日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

コロナ禍ですがちょっと遅い墓参りの一日でした

2021年03月28日 | Weblog
 こんにちは。
 やっと温かくなりました。「緊急事態宣言」も解除されたのだから少しは感染者が減ったのでは思いきやこちらはいまだの冬の状態です、日々増えたり減ったりの状態は続いているようです。桜も咲き、陽気も温かくなってきたから自然と人の出入りは多くなっているようです。休日を利用して、彼岸から遅れて墓参りにいってきた乗り換えの駅は、人、人の多さには驚きました。平日の通勤しているときのな何倍もの多さには驚きました。これでは、まだまだです。事実今日も感染者は増えています。減るどことか、今後の感染者数が増え方が心配されているところです。

 ここにきて今週、東京五輪・パラリンピックの聖火リレーが始まりました。なんとなく「見切り発車」の感がぬぐえません。ランナーが走るところには人が集まらないようにということですが、コロナ禍での自粛のなか、何もなくなった日常です、近所を通ればみてしまうのが人情でしょう。陽気もよくて有名人が見られるとあれば、ごく自然に足を運んでしまいます。
 とはいえ、どうしてこんな時でも五輪は強行しようとしているのでしょうか。「感染防止を最優先」とはいうものの、いったい何が「最優先」なのか。だいたい、私たちにできることは、マスクや手洗い、人の集まりをできるだけ避ける、ことぐらいでしょう。
 わたしはそれこそ、五輪はこれらのことを実践している国民への裏切りのように思えてしまいますが・・・。病気になったら、まずそれをなおすことからではないのでしょうかね。


 桜が日本縦断を始めています。
 コロナ禍では、一家そろってあるいは友だちどうしで桜を見にいくこともはばかれる時勢になっています。これを「不要不急」というのでしょうか。それでも、温かさと桜の花を求めて動き出すのも自然なことなのではないのでしょうか。
 こんな時期だからこそ、桜の花は日本人の心中には大きな「春の景色」になっているようにも思えます。

 休日を利用して、故郷に墓参りにいってきました。
 墓前では自分が亡くなった父母の年齢に近づいてきたな、と思える時間でもあります。これから、いったいどこでどうしているのやら、いまだに具体的にならない毎日があります。いまは、墓参りのたびにかわっていく故郷の景色に世の中の移りかわりに追いつけなくなった自分自身の気がつきます。内心では「それで仕方のないこと」と自問自答していても、日々年齢は増えていくばかりだということは悲しい現実でもあることに、自然の流れなのだから・・・とあきらめているような日々があります。

 そんななか、いつ来ても変わらないものもありました。
 帰り道、子どものころよく遊んで神社によることがあります。季節は春で一本の桜が咲いていました。お正月に寄ったときは、枝もなくなっていき「枯れたのかな」と思っていました。子どものころ、この木の下で野球をやったり、夏休みにはラジオ体操、盆踊りもありました。セミをおいかけた木でもありました。ときには近所の夫婦けんかをしている朝を思い出しました。いまごろ、ここから旅だったたくさんの人たちはどんな景色を眺めているのでしょうか。いま亡き人たちのいるだろうこの時間にしっかり根をはって生きていました。

 桜の花がこれほどきれいにまだ咲かせて静かに立っている景色は変わっていないことに安ど感もありました。もう一世紀ちかくあるのではないのでしょうか。今はいなくなってしまった父母や近所のおじさん、おばさん、一緒に遊んでいたはずだった友だちがこの桜を見るたびに思い出されるような気がした一日でした。

 この時期どこでもたくさんの桜が人々をみつめているでしょう。どんな景色をつくり、壊してきてしまったのか・・・。
 毎年、当たり前のように咲きほこる木々に何を感じているのでしょうか。いまでも、当たり前のように、かわらず静かに咲いている桜を眺めながら、「時代は変化を期待しているような流れが歓迎されている」ような日々です。私が墓参りに訪ねるたびにかわっていくこの町にがほんとうに住みやすくなったのでしょうか。ひとはなにか変ることで、なにかを失っていったのではないのでしょうか。

 神社にひっそり咲いた桜を見ていると、きっと一人ひとりの心の中にあるのは変わらないものがあるのでしょう。変わってほしくないものや変わらなくては・・・、と悩んで生きてきたのではないのかなかー、と思えます。そのかわらないものの良さを置き去りにしてきた日々が反省させられる桜の花でした。

 とうとう3月も終わりです。今月は、世の中は卒業や引っ越しなどがみられる月になってなっているようです。コロナ禍のなかでも、昨年よりも一歩前に出た景色があるように思えます。通勤帰りに、羽織袴のお嬢さんをみかけたり、道路には引っ越し専門の車が駐車していたりと、新しいシーズンがくるんだと思えました。
 さて、NHKで大河ドラマ『青天を衝け』が始まりました。内容は、幕末のなか、新しい時代と共に渋沢栄二の生涯を描いたドラマです。日本の資本主義の父といわるる渋沢の生きざまに明治という時代を読み取ることができます。一方でこの時代活躍した人々に、これまでドラマにもなった坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文などの名前が浮かびます。

