「英霊にしてみれば、天皇陛下のために『万歳』と
言ったのであって、総理大臣万歳といった人はゼロだ。
天皇陛下の参拝か゜一番だ」、と天皇の靖国参拝実現
が望ましいとの認識を、麻生外相は1月28日、名古
屋での講演で示した。(2006.1.29、北海道
新聞)
この外相発言は、真実を突いている一面はあるが、
悲惨な戦争を美化し、何ら将来への教訓、警告として
とらえていないところに問題がある。すなわち、太平
洋戦争を全面的に肯定している点に、根本問題がある。
ドイツの為政者とは違った、低俗的な日本の政治家の
認識である。
何度もいうように、外国軍が日本に侵略したために
同戦争が始まったのではない。為政者の決定に従って、
日本軍兵士は行きたくもない外国に行かされ、殺した
くもない外国人を多数虐殺する結果になったのである。
だからこそ中国国民は日本兵を鬼といって恐れたので
ある。
その一方で日本では、日本軍兵士の戦没者を英霊と
呼んで美化している。日本に侵略してきた外国軍と戦
って犠牲になったのなら、英霊と呼ぶべきであろう。
しかし、勝手に外国を侵略した結果、戦死した人々を
英霊と呼ぶには妥当性がない。それは、戦死した兵士
に対する同情心を国民に喚起させることによって、侵
略政策を遂行した為政者の責任をボカす欺瞞政策の一
つの政治的テクニックといえよう。
良心的な日本人から見れば、英霊と呼ばれている人
々の多くは、日本の軍国主義政策の大いなる犠牲者で
あり、人生を台無しにした悲惨な被害者といえよう。
「お国のために死んだ」、「現在の日本は、英霊のお
かげ」というのは大いなる欺瞞である。単なる好戦的
な為政者の犠牲に過ぎない。国民は敗戦の饑餓状態か
ら、少しでも安定した生活がしたい、といって頑張っ
たお陰で現在の日本がある。そのためにしてきた政権
党の功績は認めざるをえないもので゛ある。しかし、
戦没者のお陰で今日がある、というのは論理のすり替
えに過ぎない。単なる戦争責任を回避するために戦没
者を美化しているに過ぎない。戦没者の政治利用とで
もいうべきものであろう。
兵士が「天皇陛下万歳といって死んでいった」、と
いうのも事実とは認めがたい。確かにそういう人もいた
と、戦争体験者から聞いている。しかし、ほとんどの
兵士が死ぬとき、「お母さん!」といって息を引き取っ
たとも聞いている。「岸壁の母」という歌謡曲が現在
でも多くの日本国民の共感を呼んでいるが、「岸壁の
父」も大勢いたといわれている。子を思う親心は母も
父も違いはない。
また為政者の責任を、「天皇陛下」に責任転化する
野望は捨てるべきである。昭和天皇は平和主義者だっ
たと聞いている。軍国主義が日本を覆っていた時代に、
天皇陛下自身の意思が無視に近い状況にあったのは否
定しがたい事実であろう。その証拠に、終戦の詔勅を
辞めさせようと画策した一部の軍部の動きを見れば分
かるはずである。「天皇陛下万歳」と叫びながら、天
皇の意思を無視し、自分達の意思を貫こうとした事実
は数え切れないほどあるはずである。まさに「天皇利
用」である。現在においても、「天皇利用」の実態は
何ら変わっていない。
今回の外相発言は、戦争責任を天皇陛下一人に押し
つけるものとも解釈されかねないものである。また、
天皇の靖国参拝を実現することで、軍国主義の復活を
天皇の名の下に遂行しようとの意思がみえるようであ
る。
平成天皇も平和主義者である。自分達の好戦的な政
策を遂行するための天皇利用は断念すべきである。憲
法9条改定問題もその動きの中の一つであろう。さら
には国民徴兵制も画策されている、ともいわれている。
軍国主義志向は止まるところを知らないようである。
いずれにしても天皇の政治利用は断念すべきである。
さらには、「皇室典範審議急ぐな」という中曽根元
首相の考えは(12月29日、読売新聞)、女性天皇
では、戦争などが発生した場合、政策遂行しにくい、
との読みがあるのではないかと推測したくなる。近年
の政治的な一連の動きは、軍国主義よ再び、という野
望が根本にあるような気がしてならない。
「殺すな、殺させるな」というブッダの言葉を再度
