岡山市議会議員/おにきのぞみの虹色通信

〈いのち・みどり・平和〉を大切にする
 政治や暮らしをつくっていきたい。

5月5日 「必死必生」。長泉寺開山500周年記念大法会で、佐々井秀嶺師とジャイ・ビーム(がんばろう)。

2009-05-05 | いのち・人権



 南方にある長泉寺の開山500周年記念大法会が行なわれました。長泉寺の皆さまには若い頃から多くのことを教えていただいており、感謝の気持ちいっぱいでの参加でした。
 この大法会には、インドで人間解放の仏教再興に取り組む指導者の佐々井秀嶺師が参列。記念法話も行なわれました。「15年ほど前にインド・ナグプールを訪問したときにお会いしました。今日はありがとうございました」とご挨拶をすると、「おう、そう言われれば」と握手。
 スリランカで仏教寺院を中心とした社会福祉センターを運営するウィマラ比丘団長率いるキャンディダンス一行も来られ、ウィマラさんに久しぶりにお会いするとともにダンスも楽しむこともできました。
 佐々井さんはご自身の生き方を「必死必生」と呼ばれます。〈一生懸命に必ず生きる〉。今日の大法会でいただいた言葉です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月3日 ソウルの清渓川と国立中央博物館

2009-05-05 | おにき日記



 3日目は、午前中のフリータイムを利用して、訪れてみたいと思っていたソウルの中心を流れる清渓川(チョンゲチョン)を散策しました。写真の川が長年にわたってフタをされ、その上を高架道路が走っていたとは想像できないです。現・李明博大統領がソウル市長時代の2005年10月、約40年の時を経て全長8.14kmの川が蘇りました。確かに気温が周囲より低い感じがして、すがすがしい散策でした。
 人工的な川という印象は拭えませんが、近代的な箇所と自然を味わえる箇所を組み合わせて造られています。今回歩いた距離はわずか。川は道路よりぐんと低い位置を流れ、その両側に散策路が。上流の水深は浅く、水は澄んでいて、小さな魚が泳いでいます。そして、壁や橋を利用して、歴史や文化を感じることができるようになっています。イベント広場では、「こどもたちに希望を」とのステージと募金が行なわれている最中で、川の散策には観光客が訪れていました。
 車から人間・自然中心の社会へ。生態系の復元はどのようにどこまで行なわれているのでしょう? どのように交通システムが再編されたのでしょう? 自然と地域活性化の関係は?…。現在、西川緑道公園が再開発中ですが、いろいろと担当者に聞いてみたいところでした。


     
 
 最後は、5年前に立てられた「国立中央博物館」。アジアで最大、世界6番目の規模。時間が短くて考古館だけをしかも足早にしか見学できませんでしたが、古代の朝鮮が日本(岡山)に与えた文化・宗教について、ホンモノに出会えたのはありがたいことでした。
 ロビーにある「敬天寺十層石塔」(高麗時代のものと推定。高さ13.5m)は大理石で作られています。敬天寺にあった塔を日本統治時代に日本が無断搬出したもので、後に返還。いつまでも眺めていたいと思わせる石塔でしたが、帰途につかねばなりませんでした。
   *        *        * 
 何よりも参加者同士の交流が一番でした。ご一緒していただいた皆さま、お世話になった皆さまに感謝します。カムサハムニダ(ありがとうございます)。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月2日 世界遺産の水原城

2009-05-05 | おにき日記



 2日目は、世界遺産の水原城を訪問。李氏朝鮮時代末期の城塞遺跡です。東洋と西洋の技術が融合したもので、城郭の築造に石材とレンガが併用されているのが特徴とのことです。この中にある華城行宮は「チャングム」の医女時代の撮影場所となったところですが、今回は訪問せず。水原城の案内板は、ハングル、英語、中国語、日本語の4カ国語でした。
 正直にかくと、ソウルでは余り感じませんでしたが、私の足はよくひっかかるのでした。車いすのループがついているところもありましたが、建物のなかや部屋に小さな段差がけっこうあって、普通に歩いているとひっかかる。日本の建物はけっこうバリアフリーが進んでいるのだと改めて思いました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月1日 韓国・富川市に。〈分かち合い〉と〈満たし合い〉

2009-05-05 | おにき日記
 
  

 5月1日~3日、「岡山市民友好親善訪韓団」に参加して、岡山市と友好交流都市として協定している韓国・富川市(ぷちょん)に行ってきました。高谷市長を団長とした総勢68名。
 写真は、市議会歓迎会、第25回ボクサゴル芸術祭開幕式(市庁舎前舞台)です。ボクサゴルとは「桃の里」という意味で、富川市も岡山市と同様に桃の産地だったそうです。桃の縁での友好都市ですが、今の富川市は急激な都市化で桃畑が少なくなっているとのことでした。富川市は仁川空港とソウル市の間に位置し、ソウル市のベッドタウン。人口87万人が高層マンションにひしめく人口密度No.1のまちです。開幕式には、3~4000人が集っているようでした。
 
  

 市議会歓迎会では富川市議会のことをまとめた冊子が手渡され、DVDが流されました。躍動感ある音楽と構成で、世界にまで発信せんとする市としての勢いを感じます。議会の目標は「民意に忠実な富川市議会」、方針は「信頼される、希望を与える、住民のための議会」。具体的な議会活動や地方自治のあり方について聞いてみたかったです。
 レセプションで同じテーブルにつかれた議員にお聞きすると、DVDと冊子は、ハングル、英語、中国語、日本語で作成され、委員会構成が変わるたびに作り変えられます。これらは視察用だけでなく、例えば小・中・高校に議員が出かけ、議会について「一日先生」をするときに用いられるとのこと。冊子によると地方自治は住民参加の中で成長・発展できると、子どもたちにも議会傍聴を呼びかけ、議会庁舎を開放しています。
 韓国では軍事独裁政権が長期にわたり、1991年に30年ぶりに地方議会選挙、1995年に地方首長選挙が行なわれました。中央集権から民主的な地方自治のあり方を求めて試行錯誤している途上ともいえます。たとえば、富川市議会議員30名のなかで女性議員は4名。選挙区選出からの女性議員は1名で、残り3名は比例代表からでした。2006年選挙から地方議会選挙にも比例代表制が導入され、政党推薦者名簿の奇数番に女性を記載し、男女の比率を50%と義務化。その結果、地方議会に女性議員が占める比率は前回選挙3.4%から、現在11.8%と飛躍的にのびています。韓国は日本と同様に女性の意志決定の場への進出が世界のなかでは低い国ですが、名簿の一番が女性ですから、女性議員のいない自治体はなくなったのです。次の機会には女性たちとお話してみたいです。


  

 写真は、洪建杓・富川市市長、富川市が友好都市縁組しているフィリピン・バレンシアナ市市長と。彼は34歳と若い市長です。私はフィリピンが最も親しみ多い国なので、バレンシアナ市長に帰国後メールを送ったら、「さらに交流を。皆さんによろしく」とすぐ返信されてきました(^^)。
 さて、話は長くなってしまいましたが、私が大学生時代の1980年。韓国で軍事独裁政権に抵抗し民主化を求めた光州事件がありました。隣国・韓国と日本の政治は深い関係にあり、私と同世代の学生が民主化のために生命をかける姿を今も鮮明に思い出します。そうして自ら得た民主主義を韓国の人たちがどう育んでいるのか。さらに知りたい、学びたいと、韓国・富川市での短い滞在でしたが、大いに刺激を受けました。顔の見える交流はやはり大切です。
 市議会歓迎会の冒頭で、韓潤錫・議長が、「豊かにあるものを〈分かち合い〉、足りないものは〈満たし合おう〉」と言われました。交流の真髄ですね。御野小学校は姉妹校をもちすでに交流が行なわれ、今回、芳田中学校がその準備のために訪問をしました。体が二つあったら、私も一緒に学校を訪れてみたかったです。昨年は竹島問題で富川市からの岡山市への訪問団が中止となっています。これまでの交流の歩みに感謝しつつ紐解き、私自身は先ず学んでいかねばならないと痛感しました。両市民同士の交流の場が更にできるといいなと。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする