日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

7月も終わり…暑さに追われて

2017年07月30日 | Weblog

 こんにちは。
 毎日暑い日が続きます。最近は梅雨が明けたと思ったら、実際は梅雨明け前より梅雨らしくなっています。雨もときおり降って折り畳み傘が、以前よりも活躍するような日々が続いています。
 それでも、ちょっとは涼しくなってきたのでしょうかトンボを見かけることが多くなってみました。多摩川ではバッタが足元から飛んでいきます。ちょっとずつですが秋が近寄ってきてるような気がします。
 とはいっても、これからがお盆休むがあったり、帰省の渋滞があったりとなにかと夏の様子が本格的に動いていくような時期になってきます。それと、花火大会も各地でくりひろげられているようです。夏の甲子園大会の代表校も決まってきました。

 さて、今週は相次いで国会議員の仕事での辞任がありました。
 民進党の代表の辞任につづき、これまで問題になっていた稲田防衛相も辞任をきめたところです。しかし、これまでの経緯から考えて何も解決になっていないのは現実というところでしょう。こうやって、闇に葬られて新しいテーマにうまく乗り換えることができることも政府の力量なのでしょうか。
 いずれにせよ、国会は少しも問題の解決になってはいません。




 今月、暑さをさけて日々の通勤電車のなかでの読書は快適でした。いま学校がどこでも夏休みシーズンだからでしょうか、朝の通勤電車は学生さんの姿も見えません。人が少ないということは、電車のなかのスペースもありわりとゆったりとしています。それに、若さゆえの騒がしさもありませんでした。
 「夏休み」とはなんとも羨ましい限り…。とはいえ、ぼくにもそんな時期があったのですから。

 さて今月の読書ですが、裁判ものを読んでいました。それも判決が出た後の様々な出来事をかいたものでした。「裁判員裁判」が始まって何年か経ちます。「人が人を裁く」ということはいかに大変なことなのかわかります。法律があるとしても、生きている人を法律のあてはめて証拠をそろえてたしても「裁く」ことは、判決をいった人間にも相当なストレスをつくっていることがわかります。それも、「冤罪」になった犯罪の裁判はどう償っていくのか…。

 あとで「謝罪」したところでその容疑者のこれまでの時間は戻ってきません。そんな苦悩をえがいた『袴田事件を裁いた男』でした。ほかに『裁かれた命』(死刑囚から届いた手紙)堀川惠子著(講談社)もありました。
 ある事件がきっかけとなり、その犯罪の内容を知れば知るほどその背景の奥深さを知り、人間の心の闇のようなものを垣間見ます。悲しいことに、抵抗すること、さんなりと認めてしまう人…。しかし、その真実は本当にこれでよかったのかという疑問がたくさん残っていくような気がします。



【内容】
 1966年6月30日。静岡県清水市(現・清水区)で味噌製造販売会社の専務宅にで家主、橋本藤雄(41歳)妻(39歳)次女(17歳)長男(14歳)の死体が火災が起きた家から見つかる。静岡県警は「放火殺人事件」として捜査。事件当夜に社員寮に残って寝ていた従業員の一人袴田巖男を容疑者として調べる。
 その容疑者を起訴し、裁判をした静岡地方裁判所ではこの事件の判決では「有罪」とした。それも「極刑」を言い渡す。しかし、その裁判官のなかの一人だった熊本典道氏はその判決に無理があること確信していた。しかし、裁判官3人の合議制という仕組みなかで、「有罪」にしてしまう。
 その後、熊本典道氏は裁判官をやめしまう。裁判での理不尽に一生悩み苦しんだ熊本典道裁判官のドキュメントである。その足跡をルポルタージュした物語でもある。

■p168~169 福岡市古賀にあるカトリック古賀教会。島内の知り合いの紹介で知ったこの教会で熊本は過ちを懺悔した。
 ~「とにかくお姉さんに誤りたかった。罵倒されても殴られても蹴られてもいい。そう思って出かけました。ところが秀子さんは、「頭を上げてくださいと優しいことばをかけてくれて…」こうして、熊本は約四十年ぶりに袴田事件の関係者と接点を持ち、テレビ、新聞を通じて世の中に顔を出していく。

 三月九日には衆議院議員会館で行われた「死刑廃止を推進する議員連盟」の院内集会に参加。秀子や袴田死刑囚を支援する輪島功一、大橋秀行、カシアス内藤らボクシング関係者と共に記者会見の席に並び、初めて公の場で謝罪した。

■p179 そこで人生が変わった、袴田くんを救うためにも自分は生き続けなければならないと思った、と熊本は言う。それは長い間、自分を苦しめてきた胸のつかえが取れた瞬間でもあったとも。

■p180 司法試験をトップで合格し、エリート街道を進むはずだった自分が家族も家も金も失い自殺を試みるまで転落する。そして、人生をあきらめたとき、天使に出会い、再び希望に向かって歩き出す。熊本は、最初に話を聞いた際、袴田事件のことを告白する気になったのは、自分の年齢が最高裁判事の定年である七十歳に近くなってきたからだと、ボクに言った。裁判官を無事に務めていたら、自分もそお職にあったかもしれない。

■p204 己の弱さを認める勇気がなかったのか。虚勢を張って生きるしかなかったのか。いずれにせよ、酒に溺れ、妻に当たる家庭人失格の暮らしを送っていく中、熊本の体と心は確実に壊れていく。

■p225 自白調書を一通だけ採用して死刑判決。袴田事件は、木谷にとっても明らかに不自然だった。もしかしたら、熊本一人が反対で、他二人に押し切られたかもしれない。ぼんやり想像していたが、本人の口から聞くのは、ことときが初めてだった。

