと思う。で…、その人のカバーを誰がしてくれるのか?という思いもある。まして、何でもできる人に、全部まかせたら「不満が爆発」するだろう。

 そこで、一日半の締め切りをできないか…と頼んだ。
 返答は「大丈夫です」と、かえってきた。相手もあることだし、あとはこちらがどれだけ、その余計にいただいた時間の分を、どれだけ誠意をみせるかだ。それが、なければフェアーでなくなってしまう。

 翌日、休んだ人も出てきて仕上げることが出来た。
 これでよかった…、と胸をなでおろした次第…。
 
 そんなことがあってつくずく「仕事が一人では完結しないものだ」と思った。こんなことは結果として、そうであっても、やっている本人は、自分だけが忙しい、できる…とい誤解をしていることが多々あるように思う。

 他人のありがたみに感謝して、さらに、他者への働きかけがいい仕事をつくっているのではないかと思う。
 もちろん、人間がやることだから「ミス」もある。大事なことは、それを自分だけで解決しようとするのではなく、他者とのかかわりでどうしていくかだろうと思う。

 だいたい、仕事がいやのではなくて、それを任せる、協力する人がいやでつまらなくしてることがある…。そんな思いをもった。

 最近読んだ本に面白いことが書いてあった。
※「仕事」は「人生」と、「働き方」は「生き方」と背中合わせで、ほかの誰もが肩代わりすることができない一人ひとりの生と直結している。

 と。そういえば、仕事は他人の人生を支え、自分の人生を支えているものだな…と思えるし、それを、商品化するための働き方は、つくる人の生き方がぶつかりあうものであるのかもしれない…。ぶつかりあって、できているのが仕事なのかな…と思った。

 来週は三連休…。また、山歩きでもやろうと思う。静かに登って帰ってくる山歩きができれば、最高だが。

◎おまけ
ドイツで行われている2011女子サッカーワールドカップで日本代表が準々決勝で、対戦相手のドイツを延長後半戦に1点をとり、逃げ切り勝利!

 とうとうやりました。これって、歴史的な快挙です。予選でイングランドの負けたのが良かったのだと思います。次は準決勝…。
 どこまでやるか、なでしこジャパン!!準決勝で勝てば、2位確定です。ガンバレ!!
 

*読んでくださった方、ありがとうございました。

節電の夏が始まった…

2011年07月03日 | Weblog


 書中お見舞い申し上げます。

 7月が始まりました。
 今月が始まった早々、この暑さ7月では想像以上を痛感しています。
 夏の大好きな私ですが、今年は福島第一原発事故で、電気が不安定とうこともあって、ちょっときついかな思った月初めでした。

 事実、2日、東京消防庁が発表した「6月の熱中症」での病院に搬送された人数が406人(昨年同月搬送者133人)と昨年の3倍にも増えているそいうです。(朝日7/2)

 今年は7月1日から、福島第一原発事故で電気の供給量が昨年を下回るため電気の「使用制限令」が発令されました。今年は、ますます電気を使うことが自粛されるもようです。
 とはいえ、人の生命にかかわることです。「がまんもホドホドにせえよ…」とも思います。そういう意味で今年は、本当に「正念場」とも言える年になりそうです。
 暑さとの付き合い方…が問われる一年にもなりそうです。

 ガマンも原子力にかわる電気エネルギー対策の模索の一年と思うしかないような気がします。これまで、安全だという宣伝に、原発の怖さも知らされなかった事を反省し、「脱原発」の険しい道のりの第一歩の1年と思うしかありません。
※散歩途中、向日葵がけなげに咲いていました。やっぱり、夏なんだ…と感慨深いです。



◎電力使用制限令

 東日本大震災によって、福島第一原発の事故が起きてから、放射能の危険性が身にしみてわかったと同時に、原子力発電というものにあまりにも無防備の日本の実態があきらかになりました。これまで、その危険性たるもの、人を近づけないほどの危険があることが日々のニュースで明らかになっています。

 地球上で生きとし生けるものが必要な土、水、空気とに影響をあたえている状況です。これは、一電力会社の問題ではありません。世界中の原発使用国の問題でもあるわけです。

 この事故によって、わかったことは、東京という都市は、地方の危険のある原発のおかげで動いているのだ、と思いました。事実、今でも「危険区域」の住民は自分の家にも帰れない現実です。さらには、時間がたつにつれて問題が解決されるどころか、ますます悪化していく状況にあります。

 いまでも、原発の修理に日夜、奮闘している作業員の努力にもかかわらず、いつはてることもない「戦い」が始まっているように覆えます。

 福島第一原発から沖合い3㎞の海底土壌から、放射性物質ストロンチウムが検出されました。また、政府は、福島県の阿武隈川、真野川、新田川で取れるアユについても出荷停止を指示しています。
 さらには都内、江戸川区の清掃工場の焼却灰から放射性セシウムが検出されたと発表されました。
 さらには、「計画的避難区域」に指定された地域の50代の女性が「原発のせい」と言い残して自殺したというニュースもありました。

 そんななか、悲しいことに原発事故で一部停止していた「九州電力玄海原発」の運転再開にゴーサインを指示したすです。余震もまだあるのに、「信じられない!」なんとも無策さよ…としか思えませんが…。

 さて、今回のスクラップは、この影響下での実施された「電力使用制限令」についてです。
 政府は1日午前9時、東京電力と東北電力管内に電気事業法27条に基づく「電力使用制限令」を発令しました。この発令は、第一次石油危機の37年ぶりの発令だそうです。

