○今日も残業中である。国勢調査トラブルが5年前の前回と比べて異常な数で多発しているという記事を読む。調査員、調査機関、政府、国家、ひいては人間も何も、根本的に信用できるものは何もないということなのか。5年前というと天使が消えた街、ポップジャムとSummer Snowを見て、夏コン広島と福岡に行き、秋口にD albumが出た頃と記憶する(このへんはこの半年の古雑誌移動作業の中で、無数の表紙写真を再確認して記憶に摺り込み直された^^)。何だろう。確かにこの5年間で、何か微妙に「空気」が変わったかも、という感じはあるかもしれない。改革といっても誰かの古い既得権を新しい誰かが入れ替わって機に乗じて略奪するだけで、本当に困っている下々の人々に便宜や利益がいきわたり問題が解決する実質的改善になる部分というのはほとんど無い、というのは会社でも世界規模でもよく見ることだから、善くなるなどとははなから誰も信じていない、というような空気もあるかもしれない。他にも、なんか病気とか不幸とかで具合の悪い人がいたら、助けようというのではなくて、自分が劣っているから強い方に阿って、自分より弱い方や失敗した人をさらに「自己責任だから本人が悪い」「負け組だ」とか言って助けるどころか非難する、助けてると自分が負け組にされてしまう、というような風潮というか、そういうのもある。少なくとも「義」というか「粋」ではない。5年前の夏コンの時にも剛さんがツアー中具合悪くなったという話をネットで知り、次のワシらの福岡と広島ではがんばって迎撃(笑)して盛り上げようぜ!とBBSなどで声を掛け合ったりしたのを思い出す、そういうのとなんか違う。被害者や具合悪い奴や失敗した奴を「おまえも悪い」とかさらに畳み掛けて非難一斉攻撃するようなところがある時、自分が苦しいときも「具合悪い」って正直に言えないし、弱みをみせるといつ人に攻撃されるかわからないと被害妄想にも陥ってるし、下手に困っている人を助けることも躊躇してしまったりして、それではっきりと自分の意見を言うのを遠慮しているうちに、逆に「あんたたち、それで文句ないんでしょ、賛成なんでしょ」ということにされてしまって、誰かの都合の良いように物事が持っていかれる、というようなことが、多いのではないかと思う。そんな中で「怒りを正しく発する」ことも「優しく生きていく」のも相当に自分がしっかりしていないと非常に困難なのだ。そのつよしさんがしたたかに生き続けて5年後の今、しんどいとか堂本兄弟とかで不敵な?キャラ役を演じているのを見る時、またLFの文章の中で時々、強く在らねばならない(立場上プレッシャーがどうしても高そうだ)と同時に「優しく」ありたいとか「時代」という用語が出現するのを見る時、そして彼はそれをどんな時代であると定義して言っているのだろう?と考える時、ふと、そういったいろんなことを思い出してしまう。
Depeche ModeをBGMに聴きながら何かやっていると、どんどんこういう気分に深く潜行していく。逆説的で危険な(笑)音楽である。
そんなDMをなんでアメリカ人はそんなに好きなんだ!?噂ではアリーナ一気に完売するらしいという話と、グローバリズムなんてニュースで言ってる合衆国のイメージとの、ギャップが非常に大きすぎてわけがわからん(笑)DM人気が高いというような国ならもうちょっと(以下激しく伏字)と思ったりもするのだが、そっちのDMのファン層が気づこうが冷笑しようがどうこう言おうがもはやどうしようもないような状況だったりするのかもしれない。
うちの方の空も今日はstrangeにグレィだった。(20051015)