日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

9月も終わって……思うこと

2012年09月30日 | Weblog


 こんにちは!
 暑い…と思っていても「暑さ寒さも彼岸まで」とはよくいったもので、最近は涼しくなりました。そして、日照時間が短くなりました。

 いつものとおり多摩川を散歩していると、対岸の小学校で運動会をやっていました。大きな声で「玉入れ」での数をかぞえている声が聞こえてきました。校庭に万国旗が飾られている光景もすくなくなってきましたね。
 さながら、プチオリンピックという光景も少なくなってきました。

 最近、都内では秋の行事のため6月ごろの運動会を実施しているところも多いようですが、やはり運動会は秋いいですね……。
 
 運動会で思い出すことは、私が小学生低学年のときの思い出。
 親子競争で母の手にぶらさがってゴールしたときの思い出があります。こんなにも母が足が速かったのかと思うほど速かったのには驚いてしいました。
 普段は田畑で働いていて、走ったことなど見たこともない母が一生懸命、私を手をにぎりしめ走っている光景が思い出しました。
 みんな若かったでんすね。

 さて9月も終わります。
 どんな1か月だったでしょうか。

 私にとっての9月……。
 9月になっても暑さが続き、体調を崩した奥さんのことが気になった一か月でもありましたよ……。還暦もすぎれば体のところどころに変調が出てくるそうで、その体調とうまくつきあっていくのも大事なことのようです。
 できれば、「絶好調」がいいのでしょうが、老人はその「絶好調」の中身が以前とちがってくるのは当たり前のことのようです。

 山あるきもあまりの暑さのため、敬遠していました。
 仕事は、相変わらずの忙しさの毎日でもありました。極めつけは週末の午前3時の帰宅……。もちろん仕事でです。おかげで、翌日は休日であってもボーとしていました。なんのための休日か?
 なにも考えるのもめんどうな気になってしまう休日でした。

 世の中はどうなっていたのでしょうか?
 あきれてしまうのは、民主党の代表選と自民党の総裁選。
 ふたをあけてみれば、どちらもいっこうに変わろうとしない体質が丸見えでなんとも「茶番劇」だったことには、日本の政治はいっこうに前に進もうとしない感じがしました。まさに、政治をリードしているのか二つの政党だけみたいな傲慢な姿もうきぼりになっていた9月でした。

 また、中国による「尖閣諸島国有化」への大規模なデモ。
 それに韓国も出場して、さらに複雑化しました。おおよそ、このデモによっていちばん利益を得るのは誰なのか…という問題をジャーナリズムが追いかけられない、追いかけていないような気もします。ぞくにいう「真実」が見えないような9月でもありました。

 さらには「原発ゼロ社会」に向かうはずの政治方針のなかで、原発工事の再開。青森県大間原発の再開が報道されていました。この矛盾……。いまの政権与党の民主党内の矛盾がでてきているものではないかと思えました。
 昨年の原発で放射能に汚染された土などの保管先もみえないなか、どうしてこんなに急ぐのだろうか。
 こんななか、いまだに毎週金曜日には「反原発」のデモがあることにどう考えているのか……と思います。

 さてさて、10月。
 政治は解散を目標にはじまるのでしょうか。
 私は、相変わらずの毎日でしょうか。

PHOTO:何か夢中になれることがあるとしたら、おそらく釣は最高な趣味でしょうか。相手は、生き物ですから。生きているかぎり、生きているものを相手にしていることは大事なことではないか、と思います。それが証拠に、動物園にいっておりごしに見る動物をみているとあきません。けだるそうで、なんでこんなおりの中に入っていきるようになってしまったのか、などとその動物の運命を想像すると、何か自分にどこかかぶっている点もあるのではないかと思えてしまうからでしょう。
…………………………………………………●
釣をしている人にカメラをむけてその真剣な表情にこちらも真剣にむかってしまいます。

 





 最近、思うこと。
 買った本もなかなか読めずにいる現実……。そして、結局のところ気がつけば年末のゴミとして引きとたれていくことが多いようです。
 ならば、買わずにこれまでの本をまた再読しようかと思いはじめました。
 まず、最初に読みたいと思った本は山本周五郎でした。
 周五郎の小説は読んでいて、市井の感情があふれ、人の生きた形を読者に投げかける作品が多いように思えます。登場人物が実際に誰かに似ているように読後に感じさせて小説が多いように思えます。

