信州上田市の小高い丘の一角に小さな「無言館」という美術館がある。コンクリートの壁をむき出しにした ままの、この美術館は戦没画学生の作品を集めていることで知られている。先の大戦で私の父はフィリッピンで戦死している。私が生まれる前のことである。そうしたこともあって、戦争にかかわることについては人一倍感慨を覚えるのである。この美術館はいつの日か訪れるたいと思っていた。事前の知識は十分あったが、思ったほどの大きさはなく、ひんやりとしたコンクリートの壁面に飾られた作品は、習作といわれるレベルのものが多いが、胸打たれるのはこれらのすべてが遺作であり彼らが命を絶たれた背景である。
総じて裕福な画学生が多いが、どの作品も「もっと描きたかった」と訴えている。意思に反して戦場に狩り出された彼らではあるが、自らの死を超えて作品を世に残した。私の父なども同じように、内地に妻やまだ見ぬ子を残して死んでいくことの無念さは計り知れないものがあったであろう。彼らは、反戦主義でもなければコミニストでもなかった。そのため、かえってただ単に描きたかった無念が伝わってくる。
戦争とは人の命を奪う行為であり奪われる行為であり、人のすべてを断ち切る行為である。戦争を、国家観や防衛論などから語られてはならないものである。