日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

今年…ご愛読ありがとうございました!また来年、お会いしましょう!!

2011年11月27日 | Weblog


 はやいものです…。
 今年も残すところ1か月にせまってきました。今年は三の酉まであるそうです。三の酉まである年は火事が多いとよく言われています。とくに火の扱いには注意したい季節になってきました。とはいっても、寒いと暖を取りたくなって火をみたいと思いますね。

 さて、今月(11月)をもって今年のブログは最終となります。12月は「ネコの手もかりたい」ほど忙しくなる様相です。私の仕事(新聞印刷)を思えば気持ちも日々、時間に追われる生活が続くことになりそうです。一年に一度はこんな時期もあっても仕方がないのか…とあきらめています。

 さて、読者にとって、今年はどんな年であったのでしょうか。
3月11日東日本大震災と福島第一原発事故によって日本の政治も生活も変わったことだと思います。
 思えば、3月11日震災の当日、私は会社に泊っていました。電車も停まり、電気も思うにまかせず、これからいったいどうなるのだろうか…不安な夜を会社で送っていました。

 山梨や静岡、神奈川からきたお客さんは、どこから買ってきたのかお酒をみんなで飲んで校正室で寝ていました。家族は上野から家までバスや地下鉄を乗り換え、他人と助け合い8時間ばかりかけて家に帰ってきたそうです。
 思えば、翌日が土曜日でよかったのだと思います。これで、一区切り、様子をみられる時間をとれたことが幸いしたのだと思います。

 さらに、原子力発電のレベル7の大事故。こんなに身近に放射能があることに驚きを感じていました。それが、いまだに解決していないということ…。原発が完全に廃炉になるまでは30年もかかるとのこと…。さらに、福島第一原発の近距離の住居にすむことは不可能にちかいとのこと…。いまだに、故郷に帰れずいる住民…。
 ますます、放射能が日本中にちらばっていくニュースが流れていく日々が続いています。

 「脱原発」菅首相から、「再稼働」の野田首相に政治は、また悲劇をつくろうとしているようです。日本の政治ってえのは、いまだに進歩していないなあ…とつくづく感じたものです。首相も変わらなければ、労働者の代表の連合も相変わらずだなあと思います。

 「節電」はするが「脱原発」はしない。そんな政治の動きがまたはじまりそうです。
 日々、いまだに続く余震に東北です。原発の危険は必至であることは、今も変っていません。これは、すべて大人の責任です。

 少しでも「風化」しないように、これからも地震と原発はセットでみていくことが必要だと思います。
 今年の私の重大事件はこれにつきると思います。
 なんで、人類はこんなものを作ってしまったのだろう…と後悔しても仕方がないわけで、これからのことを私なりにやっていきたいです。





      

 巷では「今年も残すところ…」という言葉がきかれてきました。
 今年の読書はどんなものだったでしょうか…と思います。「広く…浅く」をモットーに読書を楽しんで来ました。ほとんどが、通勤途中、待ち合わせ中などと中途半端な場所と時間をかいくぐっての読書でした。
 ゆっくり揺れる電車の中で、夢中で読んでいると時間も忘れ「アッ」というまに目的地についてしまったり、一駅先に乗り越したり、手前でおりてしまったりとリスクはありましたが、楽しい時間でありました。

 私の読書は「実用的」というより「癒し系」のようです。
 本を読んで、こう動こうかとか、こうしようとか、ということはありません。
 ただ、「こんなこともあるんだ」という感想がもてました。知らないより知っていたほうが、正直、気休めにはなるのではないかと思います。
 最期に聴きたい一曲があるように「読んでおきたい一冊」もあるのだと思います。

 一年間、読んできて「私のベストテン」なるものもきっとあるでしょう。いまは思い出せませんがきっとあるのだと思います。再度、読んでみたい本もあるはずです。
 年末、時間をつくってみたいと思います。

 さて、今月の読書です。メインは長編小説「大地」が中心でした。まだ、読み終えていませんが、年末までには終わりそうです。他に写真の本、さらに、欠かせない大震災の本などがあります。
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◎心を整える。/長谷部誠/幻灯社
【内容】
 著者自身の仕事でもあるサッカーというスポーツを通しての「心」の持ち方を語っています。
 とくに、試合には真剣勝負の場が。さらには、勝利をしなければならない。チームキャプテンとしてどうチームを作ってきたのか、それには、自分ができる信じられる行動をつくるころがいちばん大事だといいます。本の中では「56」の実践に自分なりの意見をそえて書かれています。
 アジア選手権での優勝、サッカーワールドカップでの場所でいかに戦っていくのか、それには何をしたらいいのか…など、自分のこれまでの経験から大事なことを書いています。

誰でも、自分がそれなりの成功をおさめれば、成功した原因をのべてみたいものです。かくいう「成功者の弁」です。失敗者にも「失敗者の弁」があります。その、二つをミックスさせ自分が足りなかったものをつくっていくことが問われている一冊だと思います。
 発展途上のなかで、もがき、テーマを探し、目標をみつけ向かう、反省の繰り返しのなかでしか本当の「自分の言葉」ができなように、この本もそれを証明しています。
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・「整理整頓は心の清掃に通じる」ドイツには「整理整頓は、人生の半分である」ということわざがある。日頃から整理整頓を心がければそれが生活や仕事に規律や秩序をもたらす(p19)

・ひとつは孤独な時間を作り、ひとりでじっくりと考えを深めていくこと。僕にとっては読書も、ひとり温泉もここに含まれる(p53)

・変化を受け入れなければ進化することはできない(p58)

・頑張っている人の姿を焼きつける。僕が気がつかないだけで、日々の生活は頑張っている人々の姿あふれているのだと思う。自分のことでいっぱいにならず、そういう姿に気がつける自分でありたい(p59)皆がそれおぞれの立場からキャプテンという指揮官になれる。

・誰に対しても視線をフラットに保つ。そうすれば余分な軋轢も生まず、より、安心して仕事に打ち込めるのではないのだろうか(p88)

