日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

桜の花が出会いと、別れをつげる春……

2014年03月30日 | Weblog


 こんにちは……
 やっと温かくなりました。通勤途中ではツバメが飛んでいるのを見ました。早くも、自然界は春を感じて動き始めたようです。
 3月も今日で終わりです。
 どんな3月であったのでしょうか。
 私にとって今月はとても楽しい一か月でした。そのなかでも中旬の日光の家族旅行はとても「旅行」の大切さを実感できた日でもありました。
 3月は、遠くにあった季節のぬくもりが、やっと近くになってきたように実感できる月でもありました。

 さて、4月にむかって生活が始まります。
 4月は、よきにつけ、悪きにつけ異動の季節でもあります。私の直属の上司も来月から別の職場へ異動していきました。
 その異動先で、考えてどう行動していくのか考えていかなかければなりません。今、いちばん私にいい生き方、働き方が模索されるものでもあります。
 人生を考えれば、老いてもまだ成長を続けなければならないとつくずく思う4月になるのではないのでしょうか。
 だから、「桜の花が出会いと、別れをつげる春……」と思うのです。
 


 やっと春がきました。
 桜は出会いと別れをつなぐ、自然が用意した花束のように思えます。
 花は人が結ばれたいっては花束を、そして赤ん坊が産まれたといっては花を、さらには、人と最後の別れ際にお世話になりましたといっては花を……。
 日本人はなんにつけ花のお世話になってきました。


 今月は、福島原発が事故をきてから3年目となります。今も、その事故後の処理は遅々として進まない状況のようです。これからは、放射能による影響が人体にどんな形になってくるのか心配はつきません。
 その様子を取材した本がありました。茨城県東海村でおきた「東海臨界事故」を取材した「朽ちていった命」(新潮文庫)がありました。この本は、放射能が人体に及ぼす危険性を原発で働く人を実際に取材した83日間の医療記録です。

 また、「老い」について考えた本「<老いがい>の時代」天野正子著(岩波新書)は、これまで撮放映された多くの日本映画から「老い」をどうのように映し出してきたかを書いていました。映画をとおして、時代の流れのなかで老人たちはどう変わってきて、さらには、どう生きてきたか、さらにはこれからどう生きていくことが大切なのかを追求していました。
 人は誰でもいつかは、年老いていきます。自然の流れのなかで、その老いをどう考えて、これから必要なヒントを与えているような本でもありました。

 小説では、山好きなぼくにとってうってつけの本「春を背負って」笹本稜平著がありました。
 山とはまったく関係ない人たちが様ざまな人生経験をしてめぐりあったのが山小屋の主人(パウロさん)。この主人を通して集まった3人の山に対する気持ちがすがすがしく読めた本でした。また、3人がこんなにも純粋に山にむかっていく姿にとても好感がもてた小説でした。

 また串田孫一著の「山のパンセ」(山と渓谷)は、のんびりと山歩きの途中で考えたことを書いた一冊です。高い山に挑戦して頂上をめざして必死に足を動かして、ふと気がつけば「いったい、こんなに苦しんでいて何が楽しいのだろうか…」と思った人は読んでみるとホットしますよ。

 「ついこの間あった昔」林望著(ちくま文庫)では昔の写真から、その時間ながれた思いを考えた本です。時代の流れのなかで人々の生活や意識がつくった写真を丁寧に述べた林さんならです。写真集でもエッセーあり、時代考証ありと、ぼくがいちばん大好きなパターンの本です。かざらず、おごらず、おこらず、その時間にいちばん大事な生き方を、日々のスナップから切り取った一枚。それが、その時代をいちばん正直にいっているように思える写真集でもあるように思えたほんでした。



 今回はそのなかの3冊を紹介します。
 ひとそれぞれ感想は違いますが、読者はそれでいいと思います。 

     


ついこの間あった昔/林望/ちくま文庫
▼昔は、こんな風に、家々に鶏がいたり、鳩がいたり、犬も猫もいたけれど、それらは現代のように高級なペットとして飼われたうたのではなかった。犬は番犬、猫は鼠捕り、そして鶏はたんぱく質の供給源であった。人間はこれからの家畜家禽の歴然たる「あるじ」で、犬猫をば人間とおなじように見做して猫可愛がりしやものはなかったし、鶏などは卵を産まなくなれば、さっさと「つぶして」こんどは肉として喰ってしまうのであった。しかし。それがもっとも自然な、人と動物の付き合い方で、猫には絹の布団をあてがったり、犬に妙な刈り込みをほどかしてレインコートを着せて歩かせたり、どうもそういう「かしずきかた」には、どこか不自然な、おして間違った愛情が混入しているような気がしてならない(p79)


【感想】
 昔といっても、30~40年前の話し。
 ぼくの子どものころはどこにでもあるような風景なのですが、今、この本を見ていると「懐かしい……」という気がします。それだけ、年をとったいうことをつくずく思いました。
 圧巻は54ページの「荒っぽく、しかし仲良く」という一枚。
 冬の寒い朝、校庭では馬乗りの遊びが盛んでした。高く飛んで、思いっきり背中に飛び乗りうまくつぶしてはよろこんでいました。これぞ、男の子の遊びでした。女子には絶対にできない遊びでした。それでも、だれもけがをすることなく、泣くこともなく、汗をかいていました。洋服が切れたりはしましたが、体はポカポカと暖かくなって軽い運動でした。

 もし、いまやったら、骨がポキッと折れたりするかもしれません。
 人の体はうまくできているようです。その年齢のために遊びがうまく調整されているよに思えるのです。テレビゲームなどもなかった時代は、自分の体がゲームの中心でした。そうしなければ、友だちもできませんした。
 大事なことはゲームをうまく操作できる頭脳ではなく、強靭な体をつくるための食欲でした。あとは友だちと遊べることの協調性だったように思えました。

 いつから変わってしまったのでしょうか。
 子どもは外で元気に遊び、大人は食べるために夜まで働く……。貧しくてもそれぞれのことを心配しながら生活したような時代。そんな昔でもないように思えます。  


<老いがい>の時代~日本映画に読む~/天野正子/岩波新書
▼老いは誰にとっても未知の世界、初体験である。「他者の」ではなく「自分の」の老いは、「思いがけない、未知なるものの正体」というより他ならないである(p)

▼死も自然の風景の一部にすぎない。都市環境が死を覆い隠し、「生」のみを強調するのと対照的である「阿弥陀堂だより」2002年(p45)

▼人気映画には……作り手自身が、演じる俳優自身が、肩の力を抜いて楽しんでいる。観客はその自由さ、軽さ、楽しさ、愛おしさのなかに、老いを生きる気負いのないメッセージを発見すのである(p67)

