日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

2月、多くの知り合いの会えた月でした

2017年02月26日 | Weblog

 こんにちは。
 はやいもので2月も去っていきますね。

 マレーシアでマスコミが騒ぐ「暗殺事件」が起きて、日本では首相がかかわっていたかもしれない大阪府豊中市の私立小学校のこと。国有地売買の問題。どちらもそれを裏付ける証拠がない。「捨てた、焼却した」という具合に…。なんとも、大問題に発展しそうなことであるはずなのに、証拠はどちらも「ヤブのなか」という。なんとも物騒な世のなかに思える。

 さらに、ひどいのはこの私立小学校の教育方針。「天皇国日本再認識」「教育勅語素読」という。戦争の一員でもある「皇国史観」を児童に植え付けるとのなかみだろう。もし、これがヨーロッパならナチスの再来かと、市民はデモを始めるだろう。

 世界は米トランプ大統領を筆頭に「排除」の論理が当たらりまえのようにカゼを吹かせているようだ。それも、日本流にいえば「臭いものにフタ」をおしつけて、先へ進んでいるようだ。それも「一強多弱」の論理でだ。

 月末は「今月の読書」のコーナーです。今月は加藤陽子さんの本がよかったです。世の中が物騒になってくると、過去にもこんな時代があったのだろうかという疑問がわいてきてきました。気がつけば、何もいえなくなって戦争とう真っただ中に突入していた…などという時代にはしたくありません。

 今月は、明けてもくれても日々トランプ米大統領の言動が注目された月でもありました。メキシコと米国に国境をつくる。移民に対しての入国禁止などがマスコミによって取り上げられた月でもありました。「世界はどこへむかってすすもうとしているのだろうか」という疑問にかられた月でもありました。いままで、どうにか世界の緊張関係もゆるやかに動いていたように思えていたものが、一挙に大国の政治家によってめまぐるしく動かかせれていくようにも見える月でもありました。それも、いい方向(ぼくが考える範囲)ではなく、まさに憎悪をつくり出されるような言動が目立ったようにも思えました。

 そんななかで、大事なことはなにかという意味で読んだ本であったように思えます。いま、世界中で一番だいじな仕事は、世界の出来事を冷静に私達目線で語ってくれるジャーリストや報道番組ではないかと思える月であったようです。だから、国谷裕子さんのキャスターは貴重なほうどう番組であったように思えます。そんな意味で読んでいたように思えます。



■読者のみなさんへ国谷裕子
番組を離れて10か月が経ち,〈クローズアップ現代〉に自分なりの区切りをつけたいと思いました.私には,次に向かって進むために,番組とともに過ごしてきた時間を整理することが必要だったのです.番組との出会いと別れ.キャスターの仕事とは何かと悩んだ日々.記憶に残るインタビューの数々.そしてテレビの報道番組が抱える難しさと危うさ.偶然のようにしてキャスターになり,大きな挫折も経験し,そのことへのリベンジとしてキャスターをやめられなくなった私.番組を制作する人々の熱い思いに突き動かされながら,様々な問いを出し続けてきました.この本は,言葉の力を信じて,キャスターという仕事とは何かを模索してきた旅の記録です。(岩波HPより)

◆p12 私はキャスターとして「想像力」「常に全体から俯瞰する力」「ものごとの後ろに隠れている事実を洞察する力」、そうした力を持つことの大切さ、映像では見えない部分への想像力を言葉の力で喚起することを大事にしながら、日々番組を伝え続けることになった。

◆p15 結論をすぐ求めるのではなく、出来れば課題の提起、そしてその課題解決へ向けた多角的な思考のプロセス、課題の持つ深さの理解、解決の方向性の検討、といった流れを一緒に追体験してほしい。

◆p30 ~インタビューがいかに大事であるか、準備の仕方、聞き方によって得られる事絵が大きく変わっていくことに気づかされる。

◆p73 新しい事象に「言葉」が与えられることで、それまで光が当てられずにきた課題が、広く社会問題として認識されその解決策が模索が急速に進むということがある。(例:犯罪被害者たちというテーマを「殺された夫、残された私」へと変えていくことでより身近に)

◆p103 数年前「ねじれ国会」という言葉がメディアで頻繁に使われていた。~「ねじれ国会」状態を解消することが正常化すること、つまり衆議院と同じ政党が多数派になりことが「正常」である見方を流通させることにつながったとは言えないだろうか。これはある意味、投票誘導行為にもなりかねない。

◆p164 日本語の何となくストレートに聞けない曖昧さをどうやって排除していくか。それは、インタビューをしていくうえで大きな課題だ。(言葉をなんでも一括りにしていないか)




