Do you remember rock'n' roll radio?

Macとか音楽とかサッカーとか気にくわないニュースとか、独りよがりの邪推と妄想

権威化された賞を有り難がり過ぎなのではと

2014-10-08 00:14:08 | ニュース


5日の日曜日、高円宮家の典子さまが出雲大社で
千家国麿さんとの結婚式をあげられました。

これは国家的におめでたいということで、
各新聞ではまたお祝いの連合広告が企画されたようです。

冒頭の写真は同日朝刊の日本経団連新聞に掲載された広告です。


こういう広告って新聞独特で、毎日発行される印刷物ならでは、
ってなカンジではありますが。

毎日、ってんのならテレビやラジオ、インターネットでも
同様の企画があってもよさそうなもんですが、見かけませんね。


ところでこのお祝い連合広告企画、もちろん新聞各社で企画されましたが、
中日新聞と系列の東京新聞は中止にしたそうです。

理由は、御岳山の件で自粛したとのことです。

ま、それにも関わらず企画を遂行するのと中止するのでは、
どちらが良い悪いと言うのでもありませんけれども、
そういうことがあったそうです。

ホントは企画していた広告企画にスポンサーが集まらなかった、
なんてことが理由なのかもしれませんけど。

そういうのは新聞の広告企画ではしょっちゅうあることですし、
その真偽は中の人でないとわかりません。


おめでたいと言えばノーベル賞です。

青色LED開発の件で、赤崎勇・名城大終身教授、天野浩・名古屋大教授、
中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授の3名に
賞が授与されることになったようです。

もう日本中が、3人を祝福しお祝いモードなんでありますが。

3人を祝福するのはいいのですよ。
でもね。


まあ、自分はこういう時にいつも思うのですが、
なんだって日本人は外国に褒められるとこうも喜ぶのでしょうね。

メディアがいろいろ報道してますけど、青色LEDの開発や実用化、
その功績よりも、ノーベル賞受賞のほうを喜んでいる気がしてなりません。

それはひょっとしたらそういうものかもしれないのですけど、
自分としてはどうにも違和感が拭えません。


外国の評価だけでなく、日本人は、日本人だけでないかもしれませんけど、
権威化された賞というのが大好きみたいでして。

青色 LEDの功績、それでなく科学の偉業というのは、
ノーベル賞のような権威ある物差しがないと測れないのでしょうか。


科学だけじゃないですけどね、今や世の中はナントカ・アワードが溢れています。

お絵描きだったりや詩だったり弁論だったり音楽だったり、
美人コンテストに水着コンテストに写真コンテスト、
それこそジーンズが似合うだの眼鏡が似合うだの、
あらゆることに賞が企画されています。


スポーツのように明確に勝敗がつくのでないものに対して、
あまりに多くの賞があるように思われるのですが。

でもまあ、それは商売上のこともありますし、
それで個人などのモチベーションが活性化するなら悪いことでは
ないかもしれませんが、賞目的になっちゃうと本末転倒ということも
あるのではないかと危惧しますね。

賞を目的化してしまう倒錯ですね。
ギネスなんかそうですけれども。

例えば地域活性化とか、目論みはあるんでしょうけれども、
またそうした活動を否定もしませんけれども、
なんかそういう、権威による評価をむやみに有り難がるのって、
ほどほどにしたほうがいいような気がするのですけれどねえ。


そんなこんなで早速、各新聞は青色LEDノーベル賞おめでとう連合広告を
企画してくると思われますが。

また、日本の憲法9条がノーベル平和賞を取るのではないかという噂がありまして、
そうしたらはやり日本中がお祝いモードになるのでしょうか。

アベちゃんなんかは青色LEDでの受賞者にお祝いの電話を入れたとのことですが、
自らが解釈で改憲しようとしている憲法9条がノーベル平和賞をとったら、
アベちゃん含め政府、御用マスコミはどんな態度を取るのでしょうか。

やはり各新聞とも、憲法9条おめでとう連合広告を企画するのでしょうか。
どうなんでしょうか。