 内容は契約電力500kW以上の大企業の工場やオフィスビルの電気を昨年比の15%の削減をする指示です。小口の企業や家庭には15%の努力目標となっています。

 電力使用制限令によって、大企業や役所などの勤務勤務形態も変化しているようです。
 企業(ソニー)によっては就業開始時間を午前9時から、8時に、1時間前倒しで始めたところもあります。また、デパート(銀座・松屋)では節電のため、汗だくで仕事している状況です。
自動車業界や重機製造業界では、土曜、日曜に就業して、平日に休む「休日シフト」を実施しはじめています。電気をつかうため、平日を避け、休日に製造し、残業をなるべく減らして、節電効果を作ろうとしう企業努力ということだそうです。

 今後、東北、関東区域では様々な節電努力がされる状況はつくられつつあります。

 なんにつけ、メリット、デメリットはある。休日シフトの場合は、家族共働きでは、休日の保育園の問題や、終業時間が1時間早まっても本当に残業が少なくなるかといえば、自分で完結できる仕事は通常皆無である。そうなると、残業にになり「労働強化」になってしまう…ともいえる。
 また、通勤を今までより、1時間速く家をでる必要がある。遠いとさらにきつくなる通勤時間となる…など。

 これは、一個人、一企業の努力だけでは済まされるはずがない。なぜなら、これから、この就業時間で、あらゆる場面でヒズミが生じてくる。その穴埋めになってしまう、労働者の犠牲は絶対に避けなければならない。だから、国がちゃんとした指針を出して、企業などに釘をさせす必要がでてくると思う。

 「脱原発」で、子供だけはいい社会で育って欲しいと思い、頑張っている世の大人が犠牲になっては、なんのための「制限令」なのかわからなくなる。一電力会社を守るためのものではなく、日本という国をもっと住みよく、安心・安全にしたいと思うからこそ頑張っていることを政治家には肝に命じてもらいたいと思いました。



 今月、あまり聞きなれない言葉が突然新聞に載っていた。
 「電力使用制限令」…。なんだこれは…と。
 戦中に「戒厳令」や「灯火管制」なる言葉があったというが、これに似た政府がやむを得ず、公布した措置だったのだろう。それもそのはず、原発がいとも簡単にこんなぶざまな事故を起こすなどとは誰もが思っていなかったにちがいない。しかし、それまで」「東海臨界事故」や「美浜原発蒸気漏れ」などの事故はいわれていたが、ほんとうのところは、前段階で目隠しされてわからなかったのだろう思う。

 歴史的に1960(昭35)年福島県が東京電力に原発の誘致を表明してから2011(平23)年まで多くの原発事故はあった。
 そして、福島第一原発が未曽有の被害を出して、やっと政府が一丸となって考え出したいう経過がある。

 それで結果として、東京電力をつかっている東京都民にも影響が出たとうことだろう。
 それが、このまま電気を昨年同様に使用していては、経済産業、医療、生活が停まる…、となって「電力使用制限令」なるものが出てくる結果となった。

 では、「電力使用制限令」を企業はどう受けとめたのだろうか。一時しのぎ方法として、あるいは、永遠に原発を使わない一つの方法として…としてか、いずれの選択によっては、これからの日本の方向性も違ってくるし、力のいれようも違ってくるのではないかと思う。

 私としては、今回のガマンは「脱原発」として位置付け、それに代わる方策をさぐるためだと、思いたい。
 福島第一原発から20km圏内だけの問題じゃないと思う。事実、静岡や群馬でも放射能の影響は報道されている。都内でも同様だ。

 電気エネルギーは経済の強さに比例することはよくわかる。しかし、またしても、今回の事故を違うところで起こした場合、それこそ狭い日本では逃げ場がないのではないかと思う。個人的に「核シェルター」ということもあるが、実際問題、実用的ではない。

 「原発棄民」という言葉がある。放射能の影響で何十年もの経過をみなければなかなかわからない被曝者をいったい、これからどうするのか…。本当に、故郷に帰るのか…。

 そう考えると、少しでも原発を減らす方法としての「電力使用制限令」であって欲しいと思う。
 暑い、熱い夏がはじまったばかりだ!
 国会の政策も熱い議論を期待したい…ね。

◎おまけ…………………………………………………女性の投稿(朝日7/3)
 日本の公務員の皆さまに夏のボーナスが出たそうだ。それを待っていたかのように新聞の投稿欄に「国は赤字でも議員に賞与とは」という記事が出ていた。国は毎年数十兆円の借金をつくっている。それで、ボーナスはないだろうと…。民間企業は赤字では、ボーナスも出ない状況である。それを、考えたら「国のため、人のため」の公務員がなぜなんだ…ということだろう。まして、議員がだ。

…………………………………………………わかるよな…と思う。

 とは、いっても自分が逆であったら、ちゃんと夏のボーナスをもらうだろう。どんなに、理不尽であってももらうだろう…と思う。それが、本音だ。
 別に、遊んできたわけではないし、これまで一生懸命、働いてきたし公務員だって、労働者で、家庭もあれば、生活もある。それを、保障するのは国の責任だと思う。だから、国は責任を果たしただけだろうと思う。

 民間企業にあっては、ボーナスを払えないのはそこで働く労働者の責任じゃないだろう。なぜなら、これもまた一生懸命働いている。どこが、違うか?
 それは、一年間の予算の作り方だろう。民間では経営者がどれだけ、責任をもってやっているか、ないかの違い。それと、世の中の経済動向…。
 いっていることは、同感するが現実を突きつめていけば、その真実は経営者にはかなりの責任があるはず…。それがないがしろになっているか、いないかだと思う…。

ながながと、読んで?いただいてありがとうございました。
ほんじゃまた…来週です。
 
*読んでくださった方、ありがとうございました。