日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

9月も終わりました……今年もあと三ヵ月

2014年09月28日 | Weblog

 こんにちは。
 朝夕、すずしくなってきました。秋ですね。
 散歩にでかけると、秋の花がさきはじめています。秋の七草(ハギ/キキョウ / クズ/フジバカマ/オミナエシ/ オバナ/ナデシコ)を見かけます。多摩川ではオバナ(すすき)がたくさんみられるころになってきました…ね。
 涼しさをとおりこして、徐々に寒くなってきます。季節の変わりめ、体調が変化についていけなくなってしまうので気をつけたいものです。

 多摩川では、太公望があつまりアユでしょうか、朝から元気に釣りをしている光景を見かけます。一心不乱で釣棹を何度もふっては挑戦しています。
 アユがあかかると、太公望全員ではしゃいでいました。
 こんな時間もいいものです。釣はのんびり釣り糸を追いかけて、魚と真剣勝負。一匹も釣れなくてもいいと思いつつ遊ぶのがいいですねえ…。
 神社では秋祭りもやっていました。天気もいい、涼しい。秋祭りにうってつけの気候です。神社の周りでは屋台を囲んで楽しむ家族に会うことができます。どこからか、子どもの歓声がきこえて路地をはいってみると運動会もやってました。
 いまは、人の活発に動けるいい季節だと感じます。

 さて、今週はどんな一週間だったでしょうか。
 韓国の仁川でアジア大会が行われていました。水泳や柔道では選手の頑張りで金メダルが驚異的な数になっていました。日本人の活躍は楽しいものです。
 これが五輪では、なかなかメダル獲得まではいかないことを考えると、さすがに世界は強いなあ、と思えます。それでも、アジアでは一番なのですから大変な偉業ということになるのでしょう。
 ただ信じられない事件がありました。「アジア大会の競泳男子日本代表の冨田尚弥選手が韓国メデァのカメラを盗んだ」というニュースが飛び込んできました。信じられない……。ということでしょうか。こんなことがあるんですね。報道関係のカメラはきっと、最高級のカメラだったにちがいありません。本人も警察当局に盗んだことを認めているとのこと。
 これは、事件を起こした選手だけの問題ではなくなって日本スポーツ界にたいへんな問題を投げかけた事件になったことだと思えます。今後の対応がどうなるか……。

 長野の御嶽山が爆発しました。
 紅葉の季節で多くの登山者もいました。噴火したとき、いのちからがら下山した人たちのザックや洋服には火山灰がセメントのようについていたのが印象的でした。まるで「自然が怒っているようです」
 活火山の噴火。いずれ噴火するのは承知していても、今とはだれも予測がつきません。そんな中の噴火だあったのではないかと思います。これが、自然のでしょう。亡くなった方もある様子です。けが人も多数でていました。
 集中豪雨による被などと同様に自然の驚異は身近になってきたように思うこのごろです。地震もおなじです。
 日本人は自然をこよなく愛した民族でした。昔から文学の分野でも自然をよく詠んでいます。俳句はそのさえたる文学作品でしょう。その自然が怒っているような自然では、人間も怒りっぽくなっているようにも思えます。

 今月、沖縄の辺野古への米軍基地移設問題が焦点になっていた選挙で名護市議選で反対派が過半数をとった……というニュースがありました。これでも、国は基地移設を強行してます。地方自治は無視とはいったいどうなっているのかと思います。
 沖縄では名護市の辺野古でけでなく、沖縄県東村高江でも6カ所のアメリカ海兵隊のヘリパッドが建設されようとしていると聞きます。そのヘリパッドにオスプレイを飛ばす予定であるともいいます。これも、同じように米軍の沖縄県民の生活や自然をこわす原因をつくっていると報道されています。
 沖縄で辺野古が報道がされていますが東村の山原でも米軍による反対運動が続けられています。


 9月も終わりです。
 少しは涼しくなってきて、本も落ちついて読める季節になってきました。
 詠む季節はめぐってきたのですが、やはり読むには時間と本を買う予算が必要になる、とつくづく思ったひと月でもありました。
 月のはじめ。今月の新刊書を調べればでるわでるわ…で買った本に追いつかないほどの本がでています。あれも、これもと思うですがなかなか読めないのが実情のようです。さらに、最近は本が高いのに気がつきます。新刊はでるがなかなか手がだせません。ですから、図書館に行ってはみるものの、人気作家は予約待ちが多い状況です。
 それもと、読める範囲でと思いとった本です。どんな思いで、どんな感想をもとめてみました。

