こんにちは。
やっと温かくなりました。「緊急事態宣言」も解除されたのだから少しは感染者が減ったのでは思いきやこちらはいまだの冬の状態です、日々増えたり減ったりの状態は続いているようです。桜も咲き、陽気も温かくなってきたから自然と人の出入りは多くなっているようです。休日を利用して、彼岸から遅れて墓参りにいってきた乗り換えの駅は、人、人の多さには驚きました。平日の通勤しているときのな何倍もの多さには驚きました。これでは、まだまだです。事実今日も感染者は増えています。減るどことか、今後の感染者数が増え方が心配されているところです。
ここにきて今週、東京五輪・パラリンピックの聖火リレーが始まりました。なんとなく「見切り発車」の感がぬぐえません。ランナーが走るところには人が集まらないようにということですが、コロナ禍での自粛のなか、何もなくなった日常です、近所を通ればみてしまうのが人情でしょう。陽気もよくて有名人が見られるとあれば、ごく自然に足を運んでしまいます。
とはいえ、どうしてこんな時でも五輪は強行しようとしているのでしょうか。「感染防止を最優先」とはいうものの、いったい何が「最優先」なのか。だいたい、私たちにできることは、マスクや手洗い、人の集まりをできるだけ避ける、ことぐらいでしょう。
わたしはそれこそ、五輪はこれらのことを実践している国民への裏切りのように思えてしまいますが・・・。病気になったら、まずそれをなおすことからではないのでしょうかね。
桜が日本縦断を始めています。
コロナ禍では、一家そろってあるいは友だちどうしで桜を見にいくこともはばかれる時勢になっています。これを「不要不急」というのでしょうか。それでも、温かさと桜の花を求めて動き出すのも自然なことなのではないのでしょうか。
こんな時期だからこそ、桜の花は日本人の心中には大きな「春の景色」になっているようにも思えます。
休日を利用して、故郷に墓参りにいってきました。
墓前では自分が亡くなった父母の年齢に近づいてきたな、と思える時間でもあります。これから、いったいどこでどうしているのやら、いまだに具体的にならない毎日があります。いまは、墓参りのたびにかわっていく故郷の景色に世の中の移りかわりに追いつけなくなった自分自身の気がつきます。内心では「それで仕方のないこと」と自問自答していても、日々年齢は増えていくばかりだということは悲しい現実でもあることに、自然の流れなのだから・・・とあきらめているような日々があります。
そんななか、いつ来ても変わらないものもありました。
帰り道、子どものころよく遊んで神社によることがあります。季節は春で一本の桜が咲いていました。お正月に寄ったときは、枝もなくなっていき「枯れたのかな」と思っていました。子どものころ、この木の下で野球をやったり、夏休みにはラジオ体操、盆踊りもありました。セミをおいかけた木でもありました。ときには近所の夫婦けんかをしている朝を思い出しました。いまごろ、ここから旅だったたくさんの人たちはどんな景色を眺めているのでしょうか。いま亡き人たちのいるだろうこの時間にしっかり根をはって生きていました。
桜の花がこれほどきれいにまだ咲かせて静かに立っている景色は変わっていないことに安ど感もありました。もう一世紀ちかくあるのではないのでしょうか。今はいなくなってしまった父母や近所のおじさん、おばさん、一緒に遊んでいたはずだった友だちがこの桜を見るたびに思い出されるような気がした一日でした。
この時期どこでもたくさんの桜が人々をみつめているでしょう。どんな景色をつくり、壊してきてしまったのか・・・。
毎年、当たり前のように咲きほこる木々に何を感じているのでしょうか。いまでも、当たり前のように、かわらず静かに咲いている桜を眺めながら、「時代は変化を期待しているような流れが歓迎されている」ような日々です。私が墓参りに訪ねるたびにかわっていくこの町にがほんとうに住みやすくなったのでしょうか。ひとはなにか変ることで、なにかを失っていったのではないのでしょうか。
神社にひっそり咲いた桜を見ていると、きっと一人ひとりの心の中にあるのは変わらないものがあるのでしょう。変わってほしくないものや変わらなくては・・・、と悩んで生きてきたのではないのかなかー、と思えます。そのかわらないものの良さを置き去りにしてきた日々が反省させられる桜の花でした。