 ぼくは、23年間というながい時間「クローズアップ現代」という番組をみてきたわけではない不良視聴者。それでも、ときどき興味あるテーマはみたいたように思う。日々の出来事について、国谷キャスター―が紹介し、専門家の意見を聞く番組だった。ぼくが、これまでにない番組だと思ってみていた理由はもう一つある。それは、キャスターの質問がとても自然で、ぼくもそう思う点がある、という内容だったからだろうと思う。物価が上がれば、近所のスーパーにいって買い物をして、さらには大きな市場にでかけ流通はどうなっているのか、その仕事をしている人に直接、質問をしてくる。まさに、現場主義であったように見えた。

 その質問の内容の言葉が、消費者目線をで自分の言葉を発していたことにとても身近さを感じたように思う。誰であろうと、自分の勉強したことや現場にいっての言葉を一生懸命、駆使してのインタビューはわかりやすかった。

 『キャスターという仕事』を読んでみると、そのわかりやすさの工夫が苦労になってがんばる姿がみえるように思う。安直にはできない仕事だという自覚が伝わってくるように思える。

 今でも、NHKでは「クローズアップ現代」はやっている。キャスターというよりは、司会者でゲストがその内容のほとんどを解説している。いわば、その道の専門家のいろいろな意見をたらい流しているような番組になってしまった。だから、まとまりが少しもなく、当日のテーマの落としどころがあやふやなように思える番組になってしまった。テーマの本質を深く探ろうとする司会者の意図は皆無に等しい。残念な番組になってしまっているように見える。そんなことを気づかさせてくれる一冊だ。(復活が待ち遠しいと思うのはぼくだけだろうか)。



■膨大な犠牲と反省を重ねながら、明治以来、四つの対外戦争を戦った日本。指導者、軍人、官僚、そして一般市民はそれぞれに国家の未来を思い、なお参戦やむなしの判断を下した。その論理を支えたものは何だったのか。鋭い質疑応答と縦横無尽に繰り出す史料が行き交う中高 生への5日間の集中講義を通して、過去の戦争を現実の緊張感のなかで生き、考える日本近現代史。小林秀雄賞受賞。(文庫紹介HPより)

■加藤陽子 カトウ・ヨウコ1960(昭和35)年埼玉県生れ。東京大学大学院博士課程修了。東京大学大学院人文社会系研究科教授。専攻は日本近現代史。著書に『模索する一九三〇年代』『満州事変から日中戦争へ』『昭和史裁判』(半藤一利氏と共著)等がある。2010(平成22)年『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で小林秀雄賞受賞。

7 ~国民の正当な要求を実現しうるようなシステムが機能不能に陥ると国民に、本来見てはならない夢を疑似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らないとの危惧であり教訓です。

◆50 戦争の最終的な目的というのは(~略)。相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序(これを広い意味で憲法と呼んでいるのです)。これを変容を迫るものが戦争だというものです。

◆p190 桂首相は1903年12月21日、ロシアとの外交交渉がうまくいかないことで見切りをつけて、戦争の準備にとりかからなければいけない。ということで閣議の後、元老の山県と伊藤に内戦許可のお願いの手紙を書くわけです。

◆p330 満州事変が起こる前には、すでに国民のなかで少なくとも国家が行なう行為に対する批判精神があると思われるような集団のなかでも、ちょっと針でつつけば爆発する空気もあったということがわかる。


  歴史は過去の資料を探しつつ、資料を読みその内容を分析して、その前後を明らかにして、その内容の原因をみつける。過去の行動の検証をすなかで、現在にそのできごとをあてはめる材料とすることだと思う。

 人は歴史にどうかかわるのか。けっきょく、歴史はその時代の偉人がつくっていったのかということばかりが現在にいわるが実際は違うというおとを考えさせてくれるものだと思う。


一九三三年、私は「天皇」と同じ日に生まれた――東京オリンピックの前年、出稼ぎのため上野駅に降り立った男の壮絶な生涯を通じ描かれる、日本の光と闇……居場所を失くしたすべての人へ贈る物語。

柳美里(ユウミリ)1968年生まれ。93年『魚の祭』で岸田國士戯曲賞を受賞。94年『石に泳ぐ魚』で小説家としてデビュー。『フルハウス』で泉鏡花賞・野間文芸新人賞、『家族シネマ』で芥川賞を受賞。近著に『ねこのおうち』がある。(河出文庫紹介より)

◆p132 庭は寒くてよく見えず、昼の間にコヤから出て猫のように陽溜りを追いかけてうたた寝する日々はかつては家族の一員であったことを忘れそうなほど惨めだった。そして、あおの日、生きていること自体が惨めに思えてくるとりわけ辛い朝だった。