 最近、再読も必要な本もあります。仕事の関係でもう一度読んでおこうと思っている本も多数ありました。まあ、無理せず読んでいこうと思います。今月は先月に続き、山田太一の小説が面白かった。さらには、集会やデモに参加して思うことは、つくずく日本の歴史をもっと知らないといけないなあ、という思いがありました。それも、戦中から戦後の歴史。日本がどうやって今の政治までたどりついたのかということを知る必要があるなと思います。

 歴史は、一瞬にしてできてしまうのではなく、その状況ができる前後にじわじわと人の動きがあります。その一つを知ることが過去から未来に続ける歴史ができあがるのだといえます。とくに、今の政治状況をつくったのは戦後の占領下での出来事だと思います。そんなことを思い『敗北を抱きしめて』をとってみました。

  
◎女は男のそれをセクハラと呼ぶのか/山田秀雄(角川)
 この本は、仕事の関係で読むようになった本です。職場でも、通勤電車でもありとあらゆる場所で気になる事実です。この世に男女ががいる限り永遠につづくテーマでもあるのでしょう。他人事とは思わず読んでいました。

・企業には、そこではたいている人に対し、安全かつ良好な職場環境にすべく配慮する義務がある。そのため、社員のセクハラ事件を発生させた場合には、会社が就業環境を整えなくてならない(p33)

・肩や背中に触ることをスキンシップと称する人がいれば、宴会でのチークダンスやカラオケのデュエットと部下とのコミュニケーションと思い込んでいる人もいる。相手が嫌がっているのにまったく気づかない輩もいる。セクハラの悲喜劇はそこにある。これらの悲喜劇の背後では、男性中心の文化が崩れてきているにもかかわらず、それについていけない、あるいは理解できない男性のうろたえぶりに混乱している姿が垣間見える(p37)

・セクハラ防止で一番大事なことは、「相手の意思に反する行為」「相手が望まない行為」はよくないことだ(p49)

・まず、自分の妻や子供など親しい人がされて嫌がることはしない(p53)

・人間関係において、さわやかさを感じさせる人は、この相手との距離を的確に測れる人手はないだろうか(p50)

・いろんな意味で裁判まで持ち込むのは、最後の手段だと考えた方がいい。その前にできるだけ問題を解決する方法を考える(p160)


【セクシャルハラスメント加害者にならない十か条】

第一条 同僚や部下の女性を食事やデートに誘うことはよい。ただし、断られたり、断りにくそうな曖昧な態度をとったら決して深追いしない。

第二条 食事やデートの誘いを断られても、次の日から急に態度を変えない。仕事とプライベートを分けるというのは、断れたことへの私的な感情を仕事に待ち込まないことである。

第三条 上司が部下の女性を慰労の意味で誘うときに、あとでセクシャル・ハラスメント等と疑われたかったら、複数の情勢を誘うべし。純粋にねぎらう慰労の趣旨なら一対一の飲食は必要ない。

第四条 飲食の誘いに「仕事」と話をからめない。ひと昔のノミュニケーションの発想は要注意。

第五条 酒席ではセクシャル・ハラスメント発生の最大の温床と心得ること。

第六条 酒席ではカラオケのデュエットやダンスの誘いはOK。ただし、抵抗あるいは逡巡されたら潔く引き下がるさわやかさが必要。

第七条 酒席では酌を要求する。上司の隣に女性が配置させる行為なは配慮いしたつおりでもセクシャル・ハラスメントになる危険性大。

第八条 モテたつもりであとでセクシャル・ハラスメントになる上司と部下の不倫関係。

第九条 軽い性的冗談や軽微なボディータッチも状況をわきまえないで繰り返されるセクシャル・ハラスメントが成立。

第十条 「ウチの女の子」「…ちゃん」づけで対応することは、ジェンダー・ハラスメント(社会的な性差別)になりやすいので親しい関係ではない限り要注意。


 【感想】
 男女関係が以前よりもより厳しくなってきた。
 事実、職場でも通勤電車でも女性が被害者になる形が日々、多くなってきた(後日つづく……)


