日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

連日の用事終え…、休日終わる

2011年10月30日 | Weblog


 さすがに10月の末ともなると寒くなってきました。事実、今週に関東地方にも「木枯らし1号」が吹きました。
 秋の夕暮にも、どこからか「月の砂漠」のメロディーを流して灯油販売車が通りすぎていきました。
 わたしの、頭のなかにジャズの「枯葉」が浮かびました。コートを襟をたて、誰を思うか、静かに枯葉を踏んで歩く…。犬の糞を踏んだことの方が現実的ですが…。

 いよいよ冬到来ですね。
 つらい朝の始まり…。それでも仕事に遊びに起きて一日の務めをこなしていくのだろうと思いますが…。

 さて、今週はタイで大洪水によって、浸水が話題になっていた。チャオプラヤ川が氾濫した。日本の多くの企業(日系企業約100社)操業している。それもNECや小穴ソニックなど電子部品をあつかう一流企業がめだつ。安い労働力と土地の利点をいかした資本の移動でもあった。しかし、利益を得たメリットはあったものの、この洪水になるデメリットは考えられていなかったのだろうか。

 今回の洪水によって工場などが水没した。それにしても、不思議に思うことは、雨が降れば、川に水があふれ、それをコントロールする治水整備などがあっていいもの…。しろうだって、わかるようなことをなぜやっていなかったのだろうと…。

 初めてのことではあるまいに…。
 労働力が安い、それで多くの利益はいいが、足もとの整備がなかったわけだ。
 まさに、タレ流し状態の足もと悪い土地で操業していたということだろう。日本の企業が落す税金で、タイは利益を得たことで、治水整備の政治もできたはずだったのに…。よく聞くインフラ整備だろう。いったい、なにをしてきたのだろうと思った。

 日本の企業は、状態がわるくなれば、立ち去ってしまえばいいがタイの住民は永遠に続く。そう考えるとタイの政治も悪いが日本の企業も立地している足もとについても、もっとカネをだせばよかったのにと思った。
 バンコクでも満潮で洪水がさらに悪化しそうだ。油断はできない状況はいまも続いている。

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福島第一原発事故の放射能がじょじょに足もとにせまっているような毎日のニュース。世田谷でも放射のが高い数値をだした。広範囲に放射能の影響がでてきている。
 柏でも同じに、残土におおく含まれていた。その、表面のを削った残土の置き場もままならない。
 当面、福島に…と政府が要請するようだ。

 さらに、事故を起こした原発を完全に廃炉にするのに30年かかるという。なんとも、ながい間、いやなヤツとのお付き合いということになった。こんなもの30年間同居する…。
 事故は一瞬で、その影響は30年間。今年産まれた子どもが、やっと一人前になった時期に廃炉になるまで同居する意味。すべてのつけが、何にも知らされていない人になる。私も同じだが、大人はいったい、何をしてきたのかと罵倒されても仕方があるまい…。

 きっと私は死んでいるだろうが、問題は残った今の子どもたちだろう。現時点で賠償問題がでているが、30年間に少しずつ出てくる放射能の病気にどう、賠償していくのだろうかと思うと、東電は、賠償金を支払うため、整理しているが、税金でも払うように要請した。

 またしても、税金がでてきた。一企業の賠償でこれおほど、使うお金の事を考えると「年金」はほんとうにもらえるの?とも思う。
 東電は病院でもつくった方がいいだろうと思う。


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 さて、月末は本の紹介です。今月は、小説がありませんでした。
 会社のロッカーを整理していたら20年前くらいに買った「豊かさとは何か」という本が出てきました。
 よみ終えたら、「ちっともかわっていないなあ…。かわったのは原発の事故がレベル7という、最悪の状態になったことくらいかな」と思えました。
 20年もまえ、誰がこんな年になるだろうと想像したのだろうか。

 いや、いました。原発事故の危険性を訴えてした人がいました。
 時すでにおそしの感はありますが…。それでも、月一冊のわり合いで付き合っていくしかありません。







安全登山ハンドブック/森下敏雄著/羽衣出版

【内容】

 これから登山をやる人にわかりすい解説書。著者自身のながい経験のなかから、必要な基礎知識を紹介している。
 山に行こう!と思ったとき、何から始めたらいいのか、順を追って紹介してわかりやすくしている。実際、華美なものは必要はいらない!という、必要不可欠なものだけ、身軽な登山をする人のとってはこころ強い一冊だ。

【感想】

 山に登る時いちばん大事なこと…。
 健康な体力。さらに、楽しむための条件づくり。
 ただでさえ、頂上をめざして悪戦苦闘し歩くわけだから、楽しみがを探さないとやってられない。それには、なんにつけ「安全確保」を考えなければいけない。けがや病気になっては、つらい登りにさらに苦しさがつく。それでは山歩きなど、行きたくない…となってしまう。

 できるだけ安全確保は「危険を回避」することが大事。そのための基礎知識も必要なところ。それを、とてもわかりやすく、経験を通しているからいい。
 山に行く前、行った後、時間をつくって何回も読み直しても一冊だと思った。
 派手さはいらない。山ガールのようになる必要もない。自分の装備からどこまでの高さの山に登れるかを考えさせてくれる一冊でもある。

凛と咲く(なでしこジャパン)/日比野真理著/KKベストセラーズ

【内容】

 今年、最高のニュース「なでしこジャパンW杯で優勝」。
 日本に女子サッカーができて30年。その30年のなかで、多くの実践を重ねて、とうとう頂点…。彼女たちの軌跡を追う一冊です。
 外国人に比べて、小さな日本人がなぜ優勝できたのか、それにはどんな作戦が選手に課せられたのか…、さらにそれをどう、克服したのか。
 人は過去に戻れません。しかし、未来に向けて過去から学ぶことができます。

 今回のW杯での選手のモチベーションも著者と選手の付き合いの深さをもって紹介している。女子でもこれだけできるまで、どんな困難にったちむかい、克服してきたのか、興奮するだけでなく、この一冊で納得のいくものにしたい人におすすめです。

【感想】
 
 あのときの興奮はまだありますか。
 東日本大震災、原発事故と日本中が疲弊しているとき、ドイツのフランクフルトのピッチで大活躍したなでしこジャパン。彼女たちの活躍は「日本の女ってすごいことをやるな!」と思った一瞬でした。

 アメリカとの決勝でのコナーキックを見事に同点ゴールにした澤選手の逃げながらのキック。ドイツ戦での丸山選手の倒れながらの勝利を決めたシュート。小さな身体の全部をつかったシュート。抱きしめたいくらいの興奮でした…。

