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Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

牧野のトランスシュタシオンを聴きながら横浜・鶴ヶ峰間を歩く

2007-09-15 11:31:55 | 古典~現代音楽日本編
昨日は、横浜駅から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
途中聴いたのは1940年鎌倉生まれの牧野縑の作品。
名前はかとりと読む牧野氏は東京芸術大学で学び、
1968年からはパリに留学し、パリを拠点に活動し、
亡くなる1992年までパリの音楽学校で教えたようだ。

トランスシュタシオンは1989年初演されている。
CDの解説書にある彼の回想からすると、
彼の中でかつてから生まれていた楽想を
音響として具現化したものといっていいだろう。
その楽想とは、「ある音響の帯が、うねり、逆巻き、
縮小し、拡大し、解体し、さまざまな運動を繰り返しつつ
変貌を遂げていく」というものと牧野氏は語っている。

ここでみられる音楽は、したがって荒涼とした世界だ。
後半で聴こえる音の波動はライヒの音楽を思わせるし、
ある音の実験をオーケストラでやっているという感じである。
彼は過去にジョリベやデュティーユなどに師事していたが、
その影響(特にデュティーユ)も感じられる気がする。
デュティーユが同じ時期に作曲した作品には、
「瞬間の神秘」という作品があるが、
この曲と比較してみるといいかもしれない。

私の好みとしては、やっぱりデュティーユの方かな。
音楽として聴きやすく、おもしろいと思う。
しかし、50歳代という若さで亡くなった牧野氏ではあるが、
今生きていたら、どんな音楽に挑戦したのだろうなあ。

伊福部昭のシンフォニア・タプカーラを聴きながら横浜・和田町間を歩く

2007-09-14 07:12:12 | 古典~現代音楽日本編
昨日は、横浜から和田町まで歩きました。
途中聴いたのは1914年生まれの伊福部昭の作品。
怪獣ゴジラの映画音楽の作曲家として知られているが、
彼は独学で作曲法を学んだ異色の作曲家である。
彼は北海道に生まれ、アイヌの踊りや音楽に幼い時から親しんだ。
そのことも関係してか、彼の音楽には、
北海道、アイヌ、ロシア的なもの、北欧的な世界など
様々な要素が随所に見られる気がする。
彼の音楽は単に日本的とも言えず、
世界の民族音楽の色々な要素を取り入れており、
単純には語れない音楽的な深さがある。

シンフォニア・タプカーラは1954年に作曲された作品で、
タプカーラはアイヌの舞踏の一形式の名であるという。
第1楽章の主題も個性的で、アジア的でもありながら、
そこには北欧やロシア的なものを感じもしてしまう。
吹奏楽でもとりあげられそうなリズミカルでありながら、
金管が打楽器の活躍する華やかな作品である。
第2楽章は、うってかわって叙情的な曲だ。
木管楽器と弦楽器を中心に奏される音楽は、
変拍子を伴いながら、北の世界を思わせ、
ある部分ではロシア的でもあり、
民謡的な親しみやすさを持っている。
第3楽章は、リズミカルで華やかな舞踏の音楽だが、
主題はバルトークが使いそうなハンガリー民謡的な音楽である。

でもこのような音楽を聴けば、
彼が作曲した映画音楽の特徴を理解できる気がする。
ちなみに怪獣ゴジラの音楽は同じCDの中に
SF交響ファンタジー第1番として収録されている。
また、ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータも
変拍子を多用し、リズムでは日本的っぽくはないが、
旋律的には日本的な部分を持った音楽だ。
一回聴けば忘れない印象的な曲である。

私が幼い頃レコード(ソノシート)で初めて買ったのが、
柔道一直線と怪獣総進撃のレコードだった記憶がある。
そういうことを考えると伊福部昭の音楽との出会いは、
かなり前からだったんだなあと思うのである。

山田耕作の序曲ニ長調と交響詩「暗い扉」の間にある1年間の差

2007-09-13 06:25:33 | 古典~現代音楽日本編
昨日は、ウォーキングを休みました。
何とか時間を確保しないとといけないのだが、
昨日の朝は、雷がなり雨が激しく降り、歩くのは難しかった。
ここのところ飲み会が続いているのも理由の一つだが、
いい訳めいてしまうので、これ以上はやめよう。
今日こそは歩こう!と思う。

さて、今回とりあげるのは1886年生まれの山田耕作の作品。
序曲ニ長調は、1912年完成した短い作品で、
さわやかで流れるような音楽は、
まるでシューベルトを聴いているみたいだ。
日本人による最初の管弦楽曲のようである。
日本人の作曲家の多くはドイツ音楽や
フランス音楽に多大な影響を受けたが、
山田耕作はどちらかというとドイツ音楽の方だろう。

交響詩「暗い扉」は1913年に作曲された作品で、
序曲ニ長調とは作曲時期が1年しか違わないのに、
曲はリヒャルト・シュトラウスの交響詩の世界に似て、
後期ロマン派的な作風になっている。
曲名は三木露風という文学者の詩の名からとっているらしい。

交響詩「曼荼羅の華」も1913年に作曲した作品である。
タイトル名は彼の親友斉藤佳三の書いた詩の名から来ているが、
こちらもドイツの後期ロマン派的な作風で、
スクリャービンぽい部分も感じさせるところはある。
のちに山田耕作は、日本的な音楽を作曲するようになるが、
最初はドイツの音楽を模倣しながら、
何とか独自の作曲法を模索していったんだろうなあ。

