こんにちは。
そろそろ関東地方にも梅雨の季節がやってきそうです。およそ2ヵ月ばかり、日々空をと天気予報を気にしながらの毎日がやってきそうです。とくに休日ぐらいは晴れて、青い空を眺めて休みたいような気がします。
とはいえ、農家にとっては雨は天からの恵み。雨も降らないと作物も育ちません。最近は、種から一切、太陽の光がなくてもそだつ野菜の開発がもてはやされています。さらには土も使わないバイオテクノリジー栽培…、なんとも化学は天候に左右されない作物が食卓を占領する時代もあるかもしれません。
一方で、太陽のエネルギーは大いに使い、作物を育てている農家も圧倒的に多きことは否定できません。
さて、今週はいいことが少なかった週でした。またしても「働き方改革」審議で強行採決が繰り返されています。安倍政権は「強行」が多い法案が多いことに気づかされます。それもそのはずで、審議すべく資料のでたらめぶりや実態からかけ離れた参考資料が多すぎます。
「森本・加計問題」では、首相とその関係者が証言することと、実際の公文書とのかい離がめだっています。森友問題では、前財務相管理局長の公証記録が「残っていない」という国会での説明でした。ところが、後日、膨大な交渉記録が提出されました。加計問題では、獣医学部新設にあたて首相の関与がないと説明したが、それぞれの関係者はせでに会っていた…などこれまでの関係が明らかになってきました。いずれも、与党内では自浄作用がなくなっているように見えます。そんな中での「働き方改革」の審議もそこそこに「強行採決」がやられていました。
そのなかで最近、アイヒマンというナチスの官僚の名前が新聞で目にはいりました。アイヒマンという人はユダヤ人を絶滅収容所に大量輸送する任に当たり、戦後は南米などに逃走していました。大量殺戮に大きな影響を持った人でした。捕えられ裁判によって死刑となりました。そのやりかたが前国税庁長官・財務省理財局長の佐川宣寿氏に似ているとの記事でした(19日・朝日/豊永郁子/政治季評)。国有地を売る方法を考え、破格の値段で森友学園に援助した人でもあります。その中で、今回の森友学園の本質はヒトラー政権に官僚として仕事をしたアイヒマン似ているのではないかということでした。アイヒマンがヒトラーに「忖度」という言葉をもって任務をしていたのではないかと述べていました。そして今のこの動きはある意味、ナチス時代をほうふつとさせる様子があることに気がつきます。
さらには日大アメフット部の選手が関西学院の選手に反則をおかした問題。
説明すべき監督、コーチのしどろもどろな説明。そして雲隠れ…。
そして、反則をしてしまった選手の謝罪。そんななかでいちばんまともなのは反則をしてしまった人の弁明でした。日本の社会はいつからいちばん責任をとるべき人がこうも居直って最後までいるのようになってしまったのだろうかと思ったニュースでした。
どれも、そのテーマの責任者がなかなかでてこなくてごちゃごちゃしていて、まとまりがなくて、うやむやで、曖昧なところが共通してしているところでしょうか。私たちが「わからずじまいで」いつか忘れ去ることを待っているようなところもあるように見えます。
一つくらいはうれいしいニュースがあればと思っていたところ「第71回カンヌ国際映画祭」で是枝裕和監督の『万引き家族』にパルムドール賞が贈られました。なにか家族の形が面白そうな映画だといいます。是枝監督の作品は『そして父になる』という映画をみたことがありました。赤ちゃん取り間違えを描いたそれぞれの家族の話でした。そこで、「本当の家族っていったい形があるのだろうか」ということを考えさせられました。
ぼくが考えるところだと、いま家族は危機的な状況だと思えます。それは、親が子を、子が親を殺す事件を多く耳にするに着けその思いは確かじゃないかなと思います。また、親の年金で生活する子どもの実態などもあります。いつになっても独立できない子どもの面倒をみる老人夫婦など、家族の形はその昔の家族がそれぞれの独立して生きているなかでの関係ではなくなった時代になっているのではにかと思えます。
この映画もその時代の鏡なのでしょう。社会のなかで成長していく家族もあるし、社会のおしつけによって批判されて家族が壊されていくこともあるだろうし、そのいうことを考えれば『万引き家族』はまた一つの家族の形を見せてくれるのではないかと思えます。楽しみにしています。
山田洋次監督の『家族はつらいよ』も好きですよ。
