日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

連休前に…

2016年04月24日 | Weblog

 こんにちは…
 4月も残り一週間となりました。今月はどんな一カ月だったでしょうか。
 私にとって4月は、あっと言う間に終わってしまったように思えます。
とかく連休前は仕事に追われて気がつけば月末と、なんとも悲しくなってしまいます。それでも、日々思うこともあったり、今を迎えているということでしょう。

 通勤していると、ツバメが商店街の一軒に巣作りをはじめていました。もう夏もちかいということなのでしょうかね。空から季節を運んでくるのが鳥の季節の目印でもあるようです。

 今月14日起きた熊本地震は、いまだに続いています。これが、今月いちばん生活の中に「落ち着き」が持てない原因なのでしょう。自然災害というものの大きさに驚いている日々です。おそらく、私の生活の中でもこれが「落ち着かない」いちばんの原因でしょう。
 
 今週は「エコノミー症候群」という言葉をよく聞きました。結局、血液の流れが悪くなり、固まったってしまったりすれば血液が流れなくなり、さらには体に栄養が十分にいかなくなってしまう病気のようです。原因は狭い空間で何時間も動かずにいるとなるようです。地震などのストレスも加味されるのでしょうか。
 どこへ行っても、地震の被害者になってしまう…と思うと、動かずいたほうがいいと思えるのもわかります。
 一日も地震のない日がくるといいと思います。
 それでも、動かない、静かな日々がくるといいです。




 月末です。
 今月はぜひともこのコーナーを休まぬようにと頑張ってみました。読んだ本はあっても中途半端なのが多い月でもありました。40年以上も本を読んできてやはり思うことは「文学は必要だな…」という思いでした。
 「文学」といえば、人生においてどうでもいいように思えますが、効率優先の社会であればきっとごみのような存在かもしれません。利益が優先され、確かに豊かになってきたのは昔から比べればわかります。
 反面、豊かというより、普通の生活になるためにが頑張ってきただけですが…。とは言っても、日頃思うことは「格差」は広がっているのも事実です。

 現実に大学生の学費などはおよそ半分が奨学金を借りて学んでいる状況のようです。昼間はアルバイトをして、さらには卒業してから奨学金の借金を返す日々です。
 そんな中で必要なことは「人間ってなんだ」という問いではないかと思います。こんなことまでして生きていることが大事なのか…。そんな隙間を埋めるのが文学だと思います。決して数字では割り切れない人の感情を描きながら、自分らしく生きる方向を探す道しるべになるのではないかと思えます。
 多く読むより、好きな作家の言いたいことを深く読めればいいですが。



●ウィリアム・フォークナー/著William,Cuthbert,Faulkner紹介
(1897-1962)米国ミシシッピー州生れ。曾祖父は鉄道建設者・政治家・作家として知られた人物。第1次大戦で英国空軍に参加し、除隊後ミシシッピー大学に入学するが退学、職業を転々とする。地方紙への寄稿から小説を書きはじめ、『響きと怒り』(1929)、『サンクチュアリ』(1931)、『八月の光』(1932)などの問題作を発表。米国を代表する作家の一人となる。1950年にノーベル文学賞を受賞した。


・トミーの姓は何かを確かめようとしていた。しかし誰もが知らなかった。~あの田舎あたりで十五年間も彼と知り合っていた連通でさえそうだし、またしばしば土曜日になると町に出てきた彼が帽子もかぶらず裸のまま、うっとりうつろな眼つきをして、頬ぺたを薄荷入りの固い飴玉でふくらませて暢気に歩いている姿を見知ってした商人たちさえ、知らなかった(p142)

・ぼくには暢気な傍観していられないんだ。眼の前で不正義がのさばるのを…(ホレス:弁護士)(p151)

・誰が殺したかなんてべつに問題じゃないよ。問題なのは、あなたがこれにどこまで巻きこまれてゆかなのよ。もう町の人たちは、あなたと彼女が夜になるとあたしの家に忍びこんでいると信じはじめているよ(p241)

・この裁判を片づけたら、ぼくはヨーロッパに行こう。いやになった。こんなことをするには老けてすぎてるんだ。こういう事件に我慢できる性質じゃないんだ。だからぼくはこんなにどこか静かな所へ行きたがっているんだ…(ホレス:p342)

・その空気はいくつもの開いた窓からはいってきて、頭の列の上を吹きすぎてホレスの立っているドア口まで来るのだが、その空気には煙草や酸い汗や大切なにおいとっともの、まさしく法廷のそのもののにおいも混ざっていた……あの黴くさいにおいだ。ここで消耗された欲望や貧欲さ、敵意の口惜しさなどの混合したものでありながら、それ以上ましなものがなたいために一種の頑とした安定感も含んでいるにおいなのだ(p370)


◆事件はいつも、どこかに「路地(心の奥の貧欲)」がある
 この本を読む前に中上健次の自伝(「エレクトラ」高山文彦・文春文庫)を読んでいた。本によると、中上健次もフォークナーの影響を受けていたという。それはどんな点からわかるかというと、中上健次は作品のバックボーンにはいつも「路地」があるという。その「路地」とは何か。中上のいう「路地」とはからの差別であったり、その中で生きていく人間模様であったと思う。「路地」が作品への書く起爆剤となって多くの作品が書かれているのだろう。

