女川町と石巻市という3.11東日本大震災では、津波の大きな被害を受けたまちを訪れています。
写真は女川町立病院。玄関前に柱には、赤線で津波が押し寄せた高さの記録が示されています。この病院は16メートルの高台にあるのにもかかわらず(右写真中心)、1Fの浸水は高さ2メートルに達したということです。今日の案内をしてくださった奈須りえさん(大田区議会議員)と横田さんと。
人口1万人の女川町において、死者595人、行方不明者340人。病院の駐車場(もちろん、高台の上)からまちをながめると、がれきが一掃されたなかに、撤去がまだされていない、ひっくり返ったビル、横倒しになった交番などいくつかの建物がそのまま残っています。この病院も含めて映像を通してみた光景が思い出され、天を仰いでしまいました。
仮設住宅にお住まいの女川町議員の阿部美紀子さんとお父さんの宗悦さんを訪問。宗悦さんは40年来、女川原発に反対してこられた方で、京都大学の小出裕章さんの師匠ということ。お父さんと想いを同じくする阿部町議は、昨年の11月の選挙で初当選された方です。
がれき処理は、東京へ広域処理される分しか進んでいないということ。復興計画での土地のかさあげに多くのガレキが使われると奈須さんに聞いていましたが、現在、不動産鑑定士による土地価格算定中。地区別住民説明会(7~8月)、そして個別交渉と、復興計画が具体化するまでには、もうしばらくの時間がかかりそうです。
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散乱したガレキの撤去はほぼ100%終わっており、現在は、家屋解体(解体されていない建物は女川町は5%、石巻市は50%)や海中から引きあげられるものの搬入が行われています。
短時間ながらもいくつもの仮置き場をみました。昨年は火災が起こったようですが、ばっ気のための煙突があったり、ビニールで覆われているガレキもありました。
宮城県では、震災が行政機能へのダメージを与えたため、12の市町から処理の一部について委託を受けています(仙台市など独自処理する自治体もある)。4ブロックにわけ、処理業務をブロック別にプロポーザル方式で3社以上の業者で構成される特定JV(特定業務共同企業体)に業務受託。石巻ブロック(女川町も含む)の受託者は鹿島建設東北支店を代表とする特定JVです。
石巻では、5基・1500t/日の仮設償却炉が石巻港に建設され、1号炉は5月に火入れ、焼却開始予定ということ。写真はそのプラント前で。また近くに災害廃棄物を再生(コンクリート化)した物を埋め立てる予定地があります。
最後に、石巻市の日和山公園にあがりました。石巻市が一望でき、震災のとき、ここからの光景も映像でよく流れていました。岡山より半月以上遅い桜吹雪が舞っていました。