ぶらぶら人生

心の呟き

S寺で 講座と庭の花

2009-07-06 | 身辺雑記
 明朝は比較的早く、旅に出る予定である。しばらくブログを書けないので、メモ的に今日のことを記しておくことにする。

 午後2時から、G寺の本堂で、講師・中川洋子さんの話を聞いた。

  <国家と宗教>研究会の1回目。(3回の予定)
   近代天皇制の成立
    ~廃仏毀釈から国家神道体制へ~

 2時から5時半近くまで(途中休憩の時間を挟んで)、有意義な話を聞くことができた。久しぶりに、大学の講義を聞いているような気分であった。

 最も深く学ばなくてはならない近代の学習が、学校の歴史では、とかくおろそかになりがちではないだろうか。歴史を専攻する人たちは別にして。
 私は、常識程度には知っているつもりでいたが、今日の講座で、初めて教えられることもかなりあり、これを機に、歴史を学びなおす必要があると思った。
 ただ知識としての歴史ではなく、今後の生き方として、あるべき姿を求めるために!

 途中、休憩のとき、Mさんから、<庭の花を見て…>と誘われた。
 S寺のお庭を見せてもらうのは初めてだった。
 多種の植物が育てられている。
 名前を教えていただきながら、庭を歩いた。

 折角撮らせてもらった花の写真を添付しておこう。
 花の名前はMさんに教えていただいた。(が、私のメモが正しいかどうか、今晩は調べる時間のゆとりがないので、一応メモどおりに記しておく。)

        ノカンゾウ

                 ハンゲショウ

        タイマツソウ

                  ヒメヒオオギズイセン
 
         ルリトラノオ

                  アガパンサス

         カライトソウ               
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7月の庭 (ヒャクニチソウ他)

2009-07-06 | 草花舎の四季
 今日は梅雨の晴れ間、草花舎の庭に、淀んだ日差しがあった。
 もう夏の庭である。
 ヒャクニチソウが咲き始めていた。(写真①)
 黄金ヤマボウシの花びらはみな落ちて、花芯のまるい玉だけが残っていた。(写真②)
 今年は、花を沢山つけていたのに、折悪しく雨の日と重なって、カメラに収めることができなかった。普通のヤマボウシ以上に、花は葉の繁みにかくれんぼするように咲き、よほど注意を払わなくては見落としてしまいそうだ。花色のせいもあるだろう。
 ベランダに立って、庭を見渡した。紫陽花がまだ咲き残っている。(写真③)

 午後は、レントゲン検査、G寺での講座と予定があるので、今日は早めに食事を準備してもらった。が、食後、なお時間にゆとりがあったので、草花舎の蔵書、ターシャの本を2冊、Yさんに見せていただいた。
 題名は、
   『ターシャ・テューダーのガーデン』
   『ターシャ・テューダーの世界』
 だったように思う。
 写真で綴られたターシャの庭であり、生き方のスタイルがうかがえる本である。

 昨日、宮迫千鶴著『美しい庭のように老いる』を読んで、心豊かな日々を生きるターシャに再会した。そこで、花いっぱいの庭に佇む姿を見たくなったのだ。

 ターシャ・テューダーの庭には、いのちが溢れている。
 草花や果実、諸動物などが皆、生き生きとしている。
 もの静かなターシャが、それらの風景に溶け込んで…。
 今日は、草花舎の庭と、本の中のターシャの庭を眺めて、ひと時を楽しんだ。

 (さらに、今日は、S寺のお庭の草花を眺める機を得た。それについては稿を改めて書くことにする。)

 常連のOさんも来ておられ、
 「これ、求めました」
 と、帯津良一著『死を生きる』を示された。
 先週お会いしたとき、私ガ紹介した本だった。
 Oさんもきっと、読んでよかったと思ってくださるに違いない。


        ①

                 ②

        ③
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絵画あれこれ

2009-07-06 | 身辺雑記
 昨夕、Sさんの来訪を受けた。
 前回会った時、話題となった<喜多村知展>の図録を届けにきてくださったのだ。Sさん自らの近作(版画、水彩画)のはがき3枚も、図録に挟んであった。

 コーヒーを飲みながら、絵画のこと、画家のことなど話した。
 喜多村知の絵画を収集している美術館があると、ブログのコメントで知り、インターネットで調べたが分からなかった旨話すと、<あざかみ美術館>(山陽小野田市)のことだろう、個人の美術館だが、かなりの作品が所蔵されているとのことであった。

 喜多村知の作品は、具象画ではないし、独特な雰囲気を持った絵なので、関心の深さは人の好みでかなり異なるのだろう。<あざかみ美術展>の所有者は、相当なファンなのであろうか。
 私はいただいた図録で、初めて喜多村知の絵に接した。
 背景にあるはずの具体が、原形をとどめないほどかぼかされ、ただ色彩の美が画面を覆っている。それは画家の心象に、より近い表現結果なのだろう。ちょっと不思議な魅力の絵である。

 写真①は油絵で、<百合>と題されている。辛うじて、百合の趣を素人の目にもとらえることができる。
 写真②は、パステルによる風景画(左 寺泊・右 真鶴漁港)である。
 Sさんを送った後、図録(1991年6月に東京銀座アートセンターで開催された個展の作品集)を眺め、喜多村知(1907~1997)の世界をさまよった。

 昨日の朝、NHKの日曜美術館が、犬塚勉(1949~1988)を紹介した。
 この画家も、初めて知った。
 写真を思わせるような精緻さが特徴の絵であった。だが、写真からは得られない、自然との一体感の感じられる、精神性を湛えた絵であった。
 <人をして永遠に見入らせる絵>を描きたいというのが、犬塚勉の思いであったという。
 「水が描けない、もう一度水を見てくる」と出かけた谷川岳での遭難による死去と聞く。その死には、なんだか運命的なものさえ感じる。
 没後、20年を機に、昨年から展覧会が開かれ、注目を浴びているようだ。
 現在も、<せせらぎの美術館>(奥多摩)で展覧会が開かれているという。
 明日から上京の予定、ふと気持ちが動いたが、その時間のゆとりはなさそうである。ローカル線・青梅線に乗ってみたい思いも、今回は諦めよう。

 色々なアーティストがいる。絵画の世界だけでも千差万別、それだから面白いのだろう。
 昨日から読み始めている宮迫千鶴も画家の一人。本の表紙を飾る絵や文中に挿入の絵をみると、色彩の鮮明な、童画のような、楽しげな世界である。
 夫なる人は、やはり画家の谷川晃一(1938~)。私は、その画家の作品も知らない。
 古今東西、未知のすばらしい作品に満ち溢れていると思うだけで、嬉しくなる。


           ①

           ②
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