今週は「今月の本棚」の月末になってしまいました。先月はお休みをして「今月こそ」はと力を入れてみたかったのですが、結果は2冊程度になってしまいました。途中で、長編の北杜夫の「輝ける碧き空の下で」という小説を読み始めてしまったので他は読めませんした。本屋さんや図書館に行くと読みたい本はいっぱいあるのですが、現実読める時間も範囲もでも限界があることにつくずく感じるこのごろです。
さて今月は、ぼくにとって読書の原点というもいうべき本を読んでみました。この『二十歳の原点』はこれまで何度か再読をしている本です。この一冊を読むと、他に『青春の墓標』奥浩平著、『人知れず微笑まん』樺美智子とう人を思い浮かべます青春時代を真摯にひたむきに生きた若者の本だと思います。
もうすでに青春時代ははるかかなたになってしまいましたが、今を考ええるうえで大切な人たちだと思っています。
もう一冊は『高尾』命の山・酒井喜久子著です。よく山歩きにいく山の30年ばかり以前の歴史を読むことができます。
こんな身近に自然の宝庫があることはうらやましいことです。それは、観光客がいっぱい、いるかでもなくたくさんの自動車が行くからでもなく、そこに住む人たちの思いがつくった山でもあることを読むことができます。
政治が悪くなるとそれと比例して集会や講演会が多くなっていく。若い頃よりは行かなくなってしまったが時々でかけることがある。周りを見渡せば、なんと定年した人たちばかり目立つこのごろである。「いったい若者はどこへ行った…」とひとり言をいいたいところに「お願いがあります。ここにきている若いひとへ、もっと多くの人をさそってくれませんか」という発言も出てきていた。同感…。そんな集会をけっこうみかけることが多くなったと思うのも最近多い。
◇ ◇
人には一生手元において置き、ときどき読んでみたいと思う一冊がある。それらをいまさら探すのは大変な作業になってしまう。これからは、本を探すのであれば再読を可能にできる範囲で無理をしないようにしている。そんな思いを持ちながら書店をうろつく日々でもある。ならば、これまでどこかで読んだ本を思い出したくなるような本。若いころ、この一冊と共に行動し考え生きていたような本を求める傾向が多くなった。読めばきっと、そこから反省が生まれる、生きていく方向になったような本があるのだろう。自分にとっては、大げさすぎて他人からは笑われても仕方がないような本もなかにはある。人には紹介できなくとも、恥ずかしくなるような本もあっていい。それが『二十歳の原点』という本なのかもしれない。一人の多感な二十歳の学生が学生運動の中で、自分に正直に心の動きをつづった本である。日記文学といえばその分類になってしまうかもしれないが、この本は「生きる」ということはどういうことか…、ということをいつも問いかけてくる。そして自殺。なんとも頼りにならない最期になっているが、それでも生きていることへの必死さは、生きとし生きるものへのメッセージをいくつも語っているように思う。
■このノートは私であるということは一面真実である。このノートがもつ真実は、真白な横線の上に私のなげかけた言葉が集約的に語っているからである。それは真の自己に近いものとなっているにちがいない。言葉は書いた瞬間に過去のものとなっている。それがそれとして意味をもつのは、現在に連なっているからであるが、「現在の私」は絶えず変化しつつ現在の中、未来の中にあるのだ。(p214)
人の頼りなさ、なさけなさ、醜さ、欲深さのなかに人間のもろさが見え隠れにするさまが何にも変えられない生きざまがいいと思っている。
歌舞伎で「どうする! どうする!」という人間の切羽詰まったときのかわいらしさが読めるように思えるのだ。
とはいえ、生きることを欲していることへはメッセージ性が強いところもある。
読み終えると「脱力感」が残ってしまうような本でもある。でも、誰でも心の奥には誰にも語られない言葉がいっぱいあるはずだろう。そのひとつひとつ読み返すような言葉の群生するなか、どれだけ共感を持っていけるか、それとも反感を持ってしまうのか、ぜひ一度読んでもらいたい一冊でもある。リスペクトできる一冊としていまもある。
これまで高尾山にはどれくらい行っているのだろうか。すでに東京に住み始めて働きながら出かけてきた山だ。かれこれ40年近く通っている。40年前は、いまより静かで、冬などは日なたで止まって休んでいたい気がした。今は、静かに止まっていられるところを探しているような気がする。いまのように観光スポットになったのは10年なかりの間である。有名になるやいなや、温泉はできるし、人も多くくるし高尾山の頂上は座る場所さえ探すのも大変な時代になってしまった。それでも。自分にあったコースを探しながらの山歩きができる山でもあるから今でも行くことができるだろうと思う。
その高尾山の本をである。