 一方、フォークナーでは「黒人人差別」だろうと思う。人種差別はなくなったといっても住んでいる生活する人間にとっては、ときには「差別」する方が生きやすい環境であれば、差別する側のマジョリティにまわっていることが自然になってしまっているのではないのだろうか。アメリカ南部と言えば、、人種差別の多い地域ともきく。そうであれば、自分の本心をすててまでマジョリティ側で生きていく矛盾をかかえながら生きていくしかない、ということを強いられているのだろうと思う。

 「サンチュクアリ」という小説は、そのテーマを見据えてできた小説。
 物語はミシシッピー州のジェファスンの町はずれで、車を大木に突っこんでしまった女子大生テンプルと男友達は、助けを求めて廃屋に立ち寄る。そこは、性的不能な男ポパイを首領に、酒を密造している一味の隠れ家であった。女子大生の凌辱事件を発端に異常な殺人事件となって醜悪陰惨な場面が展開する。
 そして殺人事件が起きていく。殺人事件の真相を解明しようと弁護士のホレスが奮闘する。しかし、裁判もうまくいかない中、何か目に見えぬ「力」を感じるようにる。気がつけば、人の生き方が問われていく小説のように思える。人々の生活は眼の前にある日々の生活を送っていくのだが、それを支えているものはいったい何だろうということを考えさせられる小説。
 読み終えて、1968~1969年に起きた「永山則夫ピストル連続射殺事件」が思い出された。



●車谷長吉・紹介
1945(昭和20)年、兵庫県飾磨生れ。広告代理店に勤務のかたわら、執筆した短篇の文芸誌掲載が機となり、以後20年余にわたって私小説を書き継ぐ。うち6篇を収めた『鹽壺の匙』(1992年刊)により芸術選奨文部大臣新人賞、三島由紀夫賞を受賞。他の作品に『漂流物』(1996年刊、平林たい子文学賞)、『赤目四十八瀧心中未遂』(1998年刊、直木賞)、「武蔵丸」(2000年発表、川端康成文学賞)、『飆風(ひょうふう)』、『灘の男』など。


・松本清張の世界は、才能がありながら、学歴がないが故に、世の底に埋もれて生きざるを得ない人達の、怨みと憤りの文学である。つまり、順調に栄達を遂げた人への反権力の文学である。周五郎の主人公たちと同じように辛苦の生活の中にあるが、併し周五郎の主人公たちが諦めの底に一筋の光を見出して行くのに反し、清張の主人公たちは自らの運命と闘いながら、絶望と破滅への淵に沈んでいく。それをもっとよく現しているのが「或る『小倉日記』伝」や「断碑」であろう(大衆小説の読者)。

・実際、司馬の「坂の上の雲」を読むと、日清・日露というあの厖大な戦さを描きながら、また登場人物は数百人に及びながら、その中で虫けらのように死んでいく兵卒・水兵の話が出てきたのは、わずか陸軍二人、海軍二人だkである。あとはすべて将校以上、通常の社会で言えば中間化離職以上の指導層なのである。つまり、立身出世を遂げた、世のえらい人なのである(大衆小説の読者)。

・~併し私は小説の醍醐味は短編小説にあると思っている。何気ない日常的な生活風景の底にひそむ、「日常の中の異常」ともいうべきものが、小説の破局において、突如顔を覗かせ、意外な、波瀾に満ちた人の生死の、鮮烈な断面を切り取り見せる。そしてそれがいつまでも私達の記憶に残る。そういう短編小説ならではの醍醐味は、長編小説では味わえないものである(短編小説を読む)。


◆小説の読み方は人それぞれ違う…それでも小説家の本質をのぞくことも大切だと教えてくれる

 小説を読む側はそれほど思い入れをもつこともないだろう。何かのきっかけで手に取ってみた一冊にすぎない。それも、おそらく誰かのメッセージであったり、新聞の記事であったりと選択する情報はどこあにあるのだろうt思う。
 しかし、書く側はいったいどんな気持ちで悪戦苦闘うしているだろうか。
 作品の節々にその作家の生きざまや生い立ちも少なからず出ているのではないだろうかと思う。「文士の魂」はまさに、その作家たちの書く「魂」をのぞいた本だといえる。

 そして著者自身がいうのには、作家などという職業はできればならない方が身のためだというほど苦しい仕事だという。それでも、書くことが本当に必要な人が作家になるのだと…。
 著者自身、人間は本来苦しむために生きているという仏教思想から出発しているということが年頭になっている。だから、その苦しみを小説にすることは大事なことだといっているように思う。
 これまで作家の多くはその苦しみのなかから、小説を見出してきたということだろう。その悪戦苦闘をどこまで読み上げられるか、読者の醍醐味ともいえる。なんとも、非日常をいかに説得力あるものにするかかいているのだろうから、大変な仕事と思えてきた。

 それが本当の作家だと…。
 本物の作家を探すのは読者だ。いつも思うのだが、車谷長吉という人の本はおもしろいと思う。
 ただ、残念なことに絶版が多いこと。あるとした全集。これは高すぎるー。





 連休前です。何もかも「前倒し」で仕事がすすんでいきます。だから、12月の忙しさのようです。
 もう少しのしんぼうのようです。
 それにしても、60歳での深夜帰宅はキツイですよー。

 連休のことでも考えてガマンするしかなのだろうかね。
  今日はこのへんで失礼します。
 いい一週間を…
読んでくれた人、ありがとうございました。

春先に突然の大地震を受けて

2016年04月17日 | Weblog


 こんにちは…。
 毎朝、通勤電車が混雑していますね…。
 通学・通勤の人口がきっと増えたからでしょう。それでも、毎日乗る電車の時間やホームの位置は変わりません。これが、会社にいくまでにいちばん楽な行動だからだと思います(職場にいくまでに、ヘトヘトにつかれていては困ります)。これは、何十年も通勤して得た知恵でもあります。