 

◎おごそかな渇き/山本周五郎/新潮文庫

【内容】


 長年対面しつづけた宗教的課題を取り上げ、「現代の聖書」として世に問うべく構想を練りながら絶筆となった現代小説『おごそかな渇き』。ほかに時代小説。昔も今も変わらない人と人のかかわりののなかで、大事な見失いがちなものを拾いあげているような短編集です。
 「雨あがる」は映画にもなりました。浪人となった武士、三沢伊兵衛が仕官に取り入られようとしたが、一緒に泊まった人たちと酒をのみ、楽しい一夜をつくろうと賭け試合をする。賭けに勝ち、酒を得る金はできたものの、それがもとで仕官を棒にふってしまう。それでも、自分を許すことを信じなければやってはいけない。
自分がいいと思ってやったことが、縦割りの組織のなかではそれがアダになってしまう話し……。人間の理不尽なしくみを描いた短編集でもあります。
 そのなかで、必死の自分の人生をまっとうしようとしている作品集。


 ・人は間違いということがありますからね。あの人も悲しいんですよ。人間はみんなお互いに悲しいですから、もう勘弁すて仲直りしましょう(P99・雨あがる)

・自分自身の明日のことはわからない。今いっしょにいることは信じられるが、また会えるという望みはもうできないのである(P122・雨あがる)

・他人の飯には刺がある(p158・かあちゃん)

・人の一生がきまるところを見たんだね(p257・鶴は帰りぬ)

・狡猾で貪欲で無恥なこと。まして宗教的な偏見の根強さとなると蒙昧そのものです。むしろ蒙昧であることにしがみついているようなものです(p367・おごそかな渇き)



【感想】


 山本周五郎の作品といえば、どんなときでも人間が貧しい。貧しさゆえ人のかかわりは強い……。登場する市井の人々の生活は貧しくとも人として生きる知恵がふんだんに描かれているように思う。
 
 最近「生活保護」世帯が増えてきているという。世の中が貧しくなったいうことことだろう。さらには、正社員が減り、契約社員が増えている傾向ということは、不安定な生活が増えたということでもある。さらに、「孤独死」。横のつながりも切れてきた状況。

 わたしたち庶民はますます、格差に追われた生活が続いている状況のようだ。何が悪いって、はっきりいえば経営(資本家)が利益をえるために次々と労働者を安くつかう苦肉の策に政治ができるからだろうと思う。そのおかげで貧しさ、孤独死が蔓延しているのだと思う。

 そんな中でこそ山本周五郎は読まれるべき一冊だと思う。人と人のつながりが冷たく、温かく描かれている小説が多い。いま、欠けているものをさがせるような作品が多いように思えた。

◎日本近代短篇小説選昭和篇2/紅野敏郎,紅野謙介,千葉 俊二,宗像和重,山田俊治編/岩波文庫

【内容】


 9月から始まった岩波文庫のシリーズのひとつで、昭和12年から現在までの多くの作家から選んだ短篇集です。今では、古典となってしまった作品も多く網羅されていて、時代を生き抜いてきた小説集ともいえるとも思います。時間がない毎日にあっては、ちょっとあいた時間を利用して読んでみることもできる貴重な一冊でもあります。

作品紹介抜粋から…「《生きられますか?》と彼は彼女にきいてみた」(野間宏『顔の中の赤い月』)――焼跡から,闇市から,記憶から芽吹き萌え広がる物語.明治・大正・昭和を短篇小説で織るシリーズ第二回刊行の本書には,石川淳・坂口安吾・林芙美子ら昭和21年から27年までの13人13篇を収録.(解説・解題=紅野謙介)(全6冊)


【感想】


 私がいいと思った作品は「夏の花」(原民喜著)。
 「夏の花」は原爆をあつかった小説で、広島での生活を細かく描いています。人間が作り出した原爆が人間を悲劇にまきこんでしまう「理不尽」さが伝わってきます。このことは、昨年の福島原発事故ともつながっていて、私たちに「夏の花」はメッセージとなっているように思えます。

 これまで原爆=放射能は、毎年8月の言葉だとして思い出されていましたが、いまでは日常のできごとになってしまっていることに気がつきます。
 人間はわすれっぽい動物で、あらゆる機会を利用して忘れないようにするために作品のようにも思えた作品です。

