みーばい亭ブログ

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てぃんぬみくくる(天ぬ御心)

2012-05-27 00:25:08 | 生き物の話
アマム、アマン、アーマン、アンマム、アンマン、アンマク、アマーム、アマモ、アマナー、アママー、クーアマム、アーマンツァー、アマンッアー、アマンチア、アマンブ・・・。

2005年12月に沖縄県教育庁が実施したアンケート調査で集まったオカヤドカリの方言(地方名)である。
人口130万人程度の地方自治体において、食糧にも資源にもならない一介の甲殻類の方言がこれだけ存在する事にまず驚かされる。
それだけ沖縄県民とオカヤドカリとの関わりが深いということだろう。
その一方で、某県立高校普通科の3年生153名を対象にしたアンケート調査によると、「オカヤドカリを知っている」と答えた生徒はわずか15.7%、「天然記念物であることを知っている」と答えた生徒に至っては、たったの3.3%だったとか。
う~ん、さすがに温故求新、古きをたずねて新しきを求める沖縄の面目躍如。
やっぱり沖縄は奥が深い・・・。

それはともかくとして・・(笑)

数ある地方名には概ね共通して「アマ」の二文字が入っている。
アマとは琉球創成神「アマミキヨ」のアマ。
そして大和の皇祖神「アマテラス」のアマ。
すなわち「天」の事である。

「あまん」に掲載されている「オカヤドカリ類の民俗」(当山)によると、アマン神(アマミキヨと同意?)が八重山を創成した際、人間よりもずっと先にまずオカヤドカリを造ったとか。
ここからは管理人の想像だが、アマン神は八重山の支配者とすべく、自らの分身としてオカヤドカリを創造し、「アマ」の名を与えたのではないか?
りんけんバンドの佳曲「ムリカ六星」の歌詞カードには、「天ぬ御心」という言葉が「神の心」と訳されている。
管理人は沖縄人でも研究者でもないので定かではないが、日本語と照らしても「天」と「神」を同義と考えることに無理はないと思う。
オカヤドカリは、人間よりも古い歴史を持ち(生物学的にも)、人間より先に霊長として存在した神々しく畏怖すべき生き物なのだ。

悪趣味なペイント貝を着せて玩具にしたり、適切な飼育設備を用意できないまま気軽に手を出して殺したり、欲に駆られて希少種を高額で売りさばいたり・・・、神を畏れぬ不届き者どもに天罰の下らんことを!

・・てなこと書いてる管理人が一番危ないか(自爆)

画像はムラサキ槽の№2、小紫(Coenobita violascensではない)。
12年目を迎える大御所や、繁殖個体軍団の陰に隠れて存在感の薄い個体なので、この機会に紹介しておく。
どうぞお見知りおきを。
コメント

琴です!ひさしぶりに愚痴ります

2012-05-13 18:57:41 | 生き物の話
琴です!
おひさしぶり・・・って、登場するたんびにおひさしぶりゆうてへん? うち。
前に出てからもう一年以上経つしぃ・・。
知らん人もいてるやろし、一応自己紹介しとくね。

名前は琴。
孵化したんが2008年8月11日。
上陸したんが2008年9月14日やさかい、もうじき4歳。
人間で云うたら、20代半ばのお年頃やねん。
彼氏いてへんけど・・・。

みーばい亭で生まれて成体まで育った、初めてのナキオカヤドカリなんやで。
個体特定されてWeb上で紹介された、初めての人工繁殖個体とちゃうんかなぁ。
それやのに、この扱いはひどいと思わへん?
ほんまやったら、うちが主役のブログとかトピックとかあってもええんとちゃうん?
だいたい、ここの管理人、10年飼育と繁殖っちゅう2大目標を達成してからこっち、オカヤドカリ飼育へのモチベーションが一気に下がったみたいで、資料も書棚に平置きされたまま埃かぶってるし、うちらの世話もおざなりで、ほとんど放置状態。
ま、ごちゃごちゃ弄われるより、その方が気楽でええんやけどね。
相変わらずムラサキ槽に居候中やけど、適当にやってるわ。
彼氏いてへんけど・・・。

それはそうと、ここのおっさん、オカヤドカリは放ったらかしの癖に、磯のヤドカリさんにはえらいご執心で、お向かい磯水槽の前にはよう座っとるわ。
まあ、向こうは照明なんか点いてて明るいし、海老ちゃんやら蟹ちゃんやら横海老ちゃんやら磯銀ちゃんやら、貝ちゃんやら、海牛ちゃんやら、海栗ちゃんやらがいっぱいいて賑やかやし、磯宿ちゃんらも走りまわっとるさかいに、たしかに見てて面白いと思うけどね。
オカヤドカリも沖縄なんかにいるご同輩は、一晩に何キロ(※)も歩いたりするらしいけど、うちら飼われている身では、そんなに歩くこともないし、お腹もへらへんから、ごはんも気がむいた時にちょっとだけ食べるくらいで、あとは日がな一日寝てるだけ。
果報は寝て待て。寝るが法楽銭要らずってね。
ま、見てる分には、おもんないやろな。

