日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

7月、4連休のはてに・・・

2020年07月26日 | Weblog
 こんにちは。
 まだまだ梅雨があけそうにありませんね。毎日、空を見上げています。
 散歩もするのも敬遠しがちです。それでも、少しは体のことを考えて動かしている日々です。天気がいいときにはセミが鳴き始めています。空にはツバメが気持ちよさそうに飛んでいました。
 
 さて、今週は明けても、暮れてもコロナ、コロナの毎日でした。それというのも「緊急事態宣言」が解除されてからも感染者は増える傾向にあることに驚いています。都市部での感染増加は、これまでの数字より多くなっている日があることさえあります。思えば、通勤電車の「密」や「GoToトラベル」などでますます人の移動が多くなっていくわけですから当たり前といえば、当たり前なのでしょう。こんな状況をみていると、政府と都知事の見解が違うので驚いてしまいます。共通しているのは、どちらも抽象的で不透明なところでしょうか。

 都側でがこの連休は「自粛」を呼びかけていて、安倍首相は「医療提供体制も逼迫していないので、緊急事態宣言を発する状況ではない」という。さらに、東京都から現状分析を依頼された杏林大学の山口芳裕氏は「国のリーダーは『東京の医療は逼迫していない』と言うが誤りだ」と訴えていた。なんとも、こんな状況では、不安が増えるばかりのです。観光事業のことを考えてのこともあるのでしょうが、むしろ、観光事業者にしてみてもこんなときに旅行されても不安でしょう。国がやるべきことは事業継続のための予算をつくり、しっかりした保障体制をつくりあげることでしょう。こんなときだからこそ、1機何百憶円もする戦闘機を買う防衛予算より国民の生活が維持・継続できるしっかりとした予算をまわす決意が大事なことだと思いますが・・・。それぞれに「自己責任」を押し付けるようなことではなく、政治が国民のためにやるべきことはたくさんあるのだと思えます。
 

 今週、本来ならば東京五輪が始まっていて、日本中が五輪の応援をしていたころでしょう。現在の状況からみれば、五輪開催は無理なのようにみえます。世界中で1500万人もの感染者がでている状況のなかであるし、ワクチンもできていない状況でもあるし、感染者も減りそうもありません。
 新聞記事で新型コロナウイルスが世界で最初に拡大した中国湖北省武漢市の記事がありました。都市封鎖から半年、感染は収束し街は日常を取り戻しつつ状況を紹介していました。それでも、コロナの後遺症があるようで、今でも続く偏見や差別の日々でもあるとのことです。それでも、少しずつ日常生活を取り戻しつつあるようです。武漢市は今年の5月1000万人を対象にPCR検査を実施して「陰性」の結果を示した。それでも、まだ感染の不安があるとのことです。仕事もまだ不十分という日々でもあります。これまで、感染者の多くの死を経験したなかで、心的外傷も残っています。それでも、市民は「今までお金をたくさん稼ごうとしていた。でも今は命が一番大事だと考えるようになった」という声も出てきて、少しずつ元気をとりもどしているようです。


 今週、2020東京五輪がはなばなしく開催される予定だったのだろう。「体育の日」あらため「スポーツの日」という名前にも変えた。さらには「海の日」も重ねて、土・日曜日と4連休ということもあって盛り上がるもくろみだったのだろう。会場となる国立競技場も納期に悩んだ一人の自殺者を出して問題にもなった中で完成もした。世界中から来るであろう観光客のためのホテルも用意した。まさに、「お・も・て・な・し」のことばの中で、国中あるいは世界中が歓喜のなかに選手と観客が乱舞する週になるはずだった。
 ところが、今年1月末ごろから中国で新型ウイルスが発生した。その名前を新型コロナウイルス(COVID-19)。世界中がグローバル経済ということとなっていたため、一気に感染が世界中に広まったのだった。そこに来て、日本は東京五輪の開催国としての判断が求められていた。「どうすのだろう」という人々の気持ちのなかで、日本五輪委員会・政府・小池都政は悩んだ末、「延期」を決断したのだった。しかし、感染症は「時間とのたたかい」というわれる。判断が遅くなってしまったため、日本も一気に感染者が移動して増えたのだった。