吟味してほしい。
言ったのであって、総理大臣万歳といった人はゼロだ。
天皇陛下の参拝か゜一番だ」、と天皇の靖国参拝実現
が望ましいとの認識を、麻生外相は1月28日、名古
屋での講演で示した。(2006.1.29、北海道
新聞)
この外相発言は、真実を突いている一面はあるが、
悲惨な戦争を美化し、何ら将来への教訓、警告として
とらえていないところに問題がある。すなわち、太平
洋戦争を全面的に肯定している点に、根本問題がある。
ドイツの為政者とは違った、低俗的な日本の政治家の
認識である。
何度もいうように、外国軍が日本に侵略したために
同戦争が始まったのではない。為政者の決定に従って、
日本軍兵士は行きたくもない外国に行かされ、殺した
くもない外国人を多数虐殺する結果になったのである。
だからこそ中国国民は日本兵を鬼といって恐れたので
ある。
その一方で日本では、日本軍兵士の戦没者を英霊と
呼んで美化している。日本に侵略してきた外国軍と戦
って犠牲になったのなら、英霊と呼ぶべきであろう。
しかし、勝手に外国を侵略した結果、戦死した人々を
英霊と呼ぶには妥当性がない。それは、戦死した兵士
に対する同情心を国民に喚起させることによって、侵
略政策を遂行した為政者の責任をボカす欺瞞政策の一
つの政治的テクニックといえよう。
良心的な日本人から見れば、英霊と呼ばれている人
々の多くは、日本の軍国主義政策の大いなる犠牲者で
あり、人生を台無しにした悲惨な被害者といえよう。
「お国のために死んだ」、「現在の日本は、英霊のお
かげ」というのは大いなる欺瞞である。単なる好戦的
な為政者の犠牲に過ぎない。国民は敗戦の饑餓状態か
ら、少しでも安定した生活がしたい、といって頑張っ
たお陰で現在の日本がある。そのためにしてきた政権
党の功績は認めざるをえないもので゛ある。しかし、
戦没者のお陰で今日がある、というのは論理のすり替
えに過ぎない。単なる戦争責任を回避するために戦没
者を美化しているに過ぎない。戦没者の政治利用とで
もいうべきものであろう。
兵士が「天皇陛下万歳といって死んでいった」、と
いうのも事実とは認めがたい。確かにそういう人もいた
と、戦争体験者から聞いている。しかし、ほとんどの
兵士が死ぬとき、「お母さん!」といって息を引き取っ
たとも聞いている。「岸壁の母」という歌謡曲が現在
でも多くの日本国民の共感を呼んでいるが、「岸壁の
父」も大勢いたといわれている。子を思う親心は母も
父も違いはない。
また為政者の責任を、「天皇陛下」に責任転化する
野望は捨てるべきである。昭和天皇は平和主義者だっ
たと聞いている。軍国主義が日本を覆っていた時代に、
天皇陛下自身の意思が無視に近い状況にあったのは否
定しがたい事実であろう。その証拠に、終戦の詔勅を
辞めさせようと画策した一部の軍部の動きを見れば分
かるはずである。「天皇陛下万歳」と叫びながら、天
皇の意思を無視し、自分達の意思を貫こうとした事実
は数え切れないほどあるはずである。まさに「天皇利
用」である。現在においても、「天皇利用」の実態は
何ら変わっていない。
今回の外相発言は、戦争責任を天皇陛下一人に押し
つけるものとも解釈されかねないものである。また、
天皇の靖国参拝を実現することで、軍国主義の復活を
天皇の名の下に遂行しようとの意思がみえるようであ
る。
平成天皇も平和主義者である。自分達の好戦的な政
策を遂行するための天皇利用は断念すべきである。憲
法9条改定問題もその動きの中の一つであろう。さら
には国民徴兵制も画策されている、ともいわれている。
軍国主義志向は止まるところを知らないようである。
いずれにしても天皇の政治利用は断念すべきである。
さらには、「皇室典範審議急ぐな」という中曽根元
首相の考えは(12月29日、読売新聞)、女性天皇
では、戦争などが発生した場合、政策遂行しにくい、
との読みがあるのではないかと推測したくなる。近年
の政治的な一連の動きは、軍国主義よ再び、という野
望が根本にあるような気がしてならない。
「殺すな、殺させるな」というブッダの言葉を再度
吟味してほしい。