日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

1月から2月に向かう前に思うこと…

2012年01月28日 | Weblog


 1月も終わりですねー。
 年のはじめとばかり、意気込んで、あれや、これやと考えているうちに終わってしまったというのが現実でした。
 それでなのでしょうか、中旬頃には体調を壊していました。
 なぜでしょうか、こんなときはずべてが悲観して、なにをやっても面白くなく思えてしまいます。

 そんな時は、なんか楽しみを一つ見つけては淡々と思い続け、形にするのが一番の薬だと思えてきました。

 仕事…???。それはありません。仕事はほとんどが苦しいことばかりです。まあ、おカネをもらっているのですから少しはガマンするのもありますが…。
 なかには「苦しむ対応でなんぼ」というサド的な人もいるでしょうけれどね。

 朝、自然とたちむかって出勤。これでも立派な仕事への準備です。遠くを見れば、雪ふる電車の景色。小さなライトを目標に走っているのは、なにも電車や旅客機ばかりではありません。

 私も毎日、満員の通勤電車に乗って会社に行く。
 そして、出たとこ勝負のような仕事に振りまわされてばかり…。
 自分にかせられた仕事を日々、追いかけ、追いまわせれて生きて一日がホットして終わったときは、たとえようもないほどの充実感。まだ、本当に身体は壊れていない。大丈夫と思う一瞬でもあります…。

 最近読んだ新聞記事に日本人にもストレスのよってか「躁鬱」が多くなってきたデータがのっていました。映画にもなるくらいですから、事実なのでしょう。
 見わたせば、非正規契約社員でまかなっている企業が多くなっている状況。本来、責任は会社の看板と仕事を背負って日々、仕事で信用を得ているわけで、それを非正規契約社員にまで押し付けていては悩みも多くなってくるのでしょう。

 昨年来、「安全・安心」ということが言われていますが、この言葉は永久に安心を背負えない「原発」の不安で、信用性がうすくなってきているように思えます。
 私にとって原発は「ぼうにもはしにもかからない疫病神」というイメージは払拭できないようです。

 事実、政府の「終息宣言」なるものも、これまでの対応から信用性はうすく思えます。
 さらには、政治家の相変わらずの「権力闘争」ばかり、野合の集団をつくっては、「復興」などは何処吹く風か…のようです。

 今年もこんな風に過ぎていくのでしょうか。それにつけても、だれしも昨年より今年はもっとましな年にしたいと思うのでしょう。それがちょっとした「欲」もあります。
 そして、それが次へのステップへの橋掛かりになるのだと思います。

 来月は、連休を利用して、今の所から都内某所に会社の移転をひかえています。いったいどうなることやら…。少し不安がありますが。そこで目標がつくられ、小さな灯り(自分の周りの人たち)に照らせながら、がんばるしかないのでしょうか。
 今週は、おかげさまで体調も少しずつ、戻りつつあります。昨日は1週間ぶりにビールを飲んでみました。
 「うまい!」と思える、いい一日を探してはじめていきたいと思いますが…。




 

今年もまた興味ある本を一冊ずつ読んでいこうと思っています。
 私にとっては本を読むのは、ストレス解消の一つになっているようです。読んでいる間はなにもかも忘れています。読んで、その本の中に没頭していて楽しい時間でもあるようです。いつでも、どこでも手軽に楽しめるものだと思いますが、いかがでしょうか。

 読んでいてとてもはが立たないという本も時々、あります。そんな時は、少しガマンして読んで、面白くなってきたら続けますが、ダメだと思ったらやめてしまいます。何も、本を読んで生活を支えているわけではないですから、そこは気軽です。

 今年は主に歴史関係の本を読んでいきたいと考えています。もちろん小説もありますが…。読んだ本が読む本をつれてくる…、という連鎖反応が面白い気がします。読んで、気が向いて、時間がゆるせば、その場所にも行ってみたいと計画中です。なんせ、東京は歴史・史跡の宝庫なのですから…。
 さてさて、どんな具合になりますかやら。よかったらお付き合いください。
 今年最初の「今月の本」です。
 1月は、体調もあまりよくなかったせいもあり、実はもっと読んでいるのですがまとめる気がおこりませんでした。とろあえず、読んだ本のプレビューはしておりますが、感想は書けませんでした。
 とりあえず、2冊だけの感想を書きましたので読んでみてください。
 ………………………………………………………………………………*
◎原子量村の大罪/小出裕章・西尾幹二・佐藤栄佐久・他/KKベストセラーズ

【内容】

(目次)原子力村への最終警告(小出裕章)/福島で生きる―8・5緊急講演録(小出裕章)/脱原発こそ国家永続の道(西尾幹二)/本丸は、東京電力ではなく経産省だ!(佐藤栄佐久)/東電からもらったのは被害だけだ!(桜井勝延)/騙し騙され50年、悲劇的結末を迎えた東京電力と城下町(恩田勝亘)/このままでは棄民にされてしまう(星亮一)
人牛同病(玄侑宗久)/跋 最初の数日間の感想(西尾幹二)。

