南アフリカ人種隔離政策(アパルトヘイト)と戦い、27年もの投獄された黒人初代大統領の、ネルソン・マンデラ氏が天寿を全うして亡くなった。彼こそノーベル賞に値する人物である。
闘士と言われた時期もあったが、投獄生活がマンデラを成長させた。アパルトヘイト廃止後の初代大統領になっても、高齢を理由として1期で退いている。
マンデラの姿勢の基本となっているのは「許しと和解」である。黒人を排斥し差別をした人たちを許し和解を、国民に求めている。新たなその先を見つめているのである。
ところが現実の社会は、「対立と主張」の世界である。国家の対立、民族の対立、宗教の対立、経済の対立、利権の対立ばかりである。国家のベールに隠れて、自らの正義と正当性を互いに主張する。そして対立する。
国家間の戦争は少なくなったものの、民族間や宗教対立の紛争は増え続け、ルールがない分より一層深刻である。宣戦布告もなければ、武器を持つ人物を国際法の兵士としての扱いより、犯罪者としての対応となる。「テロ」という言語がそれを物語っている。
ほんの500年ほど前までは、国家という障壁は極めて低かったが、近代になって人類は国家の存在を巨大にさせ、欲望をそれに隠れて追及してきた。ジョン・レノンのイマジンの言葉通り、国境や宗教がないと思って考えれば、マンデラ氏の崇高な理念に少しは近づけるというものである。
今日(10日)はマンデラ氏の国葬である。世界各国の要人が参列しているが、彼らのその資格があるだろうか?
紛争と殺戮を起こしてきた彼らの参列には大いに異論があるが、マンデラ氏はきっと天国から、彼らをも許すであろう。然しながら、世界はマンデラ氏を表面的に称賛しているが、全く理解していない現実が毎日報道される。