ぶらぶら人生

心の呟き

あはあはと なべては…

2009-07-30 | 身辺雑記
 今日は早朝から、庭師のOさん夫妻が、庭木の剪定をしてくださった。
 外の作業は、私にとって関係のないことなのだが、何となく落ち着かないのだった。非日常の時間の中にいる思いであった。
 こんな日にこそ、書斎の片づけをしておこう、そうすれば、窓拭きの日、業者に手伝ってもらうことになっている書籍の処分が楽であろう、と。
 
 書斎に行き、本箱の一つの前に立った。
 若き日に、知識欲にかられて(?)求めた思想全集とか文学の専門的理論の全集などが並んでいる。残生にも読むことはないだろうと思える。思い切って本処分すべきか?
 別棚には、捨てがたい昭和文学全集、堀辰雄選集、東山魁夷全集、亀井勝一郎集など、かなり念を入れて読んだ本も並んでいる。なお、棚の空きを埋めるようにして、個人の本も混じっている。

 この本は? と、手に取ったのが、前登志夫著『鳥獣蟲魚』という歌集であった。本は真新しく、装丁が美しくて品がいい。(写真)
 <あとがき>を読んで、司修の装丁だと分かった。
 それにしても、なぜこの本が書棚に存在するのか?
 個人の歌集を求めるほど、私は短歌に興味を抱いてはいない。特に、前登志夫という歌人に関心を抱いた記憶もない。それなのに、歌集があるのだ。
 私の過去と、そこに在る本との接点が、私自身にもよく分からない本は、この一冊だけではないけれど。
 
 『鳥獣蟲魚』を開き、そのなかに差し挟んであった新聞の切抜きとメモ用紙によって、私が求めた本らしいことが分かった。
 新聞の切り抜きは、1993年の朝日新聞の<ひと>欄の記事であった。歌人67歳の、ベレー帽を被った写真も添えてある。『鳥獣蟲魚』(第五歌集)が、斎藤茂吉短歌文学賞を受賞し、<時の人>として、記事になったものらしい。
 メモ用紙の表裏には、前登志夫の歌を1首ずつ記している。
 <中野孝次著『生きて今あるということ』(P222)>と、その出所までメモしているのだ。私の好きな作家・中野孝次の本に、前登志夫の歌を見出したことも、この本を求めるきっかけになったのかもしれない。
 メモしているのは、次の歌である。

 <春寒き樹樹のしづけさ、はや樹液のぼりゆくらむかたき梢に>
 <暗道(くらみち)のわれの歩みにまつはれる螢ありわれはいかなる河か>
 
 今、読みなおしても、いい歌だと思う。
 が、この歌をしたためた時の状況など、全く思い出せない。
 驚くほどの、記憶の不確かさ!

 本の片付けのことはどうでもよくなり、そのあと、『鳥獣蟲魚』の歌を読み続けて過ごしたのだった。共感を覚える歌が多かった。そのなかの一首に、

  <あはあはとなべては過ぎて霞曳く大和国原花咲くらしも>

 という歌があった。

 「あはあはとなべては過ぎて」と口ずさむように読みながら、初句と第二句の表現のうまさに、しみじみ心打たれ、肯いていたのだった。
 
 結局、書斎の片付けは、全くはかどらなかった。
 歌に魅了されたことも確かだが、<片付ける>という無味乾燥な作業を続けたくなかっただけなのかもしれない。
  
 
            
コメント
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