昨日は横浜から和田町駅まで歩きました。
途中聴いたのはサティの「ソクラテス」と「貧者のミサ」。
エリック・サティの音楽については、高校時代から聴き始めた。
「ソクラテス」のレコードも何度も聴いたものである。
高校時代の時は、ソクラテスについて関心を持ち、
倫理の授業でソクラテスの話の中で出てくる
ダイモン(ダイモニオン)について発表をしたものだ。
それは簡単には「内なる良心の声」と言えるかもしれない。
必ずしも十分な説明ではないかもしれないが、
ソクラテスが何かをしようとした時に、
この「内なる良心の声」が聴こえて来たことがあったようだ。
さて、サティの「ソクラテス」は、1918年に作曲され、
1920年に初演された代表作である。
一見表情のないような音楽の中、
歌は歌うというよりも、語りかけるという感じで展開される。
曲は「ソクラテスの肖像」、「イリアス河の岸辺」、
「ソクラテスの死」の3部から構成される。
そこにドラマティックな歌い方も音楽的な仕掛けもないのだが、
淡々と音楽が流れていく中、静かにドラマは展開されていく。
高校生の時に初めてこの曲を聴いたときに、
イメージするドラマティックな展開の音楽ではない、
不思議な音楽の作り方に感心してしまったのは言うまでもない。
「貧者のミサ」は1895年あたりに作曲された作品で、
オルガンと合唱によるこの作品は、
一番最初の「主よあわれみたまえ(Kyrie eleison)」と
「主は言われた(Dixit Domine)」のところで
合唱が登場するだけで、「オルガンの祈り」以降は
オルガンの独奏となっているところがユニークである。
サティにしてはやや保守的な感じもするが、
1890年代にサティはジョセファン・ペラダンが創始した
薔薇十字教団公認の作曲家となったが、
その後ベラダンとは絶縁して、自ら教会を設立したようだ。
それも「主イエスに導かれる芸術のメトロポリタン教会」
しかも信者はサティ一人だけ。
「貧者のミサ」はこの教会のミサ曲として作曲したという。
さすがやることがサティである。
この曲には彼の決然とした思いが、
秘められているようでもある。
でも、なぜ合唱は最初だけなんだろうか。
途中聴いたのはサティの「ソクラテス」と「貧者のミサ」。
エリック・サティの音楽については、高校時代から聴き始めた。
「ソクラテス」のレコードも何度も聴いたものである。
高校時代の時は、ソクラテスについて関心を持ち、
倫理の授業でソクラテスの話の中で出てくる
ダイモン(ダイモニオン)について発表をしたものだ。
それは簡単には「内なる良心の声」と言えるかもしれない。
必ずしも十分な説明ではないかもしれないが、
ソクラテスが何かをしようとした時に、
この「内なる良心の声」が聴こえて来たことがあったようだ。
さて、サティの「ソクラテス」は、1918年に作曲され、
1920年に初演された代表作である。
一見表情のないような音楽の中、
歌は歌うというよりも、語りかけるという感じで展開される。
曲は「ソクラテスの肖像」、「イリアス河の岸辺」、
「ソクラテスの死」の3部から構成される。
そこにドラマティックな歌い方も音楽的な仕掛けもないのだが、
淡々と音楽が流れていく中、静かにドラマは展開されていく。
高校生の時に初めてこの曲を聴いたときに、
イメージするドラマティックな展開の音楽ではない、
不思議な音楽の作り方に感心してしまったのは言うまでもない。
「貧者のミサ」は1895年あたりに作曲された作品で、
オルガンと合唱によるこの作品は、
一番最初の「主よあわれみたまえ(Kyrie eleison)」と
「主は言われた(Dixit Domine)」のところで
合唱が登場するだけで、「オルガンの祈り」以降は
オルガンの独奏となっているところがユニークである。
サティにしてはやや保守的な感じもするが、
1890年代にサティはジョセファン・ペラダンが創始した
薔薇十字教団公認の作曲家となったが、
その後ベラダンとは絶縁して、自ら教会を設立したようだ。
それも「主イエスに導かれる芸術のメトロポリタン教会」
しかも信者はサティ一人だけ。
「貧者のミサ」はこの教会のミサ曲として作曲したという。
さすがやることがサティである。
この曲には彼の決然とした思いが、
秘められているようでもある。
でも、なぜ合唱は最初だけなんだろうか。