 桜もすっかり散って、ハナミズキが咲き始めました。散歩道の多摩川では空高くツバメが飛んでいました。早いものですね。これかは、人も動物も活発になってくる時期になってkるのでしょう。
 さて、今週はどんな話題があったでしょうか。


◆1 投票校での危険は反対にならない(12日・東京/発言より)
今年から18歳以上から初の投票。気になること…
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 今夏の参議院選挙。今年から18歳以上の人にも投票する権利があるようになった。年齢が引き下がり、より一層の投票率のアップもさることながら若者の声を政治に反映させる絶好のチャンスでもある。
 憲法、原発、教育、医療などくらし全体から考えてどうしたいのか世代によっては考え方がちがうのは当然だろう。大事なのは投票しようしている政治家・政党がどんなことをやろうとしているのか、誰のためにやろうとしているか、目先の利益ではなくこれからのことも考えてみることも大事な投票行動の理由ではないかと思います。

とはいうものの、選挙のたびに気になる数字があります。
 「投票率」です。半分、あるいは3分の1ぎりぎりの投票率があるのには悲しいくらいです。理由として「投票すべき人、政党がない」ということをよく聞きます。政治家を選ぼうとしたら、知人などがいない限り難しい選択かもしれません。最低でも時事問題を新聞やテレビなどで読んだり見たりしていないとよく分からないことは確かなことです。
 それで「棄権」や「白票」ということになるのでしょう。
 これもひとつの投票行動なのかもしれないと思います。
 でも、これでは「何も変わりません」。すくなくとも自分の意志が反映された投票行動ではないと思います。
 現在のところ、ぼくにとっての今の政治はいいとは思いません。そう思って投票するつもりです。どこをどう変えてほしいか。正直なところ、遠い将来のことはよくわかりませんが、身近なことでいえば「年金問題」。ぼくらの税金でもある年金の使われ方に不満があります。「投資」をやって「負債」をだしたりしています。これでは、老いて安心して暮らせるとは思えません。そんな気がします。だから、投票する理由があります。結果として、投票した候補者が落選したとしても残念ですが投票しないよりはいいと考えます。



◆2 熊本で震度7(15日・東京/1面)とうとう関東にもくるのか大地震。
自然災害と人災(許せるものと許せないもの)
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 14日午後9時26分ごろ、熊本県益城町で震度7の地震があった。熊本市などでは震度6弱もあった。九州中部を中心に西日本の広い範囲で強い揺れを観測した。
 国内で震度7の地震は、1995年の阪神大震災、2004年の新潟県中越地震、2011年の東日本大震災に続いて今回の熊本での地震が4例目だという。

 その時間はまだ職場で仕事をしていた。「ドスン」という体が沈むような感じがした。ビルに何かが衝突したのか思ったが、その気配がなかった。ニュースをみたら東京でも地震があったそうだ。
 その後、ニュースで熊本に大きな地震があったと放送していた。なんと、震度7とは強烈な地震であったのだろう。テレビ中継でもカメラが完全にぶれていた。夜なので、明かりがすべて線上になり切れたりしていた。
 これからは、日本は「地震国」だな、と思った。一日中、どこかで地震は(小さいものを)数えれば相当な数になるという。今回のように大きな地震ではないため、人知れず起きているらしい。

 どれくらい続くのだろうと思っていたら、木曜日から土曜日まで続いてる。それも、日を追うことに規模が大きくなっていくような地震速報があった。
 日本の地下にはどれだけの活断層があるのだろうか、と思うと「地震の国」なのだといまさらのように思う。



◆3 同一労働同一賃金(15日・東京/社説)
「一億総活躍プラン」を同じスタートラインからはわかるが…
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 「同一労働同一賃金」は安倍首相が、雇用形態にかかわらず仕事の内容が同じなら賃金も同じという形にしようとするもの。
 本当にできるのだろうか?と疑問はある。では、同一にするとき、同じ仕事であって賃金の高い人、低い人であればどちらが基準になるのだろうか。そして、それをだれがどのように決めるのだろうかなどがある。
 実際、それを法律できめるのはいいが、どんな人がどういう形からそう導いていくのだろうか。
 ※ちなみに日本の賃金格差はフルタイムの正規労働者に対するパートタイムの賃金水準(時給)はフランスが89%、ドイツ79%、日本57%となっている。法律では「パートタイム労働法」や「労働契約法」で賃金差別をなくすようにしている。

 日本は派遣や契約社員が多い中、実際にできるのかという疑問はある。基本的に同じ土台でないのであるから、賃金の差はあるのではないのだろうか。大事なことは、労働者を同じ土俵に持っていくことなのではないかと思う。派遣を契約社員を、正規社員として採用して同じ椅子にさわらせることが一番最初にやることではないかと思うのですが。さらに、法律があるのですからその法律を守らせれば賃金も残業代も正しく出すようにすることになるのでしょう。しかし、それが全然守られていないことが問題ではないかと思います。法律が守られず野放し状態の結果として、ブラック企業や過労自殺という言葉がうまれるのです。

