昨日は、暦の上の<処暑>。
そろそろ暑さが止み、新涼の間近いことを意味するようだ。
きのうの午後、買い物がてら散歩に出かけた。
こころなしか、風がさわやかである。
過ぎようとする夏を振り返ってみると、今年は7月が暑すぎた。おまけに身辺の雑事や心配事も多く、心身ともにまいってしまった。
不調の要因の一つは、年齢のせいもあるだろう。
何とかしなくてはと、先日来、体調恢復のために、漢方薬を飲み始めたが、即効を期待するのは無理で、昨日も相変わらず、午前中は、ベッドに横たわり本を読んで過ごした。
そんなだらしなさを、自分でもてあまし気味である。
散歩は気分転換になるだろうと、買い物に事寄せ、元気を出して出かけたのだった。家にいる限り、友人や妹からの電話があれば言葉を交わすだけで、どうかすると人間社会から完全に遮断されている感じを覚える。
散歩の途中で気分が変わり、買い物の前に、まずは草花舎に寄り、コーヒーを飲んでこようと思い立った。
先日20日、明日は病院に行ってくると言いつつ不調を訴えた私に、漢方薬がいいのではと、勧めてくださったY さんに、その後の報告もしておこうと……。
近所で気兼ねなく人に接し、しかも、快い空間は、草花舎である。
三木俊治氏の彫刻展もあと二日になり、展示終了前に、もう一度作品に接するのもいい、そんな気持ちも心をよぎって……。
その朝、東京から来られた三木先生は、お客の一組と話しておられた。
私の定席に荷物を置くと、私は庭に出た。
庭の木々や草の地面を初秋の風がよぎる。
片隅に、お祭飾りのような花が咲いていた。
<?>と、思いながら足を止める。
昨年も咲いていたはずだし、同種の黄色一色の花が、家の花壇にもある。
「この花、なんて言いました?」
画像をY さんに見せて尋ねる。
「?…………?………………ランタナ!」(写真)
Y さんの右脳に記憶されていた名前も、口の端に上るまでには、少々時間がかかった。それでも思い出せるから立派だ。
(ランタナ、ランタナ………)
と、幾度も口ずさむ。
果たして、来年、この花に巡り合うとき、記憶の引き出しから、ランタナの名前を取り出せるだろうか? おぼつかない。
『0∞0∞0∞』 三木俊治彫刻展
が、今、草花舎で開催されている。この展示会の開催初日は、オリンピックの開催日と同じ日であった。
すなわち、2008年8月8日。「080808」と続けて表記することで、0は<和>を、∞は<無限>を表し(8を横向きにした∞は、無限大を表す記号)、その二文字の繰り返しによって「恒久平和」の願いが表され、この展覧会のタイトルには、三木俊治氏の<北京五輪が平和の祭典になるようにとの願い>が込められているようだ。
スポーツの一用具に過ぎないと思っていた砲丸が、三木氏の手によって、芸術作品と化したのだ。
砲丸の円周には、帯状に人の行列が描かれている。
これまでの作品でも、手をつなぎ合った行列は、三木作品でしばしば見てきた。人々が差別なく連帯して生きる、理想の具現として、人々のあるべき姿が感じられる、夢のある世界である。
三木氏の作品を通して知ったことだが、五輪の、青がオセアニア、黄がアジア、黒がアフリカ、緑がヨーロッパ、赤がアメリカを意味するのは、クーベルタンの時代に決められたものだという。
三木氏の作品には、上記の色で人の行列を描いた五個の砲丸を並べ、現代のオリンピックを表現した作品の他に、さらに白の行列を加えて六個の砲丸を並べた作品も展示されていた。(写真)
これは、三木氏によってイメージされた、未来の、理想的なオリンピックの形として表現された作品なのであろう。白は南極大陸を表し、作品題は「2108年夏季六輪競技大会」ということになっている。
22世紀への夢である。六大陸の人々が六つの輪となって連なり、平和であるようにとの願いが、ここにも込められているのだ。
発想が面白い。三木氏のメッセージに込められた意味は深い。
私は砲丸というものを間近に見るのは初めてであったし、手に持ってその重さ(7.26キロ)を確認したのも初めてであった。
想像力の乏しさと無関心のせいで、砲丸がどんな工程を経て作られるかなど考えてみたこともなかった。
ものにはみな、製作者のあることなど、忘れていた。
今回、三木氏がアートに使われた砲丸には、これまた知らざる背景があった。
展示されている砲丸は、辻谷政久という優れた職人の手になるものだという。
辻谷氏の砲丸は、アトランタ、シドニー、アテネの各オリンピックで使用されたという。
競技に使われるものだけに、ただ丸い鉄の塊であればいいというものではなく、それを使って優劣が競われるのだから、厳密な審査に合格する規格品でなくてはならないらしい。過去の三大会の五輪、いずれにも、辻谷氏の砲丸が採用されたということは、その腕の確かさを証明するものであろう。
ところが、今回は、辻谷氏自身の職人としての確たる信念に基づいて、北京大会での使用を拒否されたらしい。それを知って、三木氏は辻谷氏に会って話し合われ、その結果、二人のコラポレーション作品誕生という運びになったようだ。
この砲丸作品には、「2008 TSUJITANI 0∞0∞0∞ MIKI」と刻印されている。
考えて見ると、三木氏と辻谷氏の出会いといい、二人の合作の形で生まれたアートが、北京五輪開催と同じ日に草花舎に並べられ、その作品に私が出会えたのも、奇縁に思える。
今回の展示品には、砲丸以外の作品もあり、三木彫刻の世界を楽しめる。
展示会開始の8月8日の夕、Y さんに誘われ、少人数の集いに参加して、三木俊治氏のお話を直接聞くことができ、食事を共にした。
芸術家ぶった気取りの全くない、初対面なのに、親しみを感じる人柄であった。
過去のお仕事のあらましは、草花舎で見聞きし、作品の世界には親近感を抱いていたのだったが……。
私は当人を前にしながら、様々な三木芸術の、個性的発想の源は、いったいどこにあるのだろう? と考えた。
人間の頭脳の不思議さを思う。
(この展覧会の会期は、8月24日までとなっている。)
花色は、淡さのある青紫といった方がいいのかもしれない。(写真)
セイジの仲間らしい。
その種類の多いこと!
セイジに限らず、名前を知らないまま付き合う花が、草花舎の庭には沢山ある。
その一つは、朝顔に似た<オ-シャンブルー>。(写真)
昨年、その名前を初めて知った。
朝顔のようなはかなさはない。
どんな猛暑にも耐えて咲く、強靭な花である。
残念だが、今年も、花をつけなかった。
「来年は、きっと咲きますよ」
そう言いながら、丈の伸びた合歓の木を眺めた。
私は、初夏に咲く合歓の花が好きである。
昨年も、今年も、草花舎の庭にある合歓の木が、花を咲かせるのを楽しみにして待ちながら、ついに、その花にめぐり合うことはできなかったのだ。
「洋風の合歓は、咲いていますよ」
Y さんに聞いて、庭の隅に行ってみた。
もう盛りを過ぎていたが、枝には、線香花火のような花が咲き残っていた。(写真)
昨年も、同じ位置でこの花を眺め、カメラに収めたことを思い出した。
草花の上には、蝶やアキアカネも飛んでいて、庭を取り巻く空間にも、秋の気配が漂い始めていた。
これまた、高い位置にあり、真昼間の光線の加減も、花を見にくくしていた。特にカメラに収めた写真の花は、他の木々に混じっていて、撮影した私にさえ、見分けがつきにくい。拡大してみると、辛うじて、淡紅色の、一房の花があるのだけれど……。
花の姿は曖昧だが、午後の、草花舎の上に広がっていた空と雲の眺めを、今日の記念に残しておこう。
と、Y さんに言われ、再び、草花舎の庭に出てみた。
その花は、高い梢に咲いていた。(写真)
見上げた白壁の辺りに。
白い花が、私の視線の先に咲いていたので、同じ高さに目を注いで、紅色の花を探していたのだ。
倍以上も高い位置に、その花があろうとは、考え及ばず……。
人間は、観察や思考の範囲を、自ら限定しているようなところがあるのだろう。
昨年も、草花舎の入り口に、白い百日紅の花は咲いていたのだろうか?
曖昧な記憶をたどりながら、足を止めて花を眺めた。(写真)
淡雪のような花ばかりでなく、花開く前の蕾も、愛らしい。
耳に法師蝉の声が届いた。ツクツクホーシ ツクツクホーシ と鳴いている。
しかし、今年はその声が少ないように思う。
法師蝉に限らず、大体に蝉の声が少なく、<蝉時雨>の名にふさわしい大合唱がない。
蝉の世界にも、異変が生じているのだろうか。
秋を告げる法師蝉は、まだこれからなのか?
例年、どんなに遅くても、お盆の頃には、他の蝉を圧して、ツクツクホーシの声が多数を占めるはずなのだが……。
今日の「朝日俳壇」に、
<この星に蝉だけ住んでゐるような (川西市) 上村敏夫>
が、稲畑汀子選の最初の句として掲げられていた。
この句にあるような、夏真っ盛りの、蝉の賑わいを幾度も聞いてきた。
まず思い出すのは、かつて住んでいた山口の後河原。
一の坂川の桜並木には、今年も、この句さながらの、蝉時雨が聞けるのだろうか?
蝉の声で、最も耳に焼き付いているのは、旅先で聞いた、姫路駅通りの街路樹に溢れていた蝉の大合唱! あれは驚異的で、襲われそうな気がしたものだった。木の葉の数だけ、蝉が潜んでいるのではと思ったほどである。今年の夏も、変わらず蝉の大音響が轟いているのだろうか?
蝉の声が乏しくては、どんなに暑くても夏らしくない。
イタリアから帰国の T ちゃんに会った。7月初旬に話して以来なので、実に久しぶりだった。
顔も腕も小麦色に日焼けし、健康そうであった。旅は、人の心まで輝かせるのだろうか、表情もいっそう明るい感じだ。
月並みな言葉だが、若さのすばらしさ!
T ちゃんを見ていると、私にもそんな時代のあったことは忘れ、羨ましくなる。
サルデーニャ島で、彫金の勉強をした後、イタリアのあちこちを旅しての帰国だった。
シチリア島の南に位置するマルタ島にも行ってきたと、お土産にレースつきのハンカチをいただいた。レースはマルタの特産品なのだそうだ。(写真)
スーザンさんの所で仕事があると、私にお土産を手渡した後、T ちゃんはスーザン邸へ……。今日は、ゆっくりと旅の話を聞くことはできなかった。
私は、お盆過ぎの庭に出て、一巡りした。
庭に注ぐ日差しは、まだ濃い。しかし、明らかに秋の気配が潜み始めていた。
秋は一番好きな季節なのに、妙に心寂しさを覚えてしまった。老いのセンチメンタル?