日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

2011年の8月に思うこと…

2011年08月28日 | Weblog


 8月も終わりです。
 今月、何かいいこと、思い出に残る8月になったでしょうか。
 私などは、年々、思い出に残る夏が少なくなっていくように思えます。どこかに旅行へいくでもなく、なにやら冒険をするでもなく、「暑い、暑い…」という言葉が真っ先に出つつ、淡々と日々が過ぎていったように思えます。強いていえば、のんびり夫婦で墓参りの珍道中をくりひろげたことでしょう。

 今年も、古里にむかった超渋滞を満喫し、いまとなっては、その苦痛をここちよく思って過ごした8月ではなっかのでしょうか。
 静岡で船の浜松天竜川での転覆事故。夏の甲子園。どうでもいい芸能界、島田紳助の芸能界引退。北海道の泊原発事故、超円高、等などと、暑さに拍車をかけ、日々の話題にことかかないほどニュースがありました。

 でも、ちょっと心配なことが発見しました。
 日々、福島第一原発事故のニュースが収束もしていないのに小さくなっていくことです。
 ニュースがなくなってしまうと、いっけん解決したような錯覚がおきてしまうようです。

 現実、「忘れてしまうことが解決」だと思えることも多々、ありますが、こと放射能汚染や放射能垂れ流しは、いまだに続いています。解決するどころか、進行形の問題なのですよ…。現に、時間がたつにつれ、食物に放射能が発見されてきています。それも、それはずで、原子炉の冷却がうまくいっていないですから…。

私は、これからマスコミはひとつの原発テーマを追いける義務があるのではないかと思います。それが、新聞の仕事だと思います。
 本当に、これから、誰の圧力にも屈せず、ジャーナリズムの仕事をしてほしいです。つくづく、報道が管理統制された66年前の日本を考えると、そう思いまが…。




◎菅首相の交替劇
 リビアでは反体制派「国民評議会」がついに、半年間で死者2万人を出してガダフィ体制を崩壊させた。そして、本部をベンガジからトリポリに移したと発表。
 かたや日本では、東日本大震災、福島第一原発事故で、死者1万5千人以上、行方不明約5千人、原発事故による放射能の影響でを受けて避難・移動約15万人以上。いまだに原発事故の収束もままならない時期に「菅首相降ろし」が動き出していいる。
 共通するのは、何らかの「利権・覇権」のともなう権力闘争にちがいない。

 なんで、今頃…?、と首をかしげてしまうのは、わたしだけかなと思う。
 在任期間、1年3ヶ月。ここまでの間、震災、原発事故とこれまでにない未曽有の災害を経験している。その対策に、遅々として進んでいないことに非難が多いことはわかる。
 しかし、よく考えると、これは菅首相自身の問題というより民主党内部の問題だろうと思う。

 例えば、原発事故で首相は「脱原発」を訴えた。日本の電気エネルギーを自然エネルギーから、原発に替るものに段階的にしていき、いずれ原子力に頼らないものしようした。そのための「節電」も実行してきた。浜松原発も停めた。

 わたしは、個人的にはこの考えに賛成である。収束はすすまない中、目標が「脱原発・廃炉」とあるからだ。原発事故でその補償問題をしっかりと追求しながら大きな目標がしっかりしていたと思う。

 これで「指示率」の数字ががさがっていくのが不思議に思えた。そして、その数字がひとり歩きしはじめて「菅首相降ろし」へと変化していったのだろう。しかし、よく考えてみると、この指示率は民主党の指示率でもある。それに対する対応が「首相交替」で変わるものではないと思える。
私は、むしろ菅首相の「脱原発」を本当に受け継ぐ気がないような「交替」なのかもしれないいう疑念は隠せない。

「これ以上、脱原発を強行したらまずい…」とでも思った、と。

22日の記事「筆洗い・東京」にこんな記事がある。数十人にの学生に「脱原発」に異論がる。その内容は「脱原発→電力不足→生産拠点の海外移転→産業空洞化→日本経済大打撃」という構図が出されている。
この構図は「日本経済をダメにする脱原発」ということである。「原発は怖いが背に腹はかえられない」という構図。経済優先という構図。


経済優先(利益優先)の社会。これさえも脱原発は考える岐路にきている…と示している。そのための菅首相の苦悩だったはずだと思ったが。学生は早急さが理解できる。しかし、放射能の収束、復興もこれから何十年もかかると思えば、首相がコロコロ替るという事態はいいはずはないのだろう。

…と思うと、1970年から42年間支持されてきたカダフィー大佐という人物のやってきたことも「崩壊」で片付けるほど簡単なことではなく、評価されるべきころがあるように思う。

まさに、今年は政治、経済のターニングポイントにきているのだろう思った。すでに、経済優先(原発維持)か安全生活(脱原発)か…の綱引きがはじまっている。






♪今月はこんな本を読んでいました…8月編。
 今月は放射能がこんなに身近なったことについて驚いてしまった月でした。
 日比谷野音での集会でそれが強くなっていました。これは、「忘れては生きて通れない」と思い原発関係の本を読んだ月でもありました。どれほど理解…しているかは問わないで下さい。ただ、身近においておきたいテーマとして読んでいるようなことが大事だと思っています。