 日本サッカー協会によると、日本女子リーグが発足したのは1989年。2000年シドニー五輪の出場権を逃し、景気の低迷によって企業チームが撤退が相次ぎ「冬の時代」に。2004年になでしこリーグは開始されるものの、一試合の平均観客動員数は912人となっている。企業の利益に左右される存在だったといいます。今も、その影響は免れていないのが現実のようです。

 そんなことを思うと、それにも負けず、一人ひとりの選手が生き残りをかけて、外国のプロリーグと契約してきたり頑張りには、この日のためにあったものだろう。冬の寒さを誰よりもしっている人だからできたようにも思える。

 あきらめない…その強さもすごいものだと思う。私が生きている間に、夢のような時間だったように思えました。
 そんな興奮を、読んでもた思い出した一冊でもありました。
 サッカーの好きな人なら、女子であれ、男子であれ世界で活躍する選手を応援したいことは同じです。でも、今回、女子の活躍には脱帽!!
 すごいとしかいえません。小さな選手ができるものを出しつくしたものだと思います。これまで、日本代表のユニホームをきて、頑張って支えてきてくれた多くの女子サッカーの人たちもえらい!!感動できました。


日本サッカー協会 ※詳細はこちらでどうぞ。


子どもたちに伝えたい-原発が許されない理由/小出裕章著/東邦出版

【内容】

 日本には「原子力ムラ」というものがあるそうです。そのなかで原発推進に頑張ってきた知識人、文化人、政治家、企業があるそうです。
 そのなかでも、この推進の人たちに真っ向から反対してきた人が小出裕章さんです。それも、原子力の危険をいちばん知っているいる人でもあります。

 とくに図を多めに使って解説されていることで、原子力発電の内部までがわかるようにできています。子どもでもわかりすく解説されていています。
 今回、事故が起きた福島第一原発と同じ原子炉の解説、そしてその危険性が素人との私にもわかりすく解説されている一冊です。

■目次
第1章 原発の誕生と現実―恐ろしい“兵器”(344機が爆弾を落とした東京大空襲
2発の原子爆弾で30万人が死亡 ほか)
第2章 それでも原発をやめない理由―大人たちの様々な思惑(お湯を沸かし海を温める原発
すぐに止められない ほか)
第3章 人間の力では対応できない―事故の実際と訪れた悲劇(SPEEDI(スピーディ)の計算結果を隠す
避難地域の悲劇 ほか)
第4章 私たちがなすべきこと―未来へ向けて(校庭の土を剥ぎとる
第一次産業の守るために ほか)

■小出 裕章
1949年、東京の下町生まれ。1968年、東北大学工学部原子核工学科入学。1970年10月23日、女川原発に反対する集会に参加し「反原発」を決意。1974年、東北大学大学院工学研究科修士課程修了。同年、京都大学原子炉実験所原子力基礎工学研究部門助手(現助教)に。以来37年間、大学教員


【感想】

  毎月一冊、原発事故以来、どんな本でも読んでみようと思っているなかの一冊でした。
原発事故以来、匂い、色、形もない放射能という気体に悩まされる日々が続いています。そして、その危険性はニュースでも報道されています。それでも、どうして、どんな風にしてつくられるのかよくわかりせん。
 そのえたいの知れないものを、どう形にしていくか……ということを念頭において読むと、具体的に図表を用いてわかりやすいように解説したのには、著者自身の「原発反対」の意気込みが伝わっているかのようです。そして、今起こっている土壌汚染にもふれて、今後どうなっていくのかという指針もwかるようにできているのには感心しました。

 強いていえば、この読書はえたいのしれない危険なものを、よりモノとして考えていくかという作業でもあると思えました。
 確かに、放射能は危険極まりないしろものであることは著者も警告しています。でも、怖がるだけでは、何の解決にもなりません。その本質をみていかなかればいけないように思えた一冊でした。


豊かさとは何か/暉岡淑子著/岩波新書/1989/9/20発行

【内容】

・日本人の豊かさは、じつは根のない表面的な豊かさにすぎず、板子一枚下には地獄が口を開けており、砂上の楼閣のyぷなもろさにぜいたくが崩れる予感を、多くの日本人が、心中ひそかにかんじているのではないかと思われてならない(p7)

・家族との団らんも、文化的な楽しみも割愛して、彼にとっての家庭は、ただ、寝に帰るところである(p11)

・ひとは経済的戦士となるべく育てられ、企業戦士として生き、老後や病気は、自己責任で始末しなければならない(p14)

・自己責任のまえには社会的責任が果たされているのである=ドイツの例(p37)

・イライラの原因は。「時間に追われる」の次に「いろいろな種類の仕事を同時にやらなければならない」(p122)

・出世の道は、他人より早く出社し、他人より遅く退社し、有給休暇もとらないことだ、といまだに言われている(p135)

暉峻 淑子(テルオカ イツコ)
1928年大阪府に生まれる。1963年法政大学大学院博士課程修了。専攻は生活経済学。現在、埼玉大学名誉教授


 いまから22年前に岩波新書から出た一冊。
 ちょうど経済も活発で震災もなく、経済大国・金持ち大国ニッポンを謳歌していた時代の本である。著者はそれでも、それが本当に働く人間にとって謳歌できるほどの豊かさというものだろうかと疑問を投げかけている。

 実際に働きすぎて「過労死」もあり、これが本当に「豊かな国」のやることか?という疑問をなげかけている。
 その現実を当時のドイツと比較検討して証明し、日本の豊かさのごかしの謎解きを解明した一冊でもある。

 モノとカネがあふれる世界一の金持ち国・日本。だが一方では、環境破壊、過労死、受験競争、老後の不安など深刻な現象にこと欠かず、国民にはゆとりも豊かさの実感もない。日本は豊かさへの道を踏みまちがえた、と考える著者が、西ドイツでの在住体験と対比させながら、日本人の生活のあり方を点検し、真に豊かな社会への道をさぐる。


【感想】

 22年前、私はこの一冊を手にして読んでいたんだろうと思う。じじつ、本の中味には、線がひいてあったり、書き込みもある。会社のロッカーを片付けてみつけた一冊。再度、読み返して思った。

 政権は民主党に代わっても、労働者の生活は少しも変わっていない…と。
事実、今月、最高裁で「派遣男性自殺」で光学機器大手のニコンの工場に派遣された男性が「過労死で自殺」という判決が出されている。ニコンと派遣請負会社アテスト両社に1億4千万円の損害賠償が出された判決がでた(22日・朝日)。そして、そううつ病も増えつづけているという。いったいこの国は、何を学んできたのかと不思議に思う。さらに、それをとりこむ、「連合」という労働組合はいったい、どう機能しているのかも疑問に思った。