 最近、NHKの「クローズアップ現代」を見ていたら、なんと仕事場を紹介するべき人材会社が業績も優良な企業の要請によってなんの理由もなく、退職勧奨に協力しているという放送がありました。なんともとんでもない人材会社もあるものだなと思いました、また、さらに驚くことに社労士が企業の委託をうけて退職勧奨をすすめている実態も放送されました。けっきょく40~50歳代の労働者が退職して、会社に雇用されるのは難しいなか辞めたことを悔やんでいました。なぜ、そんなことが起きているのでしょうか。
 ここでも法律が守られていないからでしょう。これが実態なのではないのでしょうか。

 「同一労働同一賃金」といっても、結局、賃金の低い方に動くのは見え見えです。
 「タックスヘブン」では、高給取りの人たちが税金逃れのために、税金のかからない国へ口座をもうけ預金している現状がありました。税金は貧乏人が払え…とでも見える現実がある中です。


 熊本で大地震が起きた。
 16日未明、熊本県の阿蘇、熊本などで震度6の地震が短時間に連続して発生。
日をおくごとに死傷者の数も増えているという。家屋お倒壊、土砂崩れも増え
ている。
 5年前に東北大震災が起きて、やっと津波で流された家屋の跡地が整理しは
じめたというのに…。
 仮設住宅に住む一人老人の孤独死ということもあるなかでまたしても地震が
起きた。
 休日のテレビでは連日、地震の様子を放送していた。たいへんな苦労を背負
ってしまったなあと思って見ていた。はやく地震の沈静化してもとの生活を少
しずつ回復できればいい。

 5年前の大震災時、ぼくの通勤も慣れないバスや徒歩で会社まで通ったこと
を思い出した。これが一番大変だった。会社にいくまではいいが、帰宅時間に
にまた地震が起きたら「帰宅難民」となるだろうと思っての通勤だった。ラジ
オを持っての通勤の日々だった。
 5年前も今でも不安の思っているのは、ずっと原発のことだった。
 自然災害は、どうにか自分の心のなかでは「あきらめ」みたいなものがある
ように思えた。地球が多くのエネルギーを出して自然が変化させる姿には、人
間がやることなどたいしたことではないな、と思い知らされた地震だったよう
だった。
 だから、また、どうにか生活が戻ってくると、忘れてはいなのだろうが、
「しょうがない」と思うようになった。自分のなかでは大変だが、生きて生活
ができるようになってくると「許せる範囲」というものになっていることが気
づかされる。

 そんなかで、一緒に起きた東京電力福島第一原発のメルトダウンは怖かった。
 見えない、匂わないと形の放射能という怪物はいまでも恐怖を感じている。
身近な人たちが遠くに避難(逃げる)して姿をみていると、犯罪に近いことだと
思う。さらに、その原発を再稼働していることに不安は続いている。
 原発事故が津波でおきたというより、結局地震が原因なのだろう。はやく手を
うっておけば許せる範囲であったはずなのに、原発がいまだに動いていることに
「許せない」とい気持ちが残っている。
 そして、いまだに解決していない。唯一、安心ではないが「停止」しているこ
とが地震対策の最低条件であるというのは悲しい。それができることなのだから
仕方がないと思っている。いずれは、「廃炉」にするのが地震大国の選択ではな
いかと思う…。それでも、「想定外」という言葉を多く聞く日が近づいているよ
うに思うえる。



 これから職場や街頭での「熊本地震」へのカンパや募金がはじまるのだろう。できることといったらそれくらいだろう。それでも、やれることはやれる範囲で協力できたらと思う。
 
 妻と会話をしていたら「日々ドンパチ銃弾が飛んで人の命が亡くなっていく国がある。それはなんとも人間の悲しさを見るようで寂しくなる。なんでこうなるの…。人はなんのために生きているのかわからなくなる…」と。自然災害はこれも、人の命が奪われ悲しいが、きっと自分の身に起きても、防ぎようのないものであれば仕方がないように思う。でも、生きていたいという願いはまだ持っていたいと思う。

 自然の猛威に逆らっても仕方がように思う。
 今まで、人はこの自然には人生をどれだけいやされ、楽しくしてくれたかと思うと不思議と「許せる」ように思える。山歩きなどをしているとつくずく思うことがる。(来年もまた美しい桜の花をみられるといい)。

 来週は一カ月でもいちばん忙しくなるようだ。
 週末には、休日出勤もあるのかもしれない。だれかがやらなくてはいけない仕事だとしたら、やれる範囲でできるものであればやるしかないようだ。まして、連休前は、仕方がないのだろうなあ…。
 熊本地震だ当事者の人は大変だろうと思う。亡くなった人や、住む家が倒壊してしまった人もいる。これから、少しずつ余震もなくなって立ち直って祈るばかりである。

読んでくれた人、ありがとうございました。



花見は終わりましたか…

2016年04月10日 | Weblog


 こんにちは…。
 桜の花見も終盤になってきましたねえ。
 天候も不順な一週間でしたが、花をみる時間が多くもてた休日でもありました。この時期は桜の花ばかりではなくたくさん名前も知らない草花もいっせいに咲いていました。
 みなさんは花見などはできましたでしょうか。

 ぼくの方は、今年は残念なことに恒例の「花見」は出来ませんでした。毎年、近所の某公園で職場の人と一緒に花を肴に愚痴をいったりしながらのんびり楽しんでいました。今年はぼくの異動もあり、職場も離れているからでしょうか中止にしました(一人がインフルエンザに罹ったこともありましたがね)。とても残念です。
 でも、休日は用事がない限り、それなりに桜を見にあちこちと散歩ができたました。今年はどこも見事に咲く時期を選んでくらたかのように咲いてくれました。以前には、「桜まつり」の時期には咲かず、咲き終わっていあたりと、休日と先ごろがなかなか合わずにいる年もありました。今年はばっちりだったように見えます。
 今年の花はいつもより、ピンク色が濃かった思えた桜でした。

