〇「唇を噛んで 私は憤ることが出来ないやうだ」(立原道造「わかれる昼に」)
という言葉が頭の中に流れた。憤りを感じたら、ただ鼻をつまんで無視して通り過ぎるだけではなくて、ちゃんと注意するとか、きちんと生かさないといけないのではないかという思いをかみしめる。「萱草に寄す」の昭和12年頃の日本人は、どんな気分で生活していたのだろうか。
世の中のいろいろなこと、というのも報じられるかどうかや報じられ方によるところもあって、知らないことや知らされないこと、知ろうとしないことがまだたくさんある。その中で一人一人が孤立しているうちに、各々が疲弊し搾取された状況になっていくのだろうかと、ふと思った。
何のことはなく、形の見えない収容所に一人一人が収容されていて、人頭税を払う間はおとなしく生かされている囚人のようなもので。そういうふうにしか人間を扱わないふざけた奴がシステムの上に居るということだ。憤った方が犯罪者だみたいな仕組みを作りたがっている奴がいるのか。というふうなSFが寓意として、実際の社会状況としても読めるのは辛い。槙島CV櫻井孝宏さんみたいなのが洒落にならないのも。


エリザベスとキイロイトリと先日乗った新幹線つばめの車内。
この時のは早朝でN700系のを使う車両だった。このシートの座り心地がゴージャスでわりと好きかも。
BGM:HYBRID ALIEN / ENDLICHERI (「HYBRID FUNK」)(20180525)