◎原発を終わらせる(石橋克彦編・岩波)

・三月十一日午後二時四六分、地震発生の翌日、十二日三時三六分、福島第一原発1号機の原子炉建屋の最上部にあるオペレーションフロアが、水素爆発で吹き飛んだ(p3)

・大規模な原子炉または格納容器があった場合、200キロ離れた首都圏でも決して安心できない。首都圏が強制避難地域になった場合日本は全滅する(p47)

・「エコサイド」ちまり、生態系、人びとの暮らし、健康、さらには伝統文化まで根本から破壊つくす、文明の暴力について考えた(p54)

・先住民は植民地主義政策のもとに土地を略奪され、労働力して使い捨てられ、そのあとエコサイドによってまたもや国家に土地を奪われて、伝統文化を継承することができなくなった(p55)

・双葉町は、原発誘致と引き換えに膨大な額の「原発三法交付金」を受けながら、ハコものづくり資金を使い果たして財政難に陥っている(p59)

・地域に原発を無理やり押し込み、安全対策をさぼり、事故が起きると「想定外」といって責任を回避する政府と東電には被災者の声に耳を傾けながら生活再建を考える謙虚さはみられない(p63)

・日本の原発に対する世論もようやく82%が廃炉をもとめると高まってきた(東京新聞)それでも、政財官、学者、評論家、マスコミの一部は抵抗している。原発に故郷を追われた避難民、被曝した市民と労働者の声を風化させてはならない(p66)

・史上最大の原発事故である。放出された放射性物質が福島全体を強く汚染しただけでなく、東日本、関東一帯へもヨウ素131、セシウム137などの放射性物質が飛来し海洋汚染も拡がっている。しかも、事故は進行中で終わりが見えない。健全だとみられていた施設にいつ不測の事態が起こるかわからない状態が続いている(p80)

・使用済燃料の直接処分を含めて、原発から出る高レベル核廃棄物の最終処分の候補地が決まっているのはフィンランドのオンガロだけである。10万年の監視が必要な危険な核廃棄物を安全に管理できるのか、後の世代に知らせることができるのか、誰も答えを持っていない(p85)

・原発は先のことがわからぬまま開発されてきた歴史を持つ。「廃炉」の大変さも考えられなかった。また、放射性廃棄物(死の灰)の処理を考えてこなかったことは「トイレのないマンション」と揶揄されつづけた(p87)

・原発緊急時対応の原則は「止める、冷やす、閉じ込める」であるが、朝刊の報道は電源喪失の結果、福島第一原発で「冷やす」がうまくいっていないことを示している(p102)

原子力をエネルギー源として利用することの危険性を直視することなく「原子力は安全です」とゴマカシを言い続け、ついにこれを信じてしまったかのような日本の「原子力安全文化」の行き着いた先が福島原発事故であったと考えるべきであろう(p114)

・「原発と地震」の問題を考えるさいには、つぎの四点をあらためて肝に銘じる必要がある。
(1)原発の安全性は莫大な放射性物質を内臓することから、ほかの施設よりも格段に高くなければならない。
(2)原発は完成された技術ではない。
(3)地震というものは最大級の様相を呈するということ
(4)人間の地震現象に関する理解はきわめて不十分で、予測できないことがある。(p125)

・福島原発事故の直接の原因は地震と津波だが、安全対策が劣悪だったことが事故の深刻化を招いた。この原発事故が基本的には人災と考えるゆえんである。
(1)重大事故についてのシュミレーションの欠如
(2)指揮系統の機能障害
(3)原子力防災計画の非現実性非難指示の遅れ(p131)

・福島第一原発事故は事故終息の見通しが立たず、1号から6号まで、すでに廃炉になることは確実である。これまで、原発マネーによって豊かな地域社会を築いてきた双葉、大熊の両町は第一原発の廃炉によって「豊かさ」の基盤を一挙に失う。
 一方、電力消費地に暮らす私たちも、これまでのような電力消費を継続することはできなくなった。個々の生活スタイルだけでなく、東京の一極集中してきた産業や都市形成のあり方も問われている(お163)

【内容】

 「過酷事故を防ぐことは原理的にできない」「核廃棄物を安全に保管できるのか、だれもが答えを持っていない」…。福島第一原発事故とはいったいどんな事故だったのか。それにによって、生活が変わったいくのか、変るべきなのか…。これまでの検証(反省)と方向を示している一冊です。


【感想】

 どうしてこんな大事故が起きてしまったのだろうか思う。さらに、原発は「反対」とはよく聞くが、なぜ反対なのかより詳しくわかったように思う。読み終えて、「原子力とは人類は共存」なんていう言葉はつくる側の論理で、そこに住む側のものではないことがわかったような気がする。

 昔、そんな遠い昔ではなく、私が青年のころ、政治は野党としての役目をちゃんと果たしていたことに気がつく。なぜななら、東北でも青森、宮城、福島には原発ができて、岩手、秋田県にはない…。それを考えれば、岩手も秋田も革新(当時の社会党、共産党)の国会議員が住民の盾となり、抵抗運動があった、ということ。それが変ってしまったということもある…なあと思う。

◎原発を闇を暴く(広瀬隆・明石昇二郎編・集英社)


・ストロンチウムは、骨の中あるカルシウムと置き換わって体内に蓄積して、強い方放射線(ベータ線)を長期間放出し続ける。半減期は28年です。これが、福島第一原発から今も海と大気に放出され続け、環境中に拡散しつつあると見てまず間違いないと思います。(p54)

・大事故が起きると本当に何も想定していない。だから備えもない。対策はすべて泥縄式になる。(p56)

・被害は半永久的に続くというのが、原子力災害のおそろしいところ。…不幸にして日本はそういう時代に突入してしまったというのが現実だと思います。(p63)

・放射性物質は何ベクレルと言っているけれど体内被曝は「蓄積」される被害…。セシウムは筋肉、ヨウ素は甲状腺や卵巣、ウランやプルトニウムは肺や生殖器に、コバルトは肝臓に、ストロンチウムは骨に溜まって静かに被害を及ぼす。(p64)

・「地獄の蓋は開いてしまった」ここから食物連鎖による放射能の濃縮が始まるからです。(p67)

・一般に許される放射線量は1ミリシーベルト1年です。(p67)

・運転を停止しても、電源が失われれば、使用済み核燃料が水素爆発を起こしてしまう。(p79)

・汚染されたカネで原発を推進してきた連中の犯罪である。中曽根康弘、正力松太郎、田中角栄、小林庄太郎、米倉弘昌…(p88)

・原子力マフィアというのは、要は、政・官・に原子力関係の産・学が癒着した原発推進ばかりの共同体、つまりシンジケートです。言ってみれば、独占企業の電力会社の潤沢なカネを回し合うことでつながっている運命共同体で、利権の巣窟といっていい。安全なんて、まるで考えていない。原子力分野では東大工学部、東工大原子炉工学研究所、京大原子炉実験所の研究者たちが原子力推進の三大勢力で…御用学者たちだった。(p99)

・今後、今回の事故による処理費用や賠償費用までも発電コストに上乗せされ「世界一高い電気料金」がさらに高額になる可能性もある。(p196)

広瀬 隆
1943年東京生まれ。早稲田大学卒業後、大手メーカーの技術者を経て執筆活動に入る。『東京に原発を!』『危険な話』『原子炉時限爆弾』などで原子力の危険を訴えるとともに、一貫して反原発の論陣を展開してきた


【内容】

 福島第一原発事故が起きてしまったことは「人災」との立場から、その背後関係を追究した本。これまで、それらがわたしたちの前に現れてこなかったことはすべて「安全神話」という名のもとに知らされてこなかった。今回の事故で、原発推進にかかわった人達の責任も追及されるよう、考えるべきだというのが著者のいいたいところ。

 原子力は遡って、自民党政権時代に多くの学者やマスコミも一緒になって、市民の安全宣伝を流してきたことがわかる。それらを、もう一度洗いなおしてみた一冊でもある。

【感想】

 原発事故が人災である限り、それに係わってきた人たちがいる。しかし、それが何十年も前の話となると、研究者・ジャーナリストの追求がなければ困難だ。それが、今回の「原発の闇を暴く」もよってわかったように思う。

 どこにもよくある「利権」にむらがる人たち(政治家・学者・ジャーナリスト)が並んでいたのには驚いた。写真家の浅井慎平にも驚いた。彼らの多くの手によって、まわりにまわって事故が起き、その生命や住居を追われる福島の人たち…。はっきり、いって騙されていた…という気持ちが強い。そして、原子力を今の今まで、推進させてきた「犯罪者」と呼べる存在なのかもしれない。弁解の余地があるのであれば、今後の報道に参加すべきだと思った。
 そんな、気持ちを整理して表に出したのがこの本だと思った。


◎隠される原子力・核の真実(小出裕章・創史社)もあわせて読むといいです(内容・感想は略)…………………………………………………

小出 裕章
1949年東京生まれ。東北大学工学部原子核工学科卒、同大学院修了。1974年に京都大学原子炉実験所助手になる。2007年4月から教員の呼称が変わり、現在は助教。専門は放射線計測、原子力安全。伊方原発訴訟住民側証人

◎天災と国防(寺田寅彦・講談学術)「災害は忘れたころにやってくる」という名言を残した物理学者です。また、災害と人間との向き合い方があり、ためになりますよ…(内容・感想は省略します・ゴメン)

◎山歩きのオキテ(工藤隆雄・新潮文庫)

・憧憬の山だからといって北アルプスなど高い山にいきなり入るという歩き方はしてはいけない。疲労して取り返しのつかないことになる。(p39)