・今日ベンチに入れかなった選手がひとりいる。彼は今トレーニングをすることで頑張っている。彼のために今日の試合は勝とう(p101)

・どんな監督だってミスをするし、それは自分と同じだ。自分は自分を選んでくれた監督の期待に応え、監督のプラン通りにいくようにプレーするだけだ(p105)

スペイン語で運(la Suerte)は女性名詞。だから、アルゼンチンの人たちは「運を女性のように口説きなさい」と言うんだ。何も努力しないで振り向いてくれる女性なんていないだろ?それと同じで、運もこちらから必死に口説こうとしないと振り向いてくれないんだ(p111)

・将来、自分がチームを率いる立場になれるか分からないが、そのとき選手からの進言に耳を傾けられる人間になりたい。組織がよくなるのは機会を頭ごなしに消してしまうのは「正しくない」と思うから(p113)

■長谷部 誠
1984年1月18日、静岡県出身。3歳のときにサッカーを始め、青島東小のスポーツ少年団、青島中サッカー部を経て藤枝東高校入学。2001年の全国総体準優勝。’02年浦和レッズ加入。’08年ヴォルフスブルクへ移籍。’10年南アフリカ・ワールドカップではゲームキャプテンとして、4試合すべてに先発出場しベスト16進出。11年AFCアジアカップではキャプテンとして、優勝に貢献した。ポジションはMF


【感想】何かを成し遂げるための日々の成長をつかむ…
 この本は発展途上の「成功者のいう弁」でもあります。なぜならいまや「100万部突破」の一冊だからです。これ、長谷部選手は印税で当分、食いつなぐことができるのかもしれません。それも、いいことです。いずれ、引退するのはスポーツマンの宿命だからです。
 
 むしろ、この一冊を読んだことで、ドイツのチームやワールドカップでの長谷部選手の活躍が楽しみにも思えます。
 私は、スポーツ選手のこの手の「手記」は好きです。一瞬、一瞬の時間に判断し次のプレーを読み、勝利に導くための試合をしている人たちは、想像以上に日々の生活習慣に気持ちをこめて生活しているのだと思います。なぜなら、そう簡単ではない勝利を天才(マンチェスター・ユイテッドの故ジョージ・ベスト)でないかぎり無理です。一つひとつのプレーは日々の積み重ね以外に、ゴールへの判断はうまれないと思うからです。だから、選手はトレーニングで非情に熱心に、死に物狂いにするわけです。試合はそのトレーニングの結果でしかないのです。

 とはいってもサッカーはチームプレー。一人で頑張ったところで限界あります。チームとしての結果を求めるためには、さらに組織のトレーニングが必要になってくるからです。それが、そのチームの伝統になるわけですから…。それが、そのチームの基準となってくるわけでしょうし、それが世界基準になる。スポーツ選手は、一瞬のプレーによって結果をつくる肉体をつくる以外には、百の言い分けよりもトレーニングしかないようです。

 これは、サッカーにかぎったことではない…と思った人がほんとだったのでしょう。その結果「100万部突破」なのでしょう。わたしも日々の生活に大事なことをこの一冊で読んだように思います。
 「心整理する」ことは大事なことです。それより大事なことは、整理できる日々の自分をつくる習慣をつくることでしょう。それは、多くの経験や知識が積み重ねた結果でしかないと思います。
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◎6枚の壁新聞(石巻日日新聞東日本大震災後7日間の記録)/石巻日日新聞社/角川SSC新書

【内容】津波の後に失ったものと、失わなかったもの…

 2011年3月11日、東日本大震災が起こり、東北地方を大津波が襲った。宮城県の地域紙・石巻日日新聞では輪転機が一部水没。
 創刊99年の新聞発行が危機に立たされた。「電気がなくても、紙とペンはある」と手書きの壁新聞を決意する。家族、親族の安否もわからないまま、記者たちの最前線での取材がはじまる。この本は、7日間作り続けた、石巻日日新聞の人たちの熱い思いの新聞の記録です。


【感想】情報過多のなか、大事な情報はなにか考えさせられた
 東日本大震災でいちばん印象に残っていることは、被災地にむかって全国から「頑張ろう東北」が発信された。しかし、被災地では「頑張ろうにも、頑張る場所ない」という言葉だった。なるほど、足もとから地面が、家や食料品が津波によって次々に流されて行った状況では「無理もない」言葉だと思った。
 いまや、何千キロはなれていようが、パソコンと携帯さえあれば瞬時に世界中に情報を伝えられる時代。情報は驚くべき速さで発信されるようになった。しかし、これはあくまでも、電気があって、壊れていないパソコンがあってのこと。

 石巻日日新聞は大津波によって、日々の新聞製造の電気エネルギーも奪われた。では、なにをすればいちばん大事なことか考えた…、行動した。いちばん大事な、いちばん短い壁新聞を情報として発信した。
 そして、「情報」とはいったいどういうことかも考えさせられた。

 「情報」とはわかりやすい「安心」「安全」へと導くものだと思った。その結果、誰もがわが身を安定した場所で頑張れるのだろう思った。そして、いま生活でいちばん大事なことを考えさせてくれるものがいいと思えた。スキャンダルではなく、人の犯罪ではなく、生きるための情報が大事なのだとも…思えた。それが、紙とペンがジャーナリズムの原点ではとも思えた一冊だった。
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◎撮る自由(肖像権の霧を晴らす)/丹野章/本の泉
【内容】
1970年著作権法全面改正にあたって、写真界を代表して、写真家の「著作権」を確立した著者が、ここに写真家の立場からあるべき「肖像権」を主張する。「写す権利」は主張してこそ生まれる。著者は、肖像権の基準である最高裁平成17年11月10日判決に写真家の精神を吹き込もうとしている。写真家は萎縮してはいけない。撮る人すべての必読・必携の書である。(本紹介より)