 さらに原発事故で修復に携わっている労働者の危険もいわれている。今後も減ることはあるまいと思う。
 事実、最近の資本に対処すべき労働組合もボランティアはするが、働いている現場にはどう対処しているのかわからない…。すべて「自己責任」によって解決させようと洗脳しているように思える。
 年金問題にしろ、この国の老人は、いつになったらゆっくりできるのだ!!。

※作家の北杜夫さんがなくなった。好きな作家のひとりだっただけに残念(合掌)





 連日(土・日曜日)に他人本意の用事が重なった週でした。やっと、日曜日の午後完了。
 こんな時もあるものだとあきらめた。
 ちなみにこの週末には自分本位の用事としてあったものが近所の美大の「芸術祭」に友達と行こうとしていたことだった。

 芸術の秋をそこで安くあげようとしたのが悪かったのか、運悪く11月だと思っていた法事の連絡が一週間前にあった。こればかりは、どんな用事があろうと出席しないと思いつつ出席だった。そして土曜日は、2時間ばかりかけて法事となった。

 思えば、全員が揃うのは最近ではまったくない。いつも誰かがいない…ということだった。なんせ8人兄弟(長男は死去)。
 会話のなかで、全員がそろうのは珍しい…とうこともあった。そして、中味は高齢者ばかりなので病気のこと、治療中のことなど、病院の待合室のようなものだった。

 それでも、全員どうにか無事な日をむかえ、出席できたことに感謝の一日だった。

 翌日、朝からマンションの定期総会。
 いっときもめた、補強工事も無事終了して、今年は活動報告と会計報告が大半であった。こういう時期もある。わたしの番ももうそろそろである。(輪番制)
 いつも思うのだが、会計報告の数字の行方が、いまひとつ理解できないのは私だけだろうかと思うことがある。とにかく、これも全員の賛成で承認され、終了する。

 久しぶりに顔ぶれもあった。マラソン好きなYさん。犬のすきなMさん。相変わらず、いそがしそうなOさん。みんな、久しぶりである。正直、この人たちは初回からいつも顔を見せる人たち。会社の帰りにも会うこともある。しかし、じっくり話したことがない。

 来期はどんな課題がもちあがってくるのだろうかと思いつつ、二日目の用事が無事終了した。
 駆け足の用事だった。それでも、終了後、散歩に出かけた。およそ2時間ばかり多摩川にいった。元気な老若男女がスポーツを楽しんでいた。このパワー、明日からまた私がもらう静かな午後だった。

 お疲れ様でした。
しかし、正直なところ休みくらい自分本位の休みがいちばんいい…。

休みが終わり…
また、始まる仕事に追いかけられる毎日がはじまる。
*読んでくださった方、ありがとうございました。

10月も終わりに…思うこと

2011年10月23日 | Weblog


◎「脱原発政策」から首相交替でその行方が気がかりになってきた!。

 雨が連日、続くとさすがに寒くなってきました。そして、今年の雨は、普通じゃないほどの被害をつくっています。台風の大雨が紀伊半島を襲った被害。
 そして、タイでの洪水…。
 移転した日本企業は大打撃をこうむっています。
 企業の被害も大きいが、それよりもそこに住む市民の生活の方がはるかに大事なことはいうまでもありません。

 地震、台風、洪水と自然の猛威が人類を大きく揺さぶった年でもあります。それに、原発事故とますます、住みずらい地球環境が身近になっているように思えてなりません。

 そういえば、最近は地震が少なくなってきました。その、変りに相変わらず、福島第一原発事故の処理について連日ニュースが流れるようになりました。

 菅直人前首相の後継政策をやるのかも思いきや、野田首相はだんだんと「後世につけを回さない」という発言はいいが、「原発推進」も発言をするようになってきやのに気がつきます。「安全を徹底的に」ということを年頭に『再稼働』のもくろみが現実化していくのか…と思えます。
 「安全」なんかない…はずなのに。

 危険避難区域を20kmから30㎞にしたところで「危険」にはかわりないし、被害は福島原発事故をみればわかるはずなのに、あきれてしまいます。

 事実、20日福島県議会では「福島にある全原発を廃炉にする請願を採択」とのニュースが伝わってきました。被害当事者県民は「安全などない」ということを、身をもって知っているから大きい採択だと思います。
 まして、最近の野田首相の「維持・推進のの原発」と傾いてきた発言に警鐘をならしているような県議会採択は重いはずです。

 それでも「無視」を決める、民主党や自民党はどう考えていくのだろうかと…。
 事実、最近では福島県いがいでも、放射能被害が伝えられてきている。
 東京の葛飾では5・47マイクロシーベルトの放射能が調査している団体によって報告されている。また、柏でも毎時57・5マイクロシーベルトの高放射能が検出された。それも、子どもたちが遊ぶ公園でのことだ。

 そのための除洗で対応が急がれているが、除洗された土の行き先もきまっていないありさま。
 …という、1週間だった。
 今後、いったい原発の危険の行方はどうなっていくのか注目していきたいと思った。




今日までそして明日から
作詞:吉田拓郎 作曲:編曲:吉田拓郎


私は今日まで 生きてみました
時には誰かの 力を借りて
時には誰かに しがみついて
私は 今日まで 生きてみました
そして今 私は思っています
明日からもこうして 生きていくだろうと

私は今日まで 生きてみました
時には誰かを あざけ笑って
時には誰かと 手を取り合って
私は今日まで 生きてみました
そして今 私は思っています
明日からも こうして 生きていくだろうと

私は今日まで 生きてみました
時には誰かに 裏切られて
時には誰かと 手を取り合って
私は今日まで 生きてみました
そして今 私は思っています
明日からも こうして 生きていくだろうと

私には 私の生き方がある
それは おそらく 自分というものを
知るところから 始まるものでしょう

けれど それにしたって
どこで どう変わってしまうか
そうです わからないまま生きて行く
明日から そんな私です

私は 今日まで 生きてみました
私は 今日まで 生きてみました
私は 今日まで 生きてみました

(LIKE ROLLING STONE1970~1974・吉田拓郎/SONY MUSIC)アルバムより

 一年も残すところ…という時期になってくると、今年はどんな一年だったのだろうかと思い返す日々もある。
 ときどき、私に簡単にかわりそうもない生き方について、仕事仲間がしくじりをなじりつつ、生き方まで変えるようなことを言う。
 そんなとき、ムカッ!と思う日もあることに気づく。

