ぶらぶら人生

心の呟き

人の気配のない一日

2022-02-13 | 身辺雑記
 2月13日(日曜日)

 終日、自室に籠る。鍵を閉めて。
 人語も物音も何もない。
 不気味なほど静かな一日であった。
 三度の食事を運んでくださるに厨房の方と会い、言葉を交わしただけ。

 思い出してみるると、かつてもこういう日曜日が幾度もあった。
 が、2018年の初秋の頃から、施設・4階の雰囲気ががらりと変わった。
 永らく空き部屋となっていた部屋が、一斉に満室となった。そればかりか、それまでの静かな雰囲気が一変した。

 施設の開設以来、ここに居住された人によって、その折々の雰囲気はずいぶん変化してきたのだろう。
 私の入室以前のことは分からないが、入居後5年間には、ずいぶん顔ぶれが変わった。自立者とはいっても、かなり生活の質には幅があるように思った。

 私が入室したのは84歳であった。(出入りが可能な間は、家と施設を往来しながら、比較的バランスの取れた生活ができていた。が、コロナの流行で施設に全く戻れなくなったり、逆に家に帰れなくなったりして、体調を崩したり、心の安定感を失いかけることも増えてきた。)

 私が入居した当時、南隣には、私より2歳年長のNさん、北隣には大正生まれの年長者Sさんが、すでに住んでおられた。
 2歳年長のNさんは、2018年6月の初めころ、日赤へ入院し、間もなくして亡くなられた。あっけないお別れとなったが、持病もおありだったので、唐突な死ではなかった。
 その3か月後の9月初めに入居なさったのが、1年年上のOさんだった。

 (北隣のSさんは96歳、お会いしたころと変わずお元気そうに見えたが、理由はよくわからないまま、昨年末に、別の施設へ移られた。)
 
 Oさんは、私の部屋によく来られ、自分の人生について語られることが多かった。
 一週間前の日曜日(6日)にも、部屋に来られ、3時のおやつを共にした。
 それが、今は亡き人である。
 今なお、真相は分からないが、鬼籍の人になられたことだけは事実である。再び言葉を交わすことはできなくなった。
 入室以来の5年間には、たくさんの人が他界された。が、私の知る限り、4階の部屋で亡くなられたのは、Oさんが初めてである。

 考えてみると、2018年入居の女性は、もう一人もおられなくなった。亡くなられたり、自立生活が難しくなって施設を変られたり……。
 (男性の方は、同年入居の方が、今も2人いらっしゃる。93歳と94歳。)

 入居歴から、私は古い方から3番目になった。やがて97歳と94歳になられる先輩男性は、お二人ともお元気そうである。

 ひとり無音の施設の個室で、5年の歳月をふり返りながら、今後をどう過ごすのが、私にとって最善であろうかと考えたりする一日となった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする