一昨日来、3冊の、趣の異なる本を併読している。
『日本の昔ばなし 100話』は、1986年に、日本民話の会によって編集された本なので、かなり長い間、私の書棚で眠っていたのだろう。
1986年といえば、まだ勤めていた時代である。
どういう経緯で購入したかも思い出せないけれど、<昔ばなし>については、当時から関心はもっていた。
遠い昔から、語り継がれ、今に至るまで受け継がれてきたものについて考えてみたい思いから。
100話のうち、知っている話はわずか10話。
その10話から読み直している。
声を出すことの少ない日常なので、あえて音読で。
「こぶとり爺」(岩手県)・「舌切りすずめ」(福島県)・「花咲か爺」(富山県)の三作を読んだ。
この本では、語り手がそれぞれの方言で話した物語を活字化してある。
方言は、特に語尾に特徴があり、聴き慣れない言葉なので、音読しながら、表現に表情を加えるのは大変難しい、と感じた。
お爺さんのこぶを取ったのは、鬼の集団だったと記憶していた。が、この本の話では天狗となっている。
昔話は、伝承によるものであろうから、その地域で部分的に異なるところがあっても、不思議なことではないのだろう。
森まゆみ著『子規の音』(新潮文庫)は、昨年末に文庫化された本である。
正岡子規の伝記である。
子規には関心が深いので、大変興味深く読んでいる。
文庫本で500余ページのかなり長辺伝記である。が、飽くことなく楽しみつつ読めそうである。
読み終えた部分は、明治23年までの子規についての話である。
夏目漱石との親交は知っていたが、文学史で知る人々や他の分野で著名な人たちとの人間模様も詳述され、なるほどと納得することも多い。
子規は、すでに喀血を繰り返す状況にありながら、多くの友と交わり、旅をしたり、野球を楽しんだりしている。(子規は野球の先駆者でもある。上野公園には、その記念碑もある。)
正岡子規は35歳で早世している。
しかし、もっと若く逝去した友人の多いことに驚いた。
100歳時代がやってくると言われる今と違って、当時は、もちろん平均寿命も短かった。
死期を早めたのは、結核だけでなく、ビタミンB1の欠乏による脚気で、若い命を落とす人が多かったという実態を知った。
最近は、定期検診の折、脚気の病状はないかと膝をたたかれることもなくなった。
今は、普通の食事をしていれば、ビタミンB1が欠乏することはないのだろう。
昭和40年代は、まだ膝をポンポンされていたように思う。少なくとも、私がかかっている病院の先生はそうであった。
脚気が、そんなに恐ろしい病だとは知らなかったけれど。
『生きがいについて』(神谷美恵子コレクション)<みすず書房>は、2004年の初版以来、15刷を重ねている。
著者(1914〜1979)は、精神科医であり、翻訳家・エッセイストとしても著名である。
一言一言に重みを感じながら読んでいる。
ベルギーの象徴詩人ヴェルハーレン(1955〜1916)の詩「よろこび」が引用されていた。
その中の3行に心打たれたので、引用しておく。
ありがとう、私の眼よ、
すでに老いたる額の下でなおも澄んだまま
はるかにきらめく光を眺めうるを。
* 上の3冊を、その時々の気分で読んでいきたいと思っている。
老いの日の楽しみとして。
(しかし、このところ、やや無気力で、集中力が長く続かない。😞)