一時のアホなブームは萎んだみたいやけど、まだまだえ~かげんに飼われて冬も越せんで死んでいく仲間は多いみたいやし、うちもたま~に登場して、オカヤドカリなんか飼うても、たいしておもんないことを、アピールしとこかな。
オカヤドカリ飼育のおもんなさが世間に知れたら、捕まって無駄に殺される仲間もちょっとは減るやろしね。

とは云うものの、次の登場はいつになることやら。
それまで、うちのこと忘れないでね・・・ダーリン。
あ、彼氏いてへんけど・・・。

※信頼のおける調査報告によると、1日の水平移動距離は数十m程度。ただし、あくまでマーキングを施して放逐された地点から再捕獲された地点までの直線距離。垂直移動は考慮されていない。実際の歩行距離はオカヤドカリに万歩計を付けて歩いてもらわないとわかりまへん(^^;
コメント

魔貝降臨!

2012-05-05 22:23:06 | 生き物の話
Caroline Coon といえばパンク世代諸氏にはお馴染の名前だろう。
それ以外の人にとっては、意味のない存在なのでスルーすればいい。
興味があるのなら、検索すればクラッシュやセックスピストルズに付随して、それなりの情報は得られるはずだ。
私自身、彼女には決して好意的ではないのだが・・・、その記事にそれなりの共感を覚えることは否めない。

うるさくて、風情とか技巧とかいった観念をはるかに越えている。

彼らの態度ときたら、常に人をこばかにしたような氷の如く冷たい天下一品のパンクである。

傲慢で、攻撃的で、反抗的だ。

感じさせるのは何か満たされない気分だ。


かつてミス・クーンが書き記したこれらの賛辞は、パンクスに限ったものではなく、いつの時代にも、どこの国にも共通した10代の普遍的な「気分」だろう。
この、もやもやとしたとらえどころのない「気分」を、「音」で固定したのがパンク・ロックであり、「ビジュアル」で固定したのがパンク・ファッションだったのだ。
本来ならば、社会にスポイルされ、暮らしに追われ、運動不足になり、体力が衰え、腹が付き出た挙句に、忘れ去って行くべき「気分」なのだが、固定された音の詰まったレコードや、こんなに細かったのか・・と、溜め息交じりに眺めるしかないデニムやレザーが手元に残っているせいで、忘れたくても忘れられない宿命を背負ったことが、「Blank Generation」の不幸なのだ。
だから、同世代の○本ヒ○トが、20代も半ばになってから、ジョニー・ロットンのモノマネでこっぱずかしくメジャー・デビューしてきた時も、苦笑交じりにこれを迎えたわけだ。

自分で云うのもなんだが、管理人は幼少の頃より、素直で虚弱で気弱で従順な「良い子」だった。
パンク・ロックに心酔していた頃は、傲慢で、攻撃的で、反抗的で、常に人をこばかにしたような態度をとるように努力していたのだ。
しかしながら、明晰な頭脳とか、金持ちの親とか、宗教団体の庇護とかに無縁な管理人は、社会に放り出された後は、とにかく生きるために、つまりは食欲と性欲という生物の根源的な生存本能の趣くままに年を重ねてきて、10代の「気分」など忘れかけていたのだが・・。

20世紀の終わりにひょんなことからオカヤドカリという生き物を飼いはじめた。
そして2004年に株式会社トミーが「ハーミーズ・クラブ」というオカヤドカリ虐待セットを発売したことをきっかけに巻き起こった「オカヤドカリ虐殺ブーム」の中、管理人もオカヤドカリ愛好家の一人として、虐殺を仕掛ける業者相手に、紋切り型の正論を随分と投げつけたものだ。
当然、ウイルス添付メール、スパムメールやスパムコメント、中傷記事、誹謗コメントなど陰湿な嫌がらせの洗礼を受けたわけだが、掲示板や取り巻きブログに書き散らかされる、「傲慢」「人をこばかにしている」「上から目線」などのコメントを読むにつけ、遥か昔に忘れ去ったと思っていた10代の頃の「気分」が未だ保持されているようで、正直少し嬉しかったものだ。
このGWは大きなイベントを計画できなかったので、ネットを眺める時間がけっこうあったのだが、オカヤドカリ周辺にかつての「熱さ」がないのが寂しい限りである。
オカヤドカリの飼育待遇は決して良くはなっていないのだが・・・。
まあ、営利目的でオカヤドカリ虐殺に手を染めている業者さんにとって、我々の存在は「目の上のたんこぶ」なのだろう・・・と無理やり話を、上の画像につなげる(^^;