1912年から1913年は彼がドイツに留学していた時期にあたる。
それにしてもその1年間で、作風は大きく変化している。
ある意味では劇的であり、その1年間で山田耕作は、
ドイツ音楽のたどった1世紀近くの変遷を
わずか1年間で自分の作品の中にとどめたことになる。
それを考えるとその音楽界の変遷を理解し、
作曲技術を体得した山田耕作はただものではない。
こんな人が日本の音楽の黎明期にいたのだから、
日本のクラシックの今があるのかなあと
つくづく、感心するのである。

二俣川から東戸塚まで深井史郎の「パロディ的な四楽章」を聴きながら歩く

2007-09-12 05:28:30 | 古典~現代音楽日本編
昨日は、二俣川から緑園都市を経て、東戸塚まで歩いた。
緑園都市の駅近くには「ガーネッシュ」というインド料理の店があり、
よくテイクアウトでカレーなどを注文して買ったものだが、
その場所にいったところ閉店の案内が出ていた。
いいお店であったのに、残念なことだ。
15年間も続いたのに、長く店を続けることは難しいもんだ。

さて、途中聴いた曲は1907年生まれの深井史郎の作品。
今日からは、日本の作曲家の管弦楽曲をとりあげる。
CDの解説書によると、彼は音楽大学で学んだというよりは、
伊庭孝や菅原明朗に個人的に師事して作曲法を学んでいる。
その一方で、作曲家としてはラヴェルやストラヴィンスキーなどに
音楽的な部分で影響を受けたようであり、
とりわけラヴェルの影響は、特にといってよいだろう。

パロディ的な四楽章は、四人の作曲家を模倣した作品で、
1936年に作曲され、もとは「5つのパロディ」という管弦楽曲で、
「ファリャ」「ストラヴィンスキー」「マリピエロ」「ラヴェル」
「バルトーク」の5曲から構成されていたが、
そこから「マリピエロ」を抜き、「バルトーク」の題を「ルーセル」に変え、
管弦楽を3管編成に改めはしたが、曲そのものには手をつけていないらしい。
第1楽章は、ファリャの「スペインの庭」の主題を利用しながら、
ファリャ風の音楽が展開されていく。
第2楽章ではストラヴィンスキー風に、
テンポのよい音楽が流れる短い曲である。
第3楽章は彼の尊敬するラヴェルに捧げる音楽で、
その印象派的な音楽は、フルートの美しい旋律とともに、
ゆったりと、やさしく流れていく。
第4楽章はルーセル風の音楽ということになる。
CDの解説でも指摘されているのだが、
ルーセルぽいところもあれば、バルトーク的な部分もある。
金管楽器が活躍し、最後は華々しく終わる。

バレエ音楽「創造」は、皇紀2600年を記念し、1940年に作曲された。
曲は「神々の誕生」「生物の誕生」「人間の誕生」から成り、
内容的には十分日本的だが、曲はそれをあまり感じさせない。
第3景「人間の誕生」の冒頭のフルート独奏で始まる音楽を聴けば、
ラヴェルの音楽のようであることがわかると思う。
音楽は最後に向かうにつれ、壮大な音楽になって終わる。

交響的映像「ジャワの唄声」は1942年に完成した作品だ。
主題はジャワのスンダ地方の民族音楽から採っている。
この主題をもとに音楽は沖縄風の旋律も絡みながら、
しかし、日本風的な要素も混ざりつつ音楽は展開される。
でも、確かにジャワ音楽と、沖縄音楽と、
日本的な音楽の融合をはかったかのようなこの曲は、
まさに音楽における大東亜共栄圏にも見えてくる。

ジョン・アダムズのシェイカー・ループスとミニアル・ミュージック

2007-09-11 11:41:34 | 古典~現代音楽北アメリカ編
昨日は、ウォーキングを休みました。
今日で、アメリカの管弦楽曲の紹介は終わりにします。
今回とりあげるのは1947年生まれのジョン・アダムズの作品。
マサチューセッツ州出身で、ハーバード大学で学び、
卒業後はサンフランシスコ音楽院で教員として働いたようだ。
CDの英文で書かれた解説書によると、
フィリップ・グラスの「12の部分からなる音楽」や
スティーヴ・ライヒの「18人の音楽家のための音楽」などが
発表された1970年代半ばは、ミニアル・ミュージックの絶頂期にあり、
その1970年代から1980年代にかけてシェイカー・ループスは作曲されている。

シェイカー・ループスは当初弦楽四重奏の曲として作られたようで、
ミニアル・ミュージックらしく、その音型はめまぐるしく変化していく。
第1曲のShaking and Tremblingは、
弦楽器が中心に活躍する疾走感のある躍動的な音楽である。
第2曲のHymning Slewは第1曲とは対照的で、
ゆっくりとした、そして浮遊感のある音楽である。
第3曲のLoops and Versesは、
ライヒにみられるミニアル・ミュージックのような音楽が聴けるが、
その音型を繰り返す音楽は徐々に勢いを増していき、
まるで機関車が駆け抜けていくような音楽になっていく。
第4曲のA Final Shakingは、やはり音型を繰り返しながら、
変化を徐々にしていき、その音楽はライヒと似ているのだが、
全体的に表情のあるミニアル・ミュージックのような感じもする。
彼の代表作品はオペラ「中国のニクソン」のようだが、
そのCDは持っていないものの、どんな曲かは知りたいものだ。

なお、今回の管弦楽曲アメリカ編に関するCDの情報は、
私のHPの以下のアドレスに載せてあります。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/ongaku-kenkyu.html
参考にしていただければ幸いです。