 なにもかもが後手にまわった末、いまだに感染者が増えている・・・、となって「延期」となった。はっきりしたていることは、政治が先頭になってやるべきことが、医療関係への予算を増やすことやいまだのコロナ禍のなかで休業をする自営業者へ補償が大事になっていくのだろう。そして、ここにきていまだに感染者が増えている理由として、アメリカ、ブラジル、ロシアなどをみればあきらかに一国主義を強行する国が多いこともうなずける結果だと思う。アメリカなどは、中国との覇権を争っているありさまである。いまいちばんやるべきことを忘れている。国が大きいからそのツケが国民に大きくなっている。それが感染者の多さとなって現れているのだろうと思う。

 いったい、どこへ向かっているのだろうか・・・と思う。 
 考えてみれば、コロナがでてきた意味がいちばん問われる時間が今なのだろうと考えるようになった。一つの災害について、政治がどれだけの希望を作るのか、それができるのかが大事なのだと思う。決して、大きなビルを建てることでもなく、観光客を楽しませる建築でもなく、ばか高い戦闘機が持つことでもないだろう。いま大事なことは、人々がコロナ前よりも大変になった生活が、同じように元に戻らなくても、少しでも生きていてよかったいえる生活をつくろう、と思える政治が大事なときはないではないかと思いますが・・・。
 突然だが、コロナ感染が始まったころ、ドイツのメルケル首相の演説内容を思い出しました。その率直な呼びかけに素直にうなずいている自分がいました。政治家のメンツにつきあっていく必要はないんだなーとも思う。
 第163回芥川賞・直木賞が決まりましたね。最近では、芥川賞とか直木賞の作品にはあまり興味はないのですが、今の時代を象徴しているなんらかの作品であることは間違いないことです。興味がなくなった理由に本が高くなったことで文庫本になるまで待って読むようになりました。むしろ、受賞作家のその他の作品を図書館で借りて読むことが多くなりました。ところが、若い作家などはでていないこともあります。そんなこともあって、忘れてしまっています。きっと読んでいる本は、かつての芥川賞作家ということが多いようです。それというのも、身近に読んだ本の事を話す場所が少なくなったこともあるのだろう。

▼私はこのたびの旅行で見て来た町村の地勢、地質、天文、財政、沿革、教育、衛生などに就いて、専門家みたいな知ったかぶりの意見は避けたいと思う。~世人は仮りにその科目を愛と呼んでいる。人の心と人の心の触れ合いを研究する科目である。私はこのたびの旅行に於いて、主としてこの一科目を追及した。どこの部門から追及しても、結局は津軽の現在生きている姿を、そのまま読者に伝える事が出来たならば、昭和の津軽風土記として、まずまあ及第ではなかろうかと私は思っているのだが・・・。(p30)

▼大人のいうものは侘しいものだ。愛し合っていても、用心深くて、他人行儀を守らねばならぬ。なぜ、用心深くなければならぬであろう。その答は、なんでもない。見事に裏切られて赤恥をかいた事が多すぎるからである。人はあてにならないう発見は、青年の大人に移行する第一課である。裏切られた青年の姿である。(p41)

▼~津軽人としての私をつかもうとする念願である。言いかたを変えれば、津軽人とは、どんなものであったのか、それを見極たくて旅に出たのだった。(p49)

▼このたび私が津軽に来てぜひとも逢ってみたいひとがいた。私はそのひとを自分の母だと思っているのだ。三十年ちかく顔を忘れない。私は一生、その人に依って確定されたといってもいいかも知れない。(p187)

▼もう、何がどうなってもいいんだ。というような全く無憂無風の情態である。平和とは、こんな気持ちの事を言うのだろうか。(p206)
太宰治(ダザイ・オサム)
(1909-1948)青森県金木村(現・五所川原市金木町)生れ。本名は津島修治。東大仏文科中退。在学中、非合法運動に関係するが、脱落。酒場の女性と鎌倉の小動崎で心中をはかり、ひとり助かる。1935(昭和10)年、「逆行」が、第1回芥川賞の次席となり、翌年、第一創作集『晩年』を刊行。この頃、パビナール中毒に悩む。1939年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚、平静をえて「富嶽百景」など多くの佳作を書く。戦後、『斜陽』などで流行作家となるが、『人間失格』を残し山崎富栄と玉川上水で入水自殺。


室生犀星「小景異情 その二」
ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの
 よしや うらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても 帰るところにあるまじや

 私は、いちばんふるさとを感じることができる場所は、山道を歩いている時ぐらいであろうか。舗装されていない、でこぼこの道をころばないように歩いている時、風の音や鳥のこえがきこえては消えていくときだろう。通りすぎる景色と一緒に消えていく光景。できれば、40年ほど前にもどっての高尾山を歩きたいと思うことがある。静かな、寂しいくらいの山歩きの時代を思い出すときふるさとを感じる。それが、わたしが故郷の景色の原風景になっているのだろう。