 ちなみに、原民喜の遺稿となった「心願の国」という作品には原爆のことをこう書いている。
 「あの原爆の朝の一瞬の記憶が、今になって僕に飛びかかってくるのだろうか。僕にはよくわからない。僕は広島の惨劇のなかでは、精神に何の異常もなかったとおもう。僕や僕と同じ被害者たちを、いつか発狂させようと、つねにどこからかねらっているのであろうか」……と。

 彼の他に、井伏鱒二「黒い雨」大田洋子「屍の街」、林京子「祭りの場」が有名です。暇があったら一読するといいですが……。

 脱原発へ「文学者の会」 加賀乙彦さんら 9日発足/東京新聞10月7日朝刊
作家の加賀乙彦さんら文学者の有志が九日、三・一一後の日本について考える「脱原発文学者の会」を発足させる。作家を中心とした対話サロンやシンポジウムを随時開き、原発に依存しない社会の構築に向けて議論を深めていく。

 呼び掛け人となるのは、加賀さんをはじめ、文芸評論家の川村湊さん、作家の佐藤洋二郎さん、宮内勝典(かつすけ)さんら五人。ほかに辻井喬さんら約十五人が賛同しているという。

 東京都千代田区の「アルカディア市ケ谷」で九日、第一回会合を開く。NPO法人「原子力資料情報室」の共同代表・西尾漠(ばく)さんから、原発をめぐる現状について報告を受けた後、活動内容について話し合う。

 呼び掛け人の作家森詠(えい)さんは「東日本大震災の発生から時間がたち、脱原発の雲行きが危うくなっていると感じる。文学者がまとまって意見を出す時期。オープンな交流の場を作り、持続的な活動にしていきたい」と話している。 (中村陽子)



原民喜 ※詳細はこちらでどうぞ。




 9月が終わった。
 今年の9月はさんざんだったように思う。妻の体調が崩れ(年齢)、その心配や手伝い(?)で日々、おちつくひまがなかったように思う。これも、年をとるってことなのか…と思う。
 いつのまにか、私も年をとっていて、職場では2番目に老人よりになってしまった。今月は、その事実をいやとうほど感じた月はなかったように思う。

 しかし、それが事実でもあっても、まだ働いていかねばならない。娘もやっと来年働く場所が「内定」というキップをもらったばかり……。まだ、ひとふんばりして、とりあえず今年を乗り越えなければ、来年がこない。
 残り3ヵ月、若造たちと競争するきは毛頭ない。そのかわり、これまで経験をいかして、やっていくしかないようだ。

 親戚から届いた今年の新米でも食べて、ひとふんばりしようと思う日曜日だった。

 読者の皆様はいかがでしょうか。季節の変わり目が体調の変わり目……
 くれぐれも、ご自愛のほどを。

※前回、今回と私もヘトヘトで、内容があきてきているころでしょう。それはわかっています。自分でもそう思っています。それでも、読んでくれる、きとくな読者様には、心より感謝しています。
 これからもよろしくお願いします。

*読んでくださった方、ありがとうございました。


今週からちょっと、涼しくなってきました

2012年09月23日 | Weblog


 こんにちは!
 暑い……暑いと毎日が過ぎていきましたが「お彼岸」がきて、雨が降りすっかり暑さが遠のいていく様子がわかります。
 今日は、朝はやく起きて散歩にいく道々、霊園に墓参りにいく人が持つ花に吾亦紅がまじっていました。小さな、茶色の塊が秋を感じさていました。
 そんな花が秋を呼んでいるようにも思えた散歩道でした……。

 さて今週、中国で大きなデモがありました。そのデモの抗議内容は「日本が尖閣諸島の国有化に反対……釣島(中国名)は通中国の領土」ということでした。その売却価格、20億円だそうです。これも、税金で支払われたそうですが「寝耳に水」という気もしました。ええー、こんなことに高額な税金が使われる意味があるの?と思いました。デモをしたいのは、こちらの方も同じように思えましたが……。

