生き物関係のサイトやブログを見ていると、この人は一体何のために生き物を飼っているのだろうと疑問に感じることがある。
恐くて触れないのに爬虫類を飼っていたり、虫が苦手なのに昆虫を繁殖させたり、メンテナンスが面倒だと言いながら水槽を並べたり・・。
綺麗だから、珍しいから、流行りだから・・人それぞれ理由はあるのだろうが、飼われる生き物はいい迷惑である。
まあ、そんな人間はごく少数だと無理矢理信じることにして・・、常識的に考えて生き物を飼うというのはその生き物が好きでいつも近くに置いて眺めていたいという思いからだろう。
あたりまえのことだが、飼育者は飼育対象のことを頬擦りしたくなるほど好きなのだ。
かく言う私も生き物が好きだが、飼うことには少し抵抗がある。
自信がないのだ。
私の場合、好きなのは身近な野生の生き物。
人の手で改良されたグッピーや錦鯉には興味がないし、普段なじみのない遠い地域の生き物は、時々観光気分で見物に行けば充分だと思っている。
飼ってみたい生き物を思いつくままに並べてみると、アオダイショウ、ヒバカリ、カナヘビ、ヒキガエル、シュレーゲルアオガエル・・。
どれも日本人にはおなじみの身近な生き物だが、実際飼うとなると一筋縄では行かない連中ばかりだ。
だいたい食性からして全員生き餌食いではないか。
それが自然の姿とはいえ、生き物を飼うのに生き物を捕まえて与えるというのは、あまり気がすすまない。
かといって、餌用動物として売られている、毛の生えないネズミだの羽のないショウジョウバエなどといった、自然を冒涜するような異形を我が家に持ち込むつもりもない。
よしんば、餌の問題をクリアしたとしても、湿度維持、日光浴、冬眠管理などなど・・。
私程度の飼育スキルでは、結局すぐに死なせてしまうことになるだろう。
どこかのゼロ成長主義者や人種差別主義者の運営する、自然保護団体や動物愛護団体みたいに「ミミズもオケラもオカヤドカリも我々人間と同じ重さの命を持っている」などという戯言を臆面もなく口にするつもりはさらさらないが、好きな生き物をむやみに殺すのは、まともな神経の人間にとっては、精神衛生上良いことではない。
しかし、好きな生き物を眺めて過ごす楽しみも捨てがたい。
ではどうするか?
要は身近に生き物がいればいいのだ。
わざわざ飼育しなくても、庭をビオトープ化して、勝手に住み着いてもらえばいいではないか。
野生の生き物だから餌は自分で探すし、ケージの掃除もしなくていい。
ヒーターも照明もいらないからエネルギーも必要ない。
生き物に対する理想的なアプローチだ。
といっても、我が家の庭は幅のある通路という程度の広さしかないし、残土と建築廃材を突き固めた典型的な住宅地の土壌だからそう簡単なことではない。
それでもないよりはましだ。
一昨年、引っ越してきた時から、少しずつ地面を耕し土を足し、生ゴミや堆肥を鋤きこんで土壌を改良してきた。
目標は生き物の宝庫「雑木林ビオトープ」。
今はまだレンギョウやジューンベリーなど数本の木を植えただけだが、それでも昨年の夏はアマガエルやコクワガタ、カナヘビ、トカゲ、カマキリなど多くの生き物がやってきた。
まだまだ、日本の自然も捨てたものではない。
今週末、ユスラウメを植え付ける予定で堆肥を入れた植え穴が雨に濡れている。
堆肥と土が良く馴染むだろう。
10年後、この庭はどんな姿になっているだろうか?
想像したら少し楽しくなってきた。