日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

春闘といいますが…

2008年02月17日 | Weblog
 季節は日一日と昼の長さが延びてきているようです。温かさもわかってか、花の色も少しずつ濃さをましていきます。花屋の店頭にはチューリップがかざってありました。
 すこしずつ温かくなっていくのを咲く花の種類がおしえてくれている様子です。
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さて今週は職場で休む人が多い一週間でした。働いていると、同僚の当日休はよほどの理由があるのでしょう。病気とか身内の不幸とか仕方のない当日休をとるのは誰しも同じです。一方出で職場は作業ノルマと人員のバランスがくずれてしまい大変忙しい一週間でもありました。
仕方がないことでは…、頭では理解はできていても現実には休んだ人にたいして憎しみがこみあげてくることもあります。1カ月前から予定を組んでいた海外旅行に行く人がいると困ったものだと思えてしまいます。今週はずっとその思いが頭から離れませんでした。やりきれない……ネ。
これで「育児休暇」や「介護休暇」を職場でとったらどうなってしまうのだろうと思えてしまいました。まだ職場では取得した人がいませんし混乱がまきおこるのではないかと思う気がします。法律ではあるが本当に職場では成立しているのか?という気さえします。現実、休まない人は多くの残業をやりノルマを消化する毎日が待っているわけです。
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 2003年に「育児休業法」が成立しましたが、実際の所得率は2005年度では0・50%だそうです(朝日06年9月3日)。国の目標としている10%とははるか彼方という数字がでています。理由として「男は仕事」という意識や「職場に迷惑がかけられない」などがあげられています(同新聞)。まして、ぼくが職場で思うように他の人が残業増になっていまうのでとりずらい理由だということではないかと思います。目標はあくまで目標で、実際はそれどころではないかと思います。
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 今年2008年春闘で「ワークライフバランス」という言葉を聞きました。日本語では「仕事と生活の調和」といっています。2007年度の経済財政諮問会議の第1次報告書では①多様な働き方の権利を含め、②税・社会保障等、働き方に中立的な制度をあげています。
 要は働きつつ、子育てを可能にしていくということでしょう。
 しかし、現実には長時間労働を筆頭に自殺の増大、ストレスがたまり心身障害を引き起こすなど報道されています。
 最近、やっとファーストフードの店長が残業代未払いを勝ち取ったばかりです。それだけ、経営者は賃金を払いたくない…ということがわかります。
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 各企業では春闘がはじまっています。大手企業は少ない賃上げを目標にがんばっているところです。しかし、企業では増益分を払おうとしません。増益分を設備投資や株主配当へ遣うといっています。生活は4月以降に物価は上がるといわれています。これでは、教育費、育児費、住宅ローンでせいいっぱいの生活がますます苦しくなると思います。
 それでも春闘ができる企業は幸せです。怒りのほさこきがあるからです。春闘がない、できない会社はつらいのです。私の会社も組合があるのですが弱い気がします。
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 最近思うことが新聞のコラムにあった言葉をかりれば「会社は従業員を愛していますか」ということです。
 とくにこの季節に強く感じる言葉です。
 さて、来週はいったいどうなるのでしょうか。
 *読んでくださった方、ありがとうございました。