 まあ、「言わせておけばいい…」と思いつつ、やはり自分の人生はこれでいいのかなあ…と反省する。

 少なくとも、文句ともいえる助言をした人は笑いとばし、まじめに真剣に言ってくれた人の言葉には悩んだりしたり、とごく普通な生き方をしているつもりでいた。
 けっきょくのところ、自分の人生は自分で決めるしかないようです。それが、時に他人の力にしがみついて、時には裏切られてしたり…と、人生悲喜こもごものようだ。
 
 まさに『今日までそして明日から』の詩のように。
 なんであれ、始まりがあり、終わりがあるようです。

 今週、リビアのガダフィ大佐の死亡ニュースが大きくのっていた。豊富な石油収益を背景に42年間にわたりリビアの権力をにぎってきた人間の最期でした。今度は反カダフィ派が新政府を発足させようと、また権力闘争がはじまるのだろうと思った。
 悲劇を多くつくった人間にとっての、最期も悲劇の銃撃で倒れた状態。これが、新しい悲劇の、終わりの始まりでもあるのかもしれないと思えた週でもあった。

 繁栄と没落…その繰り返しもまた人間の歴史でもあるのでしょう。大きな富を得るために権力闘争にくれるひと、ささやかに人生を送る人。その、一人の人間にはさまざまな生き方があるのでしょう。今日いきて、また明日から…歌のフレーズそのままです…。

※今週は「私の思い出の一曲」は吉田拓郎でした。この一曲をきくと、「また、明日からがんばろう…か」と思いになってくる。一人の人間には、語られてはいない人生模様があるのだろうと思う。

 「生きているだけでまるもうけ…」なんて、言葉があったような気がします。
 今の若い人にはこの曲は、きっと古いのだろう。でも、私にとっては、いつも新しい思いをつくってくれる曲でしたので、紹介しました。
 ボブディランの「風に吹かれて」に、似ています…。、
 「決断」したとき…「反省」したとき…この繰り返しのなかで、また生命ある限りいきていく…。そんな思いのする一曲でした。






◎「信用」はながーい歴史のなかヒトがつくるもの


 仕事でいちばん大事なことは「信用」。他人にお金を出して任せる以上、どんな内容であれ「信用」がなければ頼まない。
 資本主義であれ社会主義であれこの「信用」はなんにつけ、背後につきまとってくる言葉だろう。

 今週に、この「信用」という言葉が聞こえてきた。某お客が「信用できない。信じて仕事を任せられない…」などという発言が聞こえてきたからだ。理由は、ミスが引きがねになっている…かのように言っていた。

 最近よくある、企業の不祥事にいる謝罪光景があたまをよぎった。いわゆる、幹部の不祥事、企業の不祥事…。そこで、経営陣がマスコミの前で、深々と、こうべをたれている光景だ。わたしの会社の経営陣も、こんなことを一度くらいやったら…と思った。

 現場では、日々、補充のない職場で仕事が進んでいる。こんなところで、時間だけに追いかけれたら、間違いは必ず起こる。それを承知でやっているのだから始末が悪い。その対策を現場任せの経営者の末路は、見え隠れしているようだ。

 ともあれ、現場では対応策に頭をひねる。
そんな話を今週はしていた。お客にも見える具体的な対策を実行するしかないと思ったからだ。
 利益をあげつつ、信用をえるのはなかなか難しい。言葉でわかったようなことをいう上司には理不尽だ…。では、「あなたはこれに対して、どれだけのことを協力してくれるか」という問いには、何にもかえってこない。

 モノ、ヒト、カネが動いて「信用」はできるのだと思う。現場では、モノ、ヒトは動くが、予算としてのカネは動かせない。それを動かすのは、経営者だろう。その、バランスをうまく現場に繁栄させて「信用」をつくりだすことが今は、いちばん大事なときだと思う。

 まさに、今の政治とまったく同じだなあ…と思った。震災で地方の復興・復旧予算が足りない。国会でその予算を早急に決議して、地方に予算を割り当てて欲しいのにも関わらず、政治の舞台では与野党の綱引きで、地元住民は怒っている…という風景。

 時々、開きなおっていかないと身が持たない。その、開きなおりで現場では、対策が遅々と進まないことがあっても仕方がないと思う。そんなことを繰り返し、現場同士の「信用」がなければ、某お客に対してお「信用」などほど遠いと思った。ここは「チャレンジ」焦らずやっていくしかない…と思う。
 それでは、また…



少しずつ、寒くなってきた様子です・
読者の皆さまカゼなどにかからないように…
今週は、ちょっと乱暴な書き方が多いように思えますが、ご容赦を…
*読んでくださった方、ありがとうございました。


少しづつ、冷たい風が強くなってきました

2011年10月16日 | Weblog
 

※散歩途中に、今年最後のあさがおです。種はいただいてきました。
 川の流れを聞いて、ポーンと音がする空を見わたせば、小さく白い煙がたなびいて、パーン!パーン!!と、その後に行進曲がながれていました。運動会でしょうか…


 10月も半ば、夕暮ははやくやってきます。そして、夜は涼しくなってきました。夜の暗さも、夏のとはちょっとちがったおもむきがあるように思えます。
 
 気がつけば…あと2ヶ月半。今年も終わりかなあ、と思いつつ日々がすぎていきます。
 このごろは、この刺激のない季節に、もてあますようにダラダラと時間ばかりすぎていくように感じます。

 そんな気分からであろうか、世間様も同じようにアタフタと気が重い日々が続いているように思えます。
今週の通勤電車ではまともに走っていなかったことを思い出しました。
 信号機故障、人身事故、急病人救出…といった理由で、朝に夕に通勤電車が遅れて悩まされた一週間でもあったように思います。
 季節の変わり目、身体も気持ちもなえてしまうのかもしれませんね…。

 暑ければ、「暑さなんかには負けるものか」とふんばり、寒ければ「寒さにも負けじ」と頑張ってしまうが、この季節は人を優しく包み、第一目標をうしなったかのようになってしまう。暑くもなく、寒くもなく、いっけん過ごしやすいような時期ではあるが、少なくとも私には、付き合いずらい季節のように思う。なんにつけ、意欲がうすらいだいる季節でもあるように思えます。

 それでも、季節は冬にむかっていて、人のこともおかまいなく、つきすすんでいます。

 「風立ちぬ、いざ生きめやも」。という言葉が浮かんだ。
四季を生きた節子と私…。堀辰雄の小説を思い出した。季節のうつりゆくなか、生きている意味を考えさせるした小説だったように思います。

