昨日はウォーキングを休みました。
昨日聴いた歌曲はドビュッシーの手によるもの。
「シャルル・ボードレールの五篇の詩」、
グレゴワール・ル・ロワの詩による「お告げの鐘」、
ポール・ヴェルレーヌの詩による「三つの詩」と、
「艶なる宴-第一集-」、そして最後にドビュッシーが
自分自身の詩に曲を付けた「叙情的な散文」である。
これらの作品は1880年代から1890年代に作曲された。
有名な詩人に曲をつけたこれら作品は、
フランス語の流れるようなことばを
そのままリズムのように読みあげていくような歌と、
細やかな音で情景を作り出す繊細なピアノ伴奏により、
ドイツ・リートとは違うフランス歌曲の
独自のスタイルを作り出している。
他人が書いた詩に曲を付けるという作業は、
簡単なようでいて、実に難しい。
へたに詩の内容を変えることはできないから、
その制約の中で作るしかないのに比べると、
ドビュッシー自身が書いた詩による「叙情的な散文」の、
のびのびとした音楽の世界は何だろう。
歌も伴奏も結構自由な感じで、
この時期の他の歌曲とは違う。
その曲を境に彼はしばらく歌曲の分野から離れ、
弦楽四重奏曲や代表的なピアノ作品、
そして管弦楽曲と歌劇にとりかかるようになるが、
実は、そこで忘れてはいけないのは、
このような歌曲を作曲していく中で、
彼の作曲のスタイルが確立していったことではないか。
そんなことを思わせるようなところが、
これらの歌曲を聴いていると感じられる。
「叙情的な散文」はそれらの分野に取り組んでいく彼の
転換点になった曲のように思えてならない。
意外にもドビュッシーの歌曲という分野は
重要な意味を持っていたのかもしれない。
昨日聴いた歌曲はドビュッシーの手によるもの。
「シャルル・ボードレールの五篇の詩」、
グレゴワール・ル・ロワの詩による「お告げの鐘」、
ポール・ヴェルレーヌの詩による「三つの詩」と、
「艶なる宴-第一集-」、そして最後にドビュッシーが
自分自身の詩に曲を付けた「叙情的な散文」である。
これらの作品は1880年代から1890年代に作曲された。
有名な詩人に曲をつけたこれら作品は、
フランス語の流れるようなことばを
そのままリズムのように読みあげていくような歌と、
細やかな音で情景を作り出す繊細なピアノ伴奏により、
ドイツ・リートとは違うフランス歌曲の
独自のスタイルを作り出している。
他人が書いた詩に曲を付けるという作業は、
簡単なようでいて、実に難しい。
へたに詩の内容を変えることはできないから、
その制約の中で作るしかないのに比べると、
ドビュッシー自身が書いた詩による「叙情的な散文」の、
のびのびとした音楽の世界は何だろう。
歌も伴奏も結構自由な感じで、
この時期の他の歌曲とは違う。
その曲を境に彼はしばらく歌曲の分野から離れ、
弦楽四重奏曲や代表的なピアノ作品、
そして管弦楽曲と歌劇にとりかかるようになるが、
実は、そこで忘れてはいけないのは、
このような歌曲を作曲していく中で、
彼の作曲のスタイルが確立していったことではないか。
そんなことを思わせるようなところが、
これらの歌曲を聴いていると感じられる。
「叙情的な散文」はそれらの分野に取り組んでいく彼の
転換点になった曲のように思えてならない。
意外にもドビュッシーの歌曲という分野は
重要な意味を持っていたのかもしれない。