ぶらぶら人生

心の呟き

桑田変じて

2020-01-04 | 散歩道
   <1月3日のこと>

 老いは、生活面に、さまざまな形で現れる。
 ここ数か月の現象として、時ならず睡魔に襲われることがある。睡眠不足でもないのに、ふと眠くなるのだ。いかにも老化現象のようでいい気はしない。

 眠気覚ましに散歩に出かけた。
 今日は山道を歩いてこようと考えて。
 父が健在のときだったから、30年ほど昔に歩いた山道である。
 当時は舗装も十分ではなく、人気がなくて、もの寂しい山中の道であった。
 色鮮やかな雉子を見かけたことが、妙に印象に残っている。

 今は同じ山道でも、かなり開けた感じであった。
 一軒家を過ぎると、道は下り始める。
 そこに現れたのは、工事現場であった。
 ああ、こんな位置に山陰道はつくのかと思った。
 回覧板などで、建設の設計図は見ても、現場を想像するのは難しい。
 歩いてみて、初めて位置が確認できた。

 

 

 
 
 山道から市道に出ると、山は見上げる位置に削られ、道路が伸びてゆく先の風景もまるで異なっていた。
 昔は田圃があったはずなのに、と佇んで眺める。
 「桑田変じて滄海となる」という故事を思い出させる変貌ぶりである。
 昔の馴染みある風景は、すっかりなくなっていた。

 昭和18年に父の仕事でこの地に住み始めたころ、借りた家から通学していた小径は、今も通れるのだろうか? 上から眺めただけではよくわからない。
 海に向かっては折に歩き、その歩き慣れた道でさえ、数か月の間が開くと、新しい家ができたり、住む人が不在になったりの変化があることは知っていた。
 それにしても、今日見下ろした、昔馴染んだ土地の変貌は、かなりなものであった。

 山陰道が出来上がるのは、幾年先のことか知らない。
 出来上がった風景を目にすることはまずあるまい。
 ものものしい道ができ上がれば、それはそれで後世の人には、馴染みの風景になってゆくのであろう。

 

 

 大堤も、小さくなったような気がした。
 幼い日の記憶は、実物より大きく記憶するのが常であるから、小さく見えるだけで、そう変化はないのかもしれない。
 鴨の幾群れかが、水面を移動していた。いかにも、池の風景に不可欠なものであるかのように溶け込んで。(池までは、かなりの距離があり、鴨をカメラに収めることはできなかった。)

 


 以下は、散歩道で出会った花々。

 

 

 

 
コメント
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