◆p155 目と鼻のさきに天皇皇后両陛下がいらっしゃる。お二人は柔和としかいえない眼差しをこちらに向け、罪にも恥にも無縁な唇で微笑まれている。


 JR上野駅の思い出は学生時代、三ノ輪という近くで夜通しアルバイトをした帰りの朝、うろうろしていたらスーツを着たオジサンに「自衛隊に入らない?」と呼び止められたくらいだった。あの時代は(40年前くらい)はまだ日本もホームレスという人はいなかったように記憶する。米国ではすでに、ホームレスのニュースは来ていたが、日本にはいまほど多くの人数なかった。ときおり、出稼ぎにきた人が、こちらにいついてしまった人の多くがいて、とりあえず安いアパートに生活していたのだろう。

 それが、ここ10年のあいだに驚くほどのホームレスが増えた。いちばん印象に残っているのは、2009年に日比谷公園に「年越し派遣村」ができて多くのホームレスを見た時だった。日本もこんな時代になってしまったのか…と。

 物語は、東京五輪の建設ラッシュ時代に出稼ぎにきて、それっきり帰らず、上野に住んでいたホームレスの男の物語。一人の男の背後には家族があり、友だちもをも含めたものだった。息子が東京の専門学校に行き、歯科技師の国家試験が合格してもののあっけなくパートでなくなってしまった。それも、天皇にあやかってつけた名前が歴史を物語っている。さらには、原発事故の影もある。

 「ただ働きさえすればどうにかなる」という東京五輪時代の繁栄は、男にとっては歴史の中の一瞬でしかない繁栄だったように思える。いや、この男だけではなく私達自身にとっても同じことがいえるのではないのだろうか。

 能は六百年前にすでに人気を競う「市場」にさらされ,世阿弥は競争に勝つ戦略書として花伝書を書いた.「初心忘るべからず」に代表されるその言葉は,能役者が試練を乗り超えるためのものだが,現代人の心に響く.能役者の各年齢でのあり方も論じ,人生論として示唆に富む.イノベーターだった世阿弥の革新性にも迫る創造の手引き(岩波書店本紹介より)

 この本は「再読」。

 能の芸能の継続をいかに後世に伝えるか書かれているばかりではなく、そこに演じる者のあり方をも伝えている。それは、能芸能の分野にとどまらず、人としての生き方や、さらには私たちの一人ひとりのあり方が書かれている。こんなところに、と思うほど長い歴史のなかでいき残った言葉である。

 さて今月も終わります。

 先週は雑誌の締め切りであわていましたが、今週はそれも無事終わり「のんびり」していました。もちろん、仕事は通常通りありました。

 知人が退院したとのことで、数人あつまって静かな会をしました。集まったところがぼくもかつては(40年前)住んでいた場所であったのでなつかしく思える会でした。もう、無理して頑張ったところで反応するのは、疲れだけです。ここは、無理せず体と相談しつつゆっくりしていくしないようです。ぼくも、「生涯現役」なんて、力んでいる人もいますが、あまり気にせずいきたいと思っています。所詮他人事です。自分のことは、自分がいちばん知っているつもりですからね。

 もう少し温かくなったら今度は、今回集まった人たち花見でもできたらと思います。

 それでは、今週はこのへんで失礼します。

 読んでくれた人、ありがとうございました。

 


春一番が吹きました。

2017年02月19日 | Weblog

 こんにちは。
 今週、春一番が吹きました。一日温かく感じたものでした。ニュースでは4月の陽気だったのか、もう少しですね。
 春が近づけばもう一つの悩みがあたまをもたげてきます。「花粉症」で悩む春でもあるように思います。気になれば気になるほど憂鬱さがましてくりょうに思えます。今年はどうでしょうか。
 多摩川の土手の散歩で寄り道をしてみると、河津さくらがさいていました。なんと気の早いさくらでしょうか。リンとして固く青空に花びらが寒さに耐えているような見えました。足元にも歩いているうちに土の固さが柔らかくなっていくような気もします。

 さて、今週は何がぼくのなかで「話題」になっていたのでしょうか。
 あいかわらず、明けても暮れてもトランプ米大統領の話題にはことかきません。とはいえ、ここは日本です…と思いもう少し足元を見つめていきたいと思います。とはいえ、トランプ大統領が世界に投げかけた政治は怖い兆候のように見えます。
 最近読んだ新聞のコラムに英国議会の議長のジョン・バーカウ氏の話が載っていました。トランプ大統領の訪英での議会演説について「彼を議会に招くことはない。人種差別や性差別に反対し、法の下の平等と司法の独立を支持する下院にとって、とてつもなく大切なことだ」と…。はっきり「NO」をつきつけることが大事な時だからだろう。
 EU離脱を表明した英国が「これは別」と自分たちの立場をはっきりさせているところが英国下院議長600年の歴史だろうかなあと思えたコラムでした。