古株のホンヤドカリが、第二触角をむやみやたらと振り回したり、まるで放幼のように上体を激しく出し入れするので、何事かと目を凝らしてみると、眼柄の上辺りに何かが付いている。
ルーペでよく見ると、この菱形のフォルムは・・・。
レイシガイかイボニシか・・詳しい同定は出来ないが、その系統の稚貝に間違いはない。
間違いはないが、排除して殺してしまうにはあまりにも幼い。

常に人をこばかにしたように、傲慢で、攻撃的で、反抗的なこの小さな魔貝が、どんな大人に成長するのか・・?
あらかさまな犠牲が出るまでは苦笑雑じりに見守ってみようか。

コメント (2)

ウニは食いもん・・・か?

2012-05-03 20:55:13 | 新・ほろ酔いキッチン
巷では、フォアグラ、キャビア、トリュフが、三大美味だの三大珍味などと持て囃されているようだが、まったくもって片腹痛い。
あんな物は、スモーク、ゴンドラ、愛のセレブレーションとの、セット物である。
などと書くと、バブル期の披露宴でしか食ったことがないことがバレバレだが、ニッポンの小市民なら、そんなもんだろう。
管理人の、確固とした主観に基づいて、この世で最も美味いものを三つ挙げるのなら、下記をおいて他にない!

一つ目は、「鮑の生肝」
清浄な磯から水揚げされ、うにょうにょ動いている新鮮な鮑の貝肉と貝殻の間に木ベラを差し込み、えいやと剥がした軟体部から 神秘的な深緑に輝く肝を丁寧にむしりとり、間髪いれずに口に放り込む。
それ以上、語るべき言葉はない。

二つ目は、「海鼠の腸」
これも清浄な冷たい磯から水揚げされ、硬く緊張している真海鼠の腹を裂き取り出した腸をしごいて砂を出し、ガラスの小鉢に入れて軽く酒と塩を振り、一晩冷蔵庫で寝かしてから、少しづつ口中に入れ、しみじみと噛みしめる。
それ以上、語る気はない。

そして、三つ目は「海栗の生殖腺」
断わっておくが雲丹ではない。
これまた清浄な磯から水揚げされた海栗を、半身海につかったままナイフで割リ、黄金色に輝く卵巣もしくは精巣をわずかに溜まった海水と共に啜りこむ・・・。
それ以上、語っている場合ではない。

ああ、俺は今、モーレツに酒が飲みたい!

などとひとりで興奮していても仕方がないので、強引に話を変える。

沖縄の本土復帰が1972年。
その後、ゴジラ対メカゴジラだ! 海洋博だ! と、70年台を通して「沖縄ブーム」が盛り上がる。
1975年には、竹中労によって伝説の琉球フェス75が開催され、これも伝説となった京都円山野音超絶ライブも同年である。
私は年齢的に直接ライブは体験していないが、後年入手した実況録音盤は、今でも大切な宝物だ。
少年ジャンプ連載の劇画を深作欣二監督で映画化した「ドーベルマン刑事」は、そんな時代背景もあってか主人公の加納刑事にウチナンチュという設定が強引に加味されていた。
暑苦しく演じたのは、当時全盛の千葉真一。
この千葉ちゃん演じる加納刑事、ウチナンチュらしく(?)1匹の仔豚を連れて登場するのだが、中華料理屋の親父に頼まれてあっさりと売り渡してしまう。
「情けがないのか」となじる同僚刑事に云い放つ千葉ちゃんの台詞がいい。

ブタは食いもんサ~

もちろん鮑や海鼠と共に海栗も「食いもん」である。
それも極上の。
港でも市場でも鮨屋でもスーパーでも、海栗を食いもん以外の目で見たことはない。
ところが、物の本や物のサイトによると、海栗はマリン・アクアリウムのタンク・メイトとして、メジャー且つ面白い存在であるらしい。
磯屋の一人として、海栗飼育の面白さを知らないのは片手落ちではないか!との焦燥感にさいなまれて居ても立っても居られなくなり(ウソです)、とうとう禁断の食材を水槽に放り込むという背徳行為を犯してしまった。
「なにさらしとねん、このハナクソ!」と、お怒りの諸氏も居られようから、責任者が出てくる前にとりあえず「ごめんちゃい」と、謝っておく。

まあ、やってしまったものは仕方がない。
今のところ、水際でアオサを纏って管足をふにふにさせているだけなので、面白いのか?と問われれば???だが、せっかく生きたままで縁が出来たのだから、しばらくは付き合ってもらいたい。

それにしても、万一このウニちゃんが水槽では飼い切れないほど大きく育ってしまった時、はたして愛用のナイフ片手に、「ウニは食いもんサ~」と、云い放てるのだろうか、俺?




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