 40年ほど前、一緒に歩いた友達のことを考えると『津軽』という作品が浮かびあがる。「津軽」のなかで太宰自身が故郷を感じたのは、風景よりも子ども時代に生きた幼なじみと会うたびでもあった。誰にでも一緒に野山をかけたりした風景は消えた者であっても記憶のどこかに生きているに違いない。そして何よりも、自分をこの世に産み出してくれた母の姿があるように思う。夏目漱石の『坊ちゃん』には清という育ての親がいるように、太宰にはたけという育ての親があったのだろう。そういう人たちを思い出すことができた本である。

やまない雨はない
コロナ禍のなか
雨降る天をながめている
地上に雨が降っている音が鳴りひびく
もうすこしすると梅雨あけだという
きっと一年の途中のひびきだろう

鳥たちは夜明けとを待っていたかのように
空に鳴き、飛び立っていく
さあー一日の始まりだと
無意識に動くその羽音がうれしい

コロナウイルスも季節を感じいているのだろうか
私たちと共存することを拒み
いまは悲しみ、苦しみばかかり背負い
いつかは必要なウイルスと変身してくれるのだろうか
そんな日がいつか来ると思いたいが

ウイルスの文句ばかり考える日々だが
人類というという生を考え
社会というかたちのひずみに気づかせて考えさせた
そのひとつひとつが後悔がないように


 4連休と思って楽しくなると思っていたら、新型コロナウイルス感染がいっこうに減らず、結局「自粛」が宣伝された休みだった。地元でも、必ずといっていいほど感染者の数字が増えていった。
 いったいどうなっていくのだろうと・・・不安ばかりかかえての休みだったように思う。そんなこともあり、楽しみにしていた山歩きも中止にした。空模様もよくなく雨ばかりの続いた連休だった。

 2020東京五輪が開催される予定で「スポーツの日」ができたのに、完全に当てがはずれた。全国的にコロナ感染者が増える4連休になってしまった。
 きっと、「普通なら」という言葉を使えば、今頃は、オリンピックを筆頭に、高校野球の地方大会やプロ野球のオールスター投票などでスポーツ界は溜息と歓声でもりあがっているころだったはずだろう。
 本当に来年できるのか? という思いはますます色濃くなってきた休みだった。
 思えな、今年にはいって、新型コロナウイルス感染があっという間に世界中にまん延し、それぞれの国がその対応に追われてしまった。「感染症は時間とのたたかい」ということがいわれるなか、日本ではオリンピックの開催か延期か、あるいは中止かで、新型コロナウイルス感染への対応が遅れたことはまだ記憶に新しいところだろう。緊急事態宣言」や「PCR検査」なども遅れたりした本当の理由は、オリンピックか新型コロナウイルスかの二者択一に翻弄された日々だったのだろう。その判断の遅さと、政治家の政策が遅れてしまったツケが今週までずっと続いている結果となったように思う。
 とはいえ、この状況はいつまで続くのだろうか。いつも、頭のかたすみに「コロナ」を気にしながら生活が続いているなかで、感染者が少なくならない状況がニュースになるのを見たりすると、なんにつけやる気が失せていくようになってしまう。コロナに怯えてはいなくても、気持ちが滅入ることが多いように思う。これに輪をかけてやることがうまくいかないと何故かコロナのせいだという気持ちにもなってしまう。
 さらに、コロナ商品などの宣伝などが流されると「こんちくしょう」とも声をあげたくなることもある。

 だれかに奴当たりをしたところで解決することはないことは知っているのだ。
 こんなとき、以前から計画中の山歩きなど思い切ってやるのも解決策だろうと思う。自分が楽しく送れる時間をつくることが大切なのだろうと思う。
 「不要不急の外出」とはそれぞれ個人差があるのだから、最低限、自分が楽しめるものを「自粛」という言葉で一くくりされることが、コロナウイルスとともに嫌いなことだろう。
 も一度、コロナ禍での行動を復習していくしかないようだ。
 今月も終わります。
 来月はどんな月にしたいのでしょうか?
 コロナ禍は当分つづきそうです。
 では、この辺で失礼します。
 読んでくれたひと、ありがとうございました。

