〇駅で電車を待つキイロイトリ。
今日は淡々と朝から仕事をした。一人で仕事をしている間は自分の精神状態がよくわからない。整理されてなかったことを順々に処理している自分に気づく。とりあえずあまり迷わずに出せるものは先に出して、順番に考える。
BGN:「2画面ドキュメンタリー~福島県浪江町~」(NHK、3/8 22:00~)
メゾンドポリスと同時録画で見ていた。
2011年に死んでしまった人がいて、2019年の今生きている人もいる。その間には、本当は大きな違いなんてないのではないか。背負うことになった圧倒的な傷は他人事ではなく、ましてや困っている人々を利用して利潤を貪るなどということは許されない。隠蔽も欺瞞も忖度もいずれ破滅を招くだろう。
どんなに放送局が忖度して「両方の意見を中立的に」放送しても、登場する人々の語り以上に、映し出される映像そのものがもたらすものが、時にその言葉と大きく矛盾するような状況を含めてのすべてを、行間に物語ってしまう。そこが見どころで、受け取る人には伝わると思う。
偶然生き残った自分も何に向かっているかよくわからないまま、今も多くの欺瞞と多くの気晴らしの中て生活している。こうして生きているような気がしていること自体が幻や夢のようなものにすぎないという言葉は、昔からいくつものことわざのようにたくさんあって、聞いたことがある。その言葉の意味はあまり考えたことがないままそういうものだと聞いていた。しかし今、自分のことも含めて改めて考えている。(20190308)