 たくさんのジャンルの人が2011年3月11日に起こった「原発事故」を検証し、なぜこうなったのか提言している。その、真実が私たちの手の届かないところで着々と行われていたことに驚愕するばかり…。その「真実」を伝えている一冊です。

 目次から以上のような人たちの共著である。福島原子力第一原発事故について、それをつくってしまった人たちの責任、そしてそれを容認したきた私たちに重く突きつめた一冊です。

・地震と津波が「想定外」の規模であったことは、誰しも認めている。しかし、非常用電源が津波で流されない仕組みやシステムを作っておかなかったのは人間の不用意であり、あらかじめ八方から注意や警告を受けていたのに対応しなかったことが「人災」だといわれるのは当然なのであるが、私はそもそも、日本の原子力発電所は最初からどんな事故も「想定」していていなかったのではないかと考えている(p74)

・この国の住人は何となくうそ寒い不安を覚えているのは、ときどき日本がこのままで大丈夫なのだろうかという意識に襲われるからである。外から何かがあったから、今度は原発ショック以上のことが起こりはしないかと国民は口にこそ出さぬが、漠然と感じているのである(p78)

・私が知事時代に提言したのは「5つの共生」でした。すなわち、人と人の共生、人と自然の共生、世代間の共生、地域間の共生、そして多様性の尊重につながる宗教と民族の共生です(p126)

・原発というモンスターを一体誰が、どのようにして、その目的は何か。35年前の福島第一原発取材以来、実際に原発内に入ったのは国内では中部電力浜岡、関西電力高浜、東電柏崎刈羽ぐらいだが、各電力会社はすでに稼働させている地域、あるいは先の浪江町のように反対運動が起きていた建設候補地はかなり回ってきた。…原発とはそこに群がる者すべての欲望の所産である、という筆者なりの結論を下している。名誉や地位や権力、そして何よりもカネというきわめてシンプルな動機が日本を、米国、フランスに次ぐ世界第3位の原発大国に仕立てた(p156)

・…町が原発誘致する理由として住民に挙げたのは、①多額の固定資産税が入る結果、住民税も安くなる②企業誘致として雇用が生まれる③それによって現金収入が得られ町全体が豊かになる、というものだった(p159)

・福島県には、地震、津波、原発、風評被害の四重苦がのしかかったといわれるが、今いちばん恐ろしいのは、それに五つ目の苦しみ、「風化」である(p192)


【感想】


 今年1月末になってもいまだに、東北、関東、東海に地震が起きている。それを思うと、静岡の浜岡原発の停止は正解なように思える。
 さらに、今ある原発にストレステストという名の安全確認が求められている結果、停止の状態がほぼ9割にのぼっている。そして、その結果を受けてIAEA(国際原子力機関)の調査を見解し、知事の見解を求めて「再稼働かするか」決定するそうである。

 とはいうものの、福島第一原発事故で、これまでの被害を考えれば「再稼働」する気がしれない…と思えてくる。しかし、「原発は危険!」とうってきたにもかかわらず、54基の原発が稼働していたわけだから、稼働してしまうかもしれない…。今の段階では被害がマスコミなどで、月日がたてばたつほど出てくる段階では「再稼働」は困難だろうと思える。

 では、「再稼働」するにはどうするか。
 この本にも書かれていたが、原発の恐ろしさを風化させてしまい、小さくしてしまえば、稼働も「安全」ではないかというあきらめをつくるだろうと思える。これまで、そんなやりかたで「安全神話」が作られたよう、事故以降、さらにそこに何かプラスの要因をつくり「再稼働」を目論むだろう。

 いま「住民投票」をやったら、9割ちかく反対だろう。いまだに解決するどころか、日々、放射能の影響が身近にあるニュースが流れていては「安全」などとはほど遠いものだと思う。
 今回、読んでますます原発との共生は困難だということがわかった。ということは、原発に替わるものが造られていくべきであると思う。

 なぜなら、「停止」状態でも原発が地震で停止状態、あるいは破壊されれば、核反応で自力で放射能をつくだろうから、決して「停止」でも安全だといえないということもあるだろう。
 しかし、なぜ「なくなならいのか」これも問題だ。
 今はいい…。しかし、次世代が傷つくということは永遠にさけなければいけない、人間の命題だろうと、強く思った一冊だった。

………………………………………………………………………………*
◎石垣りん詩集/石垣りん/ハルキ文庫(角川)

【内容】

戦後の時間の中で、家族と会社と社会とに、ひるむことなく向き合い、自らを律して生きてきた詩人・石垣りん。『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』から『やさしい言葉』まで、小さきもの弱き者らへの慈しみや孤独な心情を観念や叙情の中に鮮やかに解き放った全4冊の詩集から代表詩を選び、女性の生き方に自由と活気と自立をもたらした言葉の歴史を、各時代ごとに提示する。(図書紹介から)

・冠
奥歯を一本抜いた
医者は抜いた歯の両隣り
つごう三本、金冠をかぶせた
するとそのあたり
物の味わいばったり消え
青葉を食べても枯葉になった
ああ骨は生きていなければならない
けだものの骨
鳥の骨
魚の骨
みんな地球に生えた白い歯
それらを歯並びのすこやかな日々
たがいの美しくふれあう日々
金冠も王冠もいらなくて
世界がどんなにおいしくなるか。
 