 さて、今週はどんなことがおきたのでしょうか。入社・入学シーズンでもありました。通勤電車には、フレッシュな新規採用社員の姿も多く見かけた週でもありました。
 スポーツ界ではでは、バトミントン賭博あり、水泳のリオ五輪出場枠を決めた大会でもありました。
 また、原発再稼働(川内原発再稼働)反対の訴訟の判決がでた週でもありました。そんななかで印象に残ったものにスポットをあててみました。

◆1 井の頭自然文化園・象のはな子の周辺(4/4/東京)
井の頭自然文化園の象のはな子が日本の最高齢の象だそうです
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 象のはな子は今も元気に動物園でがんばっています。
 20年以上前、私が住んでいた武蔵野市だったのでよく子どもをつれて毎週通った動物園でもあります。あれからもう30年以上もたっています。ということは、その前からいたわけだす。象の寿命は相当なものです。寿命もすごいと思いますが、動物園でそれ以上長くいたことにはおどろきます。よほど、飼育員の方がたの苦労があったのではないのでしょうか。

 井の頭自然文化園には、水族館もありそちらぬも子どもとよく行きました。動物園と言っても、象のはな子のほかに、モルモット、ふくろう、アナグマ、うさぎ、やぎなど家畜もいました。小さな動物は触れるので子どもにとっては楽しかったのではないかと思います。さらに、中には乗り物コーナー(今はあるのでしょうか)もありましました。都会にいると、動物と触れ合う機会が少ないな中、とてもありがたい動物園でした。道路をはさんで、水族館もありました。淡水魚が飼育されていました。こちらもよかったです。
 帰りには、山本有三館で本もかりることもできました。当時、入館は無料でした(今は有料になっているのでしょうか)。

 今回、井の頭自然文化園が話題になったのは、外国人のジャーナリストが同公園の象のはな子をみてあまりにもかわいそうという記事をブログで更新してからでしたね。そんな中、動物園の方もいろいろと考慮していたそうです。高年齢のはな子を移動させるには大変なストレスをつくってしまうように思えますが。
 



◆2 高校生の政治活動「届け出制」もする?(4/5/東京)
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 投票年齢が18歳以上からとなって、高校生でも選挙権をもつことになりました。自分の考えにそって立候補した政治家に投票できるということ。
 でも、ほんとうにその政治家の言っていることが口先だけでなく、実行しようしているのか見極める材料として政治行動に参加するのも一つの方法でしょう。それが、いいのか悪いのかを判断するのはそれからでもいいと思います。投票するのは自分であるのですから。
 自分から判断して投票することが大事で、その前で「届出制」にしてだれが判断するのでしょうか。けっきょく、「届出制」にするなかには、行動しようとする人の学校体質がみえかくれしているようにも思えます。
 「問題をおこしては困る」というのは一方的な思惑。問題は多すぎて困るくらいです。問題があれば、それを修復するのも大事なことなのでしょう。そんなことはしょっちゅうありますがね…。ない方が不思議なくらいです。それでも投票する行動は大事ではないのでしょうか。

※ちなみにこんな政治課題があります(東京新聞・4月6日版より)
①奨学金(大学や専門学校に通う学生がお金の心配をせず学べるよう支援する制度
 日本の場合は「給付型」(返済の必要がない)、「貸与型」(返済が必要)の2種類に分類されます。日本の場合は基本的に「貸与型」です。
 いま、日本の学生の4割が文部科学相の管轄する日本学生支援機構の奨学金を利用しています。(2015年度利用者は134万人)。労働者福祉協議会(東京)が15年7~8月、学生時代に奨学金を借りていた34歳の以下の働く男女にアンケートをとったところ「奨学金は結婚に影響している」と答えた人が3割以上、非正規労働者などで収入が不安定で額も限られる若者たちには重荷になっている。野党は先進国ほど「給付型」奨学金を導入し、大学の授業料を無償化も進めていると指摘。これを受けて文科省の有識者会議は卒業後の給料に応じて、月々の返済額を決める「所得連動返済」の制度をまとめました。

②ブラック企業(「ブラック企業とは、働く人がひどい扱いを受け、何のために働いているのか分からないなどの絶望感を持つ会社のこと」
 働いても「残業代が出ない」「研修と称して社訓を大声で読まされた」など、2015年9月の厚生労働省の電話相談には1日で1000件以上が寄せられた。
 人件費を安くする短期間の雇用の非正規雇用が増えた結果、「終身雇用」は減り、不安定な雇用形態がうまれました。非正規の割合は労働者の4割近くになりました。若者は正規社員なろうと必死で、会社の扱いが悪くても我慢しがちです。
 ブラック企業の批判が高まり、15年に国会で青少年の雇用を守る法律が成立。今年から企業は求められれば職場の様子などを知らせなければいけなくなりました。

③原発再稼働問題(電気自由化で今後)
 「トイレなきマンション」といわれた日本の原発政策は、福島原発事故後もあいかわらず再稼働を考える政府与党の動きがあります。今年は原発事故5年目。5年経っても原発政策は規制委員会の基準がきつくなっているだけでなんら日本の地震対策などに考えたものではないように思えます。
 一度、事故がおきると多大な被害をつくることは、すでに東京電力福島原発事故で学んでいるはずなのですが、経済を優先するあまりないがしろにされているように思えます。事故が起きていちばん被害を被るのは、そこに住む住民です。再稼働を優先させた人々は、責任も反省もしないように思えるのが、ぼくの思いの現時点です。