とうとう3月も終わりです。今月は、世の中は卒業や引っ越しなどがみられる月になってなっているようです。コロナ禍のなかでも、昨年よりも一歩前に出た景色があるように思えます。通勤帰りに、羽織袴のお嬢さんをみかけたり、道路には引っ越し専門の車が駐車していたりと、新しいシーズンがくるんだと思えました。
さて、NHKで大河ドラマ『青天を衝け』が始まりました。内容は、幕末のなか、新しい時代と共に渋沢栄二の生涯を描いたドラマです。日本の資本主義の父といわるる渋沢の生きざまに明治という時代を読み取ることができます。一方でこの時代活躍した人々に、これまでドラマにもなった坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文などの名前が浮かびます。
『青天を衝け』の渋沢栄一もこの時代活躍した人でもあります。
とはいえ、ほんとうにこの時代を動かしたのは、地方の下級武士であることはあまりドラマになりません。むしろ、この時代は一大ターニングポイントになるわけですから、後世に名を残す絶好のチャンスとでもいえる時代であったということも事実です。いま、後世に知ることのできる名前はこの興亡によって残った名前だといえるのだと思います。
歴史の光と影があるとすれば、光の中にあるのは、今私たちが明治維新でしる有名人の名前でしょう。そして影といえば地方の氾濫に携わっていった人でしょう。
今回の『相楽総三とその同志』は明治維新の影に部分で歴史変換をした人々を多くの資料を調査して、世の中に出した貴重な本だと思います。
一つの時代を終わらせることは大変なことだろう。レーニン率いるロシア革命やキューバ革命など、歴史に残るのはその時代に権力をにぎった名前だけである。それでも、新しい時代をつくろうと命がけでその戦線にはいる勇気と志(信念)は並大抵ではあるまい。
そのことを、追究した本が『相楽総三とその同志』という本だろうと思う。 明治維新が達成される瞬間に立ち遭えることさえ大変であろうが、それをやった人たちの物語である。それぞれの人間に信念としてあたえた学問、さらには行動をとおにした人たちの物語・・・。それはまさに人間の興亡の歴史でありと思う。
p68 私(亀太郎)は相楽総三の孫です。実は相楽の死刑が冤罪であることを苦心の結果、漸く確実にいたしましたので、聚集いたした材料によって御贈位の請願もしたく、就いては閣下のような事情を御承知の方にご尽力願えますれば非常な仕合せでございます。又、冤の雪がれることも速やかだろうと思い込んでおります。
p94 慶応二年三月から翌年の三月までの間にいろいろな出来事があった。幕府は二度目の長州藩毛利討伐をやった戦果殆どあがらず休戦となり、長州藩は英国軍艦と戦って苦戦したがこれも和睦が成った。十四代の将軍家茂は大坂城に薨(こう)じ慶喜が徳川家を嗣ぎて十五代将軍となり、勤王佐幕の政治波乱はいよいよ重畳し幕府は見廻り組、新撰組を手先に勤王有志家の制圧に努め、薩州藩会津藩の間には険悪を加えた。
p147 その頃の義兵の挙が悉く失敗したのはいろいろな事情と理由かたであるが、その一つの原因は火器に無関心だったからである。いい換えてみると、国学は興隆したが、攘夷論の行き過ぎが、近代武器に関して盲目であった。
p247 前にもいった如く浪士の中にはニセ者が混じっている。一時の食いつなぎとか、事故があって潜伏するためとか、そういう連中の大抵は、生命の危機を感じ、この数日中に逃げ失せた。それでも極く少数ながら逃げ遅れた者がいた。こうした連中は突撃して血路をひらく気は毛頭ない。そこで逃げ出した。
p280 福井藩の南部彦助は慶応三年十二月上旬、藩命で江戸へ呼ばれ、横浜在留の白人から金を借り出せと命ぜられ、その交渉にあたっていたが、不調に終わったその十八日で帰国の命令が出ないので、常盤橋内の上屋敷に滞在しているうちに、薩邸の焼討があった。
p283 北品川の浄土真宗大谷派の正徳寺(日夜山善水院)の僧で平松理準といって、そのとき年七十二、法澄を次代に譲り、南品川の隠宅に閑居していた。美濃の国、安八郡小野村(現岐阜県大垣市)の専寺に生まれた詩人で歌人である。歌の方は南園といった。
p326 相楽は浪士を集合させ、判明した事情を告げ、「われわれの死処はこの兵庫港かも知れぬからその覚悟でおれ、但し、天朝への御奉公のため、かかる処で死を好むべきでないので、飽くまで京都へのぼるべく百方手段を講じている。しかし、そこまで行かぬうちに開戦となったら、一死報国、全員討死にいたすべく」と演舌し、決心を促した。
p375 落合源一郎直亮は文政十年生まれ、武州多摩郡駒木野の累代関守の家、落合俊雄の子で母を南多摩郡浅川町(現東京都八王子)のうちに、駒木野という字を遺すのみである。
『地球に住めなくなる日』を読んでいたら「2050年脱化石化燃料」「持続化可能社会」という言葉が思い出す。昨年からのコロナ禍のなかであまり表にはでてこなかった環境問題の言葉である。二酸化炭素の排出をできるだけ抑えるための政策なのだろう。二酸化炭素が増えるということは、それだけ地球が温まるということになる。ただでさえ地球は活火山のうえに置かれた地上に住んでいるいうことだけなのである。さらに、海が地球を冷やしているという惑星だというのが実態。
読めばよむうちに「緊急事態宣言」は、新型コロナウイルス感染だけに出すだけでなく「温暖化」にもだせるほどが、いまの地球の状態であるようにも思えてくる。
いっぽうで2050年ころは生きてはいない・・・という本音もある。だから、いまがよければいいのではないかという、まさに一国主義のような発想もあるのもわかる。この気持ちを代表しているのは、資本主義国の富裕層であることも知っている。しかし、この考えは、世界の1ペーセントの富裕層が、残りの99パーセントの世界を支配しているような状態の結果、温暖化なのだということを理解するまでは。そしてその99パーセントの一人として生きていることを知ると、温暖化はよくない、ということもわかってくる。
世界中の温暖化の原因をデータによって調べたこの本をみれば、一目瞭然の環境悪化である。戦争や難民も温暖化が拍車をかけていることも理解できる一冊である。以前に読んだ斎藤幸平の『人新世の「資本論」』(集英社新書)を思い出す。
p17 私たちは変化の勢いに気づくのが遅く、エリート層やその組織のやることを信じてきた。あるいは、温暖化アル・ゴアが環境問題を訴えるドキュメンタリー映画〈不都合な真実〉ぐらいから出てきた新しい話でそんな短期間に事態が悪化するはずがないと高をくくているだろう。自動車に乗り、牛肉を食べる暮らしは変えたくない。あるいは「脱工業化」の概念が浸透するあまり、いまだって化石燃料を燃やす生産活動に支えられていることは忘れているのか。
p35 泥流でなぜこれおほど犠牲者が出るのか疑問に思われるかもしれない。その答はハリケーンや竜巻と同じだ。人間のせいかどうかはともかく、環境が凶器と化したのである。暴風災害にしても風それ自体が生命を奪うわけではない。強風で根こそぎ倒れた樹木が棍棒となり、風にあおられる電線がムチや首吊り綱になる。倒壊する住宅は人間を押しつぶし、自動車は巨大な石のように転がる。
p42 地球温暖化はほかならぬ人間のしわざだ。でもそれを自覚したらといって、絶望する必要はない。背景にはある仕組みは途方もなく大きくて複雑だし、実際私たちは痛い目にあっている。でもその責任はこちらにあると認めれば、それが立ち上がる力となるはずだ。地球温暖化は、まちがいなく人間のせいだ。いま抱いている罪悪感は、受け身から抜け切れない証拠だろう。けたはずれたハリケーン、かつてない規模の飢饉や熱波、難民や紛争の発生――どのシナリオも人間が用意したものであり、いまも続き執筆中だ。
p76 洪水で家が水に浸かり、数千万単位で気候難民が出現する。わすか、数百万の難民に四苦八苦するいまの世界が、それに失われるのは住居だけだはない。地域社会、学校、商店街、農地、オフィス街、高層ビルなど、数世紀前ならひとつの帝国と言ってもおかしくない規模の地域文化が突如として海底博物館と化す。
p98 だが2040年を迎えるころには、2018年のような夏が当たり前になるだろう。当たり前だが「正常」ではない。それは崩壊していく気候が見せる行きすぎた現象であり、急速に進む気候変動の大きな特徴でもある。予測の範囲を大きくはずれた、起こりえないはずの減少が何度発生し、災害を定義しなおす必要にせまれれる。
p109 先進国の大都市で最新設備がそろったマンションで生活していると、そんな日が来るとは、さも信じられない。ほしいものが、ほしいときに、ほしいだけれに入る豊かさが永遠に続く――世界の多くの都市はそんな幻想に染まっている。水は無尽蔵という思いこみは、その最たるものだ。台所で浴室で、トイレで遠慮なく使えるのは、相当の費用と労力をかけた結果なのだ。ケープタウンの渇水は、くすぶっていた対立感情を先鋭化させた。