石垣 りん
1920年(大正9)~2004年(平成16)。東京の赤坂に生まれる。高等小学校卒業後、14歳で日本興業銀行に就職。働きながら詩作を続け、39歳のとき、第一詩集『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』を刊行、高く評価される。家と社会の問題に鋭く斬り込み、現代人の孤独と向き合うそれらの詩は、読者の心をつよく揺さぶる。2004年、84歳で死去



【感想】


 辛くても、悲しくても、うれしくても、人間は言葉で救われている部分をもっと感謝してもいい。
 他人のどれだけの言葉を投げかけてもそれに反応しない人もなかにはいる。それは、「頑固」という言葉で表現しているのかもしれない。
 それでも「頑固」は「頑固」なりの性格のなかで、救われている言葉を持っているのだろうと思う。それが、日々の忙しさのなかでわからなくっているだけだろうと思えた詩集でした。

 思え返せば、こんな言葉がその人のいちばんわかってくれるものを日々、探して生きている。そのことによって、憎まれたり、愛されたり、世のなかで生きていることも実感する瞬間でもあります。

 まずは、「挨拶」からはじめてみることがいちばん、大事だと思った詩集でした。

※今月は、2冊だけでした。他に読んだのですが、ほとんどが途中まででした。やはり健康が大事ですね。
 


 今週は「移転」のための人員配置の説明に追われた週でした。
 人が足りないと思うくらい少ない現状で、どう配置したらいいのか上司の人も大変、頭をかかえていました。
 こんなことで、本当に大丈夫…??
 との声も聞こえてきます。

 人を安心させる「説明」がいまだ聞こえてきませんでした。
 まあ、できるところからはじめようと思います。

 ということで、2月は休日出勤が増えそうです。そのため、おそらくブログは休みます。うまくいけば、2月の下旬にはまたはじめますので、よろしくお願いします。今は、物の移転、心の移転の準備です。

かぜがはうやってきています。読者の皆さま、気をつけてください。

*読んでくださった方、ありがとうございました。


今年の初雪の下で思うこと…

2012年01月22日 | Weblog


 毎日寒い日が続きますね…。
 昨日は初雪が降りました。首都圏はこれで35日間続いた乾燥注意報が終了したそうです。たまには、こんな日も必要なのでしょうか。

 しかし、寒さのせいで散歩も敬遠しがちになります。ですから、何か用事をつくって強引にでかけたりもします。
 今日はデパートで「北海道物産展」をやっているそうで、家族で出かけてみました。これも、ある意味強引な散歩になりました。途中、分かれて私は図書館と美術館に散歩でした…。

 さて、今日、一番の活躍する道具は傘でしょう(写真)。100本近くあり、立ち止まってシャッターを切りました。こちらも雨にも負けず、風にも負けず来た人たちの持ち物なのでしょう。

 100本あれば、100人の思い…。それぞれの思いを乗せてさされた傘でしょう。
 きょうの雨はめぐみの雨です。

 帰りの途中寄り道。
市内の美術館によって高等学校・中学校の写真・絵画展をやっていたのでよってきました。生徒さんがクラブのなかで創ったものを展示してありました。
 それぞれの作品ははじけるような若さを感じました。まさに「青春まっただなか」の作品でした。
 「命短し恋せよ乙女…」というフレーズが思い出されました。係りの人に、それぞれの作品のいいところを聞いていました。
 さらに、サプライズ。
 私の卒業した某高校もありました。なつかしったです。

 今週は「入れ歯」もありましたが、体調を崩したりした週でもありました。若ければなんともないほど回復してしまうちょっとしたことも、年齢をとるにつれ「不安」ばかりつのります。それまでの生活態度を反省するときでもあります。
 そんな中みた若い人たちの作品は、いいものでした。誰から教わったわけでもなく、ただ偶然に立ち寄った場所、時間。
 そんなところにも「元気」にしてくれるものがあるのものだと思いました。

 一度、立ち停まる、見る、撮る、調べる、考える…という6つの「る」は大事なものになっていくものだと思います。

 それにしても、小さな地震がけっこう続いています。福島、茨城、千葉など各県でまだときどきあります。こんなことは、かつて、あったのでしょうか。

 こんな時、大きな地震がきたら、原発は事故を起こし、ますます人類を危機に陥れるでしょう。
 それでも「再稼働」する人がいることも事実。そんな人の利益を代表する政治があるからなのでしょう。
 明日の市長選には絶対「脱原発」候補に投票しようと考えています。



◎私のスクラップベスト5(2011年度版)…前回からのつづきです
■私のベスト2■なでしこジャパンW杯優勝


 「東日本大震災、福島第一原発事故」が、起き、日本の半分が悲観の真っ只中でした。そして、放射能、余震などと、まだまだほとんどが未解決の状態…。そんななか、サッカー女子ワールドカップ・ドイツ大会で日本チームが優勝したことが、7月17日報道されたことは、なんといっても昨年のビッグニュースでした。