■p228 木谷は、白鳥事件をきっかけに、証拠に厳しく吟味した上、以後三十年もの無罪判決を出している。周防正行監督が痴漢冤罪をテーマにした映画「それでもボクはやっていない」を製作する際には、木谷の著書『刑事裁判の心』(法律文化社)にヒントを得たとも言われる。
 片や、熊本は袴田事件をきっかけに、酒に溺れ、精神と肉体を病み、家族を捨てた。地位も名誉も無くし、自殺まで思いたった。島内和子に助けられるまでホームレス同然にまで落ちている。たとえ事件が人の生き死にに関わる問題だったにせよ。同じ良心を持った人間として、二人の元裁判官の人生はあまりにも差が大きい。

■p252 無罪の心証を持ちながら死刑判決文を書いた元裁判官の半生を、本人はもつちろん関わった人々を訪ねて歩くことで、ボクの明らかにしようしてきた。特にこだわったのは、袴田事件が熊本と後の半生にどえほどの影を落としたかだ。

■確かなのは、意にそぐわぬ判決文を出した熊本が裁判官を辞し、四十年弱を経た後に世間に合議の内容を告白、謝罪したという事実だけ…。



 <無罪を確信しながら死刑判決を書いた元判事の転落と再生の46年>
 「人が人を裁く」唯一の合法的にある裁判である。警察で犯罪の容疑をもたれ、自供によって証拠が集められ、書類を作り検察によって裁判所に起訴される。その起訴によって裁判が始まる。弁護士と検察とのあいだでの犯罪に対する審議がはじまる。その審議をめぐって最終的には裁判官(3人)がさらに審議し「有罪か無罪か」を合議する。原則、合議は多数決で二人が有罪であれば「有罪」になる。その判決文を書く。そして、判決として「主文」を容疑者に言い渡す。その結果、その容疑者が刑をうけるという流れ。

 この本は、判決を言い渡した裁判官のドキュメント。それも「極刑」を言い渡した裁判官である。しかし、裁判官には確実に有罪になる確信がもてない。唯一証拠となるのは「自供」だけである。その「自供」が本当に本人の事実からだ出てきたものか疑問がつきまとう。確固たる物的証拠がなければなおざらである。後悔はつづく…。
 判決には「死刑」というものもある。ほんとうに「死刑」に値するのか。それも、人の命を他人が法律で決めていく裁判。それは知識として知っていても本来の人間の命をも左右する裁判の厳しさは知らないとつくづく思えた本だった。

 この本を読んでいたらNHKドラマ『事件』を思い出した。これは大岡昇平の『事件』という小説が原作。裁判を通して事件の背景を弁護士が追いかけていくドラマである。少年が起こした殺人事件を調べていくうちに、事件の真相があきらかになっていく。「なぜ、犯罪を起こしてしまったのか」自供にない容疑者の心理を明らかにしていくドラマである。そして本当にこの事件は「有罪」にできるのかという弁護士の苦悩をも描いていたドラマでもあったように思う。

 日々、新聞を開けば多くの事件がニュースになっている。
 しかし、その真理にはふれてはいない。ほんとうに大切にすべきはその背景や容疑者の起こしていく過程だろうとつくずく思う。そして、権力によって誘導されてはいなかったのかということだろうと言えるのはないかと思えた。



【内容】
なぜ「人を傷つけて当然」と思えるのか?
弱い立場にある人を意図的に傷つける人々がいる。彼らは行き過ぎた“正義”を振りかざして暴走し、後悔も反省もしない。攻撃の矛先は店員、透析患者、生活保護受給者、そして障害者にも及んだ。なぜこうなるのか? 鋭い洞察と確かな分析眼で定評ある精神科医が、現代社会を象徴する「怒り」「コスパ」「“普通”からの脱落」に着目し、ゆがんだ“正義”が流行る理由を解き明かす!(紹介から抜粋)

片田珠美 (カタダタマミ )著
広島県生まれ。精神科医。大阪大学医学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。 フランス政府給費留学生としてパリ第8大学精神分析学部で ラカン派の精神分析を学び、DEA(専門研究課程修了証書)取得。 精神科医として臨床に携わり、臨床経験にもとづいて、 犯罪心理や心の病の構造を分析。 著書に『他人を攻撃せずにはいられない人』(PHP新書)、『無差別殺人の精神分析』(新潮選書)、 『騙されない技術─ あなたの傍の嘘つきから身を守る方法』 (講談社)など多数




 誰にでも「正義」というものがある。それは、各々「美学」とでもいえるのだろう。勝ち組、負け組という言葉がはやったときがあるが、勝ち組はいったいどんな勝ち方をしたのだろうか…ということを思ってしまった。それは、「弱者切り捨て」によって「強者」がたんに勝ったという現実を得ただけで本当に社会のありかたのだろうか思えてしまった。
 事実、格差社会はひりがり、貧富の差がますますひろがってきたなかで「このままではいずれ社会は滅ぶのではないかと」という気持ちにもなってくる。弱肉強食ということは、だれも幸福にはしないことは知っている。
 この本は、そのことを警告しているように思えた。
※『産業医が見る過労自殺企業の内側』(大室正志著/集英社新書)も併読するといいと思う。





 久しぶりに小説を読んだ。
 とくに仕事を通して描かれた人の小説は好きな部類。主人公はマタギという仕事を持ち生きている。人生のなかで、恋愛あり、友だちあり、家族ありが仕事を通じて描かれているのがよかった。
 最近、いくつまで働くの、という気持ちがあるなかで働く意味のようなものを描いているように思えた小説だった。




 友達と久ぶりに「国際報道写真展」に行ってきました。
 今回は写真博物館がリニューアル後の初でした。どんなことになっているのか楽しみにしていたのですが、変わったところは喫煙場所がなくなっていたくらいで、あまり変わっていなようにみえました。
 むしろリニューアル前の方がよかったように思えましたが…。

 国際報道写真展での写真は通常、目にすることがない報道写真です。世界中の新聞や雑誌にのったフォトジャーナリストたちの写真です。ですから、写真家はほとんどが外国人ということになっています。
 日本のニュースの写真は、と期待をしてたのですが一つもありませんでした。
 それでも、世界中ではまさに生死を分ける写真も多く、ポスターになっていた網に引っ掛かったウミガメの写真なども私たちに問題を暗示していた写真でもありました。それぞれの国がかかえる問題が色濃く映し出された写真でもありました。とりわけ日本でいえば今一番問題になっている写真がるとすれば、6年後の福島原発のかかえる様子をみたかった思いがします。
 日本がかかえる問題は何かあらためて考えさせられた写真展もありました。

 それで、帰りにはいつものとおり会場近くの居酒屋でお疲れさん会。
 ぼくといては、不謹慎ではあると思うのですが好きです。写真を見た感想や最近の様子などを酔いがまわる中話していました。

※ちなみに写真展は来週の日曜(8月6日:日)が最終日です。ですから、今回行ったときはけっこう混んでいました。



 さて7月はどんな1カ月でしたか。
 そしていよいよ8月です。早いものです。今年の8月は昨年同様予定がいまのところありません。強いていえば、好きな山歩きをやろうと計画中です。それと、身の周りの資料整理ぐらいでしょうかね。整理もしないとただのゴミですから。あと、墓参りもありますか…。

 今月最後の更新になります。
 「今月の本棚」は読んでいても整理が追い付かず、適当になってしました(反省です)。来月も、元気であればまた更新します。
 今週はこのへんで失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

暑中お見舞いもうしあげます。

2017年07月23日 | Weblog

 暑中お見舞いもうしあげます。
 毎日、暑い日が続きますね…。
 関東も今週に梅雨があけたようです。今年の梅雨は雨が少ない年となりました。荒川水系では20%の出水制限がニュースになっていました。関東は雨不足ということなのでしょうか。九州の福岡、大分では豪雨で災害もありました。やはり、気候がおかしくなっているのでしょうか。毎年、局地的な豪雨による土砂崩れや川の氾濫などのニュースが恒例になってしまっていることを考えれば、これまでの四季の梅雨どきという風情ある風景が失われていっているのでしょうか。
 自然や人の心の形が、暑さだけでなく世界の動きのなかで崩れていっているように感じるこの頃です。いったいどうことなのでしょうか。
 それでも、毎年の事となっているにもかかわらず対策がいつも後手になっているのはどうしてなのでしょうか…。

 世界的には世界気象機関(WMO)によると5月以降、欧州、中東、米国などで熱波が続いているとのこと。先月29日にはイラン南部で53.7度という気温があったそうです。気候変動の夏が長く厳しくなっていることに警告もしています。
 地球温暖化問題に一国の政策ではもう限界がきているのは承知の事実でしょう。そう考えると米国の「パリ協定」の離脱は犯罪的に思えますが…。
 毎朝、ニュースや駅でのアナウンスが「水分を十分摂ってください」とか「できるだけ涼しい場所で」が聞こえてきます。本当はそんなレベルではないのではと思います。
 全国各地の気温は確実に身体にダメージをつくっています。地球以外にすめない人間は、もっと地球を大事にすることを考えてほしいものです。ドンパチと争いなどしてうる場合ではないのではないのでしょうかね。



 暗いニュースがあるなかで大相撲では明るいニュースがありました。横綱・白鵬がこれまで史上1位の1047勝をぬき、さらに勝利を更新続けていました。7年前、野球賭博で相撲界の力士も何人か関係していたことがわかり相撲人気に大きな汚点を残してしまいました。そんな時でも、ひとり横綱として頑張っていた白鵬力士の姿が思い浮かびました。
 わたしの相撲の歴史は夕方からの記憶しかありません。
以前、定時が5時の時代だったころ。一日の仕事も終わった夕方。相撲中継があったときは会社の休憩室でとりくみを見てから帰ったものでした。数人の人たちと見ていました。そんないいかげんな記憶しかありません。のんびりしていた時代でした。今は、休憩室に見る時間はなくなっています。それだけ忙しくなっているのでしょうか。余裕がなくなってきていることがわかります。

 そして、地方では甲子園にむかって高校野球地方大会も始まってします。近所の球場では朝から予選大会が行われています。故郷の代表はどこが出場するのか楽しい時間でもあります。名門、古豪といったこれまでの甲子園の名物高校は今年は出場できるのかとか…家族で話すのも楽しい時間です。
 私は個人的には大阪のPL学園というチームがいなくなったということがとてもさみしい気がします。これまでの試合結果などをみると、甲子園大会には数々の歴史をつくってきた学校だったので残念に思います。
 ことしはどんな学校が出てくるのでしょうか。




 今週は、仕事の関係で二日しか本社にはいっていませんでした。あとの二日は出向先で仕事をしていました。そのためのたいへん疲れた週でもありました。週末には、休暇を取得していました。1週間で3つの机を渡りあるいて仕事をする日々でもありました。
 正直なところ、再雇用となり仕事にはあまり責任は感じなくなりました。ですから、昔ほどがむしゃらに仕事をやろうとは思いません。任された仕事を自分なりに段取りをつくり消化していくだけだと思っています。