・遭難するのはきちんと準備してないで山に入るからだ。危険は山にはあるのではなくて、その登山者の中にあるのだ。(p44)

・交通の便がよくなっても自然の厳しさは変らない。(p48)

・そのための登る山ごとにどれくらいの歩行距離があり、そしてどのくらい時間がかかるのかをきちんと把握しておかなければならない。(p90)

・様々な方法で情報を集め、不安材料を少しにする努力をする。(p92)

【内容】

 山歩きは自然と親しむのに一番。ゆっくりマイペースで…いきたい。自然を満喫する一番の方法。
 しかし、いかに手軽でも自然は「危険」のいう原則は知らないと思わぬ、しっぺ返しがある。そのほとんどが、山歩き当事者の責任が大きい。その回避をいかにしてやるか…。そのための、道具の準備と体の準備のために読める一冊です。

工藤隆雄
1953(昭和28)年、青森県生れ。出版社勤務を経て、ノンフィクションから児童文学まで幅広い執筆活動を続けている。日本大学芸術学部文芸学科講師。主な著書に『富士を見る山歩き』『山小屋の主人の炉端話』『山のミステリー』『平成富嶽百景』『カラー版山歩き12ヵ月』などがある。


【感想】

 山歩きは、100パーセント自己責任の部分が多い。それを考えたら、いかに危険を回避して楽しく、自然と向き合うのがいいか…という書いてあり、楽しい一冊でした。
 私自身、体力が年々なくなっていくなかでも自分なりの山るきを見つけることが大事だと思いました。近くて、楽して、美味しいものを楽しくできる山あるき…。

 山るきは「根性」をつくるものでもなく、人をしごく道具でもないのです。

 ちなみに秋は「秋雨前線・台風と雷」に注意する季節です。カッパは必携です。

◎楡家の人々(下)(北杜夫・新潮文庫)は次回にします。



 今週、久しぶりに残業をしてみました。それも、二交代制でもないにもかかわらず深夜2時過ぎ終了…というもの。帰りは、さすがにホテルに宿泊する者、タクシーで帰る者と二手に分かれての安眠でしたが……。

 今の職場をたちあげる云十年前にはよくこれくらいの残業はありましたが…。最近はめっきりなくなりました。正直、以前は使命感があって?、どうにか頑張れました。でも、最近は体のほうが心配になってきます。
 このまま続ける事を世間でいう「過労死」が待っているのか…という気持ちにもなりました。(実際はありませんが)

 そもそも「残業」とはどういう仕事なのでしょうか。予定外の仕事。突発的な仕事。無理をする仕事でしょうか。
 これまでの様子では、予定外、それも突発的なものという範囲だと思います。残業も予定という、なんとも無計画なことだと思いますが、日本の社会は勤勉という言葉があるように、ある意味この仕事で支えられているのだと思います。そして、それを頑張っている人が支えているまか不思議な社会なのです。
 ということは、この下支えの人が大事にされる社会であれば、誰も文句などないのですが、実際は政治家にしろ、資本家にしろそうはなっていないようです。

 1年間に2万人もの自殺者を出す国。それが日本です。これも、やはり、残業のせいなのだと思います。
 最近は、原発事故のかげに隠れていて、出てきていませんがきっとあるのでしょう。大きな労働組合と産業医も大いそがしだと思います。やはり、企業は利益をうむ背後にはこれらが小さくなっているような気がします。

 原則、残業はやめた方がいいのです。やるとしても、一人で抱えないような気配りが必要だと思います。最低でも二人で、頑張れるものをつくることが大事だと思いました。

 ……………………………というものの、実態は、今後も考えていきたい問題です。これは、組合も管理職関係ないことでしょう。働く者同士のことだからです。そして、「いいものを作りたい」と思えばなおさらです。健康を害してまでいいものはつくれません…ぞ。

 さて、読んで下さった方、どうでしょうか。
 
 今週は、東京は地震が少なかったようです。そお変りに大雨がふり、床上の水浸しになったところありました。
 …でも、地震は今後あると、いつも思っています。だから、原発は冷やし、停めることを望んでいるのですが…。

 ながながと、なりました。「楡家の人々・下」がやっと終わりました。3ヶ月くらいかかりました。感想は来週にでも…。
 だんだん、秋が近寄っているようです。多摩川の土手では虫たちが冬支度をはじめていました。

 ほんじゃじゃ、また。お疲れさまでした。
 *読んでくださった方、ありがとうございました。









消費電力を気にしつつ、くれる8月…

2011年08月21日 | Weblog


 立秋…です。
 散歩をしていると、涼しくなってきた証拠でしょうか、ヒグラシとツクツクホウシが鳴いていました。連日、30度以上の気温が続いていましたが、雨がふって曇り空に「夏も、もう時期終わりか…」という気持ちになります。
 私にとっては、涼しさよりも、寂しさが感じられますが…。奥さんは「洗濯ものが乾かない…」とのこと。こちらは現実的です。