 散歩の途中、カメラと三脚を持った中学生が数人、電車の写真を撮るのに走りまわっていた。あんな時代がいちばん楽しいのだろうな…と思った。誰にでも、きっとあんな時代があったのだろうと思えた。
 それがあって、今がある。四季の最終章でもある冬をむかえる一時にそんなことを思った。いいなあ…。

 土曜の夜、NHKの「グレートサミット」という、世界のトレッキングを紹介する番組を見ていた。今回は、パタゴニアの2600メートルたらずの山に挑戦する内容だった。しかし、低いと思いきや、地理的な位置や山ができるまでの過程で、実に困難をきわめる登山だった。ピークに向かう途中は、8000メートル級のエベレストより困難を極めるという。2度挑戦したが、2度とも成功せず下山してしまう。それも、一流のクライマーが挑戦していてもだ。

 この登山で同行したガイドの言葉が忘れられない。ガイドいわく「私の仕事は登山者を頂上に立たせること…。しかし、それ以上に登山者を無事、下山させることなのです」…と。いい言葉だと思いませんか。
 これって、人生に悩んだとき、なんか通じる言葉になりませんか?。




◎福島第一原発事故真実の報道と、最後までどうなっていくのか追求する記事がほしい

 最近は、ずっと「福島第一原発事故」をおったスクラップの記事の切り抜きがほとんどです。刻々と変化していく、放射能の影響…。
 その行方をおっていると、つくづく放射能とは恐ろしいものだと思えてきます。
 半面、それだけお金もかかることなのでしょう。原発を推進した人、管理する人、それを許した当時の政治家…、みんな同罪のように思えてきます。そして、その影響を受ける人は、罪もない子どもや若者たち…。得るものより失ったものが大きすぎる事故です。

 太平洋戦争でアメリカの負けて「東京裁判」という、戦争に加担した指導者たちの裁判がありましたが、今回の原発事故もそれにひってきするような思いがしますと「原発裁判」でもやってほしいなと思います。

 また、やはり…と思うほど労働環境が悪化していることがわかる。うつ病や自殺が増加する一方であるようだ。いま、日本でいちばん過酷な労働をしているのは、福島第一原発の修復作業の人たちだろう。あまり、表にでてきないが、今後、その内部の状況を知らせることが新聞の大きな役目だろ思える。

 来週から「新聞週間」。ひとつの課題をしつこく、圧力にも負けず報道してほしいと思う。さて、できるでしょうか。

▼福島のコメ「安全宣言」(10/13/東京)

 福島県は12日、県内48市町村での一般米の放射性物質の調査を終え、放射性セシウムが1174地点で国の基準値(1kg500ベクトル)をした回ったと発表。

▼多摩の汚泥、東京湾へ(10/13/東京)

 東京・多摩地区の下水汚泥の焼却灰が下水処理場に滞留しいた汚泥を東京湾の中央防波堤外側に埋め立てることを決定。区側からは「区民の安全確保を十分に考慮した運搬・作業方法を確実に履行されるよう対応を求めるととともに、早期に多摩地域内で処理できるよう要請する」とした。

▼原発の稼働率、最低更新(10/15/朝日)

 全国の原子力発電所の9月の稼働率は20・6%となった。(2月は70・8%だった)

▼原子炉建屋第1号機にカバー(10/15/朝日)

 原発事故で屋根が吹き飛んだ第1号機の仮設カバーが終了した。カバーの使用期間は約2年間を想定。

▼伊東のシイタケ、基準超セシウム(同)
 静岡県は伊東市で収穫・加工されたシイタケから国の基準値(1kg当たり500ベクトル)を越える508ベクトル検出したと発表。

▼原発住民投票条例制定求める署名活動(10/15/東京)
 原発の廃止を求める俳優の山本太郎さんらが、都内で会見し、原発稼働の是非を問う住民投票条例を求める「直接請求」の署名を求める活動を始めると発表。

▼福島原発作業員の被ばく限度100ミリシーベルト引き下げ(同

 厚生労働省は14日特例省での緊急作業に限って250ミリシーベルトに引き上げていた被ばく線量郡度を本来の100ミリシーベルトに引き下げる方針を固めた。

▼労災請求増える(10/13/東京)
 過重労働や仕事のストレスによる労災請求が都内で増えている。背景には、職場の人間関係などに悩み、うつ病、自殺を理由に労災請求が増加。労働環境の悪化が懸念された。


▼警戒区域、空き巣30倍(10/16/朝日)

 福島第一原発から20キロの圏内は、4月22日に警戒区域に指定され、立入りが禁じられている。5月10日に一時帰宅が始まると、留守宅や事務所の空き巣被害が見つかった。原発事故で帰宅ができなかったのは、東電の責任。その間に空き巣が入った。これも、賠償の対照にして欲しい…と被害者。




 どこで油断したのだろうか、それとも、仕事がたてこんでうっかり忘れてしまったのだろうか…。
 今週、ミスがおこり、お客には謝罪と経過と今後の処置について文書を提出した。こんなときは、いつも強気の自分でも半日くらいヘコんでしまう。またしても…、これからも…、と思いつつ謝罪の時間が過ぎていった。お客に、逆に気を落さず、慰められて返ってきた。

 お客いわく、「ミスは仕方がない。まだ修正がきく段階だ。それより、むしろ、会社の経営者は今後どうしようとしているのか…。本当にミスをなくす気があれば、現場だけでは限界だろう」と。私も確かに、と納得してしまった。

 仕事というものは、客があって成り立っている。それが、どんなにキツイ、という状況でもお客や上司にも励まされれば、単純だが頑張ってみたいと思う。それが、相手の顔や声がみえなけば、一人でただ、モダンタイムズのチャップリンではないが、機械の歯車のように働く、そこで、得るものは「疲労」のように思える。

 それが人間と機械の違い。感情のある人間が楽しく仕事続けられる条件は、一人ではできない。そう思うと、これからも人とのつながりが大事なことはいうもでもない。

 そうして頑張れる人たちと仕事でつながっていきたいと思った一週間だった。
 私はそんな現場が好きだ。これからも。
 まあ、これからも、ヘコまず、あせらず、いばらずがんばろうと思います。

◎おまけ◎市内の美術館にいってきました!



