「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20040313

2004-03-13 | 矮小布団圧縮袋

○つよしくんは中間をとってナウシカなのね^^(どんなもんや20040312CBC)なラジオを聴きながら、巷を騒然とさせているKPの勝手に掲示板でハワイロケの様子を通読。番組は楽しみだが、奇しくもこういうレポは2004年の今日のKinKi Kidsの一般メディアへの現れ方の特徴を物語っているような気がする。Pの発想の土台は1996年頃だろうか。1996年といえばKinKiが異様に番組に露出していたはずの頃(※自分は当時全部把握していたわけではない)であったから、元々人見知りなKinKiの本質がさほど(まあ高校生なら人見知りも可愛いものだ、ぐらいで)強調されず、コマーシャルな「大人と関わる身近な子供感」がテレビでもマスに向けてPRされていたかと思う。しかし今日、次第にKinKiの定着しつつあるキャラクターのスタンスは「気は心」だが決して「間口の広い」ものではなく、本人たちも言うとおり「かなり保守的(※一昨日のSEDAでも言ってた)」な上「通にはたまらん」世界、「わかる人にはわかる」、逆に言えば不特定多数の異文化な初心者には簡単にわかりにくい「伝統的」世界の興味の領域に入りつつあるのかもしれない。きくちPや伊藤Pなどといった人々の言説を見る折、時々そういう閉じ方を感じることがある。それが悪いというのではない。その世界の細かいことは判らないがKPのこういうレポの形も何らかの抵抗勢力へのアンチテーゼで無いとも限らないのだし。それに自分は1996~7年の時点でのマスな売れぶりこそ正直(そんな派手なコンビではなかろう)と何かが違うような気がしていた上、だいたいその根拠は「…だいたいこの私のような人間が興味を持つ対象が、そんなメジャーなアイドルであるはずがない」(爆)というかなり強引な経験論による予感だったわけだが(笑)。ただし不景気の昨今、「あくまでも」商業戦略的なことを言い続ける人の問題が一方にあるならば、今後どう露出して1996年当時を知らないさらに若い視聴者の世代をも開拓していくか、ということもあろうかと(20040313 2:12a.m.)
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