お正月明けに、家から持参した本の一冊に、新井満著『方丈記』があり、昨日から今日にかけて読み直した。
既読の本だから、ブログに感想を書いているはず。だが、一々その内容は思い出せない。
いい本は幾度読み返しても、その都度、心に訴えかけるものがある。
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『方丈記』の、あの有名な書き出しを誦じられても、最後まで原文を読んだ人は、意外に少ないのかもしれない。
この本は、新井満さんの『方丈記<自由訳>』である。原文に忠実な、なかなかの名訳で、鴨長明の生き方、考え方を的確に伝えている。
原文も添えてあるので、併せて読むこともできる。
今、思いついたことだが、気の向いた日には起立して、原文を一章ずつ、音読することにしたい。
もの言わぬ日が多く、音読すれば、発声力を鍛えることにもなるだろうから。
さらに、解釈に躓けば、自由訳を参考にさせて貰えばいいのだから。
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本のなかに、新聞の切り抜きを挟んでいた。朝日新聞の「折々のことば」(鷲田清一) 2015・9・5 である。
『方丈記』の終わりの方の一節が引用されている。
かつての旅で、京都の下鴨神社周辺、糺の森を歩いたことがある。
その折、新井満さんが訪ねておられる<復元・方丈庵>を私も訪れた。
それもブログに書いていそうな気がするけれど、探し出すのが難しい。
鴨川と高野川の合流する辺りの岸辺に、桜の花が咲いており、穏やかな春日和であった。
今よりはるかに健脚で、旅が自在に可能であった日を懐かしく思う。
鴨長明に刺激され、いろいろなことへのこだわりをあっさり捨て、昼間でも、眠たければ眠りをむさぼり、安穏に生きればいい、とも思うけれど、なかなかそうもいかない。そうなってしまったときには、たちまち呆けて人に迷惑かけそうな怖さを覚えたりして。
どこまでいっても、安穏は得られそうにもない。
長生きしたせいで、はや、思い出せないことばや人の名前など続出し、日常生活のなかで困惑することが多い。頭をポンポン叩いてみるが、即座には間に合わない。とんでもないとき、ふっと思い出したりするのがおもしろい。
そのうち、いくら経ったも、思い出せないままの状態が続いたり、思い出せなかったことばがなんであったかも忘れてしまうのかもしれない。
それはそれでいいのかもしれない。なさけないとも思わなくなってしまうのかもしれない。
寿命が伸びるのは、めでたいことばかりではないな、と思う。
鴨長明は、62歳没。
新井満は、昨年の12月3日、75歳没。
私は、老醜をさらしながら、89歳の日々を生きている。