▼第一に、若者はなによりも消費社会の重要な顧客である。第二に、若者文化はかつてのようなサブカルチャーやカウンターカルチャーではない。青年の視点を大写しにする、社会の王道をいくメインカルチャーである。第三に、老いの感覚をあとに続く世代に伝えるべき壮年世代自体が。若さが引き延ばして老いを遠ざけることに力を注ぐ、それによって若さの価値を持ち上げる方向に貢献している(p111)

▼子どもも青年も。女も男も、老年の問題を生涯の限られた一部分と見るのではない。多様な選択と組み合わせの可能なライフコース全体の編成替えとしてとらえ直し、老いを自分の外にあるのではなく、意識的に育てるものとして内部に取り組む(p122)

▼第一、老いるということは喪失ではなく、別の何かを得ることでもある。
 昨日まで出来たことが、今日は出来なくなる。であれば、昨日までの暮らしの型をくずし、つくりかえねばならない。足腰が弱れば、立ち居ふるまいに力を抜くカンやコツが身につく……

 第二、ライフコースを、老いと死の非合理性から出発し、とたえなおす視点を取り戻すこと。それは、老人~成人~青年~子どもの四世代の構造を社会的に意味付けること、老いと死と生の循環性を世代間の継承性のなかに位置付けなおすことである……

 第三、老いの意味、いわば<老いがい>は、老いた人びとに求められるものではない。それは周りの人びとや日本社会が共同して創り出すことを求められているものでもある(p199-201「まとめとして」)


【感想】
 人はいずれ誰でも年をとっていく……とは知っているにちがいない。
 それは、駅の階段を上っていくときつまずいたり、老眼になって目がちょっと不自由になったり、若かったときよりも女性を無理なく好きになれたり……と老いを感じるときがある。それが、いいことか、悪いことかを考えたところで、現実に起きていることであるから全部受け入れるしかないと思っている。

 大事なのは老いの状況を受け入れて、なおかつ生活がちゃんとできているかということだと思える。
 老いてけがをして病院に行ったところ、診療代がばか高く、老いの年齢で払えなくなったときは、やはりこれは老いの問題ではなくて政治の責任だと思う。生活ができなないという現実は、本人がいくら頑張っても老いということであるため出来ない…というのが現実なのだからどうすることもできない。

 30~40年働いて年金をおさめてきた老いが、定年後生活できないことは、政治の問題だろうと思う。本人は老いであっても元気に暮らすことが当たりまえにするために納めてきた年金なのだから……。病気やけがによって老いがまっとうできないことは社会の問題だということだろう。
 待機児童のも多いが特別養護老人ホームの待機老人が52万人という数字が最近、目にした。これまで、待機児童はニュースにもなってその対策をちくいち報告されてきたが、一方、老いた老人も年々増えていく傾向にあるなか入るべきところにはいれない政治がまかりとおっている。
 来月から消費税が5%から8%になる。この税金を本当に使うきがあるのだろうか。老人の権利をもっと拡大するようにしないと大変なことになるのではないかと思う。
 弱者は子どもだけではく、老人も同じである。最低の生活の仕方をしっているだけまだいいが、その最低の生活もできない消費税8%の値上げはいったい誰のためか……といわざるを得ない。

 私もいずれあと10年もすれば年金生活者だ。
 本当に生活できるのか?。それは疑問だと思っている。
 老いるということは、時代の流れのなかでいちばん影響をうける存在になるということだろう。社会にとっての価値はうすれうつつあるのだが、現在までの社会をつくってきたことは確かなことのだ。



朽ちていった命~被曝治療83日間の記録から/NHK「東海村臨界事故」取材班/新潮文庫

▼現場から始まったこれらの違法行為は二年後の一九九五年七月には会社の承認を得て、作業手順、いわゆる『裏マニュアル』となった(p52)

▼被曝した瞬間、大内の体は設計図を失ってしまった(p57)

▼山口は自分のやっていることが実際にだれの幸せや喜びにつながっているのかわからなかくなった(p125)

▼救急医療に携わっていると、余命があまりないと診断された患者さんをどこまで治療すべきなのか、患者さんの運命にどこまで関わることが許されるのかという問題につねに直面している(p173)

▼原子力安全神話という虚構のなかで、医療対策はかえりみられることなく、臨界事故が起きた。国の法律にも、防災基本計画にも医療の視点、すなわち「命の視点」が決定的に欠けている(p194)



【感想】
 3年前、福島第一原発事故によっていまだに20km圏内はまだ放射能危険区域となっている。さらには、汚染水処理、除染続けられているが事故後の廃炉にむけた修理もうまくいっていないようだ。
 3年後のいまでは、放射能汚染について語らえなくなったが、なくなったわけでもなく、人の記憶から「いやなこと」として忘れ去られようとしている。それでも、放射能はいまだに人の命をむしばむことはないと安心できる状況ではないのも事実である。むしろ、これからが問題で、人体に入った放射能が人体にどんな影響をおよぼしていくにかが心配なところである。

 「朽ちていった命」はその警告をしている本でもある。実際に、茨城県東海村での原子力施設「JCO東海事業」内で起きた臨界事故を取材した記録である。当時、大内(35歳)さんが作業中、事故によって大量の放射能を浴びた。
 放射能が事故によってどれだけ人間に影響をおよぼすのか、治療を続けながら取材した83日間の記録でもある。

 医療スタッフがどれだけ高額の医療器具や医薬品を用いても、放射能に汚染された体は助けることができなかった。放射能をあびた瞬間「……大内の体は設計図を失った」というように、人間が回復めざすために進路が閉ざされた体になってしまったことも証明された結果だった。

 やはり、人類と放射能は共存できないといということが明らかになった瞬間だった思えた。それも、最悪なのは、その放射能をいちばん人間に近づけたのは人間ということだ。
 結局、人類は人類では制御できないモンスターをつくりだしたということだろう。
 福島原発事故の影響はきっと、何年かすると出てくるように思える。
そして、核と人類はもはや共存できない……なと思った。
※現状の健康調査に関する動向は岩波新書『県民健康管理調査の闇』(日野行介著)に詳しい。


 3月も終わりです。
 この時期、人事異動などが職場をにぎわせています。去る人、来る人、とさまざまな思いを胸に仕事がはじまりした。
 ぼくも6月に異動する予定です。先週そのことを上司に言われたところです。もう時期、60歳。多くの仕事を覚えることはできないと思いますが、これからは今までの経験を上手にいかせる職場だといいと思います。
 「適材適所」と原則があるかどうかはわかりませんが、いずれ同じところ同じ仕事続けるのは芸術家でない限り無理な話ではないかと思います。