 連日、熱闘を繰り返していた夏の甲子園大会も東京代表の優勝で幕を閉じました。今回ばかりは東北勢の優勝もあり…、と思っていたのですが…ね。近所の子どもが、お父さんの古里に帰って来たとのこと。「暑かったよ…」と、大人っぽくなって帰ってきました。夏休みも1週間たらずです。

 さて、今週は盆休みも間にあって、電車はすいていてゆっくりできた通勤でした。なんともありがたい。また、来週から「おしくらまんじゅう」状態の通勤か…。まいってしまいますね。



◎北海道の泊原発再稼働…とんでもない政治

 こともあろうに、北海道の高橋はるみ知事が、北海道電力泊原発3号機(泊村)の営業運転(再稼働)を容認した。東日本大震災後、全国初の決断。世界を無視した鉄面皮の決断だと思った。

 福島第一原発事故は、いまだに収束の域を出ていない。それどころか、これまでの原発政策の問題点(事故隠し・保安院の九電原発やらせ問題)もうやむやな状態。さらに、肉牛や米の放射能セシウムが出た問題。放射能による避難民の今後の対応、保障問題。も問題が山積みにもかかわらす、この対応には耳を疑ってしまうほどであった。

 世界はイタリアの原発国民投票、ドイツの脱原発から自然エネルギーへの政治転換(ドイツのメルケル政権の連立与党は、国内17基の原発を2022年までに全廃にする方針)…という動きなのに、とうの日本はいったい何を考えているんだと不信感が世界中にまいたのかもしれない。

 これまで、国の原発政策は多くの予算を立地場所に落としていった。これに味をしめた自治体も「安全」を信用し稼働させてきたわけだった。その結果、原発がないと、その地域経済がにっちもさっちもいかない状態をつくってしまった。「それが原発銀座」ということばを作った。

 と…、国の原発政策も地域の地方自治も根底から考えなそういう時期だというのに、今回の再稼働は、節電に協力している人と企業に対する「裏切り」のようにも思えた。
まだ、余震はおさまっていないわけだから、なおさらだべ…なあ。

 ここでもう一度、フランス緑の党書記長のセシル・デュフロ氏の言葉を思い出していただきたい。
 原発を正当化する論理には3つのウソがある。まず、安全性が、すべてにリスクを回避できる水準ではない。
 2点目は、エネルギー安全保障上、その有用性が強調されるが、燃料のウランは輸入に依存している。
 また、放射性廃棄物の処理や原発の解体の費用などは次世代に回すこととなり、コスト面からも安いとはいえない。
 3点目は、フランスは脱原発へと舵を切ることができないのか。原子力関連産業の利益と、それに伴う雇用の広がりを守ろうという意見が強いからだ。産業界と関連の深い政権政党は、長年にわたり思考停止に陥っている。(6月4日・朝日より)


◎永田町の首相交替劇の茶番は悲劇にもかわる



 よる年波には勝てず…、というところが、今わが家族のかかえる課題。
 奥さんは、筋肉が衰え骨がささえられず、腰痛…。わたし、老眼で小さな文字が大嫌いになっている。新聞は、目に近づけて、近づけて愛するように読んでいる自分がいる。

 奥さんは2週間に二度の通院…これには驚いた…。とうとう来たかと思った。最初は、大病か…とあんじていたが、医者の見立ては「年齢に応じた症状だ」とのこと。それにしても、毎日不摂生…あるんじゃない…と娘。

 そして、わたし…。週の二度の散歩(4~5時間)がいいのか、今のところ病気はない…と自慢げにいえる年齢でもないが。
 今回、奥さんの様子をみて、冷たいようだが「我が身」をふと振り返った次第。そして、散歩と月一の山歩きは続けようと決意した。
 あとは、日常の睡眠。これは、見たいテレビドラマ、読みたい本をあきらめてちゃんと時間を決めて、昼間ねむくならない程度の睡眠を実践するしかない。

 と…思うと、私のよう年齢(50歳台)は、あるとき自分の好きなことと健康は比例しなくなったような気がする。若い時代は、自分の肉体の心と健康は、リフレッシュできるものを無理してやっていた。翌日、仕事であろうとスポーツをしていたし、山歩きも平気だった。まあ、回復力が今の比ではないほど速かったのだろう。
 しかし、今は遅い。我が肉体は、その遅さに付き合っている。今は回復力が衰えているのだろう。これが、現実だ。

 いまは、やりたいことがある中で、その一つひとつを削って、選択していく年齢なのだと思う。それが、私の健康をつくっているポイントだといえる。
 悲しいかな…これが現実だ。
 今回、奥さんをみていたら、つくづく考えた一週間だった。
 なんでもそうだろうが、自分の肉体の衰えをなにでカバーするか?
 それが、道具であったり、人の言葉であったり、いろいろだ。

 だから、若い人には無理をさせているのかもしれない。それが、できるときやっておいて欲しい年齢だから、と思う。「若いうちは苦労しろ」と思うのは、あとあと、心にも肉体にもつくるはずだから…。いつも、偉そうにいっているんだと思う。

 世の中には、自分のまわりに薬みたいな人がいるように思えます。その人が人畜無害だるかどうかはわかりませんが、調子の悪い時、そっと言葉をかけて背をおしてくれたりしたとき、頑張れる、やさしくなれる自分がよみがえってくるような一瞬があります。そんなとき、ありがたいと思う人が多ければ、多いほど人生が楽しくなります…ね。それは、年配、若輩は関係ありません。

 休みの日も、自分の主張を投げかけてるいいものをつくって、お仕事をしてる人たちもいます。今が大事だときでしょう。
 年をとれば、それが肥やしになる、少なくとも自分の人生にだけは…ネ。
 ガンバレー若僧…!!!