■丹野 章
1949年日本大学芸術科写真学科卒。51年からフリー。57年「10人の眼」展に「サーカス」発表。59年「グループVIVO」結成(~61)。炭坑、基地、沖縄、40年目の広島など発表。その後、壬生狂言、「日本の風土」シリーズ撮影。日本写真家協会常務理事、文化庁著作権審議会委員、日本リアリズム写真集団理事長など歴任。現在、(協)日本写真家ユニオン相談役、(社)日本写真家協会名誉会員、日本舞台写真家協会名誉会員

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【感想】
 私は写真を撮ることが大好きな人間。でも、撮る瞬間、いつも思うことがあります。とくに、散歩途中に気軽にスナップ写真を撮っていると、「どこまで撮っていいものやら悩む…」ことがあります。とくに、様々な事件が起きて、多くの情報がインターネットを通じて流されるような世のなかになってくると、取られるほうも、犯罪にまきこまれると思うのか、プライバシー保護で「過剰防衛」がはたらき、なかなかとりずらいスナップが多いように思います。

 そこで、そんな悩みを晴らすものがないか、今回「撮る自由」という本を読んでみました。
 大事なことは写す方、写される方の理解がどかまでわかっているのか…ということのように思います。
 もちろんプロの被写体は別ですが。なぜなら、写されることで生活している人は勝手に肖像を使われては困るということだそうです。
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◎老いる覚悟/森村誠一/ベスト新書


【内容】老いるとは、現実味がおびてきた
日本は超高齢化社会を迎えようとしています。東日本大震災や福島第一原子力発電所の事故をみてもわかるように取り残されるのはいつも老人です。もう国や社 会には頼れません。これからの老後をどう生き抜くのか、真剣に「覚悟」をもって生きていかなければならなくなりました。覚悟とは決意の凝縮です。今までの 人生の経験を凝縮し、明日に立ち向かう心構えのことです。では、どのような覚悟が必要なのか、どうすれば覚悟ができるのか。本書にはすべての答えがありま す。 (BOOKデータベースから)
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・人生において大切なもの、重要なものに出会いがある。人生の出会いの連続だといい切っていい。大きく分けて三つの出会いがある。
・第一に人間との出会い。第二が文化との出会い。小説、絵画、音楽、演劇、古典芸能、すべての芸術に触れて感動することがある。第三が場所との出会い。初めて訪れた町や自然に接して感動する(p32)

・誰もが、便利性の奴隷に、つまり「便奴:」になっている。人間がみな便奴になってくると、高齢者はより道具に頼るようになり便奴になっていく(p40)

・明確な行動があって行動すること、ただし無為に行動するのでは、精神的な喜びや心地のいい緊張感が心と体に与える豊かさまるで違う(P71)

・孤独になっていくことは悲しいが、自然の摂理として受け止めなければならない。それも老いの現実だろう(p90)

■森村 誠一
1933年、埼玉県熊谷生まれ。青山学院大学英米文学科卒業。ホテルマンとして働きながら執筆をはじめる。1969年『高層の死角』で 江戸川乱歩賞(第15回)、1973年『腐蝕の構造』で日本推理作家協会賞(第26回)を受賞。2011年『悪道』で吉川英治文学賞(第45回)を最高齢 (78歳)で受賞。俳句にも造詣が深く、近年、写真と俳句を合体させた「写真俳句」に力を入れて、旅行や散歩のときもカメラを持参している

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【感想】旅に病んで 夢は枯野をかけ廻る(芭蕉)
 以前、友達と老いたらどんな生活をしているのか…?という話をしたことがある。まあ、成功してかっこういいこといって居られるといい…とも思ったが、お互いの境遇をしっている者同士、ムリかなあ…といって笑い合った。
 「おれなんかひとりものだし、へたするとブルーシート生活か」などと冗談をいった話をした記憶がよみがえる。まして、年金も少ないだろうしなあ、と。

 私自身「老いる」ということがまさに現実味がでてきた。さすがに、若いときのように「何でも挑戦してみたい」とはならない。
会社を退職して、健康なら妻とゆっくり送っているのだろう。現実的にはいまより「孤独」との共存する時間が人生の大半となるはずだ。

とりあえず、その現実=孤独をどう受け取れるかが大事なことなのだと思う。それを、自分がどんな思いで覚悟して受け止めるかがこれからも変わっていくのではないかと思った。
そこで、できることをコツコツとやれる準備が楽しくなってきたように思う。
最後に、おもしろいことわざがあります。
「老いて遊べなくなったのではなく、遊ばないから老いてしまった」と…。
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大地/パール・バッグ(一)~(四)/新居格・中野好夫補訳/新潮社


【内容】広大な中国をかけめぐた家族の歴史
19世紀から20世紀初頭にかけて中国、王龍家の家族の物語。
極貧の借地を耕す王龍は、黄家の奴隷であった阿蘭を嫁にもらい日々土を耕す倹約家でもあった。妻の阿蘭のきまじめな性格によって計画的に日々の生活をおくるようになった。そこで、少しずつ貯めこんだ銀貨によって土地を借地から自分の土地よして買えるようになった農家になる。
 やがて、阿蘭が3人の息子と2人の娘を産む。子どものたちの助けも借りてますます、王龍家族は豊かになっていく。そんななか、王龍も自分が農場管理者としての生活をできるようになっていく。
 時代は群雄割拠の戦国時代へはいっていく。(二)からはその「息子の時代」へとうつっていく。さらに、息子のまたその子へと時代は変遷していく。
まさに、激動の家族の歴史。日本でいえば島崎藤村の「夜明け前」や北杜夫の「楡毛家の人々」でしょうか。ひまがあったらぜひ、読んでみたらいいと思います。

■パール・バック(1892~1973) 
中国で活動していたアメリカ人宣教師の娘。17歳のときアメリカのランドルフ・メイコン大学に入学するまで中国に育ったので、中国語を母語同様に解した。大学卒業後は再び中国にもどり、中国の農業経済を専攻するロッシングと結婚、宣教師の仕事をしながら南京大学で英文学を講じた。このころから社会評論を書き はじめたが、1931年に小説「大地」を発表、世界的に一躍注目され、以後、作家・評論家・社会運動家として生きた。34年以降はアメリカに住み、混血児 を収容する施設を設立するなど、東西の理解と女権拡張のために力をつくした。「大地」は続編の「息子たち」「分裂した家」と三部作をなし、全体はのちに 「大地の家」(The Good Earth)としてまとめられた。この全体が日本では「大地」と名づけられている。代表作に「母」「郷土」のほか、「水滸伝」の英訳も有名。