 『青天を衝け』の渋沢栄一もこの時代活躍した人でもあります。
 とはいえ、ほんとうにこの時代を動かしたのは、地方の下級武士であることはあまりドラマになりません。むしろ、この時代は一大ターニングポイントになるわけですから、後世に名を残す絶好のチャンスとでもいえる時代であったということも事実です。いま、後世に知ることのできる名前はこの興亡によって残った名前だといえるのだと思います。
 歴史の光と影があるとすれば、光の中にあるのは、今私たちが明治維新でしる有名人の名前でしょう。そして影といえば地方の氾濫に携わっていった人でしょう。
 今回の『相楽総三とその同志』は明治維新の影に部分で歴史変換をした人々を多くの資料を調査して、世の中に出した貴重な本だと思います。



 一つの時代を終わらせることは大変なことだろう。レーニン率いるロシア革命やキューバ革命など、歴史に残るのはその時代に権力をにぎった名前だけである。それでも、新しい時代をつくろうと命がけでその戦線にはいる勇気と志(信念)は並大抵ではあるまい。
 そのことを、追究した本が『相楽総三とその同志』という本だろうと思う。 明治維新が達成される瞬間に立ち遭えることさえ大変であろうが、それをやった人たちの物語である。それぞれの人間に信念としてあたえた学問、さらには行動をとおにした人たちの物語・・・。それはまさに人間の興亡の歴史でありと思う。

p68 私(亀太郎)は相楽総三の孫です。実は相楽の死刑が冤罪であることを苦心の結果、漸く確実にいたしましたので、聚集いたした材料によって御贈位の請願もしたく、就いては閣下のような事情を御承知の方にご尽力願えますれば非常な仕合せでございます。又、冤の雪がれることも速やかだろうと思い込んでおります。

p94 慶応二年三月から翌年の三月までの間にいろいろな出来事があった。幕府は二度目の長州藩毛利討伐をやった戦果殆どあがらず休戦となり、長州藩は英国軍艦と戦って苦戦したがこれも和睦が成った。十四代の将軍家茂は大坂城に薨(こう)じ慶喜が徳川家を嗣ぎて十五代将軍となり、勤王佐幕の政治波乱はいよいよ重畳し幕府は見廻り組、新撰組を手先に勤王有志家の制圧に努め、薩州藩会津藩の間には険悪を加えた。

p147 その頃の義兵の挙が悉く失敗したのはいろいろな事情と理由かたであるが、その一つの原因は火器に無関心だったからである。いい換えてみると、国学は興隆したが、攘夷論の行き過ぎが、近代武器に関して盲目であった。

p247 前にもいった如く浪士の中にはニセ者が混じっている。一時の食いつなぎとか、事故があって潜伏するためとか、そういう連中の大抵は、生命の危機を感じ、この数日中に逃げ失せた。それでも極く少数ながら逃げ遅れた者がいた。こうした連中は突撃して血路をひらく気は毛頭ない。そこで逃げ出した。

p280 福井藩の南部彦助は慶応三年十二月上旬、藩命で江戸へ呼ばれ、横浜在留の白人から金を借り出せと命ぜられ、その交渉にあたっていたが、不調に終わったその十八日で帰国の命令が出ないので、常盤橋内の上屋敷に滞在しているうちに、薩邸の焼討があった。

p283 北品川の浄土真宗大谷派の正徳寺(日夜山善水院)の僧で平松理準といって、そのとき年七十二、法澄を次代に譲り、南品川の隠宅に閑居していた。美濃の国、安八郡小野村(現岐阜県大垣市)の専寺に生まれた詩人で歌人である。歌の方は南園といった。

p326 相楽は浪士を集合させ、判明した事情を告げ、「われわれの死処はこの兵庫港かも知れぬからその覚悟でおれ、但し、天朝への御奉公のため、かかる処で死を好むべきでないので、飽くまで京都へのぼるべく百方手段を講じている。しかし、そこまで行かぬうちに開戦となったら、一死報国、全員討死にいたすべく」と演舌し、決心を促した。

p375 落合源一郎直亮は文政十年生まれ、武州多摩郡駒木野の累代関守の家、落合俊雄の子で母を南多摩郡浅川町(現東京都八王子)のうちに、駒木野という字を遺すのみである。

  
 『地球に住めなくなる日』を読んでいたら「2050年脱化石化燃料」「持続化可能社会」という言葉が思い出す。昨年からのコロナ禍のなかであまり表にはでてこなかった環境問題の言葉である。二酸化炭素の排出をできるだけ抑えるための政策なのだろう。二酸化炭素が増えるということは、それだけ地球が温まるということになる。ただでさえ地球は活火山のうえに置かれた地上に住んでいるいうことだけなのである。さらに、海が地球を冷やしているという惑星だというのが実態。

 読めばよむうちに「緊急事態宣言」は、新型コロナウイルス感染だけに出すだけでなく「温暖化」にもだせるほどが、いまの地球の状態であるようにも思えてくる。
 いっぽうで2050年ころは生きてはいない・・・という本音もある。だから、いまがよければいいのではないかという、まさに一国主義のような発想もあるのもわかる。この気持ちを代表しているのは、資本主義国の富裕層であることも知っている。しかし、この考えは、世界の1ペーセントの富裕層が、残りの99パーセントの世界を支配しているような状態の結果、温暖化なのだということを理解するまでは。そしてその99パーセントの一人として生きていることを知ると、温暖化はよくない、ということもわかってくる。