 16日、全米各地で臨時休業するレストランや商店が相次いだ。トランプ大統領の移民政策に抗議するストだ。「移民のいない日」と題されてソーシャルメディアで広がり、移民労働者が仕事をボイコットした。

 いまや米国は移民大国。それが多民族国家いわれるゆえんである。それを拒否したトランプ大統領の移民政策は、自国の労働者対策の怠慢の証でもあるし、資本主義の宿命を背負って世界をリードしてきた国の宿命でもあるように思える。記憶によると、世界の人口の数パーセントに米国の富裕層が利益を集中し、握りしめているということを思い出した。それはとんでもないほどの利益なのだろうと思う。広大な国土をもっているし、お金もある。
 資本家は安い労働力を得て、高い利益をあげていく。これは、資本主義経済の法則だろう。まして、グローバルサタンダードなる経済を世界中にまき散らした米国の宿命だはなかったのだろうか。IT企業などは、世界中から頭脳明晰なひとを雇って企業をつくってきた結果、世界中のパソコンにマイクロソフトやアップルのOSが普及してきたし、いまでも関連産業が反映しているのではないのだろうか。自国の教育がどれだけ貧困になってしまっているのか、そのせいで世界の頭脳ということになったのだろう。
 その結果、失業者が増えたわけだ。移民労働者のせいにするのはあまりも拙速ではないかと思う。

 一企業の問題ではないはず。移民が多いのは移民先の問題でもあるが、米国は近隣の南米などにいままでそうなるような外交政策をしてきたのではないのだろうか思うのだが。さらには、資源を安く得るためにアフリカや石油産出国などへの政治介入などをしてきた結果ではないのではないのだろうか。「米国流民主主義=正義」という政治テーマを世界中に押し付けた結果のことだと思う。今、日本では沖縄がその影響を受けているのも事実である。
 世界中の大統領や首相が同じようなことをやったら、きっと戦争になってしまうのではないのだろうか、と思う。その火種はあるように思う。
 そんな気がするのだが。


  南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣されている自衛隊の即時撤退を求める集会が17日、東京都千代田区の衆議院第一議員会館であった。部隊の日常の「戦闘」という文言を憲法に抵触しないように「武力衝突」などと言い換える政府への批判が相次いだ。

 南スーダンで何が起こっているのか、隊員の家族にもよくわからないまま「戦闘」という現実がまるで部外者の「武力衝突」であるかのようになっているように思える。自衛隊当事者たちは何のために南スーダンに派遣されているのかという疑問に「平和」のためという答えはあまりにも安易すぎないか。
 「平和」という言葉が一括りされて伝えられても、実際のところは平和ではない状況なのだから、国民に知らせるべきではないか。まして、関係者の家族にも平和維持であればその内容を伝えるべきではないのかと思う。
 「日報を廃棄した」とか「武力衝突」とかうそで固めた情報が国民を疑心暗鬼にさせ危険なことになりはしないのかと思う。





 春となれば、会社に勤める人であれば異動の時期でもあります。自分がいる場所から、会社の人事異動命令で他の職場にいくということです。これはある意味では、気持ちをフレッシュにさせてくれるものだと思います。若い人にとっては、これからさらに多くの人と戸出会うことによって助けられたり、刺激をうけたりと必要なことだと思います。
 とはいえ、これは異動する側の都合もあります。いくら、業務命令とはいえ、強引な異動は考えものですが、ね。

 さて、今回ぼくが「異動する予定…」になりそうです。これは、お客さまの都合によるものなどで仕方がないかもしれません。今ある場所から、全面的に移転するそうです。そのために、(しばらくだろうか)今ある場所の確保もままらない手ざまなようです。そのために、ぼくが本社に戻ることになりました。いままでの仕事は、これまで通り、仕事の方法(段取り)をかえて続いていきそうです。

 思えば、いまいる「一人きり職場」は暫定的に決まった異動でもありました。
 前任者が、突然病気になってしまいこれまで通りの引き継ぐことができる人を探していたときにぼくが指名されたわけでした。そこには、以前からもやむを得ない状況であったときに助っ人して行っていましたので一部を手伝った足りしていました。
 当初は、難聴がひどく病院通いもしていたので「その様子をみて…」とのいう返事であったのですが、まもなくよくなってきたので引き受けたということでした。2015年の6月のことでした。
 内容は、原稿入稿から、指示・手配し、さらに組み上げることを一人でやるのですから「できるのだろうか」という不安もありました。そこでは半年くらいは無我夢中で、気がつけば年末になっていました。
 一年がすぎるときには、どうにか自分なりのペースができてきて、段取りも少しずつよくなってきました。