 まあ、どうにかやったいこうと思います。
 これかは、ちょっと自分の時間が多くなる予定ですから……。

 今週土曜、花が散ってしまっているかもしれませんが、花見に行く予定です。また、一つ楽しみがみつかりました。
 みなさんの方はいかがですか。
 ではこの辺で…

桜が満開になりました。
*読んでくださった方、ありがとうございました。

春いちばん……に押されて

2014年03月23日 | Weblog


 こんにちは……
 休日の夕方のんびりと陽の落ちるのを眺めていたら、だんだん一日がながくなってきたなあ、と感じる。お彼岸となって、ぼくの住む近所の都営霊園は若者がつどう原宿同様に、こちらでは花を持った老人たちが列をつくって狭い街道を列になって歩いていた。
 どこかで線香の煙がにおってくる春……季節は四季のを作り始めているんだなあと思いました。
 また、甲子園球場では選抜大会が始まっていました。気がつけば、一日中テレビの前に座って応援していました……。

 さて、今週はどんなことがあったのでしょうか。春という言葉がやっと身近になってきたように思えても吹く風はまだ冷たいような日々がつづいています。そんななかで、「春いちばん」という言葉を今週聞きました。
 となれば、日本人は桜の開花が待ちどおしく日々を送っています。

◎インターネットでベビーシッターを頼んだ…代償は悲劇があった

 横浜のわかいお母さんが、手軽に頼めるネットを利用して埼玉県富士宮のベビーシッター業者の二人の子どもをあずけてところ、八か月の次男が死体となってしまった。シッターをしていた男は、死体遺棄罪で逮捕されたという。

 あまりにも安易に子どもを他人に依頼する時代になってしまったような気がする。それも、身元もよくわからない人に、さらにはインターネットで顔をわからず依頼する。急な仕事があったのだろうか。子どもを預ける側、預かった側の双方の責任があるような思いがある。
 お金ですべて解決したしまおうとする面が人間関係が冷たくなる。こと、人間関係にあっては、この冷たさをいちばん避けたい部分なのに、と思う。
 子どもの責任は最終的には親の決断できまってしまう……。そう考えるともっと、自分の身の回りの人たちを大事にしないといけないのかと思った。大人の人間関係を子どもも見て学んでいて、いつのまにか同じようなことをしているわが子を思い出す。


◎春闘でストをうった組合……がんばれと思う

 大手労働組合の春闘がほぼ終わったようです。今年は景気がいいのか?
 会社の回答を受け、終焉となったようだ。ほとんどが政府のなりものいりのおかげか、あるいは円安という背景によって終わったようだ。しかし、派遣社員の待遇や賃金の交渉も置き去りになったようななか終わったように思えた。

 そんななか、ストライキを打っていたる労働組合があった。最近、あまり聞かれなくなった言葉だ。そのうち「死語」になってしまうのではないかと思っていた。ギリギリの交渉も山場、神奈川県相模鉄道がストライキを実施した。その背景をニュースでは「迷惑」なような響きで報道していた。また、利用者の声もひろっていた。
 「雨の中、歩くのは大変。個人的にはストは日曜日やってほしいわ」「仕事先へはタクシーで向かうことにしますが(乗り場は)行列になっていますね」との声が紹介されていた。また、「20分ほど歩くことになるが、私も働く者としてストが悪いとは思わない」との意見も紹介されていた。

 ぼくが学生のころ(35年ほど前)、国労がスト権ストで一週間くらいストライキをうっていた。線路を歩くもの、ホテルに宿泊するものと紹介されていた。時代は、民営化の流れもあった。さらには、民営化を機会に国労組合の弱体化をねっらた時代でもあった。
 ストライキをやったが、結局、国鉄はJRとなり、そのことによって多くの国労組合員が差別され、自殺者を出した。デモもあった。それでも、強行され、民営化は動き始めた。多くの犠牲者をだした民営化移行はストライキがむだなように思えこともあった。

 しかし、ストライキをやったことで働く人たちの権利がわかった。労働者は資金も資本もない。あるのは、仲間との信頼だけだ。その信頼を団結にかえて資本にむかうしかないのだろう。問題を解決する手段としてストライキがあった。そのための労働組合が必要なのだろう。一人の力は弱いが、団結して解決すべき課題を取り組めば、本当に必要なものはなにか人間に問いかけてくる。それをまた土台に働く……。
 いま大事なことは、一人の知恵よりも全員で前へすすめむことが大事だ働き方じゃないのかということだと思う。仕事はけっして一人で終わらないだから。


◎ストーカー初の2万件超す!!

 昨年一年間全国の警察が相談や通報があったなか被害が2万1089件あったという。前年比5・9%の増。年々増えるストーカー事件。有名な事件は桶川ストーカー殺人事件。事件の被害者は若い女性だった。また、吉祥寺で起きた女子高校生をねらった殺人事件。どれも、弱い立場にいる女性がほとんどだ。

 人を好きになるのは誰しも止めることはできなだろう。好きになってしまえば「恋は盲目」となる。それでも、正直に告白して断られたら最低の仁義としてなるべく避けるようにする。さらには、相手の幸せをねっがて…と思い離れる。縁がなかった思うしかないだろう。
 片思いでも時期にお互いのことをしる内に好きになるかもしれないのに……。暴力に訴える短兵急な行動派けっきょく墓穴をほってしまう。
 それが人間の悲しさだろうか。
 まあ、暴力でおさえようとするのは、DVだからだめでしょう。まして、殺人事件は最悪の状態。

 最近「心中事件」というを聞かなくなった。つかず、離れず、お互いがそえない運命。ロミオとジュリエットばりの恋愛もなくなったのかなあ。大事なのはお互いが納得して死ねる信頼もなくなったのかなあ…と思う。
 

 いまだの先週行った日光の余韻が残っている。
 このワンショットの人たちはいったい今、どこで何をしているころだろうか…と思うことがある。元気に仕事に恋に、さらには遊びにはげんでいりころだろうか、と思ったりする。きっといい思い出をつくって、また自分がいちばん多くいる場所に帰っていったことだろう。

 ぼくの方は、今日は散髪にいったり、本を探しにいったりとまあまあ忙しい休日を送っているところである。スナップでいいところは、肩がこらないところがいいのだと思える。自分と同じ場所に今、同じ地平にいる人たちを撮るとあとあと眺めては、「がんばっているのかなあ…」などと思うことが多い。