ほとんど山歩きの楽しみより、これまでの歴史。それも「高尾圏央道トンネル反対」のことが書かれている。
ここは私たちがときどき訪れるところというより、地元住民の生活空間だることがわかる。東西44キロ。裏高尾の住民にとっては生活の場だということをつくずく考えさせられる場所だということを再認識させれた本だ。
現在はトンネルの下で遊べる、集まる集会所などができている(写真)。これだけで終わるのだろうかいう気もある。ここで遊んでいた子どもたちは次の世代にどんな高尾山の様子を作るのだろうか…。自然はそこに住む住民とのつながりの中で形を変えて…いくものだということを考えさせられる。
では、次世代はどんな山の形式をつくるのだろうか。
【分倍河原駅】
5年ほど前から、耳の調子が悪くなった。耳のなかで「セミの声」がするようになった。セミの種類でいえば、季節のなかでいちばん最初に鳴きはじめるミーミーセミの音だろうかと思う。ジー、ジーと一本調子の鳴き声は途切れることなく泣いているのである。鳴き続けているときも、やんでいることもある。
そもそも、なぜこのような状態になってしまったのだろうか。いちばん初めにこの「耳鳴り」を聞いたのはいつ頃なのだろうか。
思い起こせば以前の「一人職場」でのこと。
雑誌の作成はあるや新聞の作成や校正もあるやら忙しい時があった。気がつけば夕方になっていた。静かになった部屋でいたら耳奥で「ジー」という音が鳴り出した。耳の奥が何かで詰まっていてすきまから風が抜けていくようだった。ちょっとたてば治るだろうと思っていたが一週間しても、一か月を過ぎても音は消えなかった。めまいはないが気になって耳鼻科に行くことになった。
以前、花粉症で通った武蔵野市の耳鼻科にいってみようと調べたが、世代が変わったのだろうか今は、「内科」になっていた。できれば評判のいい耳鼻科を…と思い近所の人の話を聞いて、分倍河原の耳鼻科を探しあてた。
それが、はじめての「分倍河原」というところだった。
耳鼻科では、ヘッドホンをつけ聴力検査や耳の奥をみたり、さらにはネブライザーという器具で治療をした記憶がある。医者からは「難聴です。年齢を重ねると出てきます。あまり気にしないようにしてください。眠れなうようであれば薬を出しますから服用してください」とのこと。2回ほど通った。依然として耳鳴りはあった。ぼくなりに考えてもう「慣れる」しかないようだ、とあきらめた次第だった。そして、医者が言うように「気にしない」くらいがちょうどいいとわかってきたように思えた。
最近では「慣れる」という言葉を思い出しつつ生活するようになった思う日々だ。
とはいえ、自分が降りた駅でもいいことばかりではない。とくに病院にいくときに降りた駅は悲しいくらいいやな思いでの駅となっている。東京に住みだして、かれこれ40年余りになる。今回の駅は少しもいい思い出がない。
ちなみに、分倍河原は駅前にドーンと東芝のビルが建っている。何よりも、企業の町というところなのだろう。来年はラグビーワールドカップだとか。ラグビーの強い東芝という。そんな中で今年はどんなイメージセールスをするのだろうか。来年は、地元の味の素スタジアムでワールドカップのイングランド対アルゼンチンの試合が行われるようである。チケットの予約はしたもののとれるだろうかね。
サントリーもありました。近所には、練習場もありました…。
週末、高尾の山歩きに行って来ました。天気にもめぐまれて風も涼しく感じた一日でした。いまごろは、人も山の生き物も活動期なのでしょうか、鳥の声が姿は見えない中聞こえてきました。川ではカジカカエルの美しい音が聞こえてきました。それというのも、人があまり行かない場所に限ってよく聞くことができます。高尾で言えば、裏高尾などはまだ静かで、人より動物の音が多くあります。
ひと月に一度くらいは、コースを変えながら行きたいものです。いまのところ、これはぼくの健康のバラメータの役割をしてるように思えます。
花もたくさん咲いてしました。時間をつくって四季折々を伝えていければいいですね。
今週はこの辺で失礼します。そろそろ梅雨が近づいています。
今月大規模修繕もおわります。1月から、長いなあーと思ったのに、過ぎてしまえば早いものです。これで、また15年後には第2回大規模修繕計画があるのでしょうかね。生きているか死んでいるかわかりませんが。予定だけはあるようです。そんなこより、自分の計画です。さて、来月は何をしようかと思案中でです。年金一部受給も始まります。安ーい年金です。一生受給できるとは言っても寿命がありますよね。
この国はいったいどこへ向かっているのか…なんて加古隆の曲を聴いていると考えます。
読んでくれた人、ありがとうございました。