◎冬の蜃気楼/山田太一(小学館)


◎飛ぶ夢はしばらく見ない/山田太一(小学館)


◎敗北を抱きしめて/ジョン・ダワー(岩波書店)





 9月も終わります。
 今月はどんな月であったのでしょうか。
 ぼくは今月、反原発集会に参加して思ったのですが、これは原子炉が廃炉になるまでの運動ではないのだろうということがわかります。おおよそ、放射能が消滅するのは40~50年かかるのだそうです。ぼくは、この世にはいないでしょう。これからも、放射能の危険はあるわけです。
 日本の政治がどんなに変わろうと「原発」は永遠の問題でしょう。日本には54基の原発があります。今年の夏はどれも稼働することなく、夏をのり越えたと行進していました。……かといっても、まだまだあるのです。鹿児島の川内原発が再稼働する計画です。日本のエネルギーは、これからどうなっていくのでしょうか……。

 とりあえず、次世代に負の遺産をおしつけないことが肝心なことでしょう。
 一方で憲法9条問題。さらには憲法27条、憲法28条なども悪くなっているということがいわれています。
 「生存権なくディストピア社会」といわれているようです。これは憲法27条労働者の権利をいった条項です。いろんな疑問があっても、生活の基盤で生活のが安定しなければ「憲法9条」もあぶなくなる……ということでしょう。
 そんなことを考える9月でした。
 きっとまだまだあるのでしょう。少しずつ、考え行動していきたいと思います。
*読んでくださった方、ありがとうございました。

空が高くなってきました!!

2014年09月21日 | Weblog

 こんにちは……
 朝夕涼しくなりました。天気のいい朝の多摩川では半袖では寒いほどです。
 空を見上げたら、とんぼがいっぱい飛んでいました。雲はきれぎれで形がもう風の強さを見せています。
 もうお彼岸。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉が思いだされました。朝から、近所の都の霊園ではお墓参りの人がたくさんきていました。

 さて今週はどんな週だったでしょうか。
 スコットランドが「イギリスから独立か?」というニュースが日本の選挙同様の熱のいれようでした。結果は、独立反対票がが賛成を上回りました。この住民投票の結果をうけて、スコットランドがどんなところになっていくのでしょうか興味深いところです。
 独立賛成の人たちにとっては、悲しい一日なったことだと思います。しかし、反対投票の意見もいかされるだろうと思います。これが「自治」でしょう。そこに住んでいる人たちが自分たちの都市の形を決めるということは大事なことだと思います。それが、悪ければ、また住民が知恵を出し合い投票すればいいのです。それが政治であり、民主主義です。さらに、それでも困難になったら、国が考えてあげればいいだけです。そのために税金もはらっているのです。武力も暴力もなく、他の国の介入もなく無事すんだことは大変貴重なことだといえます。これで英国がちょっとは「いい国」にみえた一週間でもありました。

 日本ではどうか…ということを考えてしまいました。
 例えば、今月初旬に行われた沖縄県の名護市の市議選(定数27=9月7日実施)。
 今回は、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設の賛否が焦点となった選挙がありました。結果は反対派が議席の過半数を獲得しまし(反対派:16・賛成:11)た。すくなくとも、基地の辺野古移設は考えなおうそうという意思表示あらわれの結果であったはずです。しかし、国は工事着工にむけ住民の選挙結果の意思を無視するかのようにすすめています。少なくとも、県も工事の停止をさせ、様子をみるべきではないのかと思います。日本の場合、住民の意思がないがしろにされているといえます。








一日の終わりに……
わたしというわがままを
受けとめてくれる人は
きっと
世界のなかで一人だろう

あさのテーブルに卵焼きとみそしる
ねむい朝の空気が起きていく
昼は冷たい弁当のふたに
米粒ひとつ
夜はちょっと温かい
米をかみしめる

一日のおわり
今日という味をかみしめているだろうか
じっと
味をのみこんだ一日だった


 気がつけば、空は高く、風は冷たく、日の出、日の入りも短くなってきました。もうすぐ、冬の声も近い……。なんとも、いやな季節がやってくるのか、と思っている。なんでも、寒さは苦手である。
 スポーツのアジア大会がはじまっている。アジア大会はおよそ2週間毎日やっているそうだ。小さな五輪とでもいいもの……。
 開会式は「いいなあ」と思いつつみていた。イラクやパレスチナという国も笑顔で入場行進してりうのをみていると、「つかのまの平和なのか」と考える。この国、ニュースになるのはいつも戦車や空爆のけむりの様子が圧倒的に多い。爆撃のおとより、みんながおどけて笑っている選手の声のほうがいいのに、と思う。

