「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

(20240511)

2024-05-11 | live2002-2024

〇再び11日となる。3月11日から早くも2か月が過ぎる。解決されない問題が継続されている上に、年度末から年度明けにかけて今年も特にいろいろな「交代」的なことがあって、精神的に過重な心地でもある。
 土曜日だが今日も対応が必要で出社し、夕方だけ少し出かけた


 (BGM:Is This Love? / Alison Moyet)
 パンフレットを見るキイロイトリです。
 昨年から外出の機会が増え、舞台とコンサートには徐々に出かけていたが、その一方で「映画館に行く」のがここ数年間減っていたままで、United Cinemasのmember's cardが2020年で期限切れだったのを、ようやく更新した。
 映画「異人たち(All of Us Strangers)」(英、2024)を見に来たのである。実は大林監督の「異人たちの夏」(1987)の方はテレビでやってたのを昔部分的に見た程度で詳しくない。「亡くなった家族と遭遇する」話が、ちょうど家族の葬式が続いた時期で精神的に辛くて見るのがだめだったせいだろうと思う。
 今回主人公がAndrew Scott(!)だというので見に来た。この人、Sherlockやスペクターや「パレードにようこそ」の時にも思ったことなのだが、決してかっこいい人という感じではなくて、なんか「非常に居心地の悪そうな、決まり悪い感じの時の」とまどったような、はにかんだような態度が、絶妙にうまい人だな、と思う。今回も「迷子になった子どもが、親を探すような」あの表情や動きが、見ている側まで心細くさせて、非常にうまい。
 見ました。これは、この感覚をわかる人には、非常に刺さる映画と思う。いや、自分が映画館に見に行こうと思うきっかけは皆そうなんだけど(「裏切りのサーカス」のように)。そして今の自分の正直な感覚では、LGBTQのこと以上に、誰にとっても、これから高齢化し独居生活化していく老若男女の地球上の人間たち誰もが生まれて死ぬまでに向き合う共通の問題を、この映画は言っているように思う。All of Us Strangers、多くの違和感を感じている孤独な私たちみんな、のために。それが1987年の風間杜夫さんの時よりも、2024年の方がある意味深刻化していると感じる人もいるだろうが、いや、20世紀も21世紀も変わらない普遍的な問題で、見ている自分の年齢が若い時よりも年配に差し掛かっているから、そう思うのかもしれない。
 タルコフスキーの「惑星ソラリス」(1972)を、Andrew Haigh監督はリスペクトしているんじゃないだろうか、と、わりと自然に思い出した。常に鉄の涙腺的に喜怒哀楽が無反応気味な自分が20代で見て珍しく、激しく涙腺崩壊してしまったのがこの長い長いゆっくりしたSF映画だったのだが。「異人たち」も全体に青っぽい35mmフィルムの色調とかラストへの展開とか、人と人が向き合う絵画のようなカメラの視角の構図とかだけじゃなくて。たびたび出てくる、アダムが近未来の宇宙船みたいな高層マンションの部屋から「下界」の遠くの市街を見下ろすシーンからして、タルコフスキーが1972年の映画で描いていた宇宙船の窓から見る惑星の宇宙空間の景色みたいで、それが21世紀の地球上のLondonの景色に重なってきた。だがソラリスの雲海じゃなくて、そこは人類が住んでるはずのロンドンなのだ。もう地球はそれ自体、人がいない宇宙空間化してる。と連想して、背筋がぞーっとしてしまった。そんな心象風景的なものにしても、人類が「異人たち」同士になってる、みんなStrangersだって映画のタイトルが心憎い。
 その中で人間が何を求め続けているのか、それがなぜ難しいのかという問題。でもAndrew Scott(は妙齢のお年頃かしら)もPaul Mescalもまだ若いから映画では美しく描かれているけれど、もし彼らが高齢者だったらと、想像すると、また別の意味で真に迫ってきて刺さる。自分も歳をとったんだろうな。自分はやっぱり「お父さん」の言ってくれた「あの言葉」に涙腺をやられた。かといって、今現在の自分の生活や仕事に思い返してみて、これからどうやっていくかは、解決しない当面の課題なのだが。
 音楽的には、自分は「パレードにようこそ」のFor A Friendの時がつんと頭をぶん殴られたように泣けたので、ちょっと心の準備もしてて今回のThe Power of Loveはわりと落ち着いて聴けた。だがここしばらくはPet Shop BoysのAlways On My Mindを聴くと思い出して目が潤みそうな気がする。あと、自分の場合は80年代からwalkmanを使っていて、ある種headphoneで音の中に閉じこもることで一人の時の意識を助けてきたところがあった。この映画の主人公は登場時にheadphoneで聴いているのでなく、室内でMVを画面に流しながら聴いていて、それを室内にいる人と共有する。やはり何か意味をもたせてるんだろうなと、気になったところでもある。(20240511)
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