 「スポーツの秋・芸術の秋」ということで、家族で久しぶりに、市内の美術館「世紀末、美のかたち」展にいってきました。
 あいにくの雨模様。これがよかったのでしょうか、展示会場のお客様もまばらで静かでした。おかげで、ゆっくり、人に背中を押されることなくみることができました。

 美術工芸というのもあるんですね…。
 ダイヤモンドや金、真珠などもつかったブローチなど、とてもきれいなものでした。
 これをつけていた人の顔がみたくなりました。おそらく、相当な富を持っている人なのでしょう。実用品の美を持たせると、自然のなかにあるものを抽象的にデフォルメして作品にしています。実際のところ、実用品にしてはもったないほどきれいなものです。

 しかし、世紀末。なにかが起こる予感…を漂わせる作品群でもありました。
 わたしの気に入ったのはアルフォンス・ミュシャ「ジスモンダ」のポスターでした。
 この作品はルネッサンス劇場のポスターだそうです。1895年1月4日開演のサルドス作『ジスモンダ』のポスター。
 この作品は印刷業ルメシールに依頼したが突然断られ、代役としてミュシャが作成したものです。無名のアーティストによってデザインされたポスターは、その描写によって人びとの喝采をうけたものだそうで。
 ちなみに、右手に持っているのは、小道具のシュロだそうです(学芸員の説明)

 他にもミュシャのポスターもありました。
 人がいなかったせいもあって、学芸員に質問するのもけっこうできました(なんせ美人の学芸員)。



 やはり、背中を押される展示会よりはいいですね。ゆっくり、みられましたし、絵の前にたたずんでいられのもいいものです。そういう絵を見つけるのも、展示会のよさです。
 また、そんな展示絵があるといいものです。

府中美術館 ※詳細はこちらでどうぞ。

*読んでくださった方、ありがとうございました。
 それでは、また来週…








 




天高く…馬肥える秋、山歩きいってきました!

2011年10月09日 | Weblog


 季節も少しずつ冬支度をしているようです。
(写真は散歩途中の田んぼで、稲刈りをしていました。)

 このごろは、晴れた日は20度以上になり、これはすがすがしい運動もしたくなる気温になり、雨でも降ると、20度以下になり、冬が近いな…と思うほど冷えを感じるこの頃です。高い山では積雪の便りさえあると、もはや初冬だなと思います。

 『体育の日』も目前です。
天気のいい日、外へ出て夏の暑さをなつかしむように思いつつ、自然を眺めては身体を動かしているとなんとも気持ちのいい季節になってきたと思えます。
 スポーツの秋…私にとっては「インドアよりアウトドア」の季節です。

 さて、「体育の日」は1964年東京五輪の開幕によって休日にされたそうです。
 この前後、日本経済は勢いがありました。資本主義の大原則の「スクラップアンドビルド」が生きていました。まさに、その時代は、五輪開催にむけ、次々に高速道路が建設され、大きなビルや競技場などができあがりました
。子どもであった私は、そんな光景をテレビでみていました。

 この時代、日本経済は「より早く、より高く、より強く」という東京五輪のメインスローガンでもあったように勢いがあったのしょう。それが、東京五輪での人びとの精神的高揚もあり、なにをやっても楽しく、やりがいのある世の中であったようです。また「消費は美徳」という言葉もあったように思います。でも、貧乏人のわが家には関係ない響きであったようです。五輪では、アメリカ、ソ連(現ロシア)の金メダル競争は冷戦時代にあっては、唯一の平和外交の時代だったと思います。

 印象に残るシーンは、甲州街道がコースになったマラソンでした。先頭のエチオペアのアベベ選手、国立協議場での2位の円谷選手がイギリスのヒートリー選手にぬかれる激闘をテレビにかじりついて見ていました。そして、「東洋の魔女」のバレーバールの金メダル…。決勝戦でソ連(現ロシア)との対戦。黙々とボールに集中して金メダル…と、これも見逃せない名場面でした。さらには、男子100メートル、アメリカの弾丸ランナーのボブ・ヘイズ選手。9秒9の記録をつくり、日本中がたまげた!一日だった。楽しかった秋でした。

東京五輪から、およそ半世紀。
日本はバブル崩壊を経験、さらにはリーマンショックがあり、失業者が増える中、アメリカの1ドル=360円から、いまや90円位までの地位になってきていました。それだけ、アメリカの影響力は弱小になってきたわけですね。いまや、経済は下向き傾向です。
 そのアメリカで大きなデモが切り広げられています。その結果、失業者や若者の内定者の減少が問題になって、今日をむかえている始末です。

 あの時代は、できるか出来ないかは別としても、スポーツ選手の活躍をみては、その選手が私たちの「希望の星」に見えたものです。
 子どもたちにとっては、サード、3番、長嶋…というようにあこがれの選手でしたよ。
 相撲界でいえば、大鵬、柏戸の柏鵬時代。活気がありました。場所中は、夕方から男どもは、夕方からテレビに見入っていました。のんびりしていました。
 小さな島国の、大きな希望の星だった…。好きでした。いまでは、野球賭博、八百長試合。これは、全て金銭欲の結果…か。それだけ、不安定さが増してきたのでしょうか。土俵の上での勝負に夢がなくなったのでしょうか。

いったい今はどうなってるんだ…と思えるほどの不人気になっているようです。
 
 さて、読者の皆さまの10月10日はどんな思いの出のある一日であるのでしょうか。

東京オリンピック ※詳細はこちらでどうぞ。






◎福島はどこへ…

 最近では、余震も少しずつなってきたようです。とはいっても「災害は忘れたころにやってくる」と言葉が、脳裏のはしっこにいつもあります…。

 さて、最近では福島第一原発事故以来、その修復のため現場作業場では放射能をあびてながら頑張っている作業員のおかげで冷却修復も順調のようです。しかし、事故以来、いまだに放射能セシウムは、多くの地域にばらまかれたままになっています。その結果、食品や住居の不安はあいかわらずあります。

 また、これまでに事故によって、放射能の影響を受けた農業、林業、漁業、生活の多くの損害に対する賠償問題がうきぼりになってきました。

 さて、その事故、ここ一週間の動きはどうであったのでしょうか。

 菅直人元首相の後を受けた野田首相の「脱原発」も日々、危うくなってきたような気がします。いまでは、本当にする気はないのだろうと思います。その首相の下、東日本大震災の本格復興予算の第三次補正予算案や増税をめぐる、与野党論議が始まったようです。 
復興をめぐる予算がどんな内容で、誰のために本当に使われようとしているのか注目していきたいものです。

■水温すべて100度切る(10/2/東京)
 福島第一原発で、2号機の圧力容器底部の温度が28日に100度を下回り、事故後初めて、メルトダウンを起こした1~3号機が100度を切った。


◎100度を切ったことは、ある意味原子炉が爆発する危険性は薄れたようだ。しかし、依然として、事故による放射性物質は空気中に流れ、汚染された水は流れていることには変わりない。

■除染は根本的な解決ではない(10/5/東京・投書)
 福島では、放射線量の数値を低下させるのに除染が進んでいる……このように、除染は、緊急避難的な対策で、根本的な解決策にはなり得ない