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※今、現在(三)の途中です。来年に「大地」の感想を書くことにします。今年はこの「図書コナーナー」を読んでくれた人には感謝します。これを読んで「読んでみたい本」にしてくだされば幸いだと思っています。




 不覚にも、年の終わりに入れ歯がガタがきたようで、病院にいって来ました。歯を削られ、入れ歯の調子をみて帰ってきました。
 帰り際「○○さん、限界です。今度は新しいのをつくってみることを考えてください…」と。

 おかげで歯の痛みはなくなりました。歯は一生の友だち…。
 そして、友はなくしても歯はなくすな!と思いました。
 歯医者での待合室で、来ていたみんさんが入れ歯の話…。けっこういるんだ、とへんに自信がもって帰ってきました。

 と、まあ年末を迎えても落ち着いているどころではないようです。
 思えば、私のこの一年、大震災にあっていまだに癒えないココロの揺れはありますが、どうにか、このブログも無事、年を終えられることができてうれしく思っています。
 これも、身近な若者達のおかげです。

 若い人に刺激を受けて、年よりもひとがんばり…と思いつづけてこれたようなものです。そんな人にも感謝しています。

 最近、おかあさんになった人から今後の対応についての連絡がありました。「育児法…」という法律が先にかかれていて、それで休暇、業務連絡と…ありました。
 まず先に法律ですか!。これにはマイってしまいました。法律が先で、自分の職場の状況も考えず事情に協力す様子もない、そんな文書に「あ然」でした。これは、なにかオカシイと思っています。

 だいたい法律は生活のなかからできてくるものです。法律が先ではあまりにも現実を無視したやりかただと思います。現実と照らしあわせて、おりあいで生きていくのが人でしょう。そう考えますが……。

 私の反省としては「川歩き」神田川編が一歩も前に出ていなかったことに反省しています。来年こそは…と思っています。




 とまあ、今年一年間、読んでくださった方、ありがとうございました。
 少しはお役に立ったでしょうか。期待はしていませんが…。
 来年も無事、顔を出せるコーナーをつくって行こうと考えてTいます。



 いよいよ12月(師走)に突入していきます。いずれにせよ、締めくくりの月として、いい年だったと思えるようにしたいものですね…。



 「終わりよければすべてよし…」といえるようにしたものですが、さて、現実は自分の思うように動きそうもありなせん。
 まあ、それに、近づけるように粉骨砕身でやったほうがいいのではないかと思います。いずれにしても、自分のことは、自分でうまくコントロールして生きていくしかありません。もちろん、他者の協力もうまくおりあいをつけてのことですが…。そんなとき、自分が「これでよかった」と思える時間があればいいのだと、思います。

 寒くなります。
 読者のみなさまもカゼなどひかないように、師走を乗りきっていきましょうや…。(12月初旬追加加筆しました)

※12月は仕事の関係で「休止」します。

 読者の皆さまには一年間、読んでくださってありがとうございました。
 
 12月が始まると、私が毎年よんでいる「豚の生活」にはいります。日夜、残業にあくれる日々が続きそうです。それでも、仕事があるうちは、いいのです。仕事は、日々、大変であってもどうにか、こうにか片付ける目標があるわけですから…。あとは、体をこわさない程度にやるだけです。



 年末ごろ、またお会いしましょう。
 FC東京も一部昇格したし、楽しかったサッカーでした。来年は、ベスト4まで頑張ってほしいと思っています。これも応援しがいのある一年にしたいものです。


※このコーナーは年末に書きたいと考えています。
 しばらく、暇になるまで不便をおかけしますが、お待ちください。
 来年は、何か『新企画』も考えてみたいものです。
 ずべて、ほとんど「自己満足」で終わっていいものだと思いまので…。
 後は、私の記録ためですか~ね。

 年末、雪の積もった低山歩きができることを目標に、またがんばるだけです。
 また、今月末から始動しますので、ご安心ください。
 *読んでくださった方々、本当にありがとうございました。



人との別れ…今年は最後にしたいと、思う

2011年11月20日 | Weblog


 雨がふると、冬が近づいてきたな…と感じますね。休日の多摩川散歩でも寒さが身にしみる時期になてきました。散歩道にバラが咲いていました。ちょっと遅いですが、きれいでしたので一枚とりました。

 北海道では雪がふったという便りもありました。多摩川から見える富士山のてっぺんもうっすら雪がつもって見えました。

私の身体も、気がつけば、少しずつ温かいほうへ足がむかい、食事であれば「鍋料理」、散歩しているとひなたに、人の話ではこころ温まる話のある方へ…という毎日でしょうか。
そんな日々が多くなってきたように思います。

 今週に話題になったのはブータンの国王が訪日していた記事を多く読む機会がありました。国が心の充実追求を求める「国民総幸福量(GNH)」が90%以上だとか。小さな国で、物質的には不便だが、人間の豊かさが高いのだろうと思えた。
 夫婦での訪日の様子で若さが、ほほえましく見えたのは私だけでしょうか。
 日本の「幸福度」はどんなものでしょうか…。
 日本では「GNP」が幸福をはかる尺度になる??じゃないのでしょうか。悲しいかな、幸福を考えるより。利益をつくることが「幸福」に代わっているように思えました。

 さて、「私の幸福度」の基準はどこにしますか?
 「男はつらいよ」で寅さんが、だんご屋のおばちゃんに「幸せかい」と尋ねるシーンを思い出しました。(最近、みていないな…)


 国内ではオウム真理教の判決がでました。「サリン事件」から22年。
 サリン事件のあった日、私も同じように通勤したいた朝でした。その日、朝からヘリコプターが飛びかい、救急車がひっきりなしにサイレンをならしていました。