 きっと誰にでも、自分のいる場所がいちばんいごごちのいいところにしようと一生懸命にこしらえようとするのだと思う。
 今回のぼくのブログにはこの写真がいちばん、いごごちがいいと思ったので更新してみました。
 さて、感想はどうでしょうか……??
 10年もたてば、この景色もどんなに変わっているのだろうか?
 こんな写真が絵葉書になったらきっと面白い思った一枚。


 毎年恒例になっている「2013年日本報道写真展」横浜に友だちといってきました。昨年の一年間報道された写真を展示したものです。
 全体をみてみると、やはり年々東北大震災と原発事故の写真がすくなってきたように思えました。
 ぼくとしては、原発事故の後の問題になっている汚染水問題や原発修理の様子を撮ったものも一緒に見たかったのですが少なかったようです。

 後は、近くの居酒屋でお疲れさん(いつからか、こちらがメインになっているようになってしまったかもしれませんが)飲み会を開催し、解散しました。
 ……こっちの方が楽しいのでうから仕方がありません。


※詳細はこちらでどうぞ。日本報道写真展(3月30日まで)

◎お知らせ
 6月ごろ今度は恵比寿で「世界報道写真展」が毎年行われる予定です。
 ことしはどんな写真展になるのか楽しみです。



 今年のお彼岸は天候にめぐまれ、3連休は行動するのによかったのではないのでしょうか。
 もう少しで桜の便りも聞こえてきます。毎年、咲く桜ですが、今年はどんな思いをもって眺めているのでしょうか。久しぶりに、お花見もしたいものです。
 今月も今週で終わりです。はやいものです。温かくなると、行動範囲も広がるのでますます、日々が速く思えるのではないかと思います。
 山歩きも始めようと思いますが……。

◎Step in Just!!無理なく、自分の高さで、歩いていこう
 上の写真は、骨折したかみさんが、絶対みたいと思う建築物の前でその大きさに、チャレンジをしているところをワンショット。それにしても、年齢を重ねるということは骨が弱くなるということです。旅行から帰ったら、病院で即ギブスをはめられ、全治6週間とのことです。まいったわ……
*読んでくださった方、ありがとうございました。




少し温かくなってきました…小旅行にいきましたが…

2014年03月16日 | Weblog


 こんにちは……
 最近は少しずつ春らしくなってきました駅のホームでは卒業シーズンなのでしょうか袴姿の女子学生をみかけたりします。
 なにを勉強してきたのか……。毎年の行事とはいえだれにとっても悦ばしいことだと思います。
 社会にとってはまだまだ小さな芽でしかないのですが、これから大きくはばたいていくことを願っています。


 「やっぱり、家がいちばんいいなあ…」と。
 旅行から帰るなりそう思った一日でした。なんとも、人間はわがままであることか。そんなことを思った小旅行です。
 「かわいい子には旅をさせろ」という言葉があります。それも、若いうちは一人旅です。旅にでて、世間と家族の温度差を自分なりに感じてみてこい…ということでしょう。旅に出て、世間の冷たさ、温かさを身にしみて、焼き付ける時間が大事なことをいっているように思えます。世間に出れば、自分の考えや行動が本当に通じるのかどうか……ということを知る機会でもあるようです。「井のなかの蛙、大海を知らず」ということを考えるのも旅であるようにも思えます。

 世間に出れば、世の中にはこんな偉大なことをやった人間がいる…とか、自分にもできることもあるだろうと……。それが、なぜ、こんなにもできたのか考える時間ももてることでしょう。一大事業をやった人が、その偉業を後世に伝えるために何をのこしてきたのかをすくずく考えるのも旅だと思います。
 見るもの、味わうもの、触れるもの…とそれだけこれからの自分の人生にかかわったいくのか、少しわかったようになるのも旅だと思います。

 家に帰ればまた、過酷な仕事やめんどうくさい人間関係がまっています。それでも生活のために働いて日々を送らなければなりません。それでも、自分がいちばんゆっくりできる休息所が自分の家であり、家族です。
 そんな繰り返しが一生なのでしょう。
 「男はつらいよ」の寅さんは、一年のほとんどを旅また旅に明け暮れて家に帰ってきます。そこでは、思いっきり家族に甘えて乱闘シーンあり、こころなごむシーンありと、旅の意味を教えてくれています。
 いいことがあると、「世の中まだまだ捨てたもんじゃない」と思える日々が多くあるといいと思います。
 


 さて、今週はなんとも10年ぶりになるでしょうか……「家族小旅行」にいってきました。いろいろあったここ数年、どこへいくこともなく過ごしてきましたが、ここいらで気分を変えてみたら……ということもあって、娘が計画をねり進めてきました。今年の1月に予約をして、まちにまった家族旅行でした。(予定は一泊二日)

 場所は、写真でも紹介しているとおり、日光国立公園でした。
 新宿からおとそ3時間半くらいでいける(こんなに近い)ところです。日光は小学生のとき以来、50年ぶりでした。
 季節がまだ春にはとおいからでしょうか、まだ観光地としては旅行者の少ない日光でありました。
 これが、桜も咲き、紅葉のシーズになると混雑するようです。町も活気にみちてどこへ行っても満員なのでしょう。さいわい、3月は雪も残っていて静かな公園だったのはありがたかったです。


◎コースは新宿10:30(東武スペーシア)=下今市・12:18=東武日光線=東武日光・12:36着~~バス12:14=田母沢御用邸~~14:14保養センター:やしおの湯~~金谷ホテル16:00
◎2日目 カナヤホテル10:00=徒歩20分日光東照宮見学~15:29(東武スペーシア新宿行)=新宿17:29


※詳細はこちらでどうぞ。日光金谷ホテル



 夕方、宿泊者全員を対象に「金谷ホテル140年の歴史」の説明がありました。ホテル創始者である金谷善一郎がいかにしてホテルを作ろうしたのかというお話がありました。また、戦後、占領軍によるホテルの様子などもおよそ30~40分ほど館内を案内しながら説明していただきました。なんと140年の歴史のなかでは歴史のなだたらる著名人が宿泊して楽しんでいたことがいかがわれます。
 博物館のようでもありますし、日本のホテルの歴史を知るうえで欠かせない存在であったことがわかりました。

※詳細はこちらでどうぞ。日光金谷ホテルの歴史



 宿泊者名簿にはヘレン・ケラーやアインシュタインなど直筆のサインがありました。なんとも、驚きです。
 ホテルの廊下には、これまでの歴史の写真が展示され、博物館でもあります。