 最近「定年を65歳に」ということで政治の世界は動いているようです。だから年金を受け取るのものびのびにしようと動きになっていくようです。「働き方改革」の一部でもあるのでしょうか。それなら、企業は賃金にしても同一労働・同一賃金ということを考えるべきだと思います。しかし実態は、賃金は減る一方です。これはいったいどういうことなのでしょうかねえ。

 正直なところ、最近は昔ほどの仕事にはそんなにこだわりのようなものはなくなってきました。むしろ、仕事ははやく片づけて自分の時間をもつことが大事になってきたように思えます。「10年先を考えて…」ということを企業で聞きますが、「10年先??」。だいたい生きているかどうかもわからない年齢なのにどうでもいいやと思います。そんな、ことより、最近では自分との関わりのなかで、大事なものだけを残すためにひとつずつ削っていくような気がします。これからどうやっていくのか…という問いに、「プラスではなく、マイナスで」という考えでもあります。自分にとって不要なもの、無駄だと思うものを少しずつ削って持てるものをもっていればいいのではないかと思います。

 今、いちばん自分にとって大切なものを優先していくことが大事なんだろうと思います。黙っていても、減っていく寿命や友人です。そう考えると、大事なものがなにか自分で選んでいきながらいくようにしたいものです。
 そのかなかで体調はいちばんの大切なもの。誰がではなく、自分の体調を考えたとき有給休暇も大事な選択だと思います。



最近変だなーと思います。労働者の代表の迷走…。けっきょく、労働者をネタに自分の身の保身に必死な執行部が迷走している景色がありました。あーあ、これがいま労働者を守ろうとしているなかみだと知った瞬間から、自分の身近な人がいっそう大事に思えた瞬間。信じられる人、組織におおきな波紋をつくった連合はやっぱり昔、同盟系という傷をいやしていませんでしたか。
 
 余談ですがちなみに、最近連合が「残業ゼロ法案」を政府との交渉で受け入れるとのニュースがあります。「これはいったいどういうことなの?」と不思議に思えたニュース。新聞を読んでいくと、これは一部の執行部が勝手に容認したようになっていました。実際、これまで、連合はこの法案には反対してきました。それが、どうしたことか「容認」とは、はっきりいって労働者に対しての裏切りです。そして、その詳細をみてい見ると、一部執行部の保身によるものだということだったようです。それでも、「容認」は一人歩きはじめていっています。こんな身勝手な労働者の代表があったことに不甲斐なさを感じているのはわたしだけでしょうかね。

 世の中には小さ労働組合を必死で起ち上げて、会社の理不尽な理屈に質して日々頑張っている人たちが圧倒的です。それでも、会社の意見が通ってしまう判決などがあります。それでもビラをつくって配ったり、他の組合へ支援活動したりと大変ななか連帯しているひとをみてきました。若者もおばさんもおじさんも団結して、少しでもこれからの労働を考えての行動です。
 そんな頑張りのなかで、この騒動にはあきれますわ。



 いま一番大切にしたいこと、何でしょうか。
 10年先のことではなく、明日また元気な自分がいられるように今日を生きる…みたいな気がします。若いときのようになんでも受け入れていくことができません。それは生きて行く時間が少なくなっていること。そして記憶力少しずつ弱くなっていくことひとつとってもわかります。それを選択するのも、大事な仕事になっています。

 有給休暇をとり休んで疲れがとれたかどうかはわかりません。ただ、会社での嫌なことを忘れていた時間が持てたということでしょうか。
 けっきょく休みの日は、毎日多摩川の土手を歩いては、川面に立つ鳥や川に釣り糸を追いかける釣り人を眺めていた日々でした。川音にここちよいリズムを感じて暑さも忘れて飛ぶ鳥を目で追いかけていました。
 自然のなかに身を置いているときが今はいちばんの休養だと思います。そんな休日でした。また、人と人のあいだに身を置き行き交う会話の中に疲れをためることでしょうね。今守るべきは、そんな思いを保つことなのでしょうか。来週からはちょっと涼しくなってくりかもしれません。台風も接近しているようですから…。
 
 それでは今週はこのへんで失礼します。あつさもきびしくなっています。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

暑い3連休でしたね

2017年07月16日 | Weblog

こんにちは。
 毎日暑い日が続いていますが、どんなふうに暑さをさけていますか。
 最近、新聞に栃木県那須のどうぶつ王国で絶滅危惧種の「ニホンライチョウ」が人工繁殖をそだっていたところ最後のⅠ羽が死んだ記事がありました。自然のなかで育つのもたいへんなライチョウです。人口繁殖後の成長させるには難しいものなのでしょう。
 今週、先週のこの欄で紹介したツバメたちはいなくなっていました。巣の周りを楽しそうに飛んでいたツバメたちがきっと無事巣立ったことなのでしょう。
 自然のなかで育つというのは、人間が手を差し伸べる行為を否定することからはじまります。日々の温暖の体で覚え、エサを探す知恵をつくて行く日々でもあるのでしょう。
 日々は酷暑ばかつづきます。梅雨明けがいつのだろうかと気になるところです。暑さばかり気になる日々です。雨も洪水や氾濫、土砂崩れさえなければ「自然のめぐみ」となるのでしょう。

 さて、7月ももう中旬です。「海の日」とやらのおかげで今週は3連休がありました。
 巷ではなにが…。
 都議会選挙で大敗した、自民党と民主党。この両党はいまでは「沈黙」をまもって立て直しに思案中といったところでしょうか。
 民主党などは、今回の都議会銀選挙では離党する議員がなだれのように続いた。なんとも、信頼されていない今の代表。その代表は蓮舫氏。こんかい、民主党の蓮舫氏は戸籍の疑惑をもたれていた。ネトウヨ(ネット右翼)に戸籍を叩かれ、戸籍を公開するとした…。なんとも問題の本質が見えてないような対応に、民主党はほんとうに差別や排外主義などとたたかう気があるのかという疑念をもってしまった。
 そんなことだから、野党としても信用できなくなってしまうのはないのかなと思う。

