ぶらぶら人生

心の呟き

今日は<雨水>

2022-02-19 | 身辺雑記
 朝から小雨の降る日であった。
 今日は24節気の「雨水」にあたるという。
 「氷雪が溶け水となり、雪が雨に変わること。草木の芽生えが始まり農耕の備えを始める目安となる。」と、歳時記にはある。

 施設へは歳時記を持参していないので、ネットで雨水の句を読んだ。
 好みの句は少ないものだ。

 上野さち子先生の句にであった。

   雨水てふ佳き日ありけり母微笑

 
 自室にいるときは、静かに降る雨には気づきにくい。
 時折、ベランダに出て、小糠雨を差し出した掌に感じたり、深呼吸したり、水平線の霞んだ穏やかな海を眺めたりした。

 3度の食後、配膳車へ食膳を返すために廊下へ出たほかは、自室に籠りっきりの一日。
 私に与えられた持ち時間を、好きなように使えることのありがたさ、楽しさを味わえる一日であった。

 一週間のなかで、土曜日は新聞の記事が一番多い。b版の特集もあって。毎土曜日に比べても、今日は読みごたえのある記事が、格別多かった。充足感を覚えるほど。
 過日読んだ『北帰行』の作者・外岡秀俊についての特集もあり、「傍観者からの手紙」「ドラゴン・オプション」の紹介もあって、読んでみたいと思ったが、いずれも<絶版、電子版あり>となっている。
 本は、やはりページをくりつつ、紙面で読みたい。残念である。

 しかし、他の作者のもので、読んでみたい本があり、Amazonへ2冊注文。
     
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十六夜の月

2022-02-18 | 身辺雑記
 美しい満月に会えなかったことを残念がっていた私を慰めるように、十六夜の月が真正面に昇っていた。多分雲の中から現れたのであろう。
 以後、カーテンを開けたまま、椅子に座って眺め続けた。
 静謐な時間の流れるままに。



 


  19時54分


 飛行機雲であろうか。夜空に帯状の雲が長く伸びた。
 お月さまの引き立て役にはなっていないが、現象的には珍しい。



 


  20時31分

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春を探して

2022-02-18 | 散歩道
 久しぶりの散歩。
 吹雪のあと、一段と日差しがやさしくなった。
 何か新鮮なものはないかと道を変えたりして歩いてみるが、2月の風景は、相変わらず殺風景である。

 それでも、道沿いの庭に、ジンチョウゲの蕾を見つけた。(写真)
 よく歩く道ではないので、開花の時期を見逃さないようにしたい。

 私の家にあったジンチョウゲは、一昨年、木そのものに寿命がきたらしく、枯死してしまった。


 「年年歳歳花相似たり」と中国の有名な古詩にあるが、いつかは花にも終わりがくる。
 家の庭でさえ、私の寿命に満たなかったものが結構ある。



   



 昨日の雪が、畑の崖に残っていた。午後の陽射しを受けて、夕方には消えてしまうだろう。



   



 最後は、今日も河原に出て、広がりのある風景を眺め、帰途についた。



 




 


 4000歩余りの散歩。部屋に戻って確認したところ、歩いた距離が、初めて3キロに達していた。3キロは歩ける! と、嬉しくなる。

 (しかし、都会生活では、買い物ひとつするのにも、もっと歩けなくては、自立はできないだろうな、と考える。場所にもよるだろうけれど。)

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『樹木希林 120の遺言』

2022-02-18 | 身辺雑記
 昨日、どういう思いがあってか、C3号室のOSさんが、これを読まないかと、持参してくださったのが、『樹木希林 120の遺言』(下掲)であった。

 OSさんのお姉さんは、国民学校6年のとき、私と同じクラスだった。ただ卒業後、進学する学校が違ったため、その後の消息は全く知らなかった。が、妹さんの話では、東京に健在だという。色白の非常におとなしい人であった。おとなしいという点では、私もそうであった(と、自分では思っているのだが…。)
 妹(OS)さんのことは全く記憶になかった。が、2019年の初め、入居されて以来、廊下で会えば言葉を交わしている。OSさんは、私のことをしっかり記憶しておられた。