 夜はフルコースのフランス料理でした。1時間半もかけて夕食をする機会なんてめったになく、楽しい食事ができました。料理も肉あり魚ありともりだくさんで美味しい食事でもありました。
 140年の歴史のなかで今まで残っているとうことは、何かが受け継がれ、何かを伝えようとしているのでしょう。ホテルの従業員の皆さまが若い人たちには驚きました。彼らはどんな気持ちで働いて、これまら何を後世の伝えようとしているのか……。興味をそそる気持ちがしました。これから、新しい金谷ホテルの歴史をつくのも彼らであるのでしょう。
 正直、宿泊料はちょっと高いのですが、140年の歴史のなかで、これからのことを思うと食事や宿泊施設も大切なのですが、それ以上のそこで働く人たちの考えが価値があるように思えました。
 また、ちょっと無理かな……、行けたらゆっくりしたいと思いますし、どう変わろうとしているのか聞きたいような気持ちがします。


◎2日目……日光東照宮散策でした



 さて、2日目は日光の目玉商品でもある日光東照宮に行ってきました。金谷ホテルから30分くらい階段を上ったところに入場口がありました。
 江戸時代の将軍でもあった徳川家康の霊廟がまつってあることでも有名な場所でもあります。ぼくは、霊廟などより、その時代の贅の極地ともいえる装飾品や絵などが楽しみでした。国宝級の建物や絵などはここにこなくてはその良さもわからないということがいえます。

 参道に多くの中国語を聞きました。やはり、中国の経済発展の影響でしょうか、中国人の観光客が他の外国人客より圧倒的に多いようです。
 最近、サッカーの浦和レッズの「ジャパズニースオンリー」という垂れ幕が問題になっていたことを思いだしました。これも、片方のわがままのようで、一方ではいやがらせのように見えることもあるでしょう。ヘイト・スピーチなるものは、一方側だけにあるのではなく、加害者、被害者の両方が一方的にいっても問題の解決にはならないでしょう。
 今までの歴史を両方が理解していくことが大事なのではないあと思います。





 一年に一度くらいは旅行もいいものんだなと思える休日でした。今回の旅行も少しは不安もありました。病気療養中の妻が良好といってもどこまでいけるかなあ…という不安もあり、当初は不安であったと思います。
 あんのじょう、温泉に行くとき足を捻挫しました。帰りも不安な中、地元の病院に行ってみると骨折との診断でした。旅行中ははれもなくよかったと思っていたのですが、レントゲンの結果骨折とわかったようです。
 今はギブスをして生活中です。

 まあ、いろいろあったけれど、行ってよかったと思います。行きから帰りまで計画してくれた娘には感謝でいっぱいなところです。
 人生いろいろと災難にぶつかりしながら、それをうまくはらいのけてやっていくしかないようです。
 それにしても日光はさすがに観光地です。駅前の建物がみんな低いのには感心しました。これが、大切なことです。ここでは、メインは建物ではなく自然の景色なのです。私のメインは家族です。誰かが調子わるかったら、誰かがそれをカバーするように暮らしていくことでしょう。うまくいくか、悪くなるかはその次のことです。とりあえず頑張っていくしかありませんね。
 今度は日光の山歩きもしたいですねえ。

 今週は時事問題(ニュース)の解説はお休みしました。また次回からボチボチとやっていきたいと考えています。暴走する安倍政権も気になるところです。
 お彼岸も近づきつつあります。連休の初日は、毎年の恒例の横浜での報道写真展にいく予定でいます。そちらも楽しみです。
 
 今回はこの辺で……
 *読んでくださった方、ありがとうございました。



温かさは…もうちょっとのですか。

2014年03月09日 | Weblog


 こんにちは…。
 今週は天気にもめぐまれた分、寒さももどってきました。朝の通勤時間はきびしい寒さのなかでかけていく日々でもありました。
 それでも、温かさは日々着実に季節が運んできているようです。散歩の出かけると、足元には小さな花が咲きはじめています。早稲の桜は花をひろげてむかえています。
 季節を感じることは、少しずつその季節にあわせた体が反応をみせるころでもあります。日の出も30分くらいはやくなったようです。
 季節を敏感に感じるのは、鳥のような恒温動物ではなくて、虫のような変温動物だそうです。鳥には羽毛があるわけで寒さをのりこえる体ができているのですが、虫はそれを土地の温度で感じて地上にあらわれるそうです。日々、三寒四温……。身近に虫たちがみえるようになると本当に温かくなったということだそうです。「春の数え方」日高敏隆著)。鳥は虫をごはんに生き生きした姿をみせ、虫たちは鳥のごはんになってしまうなどとは夢にも思わず活発に動き出す。弱肉強食という日々が近づいてきているよは考えてもいないだろうが……。それでも本当の春になるということはそういうことだそうです。

◎ソチパラリンピックは非日常…生活は日々、毎日だということ
 さて、今週はロシアのソチでパラリンピックが開催されました。冬季五輪のあとで少しは、応援熱はさがってしまいましたが選手の活躍には家族で一喜一憂の日々がもどってきました。でも、今のところ残念なのは、ソチのニュースよりもクリミア半島情勢の方が多く報道されているようです。
 さらには、ソチパラリンピックにウクライナの選手が不参加というニュースも流れてきました(結局は参加することになりました)。

 選手の人たちには自分の競技に集中してほしいところですが、国の利権をあらそって政治が語られるパラリンピックになってしまいました。ロシアのウクライナ対応にアメリカが反発しいました。昔、モスクワ五輪をボイコットした日本が思い出されます。
 スポーツは政治を超えて…といきたいところですが、当事者にとっては国の生死にかかわること。選手のがんばりは大変貴重なものですが、それでも生活は明日もつづくのですからスポーツ以上に大事なことなのだと思います。
 がんばれウクライナ!!残念のことはそれだけではありません。
 ソチの気温が東京よりも温かいせいか雪の質が悪いそうです。選手にとっては普通以上に工夫が必要なところです。

◎夜行バス事故…やっぱり無理が先行してた
 3日に富山県小矢部市の北陸自動車道上り線・小矢部サービスエリアで夜行バスが大型トラック2台と衝突した事故で運転したいたバス運転手(37歳)の勤務が11日連続で働いていた。
 事故の原因は過労でしょうか。現場では人も減らされ、赤字にならぬようにいる人たちでどうにか運行をしていたようだが、やはり無理がたたって事故がおきたのだと思えた。労働組合も人員減でもあり、残るためには連続勤務も暗黙の了解だったようだ。運転手の不注意ですまされる問題ではないので原因をもっと身近な現場にしぼっていくことが大事なことだと思う。