p118 海流が本格的に研究されはじめた1980年代から、海流の機能不全が気候の不均衡を引きおこす懸念は指摘されていた。要するには暑い地域はさらに暑く、寒い地域はいっそう寒くなることだった。
p124 これまでになかった、いや理解されてこなかった汚染のひとつがマイクロプラスチックだ。地球温暖化が直接の原因ではないものの、マイクロプラスチックは自然界に急速に蔓延しており「人世界」の消費文化の罪ぶかさを私たちに突きつけていいる。太平洋ゴミベルト地帯――。洗濯機を1回動かすと、70万個のマイクロプラスチックが環境に放出されるという。インドネシアとカルフォルニアで売られている魚の4分の1には、体内にマイクロプラスチックが1年間に少なくとも1万1000粒とりこくむことになる。
p133 温度が上昇するパスツレラ・ムルトングを縦断に変えた仕組みはわかっていない。人間の体内にいる在菌のうち、正体のわかっているものはわずか1パーセント。残りの99パーセントは、知識も理解もないまま共生している。長年友好的にやってきた彼らが、気候変動の引き金にして恐怖の病原体に変身する右のだろうか。それは謎だが、無知を慰めにはならない。気候変動の進行で、将来そんな細菌に出会わないともかぎらない。
p155 温暖化の現状がこのまま続けば、2050年までに世界の三つの地域で1億4000万人の気候難民が発生する――世界銀行が2018年に出した予測だ。内訳はサハラ以南のアフリカで8600万人、南アジアで4000万人、ラテンアメリカで1700万人である。
p162 ~とりあげた未来スケッチは、見る者を疲弊させ、ときに絶望させる。あくまでもスケッチである。地球温暖化について、これまで積み上げてきた知識は疑いはない。北極の氷が融け、海面が上昇していることは現実だし、人間が招いた結果だ。でも私たちにわかっているのはここまで。10年前は、気候が紛争に関係しているのは誰も知らなかった。20年前は気候変動と経済成長の関係はほとんど研究対象になっていなかった。50年前ともなると、気候変動それ自体研究されていなかった。
p190 これからの世界は、極端な気象や自然災害が頻発し、ハリケーンや洪水や熱波が発生する間隔が短くなって農作物の生産高も労働者の生産性も落ちるだろう。経済がかつてないほど揺さぶられる世界で、「ショック・ドクトリン」がどこまで通用するのか。答えては見えてこない。それでも欧米一辺倒だったビジネスと金融資本主義の方向性に、少しばかり揺れ始めているようだ。・・・小さくなるいっぽうの利益をめぐる争いが激化し、資本主義の原則がいっそう強固になるのか。過去数十年の動向からそんな推測が出てくるのも当然だろう。
p258 宇宙のなかで地球は特別――そんな感覚があるからといって問題にうまく対処できるわけではない。それでも地球に対して自分たちがやっていることに意識は向く。すべての文明は自滅に向かうという法則めいた話を持ち出すでもなく、人類という集団が下した決断に注目すればよい。いま人類は集団として、地球を廃墟にする道を選択している。
毎日温かくなってきました。温かさと一緒に花もたくさん咲きはじめ、散歩道では目を楽しませてくれます。今週、桜は満開になっています。桜の咲く道にはコロナ感染に注意しながら歩く花見の人を多く見かけます。自然はコロナであろうとなかろうとしっかりと根をはった木には花をつけます。
コロナ禍でも咲いた花の中、人をさけて墓参りにでかけたついでに、昔よく野球をして遊んでいた土地の人にあいたいと思い歩いていました。
子どものころは、住んでいた近所には雑貨屋さんが3店舗ほどあったのですが、今はありませでんした。あるのは、きっとご家族の誰かが住んでいるのでしょうか、宅地になっていました。それでも、お店の前だけは昔のおもかげを出しているいるお店もありました。ここの、前でお菓子を買ったなあーと思い出がよみがえります。
ちょっと悲しいのはどこにも昔のおもかげがなくなっていました。
すべてが変わったかいませんでした。
春はもうきているようです。あたたくなってきました。ツバメもみる陽気にもなってきました。
どこでもですが、変わっていくもの、変わらないものせめぎあいがあるようです。明治維新では、権力争いでの興亡があるようにせめぎわい・・・。
大事なことはそんななかで一番動いているのは名もなき志高い人たちであることがよくわかった『相楽総三 その同志』でした。
それでは今回はこの辺で失礼します。くれぐれも感染には注意していきましょう。
読んでくれた人、ありがとうございました。