 8月は戦争の月…という意識がよみがえる月でもあります。そんな歴史があって、私が生きている事を確認する大切な、月でもあるといえます。

 そんなことを考えた一週間でもありました。




私の好きなポスター
ベトナムの子どもを支援する会のために/和田誠
(1968)


*読んでくださった方、ありがとうございました。

短い夏休みでした…

2011年08月14日 | Weblog


 残暑お見舞い申しあげます
 毎日、暑い日が続きます。これが、夏です。
 今年は、福島第一原発事故で「節電」が励行されています。日々、できるだけ無駄な電源スイッチをきっているところ…。それでも、熱中症にかかっては身もフタもありません。クーラーをガンガンかけている日もあります。そんなとき、電気のありがたみをつくづく感じています。

 今頃は、それぞれお盆をむかえるために古里にむかっている人も多いことでしょう。
 8月…という月が連想させる言葉ありますか。
 私にとっては、広島・長崎原爆忌、敗戦記念日、御巣鷹山日航機墜落事故、阿波踊り、もちろん夏休み…という言葉が浮かびます。
 そして今年は「東日本大地震」「福島第一原発事故」「レベル7」などでしょう。

 今月11日、東日本大震災から5カ月がたちました。東北各県では、震災によって1万5600人以上の犠牲者、今だに4700人超が行方不明といいます。
 東北の古里にむかっている人たちのなかには「生きていれば、その声に尋ね、亡くなっていれば花束をたむけるために」むかっている頃だろうと思う。

 すべて「新盆」のため、向かっている。
 また、原発事故によってこの古里さえなくしてしまた人々は、どこでどう過ごすしているお盆なのだろう。きっと、今年はお盆をゆっくりむかえる状況にないのだろうと思う。

 毎年むかえる、当り前の人間の営みが放射能によって奪われる、消される…。日本の今年の夏休みは、暑さとともに苦しさをつくってしまった夏でもある…と思った。
 それでも、余震はつづく…。放射能の危険はいつまでも払拭されていない夏でもある。

 「祭りの場」という芥川賞作品を書いた林京子という作家います。私の好きな作家のひとりです。これまで、原爆に関係した小説やエッセーが多く書いている現役作家でもあります。彼女のエッセーに「昭和二十年の被爆は現実私の不幸である。そして宿命でも運命でもない。人間の意思で考え、計算された不幸である」と書いたものがある。

 人間の意思は人を幸福にもするし、不幸にもする。それが、計算されて、人間を不幸にすることができるのか…。とんでもないことをするのも人間。こうした、不条理な世界にいきているということ。
 しかし、その本質をみることができる。
 戦争の本質。それは、戦争は人が死ぬということと、「真実も死ぬ」ということがあきらかになったということだろう思う。

 と…思えば、今回の原発事故の本質はなんだと思う。放射能をだす使用済み核燃料の最終処分場もいまだに決まっていない現実。
 それを、どうしようとしているのか?。
 いずれにせよ「人類は放射能とは共存できない」という本質があきらになってきたように思う。




30年ぶりの顔を見た、福島の人…日比谷野外音楽堂とは…



 短い夏休み…半ば。
 毎日、暑い日が続いています。今年は特に「熱中症」が多いようです。そんななか、今年の私のお盆はのんびりしています。あとは、田舎に墓参りを残すばかりと、友だちに会うことくらいで終わる…。

 休み半ば、毎年、福島から野菜を送ってもらている友人に30年ぶりに会いに行ってきました。今年は、福島第一原発事故の影響で都内、日比谷野外音楽堂で「福島農林漁業者総決起集会」のため、上京したきたのでした。

 とうとう、ここまで来たか…という、印象をもちました。集会には、福島第一原発事故にたいする、生産者側からの熱い抗議が中心でした。壇上の政党代表者はまず「申し訳にない」という謝罪から挨拶が始まり、生産者の抗議と怒りの場でもありました。

 報告のなかで、福島から孫のいる土地にいったとき、自分がつくった料理に孫から「おばあちゃん、これ食べられるの…」といわれたのはビックリしたとのこと。涙が出てきたそうです。原発の影響は、遠く離れた土地にいっても、被害が大きい悲しくなったそうです。