 世界中の温暖化の原因をデータによって調べたこの本をみれば、一目瞭然の環境悪化である。戦争や難民も温暖化が拍車をかけていることも理解できる一冊である。以前に読んだ斎藤幸平の『人新世の「資本論」』(集英社新書)を思い出す。
 
p17 私たちは変化の勢いに気づくのが遅く、エリート層やその組織のやることを信じてきた。あるいは、温暖化アル・ゴアが環境問題を訴えるドキュメンタリー映画〈不都合な真実〉ぐらいから出てきた新しい話でそんな短期間に事態が悪化するはずがないと高をくくているだろう。自動車に乗り、牛肉を食べる暮らしは変えたくない。あるいは「脱工業化」の概念が浸透するあまり、いまだって化石燃料を燃やす生産活動に支えられていることは忘れているのか。

p35 泥流でなぜこれおほど犠牲者が出るのか疑問に思われるかもしれない。その答はハリケーンや竜巻と同じだ。人間のせいかどうかはともかく、環境が凶器と化したのである。暴風災害にしても風それ自体が生命を奪うわけではない。強風で根こそぎ倒れた樹木が棍棒となり、風にあおられる電線がムチや首吊り綱になる。倒壊する住宅は人間を押しつぶし、自動車は巨大な石のように転がる。

p42 地球温暖化はほかならぬ人間のしわざだ。でもそれを自覚したらといって、絶望する必要はない。背景にはある仕組みは途方もなく大きくて複雑だし、実際私たちは痛い目にあっている。でもその責任はこちらにあると認めれば、それが立ち上がる力となるはずだ。地球温暖化は、まちがいなく人間のせいだ。いま抱いている罪悪感は、受け身から抜け切れない証拠だろう。けたはずれたハリケーン、かつてない規模の飢饉や熱波、難民や紛争の発生――どのシナリオも人間が用意したものであり、いまも続き執筆中だ。

p76 洪水で家が水に浸かり、数千万単位で気候難民が出現する。わすか、数百万の難民に四苦八苦するいまの世界が、それに失われるのは住居だけだはない。地域社会、学校、商店街、農地、オフィス街、高層ビルなど、数世紀前ならひとつの帝国と言ってもおかしくない規模の地域文化が突如として海底博物館と化す。

p98 だが2040年を迎えるころには、2018年のような夏が当たり前になるだろう。当たり前だが「正常」ではない。それは崩壊していく気候が見せる行きすぎた現象であり、急速に進む気候変動の大きな特徴でもある。予測の範囲を大きくはずれた、起こりえないはずの減少が何度発生し、災害を定義しなおす必要にせまれれる。

p109 先進国の大都市で最新設備がそろったマンションで生活していると、そんな日が来るとは、さも信じられない。ほしいものが、ほしいときに、ほしいだけれに入る豊かさが永遠に続く――世界の多くの都市はそんな幻想に染まっている。水は無尽蔵という思いこみは、その最たるものだ。台所で浴室で、トイレで遠慮なく使えるのは、相当の費用と労力をかけた結果なのだ。ケープタウンの渇水は、くすぶっていた対立感情を先鋭化させた。

p118 海流が本格的に研究されはじめた1980年代から、海流の機能不全が気候の不均衡を引きおこす懸念は指摘されていた。要するには暑い地域はさらに暑く、寒い地域はいっそう寒くなることだった。

p124 これまでになかった、いや理解されてこなかった汚染のひとつがマイクロプラスチックだ。地球温暖化が直接の原因ではないものの、マイクロプラスチックは自然界に急速に蔓延しており「人世界」の消費文化の罪ぶかさを私たちに突きつけていいる。太平洋ゴミベルト地帯――。洗濯機を1回動かすと、70万個のマイクロプラスチックが環境に放出されるという。インドネシアとカルフォルニアで売られている魚の4分の1には、体内にマイクロプラスチックが1年間に少なくとも1万1000粒とりこくむことになる。

p133 温度が上昇するパスツレラ・ムルトングを縦断に変えた仕組みはわかっていない。人間の体内にいる在菌のうち、正体のわかっているものはわずか1パーセント。残りの99パーセントは、知識も理解もないまま共生している。長年友好的にやってきた彼らが、気候変動の引き金にして恐怖の病原体に変身する右のだろうか。それは謎だが、無知を慰めにはならない。気候変動の進行で、将来そんな細菌に出会わないともかぎらない。

p155 温暖化の現状がこのまま続けば、2050年までに世界の三つの地域で1億4000万人の気候難民が発生する――世界銀行が2018年に出した予測だ。内訳はサハラ以南のアフリカで8600万人、南アジアで4000万人、ラテンアメリカで1700万人である。

p162 ~とりあげた未来スケッチは、見る者を疲弊させ、ときに絶望させる。あくまでもスケッチである。地球温暖化について、これまで積み上げてきた知識は疑いはない。北極の氷が融け、海面が上昇していることは現実だし、人間が招いた結果だ。でも私たちにわかっているのはここまで10年前は、気候が紛争に関係しているのは誰も知らなかった。20年前は気候変動と経済成長の関係はほとんど研究対象になっていなかった。50年前ともなると、気候変動それ自体研究されていなかった。

p190 これからの世界は、極端な気象や自然災害が頻発し、ハリケーンや洪水や熱波が発生する間隔が短くなって農作物の生産高も労働者の生産性も落ちるだろう。経済がかつてないほど揺さぶられる世界で、「ショック・ドクトリン」がどこまで通用するのか。答えては見えてこない。それでも欧米一辺倒だったビジネスと金融資本主義の方向性に、少しばかり揺れ始めているようだ。・・・小さくなるいっぽうの利益をめぐる争いが激化し、資本主義の原則がいっそう強固になるのか。過去数十年の動向からそんな推測が出てくるのも当然だろう。

p258 宇宙のなかで地球は特別――そんな感覚があるからといって問題にうまく対処できるわけではない。それでも地球に対して自分たちがやっていることに意識は向く。すべての文明は自滅に向かうという法則めいた話を持ち出すでもなく、人類という集団が下した決断に注目すればよい。いま人類は集団として、地球を廃墟にする道を選択している。