 好きで爆撃音や血が流れているのではないのだろうが、スポーツを通して交流し、平和をつくる形ができればいいなあ、と思う。

(つづく……)
今週はここまで、来週23日(秋分の日)に集会にいってきます。
その報告をします。お楽しみに……。


 9月23日(秋分の日)東京亀戸中央公園で「9.23さようなら原発全国集会」に参加してきました。当初、代々木公園で開催される予定でありましたが「デング熱」騒ぎで開催地が都心からちょっとはずれた亀戸中央公園に変更され、大丈夫だろうかと思っていましたが少し狭かったのですがどうにかことなきをえて開催されました。
 いちばんよかったのは天候にめぐまれたことでしょう。日ざしはありましたが、湿度がなくすずしい中での開催でした。

 福島第一原発事故の後、「全国ではどんなことが語られているのか、そしてどんな気持ちで反対をしているのか。さらに鹿児島の川内原発再稼働についいてどうなるのか…」という思いもありました。
 参加しての感想は、いちばんこれから問題になるのは、その後の放射能の影響と再稼働で本当に大丈夫なのということがいちばん懸念されるように思います。それと、日本の原発が全部停止している状態でも大丈夫ではないかという確信がもてたと思います。

 日本規模でみればこの小さな反対運動ですが、やはり「反対」してよかったと思えるような集まりだったように思います。ひとりでも、理解してこれからの原発にたいしての対応が大切なことだと思えます。けっきょく「大人の責任」なのでしょう。子どもをかかえた女性の方々も多く参加していたことでそれが印象に残りました。無抵抗な子どもは、いちばん影響をうけるといいます。デモ行進をしていたときも、道路をとおるお母さんの人たちは応援してくれていました。理由があって参加できない人たちのなかにも原発は危険なものだということが理解されているのだろうと思えます。

 これからますますやりづらくなってくるのかもしれません。なぜなら政府は川内原発を再稼働する方針になっているからです。それでも、稼働するための安全・安心は文章のうえだけで何一つ解決されていません。理論上では想定外は対応ができないでしょう。実際、福島第一原発事故後の対応もできていないなかでの再稼働は無謀というしかありません。
 被害のあわれた福島では保障の問題がでてきていますが、それだけでは解決にはならいのです。保障によって家族がいがみあい、離散することさえある現実もあることもいわれています。

 やはり原発は人類と共存はできないということでしょう。
 以上、反対集会の参加した感想です。これがいつまで続くのか、最後はいつなのか……、いまのところまったく見えていないようなところもあります。だから、こわいのでしょう。
 日々の暮らしのなかに、あってあたりまえの電気です。そんなふうに暮らしてきた日々でもあります。事故がなければ、きっと原発という言葉は知っていてもなんら疑問がもてなかったでしょう。チェルノブイリやスリーマイル原発事故も他国の問題だというこだったのではないかと思います。
 参加をきっかけに、そんなことはなく同じ原料でできていて、いったん事故になれば被害はおなじだと思いました。

 過去はもう取り戻すことはできません。今、多くの原発被害で自分の故郷に帰れない人がいるということは過去のことではありません。いまも現実としてあります。その方たたちと同じ境遇をつくらないことが未来です……。
 ぼくの育ってきた時代、「昔は良かった」と、ふと思うことがあります。貧しくとも人と人の距離は近かったように思えます。人と人がどうにか助け合ってきたような貧しい時代でしたが「昔は良かった」と思えるのなぜなんだろうと……。
 できれば、これからも次世代にも「昔はよかった」と思える自分と「未来もきっといい」と思える自分ができればいいなあ、と言えるようにできたらと思います。微力でも、何百万人の人が声をだしていけばきっとできるのではないかと思いたいです。
 そんなことを考えた一日でした。
 ぼくはぼくなりに、参加し聞きつづけていきたいと思います。
 お疲れさまでした。 