 決勝戦では、いままでの対戦に勝ったことがなかったアメリカ代表。
 延長戦も含む120分間の死闘の末、PK戦で勝利をもぎとったものでした。
 この試合は、アメリカが先手で得点をとり、逃げ切ろうとする試合の流れの中、後半戦では負けそうな延長戦の後半、左コーナーキックを澤選手が起死回生のシュート…。その得点でPK戦になったものでした。

 私はなんといっても感心したことは、日本選手たちが小さな身体で、ハンディのように見える大きな外国人の間を縦横無尽に駆け回り、本来のパスサッカーを最後までやったことが一番の勝因だと思いました。最後まで、走ることをやめなかった選手たちに、スポーツの原点があったように見えました。ピッチにいた選手もベンチにいた選手も一体感がとても素晴らしかった思います。さらには、チームワークが世界一でもあったように見えました。

 この試合によって、日本女子サッカーが世界レベルになって、今度は追われる立場になって、ロンドン五輪での期待がもたれるでしょう。
 まあ、勝って金メダルは誰もが持つ感情でしょうが、私もそう思う半面、また、なでしこジャパンの国際試合が見られることが、とてもうれしいです。

 一方、この活躍で日本の女子サッカーが注目されるようになりました。ワールドカップで活躍した選手のなか、サッカーを職業としてプロ選手は半分くらいしかいない事実には驚きました。
 事実、選手のなかでは、通常の仕事は終わる夕方から練習している現状も多いことも明らかになりました。プロ契約ではなく、自分が好きで仕事終了後、黙々と練習したなか、世界一をもぎとったことを思うと、彼女たちの努力に脱帽です。半面、日本サッカー連盟の理解のなさに失望してしまいました。さらに、レベルアップをはかるには女子サッカーへの援助が必要になっていくことがわかったことだしょう。
 日本サッカー協会は、今回の優勝に喜んでいる場合ではなく、本当のプロフェッショナル女子サッカーをつくるべく対策が必要なことも暗示したことだと思います。

 私たちと同じように働き、大好きでサッカーをあきらめない彼女たちの優勝は、何よりもすごい…と思った年でした。
 そして、ありがとう…と言いたいスポーツ選手たちだった。
 ※ちなみに予選から、決勝までの録画を撮っておいてよかった。
 暇なときそのDVDを見ると「勇気」がわいてくるのだ。涙も一緒に感動もあるように思えるのだった。
 ありがとう。
 同じときにいてよかったことを感謝できる、瞬間、できごとだった。
 最近、こんなことも少なくなったね!
 ※ちなみに、同じサッカーで地元FC東京の一部昇格と天皇杯の優勝もうれしかったです。



 私は仕事がある意味、チームワークだと考えています。
 それが、崩れ去るとき、勝利は遠のいてしまい、最悪の状態はその責任をなすりあう結果をも持っていると思います。

 今の職場はそんな状態をつくりつつあるように思えてきます。
 移転のため、それぞれの所属部の配置で人がバラバラになっていくようになっているからです。
 さらに、経営者からのその説明もいまだにないことへの「不信」は払拭できずにいる状態も拍車をかけているようです。

 まあ、そうなると「なるようになるさ…」と思うしかないということなのでしょう。
 そんなこともあって「体調」も絶不調の一週間でした。ここは開きなおって話せる人と一緒にやっていくしかありませんね。今回の移転で、会社のあり方が、とても考えさせられた出来事でした。
 そんななか、自分の職場の人たちといかにチームワークを整えていくかが大事でしょうね。できないことは確認し、できることから一歩ずついくしかないような気がします。

 まずは自分のココロの整理。ひとつずつやっていこうと思います。
 解決できない問題に悩んでいるより、解決のための、まずできる行動をそれが、私の移転の一歩です。だれのためでもなく、私自身の健康のために。
 と、いまは、思うしかありません。疲れることが多すぎる時間を乗り越える大事なことは「いやなことを一つずつ引き算し、必要なものだけ残していくこと!!」だと思いますが…それが自分の大事なものです。
 体調を崩さないように「愚直」にやっていきます。





※ ちなみに、2月の2週間くらいはこのブログはお休みします。移転後うまく運んでいるようであれば、また進めていきます。ご了承ください。
 それから、コメントくれた方に感謝します。
 残念ながら最近は、愚痴が多いように思います。


追記…………………………………………………………………………詩*
他人の気配が遠のいていく
いつもと違う回路に迷い込んだ気分で生きている
ああ
体調がくずれる瞬間
おれはそう思うときがある

人も社会も病があるときはそうなのだろう
個人と社会の距離は遠くにあり
思うだけの空間にすぎない
それをあがないでもしかたがない
悲観できるだけいいかもしれない
人がうめていくしかない