心してうまいギョーザが食いたい<

2008年02月11日 | Weblog
安心して中国ギョーザを食いたい
 毎日、寒い日が続いています。
今回の連休に一日利用して低山歩きをやろうかと思っていたら、雪…。低いといっても山は山です。それなりの雪もつもってれば危険も普段の何倍にもなります。寒さがいいのですが、雪が多く残っていた場合、体力も普段の何倍も必要。
 体力と技術力がないと思い、行くのはもう少し天候がよくなるきざしがきたらということにしました。それにしても、今年は関東地方では雪が多い年ですね。
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 さて、今週は「中国製冷凍ギョーザによる中毒事件」の報道が朝から晩まで報道されていた1週間でした。私にとって、ギョーザは大好きな食べ物なので気になっていました。家庭や職場でも会話にはか必ずこの「ギョーザ事件」の話が出てきた週でした。
 私の弁当にもときどき、この冷凍食品のおかずが入っていることもあり、気になっていました。職場では、騒がれる以前「中国製冷凍ギョーザ」を生協で購入し食べた人もいました。「味がちょっとオカシイと思った。一口食べて止めた…。あのとき食べていたら僕もきっと中毒症状になっていたのかも…」という声もききました。
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いまや、中国製冷凍製品はめのかたきのようです。しかし、「冷凍食品」は多くの商品がでまわっていますね。気になってぼくも、わは家の冷蔵庫の冷凍庫をみたみたら、「うどん、コロッケ、てんぷら、春巻き等など」と多く入っていました。それも、製造工場は中国で圧倒的でした。
 どうしてこんな結果になってしまったのでしょうか。
 買う理由として、安い、保存がきく、たくさんの種類のものがある。さらに、時間ががかからないなどの理由があるのでしょう。まして、時間に追われている平日、家族で食事をする機会が少なくなっていれば一人分で簡単な「チンもの…」で片付けてしまうのでしょう。それで、美味しいものであればなんら問題がありません。
 今回の事件があってあらためて「冷凍食品」が問われるくらいで、きっとなにもなければ考えていなかったでしょう。
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ちなみに、「日本の食料自給率は4割を切り、残る6割の食料の大半を米国と中国から輸入。中国からは特に野菜や魚介類の依存度が高い」(毎日新聞2月5日)との報道されています。また「輸入調理品も年々伸びて、国内消費量の43%も占める」ようになっている。輸入食品の行き先は、外書産業、やスーパーの総菜などに多くなっているそうです。
 いつからか、日本は農業国から工業国に変身してしまって、自分の国の食料を自国でまかなえない状況になっているわけす。とくに驚くのは、海に囲まれた国であるのに魚介類が外国輸入に押されているということには驚きます。
 現実、企業は広大な土地をもって、安い労働力、さらには安い原料となればだれが考えても中国やタイなどで生産したものを船で輸入してほうが安いという理由で利益をあげると思います。まして競争、競争の規制緩和の企業では「食の安全」を忘れ、利益誘導の方向になってくるのではないかと思います。今回、国内でも食の偽装でさわがれ、食品は安全かとい意識が多くの人に持たれるようになったことで考えさせられる事実がつきつけられたということではないかと思います。
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 今回、食の安全も危ぶまれる時がとうとうきたように思います。それも、生命を維持するための栄養源でも食からこのような事件がおきてしまったとういうことが非常に残念なことです。もう「自己責任」の限界は超えています。あらゆる中国製の食物にはなんらかの農薬や薬品が混入されている状況であると思っています。
 時代は無農薬野菜、有機農法などといっても中国ではまだまだ、そこまで達していないように思えました。(やれば、野菜の食は安全になるが値段はあがるでしょう)
 余談ですが、今回の事件で53年前に日本で「森永ヒ素ミルク中毒事件」を思い出しました。食品会社がつくった粉ミルクにヒ素がはいっていた事件が間で多くの中毒患者や死亡者を出しました。これも、森永の利益優先の結果なのでしょう。
 今ほど、衣食住には国が責任をもつべき問題に対して無責任時代がきているような気がします。そして企業優先の時間がまたしてもきたいるように思います。歴史は繰り返す…ようです。

森永ヒ素ミルク中毒事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
森永ヒ素ミルク中毒事件(もりながヒそミルクちゅうどくじけん、森永ヒ素ミルク事件とも)とは、1955年6月頃から主に西日本を中心としてヒ素の混入した粉ミルクを飲用した乳幼児に多数の死者、中毒患者を出した食中毒の事件のこと。

1 事件の概要

[編集] 事件の概要
森永乳業徳島工場が製造した缶入り粉ミルク(代用乳)「森永ドライミルク」の製造過程で用いられた添加物・工業用の第二燐酸ソーダ中に不純物としてヒ素が含まれていたため、これを飲んだ1万3千名もの乳児がヒ素中毒になり、130名以上の中毒による死亡者も出た。

1955年当初は奇病扱いされたが、岡山大学医学部で森永乳業製の粉ミルクが原因であることを突き止めた。実際には森永乳業が1953年頃(昭和28年)から乳製品の溶解度を高めるために、安価であるという理由で工業用のヒ素を触媒にして作られた化合物を粉ミルクに添加していた。森永乳業製の粉ミルクの購入には医師の処方箋が必要であった。1955年8月24日、岡山県を通じて当時の厚生省(現厚生労働省)に報告がなされ事件として発覚することとなる。

1956年当時の厚生省の発表によると、ヒ素の摂取による中毒症状(神経障害、臓器障害など)が出た被害者の数は、12,344人で、うち死亡者130名と言われているが、当時は障害を隠す傾向が強かったこともあり、これ以上の患者が発生したことは確実である。また、認められた患者についても消費者の権利が確立されていない時期でもあり、満足の行く救済措置がされない患者は多かった。

患者は、現在も脳性麻痺、知的発達障害、てんかん、脳波異常、精神疾患等の重複障害に苦しみ、手足の動かない身体をかがめ、皿に注がれたお茶を舐めるように飲むなどの日常を強いられている。また、就職差別や結婚差別を受けたり、施設に封じ込められたりした被害者や、ミルクを飲ませた自責の念で、今なお精神的に苦しんでいる被害者の親らも多い。