 きっとなにか違反しているとか、やりたくもない「手抜き」を仕方なしにやってしまった…とかあるようだ。まわりまわって、それをやれる環境を会社も組合もつくってきたのかということが大事なことだろう。
 最近、料金が安い夜行バスの利用がふえているにもかかわらず、バス運転手の労働環境は変わっていなかったようだ。どんなにいい法律ができても、それが職場で日々働く人に伝わり、実践しなければ無意味で、政治家の自己満足になってしまいます。

◎柏の連続殺傷事件
 むかし、柏の高校にかよっていたころ(40年ほど前)は静かなところだと思っていたが、なんといまや新宿をもぬく勢いのJR利用客の多さ。東京まで30~40分くらいの近さもあり人口が年々ふえているのだろう。
 人が増えるということは、いろいろな人がいる……ということ。
 容疑者は24歳と働きざかり。若い身で「社会の報復」することが生きるエネルギーになってしまった。

 深い溝につきつけていくとやっぱりドストエフスキーの「罪と罰」の犯罪者のラスコーリニコフを思い出した。犯罪は自分の気持ちをいちばん先行していくが、それを押すものが背景にあったのだとと思う。ラスコーリニコフにとっては貧しさだと思えるように、今回の24歳の容疑者も貧しさ(お金)があるのだと思えた。金銭がすべて……とは思わないが、自分の形をつくる第一条件でもあるのもお金。
 うまくつきあっていくことはできなかったのか、と思った。

◎福島原発事故から3年…風化される危険
 安倍総理の原発再稼働の政治の勢いをかってか、水面下では再稼働の塊がうごきはじめたような気がする。それも、原発事故の解決も廃炉もいっこうにすすまず、福島原発では事故処理に原発労働者のがんばりにもかかわらず、でてくるニュースは汚染水が出る。これから問題になってくる、原発地域にすんでいる健康診断もどうなっていくのかわからない……。

 知人に福島の人もいる。最近は賠償問題になってきているという。それも、原発でなくなった人の保険や賠償金をめぐって家族が離散することも起きているともいう。賠償金をめぐって遺族がバラバラになっていく…遺産相続のようだ。
 もとを質せば、こんな問題をつくったのは、原発を安全という政治だろうし、原発を管理している東電だろう。
 放射能の危険はだれでも認識していても、それがどうやってできてしまうのか、歴史を覚えそのなかで選択したきた原因をもう一度反省していくことが大事なことだと思う。

 汚染水問題、漁業者の仕事、廃炉に従事する労働者、さらには古里を追われた市民の保障問題。
 過去、現在、未来……というなかで、いま政治は過去を無視して「靖国参拝」、「集団的自衛権の行使の拡大」さらには「原発再稼働」ということを考えているように思える。現在は大事だだが、私たちが後世に残すべきは未来を見据えた過去の反省なのではないかと思えるのだ。あわてて、過去を無視して「今がよければいい…」ような今の経済政策のようなことはつつしむべきであるのではないかと思う。
 原発事故3年目。私たちは過去に目を向けて検証し、原発の危険をさらに学び、次に必要な現在をつくり、未来を後世を後世にどれだけ残せるかが試されている時代だということをつくずく思うですが……。そのなかで自分でできることを忘れないでおきたいと思うのだ。
 3年めも活発に報道してほしい。


 遠距離通勤(往復90×2+ローカル時間)は日々負担が大きい。それも電車通勤である。乗り換え4回(こんなはずではなかった)はちょっときびいなあーと思っている。どうしても、全部座っていきたいといつのまにか「座席獲得バトル」に参戦している自分がいた。
 乗り換えもほとんど駆け足状態で階段を下りたり、昇ったり…という日々を送っている。さぞかし、足腰が鍛えられるだろうと考えるような余裕がない。そう、思っているのはほとんどが第三者に人たちだろう。
 当事者は常にバトルに参戦し、座ることに集中する。オジサンは今日も座ることに集中しているのだ。

 そんんなか、最後の乗り換えにのときにはゆっくり周りを見渡すこともできるようになる。すると、毎朝同じ顔ぶれの乗客の顔が安心をつれてくる。
 Aさんはこの時間。Bさんはこの時間。Cさんと一緒になったら、もうやばい…会社に電話連絡を…となる。
 よくよく考えてみればみんな一人ひとりが時刻表になっているようだ。
 そんな日々が休日には居眠りをしてもいい……。電車のなかでゆっくりしていたいと思うのは自然なことだろう。
 帰りはだんだん暗闇にはいっていくようなローカル線に乗車すると安心する。まだ、東京でも田舎で、川あり、畑あり、ちょっと足をのばすと田んぼまである。夏には蛙がないている。梅雨時には道路のまんなかを歩いているひき蛙にでくわす驚きもある。これがあるからガマンもできているのかもしれない。そんなとき、ふとわれにかえる。


 春闘がはじまった、というより、大手はもう終盤戦の様子。
 今年は労働者側は消費税8%都という数字が大きな武器になっているようです。交渉の場でも消費税よりは値上げをしてもらわないと、消費者らしくならないし、買えない…ともいえる情勢だろうと思う。大手企業ではこの消費税をあてこんで多くの人が駆け込み消費者になることで利益をもたらすことだろう。企業がもうければ、当然労働者にも還元すべきとは、当然の理屈で、組合も頑張れる理由がある。

 大手電気企業はベースアップ値上げの調整段階だというからもう終わっている。この様子をみていると、ベースアップはいずれも正規社員のことで非正規社員はかやの外。
 いつでも、どこでも派遣切りの安全弁の非正規労働者はどうなっているのだろうか…とふと、考えた。安倍首相は派遣社員の対応を「規制緩和」の名のもとに法改正を進めている。ますます、不安定な労働者をつくりだそうとしているようにも思える。
 いつの時代から「派遣社員」の企業があり、そこを通して派遣される労働者のしくみができた。おかで、「職業安定所=ハローワーク」は失業者のみの対応のようになっているようになった。以前はハローワークから仕事を紹介されていたものが、職業選択の多様化なのだろうか、派遣会社ができてしまった。おかげで、法の内容もあまり追求されず仕事を紹介するようになった。結果として、ブラック企業がはびこり、労働者は「蟹工船」(小林多喜二)の世界にひきずりこまれたようだ。

 アメリカではメキシコなど中南米の移民の労働者が多数をしめている。それも不法労働もあるという。しかし、それもうまく利用されているようにも見える。選挙ときは大事な有権者として、また、アメリカ人の労働者の失業対策の安全弁として利用されてきたようにも見える。
 それが、いまの日本の派遣労働者のようにも見えるように思えるのはなぜだろうか。むかし、日本はアメリカの10年後だといっていた人がいたことが思い出される。しかし、いまや日本は失業や格差はアメリカを追い抜こうとしているのではないかと思える。それをつくっているのも労働者自身であるから、どこしようもない。