 もう一つ。
 連合がなにをちまよったのか「残業代ゼロ法案」を実質的に政府と妥協を表明したニュース。あれあれ、今まで野党や労働組と一緒に反対のたたかいを展開してきた労働者の代表の連合が安倍1強に屈してしまった。それも、突然に思えるニュースであった。これまで、派遣労働に足かせをつけられた。
 今度は正規社員にもその足音がしてきた。過労死が大問題になってきているにも関わらずにも受け入れを表明した背景はいったなにがあったのだろうか。
 労働者は反対しているにも関わらず、その代表が賛成ではどうなっているのか…。これでは組織率もふえないわけもわかる。
 労働組合に組合費ばかりとなれている現状。それをまとめる連合がほんとうに労働者のことを考えているのか疑問をもってしまう。

 ストライキのない労働組合があたりまえのなってしまった昨今。本当に資本者側の言うことばかり聞いていては、労働者は暮らせるのか。事実、聞いた結果が過労死の増大。その主な原因が超過勤務である。そのことはいまは誰ももが知っている。知らないのは「連合って誰の代表?」ということだろう。こんなことでは、ますます労働者の代表というより、連合会長やその幹部たちのための連合のように見えてしまう。現場はそんな幹部より、現場を知ってほしいと思っているのではないだろうか。



 3連休のはざま。日曜日。
 月に一度の山歩きに行ってきた。
 夏は夜明けが早くてうれしい。これにはありがたい。夏の夜かけは早い。5時ごろには、太陽の陽ざしも刺すように暑い朝。6時過ぎには京王線の乗り7時には高尾のバス停留所に着いている。

 バタバタと早起きし、無計画でコンビニで昼飯を調達、水分も十分に補給。毎回行って慣れていても、バスの時間も忘れてしまって、第一目標の陣馬高原行きのバスに乗りおくれる。次の発車時間まで20分ほどの待ち地時間。この暑さの中で立っているのも大変だと思い、小仏行のバスに飛び乗る。
 アナーキーな登山になってしまったように思えた。事実、バスも小仏になってしまったということは、最終は陣馬高原か高尾山口の二択となっていた。
 最近、混雑ばかり気になっている高尾山はどうなっているのだろうか、と思い、最終目的地を高尾山口に決まる。あとは行動あるのみだ。



 午前9時過ぎ。陣馬高原だったらまだ登っている時間だ。今回は、小仏~駆景信山だったので、着くのも早い。9時の景信山は初めてだった。いつもは、ここには午後の1時ごろにいる場所だ。お昼でもあるので、いつも満員でどのテーブルも満員。ゆっくり休める場所もないくらいだ。
 9時の景信は、数人の登山者(写真)。人の声より鳥の鳴き声のほうが多いくらいだ。のんびり手足をのばしても気持ちがいい空間があった。さっそく売店でビールをかって飲む。さすがに、大汗をかいてきただけあり、「うまい」と叫びたくなるぐらいだ。なんといってもこの酷暑のなかの冷たいビールはありがたい。体のすみずみまで冷たさが伝わっていくような気持だ。
そして、人の少なさに風も気持ちがいい。山は静かなのがいちばん。

 次の目的地、城山へ。
 11時ごろ着く。城山はさすがに満員。お弁当を広げる家族連れ。かき氷を食べる人たちでにぎわっていた。暑さもこの人の多さで倍増してきてそうだった。ここでは昼食を食べる。売店で「なめこ汁」を注文。暑さのなかでのなめこ汁はおいしい。冷たいものばかり体にいれていたので、ときどきの温かい食べ物は落ち着きを取り戻すような気がする。コンビニで買ったおにぎりと合わせて食べる。

 最近高尾山から城山までの登山道は板張りになっているところが多い。これは少しでも、高尾山から城山までは足を運んでほしい公園側の意図もあるのだろう。事実、ここまではスニーカーでも大丈夫なほど立派な登山道がつくられている。だから、子ども連れでも安心できるのだろう。せめて、高尾山にきたなら城山くらいにきて、山歩きの楽しさを知ってほしいという公園側でも感が手の登山道整備なのだろう。さらには、人の多いということは自然が壊されていくことを知っているからできるだけ整備して、自然を荒らさないように工夫した結果だろう思える。(何をいまさら…と思う)



 久ぶりに、今まで人の多さで辟易して避けていた高尾山にいく。下山は琵琶滝コース。ぼくは、高尾山の下山コースはここがいちばん気に入っている。他に高尾の薬王院まわりもあるが、ここはアスファルトで整備された下山道を歩く道だ。これは、一見らくそうにみえるがダラダラと続く固い道は、足に負担が大きい。膝がいたくなってしまう。琵琶滝は小さなアップダウンがあるのがいい。道も日陰がおおく涼しい。ただ、道が細いので一方通行なみで「譲り合う」ことが面倒なのだが、あわてている気持ちをゆっくりにさせてくれ、気を付けることを確認できていいと思う。