*読んでくださった方、ありがとうございました。

敬老の日に思う……

2014年09月15日 | Weblog


 こんにちは……
 9月も半ば。散歩の途中、彼岸花が咲いていました。涼しくなってきたということでしょう。ときおり、きこえる虫の声も涼しさをさそっているように思えます。これから、ぼくのきらいな「さむーい」季節になていくのかと思うと気が重いですね。
 いつも散歩する多摩川で競艇に遊びにきた人とお話しをしていました。年齢88歳。川向こうの町から競艇をするためにやってきたとのこと。生まれは九州で、父は漁師をしていたそうです。子どものころは父と一緒に漁にでたそうです。漁師に見切りをつけ横浜でサラリーマンになって娘3人を育て、全員嫁にいった……という話をしていました。今はひとりぐらしでのんびり送っているそうです。「敬老の日」ということもあって思い出してしまいました。
 88歳…ぼくはなにをしているのでしょうか。


 連休を利用して、5月以来の山歩きに行ってきました。おそらく、三連休ののなかでいちばんいい天気だったでしょう。ただ、風がなかったのが残念でしたが、最近では、まっしろな雲や空も見える一日はめずらしいといえます。
 5月に友だちと歩いたときは、陣馬高原頂上で「酒盛り」をしてしまい、酔ってこれからどうなるかと思ったほどの一日でした。どうにか、和田峠まで歩いて、あとは舗装された道を酔いまかせて歩いてきた…という山歩きでした。あげくに、翌日には、下血になり、体の異常を感じて、都内ガンセンターまで検査に行く始末。なんともさんざんな山歩きでした。精密検査の結果は「異常なし」でことなきをえてすみましたが、やっぱり酒はほどほどにがいちばんいいようです。

 その反省も踏まえての山歩きでした。
 今日の一日の工程は、【陣馬高原→明王峠屋→景信山山→小仏】でした。
 連休であるからでしょうか、たくさんの人がいました。これもブームということなのでしょう。老若男女、みんな楽しい日を送るべき、山歩きだったと思います。ひとつに、山歩きをするには、いい季節になってきたと思える一日だったと思います。
 今回は、カメラは重くなるため(5月のリベンジでしたので、なるべく身軽にと思い)持参しませんでした。家族で、恋人同士で、友だち同士で……という人たちで楽しい山歩きができたのではないかと思います。

 ぼくのスタイルは、といえば地上のいやなことをみんな忘れて一心不乱であせをかき頭のなかをまっしろにしていちばん大切なことを思いつつ、歩く……というスタイルです。それが、単独山歩きのよさです。
 今回は「敬老の日」ということもあってか、ひとり「老人」のことを考えていました。ぼくももうすぐ「老人」の域にきているんだなあ……とつくずく思いました。その老人が頑張れるのはなにか?というテーマが頭に浮かびました。ぼくの行動(山歩きなど)にかきたてるものは何か、ということを考えていました。

 その答えになるかどうかはわかりませんがきっと「好奇心」なのでしょう。

 例えば、老人の恋。
 60歳台の既婚者が20歳も若い人に好意をもって接すれば「不倫」となりますが、さてこれをだれが止められるのでしょうか。老人は暴走しそうになる自分をどこまでいって「停止」させるのでしょうか。パワハラでもなく、セクハラでもなくうまく接しているつもりなのでしょう。これを「亀の甲より年の功」あるいは「老いたる馬は道を忘れず」と思います。そのへんを再び思い出して暴走を防ぐ知恵がひつようなのでしょう。好奇心はひとを若くたもつ薬でもあるように思います。大切なことだと思います。男女の好奇心にはおそるべきパワーがあることは誰でも認めるところだと思います。そして、これは永遠のテーマだと思います。

 最近読んだ山田太一『飛ぶ夢をしばらくみない』という小説では、入院していた病院であった60歳以上のおばさんにめぐりあった主人公の話でした。
 そのおばさんが次に逢ったときは40歳に、次に逢ったときは20歳代になっていく、という話でした。まさに、男の夢? 願望をかなえてくれる小説。
 とうとう、子どもになって去っていくというお話。男としてはおばさんより若いお姉さんに…となります。それ現実となって、暴走する老人。でも最後は静かに終わりました。老人はいつでも『夢』をみているということなのでしょう。家族にも報せることもなく完結して話。誰もが一つや二つくらいはあるのだと思います。老人にとっては、未来よりも「今」が一生懸命なのです。
 ときに親しい人との会話でも、「今」をより充実させるための知恵があるのではないかと思います。山田太一の小説はそんなことをいっいるのではないかと思います。そう、思いませんか。



