ぶらぶら人生

心の呟き

十六夜の月

2022-02-18 | 身辺雑記
 美しい満月に会えなかったことを残念がっていた私を慰めるように、十六夜の月が真正面に昇っていた。多分雲の中から現れたのであろう。
 以後、カーテンを開けたまま、椅子に座って眺め続けた。
 静謐な時間の流れるままに。



 


  19時54分


 飛行機雲であろうか。夜空に帯状の雲が長く伸びた。
 お月さまの引き立て役にはなっていないが、現象的には珍しい。



 


  20時31分

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春を探して

2022-02-18 | 散歩道
 久しぶりの散歩。
 吹雪のあと、一段と日差しがやさしくなった。
 何か新鮮なものはないかと道を変えたりして歩いてみるが、2月の風景は、相変わらず殺風景である。

 それでも、道沿いの庭に、ジンチョウゲの蕾を見つけた。(写真)
 よく歩く道ではないので、開花の時期を見逃さないようにしたい。

 私の家にあったジンチョウゲは、一昨年、木そのものに寿命がきたらしく、枯死してしまった。


 「年年歳歳花相似たり」と中国の有名な古詩にあるが、いつかは花にも終わりがくる。
 家の庭でさえ、私の寿命に満たなかったものが結構ある。



   



 昨日の雪が、畑の崖に残っていた。午後の陽射しを受けて、夕方には消えてしまうだろう。



   



 最後は、今日も河原に出て、広がりのある風景を眺め、帰途についた。



 




 


 4000歩余りの散歩。部屋に戻って確認したところ、歩いた距離が、初めて3キロに達していた。3キロは歩ける! と、嬉しくなる。

 (しかし、都会生活では、買い物ひとつするのにも、もっと歩けなくては、自立はできないだろうな、と考える。場所にもよるだろうけれど。)

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『樹木希林 120の遺言』

2022-02-18 | 身辺雑記
 昨日、どういう思いがあってか、C3号室のOSさんが、これを読まないかと、持参してくださったのが、『樹木希林 120の遺言』(下掲)であった。

 OSさんのお姉さんは、国民学校6年のとき、私と同じクラスだった。ただ卒業後、進学する学校が違ったため、その後の消息は全く知らなかった。が、妹さんの話では、東京に健在だという。色白の非常におとなしい人であった。おとなしいという点では、私もそうであった(と、自分では思っているのだが…。)
 妹(OS)さんのことは全く記憶になかった。が、2019年の初め、入居されて以来、廊下で会えば言葉を交わしている。OSさんは、私のことをしっかり記憶しておられた。



     


 樹木希林さんの死後、特集本が何冊か出版され、うち一冊は私も購入して読んだ。その題名を思い出せないのも、頭の弱りのせいであろう。(家に帰ったら、確かめてみよう。忘れてしまうなら、読まなくてもよさそうだが、そうではない、と思う。読んでいる時間はそれだけで楽しいし、読書は、私に取って、3度の食事のようなものである。)

 借りた本は、樹木希林さんの語られた言葉から、万人の心に響く表現を<遺言>としてまとめられたものである。

 一二の例を挙げれば、


 ※ どうぞ物事を面白く受け取って愉快に生きて。
   あんまり頑張らないで。
   でもへこたれないで。

 ※   私は何でもおもしろがれるの。

 ※  年を取ったら、みんなもっと楽に生きたらいいんじゃないですか。
  求めすぎない。
  欲なんてきりなくあるんですから。


 珠玉の名言に、一々、そうそうと、肯きつつ読む。

 しかし、なかなかこだわりを捨てきりれない私である。私は、私の気の済むように生きればいいと思っている。


 隣室のOさんが突然亡くなられ、死をいっそう身近なものに感じている。
 今日は、家族の方が来られ、荷物の片付けをなさっている様子であった。
 コロナのため、人に会うことは禁じられているので、施設の方を通して、私の気持ちを伝えていただくことにしている。

   
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