 朝バタバタとはじまった山歩き。
 最近は、ガスコンロはもっていかない。とくに夏は、冷たいものが欲しい季節。さらにはできるだけ荷物を軽くして体に負担をかけないようにしている。
 これは、山を登ってるときよくわかる。荷物が軽いということは、歩くことに専念できる。ひじょうに楽になったように思える。
 リュックにはお弁当と携帯品で歩くことがいちばん。日帰りの山歩きに大切なのは荷物が軽くして歩くことに専念できる荷物をつくることが大事だなあと思う。
 若い時はどれだけ汗をかいても楽しかったように思えたものでした。今日はさんざん汗をかいてみて「キツイ」と思うようになりました。やっぱり、「寄る年波にはかてぬ」ということでしょうか。自分のあった夏の山歩きの方法も宿題になったようです。あと何回歩けるか未知数ですが、これからはそんなことも思いつつ季節を歩く工夫が大事なのだといえるのではないでしょうか。今回は、荷物をできるだけ軽くする工夫がよかったと思います。

 最近はめったに残業をしない。
 それでも、お客の都合によっては残業になってしまうこともある。
 今週、出向先で通常であれば8時ごろ終わるところ、終わってみれば10時になっていた。家に着いたのは12時前。今日もおわりそうな夜であった。60歳を超えてのこの時間はキツイだろう。
 
 とはいえ、ぼくの場合は一週間に一度のこと。これが毎日だとどうかと…。
 職場が「残業あたりまえ」のオーラがあるように思えています。お客も「お金を払っているのだから」という「お客様は神様」状態でもある。ぼくと同じ年齢の人は、再雇用になって、年金がもあらえなくなってしまうということでできるだけ残業をやらないようにしている。お客もその辺がわかったいるので日程をつくる。これが常識だろうとぼくは思う。
 日刊紙でもないのだから、うまく時間があるのだが、正直なお客の時間管理のまずさに引きずられているように思う。お客中には、その理由をうまく言える人もいるが、けっきょく自分の段取りの悪さを理由にしているのだろうか聞かないことが多い。だれでも、自分の時間が大切です。それも、お金を払っている方が上になっている。しかし、その内容を突きつめていくと仕事のやり方が下手だということを告知しているから言えないのだろう。
 そのまずさを言える関係になればまっとお互いが楽になるだんろうと思えるが、ね。

 3連休はいかがでしたか。
 これからも暑さがきつく続くでしょう。そういえば、近所で夏祭りの音楽が聞こえてきました。学校も夏休み。うらやましいなあ。
 3連休も「猛暑」でした。雨も局地的な雨がありましたがそれでも全体としては雨不足の状況のような日々です。雨も不足でしたが、もっと困ったことは連合が「残業代ゼロ法案」に安倍首相に勝手な妥協をしてしまったということでしょうか。これは、突きつめれば、労働者への裏切りでもあるように思えます。まさに身勝手な幹部闘争の頂点のような約束をしてしまったということでしょうか。これによって、労働基準法が変えられるだろうし、いくいくは労働運動や平和運動にも影響がでてくのではないのでしょうか。行く末には憲法に対する苦情もいえなくなってしまうようなことになっていくのではないかと危惧するところであります。当たり前に働いて賃金を得て、生活をないがしろにするような法案を野党の意見も聞かずに進めてしまうのはいかがなものだろうかと思えます。政治家ではないのです。困った人たち…。この人たちのもとで運動をする労働組合の反発もでてくるのでしょう。

 今週は、二度の出向がありちょっと大変になりそうです。有給休暇もとる週でもあります。酷暑です。読者の皆様もくれぐれも酷暑に倒れないようご自愛ください。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

 

酷暑…では逃げるのがいい。

2017年07月09日 | Weblog

 こんにちは。
 梅雨もはじまったと思いきや、梅雨の晴れ間のなんとも暑いこと…。
 いつも通りる通勤路でみかけるツバメたち(写真上)。これは二代目です。一代目はすでに飛んでからになっていた巣に二代目が元気に育っていました。よほどいい物件に違いないように思えます。軒下ではおいしい匂いもしていますしいいところを見つけたという思いでしょうか。それでも、今年見かけたツバメの巣は昨年よりは少ないようです。年々少なくなっているように見えます。大きなビルがたつたびに少なくなっていくように見えます。

 休日の多摩川散歩をしてきました。木々のあいだからセミ(ニーニーセミ)が鳴いていました。トンボも見えました。草の間からはバッタが飛び出してきます。少しずつ季節をよんでいるかのようです。

 休日でも、この暑さでは1日中外にいるのは「危険信号」です。とくに、ぼくにとってはきついですね。
 この何年か雨の日も梅雨らしくない降りかたがちがうことが感じられるます。いままでなかった、こんなにたくさんの雨は期待していないのですが、年々川を氾濫させるほどの気候になってきました。ちょうど、熱帯地方の雨季のような雨の降りかたです。自然は、正直です。つねに降らせべき雨量を地上に雨として水分を生物に与えているのです。それはありがたいことなのですが、必要以上に降る量は地球環境の異変を考えたほうが自然なのではないかと思います。

 「地球温暖化」という諸説がありますが、真意はにのつぎで地球は昔ほどきれいではなくバランスがくずれていることはみとめるところでしょう。
 身の周りのことでいえば、梅雨明けの終わりをつげる雷も最近は年がら年中なっているし、強風は竜巻をつくり災害をつくっているなど…。
 それから忘れてはいけないのが地震が多いですね。北海道から沖縄まで一日に何度から「地震情報」が流れます。

 さて今週はこの自然の猛威が九州地方でありました。
 福岡、大分両県に記録的な豪雨によって死者や行方不明者が増えていました。毎年夏が来るたびの日本のどこか、とくに山あいの住宅地が災害にあうようになっています。川の氾濫で交通も遮断され、孤立してしまう村も出てくるほどです。今回の、豪雨で思ったことは電車などが破壊されて公共交通がまた乱れたということでしょう。JR九州が超豪華列車をつくったそうだが、地域の人たちにとっては無縁なのりもののように見えたものです。
 こんなことにお金をかけるより、災害につよい交通網をつくることの方が先決だったように見えます。