都内感染者が増えていく・・・で思うこと

2020年07月19日 | Weblog
 こんにちは。
 梅雨ですね・・・。毎日傘を持ちマスクを着ける日々です。もう少しで梅雨があけるのでしょうか。いつもであれば、このごろは夏の高校野球の甲子園地方予選が全国で天気を気にしながら熱戦が始まっている頃でしょうか。残念なことに今年は夏の高校野球選手権大会は中止が決まっています。それでも、今年はコロナ禍のなかで、少しでも高校球児の日々の練習の成果を実らせようと地方大会は予選がもどってきて高校球児が熱戦をしています。最近では、これが明るいニュースのように思えます。

 さて今週は、「緊急事態宣言」が解除されたものの、日々感染者は増えています。今週は、残念なことに、感染者が宣言前よりも増えていることでしょうか。ニュースでは軽症者だとはいえ感染者が体力のない人たちへの影響が心配されます。
 そこに持ってきて「GoToトラベル」キャンペーンということが実施されるようです。ところが、都内の感染者の急増によって東京都だだけは除外されるとのことです。なんとも間の抜けたことをやっているんだろと思います。それは、旅行であれ、仕事であれ移動がいちばん多いのはこれまでの経過からみれば人の移動がコロナ感染を増やしている原因にはちがいないのに・・・。政府が地方の観光業者の経営難に手助けをするために政策されたものであるのですが、どうも庶民の感染者を全国的に増やすだけのことではないかという疑問がのこります。いま大事なことは、政治が本気で考えること。これまでの以上に政治が市民のためにつかう予算を増やすことなのではないのでしょうか。たとえば、国防予算をを減らしてまでも医療関係しゃ中小企業支援などに予算を回すといったまさに「緊張感を持って、身を切る思い」で考えるべきではないのでしょうか。まずは、国民の一人ひとりの命を守ることが大切なことではないのでしょうかねえ・・・。要は税金の使い道をいま、国民のために使わずいつつかうのだろうか。これまでの政治家は「場当たり的」なことでコロナウイルスは減ることはないのでしょう。日々、触れていく感染者の数字は単なる数字ではなく、一人ひとりの人生があるはずだから・・・。


 都内の新型コロナウイルスの感染者はいっこうに減ろうとしない状況である。それでも、人は動いて、生活に仕事に毎日追われている。少しはいいニュースがあってもいいものなのにと思うこのごろである。 
 「緊急事態宣言」以後、感染者がすくなくなると思ってのことだろうが「GoToトラベル」が出たときは、旅行もできるようになったのかと安心したのものだったのもつかのま、やっぱり減りそうにない数字が発表された。なんとも間の抜けた政策であることか。これまでずっとなんでも時期尚早なことがけっこうあった。例えば「アベノマスク」。いちばん必要なとき届かなかった。手元に届いたときにはすでにマスク薬局以外でも出回っていた。一世帯2枚支給で、配られた中には劣悪なものも含まれていたともいう。総予算額466億円だったが、260億円に修正された。それも出先が不明だともいわれた。それぞれの利権が動いたのというのは、暗黙の了解にも思えた。あいかわらず為政者は自分の利益になるような政治をやっているようなに見える。

 しかし、コロナは「そんなには甘くない」とでも言わんばかりに人を追いかけていくようだ。報道によると感染者の多くは都内飲食店で若年層が多いとの発表があるが本当にそうなのか・・・ということは誰しも心のおくで疑問視しているのではないかと思える。まだまだ不安は消えていきそうにもない日々である。

 かつて東京タワーは、まさに東京のシンボルのような気持で眺めていた時代があった。遠くからも眺めることができた。最近は高いビルが建ちならんでいるせいか、少しずつその影が小さくなってきたように思う。東京タワーが全盛のときまさに、東京は日本全国のあこがれの都市だったのだろう。人々は、政治に不満を残しつつも、それに対抗する政党が伯仲していた時代。今のような唯々諾々の日々ではなかったのではなかった。「保革伯仲」という言葉もあり、都市部では野党政党ががんばっていた時代でもあった。事実、東京では野党のおす人が都知事もいた。とくに印象に残っているのは美濃部都政や青島都政だった。東京タワーを見るたびそんなことを思い出す。

 そして、ここ何年もいくこともなくなった。ここ何年かの間、最後にみたのは職場の上司が定年後入院した知らせをきいたときだった。見舞い先の窓から見える東京タワーがなにか、病気とたたかうシンボルのように見えることだった。ひとつの旗印のように窓辺にから遠くに見えたにかもしれない。数か月後、上司の訃報を聞いたときは、私が入社したときからたくさんお世話になったことが次々に思い出された。もう会えないと思うと悲しいことばかりになってしまう。それでも、救いは、東京タワーを見るたびにその上司が笑顔がいまだに忘れられないことだ。



 来週は、連休がおおく入っているせいか忙しいだろうなあ、と思う。お客も忙しい分こちらも忙しくなることを思うと気が重い休日である。
 まあ、どうにかなるだろう・・・・。
 今週はバテ気味です。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

梅雨の晴れ間に・・・外へでれば

2020年07月12日 | Weblog
こんにちは。
 梅雨ですね。毎日、雨のなかを出かける日々が続きます。雨は降るだけではなく、度を超すと災害をつくってしまいます。九州を襲った集中豪富は1週間いまだのその恐怖をつくっています。報道によると浸水1万棟、避難3600人の避難者生活を送る状況になっています。この状況でコロナ禍の危険もあわせておそっている状況です。 昔は梅雨といえば、静かに1週間あるいは10日間雨が降り続けることですんでいたように思います。集中豪雨は秋の台風の季節くらいでした。これは、日本にとっては異常気象になっていると思えます。それというのも、森林火災や森林伐採などで世界的規模で緑が消えていく状況と比例していることにも影響するそうです。人るによる、ごく一部の資本家たちの経済の度を超えたことが起こされたリスクともいえるのではないかと思えてきます。

 ここ数日、都内の新型コロナウイルス感染者が日々増えてきました。若者を中心にその感染者の数字は増えているといいます。そして、脳裏には「第2波」も近づきつつあるのかもしれません。特に都市部を中心に「緊急事態宣言」が解除され、経済活動も始まってからのでことです。「医療機関に余裕がある」と行政者は余裕の発言をしていました。病院にはいったかいなかでその感染状況の考えているようなところがあります。本来は、感染しない状況を少しでも多くつくることが予防なのでしょう。それが、日々真逆になっていくように思います。通勤電車はコロナ感染前の混雑をつくりつつあります。症状もない人もいるようです。感染がビリヤードの玉突き状態に、一人が二人、二人が三人へと増えていく景色がみえるようです。


 雨の多い季節。電車に乗るほどの遠方へいくことがなくなった。山歩きはいつ再開できるのだろうかという思いをよそに、休日にはあちこち散歩にでることが多くなった。考えてみると、新型コロナウイルス感染が出はじめたころは、休日には近所の都営墓地を歩いていた。主に墓地のなかで眠る作家や俳優の墓地を探しては歩いていた。それでも、墓地が広すぎるのでバスに乗ることもあった。
 都内をバスを乗り継いでめぐる本も紹介されている。バスで行けば、ある程度ピンポイントで目的地に着くことができる利便性は、電車の比ではないだろうと思う。それだけ、バスは市民の足になっていることがわかる。
 ただ、バスは電車ほど時間に対してはルーズである。それは、市内を走っている分、許される範囲だと思える。交通渋滞に巻き込まれたときなどは、同じところに向かうバスが連なってくることもある。それだけ、電車の運転手よりも多くのことに気を回さなければいけないのだから大変だろうと思う。