 事実、地震で壊れたものは、がんばれば修復できる、しかし、原発事故の放射能をばらまかれ、風評被害や出荷停止など、本来の仕事ができなくなってしまったことの報告された集会でもありました。
 事実、原発事故で故郷を追われ、生活を破壊され、未来に希望もみいだせない状況がつくられたいうことあげられました。

そして、その収束がいつになるか不明…これまでの、そしてこれからの生活保障を東京電力と国に求めた集会でもありました。




感想…………………………………………◎

 この抗議はいつまで続くのか…。へたをすると次世代まで引き継がれる闘いになっていくのではないかと思えた集会でした。これまで「水俣病闘争」や「塵肺闘争」などのように、当事者が亡くなってからも引き継がれる憎しみ連鎖…。
 福島原発事故は人災だろうと思えたました。

 そして、この闘いは生産者と消費者の連帯なくては無理だろうと思えた。
 これまで、生産者は政治に従順になって生産しておけば、ことが進んだ。それが、これまで政治と生産者の関係だったように思う。
 集会に参加して、政治家が一様に謝罪から始まった挨拶を聞いていたら「ふざけたヤツラだ…」と思った。ここに来た人たちは、いま彼らの謝罪など聞きたくはなかったはずだ。大事なのは、これからの生活をどう立て直すか政治家の声が聞きたかったはずだ。ぼくも、そう思った。だから、「フザケルナ…」と罵声をいったのだから。

 福島第一原発事故で、「食の安心」「原発の安心」「エネルギーの安心」などすべての「安全神話」が東電によって崩壊した。つきつめて、考えてみれば、原発政策に携わった政治家、学者は猛省が必要なはずだ。

 これまで「安全」といったきた学者連中は戦犯同様だ。彼らも今後、どう動くのか猛省が必要だと思う。
 いちばん怖いのは、生産者がすべての政治家、学者がウソばかりついている…と不信をつくってしまうことだと思えた。

 最近、読んでいた「原発を終わらせる」という本の「エコサイド」という言葉を思い出した。(エコサイド=大規模生態系破壊。環境破壊)。
 東京電力いう企業に政治家が一体となってそこに住む人々の生活、健康、文化まで破壊する。まさに、いまの福島ではないか…と。

 最後にこんな形で会うとは思ってみてもなかった。30年前、作りたてのコンニャクをごちそうされて、コンニャクってのは、畑にあるんだ…と教えられた日だった。楽しかった。
 また、こんな一日がいつになったら来るのだろう思うと悲しくなってしまった。

 いずれにせよ、同じ大地に住んでいる以上、同じ問題をかかえていることにはかわりはない。そう、思うと今後は、とくに関心をもっていきたいと思った1日でした。



5カ月後の11日に…

午後2時46分
あれから日々が過ぎていった
涙は消えたろうか
笑いはもどってきただろうか
彼方のあこがれの海に
家も家族もうばわれ
思いでも、歓びも流された時間

友はやってきた
放射性セシウム
聞きなれない言葉といっしょに
生活とはとうてい無縁だと思えた
気体が彼を30年ぶりに暑い都内の一等地にひっぱりだした

ビル建ち並び
排気ガス多量のアスファルトも遠い電波の中の
映像だったはずだった
そのなかにひきこまれ立っていた

海の魚たちの涙
畑の作物のしずく
牧場の牛の沈黙
森の静かな空気

すべてセシウムという言葉が支配してしまった
その無縁の正体を突き止めるために
彼を豊かさだけを享受してきた地上に立たせていた

いまごろは稲の収穫を楽しみに
水面に遊ぶ蛙たちの声をききながら
草取り、昼飯とともに生きていたはずだ

いま、吹く風は
全てを取り戻すため
明日をむかえるため
過去にひきずりこまれながら
いくつになってもみていたい夢
今日から取り戻す一日にするために風となって顔を吹きぬける
故郷の風を背に受けて
怒りの正体をつきとめるために立っている


 最後に、短い夏休みも終わりです。どんな夏休みを送ったのでしょうか。
 わたしは、今年ほどつらい夏を迎えたことはないように思えた夏でした。
 今回の日比谷野外音楽堂で会った、生産者の怒りはきっとずーと続くだろうと思えました。

 「わたしの出来る事…」と世間ではいいますが、正直、ボランティアをやるほど元気じゃないし、義援金を寄付するほど金持ちじゃないしと思う。
 
 わたしみたいな人が(貧乏・不健康な人)日々の生活のなかで、必要なことは、彼らの行動に「関心」をもって生活することぐらいだと思います。
 そして風化させないことだと思います。最近は、少しずつ、ニュース報道も少なくってきた「震災情報」です。だからといって、けっして解決したわけではないのだと思います。
 それは商業新聞の目線での報道だからそうなるだけで、実際はまだまだ解決していないことの方が多いのではないかと思います。
 今回の集会に行って、つくずくそれを感じました。
 と、まあ…ながながとなりました。