 「好奇心」には老人とってはてっとり早く求めることができるものがあります。それは「知識=学ぶこと」だと思います。今までに読んだものをつなげて一つの独自の考え方をつくることだと思います。それが「その人の美学」なのでしょう。いずれにせよ、世の中に認めれないことでも自分がいいと思う「美学」をつくることが大事なのではないかと思います。それが対人関係の基本になり、間違いを指摘されれば直すということでバランスをとることが「学ぶこと」なのだと思います……など。
 ちょっとは「こりこう」になって帰ってくる山歩きでもあるのではないかと思います。大事なのは「一つのテーマ」をつくることではないかと考えます。それを一日、呪文のようにする一日にする。
 ぼくは、この日単独でしたので誰にも気兼ねせずの山歩きでした。
 ……と思います。それでも、実際の世の中は、「智に働けば角が立つ情に棹させば流される」 (草枕・夏目漱石)というのが現実です。それでも、好奇心は大事な生き方です。

………………………………………………山歩きをしてすこしはりこうになって下山しようと思っています。
※ちなみに総務省が発表した日本の高齢者65以上の人は3,296万人(前年比111万人増)です。総人口に占める割合は25・9%と過去最高。65歳以上の就業率は20.1%で主要8カ国で高水準、となっています。

 さて、どんな三連休を送ったのでしょうか。
 更新したとおり、山歩きだけが唯一の楽しみでした。
 関東地方はデング熱騒ぎがつづいています。23日(祝)の集会も代々木公園から変更になっていました。
 きょうはこれくらいで。また来週。

*読んでくださった方、ありがとうございました。



9月が始まり…私も動き始めました

2014年09月07日 | Weblog



 こんにちは……。
 ひと雨ごとに涼しくなってくるような日々です。セミも木々の実も地面に落ちていることに気がつく日々でもあります。早く涼しくなって思うこのごろです。

 都内はいまデング熱の感染で緊張気味です。都会での感染はまずくなるとあっという間のに広まってしまう危険性があるから大変です。それも、ウィルスを持つ人間の血を吸った蚊が移動によって広められていることも恐い話です。それも人間がいちばん集まるところが危険だということで始末におえない状況。
 自分の身の周りに蚊の姿をみると、敏感になっている日々でもあります。

 ぼくの知人に米をつくっている人がいる。毎日、暑い中でも草をとり水を入れ、米の育ち具合をやさしく見つめる目は、子どもをみる母親の目立った。
 今年は集中豪雨や竜巻とおかしな気候が続いた。
 田んぼにはたくさんの米が実をつくているのだろうか。農家は自然との対話のなかで作物をうまくつくっていく技術をもっているのだろうと思う。
 自然との対話を通じて、育てている作物をうまくあやしながら育てていき、私たちの食卓においしさを届けてけれいる。どんなにお金をかけても自然にはかなわない、と語っている知人の米はうまく育ったのだろうか。



A氏へ……もしくは自分に

都会の夕暮れはネオンとヘッドライトが飛び交う町
官庁街の底に政治という言葉がひびいていた
野外音楽堂が静かに光をはなっていたこの日
確固たる人間をつくるために
誰かの助けを借りて
息のつづくかぎり前に進もう

進めなくなったら
人に助けてもらおう
恥ずかしからずに
自分の、もしくは私の無知をしるために
助けてもらおう
なぜなら、人はひとりでは生きていけないし
だれかの死によって生かされている今があるのだから

今生きることは
過去と謙虚にむきあい
受け入れてから始まる
過去に盲目たる人には未来はないと、いうでしょう
いま、私の無知を聞いていこう



 今週、集団的自衛権反対の集会が日比谷野外音楽堂でありました。主催は「1000人員会」ということもあり、友だちと参加してきました。集会後のデモにも久しぶりに参加もしてきました。(その内容が翌日の新聞にも掲載されいました)