 大事なのは春闘、春闘で賃上げするのも大事だが、アメリカの10年後にならないようにするのにはどうしたらいいのか考え、実行するときなのではないかと思う。労使にしろ、民族問題にしろ……いいことはないことだらけだと思う。




 春ももうすぐだと思うと、やはり温かい方がいいなあと思う。
 人との関係もそうありたいと思うのだが、これはひとすじなわではいかないらしい。自分が思うより行動を少しずつやっていくのも解決方法なのではないかと思う。
 今月11日は、原発事故3年目という。
 はやいものだと思うのか、まだまだと思うのか……少しもいいことがない原発事故の報道には、いったいこの国は本当に原発がなければだめなのだろうか?と思う。放射能というえたいのしれない物質があり、古里にかえれない現実があるということは気味のわるいものだ。
 小さな町などひとたまりもない被害、それも目にみえない物質。
 ほんとうにこんなものに人間は弱いのだろう。
 ただ、これから心配になるのは、5年後、10年後のことだろう。少しずつ形になってくる。それも病名がでてくるのだろうと思う。

 最近、友だちから『朽ちていった命』(NHK東海村臨界事故取材班)新潮文庫という本を借りて読んでいる。茨城県東海村の核燃料加工施設でおこった放射能被爆事故で被爆者となった患者を追ったドキュメントである。
 事故から83日間、取材班が追いかけた被爆者の命を伝えた本である。人間の体内に入った放射能がどう人間の命をむしばんでいくのかが詳細に書かれた本。人間というものは、とんでもないものをつくっているんだな、と思った。
 
 3年前の3月11日の。
 会社に宿泊して、外では数珠つなぎの車が途絶えることないような長さだった……。
 車も電車もとまって寒い夜でした。
 こんあなことが原発はやっぱりだめだと言う理由にはならないが、子どものことを考えると「とんでもない、やめてくれ」と思う。

 今週は、こんなところでしょうか。来週はどんなことが起きるやら。
 ウインドウズXPも更新が終わるそうだ。まあ、文章を書くくらいならなんの問題もないのだろうが、世の中には故意にウィルスをばらまきたがる人がいるそうだ。まあ、ゆっくり、小遣いでもためて買い換えようかと考慮中。

*読んでくださった方、ありがとうございました。



もうすぐ、春ですが……

2014年03月02日 | Weblog


 こんにちは……。
 ようやく3月になりました。季節は春なのですが、いま少し寒い日が続いています。せっかくの休日も雨が降り、寒い一日なっています。
 今日も雨のなかいつものように多摩川の散歩にいってきました。それでも、まだ寒い……。今日はまだ寝床のなかのいる人もいるでしょうね。

 ロシアのソチ冬季五輪も終わりました。いちばん感動したのはメダルをとったシーンより、女子フィギアのフリーで頑張った浅田真央選手の演技でした。悲しみや、悔い、これまでのすべてを凝縮させたような演技、演技をおわった瞬間の表情、とすべてに感動した4分間の演技でした……ね。
 フィギアスケートがスポーツとはわかっていますが、あれは芸術だなあとも思えました。人間の悲しみ喜びをすべて一つのなかに表現しようとする演技はやっぱり芸術ともいえるのではないかと思いました。
 すべての演技者に拍手です。

 季節は、ひと雨ごとに春…にむかっているようです。それが証拠に、忘れていたうチューリップの芽がでていました。自然のなかでは春の空気を敏感に感じとっている土や水が成長をうながしているようです。しかし、私の体はまだ感じとっていないですが…。


 さて今週もいっぱい人の動きと同様、考えさせられるできごとがいっぱいありました。
◎ビットコイン「マオウント・ゴックス」が倒産しました
 何……?。どういうこと……?。
 これにはまず「ビットコインとは何ぞや」から始まらなければ理解できないようです。
 ビットコインというのは、インターネット上で流通している「仮想通貨」だそうです。利用者はパソコンでネット上で接続して取引サイトにはいって参加する。
 今回問題になったのは、ネット上でのデータが全部が何かの事情で全部消えてしまったとうこともありますが、ビットコインの動きの投資家たちが目をつけ、相場を考えて現金で投資しました。その現金がオウント・ゴックスという会社にあづけていたのですが、それもろとも消えたということで問題になったということでした。つまり、一歩間違えればやっていたことは詐欺になるようです。その額が何億ということもあって問題になったいうことだそうです。
 投資家が小銭をためようと、必死にたきつけたもののデータもろとも現金が消滅……?したのですから騒ぐはずです。本来、ビットコインは現金は仮想なのですが……。
Q ビットコインとは何。
 A ネット上で流通している仮想のお金です。2009年ごろから使われるようになりました。紙幣や硬貨といった実物のお金ではなく、データとして取引されます。ネット上の取引所で円やドルなどと交換してビットコインを入手します。
 Q 特色は。
 A 銀行を介さずに国境を越えて迅速に送金でき、手数料も格安なのが利点とされます。一方、政府や中央銀行の裏付けがないため信用力への不安があるほか、ドルや円などの通貨との交換レートが激しく変動するリスクもあります。取引の匿名性が高いため、麻薬取引やマネーロンダリング(資金洗浄)などの犯罪に悪用されているとの指摘もあります。(説明抜粋)

……という説明もありますが。正直、参加をしたいと思いませんし、参加できないでしょう。(私にとっては無関係のうような気がします)とはいうものの、参加した人たちにとっては、英知をつくして集めたコインが一瞬のうちに消えてしまったのですから、その説明も不十分なこともあって「疑惑」は深まりそうです。わたしにとって「仮想」というのがどうも理解できない部分です。はっきりいって、ようわからんわ……。

◎いよいよ消費税8%…どうなることか
 来月から消費税が5%から8%に値上げすることになりました。これも、選挙の結果、みんなそうすべきだな…ということ。だからといって今でも賛成しているわけではありません。なぜなら。5%時代の消費税の成果が全然みえなかったような気がします。
 結局、消費税をあげるということは生活をよくすることなのでしょう。5%あがって本当によくなったとは実感しいません。税金ばかりたかくなって、それを使ってどれだけよくなったのでしょうか…ね。成果があり、失敗もあるはずなのですが、それが不透明なように思えます。
 5%ではたりないから8%にする……ということは事実でしょうが、ではその3%分はどこに反映させるために使う、という具体的なものが見えていないような気がします。