 中国の起きたデモが報道された様子を見ていたら、領土のこともあるだろうが、現政権への不満もあるようにも見えました。毛沢東のプラカードもありましたし、デモ隊が警官隊ともみあうシーンもありました。日本の店も多く破壊され商品を略奪されたシーンなどをみていたら、これは単なるデモではなく、「現政権への挑戦」のようにも見えましたが……。事実、かなり中国の共産党の腐敗が問題視されていることも背景にあることへの反発でもあったといわれています。新聞では表面的な報道しかしていませんでしたが、事実はどうなっているのかジャーナリズムの出番でしょうか。
 プラカードには「武力衝突も辞さない」なんて過激な言葉もありました。戦争を望むべきではありませんが、こんな言葉を思い出しました。

「戦争とは何だ」
 じじいがはじめて、オヤジが命令し、若者が死んでいく……。「日中国交」はしたものの、まだまだ、過去の歴史の清算ができていないような気がします。


 日本でデモといえば、毎週金曜日の永田町での「反原発」での抗議行動は続いています。しかし、民主党政権は2030年代には「原発ゼロ」とはいったものの、原発の稼働は続ける……という、なんともあいまいな政治が続いているところです。
 まだまだ、原発は人の命より、経済が優先される……という理由が走りつづけています。それどころか、民主党代表選の茶番が演じられているありまさにはあきれてしまいました。政治はこれほど、国民と温度差があるのか……と残念にも思えました。何のために「消費税8~10%」にしたのか。少なくとも、原発を再開するために法案が成立したわけでもあるまい。


PHOTO:雨が降っている休日。久しぶりに涼しさを体感してる。近所の神社にぶらっと散歩をしてきた。さすがに、天気が悪いので参拝者は少なかった。それでもいる……。なぜか気になったことは、若い女子が多い。何をおねがいしているのか?。とにかく、若いときは、神様、仏様とはならす、友達の名前がまずはじめに出てきてお願いしていた。頼ったり、頼られたりしていたように思う。最近は、真っ先に神様か……。早くないか。
 でも、まだくるところがあるだけ幸せかもしれない。いわゆる「パワースポット」だろう。さて、さて私のパワースポットはどこだろうか




「ことば」に……

どれだけことばにうなだれて
今日も生きていけばいいのだろう
迷い
横道にそれたとき
ふと
路地から
小さな子どもの声
なぐさめられた思いに包まれて
今日も歩きはじめる

どれだけのことばに
わずらわしさを
身にまとい
歩いていくのだろう

そんなことばを忘れて
今日を
明日を
歩いてみたい…
捜し歩いてみつけたことばを
自分にいいきかせて
また歩く





 今週……ほど、人の足らなさを実感した週はありませんでした。
 二人の職場。
 一人夏休み……。
 現実、二人分を一人でやるしかありまん。さらに、電話への対応……。時間をかければできますが、これで残業が多くなりました。

 とは、いうものの納品はきまっています。その日を目標に一人で二人分を必死でやるわけですから、間違いもでてくるし、遅くもなります。担当者は開き直ってやっていましたが……。仕方のないことです。

 これほどキャパシティがはっきりしていても、経営者は考えないでいるのはもう、彼らの能力には期待するのは疲れるだけだな……と思うようになりました。ということで、一人の人を助っ人するために、他の職場からできる範囲で少しずつ動き始めた週でもありました。

 と……いうわけで、毎日残業のありさまのなかで一週間が終わりました。
 けっして怠けたいわけでもなく、ただ、時間内に終わり、またフレッシュな気持ちで翌日の仕事につきたいということは当たり前のことだと思います。
 それで、違うことにも気がつき、新しい方向性のイメージができるのだと思います。それがアイデイアであり、お客にも喜んでいただける付加価値だろうと思えます。

 最近、映画館では「立ち見」というのがなくなりました。全部が指定席になり、せっかく時間をとり、お金をはらってゆっくり見たい映画がのんびりと楽しめるようになりました。
 昔は、立ち見もありました。娯楽が少なかった時代、それでも映画を見に行って時代もありました。しかし、最近ではすぐに、DVDになったりしています。わざわざ、混んだ映画館にいくより、他の娯楽にいったほうがいいということになりました。なぜなら、混雑してまでみる必要がなくなった……ということでしょう。だから、指定席にしたのでしょう。
 ゆっくりできたスペースで見て、また見にきたくなるような映画館が生き残ってくるのでしょう。リピータを増やそうとすれば、やはり、お客だって考えます。

