こんにちは。
新緑の季節。寒くもなく、暑くもなく新緑に囲まれてゆっくり歩くのにはちょうどいい季節になってきました。
さらに連休でいろいろな予定があって楽しい季節といってようのでしょうか。連日渋滞もなんのその…で故郷へ向かうニュースが始まったようです。
私の今年の連休は故郷や旅行へいくでもなく送る休みとなるのでしょうか。ただ、この連休中に「憲法集会」に行ってみようと考えていることくらいです。あとは、普段できなかったことを…、というところでしょうか。
それにしても、今週は毎朝「朝から北朝鮮」という週でもあったように見えました。一方、韓国軍と米軍は軍事演習をやっていました。それに呼応するかのニュースもなにかきな臭い様子でもありました。
連休でこれか楽しい一週間がだいなしのニュースでもありました。ニュースをみていると、あたかも戦争がはじまりそうな雰囲気にもみえました。それも近隣の国のことです、気になったニュースでした。
それにしても、どうして重箱の隅をつつくような北朝鮮への圧力を繰り返すのでしょうか。ニュースが流れれば流れるほど「平和」が遠くなっていくように思えます。平和を望むならなぜ、話しあうテーブルを用意しようと努力しないのでしょうかねえ。日本にいる朝鮮の人々にも大変迷惑なことでしょう。
今月は、月末には引っ越しというなかでの読書でした。仕事と荷造り、スケジュール調整などがあった。5月の連休ということもあっていつもより多くの仕事を片づけなくてはならなかった。月末になるにつれ、周りの人たちも日々少しづつ片づける様子でてんやわんやの日々でもありました。
最悪であったのは、弊社の引っ越しスケジュールが二転三転して、それに振り回された一か月もあった。(これが弊社の現実ですか)。
そんな中の読書。手に取っていたのは夏目漱石の『坊ちゃん』であった。短くて、話がストレートで愉快な物語。最後は、なんとも人間味あふれる小説でもあった。人の世は、人の数だけ性格があり、憎しみが喜びが歴史のなかでいきいきと描かれているところが好きな理由でもある。
いつもへこんでいるような時、読む僕の常備薬のような本でもある。だから何度も読んでいる。そして、読んだ分だけ感想が思いがけなくでてくる本でもある。
■p72 清と山嵐とは固(もと)より比べ物にならないが、たとい氷水だろうが、甘茶だろうが、他人から恵みを受けて、だまっているのは向うを一と角の人間と見てて、その人間対する厚意の所作だ。割前を出せばそれだけの事で済むところを、心のうちで難有(ありがた)いと恩に着るのは銭金で買える返礼じゃない。無位無官でも一人前の独立した人間だ。独立した人間が頭を下げるのは百万両より尊いと御礼と思わなければならない。
世の中静かな人ばかり増えてきたように思う。
そして、一日中スマホをながめているという意識不明のような人が周りに多くなってきたように思う。ぼくにとっては、今がいちばん住みにくい世の中のように思えている。
『坊ちゃん』はそんななかで輝いている人間像でもある。
(つづく…)
今月最後の金曜日(28日)、ようやく荷造りしたものがトラックに無事搬送されていった。これでここでの仕事は終了した。帰り際に、お世話になったお客さん挨拶をして別れた。
思えば2年前、病気で辞めてしまった人のピンチヒッターとして就任したのだった。見渡せば、全員が仕事を通じての初対面状態であった。やることは、これまでと同じ仕事とは知っていても一人職場となって心細かった。1か月も過ぎる頃、少しずつ仕事のながれや、お客の様子も分かってきたので、就任当時の不安は少しずつ解消されたようだ。それでも、仕事が混雑してしまうと若いころとは違ってスピードは劣る。
そんな時は、開き直ってやるしかなかった。お客に迷惑をかけているだろうか、恥ずかしい…、などとこちらが心配しているほどではなかった。要は正確にさらには、お客がイメージする以上にできていれば苦情はなかった。(本心、苦情を言われたところで私の責任ではないと腹をくくって「苦情は本社に」と思っていた)。
ただ、ここでの生活でいちばん困ったことは原稿がたまってしまっても、通常は私が全部やらなければ進まないとう現実があるため休日出勤が多かった。通勤は勤務地が千代田区内であったので苦労はしなかったように思う。休日出勤では誰もいないオフィスの静かなことが印象に残っている。(トランジスタラジオがよく聴こえた)。
ここでは仕事はいろいろ苦労した話が多かった。それでも、それを和らげるようなお客さんの対応には感謝している。「仕事は一人では完結しない」ということを強く考えさせた時間であったように思う。
なぜか、本社にいる時よりも、ここでの飲み会によく誘われた。人数合わせという理由もあったが、それでもさそってくれる人たちにありがたかった。そして、他の人よりもいつも安くしてくれた(これは大事)。
みなさんせれぞれ個性があった。なによりもここでの上司がいちばん謙虚で他人を思いやる人だったことに印象的だった。弊社の上司は…と考えさせられた。おかげ2年間いやな時よりも、総じて思えば自分の積極的に仕事に工夫をしてやりたいと行動していたことを思うとよかったのだろうと思う。
ぼくはいつも考えることがある。
「何の因果でぼくがここにいるのだろうか」ということだ。
ここでは、どんな因果できたのか…。いまでは単なるピンチヒッターという役よりスタメンとしての僕をつくってくれた人たちに感謝である。実際、人は誰かのピンチヒッターである。しかし、いつまでもピンチヒッターでは、その人のいちばんいいところは伸ばすことはできない。
それを伸ばしてくれるのは、周りの人たちの対応だろう。そして、スタメンでも安心だと自覚させてくれるのもこの人たちだのだろう。
自信をもたせて、成長させてくれるのもその人たちでもある。そんな因果でここにいることが最後になって気づかされたように思えた。
さて5月1日より、本社に戻ります。どんなふうに変わっているのでしょうか。ここでも、ぼくはピンチヒッターではじまるのでしょう。
正気なところ、ここではスタメンにならなくてもきっといいのだろうと思う。なぜな、もうちょっとスタメンの人が頑張ってやることがあるように見えるからだ。戻った職場でぼくがスタメンであってはいけないだろう。なぜなら、ぼくが引退がちかいピンチヒッターだからだ。いまだの、引っ越しのときの筋肉痛が続いている老体だからだ。(※スタメン=スターティングメンバーのこと)。
いずれにせよ、自然体でいきたいと思います。体の痛みをがまんしてやるほど若くはないとうことを誰よりも自覚していきたいと思います。
プライドなど考えないで仕事をやっていこうと思います。プライドで心にうそをついてやるような仕事には限界があります。いずれ、体をきわす引き金になりかねます。
と、いうように思います。加齢で無理は禁物です。
5月はすぐそこです。
連休も始まります。どんな予定があるのでしょうか。天気も気になるところでしょうが、まずは予定を立てたいものです。
ぼくもやることが二つあります。一つは、3日の憲法集会に参加することです。今年は憲法施行70年にあたるそうです。民法や刑法などと比べるとあまり身近にないように思えます。とはいえ、国の骨格となる憲法です。ぼくたちが守るというより政治家が守るべき法律だと思います。
それが、どう守られているのか、さらにはどう守られていないのか聞いてみたいと思います。最近では、自民党が「自主憲法」なるものをつくっています。それはいったいどういうものなのか。(自衛隊を「軍隊」としている)と聞きます。
では、読者の皆様。
楽しい連休をつくってください。
読んでくれた人、ありがとうございました。