 政府ODAで全部海外にいっているのではないのでしょうか……などと考えてしまいます。それを追及する野党は元気がないし、心配です。
 要は、今の政府のいいように税をつかって、よりいっそう政府よりになる施策をするのが当たり前になっていくのでしょう。ということは、8%にも期待ができりかといえば、正直無理なような気がします。どうでしょうか。

◎中国、強制連行で集団提訴
 安倍首相の靖国神社参拝で中国や韓国が猛反発…ということ現実もあり、正直、どうしてこうもアジアの国をさかなでするような行為をするのでしょう。
 それも、政治家で時の首相が参拝。それだけで日本人の歴史認識の危うさを世界に発信しているようなことをするのでしょうか。
 ならば、中国としては日本側に中国に対して戦争時代の歴史を出して反省をうながす、という行動をとるのもわかるような気がします。

 1972年に田中角栄首相と周恩来がやっとこぎつけた「日中国交正常化」を反古にする行為をした、ということでしょう。それも、同じ自民党の首相が残した功績にどろをぬるようなことをしたということでしょう。
 安倍首相がそのときのことをどう認識しているのかも疑問に思えます。
 ますます、中国人の印象をわるくするようなきっかけをつくる首相はなにをたくらんでいるのか、とも考えてしまいます。
 自衛隊の武器使用にしろ、憲法改正にしろ、なにかきな臭いよくない方向にすすんでいるのは疑問の余地はないように思えます。
 近所にも知り合いにも中国人がいる日本人はかたみが狭いです。


◎再稼働すすめる「エネルギー基本計画」
 やっぱり安倍政権は原発の危険性よりも、企業の利益を優先させている政治を進めているんだな……と再度思ったものでした。
 それも、福島第一原発が爆発した3月だというのにひどいものです。
 エネルギーは大事なものです。なにをするにも電気エネルギーは必要不可欠なことは、資源のすくない日本にとっては大事なことだと思います。それは、人間が安全に暮らすことが条件です。
 リスクを最小限にするエネルギーが必要な国は世界中でいちばん知っているはずの原爆被害国の日本だけなのですから……。
 まだまだ、これまでの原発事故の解決をする方が先決でしょう。


 都会では、壊しては建て、また壊す…スラップアンドビルドの法則は生きているようです。駅前の再開発では一角がシートで隔離されなかの建物が次々に壊されていました。小さな飲み屋や靴屋、メガネやなども移動して開店しています。移動先の方がおいしかったりと変なこともおきています。
 とは、いうもののふりかえってみれば、後ろはみんな高層のビルばかり。ここでも波が押し寄せてきたように思えます。それでも、頑固に立ち退きをせず、ろう城状態の家もあります。何が不満なのか、何がそれほどこだわっているのか……。次々に変わりつつあるなか昔ながらの面影を残してくれています。

 この辺も昔は(30年ほど前)、駅前は畑と何軒かの商店でした。春になると畑の土ぼこりのなか暮らしが続いていました。人々の欲望は安い土地があるほうへと動きはじめた時から、ここ某市の一角もねらわれていたようです。
 いまではすっかり、東京都下で繁栄をつくりあげています。「どこから来て、どこへ行くのか」というテーマが東京都民の宿命のようです。
 こうして、しっかり高層ビルが立ち並んでいても、こんどは住民が移動を強制される時がくるかもしれません。都民は永遠に放浪者…なのです。
 最後にどんな町にしようとしているのか……。それは、永遠の宿題のようです。


ひと雨ごとに春
あしもとにとどいた
水のぬるみ
顔にふけ春いちばん

ひと汗ごとに春
オーバーに
重い季節が脱ぎ捨てられ
からだが発する熱が
私を冷やした
水あたたかい

光のなかに春
すべての生き物に
お日さまの光よ
とどくところにとどけ
ひかり反射された光が
わたしにとどけ



 いよいよ先月から春闘がはじまりました。
 大手企業を先頭に日本の春闘が始まりました。その春闘の様子を新聞でもときどきニュースにしていました。
 今年は「消費税8%」で物価が上昇することもあり、労働者側もこれに加味した要求内容になっています。さらには、正規、非正規社員との格差をどううめるかも課題になっています。
 わたしは、人件費を派遣でおさえて、さらには円安で輸出産業がのびているようです。さらには、消費税の影響で自動車産業はフル回転で生産しているような点もあります。だから、もうけていることも事実です。

 消費税が8%になり、ものも高くなるのですから賃金もあげることが必要なのですが経営側はなかなかいい回答はでていない状況なのではないか思えます。それでも大手は一年の一時金もちゃんと出るのはいいほうです。

 中小企業にとっては、大手の回答を受けてからが本格的な春闘にはいる状況は今年も変わりません。
 そんなことを考えると、賃金も大手次第……ということも現実です。
 さらに、正規社員と非正規社員との格差がひろがるのも問題があります。
 安倍政権になったか景気は回復目標があるわけですから、賃金はがすはずなのですが実際は低く抑えられているのも現状です。

 最近「ストライキ」をやった組合をきいたことがなくなりました。ストライキ権はなくなったのではなく、労働者側がやらなくなっただけであることはあるのでしょう。事実、「ストライキ一票投票」というものがあるわけですから。ストライキもやらず、やれず労働者の姿は見えてきないようです。それで、組織が強くなっていくのではないかと思います。さらには、本当のことがわかってくるのでしょう。
 「万国の労働者、団結せよ」といまでもこの言葉は古びていない大原則でしょうから。

 「貧乏ひまなし」で今週は忙しい一週間でした。
 終電を気にしつつ仕事をしていた日が2回ありました。結局、電車をこまぎれに乗り換えて、さらにはタクシーを使って家路にむかっていました。
 そんなことを見てか、会社でも宿泊施設の予約も考えていたようです。
 これじゃ、我らは春闘をやるまえに倒れてしまうよ!!と思えました。

 私は原則としてできるだけ、帰ることにしています。
 働いていれば、それぞれ全員が事情をもって仕事をしています。それが、いちばん自分にとって会社よりも大事な事情であれば話して帰るようにすることが大事だと思うからです。そのほうが私にとって、翌日の仕事がよりよくできる環境をつくることであればなおさらです。
 なぜなら、朝くらいは家族の顔をつき合わせて朝食くらいは食べておきたいものです……ね。
 
 まだまだ春は遠いようですが。 
 明日からまた忙しいでしょう。風邪などひかにようにしいたいものです。
 では、また来週。
 *読んでくださった方、ありがとうございました。