 気候の異変は地球ばかりではないようです。
 今週、隣の職場のひとが長い休職願いを診断書とともに提出したようです。その結果、慢性的な欠員があきらかになったようです。(いつもそうであるが、仕事はひとりでは終わらない)
 その、とばっちりを受けたのはこのぼくでした。なんの打開策もなく、けっきょく、休職者が職場復帰をするまで、ぼくがその穴埋めするようになりました。現在の職場は、一時開店休業状態。つまり、ミスがでてくるリスクが増えたということです。

 職場は一定の流れのミスを出さないように流れています。その一カ所が消えるということは、それだけリスクは広がるということです。ぼくのせいでもなく最後は、欠員にたいしての解決策の決定打も出せないで、職場をけずった上司(管理職)の責任は大きいでしょうか。それは仕方がないことですか…。それだけのマネジメントはされているからです。それを、理解しているかは別問題です。あとで「私は聞いていない」といふ責任回避の言葉がどれだけ出て来るか合わせて考えてほしいものです。

 とはいうものの…。「本当にこれでいいのか」はぼくが考えることではありません。ぼくが考えることは「ここの職場で自分のこの仕事はどんな意味をもってくるのか」という問いを考えて仕事を覚えていくことぐらいでしょう。他にやることはないとはっきり割り切ってやらばければ、ただただ奴隷とおなじですから。
 そしてなるべくストレスを回避する方法を日々つくっていくことが大事だと思います。



 季節は暑さ満開の夏がやってきました。それも、大災害をも一緒につれてくる季節の変わり目になってきました。熱中症ということばも、日々何度なく耳にするようになってきました。今年は、どれだけの人が熱中症の犠牲になってしまうのでしょうか。だいたい、熱中症には「こまめな水分補給に心がけてください」ということばが、朝のニュースのアナウンスの口からたくさん聞こえる日々がやってきたということでもあります。
 「よけいなお世話だ!」と思うこともあります。「水分を…」というより一回くらい「熱さには、早めの有給休暇をとり、十分な休養と水分をおとりください」ということぐらい言えよ、とも思う。

 しょせん他人事。人の痛みはわからないです。
 ただ、いえるのはつねに自分が「そこから逃げられない」という現実でしょうか。だから「逃げる場所を…」さがしておいた方がいい夏でもあるように思えます。
 夏は暑さばかり強調されて嫌われがちですが、日の出のがはやいことは好きな季節です。朝になると明るく(当然ですが)なるのがほっとさせるような気がします。やはり、年をとって翌日、起きて明るさを感じられるだろうかということを考えます。
 明るさは人を助けてくれる大きな役目があるようです。残業を昼間やっているようにすれば、ちょっとは過労死もなくなるでしょうか。残業といえば暗い夜、と思いがちです。ということは、翌日に残業分をやることで仕事がまわっていればいいのではないkと思えます。
 お客の怠慢をいつも背負っているのも仕事です。もし、それを口に出したら怒ってっしまうでしょうがねえ。でもそれが無くならない限り、あるいはお互い様ということで融通できるようにしなければ解決はしません。

 土曜日の夕方、新聞を読んでいたら面白い記事がありました。
 「終業時刻に音楽を流し残業を晴らす」という記事でした。都内某企業(従業員100人)。午後6時に映画のテーマ曲「ロッキー」をいっせいに流すそうです。その瞬間各自が「私は帰ります」「私は7時までかかります」と声掛けをするそうです。これも、できるだけ残業を減らす工夫なのでしょう。
 一方で、「ロッキー」の戦闘的な曲じゃ「まだまだガンバルゾー」なんていう気持ちになってしまいますよね。選曲を間違えていないか…と思います。



 今、ぼくが座っている仕事場から午後5時半ごろどこからか区内の公共放送でクラシックの局が流れてきます。そのときもう5時半かということに気づいたりします。以前は千代田区でしたから流れる曲も時間もちがってしました。おそらく近所にも聞こえているのではないかと思います。人の生活の中で労働時間は大切な時間でもあります。それでも、人と過ごす時間も大切な時間です。考えれば、ちょうど、夕方の音楽が流れる頃が人間の生活で仕事がおわりという時間になっていればいちばんいいようにおもえます。だれもが、一緒に休める時間、笑える時間です。そうなれば、子どもも大人も同じ時間に過ごせる(休める時間)が持てることになります。それぞれの大切な時間がきたという自覚が持てるようになると思います。

 この音楽がなっている時間、朝とはちがう方向にいっせいに人が流れていきます。それでも、朝いた人間よりはだいぶすくなって見えます。それぞれが残業をやっているのでしょうか。それぞれ一人ひとりのライフスタイルは違います。違って当然。それを生かした働き方があるのはわかります。でも、とりあえず労働時間は8時間のなかで解決できることが大事だと思います。

 なぜなら、残業代もほしいのですが、健康はなにをするにも大前提になります。人は一人では生きていけないということを、同じ時間に終了することでもっと「働き方」ということを考えるとおもえました。
 要は、働くことは大事です。それを支える人(家族・友達・趣味など)たちとの時間がもっと大事です。その時間を本当に大切に考える企業はきっといい仕事をしているのではにかと思えます。音楽と時間を考える時、「パブロフの条件反射」ではない音楽がのありかたが大事に思える音が大事だと思います。
 同じ音楽を聴いてもそのリズムにあった踊り方は人それぞれです。みんなが同じ方向で踊る必要はないのではないのでしょうか。それがあるからいいのではないかと思えますが…。