 朝、会社でテレビをつけたら地下鉄霞が関駅あたりで「サリンがまかれた」という状況でニュースになっていました。
 いつも降りている駅で、もう少し遅れたらその場所にいた同僚もいました。
 なんとも皮肉なことか…。これが宗教のやることかと思っていました。

 裁判の結果、「死刑」が確定したようです。彼らの犯罪は「死刑」で終わるものではないと思います。そんな、背景もあるのではないかと思います。

 さて、今週の「私」調子が悪かったなりにどうにか終えました。なれない仕事に振り回された…というものでした。少しずつなれていけばと思った週でした。
 
 今週は「CD紹介」の週です。
 今週は、私の好きな高橋真梨子さんを紹介します。





五番街のマリーへ
作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一編曲:岩本正樹

五番街へ行ったならば
マリーの家へ行き
どんなくらししているのか 見て来てほしい
五番街は古い町で
昔からの人が
きっと住んでいると思う たずねてほしい

マリーという娘と
遠い昔にくらし
悲しい思いをさせた
それだけが 気がかり
五番街で うわさをきいて
もしも嫁に行って
今がとてもしわせならば 寄らずにほしい

五番街へ行ったならば
マリーの家へ行き
どんなくらししているのか 見て来てほしい
五番街で 住んだ頃は
長い髪をしてた
可愛いマリー今はどうか しらせてほしい
マリーという娘と
遠い昔にくらし
悲しい思いをさせた
それだけが 気がかり
五番街は 近いけれど
とても遠いところ
悪いけれどそんな思い 察してほしい

(The Best~new edition)より

 今頃では、そろそろというか山下達朗のクリマスソングのメロデォーが浮かんできそうですが、あえて私は高橋真梨子さんの「五番街のマリー」を選んでみました。

 今は鬼門に入ってしまった上司が大ファンでした。なんといってもファンクラブの会員でしたし、仕事の忙しいなか、とれないチケットをとり、コンサートにいっていました。

亡くなったとき、自分の棺の中に一緒にいれたというエピソードもあるくらいです。そして、ゴルフで人生一回きりのホールインワンのボールも…。
 ゴルフボールの方はさすがに「危険」ということでやめましたが…。
 
 その先輩と映画の話ばかりしていました。
 今、思うといい上司でした。
 
 人には「物語」があって、とくに女性との物語は言い尽くせない物語があるようです。それを、語るのではなく、なんとなく「こんな歌」になぞって思い出して見たい…一曲が「五番街のマリー」だと思います。

 おんなを悲しませ…何が思いだと言われそうですが、これってきっと男のエゴなんでしょうか…。男だって悲しいです。
 最近、若い人たちと話をしていると「どんな物語」をつづるのだろうかと思います。
 できれば、いろいろな出会いのなかで、経験をつみ幸せな物語をつくろうとする人であってほしいと思います。これこそ「幸福感量」で、大きくしていってほしいと思います。

 余談になりますが、最近電車のつり革広告でお見合いコンサルタント会社のキャッチコピーの「偶然な出会いより、現実的な出会い云々…」というのがありました。(これもアリか…)
 でも、こい言い切ってしまうことには内心「腹立たしさ、なままいきな…、人の弱味つけこんで」とも思います。

 わたしにとっての「五番街マリー」は遠い地方の空の下で暮しているでしょか…と思います。今年は、福島第一原発事故があってどうなっているのか心配にもなります。
 あくまでも、これは男のエゴなのでしょう。
 向田邦子の世界のようにドロドロの男女間もあった時代も超えて、いまはゆくうり考えられるようになった…ということを感じます。
 それだけジイジイになったとつくづく思います。
 さて、あなたのとっての「五番街のマリー」はどんな思い出をつくってくれたのでしょうか…。
 『五番街マリー』はそんな、静かな自分を考えさせてくれる、わたしのとっての名曲です。

高橋真梨子 ※詳細はこちらでどうぞ。






 夕方、都内某所でのお通夜にいく。
 なんとも悔やまれるのは、遠すぎず、近すぎずの距離なのだ。遠ければ落ちついたころをみはからって「香典」でも…と思っていたが、中途半端な距離で、これは行くしかないよ、と覚悟した。
 それにしても往復5時間はかかるだろう。ちょっとした夜の遠距離散歩になる。

 こんな考えで、焼香にいっていいのかという気持ちもあるが、行って同僚の顔をみるだけでもいいと思っている。まして、亡くなった人が事故であるから、なおさらだと思っての焼香だ。
 
 年々、こんな葬儀への参加が増えている。まして、東京は地方の人間が多いだろう。周りを見渡せば、地方から出てきて、住み着いてしまった人の方が多いのではないかと思うくらいである。
 形あるものはいつか朽ちてくずれる。命あるものはいずれ息絶える…。もののあわれ、諸行無常…である。

 願いはこいう儀式への出席は、今年最後にしたいと思うこのごろです。
 しかし、歳をとると、うれしい出会いより悲しい出遭いのほうが多くなるのは仕方がないことです。いずれ、その順番にわたしも入っているのですから…。



 季節は、真冬に一直線です。
 これから、ナガーイ冬だと思うと気が重いです。
 誰か、うれしい、楽しい出会いや、出来事を話してくれる人をじっと待っているこのごろだ。
 震災、原発事故と今年は人生いろいろと考える年でした。そのおかげでというのもへんですが、自分の進みたい、やりたいことも本当にまじめに考えて、がんばっていきたいとも思いました。

 ピンチはチャンス、とひらきなおり!!…と。
 ほんじゃ、また来週に。
*たまたま読んでくださった方、ありがとうございました。

寒さのあいまをぬって…

2011年11月13日 | Weblog


 11月中旬。
 小春日和…とい言葉がときおり聞こえる季節です。寒い日は10度近くで、温かくなると20度を超える、というのが今の時期。
 季節は、野辺に咲く花を種子にして、虫たちを冬眠の季節へとしていきます。

