Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

ロバート・シンプソンの交響曲第3番を聴きながら

2008-11-25 06:24:36 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は夜にかけ雨が激しく降ったため、ウォーキングを休みました。
昨日聴いたのはロバート・シンプソンの作品。
彼はウォリックシャーのレミントン・スパに1921年生まれ、
ハーバート・ハウエルズに和声学と対位法を学んだ。
BBCの音楽プロデューサーをつとめたりした。
交響曲第3番は、バーミンガム市交響楽団から委嘱され、
1962年に作曲し、作曲家のブライアンに献呈された。
ブライアンはそれにさかのぼること3年前に
交響曲第13番をシンプソンに献呈しているので、
その時のお返しということになるのだろう。

第一楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポは、
弦楽器の揺れ動く音型が神秘的であり、
金管楽器のトゥッティが力強く対照的で効果的である。
弦楽器や木管楽器の動きはニールセン風なところもあり、
また低音をきかせ鳴り響く金管楽器はブルックナー的であり、
そこがシンプソンらしいところなのかもしれない。
最後の金管楽器を中心に歯切れよく終わるのがいい。
第二楽章アダージョは、弦楽器中心にゆったり始まる。
その音楽はニールセン風の北欧的な部分を漂わせている。
鳥のさえずりを模倣したような木管楽器の響きが、
牧歌的であり、のどかな雰囲気をかもしながら、
最後は激しさを増しニールセンの交響曲第5番風に、
荒々しく、金管楽器が鳴り響きクライマックスを迎え、
突然静まり、クラリネットと弦楽器の静寂さの中で終わる。
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アラン・ロースソーンの交響曲第1番を聴きながら横浜から星川まで歩く

2008-11-24 03:10:30 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は横浜から星川駅まで歩きました。
途中聴いたのは1905年生まれのアラン・ロースソーンの作品。
彼の略歴については器楽曲・室内楽曲編で触れたので省略する。
交響曲第1番は、1950年に作曲された作品である。
ロイヤル・フィルハーモニー協会に委嘱され、
1950年11月にエドリアン・ボールトの指揮で、
BBC交響楽団により初演された作品である。

第一楽章アレグロ・テンペストーソは、
情熱的で悲劇的な旋律の第一主題から始まる。
弦楽器の動きなどはショスタコーヴィチ風である。
オーボエにより奏され始まる第二主題は叙情的な旋律である。
第三主題はイングリッシュホルンなどにより始まる。
展開部では第一主題を中心に展開されていく。
再現部は冒頭の第一主題から力強く始まり、最後は静かに終わる。
第二楽章レントは、低弦とバスーンの旋律に、
ホルンが呼応していくような形で始まる。
その後悲しげなフルート・ソロによる演奏の部分に入り、
弦楽器による甘く郷愁的な旋律がそれに続く。
クラリネットなどによる木管楽器の演奏に、
弦楽器が呼応し、やがて大きな盛り上がりをみせる。
最後も木管楽器と弦楽器中心に展開され、
最後は静かに消え入るように終わる。
第三楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポはスケルツォ楽章で、
8分の5拍子で展開される音楽は不安定感を抱かせる。
フルートなど木管楽器による旋律もおぼつかない感じで、
これらの旋律が交替する短い楽章である。
第四楽章ポコ・マエストーソ-アレグロ・リソルートは、
冒頭は金管楽器を中心に力強い音楽が奏され、
弦楽器中心に神秘的な旋律が奏され、
その後全体で奏される軽快な音楽はショスタコーヴィチ風だ。
木管楽器のソロが活躍し、弦楽器がそれに呼応する部分から、
冒頭の金管楽器が再び登場したあとは、ホルン・ソロが活躍する。
その後いくつかの木管楽器が活躍する部分と、
駆け抜けるような弦楽器中心に活躍する部分を経て、
金管楽器によるファンファーレ風の音楽が奏され、
最後は一気にトゥッティで華々しく終わる。
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グスターヴ・ホルストの交響曲ヘ長調「コッツウォルズ」作品8を聴きながら横浜から星川まで

