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【右が池田恵里子さん、左が石田米子さん。】
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「近藤一さんを追悼し、池田恵理子さんのお話を聞く会」に参加をしました。〝山西省・明らかにする会〟主催、〝「慰安婦」問題を考える女たちの会・岡山〟共催です。
近藤一さんは、元日本軍兵士。80年前、侵略をした日本軍の兵士として中国・山西省に。戦争末期には沖縄戦で、九死に一生を得られました。
定年退職後、沖縄戦の証言活動を始められ、70代になってから、中国の戦場での「加害」事実を、沖縄での「被害」体験とともに語られるようになりました。
80歳(2000年)で「山西省・明らかにする会」のメンバーとともに、山西省に赴かれます。以後10回訪問をし、戦時性暴力を受けた被害女性や住民と真摯に向き合ってこられました。
日本政府を相手とした10件の日本軍「慰安婦」・性暴力裁判のなかで、近藤さんは自らの性暴力加害の証言をした唯一の元日本兵です。
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会は、石田米子さん(〝山西省・明らかにする会〟共同代表)が進行。池田恵里子さん(元NHKディレクター)制作のビデオ『追悼:日本兵の加害を語り続けた近藤一さん』(2021年/26分)をみて、その後、池田さんの話『近藤さんの記録ビデオを制作して』をお聞きしました。
池田さんの話は圧巻でした。まとめる時間がなく、情けないですが項目だけお書きします。
・「慰安婦」問題の発生とこれまでの経緯
・元兵士が日本軍の性暴力を語るようになってきた歩み
・1990年代以降、「慰安婦」被害者が名乗り出てからの元兵士たち
・たぐいまれな存在、近藤一さん
池田さんは超ご多忙のなか、中国・沖縄に訪問される近藤さんへの同行・ヒアリングだけでなく、生まれ故郷などにも訪問して記録をためてきておられ(スゴイ!)、ビデオも、近藤さんの生き様、お人柄がよく伝わってくる素晴らしいもので、多くの方に見ていただきたいと思います。
ビデオでは、近藤さんの想いを真正面からうけとめ、自分たちらしい表現で周りに伝えていく高校生たちの姿がとても嬉しかったです。
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私は、2001年に、山西省で性暴力被害にあったダーニャン(おばあちゃん)に会い、その現場などを訪れるツアーに参加をしました。その時、近藤さんの2回目の山西省訪問をご一緒しました。
また、近藤さんが岡山にこられての証言集会のとき、わずかの時間、お話をお聞きしましたが、語られてこられた多くは、山西省の会の皆さんがまとめられた書物で読みました。
私とご一緒した、まだ2回目訪問の近藤さんは、ひたすら寡黙で、皆さんの輪の端の辺りで、ダーニャンや皆さんの話をじーと聞いておられるように感じました。
〝山西省・明らかにする会〟は、被害者たちに会われる近藤さんとの場を積み重ねてこられた、これもまた稀有な敬愛すべき団体です。おこがましいですが、近藤さんにとっては尊い存在の団体で、感謝されていたのではないかと思います。
近藤さんの、強い自責の念と誠実な謝罪への想い。訪問が重ねられるなかで、ビデオでは、ダーニャンたちから近藤さんへの信頼の眼差しが感じられました。
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近藤さんは、2021年5月4日、101歳で亡くなられました。会では、皆さんから近藤さんとの思い出や近藤さんから学んだことなどが温かく語りあわれました。
「二度と同じ過ちを繰り返さないことが、平和への道」。「語ること」を生涯の使命とされ、情熱をもってその人生を全うされました。近藤さんに心からの追悼の気持ちと感謝を申し上げます。
「鬼木さん、するからね」と、かなり前から告知をいただき、ご準備を重ねてこられた石田さん。ありがとうございました。
✳︎長くなってごめんなさい。