みーばい亭ブログ

言いたい放題! 飲み放題!

雑木林ビオトープ計画

2006-01-31 21:56:41 | 生き物の話

生き物関係のサイトやブログを見ていると、この人は一体何のために生き物を飼っているのだろうと疑問に感じることがある。
恐くて触れないのに爬虫類を飼っていたり、虫が苦手なのに昆虫を繁殖させたり、メンテナンスが面倒だと言いながら水槽を並べたり・・。
綺麗だから、珍しいから、流行りだから・・人それぞれ理由はあるのだろうが、飼われる生き物はいい迷惑である。
まあ、そんな人間はごく少数だと無理矢理信じることにして・・、常識的に考えて生き物を飼うというのはその生き物が好きでいつも近くに置いて眺めていたいという思いからだろう。
あたりまえのことだが、飼育者は飼育対象のことを頬擦りしたくなるほど好きなのだ。
かく言う私も生き物が好きだが、飼うことには少し抵抗がある。
自信がないのだ。
私の場合、好きなのは身近な野生の生き物。
人の手で改良されたグッピーや錦鯉には興味がないし、普段なじみのない遠い地域の生き物は、時々観光気分で見物に行けば充分だと思っている。
飼ってみたい生き物を思いつくままに並べてみると、アオダイショウ、ヒバカリ、カナヘビ、ヒキガエル、シュレーゲルアオガエル・・。
どれも日本人にはおなじみの身近な生き物だが、実際飼うとなると一筋縄では行かない連中ばかりだ。
だいたい食性からして全員生き餌食いではないか。
それが自然の姿とはいえ、生き物を飼うのに生き物を捕まえて与えるというのは、あまり気がすすまない。
かといって、餌用動物として売られている、毛の生えないネズミだの羽のないショウジョウバエなどといった、自然を冒涜するような異形を我が家に持ち込むつもりもない。
よしんば、餌の問題をクリアしたとしても、湿度維持、日光浴、冬眠管理などなど・・。
私程度の飼育スキルでは、結局すぐに死なせてしまうことになるだろう。

どこかのゼロ成長主義者や人種差別主義者の運営する、自然保護団体や動物愛護団体みたいに「ミミズもオケラもオカヤドカリも我々人間と同じ重さの命を持っている」などという戯言を臆面もなく口にするつもりはさらさらないが、好きな生き物をむやみに殺すのは、まともな神経の人間にとっては、精神衛生上良いことではない。

しかし、好きな生き物を眺めて過ごす楽しみも捨てがたい。
ではどうするか?
要は身近に生き物がいればいいのだ。
わざわざ飼育しなくても、庭をビオトープ化して、勝手に住み着いてもらえばいいではないか。
野生の生き物だから餌は自分で探すし、ケージの掃除もしなくていい。
ヒーターも照明もいらないからエネルギーも必要ない。
生き物に対する理想的なアプローチだ。
といっても、我が家の庭は幅のある通路という程度の広さしかないし、残土と建築廃材を突き固めた典型的な住宅地の土壌だからそう簡単なことではない。
それでもないよりはましだ。
一昨年、引っ越してきた時から、少しずつ地面を耕し土を足し、生ゴミや堆肥を鋤きこんで土壌を改良してきた。
目標は生き物の宝庫「雑木林ビオトープ」。
今はまだレンギョウやジューンベリーなど数本の木を植えただけだが、それでも昨年の夏はアマガエルやコクワガタ、カナヘビ、トカゲ、カマキリなど多くの生き物がやってきた。
まだまだ、日本の自然も捨てたものではない。
今週末、ユスラウメを植え付ける予定で堆肥を入れた植え穴が雨に濡れている。
堆肥と土が良く馴染むだろう。
10年後、この庭はどんな姿になっているだろうか?