 ぼく流にいえば、これは「島流し」のように思える日々もありました。
 でも、自分なりの形で仕事が進められるようになるとどこよりもいい職場かもしれないと思うこのごろでした。
 お客には融通をきいてもらったり、こちらも無理を承知でやることもありました。そんなとき、怒りもこみあげてきたときもありました。

 人間っておかしなものですね。実際、日々終わっていく仕事のあとに思うことは、今まで仕事のことなどで「イヤナお客」であっても、こうして去るようになってしまうと、許せてしまうような気持ちになっていることに気がつきまます。映画「男はつたいよ」で、だんご屋のおばちゃんが、旅に去っていく寅さんの後ろ姿をみていうセリフ「なんで、人は別れるとき、今までのことに、こんなに素直になれんだろうね…」のようです。

 ぼくもいい経験をさせてもらったように思えます。この機会を奇貨として、また新しいところで自分なりにできることで頑張っていけたらと思えます。



『支度』
何の匂いでしょう
これは

これは
春の匂い
真新しい着地の匂い
真新しい革の匂い
新しいもの
新しい匂い

匂いのなかに
希望も
夢も
幸福も
うっとりと
浮んでいるようです

ごったがえす
人いきれのなかで
だけどちょっぴり
気がかかりです
心の支度は
どうでしょう
もうできましたか
黒田三郎・岩崎書店「豊かな言葉・日本の現代詩④」より



 春の便りを聞けるような季節がめぐってきたことは寒がり屋のぼくにとっては、大変うれしい限りです。
 少しずつ公園で遊ぶ子どもたちの声も大きくなっていくように聞こえます。来週は、月刊誌が終わります。もうひと踏ん張りが必要な週になるようです。まあ、あまり変わらばえしない雑誌ですが、2週間ほど悩みつつやってきた雑誌です。少しは愛着も持ちます。
 さて、異動後はどんな仕事をするのでしょうか。
 「ながい島流しでしたよ」遠島をもし渡され日々、流されないよう頑張りました…。次の職場では、重いものを持つ仕事は遠慮願いたいです。働いて体を悪くするのは本末転倒ですから。

 では今週はこのへんで。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

寒さも増してきた2月です

2017年02月12日 | Weblog

 こんにちは。
 2月にはいり寒さがいちだんときびしくなったように思えます。
 ちまたでは「バレンタインデー」とチョコレートのうわさが聞こえてきます。ぼくにはいっこうに関係なくなってしまったような日ですが、みなさんの周りではいかがでしょうか。寒い日に食べるチョコレートはおしいんですが。
 そのことより、最近は寒さが身にしみてきました。動きたしたくても寒さのせいでしょうか、気持ちをつよくもっていかないと負けてしまいそうです。

 とはいえ、寒さに負けじと健康のために近所の公園に出かけた休日でした。昨年も咲いていた蝋梅(ろうばい)が今年も満開でした。香りがよくてずっとその場所で眺めていました。「花の命は短くて…」香ばかりが印象的な蝋梅です。
 さらに行くと、梅の花も満開でした。小さな花びらが青空にいっぱいに春をつれて来ようとしているようでした。
 こうして寒い冬は、葉がないせでしょうか花が目だっています。そこに集まる小鳥の様子も鮮明にみえます。冬の楽しみも一つ見つけた一日でした。
 寒い、寒いばかり言っていたら本当の冬の良さが見つからずにいるかもしれませんねえ。そんな気がします。

 さて、今週はどんな一週間であったのでしょうか。





 自衛隊部隊が国蓮平和維持活動(PKO)のために派遣された南スーダンの緊迫した治安状況が伝わってくる。防衛相が昨年7月11、12日両自のの部隊の日報などを開示した。ジュバでは当時、大規模衝突が発せし、270人以上の死傷者が出ていた。国会で説明を求められた稲田朋美防衛相は「戦闘」を「武力衝突」と言い換えて答弁。事実を隠蔽していると追及されたいた。

 自衛隊がPKO平和維持活動として南スーダンに派遣されていることは知っているが、その内容までは専門家ではないのでニュース以外知らないというところが実際のところだろう。今回、国会で活動の「活動日報」なるものが開示されて驚いた。海の向こうで戦闘があったようだ。それに、派遣された自衛隊も巻き込まれる可能性はきっとあるだろうと思う。なにがどうなっているのか、「日報」が開示されるまで、あることも知らなかった。
 仕事だからあるのだろうということはあっても、開示されなければその内容も知らされないままどうなっていくのかも不明のままいるいうことはちょっと怖いなあと思ってしまう。