 毎日温かくなってきました。温かさと一緒に花もたくさん咲きはじめ、散歩道では目を楽しませてくれます。今週、桜は満開になっています。桜の咲く道にはコロナ感染に注意しながら歩く花見の人を多く見かけます。自然はコロナであろうとなかろうとしっかりと根をはった木には花をつけます。
 コロナ禍でも咲いた花の中、人をさけて墓参りにでかけたついでに、昔よく野球をして遊んでいた土地の人にあいたいと思い歩いていました。
 子どものころは、住んでいた近所には雑貨屋さんが3店舗ほどあったのですが、今はありませでんした。あるのは、きっとご家族の誰かが住んでいるのでしょうか、宅地になっていました。それでも、お店の前だけは昔のおもかげを出しているいるお店もありました。ここの、前でお菓子を買ったなあーと思い出がよみがえります。

 ちょっと悲しいのはどこにも昔のおもかげがなくなっていました。
 すべてが変わったかいませんでした。
 春はもうきているようです。あたたくなってきました。ツバメもみる陽気にもなってきました。
 どこでもですが、変わっていくもの、変わらないものせめぎあいがあるようです。明治維新では、権力争いでの興亡があるようにせめぎわい・・・。
 大事なことはそんななかで一番動いているのは名もなき志高い人たちであることがよくわかった『相楽総三 その同志』でした。
 
 それでは今回はこの辺で失礼します。くれぐれも感染には注意していきましょう。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

「緊急事態宣言」解除されたとか・・・

2021年03月21日 | Weblog

こんにちは。
春がきました。朝夕の寒さもやわらいできました。街路地の植物も緑を濃くしています。天気がいい日には、外へ外へという気持ちが自然にでてくるのもこの季節の特徴なのでしょうか・・・。休みの日は、多摩川に足をはこぶ日が多くなってきたように思います。土手では、それぞれのスポーツチームか、友だちどうしか汗をいっぱいかいています。そんなとき「春になったなー」とつくずく思うこのごろです。

 さて今週は、なたしても東京五輪関係の人が辞任していました。前回の森会長辞任に引く続き、組織委員長の佐々木宏氏までも辞任です。それも、中身としては同じような差別的なないようになっているように思います。ことの本質は、東京五輪はいろいろなスキャンダルの多いことに気がつきます。まずは、競技場の設計段階で、そして五輪のロゴデザインの偽装問題、さらには日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長 の献金疑惑などがありました。とどめは、森、佐々木氏の人種差別ときましたが、こんなに問題が多いのもめずらしいのではと思います。
 とはいえ、それだけ世界中が、過敏のなっているのでしょうか。これらは、これまでにきっと大小の差はあれあったのではないのではないかと思います。それが、今年に今回にかぎってこれほどでてくるには何かわけがあるように思えます。

 政治のなかでも「接待問題」が露出していました。これまでのたくさんの接待問題があったのではなかったのでしょうか。今回これほど多くのことが出てくる背景にはなにかがあるのでは思います。
 コロナ禍のなか、人間、カネの問題がこれほど出てくる政権運営は破綻にきているようなところも見えます。ただ、コロナ禍であることが歯止めをかけているようにも見えます。もし、コロナ禍でなかったら今の政権は、緊急に必要なものでもなくなっているのではと思えてきてしまいます。米国の大統領がもめにもめて変わったように、日本でも変わっているのでは思えます。


 すっかり、自分の足代わりになっている交通機関。ローカル線の踏み切りで立ち止まってみると、周りの風景がすっかり春になっていました。普段はほとんどの窓の外を眺めることなく日々を送っているようです。気がつけば、菜の花がこんなにも咲いていることにも驚かされます。誰が植えたわけでもなく、季節ごとに花を咲かせてきたのでしょうか。一年の一時期、なんとなく、ローカル線にお礼をいっているように花の咲いていることに気づきます。電車の色とマッチして、さらに季節を感じさせる季節になってきました。この電車さらに先には、桜の花のアーチの中を走っています。桜はまだ、五分咲きほど・・・です。

 春は移動の季節。引っ越しやら人事異動やらで、住む、仕事をするところ、そして町の景色も変わってしまうでしょうか。今年はコロナ禍で移動は制限されているからどうなっていくのでしょうか。企業の論理は季節感はなく、自分の思いなどひとかけらもなく移動を強要しているのでしょうか。とくに、人は季節感を感じるころは老境にきていて動けに動けず、ということになっているのでしょう。最悪なのは、自分と相性のわるい人とも一緒に仕事をすることになっている時もあるようです。それでも仕事は待ってはくれません。