④憲法9条や25条の問題



◆3 15歳の少女・女子100m水泳バタフライでリオ五輪代表に
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 今年、ブラジルのリオネジャネイロ五輪代表選考がたけなわです。
 ぼくの応援する男子サッカー代表はすでに決まりました。しかし、女子代表は惜しくも出場できなかった。実力も必要だろうが、時の運というのも実力なのだなとつくづく思う(これから、これからじゃ)。
 今週、水泳五輪代表を決める選考会が行なわれていました。水泳五輪代表の選考は実に単純で決勝当日一発勝負なのです。
 今回、100mバタフライの派遣標準記録は57秒77。この標準記録を破らなくては優勝しても選考できないというシステム。この派遣標準記録より速く泳いだのが池江璃花子さん(15歳)だった。記録は57秒71。標準記録すれすれの代表決定でした。この差はいったいどこからくるのだろうか。
 試合後のインタビューに言葉にならない泣き顔がすべての努力が報われた瞬間のようにみえました。そして、この涙がほんのわずかなタイムの差も縮めたようにも思えた。ぼく自身、貰い泣きしそうだった。リオ五輪でも悔いのない水泳をしてほしい代表だと思った。

 野球、バトミントンと賭博問題の多いスポーツ界。
 スポーツという商売がいかに多くの人に影響を与えているのかもっと自覚してほしい時代でもありますね。選手の生活もあるのだろう。安易に自分の協議種目の練習より、違うことにうつつをぬかすスポーツ選手は、もうそれだけでいいプレーは期待できないだろう。「稽古を一日休めば、衰えは自分にわかる。二日休めば、舞台の相方にわかる。三日休めば、客が承知しない」(「花伝書」でしたか)という言葉あるように、本当にスポーツを商売にする以上賭博などやっている場合ではないだろう。選手生命は短い、されど生命は長い。まさに、この世界に立つ人たちだろうから…。
 以前、西武ライオンズの黄金時代を築いた広岡達朗監督のとき選手にコマーシャルなどの野球以外のことに出ることを厳しく禁じたことがありました。これは、野球という仕事に誇りをまつこと、集中することなどが理由でした。また、選手自身の将来のことを考えてのことでした。
 今は、コマーシャルにでるスポーツ選手が多いですね。ぼくの味方としては、コマーシャルなどに多く出るようになったら、その選手生命は終わりかな…と思っていますが。
 



 朝、通勤電車に乗ろうと駅のホームへいつものように行ってみた。事故でもないのにホームがいっぱいだった。どううしたものかと、と思っていたら駅には若いスーツ姿の男女が多い。新入社員かと思った。なんとなくリフレッシュできそうな群れに入ると、自分の齢が自覚できる時間でもあった。
 季節は新入社員のシーズン。今月はこの人たちがどんな人生を送っていくのだろうかと思った。

 ぼくにもこんな時があったんだろうと思う。
 どんな気持ちで働きだしたのだろうかと思った。今となってはこんな発想はできないが「なんでもできそうな時期だった」ようにも思える。要は、どうしたら働き続けられるかが大きなテーマだったようだ。
 それには、労働条件や賃金が保障されなくてはだめだと気づき労働組合へも参加してきた。会社と団交をしたりするうちに、会社の事情を知るようになった。地域の人たちとの交流は楽しかった。いろいろな職場の人たちとの交流は、自分の考え方を確かめる時間でもあった。今のように契約社員や非正規社員より正規社員の方が多かった時代だった。だから、いまでいうスキルアップは自分だけのもおではなく、多くの人との関係の中で出来上がっていくものだったように思える。これも誰のためのではなく、自分のためだった。それでも、横のつながりは今よりも多かったようだ。労働運動という言葉もまだ生きていた。(今はどこへ…死語か)



 ホームに並ぶ新入社員の群れをみていたら、そんなことが思いさだれた…。
 今思うと、今よりはましな時代だった。おおよそホームレスという言葉もなかった。
 ということは、政治も活発だったのだろう。今のように、「一強多弱」の政治ではなかった。批判するのは野党のりっぱな役割として、与党もそれに応えようと必死だった。そんな政治はどこへいったのかなあ。
 どんなことをいっても最後は、生活の基本は政治家たちの政治姿勢が持っている。少なくとも、日本にいる限り、日本の政治によって生きている。それは、選挙の時だけでなく、命がある限りどこまでもついてくる。
 悪ければよくするしかない。こんなごく自然な考えもなにかいいずらい時代なのかと思う。

 4月。仕事を覚えるために研修が新人には待っている。
 さらには、自分のあう人間関係をつくる。なかでも、相性の悪い人間関係を学ぶことが必要な時期でもある。世の中、これだけ多くの人間がいるのだから、自分にとっていやな人も人もいる。そんな中でも、いかに仕事をうまく完了させるかを覚える時期でもある。
なんとなく、忙しい4月。体力のいる月。
 さらに、政治が少しずつ身近になってしまうことを自覚する日々が始まるのだろう。



 長くなりましたか最後に、今週、「世界で一番貧しい大統領」として知られる南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領が来日しましたね。6日、都内で記者会見で述べたことが非常に印象に残っています。