 植物や虫たちは種子や冬眠となりますが、人間はこれからがいちばん忙しくなって季節なのでしょうか。「師走」という言葉があるように、ドタバタと走り回る季節であるのでしょうか…。ともあれ、急がず、あわてず、いばらず…というモットーを大事に進みたいと思っています。
 
 今週、職場の人と久しぶりに飲み会にいって来ました。私は50代、一緒になったのは20~30代の人たち。話をしていると、今の若者の文化に刺激されるところもあり、いいものです。私の迷惑を素直に聞き入れてくれて、ありがたいのですが、きっとしんどいのかもしれません…。そんなことを、後日思った週でした。

「アラフォー」に近づいている人であれ、私にとっては子どものようなものに思います。 
孔子の論語に「十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」とあります。

 彼らがこれから、どんな人生をおくっていくのだろうか、どんな決断をするのだとうか…と思う。そんなとき、一緒に聞いてみたい気がする。がんばれ!!。さて、さて、何を目指して立つのでしょうか。

 政治ではとうとう、野田首相が環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に参加を表明したとのニュースもありました。
 日本の食料事情や医療事情を破壊してまですすめていくTPPは意味あるものだと思いませんが、いったい何が目的なのでしょうか。
 
 いま、超党派で「TPP反対」を表明している政治家が多いなか、それらを無視した形での表明…。つい、一日前は「先送り…」とのことだったが、翌日には「参加決断」とまさに、朝令暮改の様相まるだしです。首相は誰を相手に政治を進めようしているのでしょうか…ね。

 福島第一原発事故で多くの農家の人たちも作物を放棄する専業農家も多いといいます。また、いまだに、自分の住む土地にかえれなず、避難所で生活を続けている双葉町の住民など、これらはいつ解決できるのでしょうか。
 
 これも、いまだに「対米追従」の歴史を追いかけているように見えますが…。




◎サッカーW杯第三次予選・アウエーでウズベキスタンに4-0で勝つ(朝日11/12/2091)

 2014年W杯ブラジル大会のアジア第3次予選C組(日本・ウズベキスタン・北朝鮮・タジキスタン)で日本は勝ち点10でトップ通過。
 ウズベキタンも北朝鮮との対戦し、勝利して同組2位。この結果、C組は日本とウズベキスタンの2チームが最終予選に進出。(15日は日本は北朝鮮との対戦の結果を待たず進出)
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 ヤッター!!
 まだ、予選は続くが、当面の目標を突破した。ヤジキスタンはデフェンスを固めてのやりずらい相手だ、と思って引き分けがが最善とくるだろうと思っていたが勝ててよかった。何よりも、FC東京(地元)の今野選手が得点したのは素晴らしい。どこからでも得点をねらっているチームのできばえもよかった。
 今、FC東京はJ2で首位と頑張っているところ。今年はついら一年を送っている。そんなTチームの一員の今野選手の活躍は大きな励みになるだろうと思う。代表での活躍もがんばれ…。

◎北海道・泊原発の廃炉を求め提訴(朝日11/12/2094)


 北海道電力原子力発電所(北海道泊村)の周辺住民ら612人が11日、北海道電力を相手に、原発1~3号機を廃炉にするよう求める訴えを札幌地裁に起こした。
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 事故以来、静岡の浜岡原発はまず始めに停止された。それは、前首相の菅直人の英断だった。
 原発の安全性は、100%ではないことが今回の事故で証明された。まして、地震大国の日本にあってはなおさらだ。起きてからでは、福島の例をもれば遅すぎる、危険きわまりないことが証明された。それを、教訓に「脱原発」を模索してもいいのではないかと。まして節電を広範囲に実施できた、今年の夏の教訓をいかそうなどという気持ちはないのだろうか。
 また、事故が起きれば、安全という言葉はまたしても、住民をだます詭弁になってしまう。いいかげんに目をさませ。さらに、原発はすぐには停まれないもの。事故の起きた福島第一原発を廃炉にするには30年…ということを考えれば、決して早いとは思いません。

◎福島の原発事故補償をめぐり双葉町が弁護団を結成(毎日11/8/2095

 福島県双葉町住民は、原発事故の賠償で、埼玉県加須市に避難している町民に代わって東電と交渉する弁護団を結成した。
 井戸川隆町長は東電の示した賠償内容が難解なのを避難した経緯がる。非情に難解な説明内容だったからだ。もっと、わかたやすい内容で賠償を求めていくように弁護団を結成した。
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 事故が起きて、それを補償するのは電力会社のみならず、市民からの納税が使われる。これを無駄な支出だと思う。だいたい、何百万人の補償となると、もうお金の問題だけにとどまらない。なぜなら、被害者の人生そのものも破壊してしまうのだから…。双葉町は地元に帰れない状況はいまも続いている。育ってきた土地から離れるつらさは、どう賠償するのか…。
 現時点ではお金でしか賠償できないかおしれない。しかし、大事なのは二度と起こさないように、態度に示すということなだろう。「脱原発」の電力会社があってもいい時代。あくまでも、原発をとめない、廃炉にしない電力会社は、被害者に納税者におおくの犠牲をつくろうしている…ということではないか。

◎野田首相、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に参加表明(東京/11/12/2093
 野田首相は11日夜、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に参加すると述べた。首相は「貿易立国として活力ある社会を発展させるには、アジア・太平洋地域の成長力を取り入れなければならない」と意義を強調。
 農業や医療の分野で反対の表明が多い中、強行した表明だ。
 どんな、形や内容かは今後、模索していく。
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 一日考えた結果は「参加」の意向。考えたのではなく、時間をつかっただけの参加。この政治の形は進歩のないいまの日本政治の形だと思う。
 結局、人の意見はアメリカと経済界がリードして、医療や農業は二の次の形…。その結果が、食料自給率はほど遠く、医療では国民皆保険が民間の保険会社への移行が急がれ、アメリカの金持ちだけの医療がつくられる懸念が指摘される。前回ブログに書いた、アメリカの医療を追いかけている。
 来年のアメリカ大統領選での政治の材料される危険もある。
 日本の特徴をもっと出す内容のTPPが問われているのだと思う。