 じっと黙って咲いている花をみていると、こんなに寡黙で人に優しいところがあったんだと気がつくともあります。そんなところがあるから、人はいやないことも忘れる時間がつくれていくれているのでしょう。
 あわただし毎日、そんなところ一年をとおして気がつかせてくれるのは春なのかもしれません。



『きこえてくる』まどみちお(角川文庫)
土の中からきこえてくる 
水の中からきこえてくる
風のなかからきこえてくる 
ここに生れようとして
小さな数かぎりない生命たちが
めいめいの階段をのぼってくる足音が
ここに生れてきさえすれば

自分が何であるのかを
自分の目で見ることができるのだと
心はずませて のぼってくる足音が
いったい だれにきいたのか
どんな物をでも そのままうつす
空のかがみと水のかがみ
ここにたしかにあることを
ここが宇宙の「かがみの間」であることを

土の中からきこえてくる
水の中からきこえてくる
風の中からきこえてくる
小さな数はかぎりない生命たちが
いま近づいてくる足とが



 日曜の朝、新聞で「東京五輪・パラリンピクでは海外客断念決定」という見出しを見ました。それでもなおやろうとしている対応には疑問に思えました。
 コロナ禍、地震という困難な状況のなかでそれほどやる必要があるのかな? という気持ちです。選手一人の何人もの関係者がきます。国を代表してくるのですから、関係者プラス報道関係、さらにはその中継を完全なものするために通信関係者などもいます。さして、感染症を防ぐための医療従事者も。
 ちょうど病気の状態で、薬を持っての見切り発車のような感じがします。まさにクラスターをつくるような気がしますが・・・。そして、これ以上医療従事者への負担をかけるとうことは、国内での医療が手薄になってしまうのではないかと心配もあります。それらを、これからどうクリアーしていくのか対応が問われるところでしょう。まさに、これまでのオリンピックという興業がはじまったという気がする。

 興亡といえば、最近NHK大河ドラマで渋沢栄一をあつかったドラマをみていたら、明治維新を思いだした。明治維新で浮かぶのは『竜馬が行く』『天皇の世紀』などだ。浦賀にペリーが通称条約を結ぼうとやってきたからのことから始まる。
 鎖国という幕藩体制のなかで、交渉するかが問題になってくる。話合いか、武力をもってかわかれていく。そしてわかってくることは、日本が世界に取り残されてきたということ。進歩派の尊王攘夷派は徳川幕府体制では守りきれないとなるなか、新しい政治体制をつくるべく、革命(権力闘争)が起きてくる。それぞれの野望をもった人たちがいちはやく武士を捨て、自分たちの政治をつくろうした時代でもあった。それでも武士を捨てきれず、幕府を守るうとする側とで衝突が起きる。代表的なのが、会津戦争の白虎隊や田原坂の闘いなどが起きる『相楽総三とその同志』(長谷川伸著・講談社)によると明治維新は、多くの武士を捨てることになった浪人たちが暗躍したことがわかる。
 明治維新は、薩摩、長州などの人が中心に語れるが、実は関東近辺にも多くいたことを証明している。最終的には、薩摩、長州の人たちが江戸幕府を倒し政治の中心を担うのだが、実はそれを支えた多くの浪人たちの夢を持った興亡があったことがわかる。そして裏切られて謀反人に・・・。勝者が勝手に歴史を残していくという。
 そんなことがまた繰り返されるのだろうか。時代はちがっても、手法をかえて興亡がつづくのが世の常だと思える。


 今週は無事、更新できそうだ。
 
 南風が少しずつ春を運んでくるようです。街路には小さな桜の花がほころびはじめていました。
  最近は南風を顔にうけて歩いていることが、なんとも気持ちのいい日があります。休日には、大木の桜の木があったところを思い出しながら散歩をするようになっていました。
 東京でも都下でもあれば、誰にも気づかれないようなところに何十年も育っている桜の老木などを発見するときもあります。枝に手を触れると、誰も寄せつけないように外皮が固くしっかりしていて、あたかも人間のしわが固くなったようにも感じます。
 とはいえ、桜の美しさにのんびりしていることができないコロナ禍です。近所では、「桜まつり」ということもあってコロナ禍でなければ、ゆっくり見ることもできるのでしょう。
 今年は、昨年同様に人気を避けたものになるでしょうか。はやく、桜の下で、ごちそうを食べながらゆっくり見られる日がくるといいですね。
  ワクチンがまだまだ、私たちのところには来るのはもっと先のようです。できれば、ワクチンなど接種しない間に、コロナ感染がなくなれば・・・、と甘い予想をする日々です。
 今週はこの辺で失礼します。
 読んでくださった方、ありがとうございました。

春はあけぼの・・・とはいってもコロナ禍です

2021年03月14日 | Weblog

 こんにちは。
 寒い寒いと毎日ぼやきながら、ポケットに手を入れて歩いていた日々でした。通勤の朝、まだ街灯が点灯しているなか季節は寒さだけが通り過ぎていきました。少しずつ、日の出がはやくなるにつれ通勤路で頭をあげれば杏子の花が咲いていました。電車の窓からは遠くにもくれんが天に向かって真っ白い花を咲かせていました。
  コロナ禍の中、季節感が一年中マスク着けている中で早く通り過ぎていくようです。それでも、自然は四季折々の植物が花を咲かせていました。コロナに負けまいとそのたくましさは目をみはるばかりですね・・・。