 ……と思うと、もっと従業員もゆ余裕のもてる仕事をやっていかないと、いずれいいかげんになり、お客からも見放されていくのではないかと思います。お客だって、四苦八苦している従業員はみたくないし、仕事をまかせていいのか心配になるでしょう。

※それぞれのポジションの人間が支え合い、助け合ってこそチームも会社も大きく強くなっていける。そうしたスタッフのことも、絶対に忘れてはいけない。(「折れない心を支える言葉」工藤公康著)

……と思うだが、ポジションが穴明きになっていいことはない!と思う。

キャパシティ ※詳細はこちらでどうぞ。




 やっと涼しくなってきた。不思議なもので、夏の間中動かなかったデジカメが動き出した。ええ……、こんなこともあるものかと、首をひねった。
 機械も人間もおかしくなるほど暑かった8月。少しずつ元にもどっていくのだろうか。自分自身にかえっていくというのか、そんな気がした。
 日ごろ、忙しさのなかで自分自身を見失いがちな日々を反省しつつ始まったような気がする。

 自分自身をもう一度鍛えなおしていくしかないようだ。
 あせらず、おごらず、怒らず、いくしかないようだ。
 来週も、まあ変わりようがない職場でまた始まるのでしょう。
 のんびり(気持ちは)いきます。

 読者のみなさんはいかがでしょうか。

*読んでくださった方、ありがとうございました。




暑さも、もう少しですか?

2012年09月16日 | Weblog


 毎日暑い日が続いています。
 それでもさすがに、朝夕は涼しくなりました。一日の日照時間も短くなりました。これからは少しずつ、涼しくなっていくのでしょうか……。
 今年の暑さは、ちょっと「異常」というくらいな気がしました。その結果、奥さんもとうとう体調を崩し、一か月間ほど食事もろくにできないほどせした。おかげで数キロもやせて、体力もなくなり心配な毎日が続きました……。
 正直、これにはまいってしまった……と思いました。このまま、入院でもするのか……と働いてもいても、「心ここにあらず……」の状態でした。肉親の病気は気が重いですねえ。

 秋こそ健康づくりに励みたいものです。

 さて、世の中はこの暑さによって「水」の大切さをよりいっそう知ることになっている。首都圏のダムが水不足になり、利根川水系ではとうとう取水制限が始まったようです。
 
 海の向こうのアメリカでは過去56年間で最悪の干ばつによって、トウモロコシや大豆の農業生産に大打撃をうけていた。世界的食料危機が叫ばれていることも事実だ。これも、アメリカらしい世界をリードしている農業生産…ということなのでしょうか。穀物の急騰はさけられないという状況だ。

 資源のない日本はあらゆるものを世界中から輸入にたよっている状態。
 さて、水はといえば山が多いので自給ができるのだろうと考えている。しかし、最近、ペットボトルの水が外国産もあることに気づきます。また、多くの輸入品には膨大な水が一緒に輸入されていることも知ることが大事なことだと思う。

 水の大切さは、世界の共通の話題だ。水の助けれることが多い。一方、水によって人命をうしなうことも多かったのも、最近の特徴だと思う。
 いまのところ、私にとっての水は命の水です。

 中国では大規模なデモが起きている。それも、暴動にちかい状態で起きていた。
 日本が尖閣諸島を国有化にしたとたん、デモが起きたのだった。なかには「戦争も辞さない」などという横断幕もあったようだ。
 抗議は日本政府だけにとどまらず、民間の企業や商業施設まで破壊して、商品の略奪もあったという。暴行をうけた日本人もいるという。

 日本と中国とのながい歴史のなかで、日本は戦争によって多くの中国人を傷つけてきたことを思えば、感情的な対立のなかであっても起きてもおかしくないように思う。だからといって、今回の中国の抗議行動はあっても略奪や暴行は、まさに一触触発の状態をつくっているように思う。ある意味「挑発」に見える……。

 いかし、ことの本質はなんだ?と思う。尖閣諸島ばかりでもあるまいと思う。中国国内にも抗議をしているようにも見えるのだ。さらには、煮え切らない日本の対応にもだ。
 いずれにせよ、ことの本質をジャーナリストがどこまで伝えてくれるのか時間のなかでわかってくれるのだと思う。