2008-11-23 05:43:54 | グスタフ・ホルストの交響曲・管弦楽曲
昨日は横浜から星川駅まで歩きました。
途中聴いたのは1874年生まれのグスターヴ・ホルストの作品。
交響曲ヘ長調「コッツウォルズ」作品8は、
1899年から1900年の間に作曲された作品である。
1900年7月24日に完成し、1902年4月24日に初演された。
ボーンマスで行われ、この時の指揮はダン・ゴットフリー。
解説書にはそんな詳しい説明が書かれている。
ホルストがこの交響曲を作曲したきっかけには、
ボア戦争(南ア戦争)との関連があるらしい。
コッツウォルズからも出征した人々がおり、
ズールー戦争でも多くの人が亡くなり、
コッツウォルズも深い悲しみに包まれたようだ。
実際にコッツウォルズのバーフォードの教会でも、
その墓石には若くして両親を失った子どもの悲しみが書かれ、
大切な人を失った様々な人々の悲しみの声を見た。
戦争はこんなのどかな村も無関係ではなかった。
ホルストも戦争による人々の悲しみの中で、
その人々が悲しみを乗り越えてほしいと思ったのか、
美しいコッツウォルズの村々を題材にした交響曲を
作曲しようと思い立ったのかもしれない。

第一楽章アレグロ・コン・ブリオは、
ワグナー風のファンファーレの冒頭に続き、
民謡調の音楽が展開されるが、その音楽はドイツ的で、
ブラームス的な部分もあり、のどかな田園風の曲である。
第二楽章モルト・アダージョはエレジーで、
「ウィリアム・モリスの思い出に」という副題が付いている。
ホルストは学生時代ウィリアムス・モリスの講演を、
ハマースミスのケルムスコット・ハウスで聞いたようだ。
ケルムスコット・ハウスとはウィリアムス・モリスが、
1878年に入居した家のことであるが、
その講演を聞いた数ヵ月後にモリスは亡くなり、
その個人的な悲しみがそこに投影されている。
途中第一楽章の民謡調の主題が、ホルンなどに現れたりはするが、
とにかく深い悲しみが、全体を覆っているのである。
曲自体はやはりブラームス風ではある。
第三楽章プレスト-アレグレットはスケルツォ楽章で、
金管楽器を中心とした舞踏的な粗野な旋律と、
弦楽器による流れるような旋律が対照的だ。
中間部のトリオは、田園的でグリーグ的なところもある。
冒頭の舞踏的な主題が再び現れ、
トリオの部分の主題も再現されるが、
最後は金管楽器により華やかに終わる。
第四楽章アレグロ・モデラートのフィナーレは、
のどかな田園風の優しい感じの音楽で始まる。
この楽章の曲もブラームス風の音楽であり、
彼の師スタンフォードからの影響があるのかもしれない。
その一方で中世的な颯爽とした音楽はワグナー的でもある。
交響曲の最後は、堂々とした感じで華やかに終わる。
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ピーター・マックスウェル・デイヴィスの交響曲第1番を聴きながら星川から西谷まで歩く

2008-11-22 06:51:02 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は二俣川から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのは1934年にグレーター・マンチェスターの
サルフォード市で生まれたピーター・マックスウェル・デイヴィスの作品。
若い時期からピアノと作曲を学び、マンチェスター大学と、
王立マンチェスター音楽院で学んだようだ。
その後オーストラリアなどでも学んだが、
イギリスに戻ってからはオークニー諸島のホイ島に移住し、
その後サンデー島に住み、詩人のジョージ・マッカイ・ブラウンに
大きな影響を受け、作品にもその影響が現れているようだ。
交響曲第1番は、1976年から1977年かけて作曲された。
作曲者自身の解説によると、長大な管弦楽作品であるこの交響曲は、
スコットランド北岸から離れたこの孤立した島々の風景と
海の存在感がこの音楽に染み渡っているということである。
オークニー諸島に移り住み、地域の文化や民間伝承に興味を持ち、
その自然の景色や伝説に影響されてできたのがこの作品で、
最初「ブラック・ペンテコスト」という一楽章による作品を作ったが、
これがやがて他の楽章も作られることで長大な交響曲に発展したようだ。