◎除染といっても、表面を削ったり、洗ったりと、うわっつらをどけるだけだろう。さらに、除染したものをどこへ置くのかもままならない状態。ほんとに、根本的な解決にはなくならない。大事なことは、除染前に戻すなとという夢物語を語るよりも、現在を公開しつつ原発の停止、廃炉にするほうが解決にいちばん近いのでは。

■エネルギー対策特別予算(原発予算)を天下り法人に支出される(10/8/朝日)
 原子力の研究や立地対策を目的に政府のエネルギー対策特別会計の電源開発促進勘定の半分以上が、2008年度に経済産業省や文部科学省まど官僚OBが天下り役員を務める法人に使われていた。2008年度に9団体1700億円の税金。


◎いわゆる原子力村の人たちへの予算(税金)が多く使われていた。いたれり、つくせりの接待、企業献金などもゾロゾロ出てきたいる。いまさら、遅い。政治とかねの世界。
 ジャーナリズムはそのとき、いったい何していたのか疑問。こういったことを、事故後、公表しところで事故の前に戻らない。
 
■福島県内の原乳出荷・警戒・非難区域外で全解除(10/8/朝日)

■福島第一原発半径100キロ・サンマ漁を禁止に(同)
 全国さんま棒受網漁業協同組合(全さんま)は7日理事会で、操業自粛としていた福島第一原発から半径100キロの海域を操業禁止にすると決めた。

■乾燥シイタケ、セシウム検出(同)
 静岡・伊豆市の業者。
 県内で、生産加工された乾燥シイタケを販売業者が自主検査したところ、国の基準(1キロ当たり500ベクトル)の2倍の1033ベクトルの放射性セシウムが検出された。

以上(大雑把ですが今週のスクラップ)

◎日曜の夜、疲れた体と眠い目をしながら、10時からETV特集「希望をフクシマの地から~プロジェクトfukushima!の挑戦」を見ていて気になる言葉がありました。。

 番組の内容は、今年8月15日に福島で野外音楽フェステバルが開催されるまでのドキュメンタリーでした。福島出身のアーティストを中心に、音楽を通して「原発とは何か。そして福島の真実」を広く知ってもらい、原発との共存がでいないことを改めて、確信する番組であったように思えた。

 そこで、番組の途中、警官が警戒区域の監視する道路の境界線の前で、音楽家の大友良英さんの言葉が印象的だった。
 「世界中をコンサートの旅してきたが、国境(ボーダーライン)を越えて、ほとんどできた。しかし、ここ、監視区域の検問を前に、福島のボーダーラインはいったなにを意味しているのか」というような問いかけをしたのが印象的だった。

 見えないものに国境をつくり、怖れ、悲しみ、別れ、棄てられ…という現象をつくっている放射能とはいったい、人類にとって何者なのか…と思った。
 それを解明していくことが、大事なのかもしれないと思った。

 この事故が起きるまで、「安全神話」のなかで、私たちは生活してきた。しかし、事故が起きると「安全どころではない!」ことに、漠然として立ちすくんでしまったような気がした。

 だいたい、放射能をばらまく原発もそうだが、原子力ってはなんだろうと思った。これだけ、きけんなものでれば兵器として当然、利用したろう。それが、原子爆弾だろう。でも、人間とこれだけ合い入れない物質を後生大事にするってことは何をいみしているんだろうと思った。

 きっと、これをねらって一部の人の人間の欲望を満足させる経済をつくるのだろうが、そんなことには関係ない市民は、ただ巻き添えをくっているように思える。そんな、原子力ってのはいったいなにものだ?






  単独でよく行っている高尾山です。7月以来の山歩き、のんびりいってきました。
 「紅葉…?」。まだまだです。

 久しぶりに連休のなかび、職場の人たちと高尾山歩きに行って来ました。
 日頃、職場で顔をつきあわせて仕事をしている人たちとの山歩き…どうかな?と思っていたのですが、そんな疑問も吹っ飛び楽しかった1日でした。

 天候にもめぐまれて、ゆっくり歩くこともできました。
 コースは初心者向けで、小仏~城山~高尾~京王高尾山口駅まででした。連休でもあったので「きっと混んでいるだろうと予想したコース選びでした」この選択は後々、帰り道に正解だった思いました。

 事実、高尾山頂はディズニーランド状態で、人、人…でいっぱいでした。どこの、お店も行列でした。アイスクリームもおそばも食べずに終わりました。残念!
やはり、ミシュランの五つ星の影響は大きいようです。一年に一度しか、行かない山も連休で混雑していたようです。

 私は、山歩きはごとんど「単独」であるので、さあどうなるかな…と思っていましたが、取り越し苦労で、こうして何人かの気の合う人たちと歩くのもいいものだと、つくづく思えました。久しぶりに、山歩きの途中でも、大きな笑いを何度もした楽しさを持ちました。
 単独登山では、マイペースでゆっくり歩くことはできますが、笑いを伴いうつつ、歩くことはめったにありません。次の目的地まで、修行僧のように、黙々歩くだけです。
 今回、こんな山るきもあるんだなあ…、と思いました。また、いきたいものです。

 話をしつつ、歩く。大切な時間でした。
 お疲れさまでした。

 山歩きは、高さ、低さではなく同行する気のあった仲間と一緒にいける関係が、なにより大切にしたいものだと思った一日でした。
 山に感動し、人に感動し、会話に感動し、笑い、悩み…そうした歩き方がいいものです。もっと、時間があれば、人の会話のなかで、よさをもっとさがせたのだと思いました。

 こうした、仕事仲間との非日常を送ることも大事だな…と思います。毎日、仕事で顔を突き合わせている日常から、ポット、そのことを忘れる、一日があることで、日頃感じなかった、人のよさも見つかります。

 お疲れ様でした…。

高尾山 ※詳細はこちらでどうぞ。

*読んでくださった方、ありがとうございました。

神無月…寒さも日々、増してきました

2011年10月02日 | Weblog





 10月が始まりました…。
 朝夕はめっきり、寒くなってきました。うっかりしているとカゼでもひいてしまいそうな寒さもあります。 
 週末の多摩川散歩でもセミに声も聞かなくなり、そのかわり百舌のかんだかい声が聞こえます。空では、すずめが群れで木から木へ飛んでいます。静かな空気のなか、すずめのなき声もよくとおる季節でもあります。

 さて、9月はいかがだったしょうか。
9月は台風がひじょうに印象的に残っています。とくに、紀伊半島をとおった台風15号には驚きました。仕事の帰りにも、都内電車がすべて運休という事態にも遭遇したり、3月11日の東日本大震災をも想像させる「帰宅難民」もありました。

