東京での部落史フィールドワークのなかで、南千住回向院にあるレリーフ「観臓記念碑」も見に行きました。写真がないのがすごく残念ですが、杉田玄白による『解体新書』(『ターヘル・アナトミア』翻訳)出版にあたって欠かせない場所で、このレリーフは、1771(明和8)年にここで行われた刑死者の腑分け(解剖)を、杉田玄白・前野良沢・中川淳庵らが見学したことを記念するものです。
『ターヘル・アナトミア』に載っている人体解剖図が正確かどうかを、腑分けに参加して確認したものですが、このとき執刀にあたったのが、被差別民であり、90歳の老人でした。彼は、医者が行ったことのない解剖を行い、その上で、心臓、肝臓、腎臓、胆嚢、胃などを正確に切り分けて名前を述べて示し、さらにその他の血管や筋など複数の器官についても「これらの名前は分からないが、どの人体内部も必ずこのようになっている」と語っています。執刀した「虎松の祖父」は、系統だった人体解剖技術を持っており、しかも主要な臓器の名前・位置まで知悉しており、この知識が、杉田玄白らがまだ十分に知らなかった西洋医学の基礎知識と完全に一致していたのです。
説明してくださった浦本さん(東京解放研究所)が、「近代医学発祥の地だと言われるが、すでにそれだけの知識・技術を被差別の人が持っていたので、〈再確認〉したところとすべき。本来、この肝臓記念碑にこのことが触れられるべきであるが、まったく触れられていない」と。
杉田玄白は、『蘭学事始』のなかで、「虎松の祖父」のことを「すこやかなる老者なりき」と、深い感動と敬意をもって書き残しています。被差別民が暮らしのなかで果たしてきた役割、歴史を正しく知ろうとするとき、「虎松の祖父」のことは欠かせませんが、その現場に立ったのは初めてで、感慨深かったです。ともに参加をした方から、「知を智にかえて、行動を」と私を励ましてくださいました。
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岡山に帰ったら、とても冷え込む夜にびっくり。夫がゆず風呂と湯たんぽを用意してくれていました。