なお、森永側が原因をミルク中のヒ素化合物と認めたのは、発生から15年経過した1970年の裁判中のことである。その際、森永側は、第二燐酸ソーダの納入業者を信用していたので、自分たちに注意義務はないと主張していた(納入業者はまさか食品に工業用の薬品を使用するとは思わなかったという)。しかし後に、国鉄仙台鉄道管理局がボイラー用の「洗剤」として、森永と同様、日本軽金属が生成した第二燐酸ソーダを使っていたにもかかわらず、使用前の品質検査でヒ素を検出し返品していた事実が明らかとなった。「食品」としての品質検査が必要ないと主張していた森永の態度は厳しく指弾され、1960年代には、森永製品のボイコット運動が発生した。当時、森永は乳製品の売り上げでは明治乳業、雪印乳業をしのぐ企業であったが、裁判が長期化したこともありイメージダウンは拭いきれずシェアを大きく落とした。
一審では、森永側全員無罪というものだったが、検察側が上訴。刑事裁判は1973年まで続くが、判決は過失の予見可能性判断において危惧感説、新々過失論を採用し、元製造課長が実刑判決を受けた。ちなみに危惧感説、新々過失論が採用されたと見られる裁判例は本判決が唯一である。一審の判決が衝撃的だったため、被害者側は民事訴訟を断念。のちに後遺症問題が明らかとなるが、その際も森永側は長らく因果関係と責任を否定した。
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*読んでくださった方、ありがとうございました。

携帯電話を替えいました

2008年02月03日 | Weblog
久しぶりです…
 2月に入りました。久しぶりに書いています。
 暦の上ではもうすぐ立春です。少しは温かくなって…といきたいところですが、今日、東京はイキナリ雪になっています。これから本格的に寒くなってくるのだろうと思います。大分県で天気のいいなか、別府マラソンをうらやましく思い見ていました。せいぜい、カゼなどひかないようにしたいものです。
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 さて、今週は6年間使っていた私の携帯電話を交換しました。今まで使用していた携帯電話がいくら充電を繰り返してもすぐにバッテリー切れをおこしていました。とうとう寿命か…とガマンして使っていたのですが、先日、出勤途中のJRの車両故障で出勤が遅れると連絡をしようとしたとき「バッテリー切れ!」という始末。それでは、と思い公衆電話からかけようと思ったらなんと少なくなったというのか、見当たりませんでした。結局、ついてから事情を説明した次第であります。
 しかし、携帯電話、6年前、娘の交通事故の時は出勤途中で連絡をもらって移動先から娘の顔をみるまでの時間、大活躍してきた携帯電話でした。
 思えば、「携帯電話」という道具はいまや生活の必需品となっているように思えものでした。
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 それで、娘が就職を機会に買い換えると同時に私の携帯電話もかえることになりました。当初、新機種で、電話、メールさえ出来ればいいと思っていましたが多くの機能があるのには驚いてしまいました。
その一つに「ワンセグ」という機能。移動中にテレビが見られるもの。この機能本当に必要なのか?。バッテリーがいくらあってもなくなる。
 さらにゲームソフト。よく通勤帰り若者が携帯でゲームをやっていることを見ることがあるが、小さな画面をにらんでは一生懸命やっている。あれじゃ目が疲れるだろうに……。これもいらない。
 さらにさらに、「おサイフケータイ/トルカ」という機能。買い物をしたとき現金に変わってカード同様に使える機能。これこそいらない。自分の手のなかに現金がなくてもモノが買えるということだろう。
 とまあ、いろいろな機能が複雑多用な形で一台の携帯に押し込まれている。そしてこれを使いこなすためにマニュアルが500ページ近い。ここ一週間、他のことには目もくれず読んでいたら初期設定が「シンプル画面設定」であったためマニュアルが説明していることがなかなか出来ない。なんで?なんで?と読み直しても???。
 娘に聞いたら、「このマニュアルは全部使う人の説明でシンプル画面設定では使えないよ」ときた…。どうりでできないと思った。わたしが愚かなのか、それても現代の人々が500ページのマニュアルを使いこなすほどになっているのか……。
 それにしても、触れば触れるほど忙しさが増してくるように思える最新式の携帯電話に驚いていました。
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 携帯電話……30年ほど前は……大会社の社長さん役員さんが、高級車の座席から静に会社の仕事の打ち合わせかプライベートかわからないが会話をしているシーンが浮かんできます。そのとき、「あの電話が身近にあればさぞかし便利だろうなあ」などと思っていたしろものでした。あれがあればまず、目的地で人に会えないことはなくなるだろうし、持ちぼうけなんて言葉も死語になるだろう思っていたら、本当に実現したのには驚きました。(オジさんの弁明)
 それにしても、これが企業戦士にもたされたら寝る時間もないほど働かされるだろう…と思っていたら案の定、「過労死」という言葉がここ10年の間に登場していきました。企業にとっては、携帯電話の経済効果はすごい効果を生んだことでしょうネ。
 この超便利な道具がいつの間にか、自由を解き放つものから拘束される道具に変わってしまったように思えるのは考えすぎ??
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 いずれにせよ、携帯電話の普及率はすごいものです。マナーもクソもあったものじゃない。何が必要で携帯電話をつかうのかつくづく考えてしまいました。
 「モバイルコミュニケーション」という言葉があります。よく言えば、携帯電話でできるコミュニケ―ソン効果がどれだけ人と人の関係をいいものに出来るかとうことだろうと思います。携帯先進国のフィンランドやスエーデンなどの事例はいったいどうなっているのでしょうか。
 きょうはこのへんで。
 *読んでくださった方、ありがとうございました。