*読んでくださった方、ありがとうございました。



平和を…?を考える8月が日まる

2011年08月07日 | Weblog


 8月がはじまりました。
 夏もいよいよ、本番…。近所の子どもたちのまちにまった、夏休みがはじまりました。
 今年は、子どもたちにとっては、どんな夏休みになるのでしょうか。両親の故郷へ帰り、思いっきり駆け回る子どもたちの姿がうかびます…。

 日本のとっては、8月は1945年、第二次世界大戦が終わった年。日本にとっては「終戦の8月」になります。そして、広島、長崎では、終戦66年目の、「原爆の日」になり、広島では「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」がおこなれる月でもあります。

 「平和ボケ」と、よく言われる日本人にとって、唯一「平和」について思いを語る月にもなるのだと思います。
 今年はまさに「原爆」の放射能から、福島第一原発事故の放射能…と同じ核の危険を背負った年でもあります。
 違うのは、戦争での破壊兵器としての核、後者は「核の平和利用」としての核…と呼び名が違うくらいでしょうか。

 そして、その実態は、結果として同じものではないかと思います。さらには、誰がやったのかと突きつめてみれば、人間のあくなき欲望のかげの犠牲だったのだと思います。

原爆では、日本が植民地政策をはかり「侵略」を世界に求める欲望の戦争。福島原発事故では、東京電力という電力独占資本の欲望。その結果としての放射能の犠牲が出たということではないかと思います。そして、どちらも、この欲望とは無関係でかかわりをもたない、日々ささやかな幸福の下に生きている、子どもたちや労働者が犠牲になっているということだといえます。

今年はまさに、平和利用でも戦争と同じリスクをかかえてしまう原発の本質を知ってしまった年だともいえるのではないかと思います。それが、現在まで、過去から延々と続いている戦争の結果のだと思います。

8月はそんな思いのする月でもあります、そして、今年はとくに強く歴史の流れのなかに生きていることを実感する年でもあります。
そういえば、今回の「原発事故」はまさに「戦争」だといったロシアのジャーナリストの言葉を思い出しました。

8月は「お盆」です。
死者たちが、家に帰ってくる日でもあります。静かな8月のお盆の時期、お祭りで騒がしいのは意味のないことではないのです。生きている人たちの中に、死者になった先祖たちをむかえる儀式なのです。いっとき、迎えて楽しくすごしてもらって、また帰ってもらうための儀式なのだそうです。死者の魂を現世によみがえらせるひとときでもあります。私のすきなモラエスの本を思い出しました。
さて、死者からどんな声をきくのでしょうか。「徳島の盆踊り」(W.deモラエス著)。



◎原子力賠償紛争審査会

 報道によると、福島第一原発事故のよって被害は収束できるどころか、ますます広がっているのが現状ということがわかります。

 最近では放射線セシウムの稲わらを食べた牛の肉が流通した問題になっています。もちろんこれらは食肉に出来ませんし、今後、これら出した畜産業者には出荷停止の指示が政府からあったところです。

 その数17道県産(北海道・青森・岩手・宮城・秋田・山形・福島・茨城・栃木・埼玉・千葉・群馬・新潟・岐阜・静岡・三重・島根)の肉牛が該当するそうです。また、3500頭についても(約860億円)で買い上げる予定。

 賠償問題の流れは
 ①【被害者】指針に基づく請求→【東電】→賠償
 ②【被害者】指針に基づく請求→【東電】→【紛争で和解を探る】
→【東電】→賠償

 という形が原則となるようです。

 これからも、食肉にかかわらず、農業、漁業、医療、住居などの分野においても損害賠償があまたにおいて出てくるのだろう。原発事故で多くの避難民の保障もある。

 保障問題についても、裁判になる事例もでてくるのではないかと思う。

 賠償はまず東京電力が対応していくことが原則だ。東京電力のこれまでの資産をすべて出させて、そのうえで国が介入することが大切な流れだと思える。もちろん、福島第一原発は廃炉となることが原則です。

 紛争にいたっては、政治のなかで解決するしかないことが多いと思います。
 それにつけても、原発の収束はいっこうにむかっていない状況が現実。保障問題も大事だ。そして、これまで、この原発推進にむけてきた政治も同時に追及され反省され、二度とないようにする政治制度の確立も大事な作業だろうと思う。

 また、東京電力で「原子力見直し」という意見もでた、今年の株主総会でもあるるように、今後、収束後の形も、合わせてつくっていく必要があるのではないかと思われますが…。
 まして、すぐに増税でそれを片付けようとする政治には、私は賛成できません。

 今年は66年目の原爆忌です。広島では原爆死没者慰霊式・平和祈念式が行われた。世界で唯一、被曝国という肩書きをつくてきたが、それが本当にいかされる国なのだろうか…と。

 今年の式典は、「脱原発」ということが、本当に大事だということを感じた。まして、いまだに余震がある。そんな、日本にまた原発事故が起きたら、本当に日本は終わり…と思ってしまう。
 つくずく「平和利用」なんて、詭弁だなと思った一日だった。



*読んでくださった方、ありがとうございました。