PHOTO:毎朝、仕事で利用している通勤電車。これが止まってしまったら多くの労働者は「帰宅困難者」になってしまう。事実、昨年の大震災のおり、電車が全部とまったときは、結局、帰宅困難でいた経験を思い出す。
 喜びも悲しみも……すべてを乗せて私の家族をささえているのも電車です……といっても大げさではない。まして、車を持たない人にとっては唯一の移動手段でもある。毎日、時計のように時間どおりに動いている電車には感謝している。最近、駅員に暴行をする乗客が増えていると聞く。なぜそうなるのかと……と思うが、なにかストレスを解消しているのだろうか。それにせいても、暴行までうける駅員はかわいそうだ。しかし、会社側も考えて最近は、駅のホームには駅員ではなく、警備会社の警備員がいる。彼らはなんのためにいるのかと思うことがある。警備するのだから、ある意味殴られるのは覚悟をしている人間だ。これでは、暴力を容認しているように思う。対策が他人に任せて、本来の解決を他人にゆだねてしまっている無責任……のようにも思える








 三連休が終わります。過ぎてしまえば「光陰矢のごとく」です。
 年齢も同じようで、気がつけば半世紀も生きて、いまでもそろそろ引退も近づいているんだろうと思うこのごろです。
 事実、私のいる職場では私が2番目に老人で、あとはみんな若い人たちです。さらには、パソコンもこうも日進月歩の勢いではおいつかず、日々、四苦八苦してるのが現実のように思えます。

 最近、むのたけじ著の『希望は絶望のどまん中に』(岩波)を読んで思った。年をとってくると、だんだん背が曲がってきて、なんにつけてもおじきをしているような人間が老人。でも、赤ん坊であろうと老人であろうと、人間が人間らしく思う生きることを追求していくことが大事だということ。それを、できなくしているものを知ろうとすることが、大事なこと……という。

 絶望は絶望をしることが大切で、その先は希望であることを忘れてはいけないとも……いう。さらには、人間はその年齢のことができることが大事なこと、とも思った。
 さて、老人は老人にしかできないこと人それぞれある。それを見つけて大事にやっていくことが生きていることへの実感だろうということ。

 時代が変わっても、老人が自分で「直立歩行」をできる社会、自分自身をつくる努力も大事だということ、だそうだ。

 いずれにせよ、年をとったからといって悲観することはないそうだ。やれることがあれば、やりつづけることが大切な一歩だと思う。



 「貧困と病気と戦争が人類の三大敵」「希望は絶望のどまん中に」(むのたけじ)だそうだ。

 そういえば「貧困」。最近この言葉も多く聞くようになってきた。だから「生活保護」が史上最大の数になったというから本当のようだ。

 「病気」。これは、昔はガンといえば特殊だと思っていたが、身近なものに……。身近で知っているだえでも二人知ってしる。

 「戦争」相変わらず、アフリカ地域では戦争が毎日おこっている。最近なくなった女性ジャーナリストがいた国もいまだに起きている。武器の供与などがどこからいているのかは不明。なぜ、国の中で戦争があるのか、その原因を新聞だけでなく、伝えていく仕事がジャーナリストだとしたら、亡くなった女性は、本物のジャーナリストだったのだと思う。

 どれも解決されていない人類への宿題は多い。
 どれも、表裏一体のような日々は続いている。ちなみに、老人になりつつある私は「病気」が心配。すくなくとも、自分でできる範囲でやっていくしかないようだ。「孤独死」にならないようなことも必要だ。

 少しずつでいい。自分の生きている範囲を理解する家族以外の人との接触が大事になってきたように思う。

 ちなみに「敬老の日」進軍報道によると、総人口1億2753万人に対して65歳以上の人は3074万人で、24.1%(4人に1人)だそうだ。なんとも、老人が増えてきたことか。私も、近い将来、仲間入りである。

 老人になっても何か、やりつづけていけるものがあることはきっと大切なkとなのだろう。(他人からみたらどうであれ……)
 そんなことを思った「敬老の日」でした。

*読んでくださった方、ありがとうございました。


めぐる…秋をさがして

2012年09月09日 | Weblog


 こんにちは……
まだ暑さは続いていますが、読者の皆様はからだをこわしていませんか……

 久しぶりに多摩川の散歩にいって来ました。吹く風は、さすがに涼しくなっています。聞こえてくる声の主はせみからバッタなど秋の虫が多くなってきました。散歩道では、夏の生命を終えたせみが街路地に落ちていました。
 そして、土手を群れをなしてトンボが飛んでいました。
 地に還るもの、天にむかっていのちを燃やすもの、と季節の変わり目に生きとし生けるもののドラマの時間でもあるように思えます。