 子どもの頃、バスに乗るは町の医者に行くときだった。それも、歯医者さんに。子どもでも安心して乗れるのは車掌さんがいたからだろう。目的地にいくのに分からないければ聞けばいいという安心感があった。降りるタイミングも車掌が教えてくれて安全だった。おそらく、運転手も運転することだけに集中できていた時代でよかったと思う。なつかしいバスガイドのお姉さんの姿はもうどこにもないだろうなあ。あっても観光バスくらいだろう。市内をまわっているバスの車掌さんは歌は歌わないが、今アナウンスされている停留所の名前をやさしく、誰にでも聞き取りやすい声で案内していた。子どものときわかないとき何度も聞いた。それでも、聞くたびに分からりやすく説明したくれた。のんびりした時代だったのだろうと思う。おそらく、知らずしらずのうちに人との距離や、仕事の大変さを日常の生活のなかで教わっていたのだろうと思う。
 いまはスマホで行き先から目的地までの時間までわかってしまう。しかし、その時々の対応にはあの時代の車掌さんにおよばないだろう。到着する時間はわかっても、実際はほとんどその時間とはちがってくるのが生きている社会である。その社会にいる子どもから老人まで、安心して乗れたのは、車掌さんがいたからだろう。
 私の好きな詩人に鈴木文子さんという人がいる。彼女は東武鉄道に働きながら誌を書いてきたひとである。バスときくとその人のことを思い出す。
「廃車」
師走の風は吹きぬけていく 国道ぞいの原っぱのかたすみで
ポンコツの愛用者といっしょに 雨ざらしになっている
おまえにであった むかし おまえはシムウマと呼ばれ
満員の乗客を乗せて ぶるんぶるん元気に箸っていた。
          〇   〇
入社したのは十二月だった 面接の時
定年まで勤めたいといったのは 私だけだった
香水の香りよりも 床にひいた軽油の匂いが好きだった
妹や友達から バス臭いといわれるのがうれしかった
あれから二十年 三度の辞令で配転になった職場の机で
手にした一枚の表彰状
          〇   〇
車掌? ああそんな仕事もありましたね
車掌なって言葉すっかり忘れてました
紺の制服にパリッと白い衿 ? ワンマンカー反対のステッカー ?
さあ知りませんな 何十年前ですか それ ?
その頃走っていたツーマン車 ? とうの昔ポンコツですな
          〇   〇
ならんでいるワンマンカーたちに 楽しかったシマウマの時代を
話してやろうと思ったが やめた。
あの頃の想い出を ポンコツになったおまえと
忘れられてしまった 車掌の私と語ろう
雨の日 雨もりがひどいと文句を言われ
仕方なくお客さんに 傘をさしてもらったことがあったっけ
何台も原因不明の雨もりで 工場の人たちをてこずらせていた
おまえにそんな記憶があるかい。
          〇   〇
塗装のはげたシマウマの 自家用車の中で
申訳なさそうにしている大きな図体
おんぼろバスのおまえでのボデーに 表彰状を貼ってやろう
「あなたは入社以来 その機能をよく発揮し、社業の発展に寄与されました…」
からっ風が吹きにける原っぱで おまえのエンジンは生きかえり
満員の乗客をのせ 紺の制服を着た私の「発車オーライ」が聞えたようだ。
※私は今まで、働くことの苦しさや厳しさばかりを作品にしてきたようだ。できれば今後は、働くことのできる喜びを書いて行きたいものだと考えている。と同時に、自分という婦人労働者の場を、作品としてさらけだしたい気持ちもあるのだが、いざ書いてと、必ず浅学学非才を労った作品になっているから、まだその勇気は本物ではない。(あとがき)より 
鈴木文子・オリジン出版センターより
 という詩を思い出しました。

 新聞を読んでいたら、新型コロナウイルス感染が増えていくことと、九州地方を襲った集中豪雨での災害のニュースが多い中に、二つの死亡事件の記事が目に入った。一つは愛知県蒲郡市の民家で昨年7月、介護に疲れて義母(当時96歳)を殺害したとして、殺人罪に問われた無職大塚文子被告(71歳)に対する裁判員裁判の判決が10日、名古屋地裁岡崎支部であった。裁判では「周囲から十分な援助が得られず、精神的に追い込まれら」とし、懲役3年執行猶予5年(求刑懲役6年)が言い渡された。二つ目は、東京大田区蒲田の自宅マンションに長女(3歳)を8日間置き去りにして死亡させたとして、保護責任者遺棄致死の疑いで母親の梯沙希容疑者(24歳)が警視庁に逮捕された、という二つの記事が悲しい気持ちになってしまった。

 愛知の事件では人生の最期をどこで誰といるのか、一方蒲田の方は、人生これからという命がなくなっていく姿があったように思う。そして、これが日本の抱えている「介護問題」や「8050問題」なのだろうと思えるし、蒲田の方は「育児問題」や「子育て問題」など、人生の最初と最後の形としてはあまりしも残酷なけっかなのだろうと思える。あるとき、どこで生まれ、どこで死んでいくのか・・・誰にでもあてはまるようなニュースだった。私にとっては、きっと前者のほうだろう。
 コロナ禍の時代、そのなかでも人は生きていくためにいろいろな犠牲をともなっていくのだろうと思う。それが、いちばん身近ひとであったりすれば、悲しみやつらさはだれよりも身近になっていく。そうであれば、国内でもこれらの事件の中に生きているいて、生かされたいることをつくずく感じる。
 そんなことを考えさせられたニュースであった。


 「忙しい・・・、忙しい」といって仕事などをやっているうちはまだ幸せな方なのかもしれない。できる範囲で生きて仕事があるだけまだましなの方かもしれないと思う。日本中が、コロナ禍、集中豪雨災害、ときどき起きる地震におびえて生活している現実。できるだけ、そのことを小さくすることで日々がどうにか送られている現状だ。あるいは、忘れている時間をつくることで暮しているようにも思う。
 それがそうできるうちはまだいい方なのだろう。それは、他人が与えてもらうものでもなく、日々の自分のなかで培っていくしかない。あとは、自分たちのための政治なり、働き方をつくるようにしていく「新しい生活習慣」を求めていくしかないのだろう。
 