 太平洋戦闘当時の大本営発表で「全滅」を「玉砕」といい、「撤退」を「転進」といっていたことが思い出された。そこからイメージするのはまだ大丈夫というイメージであったのだと思う。だから、まだ戦えると勘違いをしていたような歴史があったように思う。
 最近あったのは、沖縄海域のオスプレイが燃料補給中に誤って事故を起こして「墜落」(ぼくの目に見えたのは)したことを「不時着」という表現に似ていたように思えた。なんと勝手な表現だな…と思えてしまった。
 ことは、重大なことなのに国民には知らされていないようなところもある。全容がわかったときは遅く、国民も全他の流れの中に漂ってしまう形ができがってしまう怖さを感じたニュースだった。



 出版大手のKADOKAWAが1月末に出版した雑誌「岐阜信長 歴史読本」で地図で岐阜市を「三重」と記すなどの誤表記30ヵ所あることがわかった。編集に協力した岐阜市教育委員会は「重大な誤りが多く大変遺憾」と修正を求め、同社は刷り直した。

 ぼくにとって、これは他人事ではないニュースでした。なんといっても誤植が30ヵ所もあれば、これはいったいどうしたことか。刷り直しは当然の結果でしょう。それにしても、こんなにあるとはなんとも言えません。
 こんなにあるとなると「始末書」どころではないのではないかと思います。もう致命的というところです。ぼくの会社であれば、大騒ぎでしょう。そして、二度と担当者になるようなことはむずかしくなるのでしょう。ぼく自身も校正などの仕事の経験があるので、これはきっと校正ミスというよりは、仕事の段取りみたいな印刷までの行程が間違っていて、最後の校正をするべき段取り抜けていたのではないかと思います。よくいうヒューマンエラーというよりは、シウテムエラーという方ではないかと思います。
 おおよそ校正は何度やってもこれでいいということはなくて、もう一度と思うのが通常でしょう。それが、仕事の流れの中で抜けていたのではにのでしょうか。

 「気を付けること」はもちろん作業のシステムを考えた方がいいでしょう。
 ひと事は思えないので、これからも気をつけて頑張ってください。



 一人職場であっても、これまで、仕事しているわけですから多くの他社の人たちとの付き合いもできてきました。最近、その会社の人が介護休暇を取得後、「やっぱり大変…」ということで辞めていきました。
 これまで、都外のの田舎に通っての介護休暇であったのですがとうとう、通いきれず、まさに「老老介護」の限界をみたように思えました。

 考えてみれば、地方から都内に仕事に来ている人は両親が病気になってしまったら看病をするために、仕事をとるかあるいは自分だけが仕事をやめて短い老後を親と一緒に住んでみようかという気持ちになるでしょう。
 介護休暇はあっても、助かることはほんに一部分で実際は個人の負担がおおくあるのだろうと思います。結果として、決断をして辞めたということです。
 働きながら、介護という仕事は通常通っている職場での仕事よりはるかに大きな負担がかかることが見て、聞いてわかるような気がします。
 
 いったいこれからどうなっていくのでしょうか…、一抹の不安がつのります。だから、老人の「孤独死」という現実も多くなってくるような気がします。自分の老後のことを考えると、想像できないように思えます。
 まして、認知症などになってしまったら…、と思うと厳しい現実があるんではないかと思います。(ぼくもそんな年なのだ…と)
 介護サービスもありますが、その辺もよく勉強していくことの大切さがわかってきます。国や市での介護についてどれだけの援助があるか、わかるでしょうか。
 「お疲れさん会」で出席したときそんなことを考えしまいました。


 毎日お天気がよくてけっこうなことです。それにしても、乾燥してインフルエンザが怖いです。
 なんせ、一人職場ですから、休むのもいいのですが正直なところ代わりの人に段取りを教えるのが面倒なのです。インフルエンザにかかって、最悪の場合は仕方がありませんがね…。
 来週は、いよいよ月刊誌の追いこみですワ。まいったなあー、と思います。残業もあるようです。「働きかた改革」なんていうのは、日本の会社では法律ができても無理なような気がします。なんせ、みんながわがままばかりいっているのを聞いていると、残業でもやらないと追いつかないのが仕事の実態です。現実、残業やらないとお客が離れていく…、という習慣がなくならないと無理でしょう。これは、一社の企業努力では到底無理なはなしです。トータルで取り組まないと無理でしょう。だいたい24時間営業という形をつくっていく流れがおかしいのではと思えます。これが、グローバルスタンダドということでは永遠に無理でしょうね。これは、法律というより、生活改善というものを考えて実行できる文化が必要に思います。悪しき文化はいつになってもなくならない。それは、生活習慣のなかでなおす改革が必要でしょう。

  では、今週はこのへんで失礼します。
 寒さで身をちじめているのも、もう少しの辛抱です。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