想像したら少し楽しくなってきた。
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雨の日の月曜日

2006-01-30 22:11:11 | 日々の戯れ
(たぶん)中学生の頃、「雨の日と月曜日は」というヒット曲があった(ような気がする)。
雨の日と月曜日は憂鬱になる・・という内容の歌だった(と思う)。
まあ、うろ覚えの記憶はともかく、雨の日と月曜日が憂鬱だというのはまったくそのとおりだ。
で、今日は「雨の日の月曜日」。
憂鬱の2乗である。

そんな日でも、何か小さな幸せはなかったかな・・と、一日を振り返ってみると、最初の最初にちょっとだけ幸せがあった。
雨が降っているということは、暖かいということだ。
実際、今朝目覚めた時、室温が久しぶりに10℃を超えていた。
さすがに10℃あると、ベッドから這い出る苦しみが多少やわらぐ。

「雨の日の月曜日」に無理矢理見つけた、小さな幸せ・・なのか?
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山の池

2006-01-29 20:53:46 | 日々の戯れ

今日は朝から良い天気だったので、裏山の散策に出掛けることにした。
林道を少し登ったところで、脇にそれる道を発見。
踏み込んでみると、朽ちた間伐材で崖に階段らしきものが作られている。
わくわくしながら登ると、明るい尾根道に出た。
探検開始。
腐葉土の上に落ち葉や枯れた羊歯が積もった小道。
時々、猪か鹿と思われる蹄の足跡が道を横切っている。
朝は冷えていたので、ダウンジャケットにニット帽、ウエットスーツ地の手袋の重装備で出てきたのだが、進むうちにだんだんと汗ばんでくる。
帽子をとり、手袋をはずし、ダウンジャケットを小脇に抱えて山道を登る。
一時間半ほど歩いただろうか?
右手の木立の隙間に水面が見えたような気がした。
ダウンジャケットを羽織り、バッグを肩に掛けなおし、ブーツのビブラムソールでグリップを効かせながら、横滑りに崖を下る。
倒木を乗り越え、藪をかき分けると、目の前に池があった。
森に囲まれたその池は、碧く深く水を湛え、山陰の水面は厚く凍り付いていた。
雪のない岩に腰を下ろし、水面を見つめていると心地よく汗が引いて行く。
ここまで登って来て良かった。と、ほっこりする間もなく、猛烈に腹が減ってきた。
ちょっと散歩に出るだけのつもりだったので、もちろん食べ物も飲み物も用意していない。
来た道を引き返すより、林道に出た方が早いと判断。
池から流れ出る沢沿いに山をおりることにした。
ところがしばらく下りると、道に水が染み出してほとんど沢と区別が付かなくなっている。
何とか歩けそうな崖の斜面を進むうちに、沢ははるか下になり、深い木立に中、方向を見失いそうになる。
こうなれば仕方が無い。
沢の中を歩くのを覚悟で、強引に崖を下る。
空きっ腹で踏ん張りが利かないし、膝はかくかく笑っている。
それでも、どうにかこうにか無事に林道に出ることが出来た。
ふらふらになりながら家にたどり着いて食べた焼餅の美味かったこと。
休日のちょっとした冒険だった。
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鴨南蛮力饂飩

2006-01-28 21:09:58 | 新・ほろ酔いキッチン

今日、ちょっと用事で出掛けたついでに、遠方のスーパーをのぞいてみると、鴨肉が格安で売り場に並んでいた。
と言うわけで、今夜は鴨鍋。

知りあいの畑で採れた白菜と殿様葱、らでぃさんの、人参、大根、それにかわむらの焼豆腐・・。

締めは雑炊ではなく饂飩。
葱の甘みと鴨の旨みがたっぷりと溶けた出汁は饂飩に限る。
ついでに正月の残りの餅も入れて力饂飩に。
味の説明はいらないだろう。
美味かった・・。

ちなみに週末は酔った者勝ちである。
酔いの浅い方が自動的に後片付けの担当になる。
今日は私の負けだった
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やっと週末

2006-01-27 22:42:12 | 日々の戯れ
なんだか最近ばたばたとしている。
自分の机に向かっているより、社内をうろうろ歩き回っている時間の方が長いような気がする。
実際、足の裏が痛い。

インフルエンザのおかげだ。

昨年からトラブル続きで忙しいのは忙しいのだが、それに加えて今週はインフルエンザによる欠勤者が多かった。
まあ、病気で休んでいる人間を責めるつもりはないが(本当はちょっと責めたい)、他人の仕事まで抱え込んでふうふう言ってるよりは、熱出してうちで寝ている方がマシなんじゃないかと思えてくる。
風邪で高熱を出したことがない自分は、本当に幸せなのだろうか?