◎プロ野球チーム巨人の内部告発で内紛、表面化(朝日/11/12/2092

 プロ野球チームの巨人の清武英利球団代表が、原監督らが了承した岡崎郁ヘッドコーチの留任を渡辺恒雄球団会長に拒否され。その代わりに江川卓氏との交渉を始めている…と。球団代表の意向が無視されたものになった。
 清武代表は「不当な介入」として会長の球団私物化を批判。
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 今年、巨人軍はペナントレースを逃してしまった。最近は、ジャイアンツ=強い、というイメージはなくなった。ケガや選手のモチベーションが下がってしまったのか、昔の「強い」という野球から、他のチームからは水をあけれている。ことしも、もい一歩というところで、中日とヤクルトにゆずってしまった。
 「弱い犬ほどよく吠える」の例えにあるように、球場外でのプレーが火花を散らしているように思う。これが、日本シリーズに参加していたら、こんなことはないだろう。強ければ、こんんあ時間はないはずだ。

 プロスポーツはすべて結果である…。
 そう思うと、常勝チームの監督はどこかがちがうのだろう。
 イギリスのプレミアリーグ・マンチェスターユナイテッドのファーガソン監督は25年もやっている。これはすごい…結果よして、いつも優勝を争っているチームとなっている。
 日本では中日の落合監督もすごい。来期を変えるチームの代表の意見もわからない。これでは強くならない理由だろうか。
 とにかく、弱いチームは監督を変えることも必要。

 正直、今はプロ野球よりFC東京のJ1復帰に必死の私…。
 ジャイアンアツも監督をそそろ変えたらいい。それは、フロントの意見もよく聞いて相談すればいい。いまのままじゃ、来年も優勝は遠いぞジャイアンツ…。

がんばれ!FC東京応援団 ※詳細はこちらでどうぞ。





 今年も恒例の「年末調整」の季節。会社から持ち帰り各「年末調整控除提出用」の書類とにらめっこしつつ記入していた。

 なぜか、記入すれば記入するほどむなしくなってくる。そのさえたるものが住宅ローン。まだ○十年ものローンが残っているとつくづく感じる月でもある。
 だいたい、この歳まで健康で働いているのか…という疑問、年金生活してまで借金生活…?という不安がよぎってくる。
 来年はこの「住宅ローン」も終わりとなると厳しい。

 保険代も年齢がかさむにつれて大金を払っていることがわかる。この分を貯金した方がよほど現実的じゃないか…とも思う。
 とはいうものの「もしもの時」との天の声が脳裏を通りすぎるとアキラメもある。なんといっても、「もしもの時」は未知なる時間でわからないのだから…。

 それにしても、どうにか、こうにかやりくりして私の給料から払っているんだろうと思う一日だった。銀行引きおとしというシステムを利用しているのだろうが、妻には感謝…感謝のひとときもあるようだ。

 それにしても、ローンや保険代は一生つきまとうカネであるようだ。
 こんな話もある。
友だちもマンションを買ってローンを組んでいるという。しかし、部屋の広さが「控除」の範囲に満たないため「住宅ローン控除」がないという。そんな不公平な…。

 また、今回、東日本大震災で住宅ローンを組んでいた建物を津波に流されてしまった。しかし、ローンだけは残ったという話である。これが「二重ローン」だ。しかし、政府がこの事態には政治の分野で修正を行った。
 これが当然だろう。そのときのために税金を払っているのだら…。

 ローンの制度も変えて欲しいと思った。部屋の広さや、10年間だけの「住宅控除」ではなく、住宅取得総額の4分の1くらいまでの金額になるまで「住宅控除」を続けられる制度をつづけるべきではないかと思った。
 そうじゃないと、負担はきえない。不安も消えない。それで、働けなくとなると無理をして「過労死」も「自殺」も増える…という図は当然だろう。

 人は働くことはいい。
 しかし、不安をかかえて働くとなると、うまく働けず、間違いも多くなる。あげくには、蒸発、ホームレスも増える原因なのではないと考えるのだが…。
 さらに、拍車をかけるグローバル・スタンダード方式の雇用形態。競争社会はいいが、その条件がスタートから違うのはフェアじゃない。

正直、民主党になっても結局、アメリカの関係にずーと、鎖国から開港以来、拘束されている政治で変わったとは思わない…。
 かえって、なんでもやっていて景気がよかった自民党のほうがマシかもしれないと怒りを覚えた。
 でも、結局は同じだろうけれど…。

 税金をうまくつかう政治が欲しいなあ…とつくずく思った一日だった。

 


 いろいろ、税金にまつわる話題はつきない…。なぜか?
 それは、消費税が10%になるという発言があるためかもしれない。さらには、またしても「原発再稼働」によって、そのための莫大な税金が使われるて、ますます危険な社会になってしまう「不安」があるからかもしれない。

 それについて、どう思います。ムムッ!!
それでは、また来週…。
 *読んでくださった方、ありがとうございました。

そろそろ…冬仕度です

2011年11月06日 | Weblog






 いよいよ今年も残すところ2カ月ですねえ。
 早いものです…。
 朝、多摩川を散歩していると、遠くで「カキーン」と野球の打撃音が澄みわった空気をふるわせて聞こえてきます。いつのまにか、空気が静かさをつくったのでしょうか…。
 寒さが、駆け足でやってくるような思いがした音でした。

 気のはやい妻が、年賀状が販売されたと、買ってきました。今年は、無事出せるでしょうかね…。遠い、古い、懐かしい友だちとの連絡とかの便りとして、年末にあわてて書くのでしょうか。

◎気になること………………………………………………*

 さて、今週は福島第一原発の影響が、食べものや公園の土から放射能セシウムが測定され、身近になってきたように思えます。
 4日、福島から遠く離れた横浜の公園(戸塚区)で栽培されていたシイタケから基準超のセシウムが検出された。さらには、隣の国、韓国の道路からセシウム137の検出がされ、撤去がはじまっているというニュースもあった。