◎おまけ……………………………………………………………………………*
私の家族はNHK連続テレビドラマ「カーネーション」の大ファンです。
 いとちゃんの大活躍。いいですね。
 ドラマの最後に掲載してくれる敗戦後の写真に応募したそうです。(勝手に娘が投稿)残念ながら、掲載されませんでしたが、NHKのホームページで掲載していますという連絡がありました。
 ※左上から2枚目です。真ん中の子どもは今の女房殿です。こんな時代もあったのです…ね。25番の「昭和30年代…」というキャプションです。
カーネーション写真館 ※詳細はこちらでどうぞ。




「北海道物産展」のめあては写真のプリンでした。とてもおいしいとのこと。こだわりの一品だそうです。


*読んでくださった方、ありがとうございました。
 ほんじゃまた来週…

これから一年間に向けて…新企画で頑張ります

2012年01月15日 | Weblog


一年のはじまりに…

 早いものです。
 もう、完全に正月気分もぬけて、生活が始まりました。
 いまだに、ときおり起きている地震におののき、ふるえる生活が始まりました。さてさて、今年はどんな一年になるだろうか…と思いつつ、始まりました。昨年のような「大地震」がこないとは、だれもわからないし、ただただそうは言っても、始まった、始めなければ…前へ進まなくては…という気持ちが日々のハリのようになって、始まりました。

 読者の皆さまどんな思いで一年を始めたのでしょうか。

 最近、どんな災害であれ、そこで生きている人が、どんな形でもいいから責任をもって片付けていかなくてはいけないのだろう…と思うようになりました。それが、中途半端であろうと、できないだろうと、生きてやれるところまで進めていかなかれば、次が見えなくなってしまだろうと、思うえるようになってきました。
 そして、どんな形で「記憶」に残していくことが人間だけができることだとすれば、それについて「できること」をやっていかないと前へ行かないだろうし、それが、きっと大事なことなではないのでしょうか…ね。

 これは、昨年の大震災、原発事故から今年になって得た、わたしの小さい教訓でもあります。

 最近、新聞を読んでいたら、膨大なデータを記録するサーバーがつくられいるそうです。それがデータセンターとなっているそうです。最近、自分の人生のすべてを「ライフログ」という形でデータ化し残す人が増えているそうです。それは、何を意味するのか、災害を目のあたりにして、自分の立つ位置を確認したいのではないのでしょうか。

 全てをデータ化し、利用するのは人間です。
 うまく利用でき、過去を今に残せるデータが大事なのではないのでしょうか…。そんな毎日がきているのだとつくずく思います。
 記録をすることは、一方で忘れることへの安心を得る方法でもあります。やることをやって、記録して、忘れる、逃げることも大事な人間の行動だと思えます。

 そんな逃げる場所、忘れる場所、それが自分にとっての「パワースポット」になるのだと思います。そんな、場所を見つけて一年を送っていきたいと考えています。それが、私の生きる場所になるはずでしょうから…。

 


◎私のスクラップベスト5(2011年度版)…
■私のベスト1


 今でも小さいけれど地震はあります。そんな日々を送っていると、いまだに何もかわっていないように思えます。
 そして、福島第一原発事故の終息も同様に変わっていません。野田首相がはやばやに「終息宣言」を読み上げたようですが、そこに住む人たちにとっては、100パーセント変わっていない状況です。

 今年に入って「内閣改造」もありました。これも、政治生命を延命させるためで市民の立場にたったものだとは思えません。

 さて、昨年暮からやりのこしている、「私の昨年のニュースベスト5」を考えてみました。

 第一に上げられるのは「東日本大震災・福島第一原発爆発事故」
 2011年3月11日。午後2時45分ごろ突然、東北、関東をおそった地震がありました。
 その日、会社で仕事をやっていたが、何度もくる地震に建物の外に何度出たことか。
 建物と壁にはひびがはいり、いつ倒れてもおかしくない…と思ったほどでした。
 結局、帰宅の交通機関がすべて不通になり、「帰宅難民」となり、会社の泊ったでした。

 道路は大渋滞。自動車は数珠つなぎでいっこうに進まない状態でした。結局、6~8時間かけて家に歩いて帰ったということもあとから聞きました。

 その日、家族も上野にいて、バス、地下鉄、京王線が少しずつ動き出した深夜、夜中の2時過ぎに帰宅したという現実でした。

 さらに、最悪だったのは、この地震の影響で福島第一原発が停電し、冷却装置が機能しなくなり、炉心が高温となり、水素爆発が起きた。そのとき、多くの放射能が野外に拡散し、次々に汚染されていったということでした。ここにきて原発の「安全神話」が崩壊。

 原発事故が「レベル7」という最悪の状態が起きていました。東京葛飾区の水が放射能に汚染されたいうニュースにはびっくりしました。海にも汚染された放射能が垂れ流された…というニュースもあった。

 今、日本の原発54基あるなかで、点検や危険性を考えて49基の原子炉が停止しているそうです(1月14日現在)。
 40年以上経っている原子炉もあると、この事故がおきてから、さらに危険性が増して停止をしなければならなくなったものもあります。

 そして、この原発によって故郷を追われた人(避難した人)たちは、いまだに避難生活が続いています。

 なんともリスクの大きいものと暮していたのか…という現実をおそまきながら知ることが出来ました。さらには「賠償問題」。とうに東京電力での支払いは破綻していて、税金が投入されるのは現実的です。
 