とにかくも何とか仕事を終えた帰宅途中、突然白猫が目の前を横切った。
黒猫は不吉だと言うが、白猫はどうなのだろう?
黒猫の反対だから何か良いことがあるかもしれない。

楽天家なのだ。
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人は皆 青い海からやってきたのだ

2006-01-26 22:03:10 | 日々の戯れ
職場の私の席は2階の窓際にある。
にもかかわらず、次から次へとややこしい仕事が持ち込まれてくるので困っている。
早く名実ともに気楽な「窓際」になりたいものだ。

まあ、それはともかく・・。

今朝、何気なくブラインドの隙間から外を見ると、窓の前の電線に腰につけたワイヤー1本で、作業員がぶら下がっていた。
ひえぇぇぇ・・! である。
たとえ会社をクビになって明日の米に困っても、私には絶対に出来ない仕事だ。
自慢ではないが、高いところは苦手なのだ。
高層マンションの友達の部屋では、脇の下に嫌な汗をかくし、谷瀬の吊り橋は10メートル歩いて引き返した。
一方、深い所は30mでも50mでもまったく平気である。
むしろ心地良い。
ところが妻は深い海が怖いという。
おまけにスカイダイビングをやってみたいなどと、恐ろしいことを口にする。

絶対におかしい。
まともな人間の感性ではない。

人は昔々、鳥ではなくて魚だったのだ!
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近視にならない方法

2006-01-25 21:44:15 | 日々の戯れ
世間には近視の人が思いのほか多いようだ。
私のまわりでも、メガネやコンタクトレンズを使っていない人間は少数派になってしまった。
ここまで来ると、日常遠くを見る必要がなくなった「ヒト」という種のひとつの進化の形ではないかとさえ思えてくる。
40歳を過ぎて、両目ともに1.5以上を維持している私などはさしずめ旧タイプということか

だからどうだということもないのだが、進化の流れに抵抗する仲間を少しでも残すために、高校時代、カメラメーカーのイベントで教わった、近視にならない方法を紹介しておく。

と言っても、そんなに大層なことではない。
四角形のコーナーに素早く視線を走らせる。
それだけだ。

パソコンのモニター、ノート、ファイル、窓枠、ドア、マンション、プール、看板・・・。
四角ければ何でも良い。
出来るだけ視界に大きく入れて、顔を動かさずにその四隅を捉えるように縦横斜めに視線を走らす。
教えてくれたメーカーの担当者は、「これで視力も回復する」と自信たっぷりに言いきった。
10代~20代にかけての一時期、これを習慣にしていた私は、2年間受験勉強をし、「翔ぶが如く」を全巻寝転んで読み、徹夜で「ドラクエ」をやっていたにもかかわらず近視にはならなかったので、効果を信じている。
根が素直なのだ。
まあ、実際にどうなのかはともかく、目が疲れたときに眼球をころころと転がすのは結構気持ちが良いので、興味のある方はぜひお試しいただきたい。

旧タイプと言われようと、私は近くの物を一所懸命に見るより、頬杖をついてぼんやり遠くを見ているほうがずっと好きだ。
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今朝の夢