 さて、来週はどんなことになるのやら…。

 今週はこのへんで。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

 

7月です。何をする一か月ですか。

2017年07月02日 | Weblog

 こんにちは。
 7月にはいりました。最近やっと梅雨らしくなってきました。路地のアジサイもやっと息をふき返したように気持ちよさそうに咲いていました。
 アジサイにとっての今年は梅雨どきの雨は、「おそい」と感じているのではないのでしょうか。花をみればわかります。すでにはなびらの色がいちばん生えるときの「一押しの」雨はおそかったように見えました。それでも、雨にはえる花はなんといってもアジサイのようい思います。

 通学中の小学生が「もう少しで夏休み」との声に羨ましさを覚えていました。
 私も半世紀ほど前は夏休みが待ち遠しい小学生でした。田舎なもので、夏休みといっても家族で旅行をしたり、親戚の家に行ったりすることもないものでした。つねに地元をうろうろしていました。家の周りを日々探検しているような夏休みでした。塾なんてものはいかなかったし、周りも人もそれぞれ勉強よりも真っ黒に日焼けをして遊んでいたように思います。強いて「塾」といえば、家のまわりにすべて「自然塾」のようでした。土を掘ればミミズ。沼にいけば魚。林にいけば小鳥の巣など、自然を利用した毎日でした、よ。



 さて今週はどんな週であったのでしょうか。
 あいも変わらず、大臣の手前勝手な発言がきかれました。
 いわゆる問題発言です。とりわけ稲田防衛相の発言。公職選挙法違反でしょうか。ふつうなら、「やばい」ですが、なんせ権力を持っている側という現実があったようです。一般人でしたら検察が起訴されるでしょうか。
 全部、自分の都合のいいうように解釈しておいてまずくなると「撤回します。謝罪した」で済ませているようです。いやー、一度は仕方ないよね…、と思っていたましたが何度も聞くようになると「意図的」だとしか見えません。それか、そもそも大臣や議員になっていることへの資質だとかを考えます。今回の発言をきけば後の方があたるような気がします。
 それを選んだ(任命した)人の資質も問われるのあはたりまえでしょう。
 最近、与党自民党はいったいどうしたのかと思う事実がニュースになります。それも、政治家としての仕事のばではなくプライベートの場で。公私混同をして、まさに税金の無駄遣いを率先してやっているような記事もあります。あげくのはてに入院ときて、結局休職扱いになるのでしょうか。こんな人たちに税金が使われいることに腹立たしくも思います。



 今、夜中にやっているサッカーのFIFAコンフェデレーションズカップロシア大会がおもしろい。ライブは夜中なので、全部録画して空いた時間にみている。その日の夕刊には試合結果がのっていても、なぜだか録画を見てしまう。
 それは、国際マッチはみていると、その国のサッカーの形がみられて面白い。最近みたのは準決勝のメキシコ対ドイツ。
 結果は4対1とメキシコの惨敗でしたがその試合内容が面白いのです。
 ドイツのきっちりとした守備と計算されたようなゴール。まるで製図をしているようなサッカーに見えました(大げさ…かも)。かたやメキシコ3点差にも下をむかず、果敢に自分たちのイメージを膨らませて相手ゴールにシュートをするが、ドイツのキーパーがまたうまい。メキシコのサッカーはみていて楽しいサッカーです。それというのも、ミスがとても少ないということが面白さを引き出しているのでしょう。細かくつながるパス。ゴール前で相手のディフェンスをくずす動きが多彩です。とても満喫できる試合内容です。試合結果も大事ですが、国際試合の面白さはその国のサッカーの形が出ていて面白いと思います。来週は、決勝と3位決定戦を残すのみです。(決勝はドイツ対トリ。3位決定戦はポルトガル対メキシコです)。
 ちなみに私が好きなサッカーの国はアイルランドのサッカーです。何度も同じ形をチャレンジしてゴールまでのアイデアも面白いですが、勇猛果敢な突進するサッカーのいいです。来年のワールドカップロシア大会に出場してくるのだろうか…。ガンバレ!!




 今週、遅れて「健康診断」にいって来ました。健康診断のきらいなところは前日から準備です。さらにはレントゲンのためのバリウム。
 年もとしだし、それなりに体には気を付けないといけないと思っている。検査をしたからといってそれで大丈夫というわけではあるまい。100パーセント診断結果があたっているということでもないのだろう。あくまでも参考として、最後に決めるのは自分である。自分の体で痛みやつらさは他人にはわからない。自分の痛みの限界も自分にしかわからないように検査はあくまでもデータのしての数字なのだろうと思う。
 
 問診をして、自分の弱いところをいわれると「やっぱり」とうなずいている。でも、それをどうこうさしずはしていない。けっきょく決めるのは自分だということであろう。そう思えた検診日だった。そして、この日から気を付ける自分のポイントがあきらかになったことも大事なことだと思う。あと何年生きられるのかわからないが、事実なのはこれからは着実に身体が弱くなっていくということだろう。そう思うと、なにかあくせくしていることがばかばかしくなる…。



 7月が始まりました。今月はどんな1カ月になるのでしょうか。どんな1カ月にしたいのでしょうか。最近は、なにをしても「あと何年できるのかなあ」と思うことがあります。これが若さにはない思いなのでしょうか。そう思うと、何であれ少しでも楽しくしたいと思いますね。
 梅雨ということもあり、雨模様をきにしつつ日々を送っています。「海の日」にむけて、山歩きでもしようかと思います。
 この時期体調と気持ちがしめりがちになります。そして体が重く感じる時期でもあると思います。できるだけ身軽にして出かけられればいいです。
 それは今週はこのへんで。
 読んでくれた人、ありがとうございました。