 今後どうなっていくのか。汚染された土地などの除洗が行われていますが、除洗した土をどこで保管するのかも、いまだに決まらず、被害は進行形のままです。「終息宣言」は信じられるものはないと思いました。
 (この欄はつづきます)




 昨年暮れに今までの入れ歯が具合がわるくなっていました。それでも、診療の初日に、歯医者さんにいろいろ削ったり、曲げたりと調整をしていただき、12月の忙しさの中でだまし、だまし使っていました。
 それで「来年直そうと…」と思いつつ帰ってきました。

 今年、とうとうがまんしきれずまたしても歯医者さんの門をたたき、再診しました。いろいろみて、やはり歯の具合も、入れ歯の具合もアンバランスになっていましたので作りなおすをことにしました。
 まあ、仕方がないことだと思います。身からでたサビです。

 これは遺伝なのでしょうかね…。
 子どものころから歯医者にいかない年はないほどでした。小学生のころ、町の歯医者さんにバスに乗って行っていました。それも、夏が終わるころ。これから、自然の恵みをたっぷり味わえる季節の前に痛くなった事を思い出します。朝、バスに乗って、治療してその足で小学校へ通うこともありました。

 なぜでしょうね…。
 人並みに歯ブラシはしていました。
 今では、ほっとんど毎年、必ず一度は定期検診のように行っています。家の周りに多くの歯医者さんがあるのは助かりますが…。

 入れ歯になって悪い点は「話をすることや食事をするのも面倒になる…」ということ。これは、人が生きていくことで一番大切なことです。それが、面倒になるということは、楽しみをそぐわれているとういうことでしょう。

 原因はきっと「タバコ」でしょう。自分でもわかっているのです。今年は「節煙」もしょうかな、と思っていますが。
 いまさら、こんな歯が大事な役目を担っていたな、とうことに気づくなんておそいくらいですが。そう思えば、タバコより会話や食事の方が大事なのかもしれません。

 それで最近、娘にいの口癖…。
 「化粧より、歯をきれいにしておけ…」と。
 会話も食事も、人生にとって大事なものを失っていくように思える、歯の悪化は防ぎなさいと思います。もちろん、仕事にも大事な歯です。


◎ことしこそは…の新企画◎紹介◎


 今年、2012年からの新企画です。
 これは、以前からやってみたいと思っていました。今年こそは…と考えていたのですがなかなか手付かずに終わっていました。
 そして、今年こそはと決意してやってみることにしました。

わたしとっては「男はつらいよ」シリーズはほとんど映画館でみる機会がありませんでした。毎年、夏と冬の2回の映画館でみる「男はつらうよ」はよかったのでしょうね。
 そして、映画館を出てきっと「これからも頑張ろう」と背中を押してくれる気がしたのではないかと思います。私自身、寅さんが映画のなかで数々の失敗を繰り返しても、それを見守る家族や友だちのすがたには感動します。きっと、今、それが一番、失われていくからそう思うのでしょうね。

 毎回、寅さんが旅先で起こすエピソードにはホットさせられます。そこに登場するマドンナとの心の交流が、柴又の家族を巻き込んでいくのを見ていると「家族」のあたたかみを感じます。

 また、日本全国での撮影地の景色が懐かしいと思います。古い映画では、すでに同じ場所であっても失われてしまった景色もあるでしょう。それも、楽しみの一つです。
 さて、どんな感想が飛び出すか、自分でも楽しみです。

 全作品48作品。どこまでやれるか。時間が許す限り続けたいと思います。しかし、がんらいの怠けものすので、約束はできませんが…。無理なく、焦らず、いばらずやっていきます。
 できれば、2カ月に1回程度でやっていきたいと思います。ご期待ください。




 一日、一日が少しずつですがのびていっているようです。
 そんな明るさのなかで、どれだけの笑顔をみることができるのでしょうか。
 今年が正念場の1年の始まりのようです。

 そうはいっても健康であることが大事。節煙を目標に頑張っていこうと思います。

※読者のみなさま、今年一年よろしくお願いします。ときどき、怠けますが…

 *読んでくださった方、ありがとうございました。


 

いよいよ、私の一年が始動しました…

2012年01月09日 | Weblog


 今年も「松の内」もすぎ、いよいよ稼働です…。
 今年はどんな年になるのでしょうか?。
 というより、どんな一年にしたいのでしょうかと思います。

 散歩をしていると、少しずつ周りの景色も、音も、匂いも、少しずつ一年の始まりの「勢い」をつくっているように思えます。消防所の「でぞめ式」や「七草かゆ」などが聞こえてきます。どんな一年にするか、日々の繰り返しのなかからしか生まれません。それはいえることだと思います。どんなことをしたいのか、目標にむけ、日々少しずつ形をつくっていくしかないのだろうと思います。