集会での感想。
 久しぶりの集会と野外デモでした。私の場合、参加の理由をいえば「安倍政権の政治にいても、たってもいられない…。とにかく参加してみよう」という気持ちがいちばんだったかもしれません。これは、今、反原発でデモをやっている人の思いと同じであるように思えます。自分の思いが政治にどれだけ反映できるのか、わかりませんが、ただ参加してみてそんな思いの人たちとの交流も大事だなと思えます。

 集会の中味では面白かったのは、雨宮かりんさんの報告でもあったように、「貧困ビジネスとしての自衛隊」という話でした。これは、ジャーナリストの堤未果というひとが書いている「社会の真実の見つけかた」(岩波)で書いていたとおりのことが報告されていて興味深い内容でした。つまり、軍隊は貧困ビジネスの最先端だということが理解できました。これが、アメリカでは日々行われている状況を日本が追いかけている…、という法則でもあるようです。
 立憲デモクラシーの会では中野晃一氏(上智大)の報告も分かりやすくてよかったです。憲法がないがしろにされている。ある記事で読んだ「一強多弱」の状況下で自民党がやろうしている憲法を変えようとしている暴挙。まして「憲法9条」を骨抜きにしている状況などがうかんできました。
 まさに一党独裁(公明党との連立ですが)の状況を利用して、突き進んで状況はまさにファシズムということに似ているようにもみえます。

 沖縄の人からの報告もありました。集団的自衛権の既成事実をつくろうとしてい辺野古への基地移設ための強制的な海底ボーリング調査などが報告されてました。これまでの反対運動が11月の県知知事選挙に反映されるようにがんばっている状況だということがわかりました。



 9月が始まりました。学校もはじまったのでしょうか、通勤電車も人が増えてきました。あいかわらず、中央線の満員ぶりは同じなのです。
 今月は、国会が始まるかでか集会や講演会が増えてきました。それも平日の夕方からが多いようです。東京のはずれ、かぎりなく埼玉に近い会社からの参加となるとどれも間に合わずの参加となるだろう。

 その時の内容によって、さらには安心できる諸団体の開催にはできるだけ足を運ぼうと考えています。無知になる私のできるのはそれくらいではないかと決め手、動くだけが残されているような気がします。
 いずれも健康であればこそですが……。

 最近は「スクラップ2014」がご無沙汰です。新聞を読んでぼくなりの感想や新聞評を載せていきたのですが、なかなかスクラップはするもののまとめることに四苦八苦しています。今回は、お休みします。
 次回から再開しといきたいと思います。9月からは、国会も始まり新聞もたくさんの記事が載ると思うので頑張ってみます。


◎マンションの臨時総会に参加してきました◎

 ぼくがこのマンションに住んで10年近くなりました。10年もすると、建物のあちこちにガタがくるようです。今回は、外壁のタイルのひび割れ、集中豪雨による雨漏り対策が議題でした。タイルは補修し、雨漏りは調査するそうです。最近の地震の影響なのかそれとも、ほかに何らかの原因があるのか足場を組んで調査することになりました。さて、どれだけの費用が発生するものなのか……。費用は後日相談ということで閉会しました。
 自分の持ち物を大事に使うのは当然なのですが、建物は自然との関係で壊れもします。地震では想像以上の破壊力をつくります。困ったものです。

 この日は、ふだんあまり話をしない人たちとも話すことができて楽しい。同じ建物に住んでいても、一人ひとりが忙しすぎて顔をみても、話すこともない人もめずらしくありません。これが都会の現実なのでしょう。でも、会って話せばいい人ばかりで、ラッキーと思いたいです。

 これまで、親しくしていた住人が引っ越していったときは悲しいものです。いちばんお話をさせてもらった大阪の夫婦は面白い人でした……。そんな思いをしつつ臨時総会は終わりました。
 事実、ローンが残っているかぎり、この建物は建設会社の持ち物でもあり、ぼくの持ち物でもある状況は変わりはありません。
 こんなマンションでもぼくたち家族にとっては、唯一の安らぎの場所なのですから、頑張って維持していくしかないようです。

 忙しさの間をぬっての参加でしょう。ホッとできる場所も見つけていきたいと考えています。
 これで今週は終わり。
 では、では。
*読んでくださった方、ありがとうございました。