     


 樹木希林さんの死後、特集本が何冊か出版され、うち一冊は私も購入して読んだ。その題名を思い出せないのも、頭の弱りのせいであろう。(家に帰ったら、確かめてみよう。忘れてしまうなら、読まなくてもよさそうだが、そうではない、と思う。読んでいる時間はそれだけで楽しいし、読書は、私に取って、3度の食事のようなものである。)

 借りた本は、樹木希林さんの語られた言葉から、万人の心に響く表現を<遺言>としてまとめられたものである。

 一二の例を挙げれば、


 ※ どうぞ物事を面白く受け取って愉快に生きて。
   あんまり頑張らないで。
   でもへこたれないで。

 ※   私は何でもおもしろがれるの。

 ※  年を取ったら、みんなもっと楽に生きたらいいんじゃないですか。
  求めすぎない。
  欲なんてきりなくあるんですから。


 珠玉の名言に、一々、そうそうと、肯きつつ読む。

 しかし、なかなかこだわりを捨てきりれない私である。私は、私の気の済むように生きればいいと思っている。


 隣室のOさんが突然亡くなられ、死をいっそう身近なものに感じている。
 今日は、家族の方が来られ、荷物の片付けをなさっている様子であった。
 コロナのため、人に会うことは禁じられているので、施設の方を通して、私の気持ちを伝えていただくことにしている。

   
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海辺の雪景色

2022-02-17 | 身辺雑記
 海辺の里が、珍しく雪景色となった。

 吹雪の中の眺め。

 




 




 




 




 




 




 



 うっすら積もった雪は、午後になると、あっけなく消えてしまった。


 


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雪を楽しみ、月影を楽しみ……

2022-02-16 | 身辺雑記
 目まぐるしく、空模様の変化する一日であった。
 ひととき雪が舞った。
 その<ひととき>が、 一日に幾度もあった。
 終日、蟄居。
 折々、立ち上がっては、ガラス窓から、変幻極まりない空模様を眺める。



 




 




 


 晴れ間もあった。しかし、また雪に変わるという気まぐれな天気であった。

 落日も夕月も諦めていた。
 ところ、カーテンを閉めようとして、たまたま見上げた空に、雲隠れしたり、また現れたりするお月さまがあった。


 



 午後、またも、たわいなく傾眠状態に陥りかけたとき、電話の呼び出し音が鳴り、脳がやっと冴えた。
 そして、生きた会話を楽しんだ。
 ブログを通して、私の日常を察してもらえる友達なので、話題はいろいろ。
 会って、コーヒーを飲みつつ話ができれば嬉しいのだが、コロナの感染者数はなかなか減少しない。長い憂鬱なトンネルの中に居続けているような気分である。

 夜は頭が冴えてくる。が、昼間、もう少し生き生きと生活できるように、夜更かしはしないことにしている。
 眠剤の力を借りれば、何の苦悩もない人間のように、ぐっすり眠れるのはありがたい。

 
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『方丈記』

2022-02-15 | 身辺雑記
 お正月明けに、家から持参した本の一冊に、新井満著『方丈記』があり、昨日から今日にかけて読み直した。
 既読の本だから、ブログに感想を書いているはず。だが、一々その内容は思い出せない。
 いい本は幾度読み返しても、その都度、心に訴えかけるものがある。

 『方丈記』の、あの有名な書き出しを誦じられても、最後まで原文を読んだ人は、意外に少ないのかもしれない。
 この本は、新井満さんの『方丈記<自由訳>』である。原文に忠実な、なかなかの名訳で、鴨長明の生き方、考え方を的確に伝えている。
 原文も添えてあるので、併せて読むこともできる。

 今、思いついたことだが、気の向いた日には起立して、原文を一章ずつ、音読することにしたい。
 もの言わぬ日が多く、音読すれば、発声力を鍛えることにもなるだろうから。
 さらに、解釈に躓けば、自由訳を参考にさせて貰えばいいのだから。



     
     





    

      