 春がやってきて、コロナ禍であろうと人間の利益を追求することは止むことがないようです。
  企業では、春になると、席替えならぬ異動があります。これまでの働き方や性格を考えた結果なのでしょうか。会社に勤めて退職するまで、一人の人がどれだけ異動をするのでしょうか。たくさんの職場を経験することで会社の内容や流れを経験させるとうことなのでしょう。そのことで、昇進や降格が一人の人生を変えてしまうほどになることにあります。ある意味、春はサラリーマンにとっては「残酷な季節」にも思えます。

  また、春には「新規採用」の季節でもあります。学生時代は先輩風をふかせてきた人でも、会社にはいりたくさんの人たちに囲まれれば若造です。右も左もわからないまま仕事は待ってくれません。上司の指示通りやっていて両手でかかえても持ちきれないほどの仕事に圧倒されてしまうのが現実のようです。そこで他人の意見を取り入れつつ自分の独自の工夫をもって仕事をクリアーしていく技術を身につけることなのでしょう。
 あげくの果てに「風呂敷残業」ならぬ自宅で仕事を消化するはめになります。さらに最悪なのは「ブラック企業」でも騒がれている「残業代未払い」をやってしまうこともあります。「仕事が好きだから」ところではなくなって心身障害を起こして「過労死」にもなりかねません。
  そんなとき大切なことは「相談できる人」がいることでしょうか。仕事をどう片づけていくのか、お互いがかかえている悩みを話せるひとがつくれるのでしょうか。仕事と同時に大切なことが、話せる人をつくることだと思います。いや、仕事以上に大切なことです。その人がどれだけ力になってくれるか、仕事が片付いたときつくづく感じることでしょう。

  とうとう私は「再雇用」(65歳まで)になって最後の年となりました。
 最近、私より数カ月はやい誕生日の人が「再雇用」が終り辞職してきました。彼と一緒に仕事をしたのは2~3年くらいでした。そして、再雇用同士になって職場離れた場所であったために話すことも減りました。電話のついでに日々の安否を語るくらいでした。彼は、もう永遠に会うこともないでしょう。会っても、お互いが死んだときぐらいでしょうか。彼は、これからいったいどんな人生を送っていくのでしょうか・・・。孫の顔を毎日見るのも楽しみにしているとも言っていましたが、さてどうするのでしょうか。遠い紀伊半島に住む知人は、夫婦そろって農業をやっているようです。最後は土地をもっている人は強いですね。
 
 まだ私には再雇用という務めがあります。それでも「異動」があって仕事をこなしていくしかないようです。若いころのように手伝って相談する人もいなくなった職場です。とうとう「窓際族」になっていました。おそらく、相談することといったら、職場の人よりお客さんとの打ち合わせくらいでしょうか。あとは、自分で適当に判断して進めていくしかなくなりました。いまとなっては、若い人たちの元気な姿をみて自分の仕事を片づけて行く日々になっていくのでしょう。
 「去る者は日々にうとし」という言葉を思い出しました。いずれは、だれにだって一人にもどっていくのでしょう。ですから、それまで多くの邂逅のなかに自分を思い出していくしかないようです。それが、短いかもしれません。決して「仕事が好き」なんてばかなことを言う再雇用者にならないために生きていくしかありません。最後に働く者としての矜持をまっとうしていくしかありません。そのことが、これまでもこれからの全て見方、考え方をつくっていくことになるということだと思えます。
 
『スマホのなかみ』
何を夢みている
スナホをみつめるその先に
どんなリアルをさがしているの
一線にならんだその電波のなかに
今日も暮れていく・・・
【さがしものはなんでしょうか】
 通勤電車の乗客およそ8割の人がスマホを必ずのぞいている光景をみる毎日です。なにをそれほど見るものがあるのか不思議に思うことがあります。職場までのちょっとした時間をそんなに見るほどのことがあるのかなー、と思う毎日です

 春です。木々も花も色をそえていっせいに咲き始めています。桜の花も咲き始めるころでしょうか。春は、生きとし生けるもののとっては息吹を引き出す季節といっていいでしょうか。花の数ほど人の数も多くみる季節でもあります。それは、人間も自然のなかのひとつの生き物としてあるからでしょうか。人も木々も花も鳥もたくさんの生きとし生きるものの踏み出す季節となっているのかと思います。

 今年はコロナ禍であまり季節の変わり目を感じなくなってしまったように思えます。「緊急事態宣言」も未だ思案中のなかです。人もウイルスもこれからが本番みたいなところではないのでしょうか。さらに、コロナ変種も出てきています。ウイルスも生き物として春をむかえているということなのでしょう。
 春の中に多く目にするものは今年はどんなものでしょうか。



 さて今週は、東日本大震災が10年前にあった日だからでしょうか、関連するニュースや新聞記事をたくさん見たり読んだりしました。
 そんな中で、「10年前どこにいた?」という記事がありました。
 2011年3月11日(金曜日)の午後ですから、わたしは、会社で働いていたのでしょうか。老朽化したビルのなかで仕事をしながら余震に驚いて、外へ出たり入ったりしていました。夕方に外へでて道路をみてみたら、まるで車が道路に数珠つなぎで、川のようにゆっくり動いていました。
 けっきょくこの日は、都内の公共交通機関が「計画運休」などで止まっていました。家に帰れず、会社に宿泊した日でした。お客も帰ることができず、一緒に近所のコンビニで食べ物を買ってきていたようです。
 最後は、校正室に集まってお客と震災後の数時間の様子をテレビをみていまいした。周りを見渡せば、責任者たちがいつのまにかいなくなっていました。これには、あきれてしまいましたが・・・。
 こんなときに、よくその人の対応によって性格があらわれるように思えました。ひどい人たちだなー、と思いながら翌日、動き出した電車で帰りました。日頃「チームワークで・・・」などと言っていた経営陣が一斉にいなくなった経営陣の顛末にはあきれました。

 その後も、通勤はうまくできす、路線のちがうバスに乗ったり、歩いたり、と通常とはちがう通勤生活が一週間ほど続きました。
 ビルは、壁にひびが入り、一年後は今のところに引っ越しすることになった年度でもあります。
 ラジオをよく聞いた年でもありました。10年前である。


 最近は何をするにも「ひと呼吸」をしながら片づけている毎日になっているように思います。あわてても仕方がないよなー・・・と思いながら目の前の仕事は焦って片づけていて、フト!あわててもろくなことはない、と・・・。
 ところで、コロナウイルス禍で世界中は影響を受けているところです。それでも、大国は覇権をめぐって動いているようです。なんとも、あさはかだなと思っていますが、これが現実で人間の強欲な一面なのでしょうか。それがあるから、豊かになっている面もゆがめないことはわかります。それでも、今やることは、一国の利益や権力闘争ではないのでしょう。
 そんなことを思いながら、今週も遅い更新となりました。日付は14日(日曜日)ですが実際は、週のまんなかあたり忘れたことを思い出したように更新しています。
 まあ、ボチボチまた行きます。
 人もウイルスも変われる・・・。変異ウイルスにも注意いていきましょう。
 読んでくれた人、ありがとうございました。


「緊急事態宣言」が延長になりました・

2021年03月07日 | Weblog

  こんにちは。
 少しずつ寒さと温かさの繰り返す日々がやってきました。お天気がいい日は春が近いことがわかるようになってきました。コロナ禍であっても季節は着実にすすんでいっています。
 散歩の途中にモクレンの花が咲いていました。葉が一枚のないなか花だけがさきに春の近さを感じさえてくれる花です。その寿命が1週間から2週間ぐらいでしょうか。いっきの咲きます。杏子の花も咲いていました。
いまだの冬のような気配が残っているのは「政治」の世界なのでしょうか。


 早いものである。いわゆる年度末である。そして今年「年期明け」のような再雇用があける年でもある。定年から5年とは、月日はめぐりめぐって今年である。気がつけば、職場のだれよりも高齢になっていました。
 最初のころは、出向ということで今より便利な都心で仕事をしていました。その時は周りとは話もしなかった人でしたが、一年も一緒に仕事をしていると、忘年会やら新年会やら誘ってくれるようになりました。それはどうしてなのだろうと考えました。
 出向先の職場も正社員一人、残りはアルバイトや再雇用の人たちばかりだったからであろうと思います。そういう人たちだから不安定な「痛み」のようなものを感じとってくれていたのだろうと思えます。

 そしてコロナ禍になって、本社に戻ってきました。ここでも、これまでの仕事を引き続きやっていました。見渡せば、当然なのだろうが私よりはるかに若い人たち。そして、再雇用者も年々いなくなっていった。日々ほとんど会話もないなかに仕事を黙ってやっていり日々になりました。ここにきて感じたことは、これほどコミュニケーションの少ない職場はないだろう思えることがありました。以前朝礼で、上司が「one for all, all for one」(一人はみんなのために、みんなは一人のために)という訓示をしていました。
 やーまいったね、と思いながら聞いていたことがあります。どこから聞いた受け売りだろうと思えました。その前に、「日々の会話をどうにかしろよ」と思ったくらいである。

 「人はあるいっていの恐怖(暴力)の条件がつくられた中では、相手の言うことを聞くようになる…」ということを聞いたことがある。おそらく、幼時虐待の記事だろう。暴力に身が危険されされると、その場にいるために言うことを聞くようになる。力がない幼児ならなおさらなのだろう。それを利用して、大人は「同調圧力」のような日々を作っているのだろうと思います。だから、その権威をバックに出来そうもない訓示をことさら当たり前のように発言したのだろう。
 職場での沈黙もそうなかの一つであるのではないのでしょうか。

 ・・・そんなことを思いながら毎日を送っているこおごろですかね。
 仕事は担当があるのでそのことだけをやている状態です。
 そんな寡黙の人たちがこれからどんな労働環境をつくっていのかは、私にとっては「カヤの外」状態なのでわかりませんが、どうなっていくのかみて行こうと思います。まだまだコロナ禍の中です。そのなかでの仕事内容は変わっていません。
 ただ、やたらと感染防具のグッズを買い揃ええる職場のなかにいるようになりました。とはいえ、東日本大震災のような地震がこないよいう保証もありません。ここ何日かまえにニュージーランドではマグニチュード8以上の地震がありました。日本でも東北地方で大きな地震もありました。