第一楽章プレストは、激しい荒々しい部分と静かな部分があり、
魔術的で神秘的な音楽は、異教的な世界を示しているのだろう。
オークニー諸島の自然がイメージの中にあると考えて聴くと、
混沌としたこの音楽が描こうとする世界がわかってくる。
鳥のさえずり、風などの自然が作り出す音、
自然の厳しさ、そして伝説が多く残されている島の神秘、
それが当時の前衛的な手法で作曲されているということだろう。
第二楽章レント-アレグロは、突然大きな金管楽器の音で始まり、
すぐに静かに始まり、シロフォンの軽やかな音がしばらく流れる。
個々の楽器がそれぞれ独立した動きをとることにより、
伝統的な和声に縛られた音楽とはまったく違った世界が作られる。
かと思うと、シベリウス的な音の空間が聴こえたりもする。
作曲家自身はシベリウスの交響曲第5番から採っていると、
言っているがそれがどれかはわからないが、幻想的である。
第三楽章アダージョは荒涼とした感じである。
オークニー諸島の海岸にはいくつもの奇岩があるようだ。
行ったことはないのであくまでも想像の世界だが、
その奇岩のある海岸を歩いているような気持ちにさせる。
シューマンの交響曲第2番の冒頭を使っていると
書いているようだが、それは何を指しているかはわからない。
荒涼とした自然の中をさまよい歩くかのようで、
最後に登場するフルートの音で我に返るかのようである。
第四楽章プレストは、金管楽器により軽快に始まる。
前楽章とは対照的に動的な音楽であるが、
各楽器が個別に独立した動きを見せるので、
やはり難解な音楽だろうとは思う。
厳しい自然、鳥のさえずり、島が持つ神秘性、
秩序という概念が必要のない大自然と、
秩序を持たせようとする人工的な音楽の世界と、
それぞれのエネルギーがぶつかり合っているような感じだ。
最後は何度もうなるように金管楽器が奏し、音楽は突然終わる。
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アーネスト・ジョン・モーランの交響曲ト短調を聴きながら星川から横浜まで

2008-11-21 10:17:26 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は星川駅から横浜まで歩きました。
途中聴いたのは1894年生まれのモーランの作品。
今回からは交響曲イギリス編の補足に入る。
略歴については管弦楽曲編で触れたので省略する。
交響曲ト短調は、CDの解説書によれば、
1926年から作曲家で指揮者でもあったハミルトン・ハーティに
交響曲を作曲するよう勧められたが、
本人は気が乗らず、ハーティが何度も催促して、
ようやく1934年から取りかかり、1937年に完成したようだ。
初演は1938年にロイヤル・フィルハーモニー協会の演奏会で、
ヘワードの指揮によって行われたようである。

第一楽章アレグロは、伝統的なソナタ形式で書かれている。
冒頭から魅力的な民謡調の感傷的な旋律が奏でられる。
軽快で颯爽としたところはイギリスらしい。
イギリスの田園風景を感じさせるような感じでもあるが、
ノーフォーク東部の砂丘と沼地などの風景がイメージされ、
ある時は厳しく、そしてある時は優しいノーフォークの
自然の風景を感じさせる音楽であると思う。
バックスを思わせるようなダイナミックさがあり、
最後は金管楽器が活躍し、華々しく終わる。
第二楽章レントは、ゆるやかに始まるが、
刻々と変化する自然を描写しているようであり、
そのあたりはシベリウスの音楽の影響を
受けているのかもしれないと思わせるところがある。
美しくもあり、自然の雄大さを感じさせる曲である。
第三楽章ヴィヴァーチェは、オーボエの軽快な旋律で始まる。
幻想的なところがシベリウス風であり、
しかしながら民謡風の旋律からはイギリスらしさを感じる。
第四楽章レント-アレグロ・モルトは、感傷的な旋律で始まる。
ここでも美しい民謡風の旋律が登場するが、
ティンパニと金管楽器によって演奏される荒々しいところは、
ヴォーン・ウィリアムズの交響曲をも想起させる。
最後は悲劇的な終わり方であり、印象的である。
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