 さて、今年、私の勤める会社も都内某所に引っ越すことになりました。それが、近づくにつれ、準備不足がたくさんあることに気がつきます。
 まずは「心の準備」…。さらには、自分の範囲をこえた人事的なことなど…。
 いまのところは今だ、完全な状態ではないことは日々の中から感じているところです。

 とは…いうものの実際、動き始めるといろいろな課題があがってくるでしょう。それを一つづつ、消化していくしかないのでしょう。

 そんなことを思った、仕事始めでした。
 それにしても、東北地方を中心に地震は毎日あります。
 今年は、この地球のくしゃみにつきあっていくしかありませんかね…。



昨年のスラップ「私のベスト5から…」思案中…(怠けています)



 今年、初の「裏高尾山歩き」にいってきました。
 朝、暗いういちに出かけてきました。
 
 天気、快晴。
 風なく、空気が澄んでいるせいでしょうか陣馬高原(857m)からは360度パノラマ状態でした。目の前には富士山、筑波山、スカイツリーまでも見えました。遠く、鏡のような輝きの中に江ノ島も見えました。なんともありがたい朝でした。
 地平線のなか、都心の建物も蜃気楼のように見えましたヨ。
 
 こんな寒いなかだし、あまり人は居ないだろうと思っていたのですがブームでもあるのでしょうか人がけっこういました。山ガールも、にぎやかな山おばさん団体もいつものとおりでした。これは、これでいいものです。
 
 さて、今年は何回、歩けるか?
 時間をみつけては、通いたいものです。子の時期は「静かな低山歩き」ができる唯一の時期なのでしょう。寒いのは仕方がありませんが、その分、空気が澄んでいて景色を楽しめます。

今年は、食事のレパートリーも増やしたいと思っています。山に登って、1~2時間くらいは、ゆっくり休める(昼寝もできる)場所を探すのも楽しいものです。それが、私のベストポジションとして、毎回行って楽しくできる場所になります。

 こんなことを思いつつ帰ってきました。
…………………………………………………
 この日の朝、同じ高尾山に登った人の新聞の「投書欄」の記事がありました。
 「生きる命をたいせつに」(男にひととき朝日1/8日付)と題する投書でした。
 内容は、以前高尾山に登ったとき、登山道のあちこち「生きる命をたいせつに」という看板が多く立てかけてあったそうです。しかし、年末に登ったときその看板がなくなっていたそうです。

 そういえば、私も以前、登山道の脇に、踏み荒らさないように小さな囲いをして、看板があったことを思い出しました。
 ミシュランで紹介されて、人気が出て人が多くなってきました。木々も伐採されて、眺めがいいように工夫されていますが、看板がなくなったことはちょっと寂しい気がします。

 自然の命は人が入ってくると、自分たちだけでは生きていくこと困難になるようです。その分、人手をかけて自然を守ることも必要になってきます。山に登る人たちは、基本、自然の営みを見にいくわけで、人を見にいくわけではありません。そんなことを思うと、「生きる命をたいせつに」という看板はもっとあるべきだと思いました。



高尾山歩きで…こんな詩ができました。

「年をとるとは」

彼の意地はそのひとことから始まった
「オジさん、スカイツリーの左側は新宿だよね?…」と
オジさんらしきオヤジに聞かれた

その日
帰りの電車のなかは満員だった
ほどよく前の席が空いた席にすわる
次の駅
オバサンが目の前に立った

ほおはたるみ、手はしわだらけ、働き者の手だ
彼はそのご婦人みたとき
彼は「オジさん」という言葉を思いだしたのだった
そして「変るべきか、ゆずらざるべきか…」

その響きをとなえるたびに
その言葉を思い出すたびに
彼は意地をはり、意固地になっていく
彼のこころから高齢のご婦人の姿は薄れていく

そして
「あの言葉、ある意味で罪だよな」と思ったのだった
彼の意地はその言葉で軽いはずの腰も気持ちも重くした
現実にオジさんの彼は
こうしてオジさん同士が罪をなすりあって意固地になっているのではないか
年は年輪のようになっているはずだ
彼はその言葉を信じていたはずなのに
彼は今日もそのことばに裏切られた気持ちを心の溝におとしていくのだった…
かれは自分がオジさんになったことを気づかされた1日
流れていく人のあいだでいる言葉を思うのだった


※今日は「成人の日」。私も何十年か前に、成人になったことを思い出したのでした。その日、こなん意固地なオヤジになると誰が思ったでしょう。過去の歴史は変えることは出来ませんが、せめてこれからのオヤジは変えれらると思って書いてみました。
 



※散歩の途中、写真をとったものです。子どもとおじいさんがとてもほほえましく、楽しくなってのでスナップをとってみました。

*ことしも、こんな塩梅ではじめていきたいと思います。
 お付き合いしてくださる人は拒まず、去る人は止めず、焦らず、威張らずフラットに行きたいと思います。一年間、よろしくお願いします。
 読んでくださった方、ありがとうございました。

2012年が始まりました!