まさに、今年は自然の戦いの年でもあります。こんなとき、人は、ただ過ぎていくのをじっと待っているしかない「無力感」も痛感した月でもありました。
ときに、人は「無」から始まる…と思えば、人間と自然との付き合いは、永遠にこの繰り返しだと思うと、少しは肩の力をぬいて生きていくしかないか…とも思います。

 さらには福島第一原発事故から半年。
 8月の暑い中、市民は節電を強制させられ、がまんしていました。それも、9月になってようやく解除されました。

 今年ほど原発のことを考えさせられる年はないでしょう。日々が経つにつれ、原子力開発の推進過程のメッキが次々とはがれていきます。
 例えば、原発を設置するための説明会での「やらせメール問題」がりました。東京電力、県、保安院、政府(当時:自民党)が住民に賛成をうながすためにやらせたものでした。原発推進時代の政治癒着もでてきています。
 多くの税金が湯水のごとく使われて、あげのはてに自分の首をしめていたことに気がついた年でもあります。
 
 そして、明治公園での「脱原発集会」。久しぶりにデモ行進。いままでの被害をみれば当然のことだと思います。6万人の人たちが反対を訴えてあつまった集会は圧巻でした。

 東電の、被害者への賠償問題。
 東電がどれだけの努力をして賠償するのか…、またその誠意はどこまであるのか。政府もまず、東電の賠償問題に対する誠意を示せ、という構えです。
 とは、いっても限界はあるはずでしょう。二度と事故が起きないようなするには、廃炉以外はないと思います。

 さらには、衣食住のすべてに放射能セシウムが身近になってきました。
 いま、一部、非難解除をして戻してしますが、その土地が安全かといえば疑問がのこることが多くあります。セシウムを排除しても、それをどこへもっていくのか…、誰が管理するのかとか、たくさんの問題が山積みの状態です。

 今は平気でも、あと何年後にはどうかというと、あやしいものです。

 そんなことを考えた10月の始めでした。
 忘れないようにしたいものです。それには、まず、原発というものを知らないと忘れていくだけです。1か月に1冊は、それに関係する本を読んでいきたいと思います。(もちろん無理はしませんが…ね=ハードルを高くしてできなくなったら本末転倒ですから)







 例えば「人生最期の日」に誰と、どこでむかえてたいですか…?。という質問をされたらどうしますか。
 わたしなら、日本人らしく「畳の上」というのだろうか?、それとも、自分がいちばん好きな山歩きを終わって、温泉でもはいってビールを飲んで、翌朝、ぽっくり逝っていたら最高かなあ…なんて思います。家族の悲しみをよそにそんな思いが、この映画(ドキュメンタリー)をみたい気持ちにさせたように思います。

 ということで、突如、日曜日の朝、早起きして新宿までいってきました。周りを見わたせば、私と同じ年齢のオジサン、オバサンでいっぱいでした。オジサンは早起きだけは得意技ですから…。

 さて、半世紀も生きてくると、人の死に際に何回も遭います。それも、人の気持ちの整理もさせる時間も与えてもらえず、或る日突然に…。
 しかし、こと自分のこととなると、甘えてしまっているのか正直、あまり考えません。
 世の中に「遺言状」というのはよく聞きますが、「エンディングノート」は聞きません。

 映画は、エンディングノートをめぐってのドキュメンタリーです。
 要は、死に際にジタバタせず、死ぬまでの期間、整理していく話。その整理が家族や近親者への最高の愛情なのではないかという話ではなかったかと思います。



【あらすじ】
 主人公は砂田知昭。1940年生まれ。愛知県出身。化学メーカーの営業マン。高度経済成長期に活躍し、会社を下から支えてきた人物。2007年引退し、第二の人生をこれから妻と一緒に暮そうと思っていたやさき、検診で「胃がん」と宣告される。胃がんはステージ4まで進んでいた。告知から半年後2009年12月に亡くなるまでの話である。

 ここでも彼の営業畑の知恵「段取り」が発揮され、人生の「終活」が開始され、その内容をエンディングノートという形にして、家族とともに、がんとの戦いがはじまります。
 遺産配分や葬式など生きているあいだに、一歩、一歩整理していきながら、最期まで自分の気持ちや、身辺整理を書いていきます。

 けっして「死」を拒否するものではなく、生きているうちにできることをやり、その過程で生きている人間の温かみや悲しさを伝えて、人間いつか死ぬことを受け止めようとする「遺書=エンディングノート」を整理しいきます。生きているあいだにやり残さないように、その必死さが生きている証として、家族の絆をまた強くつくるきっかけをつくって作業でもあります。

 その姿を最後まで、次女である砂田麻美(映画監督)が日々撮りつづけた作品でもあります。
 
【感想】

 作品を観終わって…ひとこと。
 「誰にでも死ぬまで、たくさんの物語をもっていろうなあ」と思いました。ただ、今回、映画になったいうことで、それが映像にり、多くの人の目にふれることになっただけなんだろう」と…。そして、それが、エンディングノートをつくることで、よりいっそうに一人の人間が家族や近親者に、これまで以上に強く、死を大事に考えるきっかけをつくってくれたように思う。

 花を咲かせる植物であれ、生きて社会をつくっている人間であれ、いずれ終わりがある。
 終わりをどう納得していくかは自分次第…ともいえると思う。その過程で、人とのつながりをより強くしたり、生まれてきて良かったということを知り、家族や近親者たちに悲しみをつくるなかで、生きる力を与えるのも、死に行く者の最後の勤めだのだろうと思えた。

 星の数ほど人がいて、誕生があり、死があるなかで、過去に戻れないかもしれないが、創造することができるのも人間。
 人を救えるのも人間…。とうことは、どんな人であれ、まもとななら凄いことをしてりうんだなと思えた作品でした。

とはいえ、それはそんな人のつながりを持てる自分があってのこと…。
 そんなつながりをつくっていますか…?
 そして、誰かに、形がるものであれ、ないものであれ伝えようとしていますか?

エンディングノート詳細はこちらをみてください。


…………………………………………………

 さて、10月も始まりました。
 自分の努力目標…という大袈裟なものではないのですが、月に一度は映画をみること、飲みにいくこと、山歩きをすることということをゆっくりやっていきたいものです。(強制力はないのですが…)

 ということは、次の課題があがってきます。まあ、楽しくなければ意味がありませんが…。

 季節の変わり目、体調に気をつけていきたいものです。
 ほんじゃ、今週はこのへんで。

*読んでくださった方、ありがとうございました。