 季節は、少しずつ秋にむかっているようです。

 さて、世の中は……政治は「秋の陣」か。
 あいかわらず、政治の主は権力闘争にあけくれています。原発事故やいじめ問題はいまでは、選挙の顔をつくるべく与党と野党がしのぎをけずって代表候補めぐりのあけくれです。大阪では維新の会なるものがなにをやろうとしているのか、動いている。そして、小さいが日本でもドイツの「緑の党」のような反原発の組織が出来上がろうとしている。では、日本の社民党や共産党はどうなっているのか……。

 為政者にとっては、国民などより今は、自分のことでせいいっぱいのようです。為政者にあってはならない姿を一生懸命に演じているように思えます。

 よく考えてみれば、政権交代して少しは変わるのかと期待をもっていたが、本質は何も変わっていないなあ…と思えます。いったい、誰のための政治なのか……ね。
 アメリカでは11月に向けた、大統領選びが報道されている。民主党か共和党か……。でも、アメリカには共産党があるのだろうに……。それが報道されないのが不思議に思うことがある。あれだけ、民族のるつぼであるアメリカは二つだけの政党があるだけのように報道されているのが不思議だ。意図的だなあ。

PHOTO:散歩の途中に必ず多摩川の釣り人を眺めている休日です。今回もそんな釣り人を見ていました。最近は多摩川でもアユがいまして、川のあちらこちらではアユを目当てに釣り竿をふるっているご老人を多く見ます。今日もそんなひとがいました。この写真のあとにアユを釣り上げていました。体調15センチメートルくらい。ご老人がいうには「この時期にしては小さな…」とのことです。近寄って見せていただきましたが、とてもきれいな魚でしたよ……。

 休日にのんびりと釣り糸をたれて、魚と会話をするように釣りをしている人の姿はいいものです。わたしは自身ものんびりしてきます。私のほうは、のんびり、ゆっくり山歩きがすきなのですが……。
 両方に共通するのは、集中しているときは、『何もかも忘れていられる』ということでしょう。涼しくなったら、私もゆっくり山歩きをはじめたいと思いますが……。 




「音」

夏のせみの鳴き声
一日の音がはじまる

夜、夜中私のイビキの中に
一日の終わりの音になる

日々の生きている音を出しあい
それぞれの命を分かちあい
一日のしめくくりを
つくろうとする音

私の好きな音
山を吹く風の音
今日の終わりをつげる人の息
静かに聞こえるといい


あるとき音はきっとそれぞれの声となって
あるときささやいているのかもしれない……
それぞれの声……声……声

海では波がかけめぐり
そのしぶき地球をけずっている音

すべての声に別れをつげる
一日のおわりに
誰かが声をだしているだろう
あなたは何を聞いているのでしょうか




 今週から私の職場に「新人」が途中採用ではいってきました。なんと20歳台……。これは若い。
 で……名前は……M○◎さん??。いまだにフルネームを思い出せない…ムム、なんで…。
 今週が忙しすぎて、のんびりと話しをする機会もなく、まして直接な当該職場ではないので気にもとめませんでした。

 半年期間を契約社員で来年に正社員になる予定…だそうです。この時期、ある意味うらやましい、と思います。まあ、がんばって速く仕事を覚えて欲しい限りです。(慢性的な残業時間対策でもありますから)

 さて、名前を早く覚えてやらないと今後、うまく話しもできないのでしょうし、対処の仕方もできません。
 名前ってえのは、それは大事なものでしょう。
 
 例えば、健康を壊して弱っている人に対して病名がつけられなかったら対策のほどこしようもないのと同じです。名前にはいといろな特徴があって、名前がわかれば、対処する側も相手のよさを引き伸ばしてあげれるのではないかと思います。名前をみつけることが第一歩です。

そう……思いませんか?