2006-01-24 21:56:03 | 日々の戯れ
明け方に夢をみた。

私はS田駅で電車を待っていた。
H急でも○Rでもない。
ただの吹T駅だ。
少しカーブした線路沿いに狭いホームがついているだけの駅なのだが、何故か木のベンチが並んだ少しレトロな待合室がある。
私はずいぶん長い間、固いベンチに座っていた。
足元にはダイビング用のキャリーバッグが置いてある。
緑色のアポロのキャリーバッグ。
ずいぶん昔、仲間たちが誕生日に買ってくれたものだ。
待合室は少し寒く、さっきから小便がしたかった。
「あとどれくらい?」
私は妻に尋ねた。
「8分。」
充分だ。
私は駅を出て道路を渡り便所に入った。
便所は天井に頭がつかえるほど狭く、おまけに扉も閉まらなかったが、何とか用をたすことができた。
駅に戻った私は、バッグを開け荷物の整理をはじめた。
タオルや着替えのTシャツを出し、後で取りに来るつもりで、待合室の棚に置いた。
少し軽くなったバッグを肩にかけ、ホームに出るとちょうど電車が入ってきた。
なぜかK阪電車の車体。
そう言えばこのホームはK阪Z所駅によく似ている。
電車が停まりドアが開いた。
大きな荷物を持った私は、電車とホームの間の隙間を跳び越えるのを一瞬ためらった。
その目の前でドアは閉まり、電車は走り出した。
走り去る電車を見送りながら、どうやって家へ帰ろうかと考えているところで目が覚めた。

この夢は何を意味するのだろうか?
今日一日、考えるともなしに考えながら過ごしたのだが、
いつもと同じ平凡な一日だった。
別に意味はなかったようだ。
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雪の月曜日

2006-01-23 21:49:17 | 日々の戯れ
よりによって月曜日の朝から雪が降った。
道路の積雪は大した事はないのだが、困るのはノーマルタイヤで立ち往生している車だ。
滑るのも事故るのも勝手だが、それによって渋滞を引き起こす迷惑も考えてもらいたい。
案の定、今朝も家を出てすぐの坂道で路線バスがスリップして道をふさいでいた。
10秒間様子を見たが動きそうもなかったので、後続車が溜まる前にUターンして抜け道から国道に出る事にした。
渋滞を覚悟しての決断だったが、国道は交通量の多さが幸いしてほとんど雪もなく、わりとスムーズに流れていた。
渋滞時どう動くかの判断にはいつも迷うが、月曜日の朝の運試しはけっこう良い目が出たようだ。

とにかくも真っ白な雪景色の中、いつもと変わらぬ忙しい一週間が始まった。
雪の朝は仕事などせずに、綿入れを着込んで火鉢を抱き、餅を焼き酒を温めながら庭を眺めてのんびりと過ごす。
いつの日かそんな身分になりたいものだが、・・一生無理かな
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お不動さん

2006-01-22 20:40:57 | 日々の戯れ

今の家に引っ越してきて1年半になる。
子供の頃を過ごしたのも、ここへ来る前に住んでいたのも大津市内なのだが、それぞれ学区が違うのでけっこう新鮮な気分である。
今日は天気の良かった午前中、散歩がてら裏山を探検してみることにした。
渓流の瀬音を聞きながら、ゆっくりと山道を歩く。
意外に深い山だが、国有林なので手入れが行き届いていて、うっそうとした感じはしない。
思えば、大津の中心部で育った子どもの頃、この山はゲンジ(クワガタムシ)やカブトのすい場として憧れの場所だった。
この夏は、何十年かぶりにゲンジ捕りにでも来てみようか・・などと思い巡らせながら1時間ほど登ったところでお不動さんを見つけた。
私は信仰心というものを一切持ち合わせていないのだが、お不動さんの風情にはどことなく魅かれる。
水が流れているからだ。
小さい頃から水が好きだった。
流れ、水音、湿度、苔や羊歯の匂い。
そこに居るだけで心が穏やかになる。
今でも水の流れを見つけると、つい近くまで行ってのぞき込んでしまう。
サワガニやサンショウウオの幼生を見つけようものなら、最高に幸せな気分になれるのだ。

今日は少々宿酔ということもあって、ここまでで引き返したが、山の入り口にはイモリがたくさん居そうな溜池もあるし、なかなか楽しい遊び場になりそうだ。
夏が来るのが待ち遠しい。
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