 本のなかに、新聞の切り抜きを挟んでいた。朝日新聞の「折々のことば」(鷲田清一) 2015・9・5  である。
 『方丈記』の終わりの方の一節が引用されている。



 かつての旅で、京都の下鴨神社周辺、糺の森を歩いたことがある。
 その折、新井満さんが訪ねておられる<復元・方丈庵>を私も訪れた。
 それもブログに書いていそうな気がするけれど、探し出すのが難しい。
 鴨川と高野川の合流する辺りの岸辺に、桜の花が咲いており、穏やかな春日和であった。
 今よりはるかに健脚で、旅が自在に可能であった日を懐かしく思う。


 鴨長明に刺激され、いろいろなことへのこだわりをあっさり捨て、昼間でも、眠たければ眠りをむさぼり、安穏に生きればいい、とも思うけれど、なかなかそうもいかない。そうなってしまったときには、たちまち呆けて人に迷惑かけそうな怖さを覚えたりして。
 どこまでいっても、安穏は得られそうにもない。
 長生きしたせいで、はや、思い出せないことばや人の名前など続出し、日常生活のなかで困惑することが多い。頭をポンポン叩いてみるが、即座には間に合わない。とんでもないとき、ふっと思い出したりするのがおもしろい。
 そのうち、いくら経ったも、思い出せないままの状態が続いたり、思い出せなかったことばがなんであったかも忘れてしまうのかもしれない。
 それはそれでいいのかもしれない。なさけないとも思わなくなってしまうのかもしれない。
 寿命が伸びるのは、めでたいことばかりではないな、と思う。

 鴨長明は、62歳没。
 新井満は、昨年の12月3日、75歳没。

 私は、老醜をさらしながら、89歳の日々を生きている。

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2月14日の月と落日

2022-02-14 | 身辺雑記
 飽くことなく、空を眺める。
 このごろは、本を読みつつ目を閉じていたり、何かを考えていたようで思考停止の状態で目を閉じていたり、老いとはかくもだらしなくなるものかと、ふと立ち上がって空を眺めることが多い。
 家では、庭に降りないと、広い空は眺められないが、施設の4階からは、もったいないほどの大空が眺められる。目を挙げるたびに、空は趣を変えて存在する。

 今日は、回転椅子をくるりと回したら、居ながらにして白いお月さまが眺められた。
 17日が満月だから、10日のお月さまだ。


 先ほど、施設の人が回ってこられたので、検温の結果を伝えた。
 「女子会が始まっていますよ」
 と、言われる。
 みると、3人がソファで話しておられた。
 現在、4階にいる女性は5人なので、そのうちの3人が、偶然に集っておられるのだった。
 コロナのため外出は禁止。ディにも出かけられない人は、時間を持て余しておられるのだろう。
 同時に、3人の視線を浴びることになった。
 私は会釈をして部屋へ戻る。

 女性は、群れることが好きなようだ。
 男性が群れておられるのを見かけることは、ほとんどないのだが。



         以下、今日のお月さまと落日。



    




  廊下に出てみると、今夕も美しい落日であった。
  山の稜線に姿を消すまで、今日も飽かず眺めた。

  今日が去る。


 




 


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散歩日和

2022-02-14 | 散歩道
 散歩に出かけ、体を動かしていると、あれこれ考えなくて済むから、気分が平穏である。

 しかし、歩ける範囲には、格別目新しいものはない。早春の穏やかな日差しがあり、風もなく爽快ではあるが、まだ季節は動かず、芽生えるものも少ない。視界には枯れ色が多く、蕭条とした風情に変わりはない。

 下掲の風景は、区分としては、川ではなく、海に入るのであろう。
 いつも歩く海岸線ではなく、そこに至るまでの河口近くで、ひたひたと小波の打ち寄せる様を佇んで眺めた。



 



 目を転じて、川下も眺める。
 鴨島大橋が見え、遠くには中国山地の山並みが見える。
 ひととき、個室生活を離れて、自然の中の一点となる。



 




 畑の畔に、今日も、オオイヌノフグリを見つけた。小さな花だが、早春を告げて咲くかわいい野の花だ。(枯れ草混じりの地面に。)