■日本の人たちに、人類や世界はどこへ向かっているのだろうかと聞きたい。私たちがどんなに将来を夢見ているのかを考えずに、私たちの将来はないのではないか。

■貧乏は少ししか持っていないことではなく、無限に多くを必要とし、もっともっと欲しがることです。

■乗り越えなければならないのは私たちの文明のモデルであり、見直すべきは私たちの生き方なのです。

■質素な生活は自分のやりたいことをする時間が増える。それが自由だ。

 
 さて、今週も終わりです。
 来週は、連休も近づいてくることで、月刊誌や新聞などの前倒しで忙しそうになると思うと、憂鬱になります。正直、逃げ出してしまいたい…と思うのが本音です。
 でも仕事ですから、どうにかペースをつかんで運んでいくしかありませんかねえ…。

 読者の皆さんも5月の連休が近づいてくると前倒しの仕事がのしかかってくるのではないのでしょうか。
 いやなことなかり考えても仕方がありません。ちょっと、楽しいくとを考えるくらいの方がいいのではないかと思います。
 それでは、この辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

桜は満開ですが…

2016年04月03日 | Weblog


 こんにちは…。
 桜が満開…となりました。天気はあいにくの雨です。寒さも「花冷え」というところでしょうか。
 天気だけはだれにも文句をいえるものでもないので仕方がありません。こんな天気があるから桜も咲くことができるのでしょうから。
 近所の商店街の桜も満開でした。毎年行われている「桜まつり」も今年は日程どおりに咲いてはいるものの、今度はお天気が悪いので、出足もちょっと少ないようでした。うまくいきませんねえ。
 いつも「桜まつり」は不運の連続でした。日程のときに花が咲いていないかったり、散ってしまっていたりと、日程と桜の時期がマッチングしたことが少なかったようでした。

 今年こそは…、と思いきや、天気が悪い休日。
 なかなか思うようにはいきませんね。ボランティアのスタッフの人たちも大変でしょう。
 妻と娘は地方に写真をとりの花見に出かけていきましたが、さてうまくいくのでしょうか。

 さて今週の新聞の中味はどうであったのでしょうか。1週間の「拾い読み」をしてみました。 

◆1 安全保障関連法が29日(火)施行

他国を武力で守る集団的自衛権行使が実行される時代が来た。
 昨年の9月19日未明、国会の周囲で「憲法壊すな!」の声があがるデモが行なわれる中、与党によって強行採決された法案である。
 どんな形で集団的自衛権を行使するのか、曖昧な説明がつづくなかの法案成立であったように思う。憲法学者の間では「集団的自衛権行使」の安保法案は違憲だという主張はかわらない。
 ヨーロッパなのでISの同時テロが報道されているなかで、わざわざ渦中にとびこむのもどうかと思う。
 安倍首相のいう「積極的平和主義」とは、海外で武器を使えるような地ならしをすることなのだろうか?

◆2 派遣労働者7年ぶり増(東京4月1日)増えて喜ぶのは誰

 厚生労働省は31日、2015年6月1日時点での派遣労働者数は前年度同時期より6・7%増え、約134万人と発表。
 本当は派遣よりも正規雇用を増やしてほしい。さらに法律も正規雇用を促進するものをつくってほしい。「派遣法」などよりもつくってほしい。
 人の動きがどれだけなのか、どういう働き方を望んでいるのか、ということを考えたとき不安定な派遣より、正規のほうがよほど安定をうみやすい土壌なのではないか。「一億総活躍」ならなおさら働く場所が生活を支える場所のようにしなくてはならないのではないかと考えます。

 いつも思うのですが、どうしてこんなにも「派遣」や「契約」社員が増えたのでしょうか。結局、企業の都合だろう。経済用語に「産業予備軍」という言葉があります。昔でいえば「金の卵」でしょうか。これから働こうとする人たちがいつも待機していて、時代の経済を支えていく人たちのことをいうのでしょう。それが、順調に高齢の人がやめたあとでも、企業を経営を続けられる仕組みを担う人たちでした。
 それがいつの時代からか、「価値観の多様化」「働き方の多様化」などという言葉が氾濫し始めて、さらに政治家が「規制緩和」という仕組みをつくり、企業が時間を決め、能力にあった人を雇う仕組みをつくりました。しこに、昔風にいえば「職業紹介所」をつくり今では「派遣社員」という人たちを多く抱え込む「派遣会社」が出来上がりました。そこに登録しておけばいつでも企業に契約して働けるシステムです。しかし、これが問題になっていました。ぞくにいう「ブラック企業」です。契約と違う仕事が履行されたり、残業代が出ない…など、が出てきました。それらの問題を置き去りしていまでも進んでいる状況だと思います。

 それで生まれたのが、過労死でしょう。いったい、今後がどんな形になっていくのでしょうか。
 最近、春闘でも労働者の「団結」ということを聞かなくなりました。労働者は団結することでしか支えあうことをつくるということでしょう。労働者は団結によって知恵をしばり、考えていくしかないと思います。



◆3 世界12都市に住んそれぞれの都市の価値観をみてました(東京3.28)

 世界中の年に住んでみて、自分の住んでいる都市の価値観を考えてみる…。これは面白いと思いました。日々の生活がその土地の暮らし方をつくり、価値観をつくりあげる。そして、その人の生き方も決まるものだと思います。それを実践した人がいました。コミンズ・リオさん(27歳)がそれを実行しました。
 パリやイスタンブール、バンコクなど世界12か国に1カ月住んでみて、そこの価値観を体感してみるというもの。そこに住んでいる人たちの「最も大切なもの?」「一番うれしかった出来事?」などを聞いてみたそうです。そして、それを聞いて、見て自分なりの感想を寄せていました。