 最近読んだ『地球に住めなくなる日』という本の中で、地球温暖化の影響が出てきているのがここ数十年の状態のようです。避けれれない災害がいくつもあることが人生のなかであるものだなということが強く思えるようになっています。災害が起きたとき助かるのは、人と人の関係が大事なことだということが証明されています。日々の声が大切なことがこれほど人の行動に影響するのかということを証明している災害の時なのでしょう。それは一朝一夕にできることではないことも事実です。今の人たちに職場ってどんなところにうつっているのでしょうか?・・・ね。
 そんなことを思うと、いまの職場はどうなのでしょうか。日々の行動を考えると無理なのかもしれません。私はだれにどんな声を届けているのでしょうか。


 今年は大震災10年目。私は、いまだに東北の震災はつづいていると思っている。以前、毎日新聞2月21日付『時代の風」で読んだ、「震災からまもなく10年。ひとつの区切りだという感覚が世の中にあったように思えたが、いま『災後』ではなく『災中』なのだということをあらためて思いしらせれた」ということを言っていたころを思い出す。そのことを示す地震がつい最近、また起きたからなおさらだと思う。まだまだ続いいるんだと、あらたに考えなおした記事だった。さらに、原発事故で避難した人たちにとっては、故郷の土は二度と安心して踏めない汚染状況には変わりはないのだから。

 10年前の毎日がこんなひどいことになろうとは思ってなかったのだと思う。
 震災後、日本は「火山の国、地震の国」ということは知っていたが、もうふたつ加えれると「津波の国」「原発の国」だということになったように思う。
 10年もたつと、友だちにに福島出身の人もいたのだが病気で2年前の亡くなった。
 葬儀の日、亡くなった友達の知人と話しをしてていた。いまでは、その人が福島原発関係の相談窓口になっているという。いまも東京電力福島原発は廃炉作業を賃金などについての相談を行っているという。ここは「緊急事態宣言そのものの作業現場」ということがわかる。ということは、多くは政治によって大半が住民の暮らしが、よくも悪くもなるんだ、ということをつくずく理解した10年だった。

 この時期、日本の8月の「戦後〇〇年」というように1月は「淡路阪神大震災」、3月は「東日本大震災」というながれができたのだろうと思う。決しては忘れてはならない月となった。とくに、人間の生き死にかかわり、どれをとっても「終わりのないこと」だろうと思えることになっている。そして、昨年から現在まで「コロナ禍」が進行中だということになっている。それでも、これまでどうにかやってこれた・・・ということも言えるのだろう。そこには、いつでも弱者や被害者の視点があった人たちがいたからだということを忘れてはならないのだと思う。それが、なければ人の災難は生きていかされなくなる。それができなのであればそういう政治家の必要性もなくなるように思える10年目になっている。

 ときに政治はなんらかのイベントを成功させるために、災害があったにもかかわらず、さも過去のように宣伝することがある。その結果、太平洋戦争の大被害をつくり、多くの戦死者まで巻き込んでしまったという歴史を遠い過去のように思わされていく日々が出来あがってしまう・・・という弱さもある。
 10年目あった今月、そんなことを考えている間のさえ大地震がニュージーランドを襲っていた。
 そろそろ地球規模で何かが起きているのだろうか。それが「人新世」という時代なのだろうか・・・。ただいえることは。「あれから10年」というのではなく、わたし自身「これからの10年」のほうが大事な時間だということなのであると思う。

 まだまだ北風と新型コロナウイルスは吹いています。
 はやくもコロナウイルスはおよそ1年間世界中に蔓延してしてる状況になってなっていることは悲しくなってしまいます。ワクチンが少しずつ接種されるようになっているニュースは、明るいところです。それでも、まだまだです。なぜななら、ワクチンはしばらく、庶民のは届かない道のりになっています。
 前方からコロナウイルスの風を、背中に北風・・・を感じている日々はまだあります。

 とはいえ、上を見上げれば花は街路地に春を運んでいるようです。これが唯一のうれしい景色に思えます。
 

 東日本大震災から10年。テレビではそれぞれの関連番組をつくっていた。私がみたのは、NHKの「ペペロンチーノ」という、地域発のドラマだった。
 宮城県牡鹿半島の海を臨む場所。ドラマはレストランを営むイタリア料理のシェフ演ずる男の震災後からの10年後の物語を描いていた。
 震災によって妻もレストランも失い、レストランをやるつもりがなくなってアルコール依存症にまで落ち自暴自棄になっていく。
そんななかで励まされた人たちがいた。料理したものを「おいしい」の声がまた、亡き妻との思い出の中から、レストラン再開をしていく物語だった。
 とても感動的なドラマだったと思う。
 それにしても、「復興」といって建物だけが建設されていく地元の人たちは何を思うのだろうか。堤防も海がみえないくらい嵩上げされたものになっている。

 いっぽうで、放射能汚染によって避難していた人たちのゆくえはどうなったのだろうか。物語のように、どうにか暮らしができるものであればいいが、本当は大変なのだろうと思う。
 ドラマをみて考えたが、これほど最後にまとまるようなことはめずらしいことだろう。しかし、現段階で描けるものがあれば、それを大切につくっていくしかないように思う。
 少しずつ、時間がたてば、もっと生々しい生きざまのドラマもできてくるのかもしれない。それでも、事実は事実として、腹におさめることができればいいのだと思う。

 ということで今回はこの辺で失礼します。
 読んでくださった方、ありがとうございました。