  



 大塚では、畑地がどんどん住宅地となって、令和風の家屋やマンションが増えている。農家の後継者がいなくなっているのだろう。
 時おり、畑で働いていらっしゃる人と立ち話をすることがある。
 スマホだけ手に持って、ぶらぶら散歩しているような人はあまりない。私が施設の住人であることを、土地の方は察しておられるだろう。

 昨年、<ここはツクシ畑だ>と、初めて気づいた荒地に、黄色い花がたくさん咲いていた。
 ずいぶん丈高だ。何の花かしらと覗き込むと、地面を覆っているのは、カタバミの葉である。
 Google lens で調べてみると、「オオキバナカタバミ」と出た。
 その名に相応しく、ずいぶん丈高く茎を伸ばし、花も大きい。



  



 黄色い花を覗き込んでいると、畑で働いておられた男の方が、
 「いいお天気ですね」
 と、声をかけられた。
 ハウスの組立中であった。
 多分メロンが植えられるのだろうと思いつつ、
 「何を育てられるのですか」
 と、尋ねてみた。
 「トマトです」
 と、教えてくださった。

 トマトにしては大きなお家だなと思いつつ眺めた。
 ハウスの中で育つ大量のトマトを想像しつつ。


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人の気配のない一日

2022-02-13 | 身辺雑記
 2月13日(日曜日)

 終日、自室に籠る。鍵を閉めて。
 人語も物音も何もない。
 不気味なほど静かな一日であった。
 三度の食事を運んでくださるに厨房の方と会い、言葉を交わしただけ。

 思い出してみるると、かつてもこういう日曜日が幾度もあった。
 が、2018年の初秋の頃から、施設・4階の雰囲気ががらりと変わった。
 永らく空き部屋となっていた部屋が、一斉に満室となった。そればかりか、それまでの静かな雰囲気が一変した。

 施設の開設以来、ここに居住された人によって、その折々の雰囲気はずいぶん変化してきたのだろう。
 私の入室以前のことは分からないが、入居後5年間には、ずいぶん顔ぶれが変わった。自立者とはいっても、かなり生活の質には幅があるように思った。

 私が入室したのは84歳であった。(出入りが可能な間は、家と施設を往来しながら、比較的バランスの取れた生活ができていた。が、コロナの流行で施設に全く戻れなくなったり、逆に家に帰れなくなったりして、体調を崩したり、心の安定感を失いかけることも増えてきた。)

 私が入居した当時、南隣には、私より2歳年長のNさん、北隣には大正生まれの年長者Sさんが、すでに住んでおられた。
 2歳年長のNさんは、2018年6月の初めころ、日赤へ入院し、間もなくして亡くなられた。あっけないお別れとなったが、持病もおありだったので、唐突な死ではなかった。
 その3か月後の9月初めに入居なさったのが、1年年上のOさんだった。

 (北隣のSさんは96歳、お会いしたころと変わずお元気そうに見えたが、理由はよくわからないまま、昨年末に、別の施設へ移られた。)
 
 Oさんは、私の部屋によく来られ、自分の人生について語られることが多かった。
 一週間前の日曜日(6日)にも、部屋に来られ、3時のおやつを共にした。
 それが、今は亡き人である。
 今なお、真相は分からないが、鬼籍の人になられたことだけは事実である。再び言葉を交わすことはできなくなった。
 入室以来の5年間には、たくさんの人が他界された。が、私の知る限り、4階の部屋で亡くなられたのは、Oさんが初めてである。

 考えてみると、2018年入居の女性は、もう一人もおられなくなった。亡くなられたり、自立生活が難しくなって施設を変られたり……。
 (男性の方は、同年入居の方が、今も2人いらっしゃる。93歳と94歳。)

 入居歴から、私は古い方から3番目になった。やがて97歳と94歳になられる先輩男性は、お二人ともお元気そうである。

 ひとり無音の施設の個室で、5年の歳月をふり返りながら、今後をどう過ごすのが、私にとって最善であろうかと考えたりする一日となった。


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