 とはいえ、めんどうくさい、いそがしいの愚痴は続くのだろう。梅雨の晴れ間に少しでも気晴らしにと散歩をすることは続けようかと思う。お天気も精神的にめいる日もつくるものだななーと思う。
 今週は重いニュースばかりでした。
 今週はこの辺で。読んでくれた人、ありがとうございました。

まだまだ、コロナ禍・・・日々驚きながら過ぎていく

2020年07月05日 | Weblog
 こんにちは。
 毎日暑い日がつづきます。うっかりしていると、コロナウイルスだけでなく「熱中症」にと、気分が落ち込んできます。さらに、雨と・・・。追い打ちをかけるようにひどい災害をつくっては去っていきます。マスク、折りたたみ傘は手離せない日常になってきました。それでも、フェイスシールドを顔の前面に着けるようなことはないからまだましです。職業がらマスクプラスフェイスシールドを着けての仕事は大変でしょう。まさに、コロナ禍も正念場のような日々が続きます。そんななかで第2波がやってくるのではとおののいています。都内では日々100人超えが続いていますし、うっかりしていると、もう足元にコロナウイルスもきているのかもしれません。
 最近はコロナウイルスと暑にも、気をつけて生活する日々を送っています。



 昨日、梅雨前線と低気圧の影響によって、熊本県を豪雨がおそって被害がでていました。昨年の台風19号のように、川(球磨川)が氾濫して多くの民家が洪水に浸ってしまいました。日本は山が多いので、平地に棲もうとするとどうしても山のしたに家が作られます。さらに、それが地図とみるとまさに谷底のような地形のところだったりします。そして、支流以外にも多くの川が山のなかに流れているような地形でもあります。水が豊富な分、水害の危険も多いということだと思います。最近では歓迎はできませんが、夏から秋にかけてはすっかり水災害も当たり前になってきたようになってきました。さらには地震もあります。すっかり災害国日本の時期がめぐってきたのでしょうか。
 かつて地球は、何千年か何百年かに気候変化(気象)や地殻変化(噴火)などを繰り返して現在の地球ができたことを思います。それが、ここ数年の間がその時期になっているのかもしれません。
 『コラテラル・ダメージ』(ジグムン・バウマン・伊藤茂訳/青土社)を読んでいたらこんな文章がある。少し引いてみる。2005年に米国でハリーケーンの状況ついてである。
 「二〇〇五年には、ハリケーン・カトシーナが米国のルジアナ州の沿岸を直撃した。ニューオリオンズとその周辺地域の誰もがカトリーナの襲来を予知しており、避難所に逃れる時間は十分にあることを知っていた・・・かなりの人々が航空券を買おうとお金を工面できず、やむなく家族をトラック押し込んで逃げようとした。はたしてどこへ逃げられたのだろうか?・・・一方、豊かな人々にとっとは家財を捨て自分の命を守れという呼びかけに従うことは簡単だった。彼らの財産には保険がかけられており、カトリーナに命は脅かされても財産まで脅かされる恐れはなかった・・・ハリケーンそのものは人間の作ったものではないが、人々の被った被害は明らかに人為的なものだった」
 つまり、人間は自然による被害は防ぐことはむずかしい。大事なことは、自然の脅威に対して人間は恐れるしかないが、その後の被害は人為的なものだということだろうと思えることだ。災害の大小は、人間がつくったものにほかならないし、大切なことは大被害にならないようにすることが政治の役目であるといことだ。要は、大きな第二次被害は政治家がつくりあげた結果であるいうことなのだろうと思う。コロナウイルス感染であれ自然災害であれ、人類はもっと被害を小さくすることができるということだ。できないのは、有権者や政治家の怠慢なのだろうということを伝えていると思う。

