中学の頃、近くに美術館があり絵を観察するのが好きであった。今でも450キロも走って、札幌に農民画家のミレーの作品を見に行くくらいである。そうした私にとって許せない事件があった。例の盗作騒ぎである。少し気の弱そうな画家が、ほとんど同じ作品を「クロウトが見れば、作品の雰囲気や空間の扱いや、筆のタッチを見れば全く異なる作品だとわかります」言ってのけた。恐ろしい発言である。
盗作であるかにかは、クロウトなどが判断することではない。シロウトが見て判断する方が正しいのでないか。第一、何とか会員や何とか賞を選考した「クロウト」連中は、大騒ぎになってやっと気がつくようなお粗末である。クロウトは作者に近かったり、人としてのつながりもあるだろう。クロウトがこれを盗作と判断せずに、「よく似ているから」今までの賞などを取り消す。ヨクワカラン。
食も同じである。農業、畜産分野は、現在いろいろな技術が行き交っている。それぞれの分野では、かなり苦労し、勉強や研究を重ねてきたことは理解できるが、生産者が消費者に向かって、シロウトには解らないことだと説明を拒否するのは問題である。シロウト(消費者)は、ニワトリや牛がかわいそうだとか、農薬は嫌いだという発言や感情を、農業の専門家が嫌悪感を持つのはやはりおかしい。こういうことこそ、シロウト感情で十分なのではないか。