 ちなみに、「…貧富の差が激しく、経済的に厳しいリオデジャネイロの市民が一番ハッピーに見えた」。最も生活しにくかったのはストックホルムだそうで「店じまいは早いし、日曜は酒屋は閉店。銀行での現金引き出しは20万円程度と厳しく管理…」市民は、金曜日の夜は「家族との時間」としてパーティーなどは開かない。必需品以外は買い物はほとんどしない。高級品や高級ブランドには価値観を感じないよう、だと。
 税金は高いが、医療費は無料の土地では「将来に備えての貯金をしなくなる。貧富の格差は小さく、ガツガツと長時間働く人は少ない。私生活に重きを置き、家族旅行によく出かける」等など。

 価値観は人それぞれみんな違うのですが、自分にぴったりあったものを選ぶことは大事なことだと思います。ただ、本当に自分の価値観は自分が本当に必要で大事にしたいものだったのかというと、以外と日々の忙しさに埋もれていて考える時間がないなか生活していることに行きつくのだろうと思う。
 まして、日本では分刻みにものごとが流れていくなあ、と読んでいて考えた。けっきょく、めんどうくさくなって流れていくしかないように思っているのんだろうなあ…きっと。
 自分がいたい所、いたい時間、一緒にいてもらいたい人など、大事なことを置き去りにしている日々を思う。

World in TwelveのコーナーHPです
https://www.makuake.com/project/worldintwelve/
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 久しぶりに映画を見にってきました。
 「家族はつらいよ」という映画。監督は「男はつらいよ」をつくってきたぼくが好きな山田洋次さんでした。
 この映画のテーマは「家族」。それぞれの人生をかかえた人々を描いた作品でした。

 【あらすじ】

 とある町の三世代で住む家族。家長でもある父母はどこかの商社のサラリーマンだった。今は定年退職で日々時間を飲み屋にいったり、犬の散歩で過ごす男。妻は小説のカルチャーセンターに通う。長男は商社につとめる40代現役サラリーマン。妻は二人の男の子の専業主婦。長女は税理士となって開業して独立。夫はその手伝いをしている。次男は収入が不不安定なピアノの調律師。そいてその恋人は看護師でとても美人。

 ある日、定年した父が飲み屋でいっぱい飲んで気持ちよく酔って家に帰った。妻の誕生日を告げられる。忘れていたことをわびる。ところで、「お前がいまいちばん欲しいものはなんだ…高いものは無理だがな」と夫は声をかけた。そこで妻が出したのは、なんと離婚届だった。「私のほしいものは、ここ離婚届に印をおしてほしい」と。夫はびっくり。
 父の子どもたちは、「どうして」と思い、父を探偵に頼んで調査を依頼する。浮気かなにか…。
 しかし、妻の理由は、日々の夫のだらしなさに何十年も付き合ってきた自分にうんざりしたことだった。そのガマンに限界を感じてのことだったという理由。これまで、仕事で遅くなったりしても身の回りのことを朝から晩までやってきてつくづくいやになったという…。これからは、自分自身の生活を取りもどそうと決心しての「離婚届:であったと…。
  
 子どもたちは家族会議を開き、母の本当の理由と父のいいわけをも聞こうとはじめた矢先に父が体調を崩し、救急車で病院に運ばれるというハプニングもおきます。
 退院した父は、家で「東京物語」をみながら、とうとう離婚届に印を押し、母に渡すのですが…。
 母は本当に欲しかったのは、父のいいわけであったり、母への気持ちであったのでしょう。離婚届を破りまた生活が始めようと決心したのでした。これでめでたし…めでたしという話でした。途中、次男の婚約者が父に「自分の言葉で話さないと何も思いは伝わらない。だから話してください」という言葉が印象的でした。
 


 【感想です】

 久しぶりの映画でした。
 やっぱり、DVDやテレビは簡単でいいのですが、映画館でみるとまたちがった感想が胸をうちます。
 「家族はつらいよ」という映画も、テレビで見たら単なるホームドラマで感動も小さいでしょうね。
 「映画ってやっぱりすばらしい」って感想です。ただ、めんどうくさいということで行かないのです。いけば、やっぱりそれなりの感想がわくものです。

 「家族」を見て、自分の家族のことを考えてみました。最近はあまり話すこともないのでじーと夫婦でテレビをみたり、ちょっとした出来事について話すくらいで終わっています。話す話題は、事件や災難のことなど…。そういえば、これからのこと。老いてどんな老後をつくりたいとかということを話したりすることはなかったねえ…。映画を見て思い出しました。



 『花のいのちは短くて苦しきことぞおおかりき』なんて思う桜の花です。
 今、満開の桜も来週あたりには散ってしまって葉桜になっていることでしょう。ほんとうに短い命です。だから、人はいとおしく感じるのでしょうか。大きな枝いっぱい静かに花を咲かせて、季節の風に流れていく…。
 誰にも声をかげることもなく、静かに咲き、静かに散っていく。一年でいちばん花を感じる短い季節。
 やっぱり、桜はたいしたものだと思いました。

 さて、みなさんは花見はおわりましたか。
 誰としてみましたか。
 健康でまた来年は一緒に見たい人はいますか。
 では、今週はこのへんで失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。