 夏も終わりにむかっているなか、ちょっと夏ばて気味のようです。奥さんもちょっとその傾向は今週もありました。
 そんんなかでも仕事は非常なものです。休むこともできす日々送っていました。健康って、平凡な、当たり前のことのように思えますが大事なことですね。

 そう、先立つものは健康でしょう。最近つくずくそれを感じています。それから、利害関係がでてきて、沈黙、寡黙、対立……とまあ、けんかもできますが、健康でなかれば「アンフェアー」ですしなんとも一方的に回復をまってあげなければなりません。
 今週はそんなことを思いが多くあった週でした。
 とにかく、読者の皆さんも健康体をつくることにがんばってください。いろいろと悩むことはその次です……。

※しばらく「スクラップ2012」は休みます
それでは、また。
 さて、今週も他人のいやみにもめげす、がんばっていきたいものです。

*読んでくださった方、ありがとうございました。




スコールのなか9月が始まりました……

2012年09月02日 | Weblog


 8月が終わりましたね……。
 今年の夏休みはどうでしたか。故郷へ帰ってのんびりできたのでしょうか。
 私のほうは、「故郷は遠きにありて想うもの……」の時代になってきてしまいました。年々、その面影もうすれて、自分のいる周りの景色しか浮かばなくなってきています。

 悲しいかな、これが現実でゆっくりできる故郷は親が元気でいたころまでのようです。いまは、自分が子どもの故郷になっているのでしょう。
 故郷は、親あり、旧友あり、祭りありの、ちょっとした非日常性の時間であると想います。そこで、時間をわすれて過ごすことができるのが故郷なのだと想います。だから、今の私には故郷は「想うもの」なのです。

 今週「防災の日」があり、都内各地で防災訓練が行われた様子。
 昨年の東日本大震災もあって少し、力が入った防災訓練になったことだと思います。
 31日にはフィリピンでM7.6の地震が起きました。津波も警戒されましたが、大事にならず解除されてました。さらには、活断層が縦横無尽に日本列島にはりめぐらされて、ちかいうちに地震も懸念されているようです。
 そんなこんなで、日本人にとっては、いまいちばん危険を感じて自然なのでは、といえます。こんどこそ、大きな地震がおきれば、津波や原発事故でさらに被害はふえるでしょう……かね。

 いまだに「原発事故の検証」も不明なのにわけもわからないまま、巻き込まれるのが住民なのでしょうか。

 まだ、津波や原発事故での避難生活者が多いのに、これ以上、増えたらいったどうなるのだろうと思います。
 あてにならない政治が、さらに拍車をけかけます。
 秋…解散がうわさされている状況で、政治の軸がゆれている状況。いったい、どうなるのでしょうか。

PHOTO:9月になって朝夕が短くなり、涼しくなりました。涼しさに拍車をかけているのが、極地的な大雨。雨の降り方が、どしゃ降りになっています。ちょっと、そこまでお使いにいって帰りに、どしゃ降りの雨に会いぬれねずみ……ということもあります(実際に今日、自転車にのってぬれて帰ってきました)。地震・雷・火事おやじ……いまでは放射能もあります。
 「防災の日」少しは自分の身を守る道具でもそろえておく必要があるのでしょうか。防災訓練とばかり、形ばかりではなく、各家庭にしっかりした防災グッズを税金をつかってそろえたほうが、よほど「防災の日」に貢献できると思いました。




 これまでの暑さで「夏ばて」か、奥さんが体調不良。
 「いきたかった、お世話になった先生の追悼公演が友達から誘われていて行きたかった……」と残念がっていました。
 いけなかった人とのために、友達が公演のパンフレットを送っていただきました。これを、みてまた残念がっていました。

 なにをやるにも体調が十分になおらないと全部、キャンセル覚悟の予定になってしまいます。
 9月には、涼しくなったなか、十分体調をもどしていくしかないと考えます。

 私のほうも、少しずつ普通の日常の生活にもどってくれるよう協力するしかないようです。元気でないとけんかもできません……しね。



 ……というないような中で今月も、できる範囲でブログを更新していきたいと思います。
思えば、今年も4ヵ月。はやいですね。
 とはいっても、今日を終えなければ明日はきません。
 また、老体に鞭打って、仕事に趣味(山歩き)に行動していけたらと考えています。

 それには、今日を、どうにか乗り切る自分をつくっていくしかないようです。

 では、では……
*読んでくださった方、ありがとうございました。