 あいかわらずの放射能被害は、日を追うごとに、身近になってきたと感じた週でもありました。
 それにもかかわらず、野田首相は「ベトナムとの原発協力を確認」でベトナムに原発を売り込もうとトップセールスを展開していた。
 九州では玄海原発4号機(佐賀県玄海町)が再稼働をはじめた。いったい、どういうつもりなのだろうと思う。

 そして東電は国に何百億円という支援金を要請、国もそれに応えた。つまりは、税金で損害賠償にあてる計画を準備したようだ。

 また、東電株主が、東電株主代表訴訟を起こし、1兆1000億円あまりの返還金を求めて訴訟を起こした。今後の原発電力について問う訴訟でもあるともいえる。

 今年、「電力節電」「クールビル」と、原発事故が起きてからというもの、電力が生活の全部を支えていることをつくづく考えてしまいました。温かさも冷たさも人工的につくってしまう電力エネルギーがこれからは、原発に頼らないものに移行していくことがいちばん大事だな…とも。それならば、原発に代わるエネルギーの報道がもっとされて、市民にそれを知らせるジャーナリズムが大事なのだろうと思う。

 もうひとつ…。TPPという略語。輸入にかかわる関税を100%なくす協定だそうだ。詳しくは「TPP=Trans Pacific Partnership(環太平洋戦略的経済連携機構):輸入にかかわる関税をなくし、各種の国内規制に共通のルールを設定する枠くみ」となっている。

 なんだ…輸入物や輸出の物に関する税金を撤廃する法律かと思った。安くなれば、それだけ外国の商品が安くなり「いいではないか」と思いきや、実際は他分野(医療など)にも、その枠を広げようとしているという。

 最近、読んだ新聞に「医療費にもTPPが介入する…」との報道があった。
医療機関では保健、医薬品、医療機器、医療IT、医療サービスの4分野が対象になるという。ということは、ますます、医療が米国の医療に近づいてくるということだそうだ。

 米国では国民皆保健制度がないため、事実上、個人の医療保険代は、国ではなく、各民間保険会社に負担させるという仕組みだ。
米国では7人に1人が保険料を支払えないのだという。ということは、お金がない患者は医療にかかれないことになる。
 まして、最近、米国では格差是正や仕事を求める人々が、ウォールストリートの金融街を占拠した、大きなデモが展開されています。
 1%の人間にのみ豊かさを謳歌している「弱肉強食」に対して不満が爆発した結果だろう。

 日本でも低賃金、非正規社員が働く人々の3分の1に達したそうです。そのため、多くの人が保険料を払えない状況があるそうです。

 以前に、マイケル・ムーア監督の映画「シッコ」が浮かびました。
 保険代が払えない患者が増加する悲劇を描いた映画だ。国の保険制度が民間の保険会社に加入するようになり、まますます、貧しい市民は医療にかかれずにいる…という、アメリカの光と影を描いた作品を思い浮かんできた。アメリカの『自由』はいいが、貧者をつくる『自由』はオカシイ…。

 …と、気になること二つ、季節の移り代わりと共にかわっていくのだろう…。問題は、どう変わっていくのかということだろう。
地震、放射能とこれから、日本が覆いつくされる状況にあっては大問題のはずだ。

マイケル・ムーア監督 ※詳細はこちらでどうぞ。





 とうとう11月までやってきてしまった…という感じがする。
 本人がどうあがいても「時の流れに逆らえない…」というところ。寒さも忙しさも、少しずつ増していく季節。

 プロ野球日本シリーズはいよいよ始まろうとしている。始まるころは、話題にはならないが、プレーの中に寒さ対策の準備も必要になっていくのだろう。

 私もこの時期、「心も身も冬支度」を準備始めようと思った。
 うっかりすれば、寒さに負けてカゼをひいてしまう。自然の移り変わりも嫌な思いで過ごすようになってしまうのは残念だ。
 
 私なりに、12月への準備が大事だなと考えた。
 
 いま、一心不乱に小説を読み始めている、時間のあるときはいつでも、どこでも読んでいたい小説。条件は、長編であること、古典であること、時代を感じさえること…などだ。
 と、言う条件で、読み始めたのは『大地』(パール・バック)だった。
 
 いま、中国は世界を牽制するほど経済大国となっている。国が大きいことも幸いして、多くの労働者がいる国だ。そして、低賃金であることから、経済発展する好条件はそろっている国だ。
 現実、いまではアメリカと並ぶほど、世界への影響力は強い国となっている。今では世界で米国とともに覇権を争っている。市民は、働けばその利益は豊かな生活をつくっている。公害や労働問題の多くのが足枷になる時点ではない。(おそらくあるのだが、まだ、表にでてきていないか、隠蔽されている)アメリカと同じように、格差でデモが続くにはもう少し時間がかかるだろうと思う。

 そんな中国をつくってきた小説も読みたかった。以前「天安門事件」があったが、市民が民主化を求めデモが行われた。政治的な行動だった。それも、弾圧され終わってしまった。しかし、経済が発展する中、政治、経済がますます発展すれば、皮肉にも、問題が表面化しつつ、今度は本当に「天安門事件」はリベンジされるのかもしれない。

 ということは「中国の歴史」を知ることも必要なのだろう。

 いずれにせよ、年末にむかって忙しさは増してくる。そんなとき、仕事を離れたとき「一心不乱」に読んでいたい一冊だ。
 それが、仕事とバランスととる道具だと思える。

 これは、毎年、行っている年末にむけての行事。そして、紅葉をみに山歩きも月末にやろうと思っています。
 大切なことは、日常のストレスをいかにためこまないで、翌日を迎えらるかということが大事なことなのです。




 さて、読者の皆さんは年末にむけてどんな計画があるのでしょうか…・
 自分の好きな、できる、面白いと思えることを実現することが大事だと思います。

 それでは、また来週…。
 *読んでくださった方、ありがとうございました。