 今月も、月の一度の朝礼でこんなあいさつがありました。
 「コロナ禍で仕事も減っている状況でたいへんだと思います。こんな時、『ミスは輪をかけて大変』だということです。ミスが起きた時は、そのミスを隠ぺいするのではなくいち早く上司に報告してください。そしてそのミスの内容を職場の共有にしてください。せっかくの苦労したしてつくったものもミスによってだいなしにしないで、問題を共有化できるように。それには普段からのコミュニケーションを大事にしてください・・・」
 と、いうありがたい提言でした。ひとこと言わせてもらえば「コミュニケーション」は誰でも思っていることでしょう。大事なことは、そのコミュニケーションができていないことが問題だと思いました。いま職場は、派遣社員がほとんどで会話などない状況でしょう。いまのところ、人と身近なことも話すことも難しい。安心して話すには相手の「個人情報」もでてきたりしてくるでしょう。その個人情報を全体で保障する意識も大事になってくるのではないのでしょうか。かといって、最近の上司は自腹で、食事にさそって話を聞こうとかということも考えていないのではないかと思います。そういった今回の上司でさえ、いろいろな機会をつくろうと考えているのでしょうか・・・。
 ミスには、その起きる前に様々な出来事が関連しているといいます。そのことが見える機会をつくろうとしなかれば、「言うはやすし、行なうは難し」です。
 ミスは永遠に消えません。できるのは、ミスをしないようにする行動です。その一歩は、人を監視することではなくお互いが、注意点を多く持つこと。それをお互いが喚起することでしょう・・・よ永遠にいわれるでしょう。それはそれでいいのです。
 そんなことを思った、気の重い月一回の朝礼です。いつになったら、話しやすい職場ができるのでしょうか。大事なことは、リスペクトできるもの・ことが欲しいですよね。少しずつ減っていく職場になっているように思います。

 散歩の途中。小川が流れる水辺などを見ると足を止めたくなる。そこに人がいればなおさらである。さらに釣りなどをしていると、後ろにまわってじっと浮きを見ている。きっと釣りをしている人以上に熱心に浮きをみてしまう。(落語のように)
 梅雨時。雨による水害が起きては怖さがいわれるが水には罪はなくて、水害を起こすようにした人たちの責任だろうと思う。まして、二次被害となればますます人間のしわざといえると思います。
 私の住む近所にも、東京でも以外にも湧水があってその源流をもとに流れる小川あります。(写真)小さい川ですが、国道交通省認可の一級河川となっていると思います。天気のいい日には、子どもたちがタマ網をもって小魚を夢中でとっています。そんな子どもは生き生きしていて楽しくなります。

 私の子どものころは、必ず小川はありました。田んぼに水を引く用水路としてつかっていたのでしょう。それでも、鮒や鯉もいました。流れの弱いところに陣取って釣りをしていました。あるいは、タマ網を持って泳ぐ魚を追いかけていました。その時の夢中さは、今の子どもと同じだったのでしょう。
 いつの時代にでも水辺には人が集います。何でも水は生命の源だけであるだけなく子どもたちの発見・冒険の場所でしょう。水害が多くなってくる季節です。それは、子どもたちの責任ではないでしょう。子どもたちは自分たちの遊ぶ水辺を壊すわけでもなく、まして利権の道具に使うことなど考えていませんから。形がかわれば利権がからみ、形さえも変えてしまう大人の身勝手な仕業なのでしょう。
 晴れた日に、水辺に遊ぶ子どもたちよ元気であれ・・・と思います。


 今日は都知事選。何を目印に投票するのでしょうか。それにしても、なんと多くの立候補者がいるのか驚きます。でも残念ことに、これほど立候補者いるわりには関心はすいように見えますが・・・。原因は、サラリーマンが自分の給料から税金をてん引かれる感覚のように、自分のことであるのに見えないことと関連することが少ないからでしょうか。それでも、今回はコロナ禍ということで医療機関の問題、企業への給付金のことなどがテーマになるのでしょうか。これこそが二次災害を防ぐこと、学校教育開口のことなど政治の責任になるのでしょう。そんなことを考えて投票するといいのではないと思います。来年の東京五輪は、世界中でいまだの感染がおとろえていないことをみればできないのではないのでしょうか。今は、それより、これからのことでしょう。
 米ジョウンズ・ホピキンズ大の集計によると、コロナ感染者は約1100万人、死者は約53万人。これからも増える傾向になるなかでオリンピックは無理だと考えるのは早計でしょうか。選手のことを考えても、コロナを気にしながら練習はないでしょう。さらには、コロナ禍で政治的な対立も出てきている国もあるだろう。感染数は数字ですが、一人ひとりには大きな人生があるのです。そんなことを考えるとますます「中止か延期」でしょうか。

 すでに都内の通勤電車は満員、おしくらまんじゅう状態のときが戻りつつあります。そんな時間帯には「恐怖」さえ感じます。そんなことを思いながら、また来週から仕事にいきます。
 
 それでは今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。