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「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20050206

2005-02-06 | 矮小布団圧縮袋
○今日も出勤だが、これまでのような6~8時間ぶっ通しでの作業は避け、昼飯も抜かないし、一応2~3時間ごとに休憩を入れるようになった(忘れて長時間作業していると肋間神経痛ぽい感覚が来てちょっと怖いので)。夜、帰りに寄ったダイエーの食料品売場ではまたもや「Anniversary」と「Fantastipo」の旋律が「スーパーマーケットの有線BGM・“著作権的には大丈夫なのか(爆)”・インストルメンタル軽音楽バージョン」でもって、ここのところ毎日がんがん流れているので^^、特売の葉つき大根や厚揚げやしじみなどをカゴに入れつつも、脳内で知らず知らずつい歌っている自分に気付く(少し照れ気味・笑)。夜、今日はNon-noを読む。…ここ数年で、この手の記事の文章がなんだか「意味が通ってきた」気がする。普通に25歳の人が考えて言っているという感じがして、いいのだ。彼の言う“ほぼ理想をこなしていた”時というのは、20歳前後の“結婚願望”とか“抱きしめてもらいたい”とか言ってた時のことなのだろうか。今から見ると、それもそれでなかなか年若い男子として小悪魔的ではあったが(笑)、それって何か「“こういう考え方や言い方をするのが、自分の年齢には相応で一般的だから、こう言えば男子が『かわいいっ』て思うんじゃないか”と無意識に気遣いしてしまって、本音は言わずに可愛く答えようとしてしまう、女子の物言い」みたいなものかもしれない。それは、個人の言葉の実感の定義が全然突き詰められていない物言い、にすぎない。だからそれと比べると、今言ってることは、決して10代の頃のように優等生的でもなく第一可愛げも無いし^^、相変わらず難解なところはあるようだ(色々補いたいようなおせっかいな衝動にも駆られるが^^、いや、文体はもう独特だから、それはそれとして、よい^^)けれども、少なくとも意味を考えて搾り搾り出されているところで「正直」だとは思う。あの(1998年の夏に自分が初めてこの人を見たとき思ったような)以前の「優等生のような表情の透明な壁を一枚隔てて、世界全体に立ち向かっていたような」物腰よりも、今言ってる言葉の方が、私見ではあるが、なおも世界と距離を保ち続けながらも「意味として」ずっと「入ってくる」ように思う。子供の頃から仕事をしているので早熟かと思えば如何せん晩成型だったとか^^;;完全な確信ではなくてもそこに向かう「道筋」を得た、って感じだったら、元々ポテンシャルは凄まじく高い人なんで何か楽しみでちょっと嬉しい。(20050206)
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