2012年01月01日 | Weblog




 旧年に追われるように新年をむかえました。
久しぶりにこの欄に投稿を始めます。
 とりあえず、新年のお歓びを申し上げます。
 
 思えば昨年の「東日本大震災」「福島第一原発事故」からながーい月日が経ったように思えます。それれにもかかわらず、今でも、原発事故で故郷を追われて正月を避難所で生活している人々のことを思うと心が痛まずにはいられません。

 私の友だちにも福島の人がいます。今年はそれにもかかわらず「とりあえず帰る…」といって東京をを後にしました。
 ひにくにも事故が起きて、家族に会えることがこんなにも大事なことだったのかと思い返す日々でもあります。

 さて、事故を起こした原発を完全に停止・安全にするまでは30~40年かかると聞かされると、すでに私などは死んでいないだろうと思います。では、今、1歳の赤ちゃんが働き盛りの時、本当に安心して住めるようになっているのだろうか…と疑問はつきまとっているといったほうが本音です。

 まだまだ、始まったばかりと思います…。できることは「原発停止」から模索が始まっていくことだと思います。また、突然、大地震が起きて大事故を起こさない、ということはいえないからです。なぜかと言えば、原発は停止したからといって「安全」ではない原発の仕組みだからです。
 人類と共存できる…ということが幻想だったということが、今回はっきりしました。
 そして、いつでも「わたしにもできること」を思うことだと思います。

 今年もブログは更新いしていく予定でいます。自分の体と社会が「無病息災」であってほしい一年でありますように…と願いをこめて始めます。
 
 読者の皆さま、また一年よろしくお願いします。
 とりあえず、ご挨拶といたします。

 年頭のうれしいニュースがとびこんで来ました。
 昨年、したとJ2からJ1に復帰したFC東京が、元旦の「天皇杯」で京都をやぶり初優勝のタイトルを獲得
 ヤッター!!
 今年も地サッカーチームを応援する期待もふくらみました。
 ご近所のスタジアムをまたウロウロする日々と、アウエーでの試合に期待と不安で試合を見守る一年が、楽しくむかえられる喜びを感じています。たまには、チケットを予約して応援にいかないといけませんね…


※それにしれも昨年から片付けてきた部屋も、いまだに未整理…まいった。ゴミのやま。家族はあきれてだれも近づいてきません。休みが終わりまでは片付けたいと思いますが…。
 「チリも積もれば山となる」状態ですわ。
 




ただいま、やっと2011年の目次(p1623~P2172)が終わりました。今度は、この目次をみてゆっくり整理していきたいと思います。できたら、1月を利用して随時、更新していきたいと思います。




 赤ちゃんの笑顔を本物にしたいから…

 お久しぶりです。
 昨年、師走に仕事が無事おわり某居酒屋で同僚と酒飲んで、酔っ払って夢心地の気分でお正月をむかえたと思ったら、もう正月休みも終盤戦です。はやいものです。
 今年も、「時の流れは絶えずして、すぎゆく日々の速さかな」の毎日がはじまるのでしょうか。

 ことさらボー…としていたら、日々の事柄におしつぶされた、自分のやたいこと、考えていたことも日々の時の彼方に消えていくのでしょう。そんなことのないように、また一歩すすんだら、自分の足もと見直すときをつくっていきたいと考えていきたいと思います。

 人の一生ではなく、自分の一生ですからなおさらです。他人がどんな事件や事故をおこうそうがかいまいません。でもそれが、自分にとってどんな意味をもっているのかとか、これからどうなっていくのかとか…考えていく自分でありたいですね。

 さてさて、今年の現場はどうなっていくのでしょうか。自分が仕事をしている場所のことです。誰よりも気になることは自然なきもちでしょう。まして、人も増えず、仕事が増えれば…、どうなっていくのか…という不安は日々つのるばかりです。

 昨年から育児休業で休んでいる人のサポートをみんなでやってきて、今年ももう一人休む予定でいます。そんな中、私もときどき「確かに育児は大事なことだと思うが、なぜ女性ばかり負担が大きいのか…」と思うことがあります。夫婦で協力して…なんていうのは現実にはムリなのでしょうか。よく「育メン」という言葉がもてはやされていますが、現実はほとんど無理なようです。

 ということで女性ばかり…と思ってしまいます。その女性がいる職場では、その部分をカバーするのは職場の人たちです。
 今後は会社全体でどう考えていくのかが大事なことなのでしょう。それだけ、経営者の責任は重くなっていくはずだと思います。

 産まれた子どもの笑顔にはいやされます。しかし、それも、働きつづけるための環境が整理されなくてはきれいごとです。
 そんなことを思った新年の始まりでした。

 悩みはつきません。
 以前、題名は忘れましたが「憲法は工場の門まで…、門から先は消滅する」という書き出しのルポルタージュを読んだことがある。
 まさに、法律は工場の前まで語られるが、現場はそんなことはいってられず、日々働き、憲法は圧殺されいく…ということなのでしょう。
 最初から法律を突き出すつもりはないが、こんな状況をつくってしまう原因はどこにもあるはずだと思います。個人の問題ではないはずです。
 いずれにせよ、働きながら考えていかねばならないことでしょう。




※*読んでくださった方、ありがとうございました。
 今年一年間、またお付き合いくだされば幸いです。