帰宅すると、まず溜まった新聞を読む。
今日の新聞から、順次遡って。
9日、8日の新聞を読み終え、7日の新聞を手に取る。
一面のニュースは、大体二つ、多くて三つ。
一面にはコラム記事が二つ。<『折々のことば』鷲田清一>と『天声人語』。
読む順序は、いつも上から下へ。したがって、ニュース記事を読んだあとは、『折々のことば』から『天声人語』へ。
7日の『天声人語』には、中高校生から応募された「私の折々のことばコンテスト」についてのエッセイであった。
その最後に、
▼部門賞に選ばれ昨日の紙面に載った中に「応援しとるよ」があった。高2の岡野芽依さんが母からもらった手紙に書かれていた。「がんばれ」の文字を消しゴムで消した跡がある。どんな言葉を選べば気持ちが伝わるか。迷いや悩みが、そのまま物語になる。
「応援しとるよ」 「ああ、いい言葉だ!」と、私も思った。
「がんばろう」とは、自分の心に向かっては言えても、他人に対しては、あまりにも形式的な励ましの言葉だと思っていた。うっかり遣ったときは、なんとなく後味が悪く、その場しのぎのいい加減な言葉を言ってしまったような気まずさが、心に淀んだ。
岡野さんのお母さんも、「がんばれ」と書いて消しておられたという。それを消して、「応援しとるよ」と書き直しておられる。
お母さんが、子どもに寄り添っておられる感じが、ひしひしと伝わる。
6日の新聞を開くと、1ページを使って、天声人語に記されていた,入賞作品が紹介されていた。
中高生からの応募数は、2万4998作品もあったという。
鷲田清一さんの『折々のことば』にならって、<私の折々のことばコンテスト>は、5年前から始められたのだという。
言葉は、人と人をつなぐ大事な力を持つ。
その言葉に、敏感であり、思慮深いというのは、とても大切なことであり、いい試みだと思う。
最優秀賞に選ばれたのは、中学1年生の鈴木心晴さんの、
「次に必ず会えるかはわからない。気持ちよく別れよう。」
であった。
家族とけんかし、無言で家を出ようとする朝、玄関の前で(お母さん)から言われたことば。
特に、私のような高齢になると、上記のことばは、常に心の中にある。
(施設と家を行ったり来たりするようになって、3年が過ぎた。その間、一旦帰宅してまた施設に戻ったとき、一週間前まで同じ階におられたと人が、不在となっているという体験を幾度繰り返したことか! お別れのときは、本当に計りがたい。)
選ばれた作品は、みな心を打つものであった。
が、上記の二つに、もう一つ、私好みの言葉を選ぶなら、
「ことばぐすりをありがとう」という入院中のおばあちゃんのことばである。
それを耳にした中学3年生の清水彩日夏さんは、<ことばは、人を傷つける「毒」になるだけではない。「薬」にもなると意識した。>という感想を述べている。
その気づきもすばらしい!
上掲の記事を読みながら、中高生に限らず、人はみな、言葉に対して鈍感であってはならないと考えつつ、自省もした。