2月がはじまりました

2017年02月05日 | Weblog

 こんにちは。
 節分、立春と少しずつ春を感じさせる催しがありました。節分では、豆を食べては今年の無事を呑込んでいるような気がします。
 季節は春と確実にすすんでいるように思えますが「心」のなかはまだ冬の寒さを引きずっているような気がします。例えば、職場で一人ずつ厳しい状況で仕事をリタイヤして、親の介護に専念していった人の送別会など、或いは体を悪くして入院してしまった人など…。
 自分の年齢がそれらを多く経験するときなのだろうかと思いつつ、春を迎えようとしているこのごろです。
 「年齢に応じて…」という言葉が引っぱって今を生きているのではと、ある意味あきらめているような気がします。身の周りの出来事を日々考えて、ちょっと楽しいことも考えつつ春をむかえたものですね。いつもフレッシュな気持ち、立つ場所も少しずつ変えていきたいものです。

 さて今週、米国のトランプ政権の傍若無人ぶりがニュースになっていました。まだ、具体的な動きは移民禁止の大統領令があっただけですが、今後もっと具体的になって政治になってくるように思います。
 それにしても沖縄の問題は、現実には反対の世論があるのに、無視されたような流れには困ってしまいますね。だいたい、沖縄には与党の国会議員はいないことの事実。そのことはっきり意思表示しているように思えるのですが。


 東京電力福島第一原発事故による福島県内の避難指示が今春、帰宅困難区域以外のすべての区域で解除される見通し。飯舘村と川俣町山木屋地区の解除が決まったほか、浪江町や富岡町でも調整が入っている。しかし、住民は困惑している。「この状況でなぜ帰るのか」。町民への説明会での会場方針に疑問が出ている

福島第一原発事故から今年は6年目。誰も住めなくなってしまった地域も多いと聞く。町には、人がいなくなって増えたのは野生動物という。放射能の除去も急ピッチで進んでいるように見えた。それでも、いまだに、放射能を除去した残土あとにも放射能は少なくないだろう。まして、除去しようとして掘りこされた土やがれきの行先もままならない状態だともきく。さらに、放射能をおおく含んだ水の行方が懸念される。水は命の源というぐらいであるからその点も、解決しているということも定かではない。

以前、安倍首相が「放射能はコントロールされている」と言っていたことを思いだす。本当に「コントロール」できていれば、避難地域の避難解除が出されても避難者たちは安心して帰るのはないか…。それが、新聞の説明会の様子では住民の質問に説得力のかける答えばかりで避難民の不安は増すばかりのように読める。
そして、気になったのは避難先での地元学校での差別・いじめが話題になっていた。

 まさに、地域では地元住民が「上から目線」で言いたいこといっている。まさの「ヘイトスピーチ」さながらのように思えるのは考えすぎだろうか。
 2020年、東京五輪の開催が目前でもある。外国の人たちはいったいどうみているのだろうか。何か、避難者たちの不安は「帰って本当に大丈夫」なのかという不安もあるが、避難先での「今」をどれだけ安定させることが大事なのではないのだろうか。時間が解決さるようなことではないことはわかるが、いま大事なのは避難先での生活を安定させることのように思える。ごり押しにしてしまえば、まさに「弱者囲い込み」にして隔離れているようにも思えた。


 インターネットの検索サイト「グーグル」に対し、自分の逮捕歴に関する記事を検索結果の表示から削除するよう男性が求めた裁判で、最高裁第二小法廷の決定は、検索結果を表示する表現の自由と比べ、プラバシーの保護が「明らかに優越する場合」に限って削除できるとする厳格な条件での判断基準を初めて示した。

 世の中が超スピ―ドで情報が流れる世の中にあっては「忘れられる権利」というのも出てくるのだろうか。パソコンで自分の名前を検索すれば、検索内容が地球をかけめぐって探し出す。自分の名前の一部が入っている文字を何件も表示することも可能な世の中だ。
 もし、犯罪をしてしまったなら小さな記事が世界中をかけめぐることになる。法的に罰せられて、服役して、新しい気持ちで更正しがんばろうと思った矢先に、検索した犯罪記事に自分の名前が載っていたらどうだろう。
 今回の最高裁判決はこの点がなかったとニュースになっているのだろうと思う。「他人の不幸は蜜の味」といいます。
他人の幸せをうれしく思える境遇でなければやっぱりねたみます。それだけでことが終われば世の中「まんざらでもない」と思うこともあります。他人の成功物語をいくら読んだり、聞いたりしてもしょせん他人のごとで、自分のことではないといつも思います。ぼくは、むしろ、失敗した人の方が親しみを感じますが…。それでも前向きにしている人に…。

しかし、ことが犯罪事件となると生命・財産に関係すると大変なことになります。他人の一生を決めるのは「憎しみ」ではないのだと思います。いっとき宗教や主義主張のちがいによって暴力が起き、「憎しみの連鎖」という言葉が世界中を席巻しました。これは、報復という形と権益ということがあるのだと思います。まさに「テロ」です。「戦争」ならまだ大義名分があるのでしょうが、テロはなにもありません。そんな気がします。

「忘れられる権利」というのは、加害者でも被害者でも必要だと思います。
 とくに加害者は、犯罪を起こしたことは一生消えません。それでもなお、生きていくために働くことになります。とてもまじめに働き、社会に貢献していることに自負することが大事ではないかと思えます。本人は加害者であることは忘れることないのでしょう。(忘れたいのでしょうけれど…)
要は、関係者ではなく、それを利用して悪用すること社会がおかしいのではないかとつくづく思えるのです。



 「形あるものはいつか壊れる…」とは知っていたけれど…。
1月末日。とうとうきた。
15年使った給湯器がとうとう壊れた。風呂が沸かない、シャワーが冷たい、床暖房がつかない。まして冬である。緊急避難でもしたいくらいの日々がきたのだった。その、予兆はあったが、俗にいう「ダマシ、ダマシ」使っていたのだがとうとうだめになった。ガス漏れも怖いといこともあって、某給湯器メーカーに相談してみた。「給湯器は寿命が平均10年ですから…」という返答だった。
 今年の冬をどうやり過ごすかということも考えてみたが、風呂に入れないのはつらい。さらには、銭湯が近所では少ない。さらに遠い…。

 とうとう某メーカーに来てもらい「見積書」なるものをつくってもらうことになった。その見積書見て、さらにふところが寒々となった。○十万円の価格。(オイオイこれは高いのではと思った)驚いた。多機能な給湯器は高くなるそうだ。寒さや健康を考えると「仕方ないか」とうらみつつ注文したのだった。
 「ローンも払い終わってもいないのに壊れないでくれよ!」と思う。これは、家族でも「予算案」という計画書も必要になってくるのだろう。

 独身時代、暖房器具などは炬燵とストーブですましていた。それで4畳半の部屋は十分だった。まして、風呂などは入るのも1日おきでたくさんだった。
 家族を持つようになって、全員を満足させるに十分な暖房はやはり一台のストーブでは間に合わないよう思えた。若さは、無理を体力でカバーしているようなところがあった。

 「いつかは壊れる」ということは暗黙了解であるのだろう。
 それにしても、自分がなるとは思わなかったというのが正直なところ。おそらく、壊れる前までには何らかのシグナルが送られてきたに違いない。それがどこでどんな形であるのか、わからないで日々を送っている。わからないのではなくて、わかりたくないと思っているのかもしれない。それでも、いつかは年数が弱った部分に拍車をかけることは疑いない事実だろうと思う。

 機械であれ、人であれいつか壊れる…。このことを肝に銘じていくしかない2月が始まったように思います。年齢を重ねれば重ねるほど、病気のリスクは高くなるようです。健康をちょっとでも意識して体にいい負荷をかけていくことも大事な日々のように思います。





『還暦のきもち』
気のきいたことはいえないが
「こんどうまいものでも食いにいこう」と
生活に日焼けした笑顔に
都会暮らしの田舎者には
ごちそうのように聞こえた

その日焼けが
たくさんの書物の1ページのことばより
ずっとみじかな
春を見つけたように思える

ただ、なおったら
「うまいものを食いににいこう」
そう、聞こえた後ろすがたに
日にあたっていくようなぬくもりと
本当のことを聞いたような
笑いながら泣いてみたいものだ
そんなこ日がきっとくるといい

 週末、先週に引き続き病院に兄弟のお見舞いにいってきました。ぼく自身、2週続けてのお見舞いにはおどろいてしまいまし。週末の遠出は大変でした。

 とへいえ、一度は顔をみせてみたいと思い出かけたのでした。写真にもあるように、醤油の町です。子どもの頃は、町にでかけるたびに、醤油の香りをかぎつつ過ごしていました。今でも、工場はあるのですが、昔ほどの醤油のにおいがなくなったのは気のせいでしょうかね。子どものころあったお店などはほとんどなくなていました。醤油工場はさすがに町のどまんかに工場がありました。さすが醤油の町ですね。たしか有名図書館もあったように思いますが…。
 野田は長塚節の『土』という小説で出てきますね。利根川と江戸川にはさまれた町でもあります。


 さて、今週はこのへんで失礼します。
 来週はもう一人の知人が再入院するようです。仕事も、雑誌の締め切りも近づいているようで忙しくなるのだろうと思います。まいたったね。
 では、このへんで。天気がくずれてきそうです。少しは雨も必要でしょうか。乾燥しすぎているから。
読んでくれた人、ありがとうございました。